2024-06-01 42:06

#70 究極の愛

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愛だよ愛

サマリー

この番組では、哲学に詳しい方々が、ギリシャ哲学とキリスト教の対比について議論しています。ギリシャ哲学が進化し新プラトン主義となる一方で、キリスト教は最初の矛盾を抱えたまま広まり、修正が難しくなったと話しています。古代の神話やグノーシス主義についても触れながら、影響力のある思想について議論しています。中世の暗黒時代やギリシャ哲学など、幅広いテーマを探究しています。

ミソ・モモ・トモキ
究極の愛、テツセカ。
この番組は、哲学を知らない3人が、知らない中でも、あれなんだっけ、素人赤く番組です。
ミソです。
モモです。
トモキです。
やっちゃった。
やっちゃったね。やっちゃうよね、こういうのね。
やっちゃうやっちゃう。
やっちゃうやっちゃう。
ザビエルの頭を黒く塗った男です。
いや、いいんですよ。
やっちゃうって言ってたよね、それね。
やっちゃうやっちゃう。
はい、すいません。究極の愛ときたか。
うん。
アルティメットラブ。
そうですね。なんか急にかっこよくなったけど。
いや、まさにそうなんですよ。ついにね、僕が愛を語るようになりましたよ。
いやー、いいですね。
愛。
ノーシスを通じてね、愛とはこういうものなのかと。
なるほど。
ということがね、よく分かりました。
え、分かったの?
分かりました。
分かったんだ。
分かりましたね。
トモキさんに分かる愛っていうのがあるんだね。
あー、これかと。
俺が求めていたのはこれかっていう感じでしたね。
マジか。そっか。
じゃあちょっとそれをどう生活に役立てていくのかも含めて聞いていこうかな。
いや、ちょっとそこはちょっと、あんま掘り下げないでほしいんすけど。
マルキヨンとその教え
まあまあ、あのね、今回、まあ最後ね、
えっと、グノシス主義の3人目ということで、
マルキヨンという人です。
マルキヨン。
マルキヨン。
まあこの人もアレクサンドリアとかで活躍してたと呼ばれてる人で、
えっと、まあまあ同じぐらいの時代の人です。
あのプトレマイオスとかバシレイですと同じぐらいの人。
で、えっと、なんかね、なんか明確にこの人生まれた年とかは、
いまいち分かんないらしいんすけど、
分かってるのが一つだけあって、
144年にマルキヨン教会っていう教会が作られたんだっていうことだけは分かってるらしい。
ということみたいなんですよね。
だからなんか独自の教会みたいなのまで作ってたと言われていて、
あの、まあこのマルキヨンについていろいろ研究してる人がいて、
その中で有名なのがなんかハルナックっていう人らしいんですけど、
このハルナックっていう方の研究によれば、
まあよればというか、研究によればというか、
ハルナックの評価としては、
マルキヨンはパウロともアウグスティーヌスともルターとも
卑怯を取らない思想家だったと評していたと。
パウロとか、まあだからパウロは最初に広めた人ですよね。
で、アウグスティーヌスがカトリックの思想を固めた人。
ルターがプロテスタントとして最初に出てきた人。
卑怯を取らないぐらいのすごい人だったんだよ、みたいなことを言っていると。
すごいじゃん、グノーシスなのに。
そう。で、まああの、なんか細かいこと言うと、
マルキヨンをグノーシスに含めるか否かっていうのは、
割と分かれるらしい。
なるほどね。
まあね、グノーシスじゃない異端派とかだって言ったわけじゃないですか。
だからまあそういう見方もできるっぽいんですけど、
まあとはいえグノーシスだよねっていうふうに語れることが多いので、
一応今回紹介してるって感じなんですけど。
これもハルナックによればなんですけど、
本当か嘘かは全然知らないんですけど、
ロシアの文豪トルストイはマルキヨン派のキリスト教徒だったらしいとかって書いてありましたね。
そんな時代まで残ってたんだみたいな。
ちょっとよくわかんないですけどね。
で、もともとこのマルキヨンって人は、
前回かな言ったと思うんですけど、
政党派のキリスト教の教会に所属はしていたんですけど、
そこから決別していったという流れがある。
まあ多分それがルターに類比されるみたいなこともあるんでしょうけど、
で、その後かなり活躍したみたいで、
前のキリスト教会で出てきたユスティノスとかは、
ユスティノスが150年頃に書いた書物の中に、
マルキヨンの教えは全人類にまで及んでしまっているとまで書いてるらしいんですよ。
