自然学についての説明
あるものをあるという限りにおいて考察する。テツセカ。
この番組は哲学を知りたい3人があるはあるとは何かを導き出すために語る番組です。
ミソです。
モアです。
トモキです。
なんかまたパルメニデスのところに帰ってきましたね。
そうなんですよね。
正直全く意味わかってないんですけど、本読んでも結局何言いたいのかよくわからなかったんですけど、あるはあるここで出てくるんですよね。
でもパルメディスのあるはある自体が意味不明すぎるから、だからみんなその意味不明なものに注釈をつけたがるわけで、
誰だっけ、デリタだっけ、読み手中心って言ったのって。
はいはいはい、そうですね。
みんなそれが何なのかとか考えなくていいじゃんと思うんですけどね。
別にその人が何言ってたかなんてわかんないし、もう済ませろよって僕は思わなくもないというところでございます。
解釈に任せろと。
まあでも多分そんな考え方でずっとやってきてたら哲学って発展しなかったんだろうなと思うと、
書き手中心でよかったなと思う今日この頃です。
確かに確かに。
そんな感じでアリストレース3回目ですね。
前回まではプラトンの主に批判みたいなところと、
ちょっとアリストテレスの考え方にも触れつつ、
これがどうプラトンに繋がっていくのか、もう一度戻るのかみたいなところですね。
前回言った通りアリストテレスは様々な学問とか学知っていうのを分けていって、
それを論理学、オルガノンを使って論章するっていうアプローチを取った。
もちろんね、問答法とかも使ってはいたみたいなんですけどね。
だけどその論理学の優位みたいなことを主張したっていう感じです。
じゃあその具体的にその学の中身みたいなのをちょっと見てみたいなと思ってですね。
主に自然学について説明していこうとは思うんですけど、
アリストテレスのいう自然学って、
現代の我々が想像する自然って、
なんか綺麗な森みたいな山みたいな、
そういうのとちょっと違ってですね、
物理学に近いニュアンスもあるんですよね。
その自物の運動とか生成変化はなぜ起こるのだろうかみたいなのを説明していくっていう感じですね。
物理学って多分英語だとフィジックスみたいな言い方だと思うんですけど、
あれってなんかギリシャ語の自然っていう意味であるピュシスっていう言葉から来てるらしいんですよね。
だからニアリーコールと言ってもいいのかもしれないという感じですね。
自然学の中で、さっき言った通り生成変化とか運動とかの説明をしていくわけですよ。
これってプラトンとかパルメニデスが否定的に扱っていた、
運動はしない、不動不滅だとか、不生不滅だとか、
絶対に動かないものだとか、一なるものだとかって言ってたパルメニデスとは違うというか、
そんなことをパルメニデスとかプラトン先生に言われたって、
人工物を例えに説明する
目の前のものは誰にどう言われようが動くし、生まれてくるし、変化するし、死んだりするし、止まったりするでしょ、
みたいなことを言っていくというか分析していくっていう感じなんですね。
これがどう変化するのかどう運動するのかを突き詰めて考えた感じですね。
ちょっとこの辺を簡単に説明したいなと思うんですけど、
自然界のあらゆるものにはアリストテレス的には、
元となる素材と出来上がったものみたいな関係性がありますよね、みたいなことを言ってくると。
ここはアリストテレス自身も人工物、人が作ったもので例えると分かりやすいよみたいなことを言ってるんで、
例えばラブホテルみたいなものだとしたら、
ラブホテルはコンクリートで出来てる。
コンクリートが素材となっていて、ラブホテルというものに生成変化するみたいな。
これはアリストテレスが人工物例えろって言ってたんでしょうがないですけど。
アリストテレスの用語で言うと、質量因とか系層因みたいな言い方をするんですけどね。
コンクリートの方が質量因ですよね、原因ってことですね。質量の原因がコンクリート。
出来上がったものが系層因、ラブホテルっていうことですね。
基本的にこの、ちょっとラブホテルのたびにちょっと。
違う、ちょっと。
ごめんなさい。
何?質量因、因は原因の因。
そうですそうです。
作られたものがラブホテルなの?
