2025-01-25 14:08

サッカーの落とし穴

これまでサッカーを頑張ってきた皆さんへ。サッカーチームの一員として頑張るからこそハマってしまう落とし穴とは?小学生からサッカーを始め、海外でプレーした経験、また指導者やビジネスとしてサッカーを見た実体験から気づいたことをお話ししています!


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Miki's Profile:

兵庫県出身。9歳からサッカーをはじめ、16歳でニュージーランドへ留学&全国準優勝。米国ノーステキサス大学卒業(運動生理学・心理学専攻)。英国リバプール大学院卒業(サッカー産業MBA経営学修士取得)。愛知県社会人サッカーチーム「Nagoya International FC」代表。TOEIC955点、IELTS 7.5点 (TOEFL換算105点)。

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サマリー

このエピソードでは、サッカーのチームとしての特性や、個人の努力が評価される環境における苦悩について語られています。特に、試合に出られないことによる自己評価の難しさや、サッカーのシステムがもたらす落とし穴が掘り下げられています。サッカーにおける個人とチームの関係は、社会で生きる中での落とし穴として示されています。また、自立した思考と行動が求められる場面では、サッカーの経験が逆に障害となることがあるとされています。

サッカーとの出会い
はい、みなさんこんにちは、みきです。
今日は、サッカーの落とし穴というテーマで話をしてみたいと思います。
私自身、小学生の頃からサッカーを始めて、ずっと高校までは日本でチームに入って、
わりとちゃんとした環境でサッカーを勉強したというか、サッカーのチームに入ってプレーをしました。
大学はアメリカに行って、向こうのチームに入る選択肢もあったんですけど、
一つのチーム競技という形でコミットはせずに、毎日いろんな国籍の男の人たち、
メインだったんですけど、その中に入ってずっとプレーをしていたと。
私的には、その経験がすごくポジティブで、
皆さんもサッカーしてきてたら想像つくような、
一つのチームで同じ人たちとプレーをするという環境の真逆を経験した気がするので、
そうしたことですごく私自身の価値観とか、視野がすごく広がったということがあったんですけど、
その後にサッカーをプレーすることだけじゃなくて、
自分の指導者の立場だったり、さらにイギリスでサッカービジネスというものを学んで、
いろんな視点からサッカーを見る。
その上で、私自身やっぱり自分の人生を考えたりとか、
どのような進路を進んでいくのかっていう判断っていうのも、
そうしたサッカーの経験を踏まえて、いろいろ取ってきたのかなというふうに思っている中で、
サッカーの落とし穴っていう言葉があっているのかわからないですけど、
私自身が学生時代ちょっと苦しいなとか、違和感に感じてたことを、
今ちょっと振り返った時にどういうものだったのかっていうのをお話ししてみたいと思います。
試合に出ることの難しさ
サッカーの落とし穴っていうのは、やっぱりサッカーはチームありきですよね。
組織というものがあって、その中の一員で自分が、
例えば選手としてプレーを始めるということがほとんどだと思うんですけど、
サッカーってやっぱり11人試合に出るスポーツなので、すごい人数が多くて、
サブの選手とかチームに所属しているのは、最低でも20人はいるかなというふうに思います。
私は中学高校、なかなか女子サッカー部みたいなのが当時少なかったこともあって、
中高一環のクラブチーム、いくつかあったんですけど、その中でも有名な、
割と上手な子たちが集まってくるようなクラブチームに6年間所属をしていました。
本当に多い時は各学年10人ぐらいいて、50人以上いるようなチームだったので、
それぞれのカテゴリーがあって、その中から50人の中から11人試合出るというような感じではなかったんですけど、
やっぱり試合に出れない子の方が多かったりとか、私自身も試合に出れない期間の方が多くて、
すごい難しい時間を過ごした学生時代だったかなというふうに思っています。
それは練習と試合っていうのが決まってて、毎週試合があって、そこにまず出れないっていうことは監督が決めますよね。
自分で決めるわけではないので、もう出れないっていうことは、私はもうその11人よりも認められてない部分というか、