さすがに大げさだろうとは思うんですけど。
まあまあまあだからね、
大げさなんですけど、
それなりの影響力はあったということは言いたかったんだろうなというぐらいの人なんですが、
マルキヨンの聖書とその内容
この人のストーリーというかお話なんですけど、
マルキヨンはプトレマイオスとかバシレイデスみたいな創造神話は作ってないっぽくて、
その代わり終末論、最後のお話があるんですね。
なるほどね。
このマルキヨンはプトレマイオスの言うところの至高神、
バシレイデスの言うところの存在しない神のことを、
違法の神と呼んでる。違法の、違う国の神というふうに呼んでいて、
なんかこの違法って言うと、ちょっと遠くの神かなぐらいの感覚になっちゃうんですけど、
マルキヨンが言う違法の神っていうのはもう完全に人間がいるこの世界とは全く何の関係も持たない。
完全にもう別世界みたいな意味で使っていて、
プトレマイオスのように至高神から流出してきてフレーローマが作られてみたいな、
あんなこともなければ、バシレイデスのように羽を下に落とすみたいなアクションも、
何もしないんですよ、この違法の神は。何の関わりもない。
だからプトレマイオスとかバシレイデスは多少何とも至高神というか神がね、
何かアクションをしたことで人類が苦しんだりとかしちゃってるっていう様子を見るから、
ある意味助け出すみたいな、無に返してあげるよみたいなね、
イエスを使わせて救済するみたいなストーリーになってましたけど、
マルキオンの終末論は、この世界は違法の神とは何の関係もない、
ポンって出てきた冷賊な創造神デミウルゴスが作ったもので、
人間はデミウルゴスに支配されて、かわいそうな目にあってる奴らだった。
その支配から違法の神は、人間たち自分とは何にも関係ないんだけど、
人間を純粋な愛ゆえにイエスを使わせて救済するみたいな話になっていて、
これが究極の愛なんだと。
そこの繋がりはわかんないけど、
グノーシス主義の二元論的な感じはめちゃくちゃ伝わってる。
だからグノーシスに分類されてるっていうのがあるんだけど、
全く自分とは何にも関係ない、本当の意味の無償の愛ってこういうことでしょ。
親が子にする愛が無償の愛とか言われたりしますけど、
そんなもん無償じゃないだろうみたいな感じで、
マルキオンとかは思ってるはずで、
明らかに関わりあんじゃん。
全く関係ないのに、
助けることこそが究極の愛なんだみたいな。
自分が関わったものの責任を取るとか、そんなんじゃないんだと。
帝族だろうが敵だろうがそんなことは全く関係ない。
パダスクみたいな。
こんなことはできないでしょ人間にはみたいな。
これこそが圧倒的な超越性だし、
神絶対何でもできる全能の神なんだから、
まあこんぐらいのことはするでしょうよみたいな解釈をしていく。
いいね。じゃあそれにしようかねやっぱり。
入信する?
これいいな簡単だし。一番いい人みたい。
愛人じゃないのか神様。
とはいえむずいけどね。
いやむずいっしょこれだって。
本当にその解釈であってますか?
本当にその解釈であってますか?
いやむずいっしょこれだって。
本当にその解釈であってますか?って僕でも思っちゃうけどね。
おせっかいじゃんっていうふうにも思うし。
あーそういうこと?
本当にデミュールゴスが支配してたんですか?
そこで介入する必要ってどこにその判断から来たんですか?
なるほどね。人間側から見たらね。
デミュールゴスのもとでもそれなりに幸せに暮らしてたんですけど、みたいなね。
勝手に救われてもみたいなね。
おせっかいだし、そこの判断が本当に正しいって誰が決めたんですか?みたいな話で。
確かに味方によっては究極の愛なんだけど、味方によっては究極のおせっかいかもしんない。
ほんとだ。確かに。まあまあそうですね。
まあまあでもそこを究極の愛っていうふうに言うから二元論なんだけどね。
ああまあそうか。そうだね。だから明らかに悪として扱ってるっていうことになりますからね。
あとチップスじゃないけどちょっと面白かったのは、マルキオンは正当派を抜けて教会を作ったじゃないですか。
教会作っただけじゃなくて独自の聖書も作ってて、
基本的にはルカの福音書とかパウロのローマへの手紙とか、正当派の新約聖書と同じものを基本的には使ってるんですよ。
新約聖書って27の文書からできてるんですけど、そのうちの11、マルキオンはそのうちの11をちょっとピックして使ってるみたいな感じで。
基本被ってる感じなんですよね。だけど被ってるんですけど、ちょっと中身いじっちゃってるんですよ。
魔改造?
