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  2. #60 「劇」を続ける価値と「劇..
2024-04-28 12:07

#60 「劇」を続ける価値と「劇」の価値。

近内悠太さん×小国士朗さん、対談イベントに参加して考えたこと

『利他・ケア・傷の倫理学』近内悠太
『笑える革命』小国士朗
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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は豆大福です。さて今回はですね、近渕裕太さんと小国志郎さんのイベントに行ってきたというお話をしていきたいと思います。
近渕裕太さんは以前のスタイフでもお話しした、世界は雑魚でできているとか、リタケア・キズの倫理学を書かれた方ですね。
そして僕は雑魚をスポーツとして受け取ってきた、そんなお話を以前にさせていただきました。
その近渕裕太さんの新刊のイベントで小国志郎さんという方とコラボして対談をされていたんですよね。
そのオフラインイベントに参加してきました。小国志郎さんはどういう方かというと、プロデューサーの方ですね。
NHKに2003年に入局されて、プロフェッショナル仕事の流儀、クローズアップ現代などのドキュメンタリー番組を中心に制作されたプロデューサーです。
その後退職されて、独立されて、いろんなプロジェクトをプロデュースされている方ですね。
代表としては注文を間違える料理店やデリートシーというプロジェクトをされています。
例えば注文を間違える料理店というのは、認知症の方がホールスタッフを務めるという料理店を3日間だけやってみたというプロジェクトですね。
そして何でお二人がコラボしたのかというと、地下宇宙舵さんの新刊リターケア傷の倫理学の観光イベントで、実はこの本の中にさっき言っていた注文を間違える料理店が登場してくるんですよね。
そんなご縁もあってお二人がイベントをされたと。 そこで僕の中のいろんな気づきと考えさせられることがあったなぁと思っているので、今回はその話をしていきたいなと思っています。
ではまずこのリターケア傷の倫理学がどういう本なのかというのを簡単にご説明していきたいと思うんですが、
前書きにあるのが、僕たちはケア抜きには生きていけなくなった種であると書かれています。 多様性の時代になって大切にしているものが一人一人ずれている社会で、
人の善意が空転させてしまっている時代になっている。 そんな時僕らは人を傷つけることもなく生きていくにはどうしたらいいのか、
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そしてケアの本質とは何かということをいろんな具体例を交えて書かれているんですよね。 そして全長世界は雑魚でできているは
ある種こう雑魚みたいなものを受け取ることを書いたのに対して今度はケア 差し出す、与えるということを本本ではそれってどういうことなんだろうかってことを
まあいろんな具体例を交えて書かれている。 例えば村上春樹さんのインタビュー、かわいはやおさんのインタビュー、
あとは星野王子様とか、そうですねあとは奈良山武士校と呼ばれる 短編小説だったり
いろんなお話がされている中でこの 注文を間違える料理店が例に挙げられているんですよね。
近内ゆたさんはこの注文を間違える料理店を挙げて 我々は劇を続けることがある種のケアになる
というふうに言ってるんですよね。 まあ詳しく説明していきたいと思います。
例えば 注文ではハンバーグと言われていたが、なぜか餃子が出てきた。
これは劇を間違えている。予定ではこのシーンでは餃子ではなく ハンバーグが出てくることになっていたと。
しかしみんながそれを当然のものとして食べていく。 すると劇は劇として再び動き出す。
そこを訂正を促したり注意をしたりするのではなく 初めからそうだったものとしてゲームが続いていく。
劇が続いていく。そうした時にホールスタッフの認知症の方の間違いは間違いでなくなる。
そうした間違いに対するフォローができてしまう。 それが劇を続けることなんだ。
そんな風に言ってるんですよね。 だから僕らって間違いがあったら間違いって指摘して正すのが当たり前って思ってるじゃないですか。
でもそうではなくて間違いを間違いでなくするっていうことに 実はケアの本質みたいなものがあるんじゃないのか。
そんなことを本書では書かれているんですよね。 なんかそれはすごくいいなぁと思っているし、これは村上春樹さんの踊るんだよっていう
まあ前僕もスタイフで取り上げたダンスダンスダンスという短編小説の中に出てくる一説もそういうことなのではないか。