作られたもの、系層ですね。形と手層の層ですね、の因。
そうですよね。
これ系層因って、系層のことをね、ギリシャ語だとエイドスって言うんで。
まあまあニアリーイコールイデアなんですよ。
そのもののことを言ってるわけですよ。
アリストテレスはその目の前にあるものがそのものだっていう風に言ってるわけなんで。
このラブホテルがそのものなんだよっていうことですね。
基本的にこの質量因と系層因っていう関係で全ての事象を説明していくみたいな感じになるんですよ。
もちろんこれ付随的にちょっとややこしくなるんですけど、目的因っていうのがもう一個出てきて。
ラブホの目的ってまあいろいろあると思うんですけど。
まあまあエロい投資家がね、投資目的で作ったりとかね。
野外で強引に及ばなくてもそのようにね、快適な場所を提供するみたいな。
全員を持ってやるみたいなね。
作るみたいなところもあるだろうし。
まあラブホにはラブホの目的があるわけですよ。
あとまあ指導員って言ってね。
変化についての説明
ラブホを作った職人さんだったり設計者がいたりするよねみたいな。
設計図があったりするよねみたいな説明があって。
だから目的因と指導因っていうのは付随的に説明していくみたいな感じなんですけど。
まあこれ別にその人工物だけじゃなくて、そのラブホみたいな目の前に人が作ったものだけじゃなくて、概念とかももちろんそうだし。
このAが何かの目的などによってBになることを生成変化というみたいな感じ。
なんかバカな人間は賢くなるみたいな例がよく出されたりするんですけど。
そういうのも変化の方で捉えたり。
そういう人の変化、人が成長することとかそういうのも含めてこの自然学の中で説明していくみたいな感じなんですよね。
だから物理学よりもうちょっと広い概念というかなのかなと思いつつ。
多分生物学的なことも含んでいる。
すいませんけど質量員はコンクリートでした?
そうです。コンクリートです。
燃料ってことですか。
燃料とも言えますね。
原料とか燃料。
素材員という言い方をしたりもしますね。
しっくりくるんだよな。やっぱこうマトリックス図とかそういうものが作れそうな感じじゃないですか。
そうですね。
なんかやっぱロジカルだよなって感じがして。
ちょっとなんで笑わないで喋れるの。これ全部おかしいでしょ。
僕的にはともきさんが今の話を準備してきたというところに面白いとめちゃくちゃ感じていて。
でしょでしょ。
こいつ考えてきたんだなみたいな。
品があるよね。品がある下ネタの。下ネタの何だっけ。
イリア。違うか。
そうそう。イリア海にあっても困らないやつを持ってきてる。
なんで笑わないでいられるのあなたたちは本当に。
いやいや笑ってますよ。笑ってます笑ってます。
集中できなくて勉強にならないんですけどどうしたらいいんですか。
これよくないですねマジで。
これ本当にあのね。ドラマのローマと一緒だわ。入ってこねえわみたいな。
いやいやとりあえずあれですよ耐えてください。耐える以外にありません。
神経を集中して精神集中。
そのさっき言ってた質量因と計層因がメインなんですけどそれに目的因と指導因の2つを足して4つの原因で4原因説っていうのはよく言われるんです。
アリストテレスといえば4原因説ですよみたいな説明をされたりするんですけど。
でも多くの場合はこの目的因と指導因っていうのは計層因そのラブ法そのものみたいなのに含まれちゃうんだよっていう説明をするんですねアリストテレスは。
目的と始まる始源みたいなのは計層因に含まれちゃうみたいな。
アリストテレスとしては目の前にラブ法そのもの計層としての実態としてのラブ法があるんだから。
4原因説
当然それを作った人もいるし俺がねセックスするための施設っていう目的があるに決まっとるやろみたいな。
何しにラブ法来たんだよみたいな感じなわけですよ。ここまで来てそれがないだろうみたいなところもあるわけですよ。
そのラブ法という概念の中に含まれちゃってるよねそれは計層の中にねっていう。
だから僕らもラブ法って聞けばねなんかちょっといろいろ想像するところがあるわけじゃないですか。
そうそうそう。
前提があると。
そんな感じの論章をしていくんですよね。
すいません。実がラブ法じゃなくてですよ。カブトムシとかだったらどういうふうに説明してくれるんですか?