魔改造という魔改造なんですけど、ちょっとねやっちゃってるとこあって。
まあまあちょっと前の回も言ったけど、そもそも正当派が使ってる今でも使われている聖書っていろんな人が書いたもので、
それこそルカとかマルコとかがいろんな人が書いていて、それを寄せ集めたものなので、
技術の矛盾みたいなのが普通にあるわけですよね。
そのイエスが受団した日が違うみたいなレベルでね。
それをそのまま残してるっていうのもある意味ね、今でも残ってるっていうのもある意味すごいんですけど、
たぶんマルキオンはそういうの許せなくて、ちょっといじってるんですよ。
もちろんその矛盾を整理するみたいなのもやってるし、矛盾がないような記述をしていくというのもあるし、
あとは正当派の聖書には明らかにユダヤ教っぽいことも書いてあったりとかするんで、
これユダヤ教の立法やんこれみたいなのが書いてあるわけですよ。
で、マルキオンとしてはね、たぶんイエスそんなこと言うわけないやろみたいな感じで書いてあるのを勝手に削ったりしてると。
なるほど。
そうそう。だからマルキオンの聖書もちゃんとは現存してないらしいんで、詳細はわからないらしいんですが、
きっと今の聖書よりもすっきりした内容で、イエスが伝えたかったことみたいなのは、
それ読んだらきっとストレートに伝わってきた部分もあるんじゃないかなっていう感じは勝手に僕は思ったっていう感じですね。
非常に、ちょっと今の聖書に文句言うようであれなんですけど、
ギリシャ哲学とキリスト教の対比
分かりにくい表現があったりとか、同じこと何回も言ってんなーとかがめっちゃあるんで、
もうちょっと整理したほうがいいんじゃないですかみたいな感覚はね、確かに持つだろうなっていう。
普通にそうしたマルキオン偉いんじゃねーみたいな。気もしなくもないと。
そういう感じに持った人がいるから、この時代っていうのにいろいろオケイスト教の哲学っていうのがいろいろ没効してるわけじゃないですか。
そうね。こっちの解釈のほうがいいと思うし、絶対イエスこんなこと言ってないよねっていうのはね、
普通にあり得たんだろうなって気はするしね。
しかしその矛盾のあるほうをありがたいっていうふうに思ったのはどういうところか。
そうそうそう。でまさにそこなんですよね。
なんかね、正統派はまさにその矛盾を抱えていた記述でもある意味そのすべてに権威を与えて、
正典としたわけじゃないですか。正しい典としたわけじゃないですか。
だからなんか、正統派はおそらく伝統とかね、
昔から伝わっている聖なる文書に手を加えるなんて恐れ多いっていう感じだったっていうのもあるでしょうし。
もうこの時点で150年ぐらい経ってるわけですからね。そんな経ってないのか100年ぐらいか。
それはそれでわかるじゃないですか。別に古事記と日本書紀に矛盾があるからってわざわざ書き直しはしないよねみたいな。
それはそういうもんで価値があるとして認めるみたいな態度で。
だからその記述の矛盾とかは解釈の方で。
うちらの解釈の方に問題があるから、それ次第で捉えていくみたいな。
あくまで伝統みたいなのを優先したと。
だし、もうこの時代には新約聖書としてはちゃんと編参はされてないとはいえ、やっぱりこの古くからの文書っていうのはだいぶ広がってしまっていて。
それぞれそれなりの矛盾があることはわかってるんだけど、わかっていながら受け入れてる人たちがたくさんもうすでにいちゃったわけなんですよ。
大多数は矛盾とか細かいこと気にしないというか、そっちのほうが多数派だったんだと。
あーなるほどね。もう世の中に出回っちゃってたと。
出回っちゃってた。
もうあれね、デジタルタトゥーみたいなもんで。
そうなのか。
そうなの?ちょっと違うじゃん。
修正したいけどなこれみたいなね。
そういうことじゃねえんだよなーとか思いながらもね。修正できないみたいなところもあって。
だからこのイリスト教最初期の正当か異端かっていう論争は、どちらももちろん正当だよっていうふうに言ってるわけですよ。
俺のほうが正しいよっていうふうに言い合ってる中で。
だからなんつーのかな。正当か異端かじゃないというか。
