1. 絶望カフカの何者かになりたいラジオ
  2. #192 努力が報われなかった経..
2025-12-23 11:47

#192 努力が報われなかった経験にも意味がある?


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サマリー

ポッドキャストでは、努力の意味や報われなかった経験について語られています。元アスリートのカフカさんが、怪我を通じて感じた努力の価値や、報酬が得られないことについての思索を共有しています。

努力についての考え
絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが日々の絶望と、些細なヒントをお送りするラジオです。
さて今回はですね、努力についてお話をしていきたいと思います。 以前スタイフでも、この努力は報われるのか、とか
努力とは○○である、みたいなお話をしてきました。 というのも、僕が元アスリートということで、
散々ですね、努力しなさいとか、お前たちには努力が足りないのだと、言われ続けてきたんですね。
で、この努力というキーワードに何故かこうアンテナが立ってしまうというか、 敏感になってしまう自分がいまして、
つらつらと考えてきました。で今回は、それでもまだ引退してなお、努力という言葉に何かこうもやもやする自分って、
何なんだろうなっていうことをちょっと考えてみましたので、その話をしていきたいとおもいます。
努力で思い浮かぶ本としては、 キンチョウで荒木隆一さんが書かれた努力の地図がありますね。
それこそ先ほど言った努力は必ず報われるって言っている人、 でもそうでもないだろって思う人、
みんながその努力という言葉について何か違った認識を持っている。 だったら努力とは何なのか、
努力をした先にある報酬とは何なのか、そして努力と報酬をつなぎ合わせる、 まあ人それぞれの信念、
神話とは何なのかっていうことを荒木さんが構造的に 分解しわかりやすく解いた
のがこの本なわけなんですけれども、 僕自身はですね、まあ
荒木さんの構造家のまるまるタイプだっていうものに、 自分がこれに該当するなーっていうのは思ってはいたりするんですけれども、
とはいえ、 なぜ自分がこの努力に対してこんなにも
敏感になってしまうのかっていうのは、 努力をすれば報酬がもらえる
っていう、そもそもの前提が 違和感があるからっていうところがあるんです。
それは何かっていうと、 まあ努力が報われない場合もあると。
平たく言うとそういうことなんですよね。 それは僕自身が実体験としても感じているところです。
それは何かっていうと、アスリート時代に怪我をした経験が、 僕はそのように
まあなんていうかな、固定概念として、 あるいは刻み込まれたものとしてあるんだろうなっていうふうに思うんですよね。
で実は今、今まさにですね、ちょっと足を痛めてまして、 そのアスリート時代に怪我をした
記憶っていうのが蘇ってきて、 ああなんだかなって思ったりもしているところなんですよね。
例えばこうアスリート時代に、 僕はこう割と調子がいい時に限って、なんていうかな
もっといけると思って頑張りすぎて、 怪我をしてしまうっていうパターンが多かったんです。
ランニングをやられている方なら、よくわかると思うんですけれども、 足の痛みっていうのは割と日常茶飯事だったりするんですよね。
で、その足が痛いのが、これが まあ大丈夫な痛みなのか、それとも
まあ怪我につながる痛みなのかっていうのを自分の中で
見極められる能力っていうのが求められたりするんですよね。 でもアドレナリンが出てやるぞっていう気持ちでいればいるほど
その能力というか見極める力っていうのが 弱まっていく。
だからもうやれるぞと思った時に限ってキャパオーバーで怪我してしまうっていう。 で周りからは、まあその
やれるんだとか、やれるぞみたいな 言葉掛けをされている。まあそれは言い訳ではあるんですけれども
だから僕は アスリートとしての晩年は、いかにその見極める力を身につけて
そこのジャッジを誤らないようにするかっていうことだけをほぼ考えていたみたいなところが あるんですよね。
話がちょっとずれていってしまっているんですが その怪我をしないということを
いくら努力していったとしても 怪我をしてしまうっていうことも
あるんですよね。 24時間の中でその時間配分を
怪我をしないことのために睡眠時間、栄養 あとはケア等々、しっかり行っていたとしても怪我をしてしまう。
だとしたら どんなに努力をしても報われないことがあるんじゃないかっていう
そういう経験を多々 していました。
怪我の経験とその影響
だからこそ なんだろうな
トップアスリートが例えばとてつもない成績を出した時に周りが あの人の努力は素晴らしかったんだっていう時に
何かこう違和感がある。 自分が考えている努力と
まあその 第三者が言った努力というのもなんかちょっとかけ離れているような気もするし
それこそ荒木さんが言う人それぞれの神話が違っているんだろうなっていう気もする。
そんな風に僕は アスリート時代を通して
努力は報われないっていう経験を多くする一方で
大抵のことは努力すれば 成果は伴うだろうっていう
気持ちも持っているんですよね。 それは相反する矛盾したパラドックスな感情ではあるんですけれども
例えば資格試験にチャレンジしているっていうのは まさしくそうかもしれないですね。
分かりやすく努力して知識を身につけて 受験して受かれば
その資格が手に入るみたいな。 落ちたら受かるまでやるとかね。
例えば過去僕は 恥ずかしながら年1回の試験に3回落ちたことがあります。
でも4回目の正直で 受かったこともあるんですよね。
それぐらいなんていうかなぁ 努力は報われないから
諦めようっていう気にはその時はならなかったですね。
なんかその 努力は報われないものだって思う自分と
努力は報われるはずだって思う自分 その相反する自分がいて
いいんだと思うんですよね。 どちらか一方にしか
信じないというのではなくて 相反する自分がいていいんだと思うんですよね。
僕は あるフィールドではもうコテンパンにやられて
努力は全く報われなかったけれども 別のフィールドでは報われるはずだって思って
まあやっているし なんかそんな風に
報われないから頑張らないとか報われるはずだから 報われないのがおかしいとかっていう
その 極を行くのではなくて
まあどちらの世界も自分の中に持っているというか 矛盾した事実を受け入れるっていうことが
努力の報われなさと学び
一つ重要なんじゃないかなって僕は今思っているっていう感じですかね。
でもその世界観を他人に押し付けたりはしたくはないよなというふうに思っています。
まあついつい押し付けたくなってしまいますけどね。 例えば仕事で膨大なタスクを抱えている人が他の人に振るう時には
いやいや努力でどうにかしてくれよって本音では思ったりしますけど
まあそれも含めて その人の中ではキャパオーバーだったんでしょうからっていうふうに
今は思ったりはしますね。
まあいずれにしても そのアスリート時代の怪我の経験
まあ今の怪我もそうなんですけど 自分にとって学びというよりは
深く刻まれたものであり なんか僕自身を形作る
考え方を形作るものになっているんだろうなぁというふうに改めて思っていますね そういうふうに考えると
少なくとも今の僕を形作ってるっていう意味では 努力が報われなかった経験というのも一つは悪くなかったかなというふうに今は思えていますね
はい というわけで今回は努力が報われなかった経験というお話をしていきました
最後までお聞きくださりありがとうございました ではまた
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