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皆様こんにちは。スピリベラジオ始まります。
先日、ときにさんという配信者さんのポッドキャスト、エモーショナルロジックの中で、
血のつながり×自身のツールの話を聞きました。
そこで、私も刺激を受け、私と家族、子供たちの中に流れている血のことをお話ししてみたいと思い、今回そのお話をしようと思います。
通勤通学、他事のお供にしていただけたら嬉しいです。
私は東京に生まれ育ちました。
私が生まれたときは、母方の祖父母、父方の祖母がたかえしていました。
なので、祖父母というと、父方の祖父だけを知っているんですが、彼も私は小学校に入学して数日後にたかえしました。
私はその時6歳だったので、祖父の記憶は少しはありますが、ほとんどないと言っていいと思います。
優しかったのか優しくなかったのかの記憶もないです。
覚えているのは、祖父が病院に行くときについて行ったり、一緒にお散歩をしているときの記憶ぐらいです。
父の姉である私のおばが先祖のことを調べ始め、親戚のおじいちゃんおばあちゃんに話を聞いたり、
市役所、区役所、資料館、図書館などで調べ物を進めて、先祖のことをいろいろ知ったそうです。
戦国時代あたりまではたどれるそうなんですね。
私の父方の先祖は島根県松江にいたことがわかっています。
そして明治維新後に松江市を転出して、その時点ではどこに転出したかははっきりしていません。
私の早祖父は明治時代アメリカのフィラデルフィアに6年間留学をし、その後貿易の仕事をしていました。
かなり詳しいことが横浜開港記念館また横浜中央図書館に記録が残っているそうです。
その後栃木県のある家系の14代目と結婚して横浜に新居を構え家庭を築きました。
横浜で私の祖父も生まれました。
大正7年に早祖父は貧しい日本の食卓に新たなタンパク源をと食用の牛ガエルをアメリカから輸入したそうなんですけれども、
日本人には定着しなかったので、それをアメリカに逆輸出していたそうです。
そのことは神奈川県立生命の星地球博物館に資料が残っています。
大正9年に早祖父は妻、私の早祖母の実家が近い栃木県に転居しましたが、
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大正12年に早祖母は当時の肺アリ病にかかり、栃木県の伝染病病院で息を引き取りました。
そしてその2年後、大正14年に私が生まれ育った東京の杉並区に転居しました。
貿易所らしい当時は珍しい2階建てのモダンな洋館を自身で設計し、
家は少し小高い丘の上にあり、富士山を見ることができたそうです。
昭和7年に私の祖父が結婚しました。
昭和16年に第二次世界大戦中、早祖父のビジネスはアメリカとのやり取りだったので、
政府によりビジネスは閉鎖されてしまいました。
そして2年後、昭和18年に父が生まれ、そして祖父はすぐに出生しました。
祖父は若い頃に病気を患い、激しい運動はできなかったため、戦地には行かず、通信部隊の仕事をしていたそうです。
早祖父が建てた洋館は、昭和19年に防空的空き地地区に設定されて、強制疎開の場所となり、取り壊されたそうです。
空襲があった時に、火事が燃え広がらないように空き地を作るという政策があったそうで、その時に壊されたそうです。
そのうちは杉並の洋館といえば、あの家とわかる家だったそうで、周りの人たちももちろん家族もとても残念な思いをしたそうです。
父方の祖先はこんな感じです。
母方の祖先に関しては、あまり全然知りません。
母が幼い時に、母にとっては父である、私にとっては祖父が高いし、とても苦しい生活を送ったと聞いています。
さて、私自身はアメリカ人の男性と出会い、結婚してアメリカに今現在住んでいます。
この夫の家族のルーツもなかなか面白いんです。
アメリカは移民の国で、ネイティブアメリカ以外は全員が移民の子供たちです。
なので、多くの家庭がそれぞれのツールを大切にしていて、小学校ではファミリーツリー、つまり家計図の発表会があったりします。
夫の家族は当時のチェコスロバキアからの移民です。
今はチェコとスロバキアに分かれていますが、当時はチェコスロバキアだったので、ここではチェコスロバキアと言います。
父の祖父は1897年にチェコスロバキアの、読み方ちゃんとわからないんですけれど、英語風だとザラザイスという町に生まれました。
その町は今のチェコとスロバキアの国境近くにあります。
そして1940年にアメリカに渡ってきました。
アメリカのミシガン州に今日構えたんですけれども、そこにはチェコスロバキアからの移民の多くが暮らしていて、婚姻はそのコミュニティの中で行われていたそうです。
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夫は半分はチェコスロバキアの血が入っています。
でも詳しい、それ以上の先祖の話はわかりません。
夫の母方はちょっと面白いです。
その血縁にはアメリカ独立宣言に署名をしたベンジャミン・ハリソンご生がいて、その子供のウィリアム・ヘンリー・ハリソンは第9代アメリカ合衆国大統領。
そのひ孫は第23代アメリカ大統領のベンジャミン・ハリソンです。
この家族はイギリスからの移民です。
ベンジャミン・ハリソンご生は農場主でしたが、その子供、孫は軍人として名を挙げた人物なので、我が家の子供たちには結構攻撃的な血が入っているのかなと思ったり、思わなかったりしています。
これらは1700年代の話で、その後、先祖の一人は1843年にポーランドから移民してきた夫婦の娘と結婚しているので、ポーランドの血も入っています。
ここまで血が繋がってきているというのは、よく考えるとすごいことですよね。
私は古典ラジオという歴史のお話をしてくれるポッドキャストが好きでよく聞いているんですけれども、それを聞いていると日本だけでなくヨーロッパでもその他の場所でもかなり過酷な戦いなどがあって、それを生き残った先祖の血が私だけでなく今を生きている現代人に入っているわけです。
なんかそれだけ知るだけでも強いよねと思います。
勇気が湧いてくるし、なぜだかワクワクした気持ちにもなります。
今ではDNAテストを気楽に誰もが受けられるようになりました。
私はまだ受けたことはないんですけれども、私が受けるんだったら子どもたちに受けさせたいですね。
高校生の娘はちょっと興味があるようです。
DNAテストの正確性もどれほどのものなのかわかりませんが、
私の知っている日本人の方で、1%フィンランドの血が入っているって出た人がいて、え、なんで?ってなった人もいます。
こういうのも面白いですね。
最近ネットフレックスの番組の中で、映画のタイトルはfound、放題は私が私を見つけるまでというドキュメンタリー映画を見ました。
その映画では、中国からアメリカに養子に来た子どもたちがDNAテストを受け、
アメリカ国内にいとこを見つけて、そしてストーリーが進んでいくんですけれども、興味深かったし感動しました。
実際にアメリカに住んでいると、中国やアフリカから養子を迎えた家庭が日本に比べると非常に多く子どもたちの友達にもいます。
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ちょっとまた違う話になってしまうので、養子の話はまたいつかできたらいいなぁと思います。
今回先祖の話をすることにして、私のおばや夫の家族から渡されている資料を見直したりして、とても楽しかったです。
魂的には身体的なつながりはさほど重要ではありません。
でも実際に今この身体を使って物理的な生活をしているということは、先祖の記憶がDNAの中に組み込まれていると思います。
そしてそのツールをたどるのは単純にとても楽しいですね。
機会があったらいろいろな人の先祖の話を聞きたいです。
それでは今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
最後までポッドキャストを聞いていただきありがとうございました。
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それでは次回お会いできるのを楽しみにしています。