何が違ったのかって、多数派にある意味おもねるか、純粋に理論を突き詰めたらこうなんじゃみたいなことを取るほうか、
多数派か純粋派かみたいな対立とか、あるいは言い方を変えれば伝統を守る派、伝統遵守派か、理論優先派か、
そんな伝統なんてぶっ壊して、こっちの方が正しいんだみたいなことを主張する派、みたいな対立関係にあったんじゃないかっていう。
別にこれ私が思ったわけじゃなくて、今回読んだ本の中に書いてあったんですけど。
ああ、そうかと。
面白いね。
面白いなーってなりましたね。
なるほどなと。正当か異端かなんてまあそうだよなっていう。
なんかさ、ギリシャ哲学はさ、最初のものってどんどんどんどんなくなっていくじゃないですか。みんな進化をしていくみたいな。
言うなれば弟子は上司、上司じゃないや、師匠に反駁をして、でも師匠の論っていうのはなんか消え去っていくのみみたいな、そんな感じ?
消え去ってはいないんだけど、それが主流として残ってるみたいなのっていうのは原則的にはなかった気がするんですよね。
プラトン主義だって結局新プラトン主義になっちゃったし。
だけどもなんかこのキリスト教の哲学っていうのはその最初のところっていうのが結局は残ったみたいなところがなんか面白いし、そこの対比って何なんだろうなみたいな感じのことをちょっと思ったりしたね。
ああ、そういう意味ね。
なるほどね。まあ確かにね、ギリシャ哲学も脈々と受け継がれてるものみたいなのはあるけど。
あるよね、それはわかる。
あるけど、だからある意味じゃあ最初に哲学ってこれなんだって言ったのはピタゴラスのわけじゃないですか。
ピタゴラスのテキスト、まあテキスト残してないんですけど、まあテキストあったとしたらそれが聖典とされちゃうみたいな話ですよね、このキリスト教の話って。
そうだよな、確かに。
残ってなかっただけじゃないの?大した遺憾だったら、遺憾というか、そんな人数が、勉強できる人そんなにいっぱいなくて。
ただ残らなくて多分、紀元後はもっと残るようなこういう技術が残ってたから、あと勉強したりとかする人が人数的に多かったから、とかはないのかな、なんか残ってるみたいな。
お勉強するっていうか、まあ単純に、そうね、人数が多くて、数半になっちゃってたから、もう今更修正できないっていう。
そうじゃなくて、そういう遺憾、遺憾じゃない、今言ってる、いろんな派閥みたいのがあったっていうのが、今わかっていられるっていうのは、他の人のことを残せてるからじゃないの?
文献として残ってきてるからじゃないの?今私たちが知れるのは。
ギリシャとかの時はもう昔すぎて、主流のものしか残らなかったってことじゃなくて。
ギリシャの時は主流のものというか、主流というよりはなんかこう次が、ソクラテスの哲学があったけど、プラトンは自分のソクラテスの祖師にして、
ソクラテスの哲学、まあプラトンとソクラテスだとちょっとあれか、不適切か、プラトンとアリストテレスだと、アリストテレスはプラトンの弟子だけれども、
プラトンに反駁をして自分の哲学の体系みたいなのを作っていったみたいな、そういうのがあったわけですよね。
プラトンの結局哲学っていうのはアカデメイアに残りはしたけれども、でもそこでもなんかいろいろとやりくりをしていった結果、
プラトンの元のイデアロンとかそういうのじゃなくて、新プラトン主義のなんかよくわからん方向に行っていったみたいなのが流れてきた話としてあったと思うんですよね。
だからそのスタンダードと言えるようなものっていうのは、なんかこう進化の過程で他のものに飲み込まれていってしまったみたいなのがある。
だけどキリスト教の今回の話を聞いていると、グノーシス主義とかそういうような話の方が、
なんか理にかなってるというか、ある意味進化してんじゃねえのっていう感じがするんだけれども、
それじゃなくて、もともとあったそういう矛盾を抱えているものっていうものの方が、結局は最終的に天下を取るっていうところに、
そこの対比っていうのをちょっと感じたみたいな、そんな感じなんですが。
だけど量が多かったから、そのまま残っちゃったかもしれないってことですね。
モーさんが言ったことっていうのは、ああそうだよ、その通りだよなって感じには思ったね。