足りない部分があるんだっていうことがはっきりそこでわかる。
それはチームの環境の中でやっている以上は、自分はダメなんだ、
何か足りないものがまだまだあるんだなっていうことを受け入れないといけない。
何が足りないかなとか、監督に見てもらえるように努力をしようとか、そういう考え方になると思うんですけど、
当たり前のように納得しないといけないんですよね、その試合に出れないっていうこと。
さらに試合に出ることができて、その中でどういった形で評価されるのかとか、
どういうことが求められるのかっていうことは監督が示したりとか、チームとしてちゃんと結果が出るという形が、
ある程度正解というものが決まっていて、そこに対してポジティブなパフォーマンスを出せる人、
貢献ができる人っていう人たちが自然と評価されていくという仕組みなので、
そこで私はもともといろいろ頭が動いてしまう、自分で考えて思うみたいなことが周りの人よりももともとあったかなというふうに思うんですけど、
なんとなくで理解するよりもしっかりと一つ一つ頭で理解できたらプレーに出せるみたいなところがあったので、
やっぱり時間もすごいかかりましたし、チームメイトのこともすごく理解したかったんですね。
彼女はこういうプレースタイルだから自分はじゃあこういうプレーしようとか、なんかすごい細かく刻んでいろいろ理解しないと難しいタイプだったかなと思いますし、
自分はこう感じるとかこうしたいっていうことをちゃんと持った上でプレーするっていうようなことの方が当時したかったんですけど、
やっぱりサッカーってそんないちいち考えてするっていうよりも、もうその時の短い時間の中でどれだけ流れに乗りながら判断できるか、
味方とコミュニケーションとってできるかっていうような場所だったので、考えてしまうことだったりとか細かく理解しようとすることがすごく邪魔だったなっていうふうに感じてたんですね。
学校の勉強では活かせたかもしれないけど、サッカーのピッチでは必要ないというか、いらないっていうふうに思っていて、
それでも自分の中でああだこうだ考えてしまうっていうものはなかったらいいのにってすごく思ってましたし、
その結果、いろんな要素が重なって試合に出れないこととかがあったと思うんですけど、はっきり目に見えて評価をされる。
試合に出れないっていうことがすごく自分を否定することにもつながったりとか、出れない自分はダメ。
逆に試合に出れるときは特に何もそれ以上考えずに、自分は認められてるとか、自分はこれでいいんだって自動的に思ってしまう。
そういう仕組みの場所だったかなっていうふうに思うんですね。
サッカーの落とし穴
余計なことを考えない人の方が試合で結果を出していて、自分がいろいろ考えているということは本来別に悪いことじゃないし、
そうしてちゃんと納得して理解ができていたら、ある時からはコンスタントな一定のパフォーマンスを出すことができたので、
そこにつながったっていうことはすごくいいことだったなっていうふうに思うんですけど、
今思ったら、サッカーの落とし穴って何なのかって、私が何を言いたいのかっていうのは、
自分で考えを持って行動に移していくとか、自分のプレー、自分の判断、これからどうしていくかとか、
全部自分のことを責任を持って、自分で意見を持つ、考えを持つっていうことは全員するべきだし、
まずそれがあった上でチームっていうものが存在するべきなんだけど、やっぱり小さい時から始めたサッカー、学校とかもそうですし、
組織として動くっていうことが当たり前に自分たちの中にあって、その中で求められる評価基準っていうものに当てはまる人がどんどん評価されたりとか、
その人たちが上に上がっていくシステムっていうのが、サッカーという中にもあったし、社会に出て大人になって仕事をスタートしても会社っていうのは、
なんかそういうところがすごくあると思うんですね。11人だったら11人、20人だったらその20人の組織の中で、
こうだよ、これが正解だよ、監督だったり、周りの大人が言ってきたことに合わせるっていうこと、
あんまりいろいろ考えすぎずに言われた通りにできる人たちが正解だと評価されるっていうことが、逆に今思ったら落とし穴だったんじゃないかなというふうに思ってます。
サッカーと社会での評価
なので社会に出ても仕事で評価されるのは、組織として打ち出された目標とか成果っていうところにコミットができる人、ある意味余計なことを考えずに、