カブトムシだったら。
カブトムシになる目的があるんでしょうね。知らんけど。
すいませんちょっとラブ法しか目的が浮かばなかったんですいません。
まあまあアリストテレス的にはだからそういう計層になっていくにはそういう目的があるよということなんですよね。
こうやって論章すれば質量から計層へという流れだけで生成変化運動を現実世界でもちゃんと説明できるよプラトン先生ということを言うわけですよ。
これ気のせいなんかじゃないですよみたいな。
ここでポイントというかアリストテレスはあくまでも目の前の現実個物を重視してた。
そのラブ法そのものを重視してた。
だからここもねなんかややこしいんですけどね。
そのラブ法に使われたコンクリートっていうのはラブ法に使われたことによって初めてラブ法に使われたコンクリートになるのであってコンクリート一般としては扱わないみたいな。
これよく言われるのは鶏卵の例えみたいなのがアリストテレスのところでよく出てくるんですけど。
現実体と可能体
例えば個物として目の前に鶏さんがいますと。
鶏が卵を産んだりしますと。
初めてその計層としての鶏がそこにいることによって卵が生まれる。
その鶏の卵がワニになったりとかカエルになったりとかすることはないことは明白なけで。
これさっき言ってたコンクリート一般とラブ法に使われるコンクリートの違いみたいなところなんですよね。
だからアリストテレス的には鶏卵問題っていうのは当然鶏っていう計層があるから質量員としての卵があるみたいな考え方なんですよ。
質量から計層が出てくるんじゃなくて計層があるから質量があるみたいな考え方をしていく。
だから質量を見ればそのものがわかるってわかるってこと?
計層を見れば逆に言うと計層を見ないとその質量がわからないというかその質量に意味はあんまりないっていう考え方なんですね。
だってその鶏じゃない何物でもない卵なんてものはないわけじゃないですか。
何にでもなれる卵っていうのはないみたいな考え方なんですよ。
ワニにもなれるカエルにもなれる鶏にもなれる卵がないのと同じように鶏という目の前の成長しきった姿があるからこそあれは鶏の卵と呼べるんだよみたいな。
何て言ったっけ?子を見ることみたいな話さっきありましたけど。
子物ですね。
子物を見てその子物自体が計層であってその計層を形作っているものが質量であるっていう計層が先にあって質量を見るっていうそういうことなのかな。
だからトモキさんを見てトモキさんを構成しているのは水分とタンパク質であるっていう風に言うけど、
水分とタンパク質があるからってトモキなりミソさんができるわけじゃない。
それは何だろうな。たぶん十分条件と必要条件の違いみたいなのもあるのかもしれないですけど。
そんな感じですよね。
それがわかったからって何なの?