ギリシャの古代の哲学なんて、アテネにいるヒマジンの学者たちがやってるだけ。
そうね。
みたいな感じだけど、もともとのキリスト教は宗教だしね。
そう。
宗教だから信者を得るみたいな発想があるわけだから。
全然多分広がり方が違ったんだと思うんですよね。
そう考えると、その無知な人たちとかが、無知な人たちっていうか、そんなインテリ以外の人たちっていうのにも感謝するみたいな意味合いで言うと、
キリスト教の広まりと修正の難しさ
その広がったものを修正するのは難しいっていうようなさっきの話につながってて、わかるわなっていう感じだよね。
そうそうそうそう。だからやっぱね、多数派の力ってすごいなっていうのと。
これもあの著者の方が書いてたんですけど、マルキオンだけじゃなくて、バシレイデスとかプルトレマイオスとかについてもそうなんですけど、
彼らは創造神話をいろいろ考えたわけですけど、もっと本当は長々とあるんですよ。
ある意味もうややこしすぎて、この世界が出来上がるまでの物語長すぎやろみたいな、意味わかんないんですけどってなってたっぽいっていう風に書いてましたね。
だから正統派は、宇宙の生成についてなんて、そんな説明しないわけですよ。そこに光あれって神が言ったら、世界できるわけですよ。
だからもう全能なるね、本当にありがたい神様が、何もかもご自身でお作りになられたんですよっていう、ただ一言で済むみたいな。
それで別に一般の人は、説明十分だったし、イエスは神であり人であり精霊だったんですよ、すごいですよねって言われば、いやーほえーってなってたっていう。
多分大多数の人は、そんな細かいことまで気にしなかったんじゃないかと。
ちょっと今すごいおかしな質問するかもしれないけど、なんで宗教になったんだっけ?なんで哲学じゃなくなっちゃったんだっけ?
いやもともと宗教だからね、だってユダヤ教の派生ですからね。
違う違う、ギリシャの時は、ギリシャ教じゃなかったのに。
この番組はなんで宗教の話してるのかっていう話じゃなくて。
それはそう思いますよ。
ギリシャの時はギリシャ哲学で、だったのに、なんで人は宗教が必要になっちゃったんだっけ?
いや宗教はだってずっとありますからね。
ギリシャにもありますよ。
ギリシャにもずっと別に哲学の時代だって並行してあり続けるし。
そうなんだ。
いやまあ、むずいですよその境目は結構。
だってピタゴラスだってピタゴラス教団って言われてるわけで、むずいですよ。
何を宗教とするかっていうのは。
そうだよね。それでキリスト教の時は、みんななんかこう一般人みたいな人たちもめちゃ信じるようになっちゃって、
いろいろ知ることがいっぱいできちゃったってことだね。
じゃあ大多数になったってこと。
だから別にその大多数の人は、ありがたい言葉みたいなのをなんとなくふわっと聞けて、なんとなく救われるみたいな、
そういう経験の方が大事で、その論理一貫性みたいなことを別に求めてないっていう。
矛盾のまま広まるキリスト教
ややこしすぎるだろう。なんだプレーローマンのなんか流出してきたってみたいな感じで。
ねえ、なんか急にそんな話されてもさあみたいなところあるじゃないですか。
それは怪しく感じるよねっていう感覚もちょっとわかるじゃないですか。
昔から言われてたストーリーと全然違うことを言い出すみたいな。
それは受け入れられないっていうのはまあなんかわからんではないなって。
そっか。本当は進化してるっぽいのにね。
そうそうそうそう。
考え方としてはね。
そうそう。だからバシレイデスとかマルキオンとかに言わせれば、
なんかその旧約聖書とかああいう、
なんかそんな子供じみたおとぎ話を未だに信じてるんですかみたいな感覚ももしかしたらあったのかもしれない。
なんで全能の神がわざわざね、
その土クレっていう質量を持ったものから男を作り出して、
なんでその肋骨からわざわざ女を作り出さなきゃいけないんですかみたいな。
だって意味わかんないですよね。よくよく考えると。
男あれ女あれでいいでしょみたいな。
光あれで世界できたんだからさ。
なんで土クレから作るんですかみたいな。
そういうこと言われると、まあまあそれはそう。
