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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
好きなナンバーガールの曲はエイトビーターです。 さて今回はですね
好きについて言語化していきたいとおもいます。 まあコンテンツ、好きなアーティストが好きとか好きなアーティストのコンテンツ
あるいは何かそうですね発信者のこの人の文章が好きとか そういったものって人それぞれあるじゃないですか
で例えば自分は a という人が好きなんだけど
まあ世間では b という人が人気で a はあまり人気がない なんかそのマイノリティを好きになることってありますよね
そうした時にいやーなんか a のほうが本当にすごいのになって思うことって 人間誰しもあるんじゃないかなって思います
まあそんな時にねまあちょっと b ってイマイチじゃないって言えない空気ってありますよね
まあそんなことは言わないんだけれども心の奥底にしまっていや実は a の方がいいんだよねって思う気持ちってありますよね
っていうことを考えた まあフレーズがあったのでそれをご紹介していきたいなと思っています
それがですねえっと バンドのウーバーワールドというバンドの
雷長英という曲があるんですがまくる鳥の入江の a と書いて雷長英という曲があるんですが まあその中ですね
お前のダサいは俺のやばいという歌詞があるんですよね あの僕は実はウーバーワールドをというアーティストはあんまり存じ上げなくて
ですね好きでも嫌いでもないというか雷長英という曲も僕の youtube のアルゴリズムになぜか乗っかってきて
まあそれは本当謎なんですけれども えっと聞いてみた時にこの
お前のダサい俺のやばいという歌詞にちょっとなんかすごく刺さりまして あのいいなと思ったんですよね
でこれはまさしくさっき言ったみたいに まあお前がいいと思っているものはいいのかもしれないけど
まあお前がダサいと思っているものは俺にとって やばいんだよって
言いたくなる気持ちってありますよね で
それを思っていることっていうのは何かとてつもなく大事なことなんじゃないかなって 思うんです
つまり世間的に良いとされているもの 世間的に人気なものではなく自分の感性でこれがいいこれが好きだって思える
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その感性ってめちゃくちゃ素晴らしいじゃないですか それってその世間的に良いと言われているものに飲まれないというか
まあその同調圧力みたいなものに屈せず自分の好きを探求するっていうことが 僕は何より尊いことだなというふうに思ったりするんですよね
でこの歌詞の お前のダサいは俺のやばいというのがまあ僕にとってやばいなって思ったんです
繰り返しになりますけど僕はそのウーバーワールドが好きなわけでも嫌いなわけでも ないんですけれども
はいでこの来朝へですね実は続きの歌詞がありまして それがですねお前の最高は俺のダサいという歌詞なんですよね
さっきと逆ですねお前のダサいが俺のやばい の逆でお前の最高は俺のダサいという話をしているわけです
でこれどういうことかっていうとまあ相手にとっていいものは自分にとって良くない っていうふうに積極的に認めるっていうこと自体は
とても素晴らしいことだなと思いつつそれを口に出して相手を否定するようなことは 回り回って自分を否定されることにつながるんじゃないかなというふうに思うん
ですよねなんかそれを見事に言い表しているなって僕は感じたんですよね ちょっと抽象的な話かもしれませんけど
まあ仮にAさんという人のコンテンツが好きな人たちがいっぱいいる という状況があったとして
でも自分はBさんというコンテンツがすごく好き だからAさんが好きと言っている人たちを
まああの人たちダサいよね だってAさんのコンテンツの方がすごいいいじゃんって
まあ公にね言ったとしてでそれはまあ良くないですよね でそれってAさんって本当に良くないよねっていうふうに言った言葉が
Aさんのグループからしたら Bさんって本当良くないよねっていう言葉に戻ってくると思うんですよね
だから自分の好きは 相対化して語ってはいけないってことなんだろうなって思うんです
BさんのコンテンツよりAさんのコンテンツの方がいい なんかそんな風に好きを言語化することっていうのはやっぱりちょっと違うんじゃないかな
って思ったりするんですよね その話をする上でですねちょっとあるアーティストの話を思い出しまして
それはあの星野源さんっていう歌手である役者の方 有名な方がいらっしゃると思うんですけれども
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星野源さんが言ってたのはですね まあ星野源さんも歌がアーティストがすごく好きで
でその楽曲を紹介する時にですね なんとかっていう楽曲よりこっちの楽曲の方が僕は好きっていう言い方は絶対にしないように
してるっておっしゃってたんですよね 相対化して好きを語ることをしないって言ってたんです
それはなぜかっていうとなんとかよりこっちの方が好きって言ったことによって そのなんとかっていう方を好きな人がいたとして
その人の気持ちを踏みにじってしまうからなんとかよりなんとかは好きじゃなくて ただこれが好きというふうに言うようにしてるって言ってたんですよね
なんかすごいなぁと思いつつそこまで気は使えないよなと 僕個人としては思いながらもやっぱり相対的に好きを語るっていうのは
ちょっと良くないんじゃないかな危ないんじゃないかなって思ったりもしました そして雷長への話に戻りまして
実はこの歌詞さらに続きがあります
お前の正解は俺のじゃない そう自分で認めてあげればいい10年先は you & I
という歌詞になりますすいませんちょっと笑っちゃったんですけど えっと絶妙にダサいですよね
でもダサくていいですよね うーんこれはダサくていいなって僕は思ったんですよね
まあつまりこの歌詞で言ってるのはまあ みんなにとってあなたにとっての正解は自分にとっての正解じゃないんだから自分にとっての正解を
探せばいいじゃん 自分を認めてあげればいいじゃんっていうのと同時にですね
そうやって自分を認めてあげていけば10年先にはお前と俺とで尊重し合って仲良く なれるんじゃないのってことを言いたいのかなって思ったんですよね
互いに認め合うみたいなことだと思います それをまあちょっと絶妙にダサい歌詞で
まあ あの歌はれてるんですよねでまぁ繰り返しありますけど僕はこの歌すごく好きです
はい 皆さんはどう思われたでしょうか
好きを言語化するときにどうしても相対化してしまうことってあるんじゃないかなぁと思います まあというか多分それがね簡単なんですよね
自分はこれよりあれの方が好き これよりって言った方がなんか伝わりやすいって思うじゃないですか
でもそうじゃなくてじゃああなたの好きはどこがどんな風に好きなの それを好きな自分ってどんなものなのっていうのを言語化してあげる
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そうした方がより健全なんじゃないかなって個人的には思ったりしました というわけでこのラジオでも
あの自分の好きをより言語化していきたいなというふうに思います というわけで以上になります最後までお聞きくださりありがとうございましたではまた