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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
ハンティントンという結構有名なところでやってるよって言って。
世界大会とかやるね。
USオープンとかね。
沙織ちゃんも近くに入ったことがあるんだけどね。
昔の記憶だね。
昔ですけどね。
昨日の夜も入ったよとか。
ナイトサーフィンしてるとかって言ってさ。
夜の9時とかに。
一応ピアーって桟橋にライトがついてるから。
街灯みたいなやつがね。うっすら。
だからその横で、ピアーの横で夜夜な夜な入ってるって。
その子の仕事側だから。
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朝早いのかな。ちょっと忘れたけど。
でもすげー楽しんだよ。人もいないしって言って。
いつも混んでるわけよ。いい波が来るから。
もう世界大会までやるようなとこだからね。
人が多くて波になかなか乗れないわけよね。
夜行くともう友達3、4人だけで波を撮り放題だよとかって言ってて。
すごい。
そうなんだと思って。
ナイトサーフィンって月明かりの下でやる映画もあったりするんだけど、
実際怖いじゃんね。
想像するだけで怖いですけど。
友達がいるならまだいいけど。
それでも怖いよねとか思いながら。
でもめちゃくちゃ楽しいんだろうなーって。
友達だけで誰もいないところに夜な夜な遊びに行くで。
なんかね、そんな夜中に遊びに出歩く。
出たなーそういえばっていうのを思い出して。
若い頃、ライブとかね、俺、チャリンコで見に行ったりして。
夜中、終電終わってもクラブとかもやってたしさ。
吉野屋とかもやってるしさ。
夜な夜なチャリで遊び歩いてたとかフラフラしてた。
あとストリートミュージシャンとか。
はいはいはいはい。
夜中の遊びは楽しかったなーっていうのをちょっと思い出したんですけど。
こっちって夜中には遊べないよねっていう。
そこね、そこね。
なんだ、みつさん行ったのかと思った、ナイツサーフィン。
行ってないですね。怖くて。
ちょっと行くんですか?でも予定あり?
予定はないけど、スーパーモーンの夜はいいけれど、
ちょっと楽しみにしてますよ、その話。
まあね、そうだから夜といえば月なので、月のフォトグラファーの上山さんの話の前にこの話をしておきたいなという。
なるほどね、そういうつながりね。
そういうことですね。あんまりオチがなかったけどね。
夜はなさそうですね。
夜はなかなかアメリカは外に出れないですからね。
ね、マジで怖いしね。
マジで怖い。
本当に危険。
危険、いろんな意味で身の危険っていうことだから。
まあでも、遊んだ?夜。
お酒飲んだりとかは、いっぱいアメリカに行ったんですけど、
お酒も飲まないし、でもダンスをやってるとき集中的に。
ダンスってソーシャルダンスが始まるのが夜の10時とかからなんですよ。
はいはいはい。
で、終わるのが2時とかなので。
それアメリカ?