そんな風に近内さんは言ってるんですよね。 そしてまあこういうケアのあり方っていうのは確かにそうだな。
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世界の隙間を埋めていく確かに一つの考え方だなっていうふうに僕も思っていて。 近内さんは
僕はこういう世界観を文章にすることはできるけれども、実際に手を動かして行動してこういったプロジェクトをするのはなかなかできない。
それができているのが小文二さんなんだ。 そんな風におっしゃってたのがとっても印象的だったんですよね。
確かに近内ゆーたさん的な世界観を作り上げているのが小文二さんと言われたら
あーなるほどっていう風に僕も思いました。 そしてまあ前置きが長くなっているんですが
小文二さんが ご紹介されていたもう一つのプロジェクトが僕はすごく考えさせられたんですよね。
それがbe supportersというプロジェクトです。 それはどういうプロジェクトかというと
高齢者施設の中で いわゆるJ3のサッカークラブチームのみんなサポーターになりませんか
というプロジェクトなんですよね。 実際に高齢者施設に行ってサポーターのグッズを渡して
ダズオンを見て みんなで応援しましょうっていう企画なんですよね。最初の方はおじいさんおばあさんは
相撲しか見ませんと言っていたんだけれども まあいざそういうふうにいろんな介入していったらすごい皆さんドハマリされていって
まあとある高齢者の方は海外選手にハマってしまって 語学を覚えようと今してるんですみたいな
話とかもされていてすごくおじいちゃんおばあちゃんたちが生き生きとして来る してきた
っていうようなエピソードを語られていたんですよね なんかそれは本当にスポーツというものが象徴として機能していて
ある種 おじいちゃんおばあちゃんが象徴の受け取りになっている
選手たちはそんなことは全く考えていなくても 何かこうスポーツが象徴の装置として機能している
一つの例なんだろうなというふうに思ったわけです それを見た時にやっぱり僕自身はスポーツをずっとやっていたので
自分はスポーツの 象徴を受け取った側として第一線で活動していたけれども
差し出せていたんだろうかっていうふうに思ったんですよね 何か
こうダゾーンのようなね こう
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試合とか あるいはトレーニングの風景とかをより発信できているわけでもなかった中で何か
差し出せていたんだろうかっていうのは ずっと考えていたし
いや今思っても何もこう相手に対して差し出せていなかった ケアの対象ではなかったなっていうふうには思っているんですよね
僕自身そういう風なこともあってチームとして sns を始めてみませんかっていうことを監督に
まあ脱信してまぁそれが通ったみたいな経緯もあったりするんだけれども なかなか
自分自身のは自分自身の自己実現のためにスポーツをやれやっていたんだけれども それがそこで終了してしまっている完結してしまっている世界っていうのが
なんかずっと思っていて で b サポーターズのような何かこう活動家の方プロデュースしてくれる方も
いない中で そして自分たちでセルフでその活動を発信するということもほぼできていない中で
自分の存在意義やってきたことのいい意義っていうのはあくまで自己実現のためだった っていうところが
なんかずっと気になっていた部分だし なんかこう
ずっと心の使いになっていた部分だったなぁというふうに 今回のイベントを通して思ったんですよね
だからこそなんていうかなぁ もうスポーツを引退した自分が今後何をしていくかってことを考えた時に
やっぱりなんか 差し出せる仕事をしたいなっていうふうには常々持っているんですよね
なんかそれは一つバネのようなものになって 自分の
心の使いになっているというか
そういう一つの考え方になっているなっていうふうに 改めて思ったんですよね
スポーツを十何年 まあ学生時代から含めて20何年やってきた経験というのが
全く人の役に立っていないかって言ったらそんなことはないと思うんですが でも
雑用の装置としては薄かっただろうなって思うし
そこに対しては何かこう一つ自分の中でのコンプレックス的な部分にもなっていて 次に向かうためのバネになっている
そんな風な感覚を覚えました まあなのでまぁ次頑張ろうっていう話です
というわけで今回は近内ゆうたさんと小国しろさんのイベントに参加してきて 思った感想をお話ししていきました
最後までお聞きくださりありがとうございました ではまた
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