とはいえ昔からそう言われてるからそっちの方みんな信じまわすみたいな。
面白いね。
そういう差なんだろうなっていう。
なるほどね。
面白い。
さっきからグノーシスの人たちの話聞いてるとどっかで聞いた神話だなって思ったけど、
でもその今言った話、土クレから作ったみたいなスタンダードの方の話に関してもどっかで聞いたことある話だよね基本的にはね。
まあね。
どこででもあるような神話。
まあそっか、そうだよね。
考えると、まあなんかみんな改造されて出来上がった神話なんですね。
まあね、本当誰がどこでね、書いた同人誌がバズるかみたいなね。
そうですね。
そんな合戦をやってたんでしょうね。
そうですね。
だからもうともきとみそちゃんで作って、こうあと2000年後とかにバズったかなみたいな。
2000年後ね。
それいいね。
ちゃんとデジタルに。
それはそうで私たちはいいよ別にわからなくて。
2000年後のためにさ。
確かに。
やってみたら残るかどうか。
そうですね。
じゃあちょっと僕も木村教の聖典でも考えてみようかな。
それはまさに必要かも。
そうですね。素晴らしいものを後世に残したいと思いますから。
何言ってんだと。という感じですね。
だから、バズり合戦をしてたっていうのもそうなんでしょうけど、
まあやっぱさ、それは単純にイエスの思想の中枢みたいなのだけを取り出せば、
イエスはユダヤの立法とかを否定して、大丈夫だよみんなっていうそんなもの守らなくても、
仮に守れないとしても、あなたたちは救われるよっていう福音、
救われるっていう福音を単純に伝えたかったわけじゃないですか。
で、シンプルに人々はその言葉に本当に救われたんだと思うんですよね。
それで広まっていった。で、パウロたちもそれを広めていったっていう側面があって、
だからそこに別に旧約聖書の神との関係がどうこうとか出てこないし、
イエスはそんなこと多分語りはしてないとは思うし、
単純にもうきっと困ってる人の訴えを聞いて、そうだねつらいねみたいな、
でも大丈夫だよ救われるよみたいなことを言ってたんじゃないかなって思うわけですよ。
それがだから一気に広まっていったことによって、逆になんか頭いい人たちというか、
いろいろ考えすぎちゃう人たちが、いやイエスが言ってたのはこうなんじゃないかとか、
いや違うでしょ絶対違うそれは違うみたいな論争が始まるっていうのも、
それはそれで無理はないし、イエスが多分そんなちゃんと語ってなかったんだと。
神の子団みたいなことは言ってたのかもしれないですけど、それってどういうことみたいなね。
それにたぶん、やっぱり自分自身が一番イエスのことを信奉してるっていう自負はきっとみんなあって、
これぞれが最もらしいストーリーみたいなのを作り上げていったんだろうなーとか思うと、
なんだか胸アツだなーみたいな。
でもなんかほんとモーさんが言ってたことだな、ほんと全てだなと思うけど、
そういうところで出てきたインテリというかオタクな奴らが騒いでるみたいな、そんな感じだよね。
そうね。
こんな言い方してないでしょ、そんな。
いやいやいや、まあでもほんとそう。
まあとはいえね、やっぱなんか俺のストーリーの方が優れてるよ、いや俺だよとかって言いながらも、
根本にはやっぱりこの福音を届けたい、救われるんだよ皆さんはっていうことを伝えたいっていうのは、
きっと正統派もグノーシスの人々もそこはね、思ってたんだとは思うんですよね。
でもなんか突き詰め方みたいなところっていうのがやっぱりなんかグノーシスとか、
反主流、反主流というか主流じゃない人たちっていうのはちょっとなんかアーティスティックっていうかさ、
イエスの教えと福音
そういう感じがするよね。
それはありますね。
正統な人たちっていうのはやっぱり現実上この宗教どうしていこうかみたいな、そういう発想のような気がするから。
それはあるかもしれない。
そこの差が主流と反主流を分けた違いなのかな、みたいな感じのことはちょっと思ったりもする。
そうっすよね。
ちょっとやだこれからもしかしてそのさ、こういう人たちがいなくなって、
現実みたいな方に行って、守らない人たちが虐殺されるとかそういうのになるの?もしかして。
ああ。
もっと後のほう?