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逆にそんな時間じゃないと、アメリカ。
えー。
バーチャッターやってたときとかは大体、
行動時間はもう完全に夜から、10時から2時、3時ぐらいですね。
あー。
本当かなー。
でもなんか夜って楽しいよね。
なんかね、ちょっとワクワクはしますよね。
うん。
そんなことをちょっとね、思い出した。
まあまあまあまあまあ。
まあまあまあまあ。
はい、行きますねー。
香港に行きますねー。
毎回ですね、1%の情熱物語では、一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしております。
で、今回はですね、そのインタビューの2回目。
はい。
えー。
ですね、前回が。
はい、フォトグラファーをされている、
上山慎太郎さん。
はい。
前回がね、まあその商用の仕事と、アーティストとしてのフォト仕事をしてるっていう話だったんですけど、
最初は全然カメラマンになろうとしてなかったので、
どんなきっかけでカメラマンになろうと思ったのか、
そして、月とニューヨークっていうのがキーワードなんですが、
どのようにして月を撮り始めたのか。
えー、そんなようなところを聞いております。
では早速聞いていただきましょう。
はい。
じゃあちょっと今からね、過去のお話を伺いつつ、
先週もちょっとあの上山さんとお話に出たんですけど、その月とニューヨークっていうキーワードですね。
はい。
そこに至るまでのちょっと経緯なんかをね、今日は伺っていきたいんですが。
はい。
まず、大生まれは奈良県と伺っておりますが。
そうですね。奈良の田舎です。
田舎のほう。
田舎、まあ田舎、一応奈良市なんですけども。
あ、まあじゃあ都会ですよね。
今から思えばやっぱり田舎だったのかなと思います。
星空を、まあそこまで田舎ではないですけど、裏がもう一面ずっと田んぼだったので。
おお。
うーん、なのでまあ自分の飼っている犬とかね、散歩するときはもう、
もちろん草、あの鎖って言うんですか。
紐をつけずにもう野放しで、
うん。
そういうのをね、飼っている犬とかね、散歩するときはもう、
もちろん草、あの鎖って言うんですか。
紐をつけずにもう野放しで散歩させたりとかね。
うーん。
09:01
最近はやっぱり厳しくてね、あの紐つけないとかね、あるでしょうけど。
まあでも、昔は結構野良犬多かったしね。
野良犬、野良犬もいっぱいいましたね。
野良犬かわかんないから。
そんなこと言ったら年がバレるんですけど。
いや、まあ。
そうですか。
それぐらい田舎ですからね。
で、奈良から大阪の学校に行かれたというのも伺っているんですか。
そうなんですよ。
そこから、まあ高校までは奈良に通ってて、
で、そこから大阪、大学は大阪に出てきまして。
うん。
で、まあ一人暮らしつつ。
で、大阪の街に憧れてというか、
えー。
やはり全然刺激が違うので。
はい。
で、その大学時代を過ごしている間に、
で、大阪でそのまま就職というか。
ちなみにその時は、写真は撮られてはいなかった。
もう全然写真のシャアの人にも興味がなくて。
なるほどね。
全く興味がなくて。
そっかそっか。
見ること自体は好きだったんですけどね。
あー、そうなんですね。
絵を見たりとか、写真を見たりとか、
ちなみにその時の趣味というか。
その時の趣味ですか。
なんかいろいろありましたね。
夏はウィンドサーフィンやったりとか。
おー、かっこいい。
で、冬はスキーをやったりとか。
まあね、皆さん大体男の人だったらやるでしょ。
ギターやったりとかね。
あ、ギターね。
なんかいろいろありましたよね。
あとまあ、車に乗ってドライブも好きだし。
うーん、うーん。
そっからアメリカに来られるきっかけっていうのは、
伺ってもいいですか。
いいですよ。大学時代大阪で過ごして、
そのまま大学卒業して、
飲食業界に入ったんですね。
就職したんですね。
で、そこで管理職で7年ほど働いたんですけども、
ちょうど7年経ったぐらいで、
うちの奥さんはですね、ニューヨークで就職が決まったと。
まあ、うちの奥さんは留学してたんですけども。
はい。
で、留学をしてまして、
で、ニューヨークで就職が決まったんだけども、
どうするみたいな話になりまして。
ああ、で暮らすかみたいな。
そうですね。
うーん。
で、だったらニューヨーク行くよみたいな感じになって、
もう突然決まった話ですね。
そうなんだ。
それまでに上山さん的には海外に興味はあったんですか?