そうすればいいんですねって、自分はこうしたいとか、本来それはどうなんだろうって思うような疑いとかそういうものを持たずに、
葛藤も持たずに組織に言われる上の人、周りの人に求められるようにパフォーマンスを出せる人っていうのがすごく求められる世界だったなと。
それに対して私はいちいち考えたり疑ったり葛藤したりする人生だったので、作家をする時から仕事をする時も
イギリスに行った時もですね、本当に葛藤で割としんどかったので、でも今私が自分でやっていくってことをスタートした時に、
それって別に悪いことじゃなかったなと。自分がそのサッカーの枠組みの中で過ごすっていう選択肢しかなかったから、それがマイナスに働いてたけど、
逆に今思ったら、そうやって自立できてる人の方が素晴らしいと思うし、周りに流されずに生きれる人っていうのがあるべき姿かなと。
私自身もそう思ってここまで進んできたところがあるので、それがサッカーの落とし穴。チームスポーツもそうだし、会社で社員として雇われで働くっていうこと。
その枠組みの中では評価されることが、実は何もない、そういう枠組みが何もない世界に出ると、あれっていうような全く使えないスキルだったりとか、
一人で何もできないみたいな状態になったりとかすることがあるなと。私自身もここに至るまですごく経験しましたし、いろんな壁にぶち当たって、
でもそうやって一つ一つクリアして、自分で考えて自分で決めていくっていうことをできるようになったときに、サッカーが好きで、サッカーでいろんなことを学んできて、
それでずっと生きるっていうことをしてる人、してきた人っていうのは、そこがある意味落とし穴になり得るんじゃないかなっていうふうに思ったので、ちょっと今日それをお話ししてみました。
自立と海外経験
例えばね、個人競技だったらもう自分のパフォーマンスで全て完結するので、サッカーみたいな現象は起きないですよね。
プレーの中で自分はこうしたかったとか、こう思ったんだけど、周りが自分以外10人いるから、なかなかその自分のパフォーマンスっていうのが全体の成果に全て反映されない。
どこまで貢献できているのかわからないっていうものがあると思うんですけど、個人競技だったらもうそれが全部自分に責任が来るので、
良くも悪くも自分の努力とか考え、メンタリティっていうものが全てパフォーマンスに出るよっていうところで、すごい大きな違いですよね。
全部自分のプレーとか人生に責任を持たなくていいっていうのがチームに属することだと思いますし、
でもそれをずっと続けてたら、本来自分一人の人生っていうものをより良くしていくのに本当に大事なところを取り組まないまま大人になっていってしまうというところが、
一つ落とし穴になるんじゃないかなっていうところで、私の考えをちょっとお話しさせてもらいました。
ということで、じゃあどうするか。組織を出て一人立ちする、一人で生きていくっていうことが正解なのかって言ったら全然そんなことはなくて、
やっぱり社会と共存して組織の中で生きていくっていうことはもちろん重要なんですけど、
ずっと何かしらの組織で、その中の一員っていうところでずっと生きていくんじゃなくて、一回はもうどっかに放り出されたみたいな、
あれ自分ってもう組織っていうものがなくなったらこんなにちっぽけなのかとか、こんなに自由なのかとか、こんなに自分で考えて生きていかなきゃいけないのかみたいな、
ちょっと衝撃というか、そういうものにぶち当たるものを人生の中で一回は経験するとすごく変わってくるんじゃないかなというふうに思います。
ということで私はそれを海外に出ることですごく経験したなというふうに思っているので、高校生の時からある意味放り出されて、
大学も大学院も海外に行ってっていうような経験があって、そうしたある意味、さっき言ったような落とし穴っていうものにも気づくことができたし、
その上でどうやって社会組織と共存していくかっていう考えも作ってくることができたので、そこについて次回ちょっと話してみたいなというふうに思っています。
海外に出るということですね。その大切さだったり、海外に出て私自身どういう経験をしたのか、どういう気づきがあったのかみたいなところをお話しできたらと思います。
はい、ということで今日はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。
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