そうね。もっと後のほう。
言うと、このグノーシスの失踪っていうのも、このまま死ぬわけじゃなくて、
世界史にアルビジョア派とか出てくるじゃないですか。アルビジョア十字軍出てくるじゃないですか。
フランスがめっちゃ強い頃。
あの辺ってグノーシス主義なんですよ。
善悪にゲンロなんですよ。そこに生き延びてるんですよ。
それをカトリックというかローマ教会が潰しに行くっていうのがアルビジョア十字軍なんで。
全然後世まで影響を与え続けるっていうのがあるっぽいんですよね。
ちゃんと弾圧されます。
そうだよね。ちゃんと弾圧されるのとか聞きたくないなあ、それ。
とはいえね、最初ももさんが言ってたとおり、やっぱりこの平和な時代だったから、
古代というかこの地球上でも相当一番平和な時代とも言ってもいいぐらいの時代だった。
いろんな戦争はしてたけど、たぶん中はね、わりと平和だったんじゃないかな。
だからフトレマイオスとかバシレイデスとかも、ある意味肉体は不条なものだみたいなことを言ってたわけですけど、
たぶん普通にそんなことを言いながら市民生活とかを謳歌してて、
ちゃんと本音と建前みたいなのを使い分けてたっぽいみたいな。
ある意味ムハンマドとかは戦争を仕掛けてたりするわけじゃないですか。
別に論理が違うと思いますけど。
そんな革命を起こそうとかはしてないわけですよ。
一応ストーリーとしては自分はこうは思うけど、
肉体っていうのは不条なものだと思うとか言いながら普通に生活するみたいな。
別に集団自殺するとかそんな記録とかもないらしくて。
別にだって霊的な存在になった方がいいんだったら死ねばいいじゃんみたいな話になるんですけど、
そういうことにはなってないと。
なんかちゃんとその本音と建前とか使い分けてて人間っぽくていいなって思いましたね。
たしかに。
面白い。
インテリだね。学者だね。
まあそうなんでしょうね。
ストーリーとしてどう説明するのが一番合理的なのかなっていうのをやってたんだろうなっていう気がしますね、やっぱり。
面白かった。
一番初めに楽しくしてやってたんだよって言って多分トモキがポロッと言ったのは、楽しさが見えちゃうんだろうね、それ読んでると。
そう。
待ってないかみたいな。
そうそうそう。楽しそうっすよね。
全然分かんないけど。
分かんない。自由で良くないですか。
発想がいいなーみたいな。
たしかに。
本当、アニメとかのストーリー作ってるみたいな感じだもんね。
面白かった。
こういう色々なものっていうのが出てきた時代があり、そしてそういうものが消えていったわけではなくて、やっぱり積み重なっていってるみたいなところもあるみたいなところなんですよね、多分ね。
そうでしょうね。
グノーシス主義の影響
面白かったですわ。
面白かったです。
いやーなんか本当、久々にね、それこそ5ヶ月ぶりぐらいにちゃんと本腰入れて勉強しよって思ってやったわけですけど、いやーなんか多分僕が一番楽しんでました。
それが何よりですね。
面白いと思いながら台本書いてましたんで。
いやー何よりですね。
じゃあやっぱやっていきたいですね。
次は何やるんすか。
ちょっともうあんまり決めんのやめようかなと思ってます。
全然違うとこ行くか、戻る可能性あるんで。
なんならこれもちょっと戻ってますからね。
ちょっと言わなかったけど、せっかく勉強して教えてくれるから文句言っちゃいけないと思ったけど、え、戻ってるよって思った。
ちょっと我慢してたんだ。
言っちゃったけど。
100年戻ってる。
あれ350年ぐらいいくんじゃないの今と思ったのに、150年だった。
ちょっとね、あれですね、今やりたいなと思ってるのはいくつかあるんですけど、やっぱねプラトン対話編面白いなと思って。
戻って戻って別に私が言ってることなんて言わなくても聞かないでいいんだから。
やっぱあそこに全て集まってるって、ああまあそうねっていうのもわかるし。
戻って戻って、あのね私もほら結構勉強してるのよ、私だってちょっとずつは。
だけどさ、だいたい何にも覚えてないから教えてもらったことが、だから今日とかもさ、ちゃんとさ、教えてもらったらさ、なんか忘れてるからいいのよ。
デミュールゴスとかもすっかり忘れてて今ちょっと見ては、ああそうあれかあれかって。
何回もやってもらったほうがいい。
だって一生やるんでしょ、だって大変だよ。