大学の卒業旅行で、
今のうちの奥さんと2人でバックパッカーではないですけども、
ヨーロッパを40日ぐらいかけて回った。
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へー、すごい。
じゃあ大学生の頃からのお付き合いってことなんですね。
そうですね。
で、そこでドイツ、スイス、フランス、その3カ国ぐらいを
40日ぐらいかけて回って、
っていうのが一番最初の大学時代の海外旅行ですね。
すげー、楽しそう。
そこから、飲食業界なので、もう拘束時間が長いので、
海外1回行ってすごかったので、もう1回行きたいなと思いつつ、
もう全然抜け出せなかったんですよ。
時間が取れにくかったってことですね。
時間もね、まとまった休みってのはまず飲食業界だと取らせてもらえないんですよ。
確かにみんなが休んでるときが稼ぎ起きだし。
とか、例えば、平社員になったらいいんですけど、
例えば管理職で店長とかになってしまうと、
店長が1週間店を抜けるなんてありえないとかね。
まあ、その時代時代にもあるんですけども、
私たちの時代の時はやはりそうだったので。
そっかー。
で、その中で、そこの会社の海外研修って言うんですか?
海外視察ですね。
そういうのがありまして、
そこで一度ニューヨークとLAに行ったことがあるんですね。
ああ、そうなんですね。
その時が初めてのニューヨークでしたね。
どうでしたか?
それもびっくりしました。
ヨーロッパはその前にも行ってたんですけど、
マンハッタンって、何この町みたいな、それぐらいの勢いですよね。
まあ、何年ぐらいだろう?
えっとね、1999年ですね。
ああ、じゃあ9・11の前の。
前ですね。
本当にもう。
そう、1週間かけて、3日間かけて、
その当時流行っているレストラン、スーパーを視察っていうので行ったんですよ。
試験があって、それに向かって行ったみたいな。
なるほど。
あれ、音が。あ、聞こえました。
その時はでもね、
あ、聞こえました。
聞こえました。
聞こえました。
聞こえました。
聞こえました。
あれ、音が。あ、聞こえました。
その時はでも、本当にニューヨークに住みたいとかじゃなくて、
単純に仕事として行かれたってことですよね。
そうですね。20人くらいの団体なんですけど、
まさかそこに自分が数年後に住むとは思ってなかったですよね。
もうこれはね、飲食業で休みももらえないし、
15:00
これ以降、ニューヨークもう来ることないかなみたいな感じでは、
その時の気持ちでありましたけどね。
それの何年後に来ることになった?
そうですね。その後に、
その後5年後か。
5年後、2004年ですね。
に、うちの奥さんが就職決まったっていうので。
それを飲食の会社は辞められてってことなんですか?
もちろんそうです。
上司に激怒されて。
もうね、店員長になってようやく何年経って、
地に着いてきて、ようやく今からという時に、
何をお前は辞めるんだみたいな。
なかなかつらいな、それも。
いやいや、それでもすぐには辞めれないっていうのは思ってたので、
もう辞めたいなって思う時期の半年前から、
上司を説得して。
それはフェアですよね。
そうですね。2004年の6月の末で辞める予定だったんですけど、
2004年入った1月に年明けの最初のミーティングで、
その話をして。
何を言ってるんだお前はみたいな感じで話をして。
その6ヶ月間なかなか辛そうですね。
まあ、いろいろなところに呼ばれました。
もちろんまずは2世終わって、夜中1時からちょっと飲みに行こうかとか、
そういうのが始まったりとかね。
説得されるわけですか。
考え直せみたいな。
そうそう。何をしに行くんだみたいな。
何か宛でもあるのかみたいな感じで。
いや、何もないんですけどね。
でも本当に実際宛もないわけで、仕事に就けるかどうかも分からなかったわけですよね。
そうですね。ただ私が上司を説得した理由の一つとして、
例えばあなたが今ニューヨークに住めますよっていうチケットがありますと、
この先あなた何十人来ててそういうチケットが今転がり込んできたけど、
この先来るかどうか分かりませんよね。
どうしますかっていう逆に質問をして。