そういう意味で現実として現れている計層の方が重要で質量はその現実に現れるものの可能性みたいな言い方をするんですよね。
アリストテレスの用語でこれも現実体と可能体みたいな言い方をするんですけど、計層の方、現実の方、子物の方は現実体。
で質量の方、卵とかそういったものについては可能体っていう言い方をする。
卵という可能体があって現実体としての鶏が現れるんだけど、そんな感じなんですよ。
なんかこれ我々の感覚だとさっきミソさんが言ってくれたのともあれなんですけど、
計層質量と不動の動者
計層質量って遡っていくと、最終的に最後遡れる限界って質量が来ると思っちゃうじゃないですか。
それこそ原子とか分子とか素粒子みたいなところまで計層と質量の関係をどんどん遡ることができるよみたいなことをアリストテレスは言ってるんですけど、
遡っていくと質量の原因、質量に来ると思っちゃうんですけど。
ちなみにアリストテレスはそもそもデモクリトスの原子論とかも認めてなかったんですね。空虚の存在とかも認めてなかったんですけど、
アリストテレスは質量が究極の原因ではないと考えた。そうじゃなくて計層質量、計層質量って遡っていくと、計層質量、計層で最後終わるって言うんですよ。
究極の計層がある。それは現実的な目の前の鶏とかミソさんそのものを観察していったアリストテレスだからこそなんですけど、
現実の目の前の世界を一人一人見ていくことによって遡っていくと、ちょっとうまく言えないな。
その計層を優先したからこそ、抽象的なものより優先した規決として、現実を優先した規決として出てくる結論みたいな感じで、
デモクリトスのように、所詮人間は原子の塊だし、この世に意味なんてないとも言わず、プラトンのように現実世界は虚構にも過ぎないとも言わず、
目の前のあなたを一人一人、あなたとして、個物として認めてくれるみたいな感じなんですね。
そのためには、その生成変化の究極の要因っていうのを、計層、現実体に求めざるを得なくなる。
なので、遡っていっても、計層がないと始まらないわけですよ。アリストテレスとして。
この究極の計層のことを究極の現実体とも言いますけど、アリストテレスは不動の動者っていう風に名付けるんですね。
動かない、動かずの動者ですね。動くものと名付けますと。
この不動の動者は何者にも動かされることなく、全ての運動や生成変化のきっかけとなる資源なんだっていう言い方をするんですよ。
ここがすごいエモいなと思ったんですけど、ロジックをめっちゃ使っていって、目の前のものをちゃんと認めようとした結果、
プラトンが言ってたデミウルゴスみたいな神みたいな概念を出してくるっていう最後。
そこに求めざるを得なくなるみたいな。
論理学を使って論理的に突き詰めていった結果、不動の動者に行き着くっていうのがすごい。
これがさっき言ってたね、ずっと言ってたプラトンに回帰していくところみたいなところなんですけど。
考え方のきっかけは違うんですけど、プラトンが言ってたのね、イデア界っていう理想の世界があるけど、不完全ながらデミウルゴスっていう神的なものが、
現実の世界を作って、生成変化とかして見えるような世界を作ってしまったんだよ、みたいなことを言ってるわけですよね。
アリストテレスがそれを突き詰めていったら、なんか近いような概念にたどり着いてしまうという感じなんですよね。
プラトンとアリストテレスの比較
これがプラトンに回帰していくところなんですよ。
それはあれですか、後から自分もアリストテレスは、あれ、僕プラトン先生と同じ考えになっちゃったなって思ったのか、後々の人がそういうふうに、あれ、なんか回帰してるねって思ったのか。
これがですね、アリストテレスは決してプラトンを参考にしているとは言わないんですよね。参考にしているとも言わないし、プラトンに戻っているとも言わない。
後々の人が、これは最近の研究者の中では、昔からプラトンとアリストテレスって相反するような考え方を持ち出した2人だよねって言われてたけど、言うほど違わなくね?みたいな言い方をする。
そこを強調してもあまり仕方ないんじゃないのかな、みたいな研究者もいるみたいですね。
だからアリストテレスはプラトンの名前は出さないんですよ。批判する時は出すんですけど、参考にしている時とか、これ似てきたなーみたいな時は全然出さないっていう。
プラテス大好きなプラトンとはちょっとまたその辺の関係性を考えれば違うね。
ちょっとなんか最後ぐちゃってなっちゃったんですけど、なんか伝わったかな?
でも人ってそういう風に考えるもんだよね。本当。そんな簡単にそんな言葉に出せるようなものではないし、何回も言われるとそうなのかなって思ったりすることあるからね。
今トモキがリピートしてくれて、だから計算と質量と計算と質量とってやっていくとっていうとなんかイメージができてくるっていうか。
でもさ、プラトンも同じようなこと言ってアリストテレスも同じようなこと言ってたとしたらもう私、哲学わかっちゃったかな?