そうだね、死ぬまでやりますから。
最後の一人になるまでやりますからね。
もう全員無に帰るまでやりますからね。
そうですね。
いやでもさ、僕も面白かったんですけど、やっぱさ、グノーシス主義ってなんか前回の話とか聞いてるとちょっとなんか異端のちょっと怪しい奴らみたいなそんな感じのイメージでさ、
語ってたけどもやっぱりちょっとこう解像度上げてみると面白いなみたいな話になるわけですし、
見せかけ入れても思うんだけどさ、いわゆる一般的にあんまり面白くないと言われてる時代とか、あんまり語られない時代みたいなのっていうのも、
少しこうそこの部分っていうのを掘り下げてみたりとか、ちょっと出してみたりすると、
あ、全然面白いじゃんみたいな話とか、全然そんな書き消されるような話じゃなくねみたいなって多い気がするんですよね。
確かに。
中世の暗黒時代との関連性
今後の部分の話ってやっぱこう、やっぱ中世の暗黒時代みたいな感じのこと言われるような時代とかあるじゃないですか。
そういう時代にも何かこう、全然こうもっと出してくるような話とかってのがやっぱあんのかなみたいな感じのことを、今回の話聞いて思った。
いや、めちゃくちゃありますよ。キリスト教師だったら全然ある、その辺は。
ですよね。だからまあいつになるかわかんないけれども、そういうようなところっていうのも期待してます、たり基本が。
そうね。一生近代に行かないパターンね。
いいんじゃないですかね。
いいんですよ。それがね、面白いんですよね。
大丈夫ですよ。死ぬまでやんながらいつか行くよ。
どうだった?
はい。じゃあどうぞ、もさ。
はい。じゃあ今日も最後までテツセカお聞きいただきありがとうございました。
テツセカはSpotify、Apple Podcastで配信しています。
番組気に入っていただけましたら高評価ボタンを押していただきますととても嬉しいです。
お聞きのPodcastアプリで番組フォローいただけますと更新時に通知が届きます。
感想やご質問、みそちゃん、ともけいのファンレターも引き続きお待ちしています。
番組概要欄のGoogleフォームにご入力いただいたり、
Xでハッシュタグテツセカをつけてポストいただければ全力で探しに参ります。
いつも感想いただく皆様本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
昔ながらの哲学者
この時代、またちょっと、ごめん、また話が迷ってるけどさ、
この時代ってさ、いわゆる昔ながらの哲学ってやってる人もいっぱいいるんですか?
ヒリスト教徒とかじゃないような哲学者みたいな。
どうなんだろう、まあね、えっと、なんだっけ、
マルクサウレリウスとかとも若干かぶってるはずなんで。
はいはい、そうかそうか、50年の時代だもんね。
そう、まあだからあの辺ですよね。
そうかそうか。
ストア派とかは全然生き延びてるでしょうと。
新プラトン主義とかがまだ出てくる前の時代だから、中期プラトン主義ぐらいの感じで。
そうだよね、アカデミアもまだあるはずなんで。
なるほど。
だから、きっとシレデスとかね、あの辺もちゃんと哲学を、
そういうとこから学んではいたんだろうかと。
まあなんかそういうふうに考えるとさ、
ギリシャ哲学の消滅
ギリシャ哲学がキリスト教によって駆逐されるまでの歴史みたいな、
そんなのも聞いてみたいね。
そうだね。
そんなの聞いてみたいなと思った。
どうのようにして消えていくのかみたいなね。
確かにな。
そこ面白いですね。
確かに哲学、哲学だと人が考えた思想みたいなのをピックアップしてきたけど、
その流れみたいなの面白いかもしれないですね。
ご検討いただけますと幸いです。
すみません、このCパートはふざけたことをいうことでお馴染みだったんですけど、真面目な話しちゃった。
もうさん、なんか面白いこと言ってください。
ごめんちょっとね、今お手紙がね届いてたので、
それでもちょっとこれはもう一回ちゃんと取ったほうがいいかもしれないです。
またその時にと思います。
ありがとうございます。
じゃあそんな感じで終わりですか。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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