うっときますね、それは。
そこでやっぱり黙りますよね。
で、ですよねっていう話で。
私も同じ考えです。
で、失敗したらもう上司にも話はしてたんですけど、
もう正直謝って日本に帰ってきますんで、
その時は受け入れてくださいと。
もう店長じゃなくて一社員から頑張りますので、
もうその時はよろしくお願いしますと。
ただその切符は今しかないので、
今がチャンスだと思うので行かせていただけませんかっていうのを半年かけて説得しました。
18:05
そっかそっか。
でも来てみて実際後悔はなかったです。
来た来なかったに関しては、
私自身昔からあるんですけども、
しない後悔よりもする後悔の方を取るので。
まずやってみてダメだったらしょうがないかみたいな。
やらずにあの時やってた方が良かったねっていうのはやりとこうみたいな。
っていうのがあったので、来ても失敗してもいいかみたいな。
来たこと自体が成功なんじゃないのっていう風には自分では思ってます。
でも実際その時で英語はどれくらいのスキルがあったというか。
全くないですね。
うちの奥さんに関しては留学してたので、
ビジネススクールに行ってたので英語は多能ですよね。
英語の話せるレベルとかリテラシー能力は全く違うんですけども、
引っ越してきてどうやって、学校行かれたってことですか最初は。
やはり最初は語学学校ですよね。
まずコミュニケーション取れないとっていうので、
2セメスター行って、その英語力ぐらいで、
とりあえずニューヨークで就職しないとっていうので、
またニューヨークで2セメスター行って、
英語力ぐらいでとりあえずニューヨークで就職しないとっていうので、
またニューヨークで同じ飲食業界を探して、
管理職として就職みたいな感じですね。
なるほど。それはなんとなく引く手余ったな気もしますね。
探してる方はわりと、日本食レストランですかそれは。
それは全く違って、ペイストリーなんですね。
ペイストリーって言うとスイーツとか?
簡単に言うと、ビアのパパってご存知ですかね。
知ってますよ。
あそこのニューヨーク本店に就職ですね。
そこでマネージャーをしながらっていう感じですね。
なるほど。僕行ったなあそこ多分。
ニューヨークの?
アッパーウエストの?
あの日本のスーパーの隣とかでもありましたっけ?
それはそうです。ミドタウンのとこですね。
アメリカ一号店っていうのがアッパーウエストにあるんですけども、
そこだけが唯一本店で、あとはフランチャイザーですね。
でも多分僕営業でニューヨークも結構ウロウロしてたことがあるんです。
広告営業してたんですけども。
もしかしたらすれ違ってるかもしれない。
多分フロントラインにいたかもしれないですね。
それが2005年から1年経ってから就職して、
そこから4年半ほどビアードパパではシュークリーム作ったり、
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マネージャーしたりっていう仕事をしてましたね。
そこからフォトグラファーになる話がまだ出てきてないですけど、
どういう流れで?
その後にフォトグラファーになってるんですけども。
働きながらカメラマンになりたいなとかっていうわけではなく?
まだ出ないですね、そこで。
ただ、先ほどもお話ししたと思うんですけど、
ニューヨークの街ってすごく魅力がある街で、
私自身飲食業にいた時に、
飲食業っていうかレストラン自体にすごく興味があって、
お酒にも興味がある、内装とかインテリアにも興味がある、
食器とか見てて面白いし楽しいしみたいな感じで。
すごくレストラン的な雰囲気って大好きなんですね。
自分の店を持つんだったら絵を飾ったりとか写真飾ったりしたいなという時に、
自分で撮った写真を飾りたいなみたいな感じで、
ニューヨークに来てから思ったんですね。
なるほど、そこはあくまでも飲食業界の視点で見てたってことですよね。
レストランをやるなら写真があったらいいな、
お店なら自分で撮れたらいいなみたいな。
そこはニューヨークに来てから、
自分の写真撮ったらこれニューヨークに行ってた時の写真ですって言ったら面白いだろうなみたいなネタとしてね。
その時もカメラのこととか機材のこととか全く知らずに、