いやいやいやでもデモクリトスは違うことを言ってるわけじゃないですか。
デモクリトスは質量の方に明らかに資源を求めたわけですよ。原始と空虚しかないっていう風に。でこの世の中に意味はないっていうような考え方をしたわけじゃないですか。
だからアリストテレスはその考え方を取りたくなかったんだと思うんですよね。
ちゃんとこの世界にもちゃんと意味もあるし、目の前の私自身もあなた自身もちゃんと意味はあるしみたいなことを、割と厚いタイプでもあったと思うんですよね。
そんな感じだと思うんですよね。その系層あなた自身にも、イデアとかエイドスみたいなのちゃんとあなたに宿ってるんだよみたいな感じのニュアンスですよね。
水とタンパク質じゃなくてあなたにあるよってことね。
そうそうそうそう。
多分そう。
そうそうそうそう。
いや難しいですね。ちょっと難しいな。
この系層は質量で成り立っているって話でしたけど、同じタンパク質でもミソを作り出しているタンパク質とトムキさんを作り出しているタンパク質は違う。
だからその系層から考えた中の質量という意味合いで言うと、そのタンパク質は決一の質量だというような考え方のような気がするんですけど、
そうは言うもののその質量だって唯一無二なわけじゃないですか。考えようによっては唯一無二なタンパク質なわけでしょそこは。
だからその質量が系層員として考えることができるじゃないですか。
アリストテレスの形而上学について
ごめんなさいちょっと説明が下手だったんであれなんですけど、系層質量で辿っていくっていうのは、今度はそのタンパク質の方が系層になって、タンパク質を今度構成する何かの物質が質量になるっていう意味合いですよね。
だからその質量自体も系層にもなり得る。可能体にも現実体にもなり得るみたいな言い方。
それの連環みたいなのが生成変化だみたいなことを言ってるっていう感じなんですよね。
なるほどね。
系層っていうのはエイドス・イデアなわけですよねそれはね。確かに分類分けとしてはそういう分類分け、大きな分類分けとしては知ってるような気はするんですけど、
とはいうもののその系層っていうものはもう世の中には無限大にあるわけで、その無限大のものっていうのを同じような分類として質量にまた分けていったりしたら、
それはそれでまためちゃくちゃ何かが増えて増えまくってしまうみたいな、プラトンに対して言っていたことと同じようなことが発生するんじゃねーの?みたいな感じで思ったりとか。
しましたねー。で、なんだっけ、デミウルゴスってどっから出てきたんでしたっけプラトンって。
後期の方の対話編の中で、あんまり倫理学とかその辺をあんまり語らなくなってきて、宇宙の成り立ちみたいなのを説明する中で、
まあじゃあ一応現実世界、この現象界みたいなのをちゃんと説明するにはどうしようかなーみたいな、多分苦肉の策として、
やっぱりそのイデア界の理想の姿を映し出す、完全ながら作り出す神みたいな存在として描き出したっていう感じだと思いますね。
なんか説話みたいな。それに対してアリストテレスの場合は、分解して分解して分解しきったところの中で、説明がつかなくなったものっていうのを神という概念にしたっていうところで、
なんかちょっと物語チックなプラトンと、最後突き詰めて説明しきれなくなったものっていうのを神というふうに科学的に分解していった結果、そうなっていったっていうところで、
なんか季節としてはちょっと違うなーみたいな。
違うと思います。ただその、まあ大きな括りで言ったら神的な概念持ち出したな、みたいなところが似てるね、みたいな感じで語られてるっていう感じだと思うんですけど、
おっしゃる通りそのアプローチが全然違うんで、だし多分アリストテレス的にはプラトンみたいに無限にあるイデア解みたいな、無駄に概念を増やすみたいなのがどうしてもやりたくなくて、修練していって一つのものにいくみたいな感じにしたかったんじゃないのかなっていう。
奥が深いし、そういう疑問に思うということが哲学に興味を持ち始めたのかな、僕はね。
