1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #150 「生の可能性」とは?幸..
2025-06-23 09:28

#150 「生の可能性」とは?幸せについて考える。

しあわせの哲学/西研
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/5fc03020c646546590d81677

サマリー

このエピソードでは、幸せの本質について考え、キルケゴールの哲学を通じて生の可能性の重要性が語られています。西健の著書『幸せの哲学』に基づき、親しい人々との関係、社会的な活動、趣味による喜びの3つの生の可能性が幸せへとつながるとされています。

幸せの考察
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と 些細なヒントをお送りするラジオです。
さて今回はですね、幸せについてお話をしていきたいと思います。 今、あなたは幸せですか?
実はですね、まあその幸せかどうかということはですね、 古くからいろんな人が考えてこられました。
そしてその哲学者たちも考えてこられました。 それをまとめた本というのがあります。
それが西健さんという方が書かれた幸せの哲学という本です。 まあさっき言った通りですね、いろんな哲学者が幸せとは何だろうか、
幸せになるためには何が必要なんだろうかということを、 まあいろんな哲学者を一部抜粋しながらですね、西健さんがまとめておられるという本になっています。
この本ですね、すごく僕は読みやすくて、わかりやすくて、 いろんな哲学者の思想を知ることができて、ものすごい良書だと思っています。
気になる方は是非チェックしていただきたいなって思うんですが、
その中で僕がすごく興味深いというか、これは確かにって思った哲学者が何人かいるんですけれども、 そのうち一人今回は取り上げて幸せについて一緒に考えていけたらなと思っております。
では誰をご紹介していくかというとですね、 セイレン・キルケゴールという哲学者ですね。
実音哲学で有名な方です。 今までの哲学者、ヘイゲルとかマルクスとかが良い社会とはどういうものかをテーマにしたのに対して、
徹底的に個人の生き方にこだわった、 それをすなわち実音哲学と後に呼ばれるんですが、それを探求していったキルケゴール。
彼はまさにその個人としてのあり方、個人としての幸せについていろいろ考えておられた方なんですけれども、
幸せになるためにズバリ何が必要か、キルケゴールが言ったかというと、 可能性だというふうに彼は言っています。
彼の有名な著書に死に至る病というものがあります。 その一節を抜粋しながら読んでいきたいと思います。
気絶した人があると、水だ、王道転んだ、ホフマン的罪だと叫ばれる。 しかし、絶望しかけている人があったら可能性を持ってこい。
可能性のみが唯一の救いだ。 可能性を与えれば絶望者は息を吹き返し、彼は生き返るのである。
なぜかというに可能性なくしては人間はいわば呼吸することができないからである。 というふうに
キルケゴールは言っています。 これすごくメタファーが効いていて皮肉が効いていてすごく良いですよね。
人間は可能性なくしてはいわば呼吸することができない。 この表現が僕すごく好きで、一気にキルケゴールのファンになりました。
ここで言っている可能性というのは、いわゆる何パーセントという確率のことではなくてですね、 こういうことしたいとか、これはできるはずだって思えているその状態そのものを指しているそうです。
著者の西健さんはキルケゴールの可能性を 一つ構造化をして
生の可能性と呼んでいるそうです。 生っていうのは生きるの可能性ですね。
それが3つあると、3つ挙げることができるっていうふうにおっしゃっています。 それは何かというと
友人、恋人、家族のような親しい人との関係、これについての可能性。 2つ目は仕事やボランティアなどの社会的な活動
の可能性。 そして3つ目が趣味や楽しみから受け取る喜びの可能性。
この3つの生の可能性があるから人は幸せでいられるんだっていうふうに西健さんはおっしゃって おられるんですよね。
まとめるとキルケゴールは絶望の淵に立った時、 可能性がその人にとって唯一の救いになると言い、
西健さんはそれをまとめて3つの生の可能性、 親しい人との関係、社会的な活動、趣味や楽しみといった3つの生の可能性が人にはあると。
それを充足させてあげることが幸せにつながるっていうふうにおっしゃっておられました。
個人の体験
ここまで僕は読んでいて、じゃあ自分はどうなのかなと思った時にですね、 やっぱりアスリート時代の幸せ、そして可能性について
いろいろ思い出すことがあるんですよね。 それは実は
大会で活躍した時、自己ベストを出した時、それはもちろん幸せにつながるところはあったんですが、
それよりも 怪我をして長期離脱をしていた時、
あるいはゼフ庁でなかなか思うようなパフォーマンスが出せなかった時、 その中でトレーナーさんとやり取りをしながら自分の体の探求をしてですね、
あ、これならいけるっていう感覚をつかんだ瞬間、 その時が多分一番幸せを感じていたんじゃないかなっていうふうに
今でも思い出すと思います。 それってまさに体全体でですね、あとは脳がドーパミンが出まくってたと思うんですけど、
これならいけるかもしれないっていう可能性を感じていたんですよね。 それは3つの性の可能性でいう社会的な活動、
もしくは趣味楽しみの領域なのかもしれないんですけれども、 未来が予測できるぐらい、
あ、この感覚ならきっといけるはずだという可能性に僕は喜びを感じていたんですよね。
それは何物にも変えがたいものがあったなというふうに思います。 で、今はというとですね、
本業、副業、まあプライベートでも、 まあ社会的な活動の可能性と親しい人との可能、関係性、
この人たちとならきっといいものを作り上げることができるとか、 そういう可能性に
今は喜びを感じているかなーって思ったりしますね。 皆さんは最近性の可能性感じておられますでしょうか。
それはこういうことをしたいとか、それができるはずって思う瞬間の、
なんか楽しみであって、何か行為をしている最中の楽しみではないというところが、 僕は非常に面白いなーっていうふうに思いました。
確かにあの旅行の計画を立てる瞬間が一番楽しいみたいなことをよく言うと思うんですけれども、 まさしくそういうことなんだろうなーって思います。
そういうふうにキルケゴールの幸せの定義を考えていくと、 幸せっていうのは
その瞬間没頭をしている時にはあまり感じることはなくて、 いつの間にかその没頭の瞬間が通り過ぎた時に、あれはやっぱり幸せだったんだなって
振り返って思う。そんなものなのかもしれないなーって 思ったりします。
この本では他にもいろんな哲学者の方が幸せについて話されているので、 またいつかのタイミングでこのスタイフでも幸せについてお話しできたらなっていうふうに思っています。
はい、というわけで最後までお聞きくださりありがとうございました。 ではまた。
09:28

コメント

スクロール