いわゆるコンパクトデジタルカメラで撮るぐらいの技術しかなかったんですけど、
それで撮って遊んでたみたいな感じですね。
そこから飲食業で働いている時に、
何年かして子供ができまして、
子供を自分が持っているカメラで撮ろうとしたら撮れないんですね。
うまく撮れない。
何が撮れないかというと、決定的な瞬間が撮れないんですね。
赤ちゃんとか子供が小さいと固まっていてもよく向いた瞬間に向こうを向くんですよね。
ブレちゃって。
ブレるし、どうやってみんな撮ってるんだろうみたいな疑問から始まったんですね。
なるほど。
コンパクトデジタルカメラと一眼レフっていうのが2つあるというのをググってたり出てきまして、
なんだ一眼レフはみたいな。
そこに興味を持ってその当時流行ってた一眼レフを日本で流行ってたのはなんだったかな。
キムタクが宣伝したD90かな。
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あと私が買おうとしていたキッス、キャノンのキッスシリーズ、キッスなんとか4。
その2つが出てきて、この2つだったら子供を振り向いた瞬間撮れるのかなみたいな。
いわゆるレンズの方が大きい。
半信半疑で。
一眼レフってやつですね。
そうですね。レンズを変えたりとかね。
コンパクトデジタルカメラともレンズが一緒になって変えれないと。
デジタル一眼レフっていうのはレンズを交換できていろいろ撮れるよっていう話が出てきて。
じゃあ今度日本に一時帰国した時にその一眼レフを買ってこようっていうふうに思ったんですね。
なるほどなるほど。
アメリカで買うよりも日本で買おうが安いんじゃないかっていうので。
そっかじゃあきっかけはもうお子さんの写真を撮りたかったっていうのが。
そうなんですよ。
最初なんだ。
それで一眼レフを日本に買うために日本に帰って。
これ余談なんですけど父がフォトグラファーなんですけど。
そうなんですね。
全然、たぶんびっくりされると思うんですけど。
お父さんフォトグラファーだったらフォトグラファーでしょみたいな感じで言われるんですけども。
父は全くカメラとかその写真とかには触らせてもらえないっていうか。
フォトグラファーカメラマンなんかなるもんじゃないみたいな感じで。
私自身はもう全くそのうちの父が何をしてるっていうのは知らない。
今思えばなんかもったいない話ですけどね。
そうなんですよ。今思えばもったいないですね。
日本にいた頃にもっと彼の事務所でスタジオで働かせてもらえればよかったんじゃないかなと思うんですよ。
その辺はだからもう全く仕事の話はしなかったんですね。今までは。
それは大変だよっていう意味でやらない方がいいよっていう。
そうですね。だから父も話をしないというか。
仕事でこんなことがあったりどうなったりとか普通話したりするお父さんもいらっしゃると思うんですけど。
そういう話もなかったので私も興味を持たずに。私は私で飲食業界に興味があったので。
大学生とかになればね。ちょっと話は戻った。自分が大学生になれば自分のお父さんと話をするってそんなにないじゃないですか。
そういう若い時ってね。
そうですね。一言二言で終わっちゃう。
そうですよね。最近どうとかそれで終わるぐらいじゃないですか。
たまたまさっきの話に戻すと一眼レフっていうのを買おうと思うから。
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相談したんですね。
相談したんですね。D-90とキスシリーズとどっちがいいと思うと。
フォトグラファーだからいいアドバイスもらえるだろうみたいな感じで軽く聞いてみたんですね。
嫌がられるかなとは思ったんですけど。
急に彼がびっくりして。父がびっくりして。
お前写真やるのやってるのかみたいな感じで急に噛みついてきて。
いや別にやってないんだけど子供の振り向いた瞬間撮れないから撮りたいんだよみたいなことを言うと
じゃあ彼がもう使ってないその当時キャノンで一番最初に出たデジタル一眼レフで10Dっていうのがあるんですね。
もう世界で一番最初に出たデジタル一眼レフっていうカメラなんですね。
貴重品な感じがするな。