正直何もわかんないっすよ。
本当にもう読めば読むほどわかんない。
もう全然わかんない。
プラトンとアリストテレスの哲学の違い
何を言ってるんですかってなる。
あとプラトンとアリストテレスはダイモーンの声は聞いてなかったんですかね。
聞いてなかったんじゃないですか。
で、プラトン自身がね、どう考えてたかっていうのがね、あんまり書かれてないんでね、わかんないですけどね。
アリストテレスもどうなんだろうな。
多分本人は聞いてないと思います。ソクラテスはこうだったみたいなことは言ってるでしょうけど。
あともう一個。
あとアリストテレスには男の声が聞いてなかった。
わかんねー。調査不足でした。
すいません。
だめ。
それ何で調べられるんだろう。
はいはいはい。
そんな感じでした。
モンさんどうぞ。
本当にこれさ役に立つの?大丈夫かな。
私は役に立たないことをこうやって話してるのが好きなんだけど、面白いよね。
やっぱり知り得ないものを知ろうとするところって、なんか面白い、楽しいなあと思って。
そうですね。
今回面白かったのはやっぱ、僕らだったら質量員の方に原因求めちゃいがちだけど、
アリストテレスはやっぱり計算員に求めたんだみたいなことを知ったときに、面白いなあっていう感覚でしたね。
でもなんかやっぱり私結構神様みたいのというか、もうわからない、私たちにわからない世界を信じてる方だから、
結局もうだいたいアリストテレスもそっちに行っちゃったからいいかなって思います。
なるほど。ありがとうアリストテレスとこっち来てくれてと。
結局だから良かった。ありがとうございます。
アリストテレスの哲学が後世に与えた影響
だからこういうところから、スコラ哲学とかにアリストテレスは延用されていくわけですよ。
キリスト教の説明とかに不動の動詞みたいな概念とか、論理学を使ってキリスト教の教義を分析していくとかもそうなんですけど、
不動の動詞みたいな考え方がないとキリスト教には反映しづらいですよね。
まだまだ楽しみですね。
12世紀とかの話ですけどね。
いやーだけどまだ紀元前なんですか私たち。
そうです。まだ400年、300年とかそのくらいですね。
はるか昔ですけどなんか楽しい、まだまだ楽しいですねこれいろいろ。
次はどんな感じなんですか。
次はそうですね多分ヘレニズム哲学に行くかなと思います。
いいですかみそさん。
はい大丈夫ですどうぞ。
今日も最後までテツセカを聞いただきありがとうございました。
テツセカはスポーティファイアップルポッドキャスト、グーグルポッドキャストで配信しています。
お聞きのポッドキャストアプリで番組フォローいただけますと更新時に通知がきます。
またこの番組を気に入っていただけましたら高評価ボタンをポチッとしていただくと励みになります。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
いやーついにソクラテス、プラトン、アリストテレスという3巨人が終わってしまったわけで。
モーさんじゃないですけどやりきった感でちょっともう完結かなみたいなそんな雰囲気が漂ってますけど。
ヘレニズム三国じゃねえよヘレニズム哲学ってなんすか。
タルに入ってた人とか。
タルに入ってた人はなあ。
多分出さないかな。
ストア派エピクロス。
あと会議主義かなそのアカデミー派そのプラトンの後を継いだ人たちの考え方なと思います。
シュウさんね。
エピクロスね。
わかりました。
エピローグ
その辺の話もね面白いんで楽しみにしています。
本当お疲れ様でした。
アリストテレスプラトンとても色々調べてきて大変だったと思うんですけども本当にトモキ先生ありがとうございました。
ありがとうございます。
いやいや楽しかったです結構。
こんな身が入ることないんで。
僕も勉強になりましたし楽しかったです。
じゃあそんなところでまた次回楽しみにしてください。
では終わりますありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。