それをですね、ただで貰いまして。
古いレンズも2本。ワイドな広角レンズとズームレンズとその3点セットを貰ってニューヨークに帰ってきたんですね。
じゃあ結構もうお父さんもこれで頑張れみたいな。
いやいやそういうのではなくて買うんだったら高いから。
使ってないからやるわもう。
これから使ったらどうだみたいなそれぐらいのノリで。
そうですか。
その時はもう箱もないし説明書もないし。
そのシャッタースピードとか写真用語で言うISOとかアパチャーとかそういう露出とか全くわからない状態で
とりあえずカメラとレンズの3点セットだけ貰って帰ってきて。
ちょっとネットで調べて撮り方が分かって撮り始めるともうびっくりするくらい自分の思った瞬間が撮れることに
もうその時にスイッチが入ったんでしょうね自分の中で。私の中でね。
結構感動したんですか自分で。
感動どころじゃなかったですね。
衝撃的な。
撮りまくりですよね。
まあ幸いにもデジタルだからね何枚撮っても昔は現像しないといけなかったりするとフィルムが無くなっちゃったりするからだけど。
そうなんですよ。デジタルなんで撮り放題なんですね。撮って消して撮って消してみたいなそんなことばかりやってながら。
そこでカメラにハマってから子供を撮り始めてご近所さんのファミリーフォトをちょっと撮ってみたいな感じで撮り始めてそこから広まったっていう。
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そっかそっか。まあでもその時最初はだから職業っていうよりもちょっと撮ってあげるよみたいなとか。
そうなんですよ。
趣味ですね。
簡単に言えば娘を連れて公園に行った時にご近所さんに会って娘の写真撮ってて一緒にお友達で撮っていいですか撮っていいよじゃこの写真じゃあ後であげますねメールで送りますねとかそういうのから始まって。
それ嬉しいですよね。
でご家族がそこにたまたまいらっしゃったらじゃあ家族で一枚どうですかみたいな感じで公園で撮るところからどんどんハマっていったみたいな。
じゃあそれはその飲食店で働きながらの変更してってそういうことが。
全く写真学校とかにも行ったことないですし写真クラスも取ったこともなくて全部そのグーグル先生に聞いてこれが撮れないと思ったらグーグルで調べてあここを変えたらこう撮れるのかとか暗いところでなんで撮れないんだとかそういう感じでどんどん写真学で勉強していって。
そこからでもプロとしてというかそのきっかけってのは何かあったんですか。
色々ですねそのご近所の方がその例えばどっかのコミュニティに入ってて例えばそのどう言ったらいいんだろうアート的なコミュニティに入ってて写真一枚出してみませんかとか何かニューヨークの風景撮ってらっしゃるんですよねとかそういうのがあったりとか
あとはその先ほど言ったアーティストの方ってニューヨークいっぱいいらっしゃるんでそういう繋がりそうなんですよ活動していらっしゃるその芸能人の方とかアーティストの方ですねそうなんですよあの撮ってもらえませんかみたいな
でそこからその人がじゃあ今度公演するんですけどその公演風景撮ってもらえませんかとか少しずつ少しずつ裾野が広がっていくって言うんですかね
そういう感じでいろんな分野に広がっていったってのがありますね
趣味でやってた時はねもちろんお金もらってなかったと思いますけどそのあたりからじゃあそういう報酬とかも
そうですねそのあたりから報酬をいただきながら
もちろん最初の報酬もね少ないですけどもそれでもなんか撮った写真にお金もらえるんだみたいな
じゃあもうちょっと頑張って撮ってみようかなみたいな
そこから徐々に広がっていったってのがありますね
まあそれをじゃあしつつ
まあそのね
先週も言ってもったいつけてるんですけど月とニューヨークというね
33:04
キーワードがあるんですけどその一つの上山さんの中でのテーマとして月っていうのが出てくると思うんですけど
そのちょっとじゃあ触りだけお話し伺っていいですか
了解です
先週もお話ししたそのアーティストとしてのその写真っていうのでニューヨークの風景をまず撮ってるっていうのと
その途中から月を撮るっていうことに気づき始めたっていうこの2つにまだ分かれるんですけども
基本的に最初はニューヨークの風景を撮ってたんですね
あの先ほどもお話したその自分が店をやるんだったらニューヨークの風景を飾りたいなって
よくミュージアムなんかで飾られているような絵を写真で撮れないかなとか
ビル街の絵だったり
そうですね
セントラルパークでしたっけ
そうですねセントラルパークとかね
エンパイアステイトが入っているビル街の写真だったりとか
だからそういうのをね色々撮っていくうちにその風景の写真が溜まってきて
自分でこれで個人的なプライベートなものとしてカレンダー作ってみたいな
ニューヨークの写真を元にしたカレンダーみたいな
その時は古典とかそんなことも全く考えてなかったんですけど
自分の中で撮った写真を部屋に飾れるってやっぱりなんか価値観がある
嬉しいですね形になって現れる
私自身も日本人っていうのがあるので
ニューヨークでカレンダーを探してどういうカレンダーがいいのかなとか
カレンダーに載せる写真ってどんなのがいいのかなって見てると
ニューヨークのカレンダーって季節感がないんですね
お土産屋さんでよくある写真
確かにそう言われるとアメリカ全体が
そうなんですエンパイアステイトビルが写ってます
ワールドトレインセンターが写ってます
センタルパークが写ってます
夕日の写真があります
そういうのは分かるんですけども
もちろんニューヨークにも四季はあるんですよ
あるんですけどもそれをなぜカレンダーに入れないんだろうっていう
なんか素朴な疑問があったんです
なるほど
自分のカレンダーでは四季を
自分のフォーシーズンっていう四つの四季を入れつつ
ニューヨークっていう街を撮ってみようと
そこでサブジェクトじゃないです
テーマじゃないですけども
それでカレンダーを作り始めたっていうのが一つ
アーティストとしての活動ですね
なるほど
それも11年続いてるんですけども
毎年毎年カレンダーを作って
後半でもお話しさせてもらうクラウドファンディングなんかでも
36:00
リターンとしてニューヨークの季節を入れた
季節を入れたカレンダーですっていうので
使わせてもらったりとか
それぐらいのレベルまでは一応
上げれることまではできました
販売をできるぐらいの
そうですね
一応その印刷会社の人も協力得て
それがまず一つと
先ほど板倉さんがおっしゃっていただいた
月とニューヨークっていうのがもう一つありまして
それについてはもともと写真を撮り始めた時に
いろいろブログなんかで
この写真いいなとかこんな写真どうやって撮れるんだろう
検索してるといろいろ出てきますよね
その時に何の表紙か忘れたんですけども
月とか夜空とか星とかを撮ってる写真が入ってきたんですね
その写真を検索しているうちに
ある宮城県の石巻に住む月光写真ってわかりますかね
月の光だけで照らし出された景色を撮って
そういう月光写真をテーマにした写真を撮ってらっしゃる方がいまして
木村さんっていうんですけども
その方のブログに私がハマりまして
そのブログをどんどん追っかけるうちに
その人に直接ブログ上で質問したりとかして
この写真ってどうやって撮るんですかみたいな感じで
関東直入ですね
そうですね普通フォトグラファーって嫌がるんですけども
自分の手の内を明かすみたいな感じで
その人はすごく親切な方で教えていただいて
メールもいただいて教えていただいて
私の中では星空とかそういう月とかを見て
これと自分が今撮り続けている風景を合わせたら最高ではないか
っていう感じで勝手にどんどんイメージが膨らんでいったんですね
なるほど
そこから月を撮るっていうところに始まったんですけど
最初に彼は星とかも撮ってるんですけども
天の川とニューヨークのマンハッタンを合わせることってできないんですね
天体の角度とかそういう意味でってことですか
光の強さが違うので
映らない
マンハッタンがいくら夜で暗くても
マンハッタンの空には天の川は見えないよっていうことなんですよ
なるほど
全く知らなかったんですねその時は
夜に行けばある場所から天の川とマンハッタンが撮れるんじゃないかみたいな感じで
そう思ってたんです
夜に行って撮影現場に行って撮れない
39:02
なんでみたいなそこから始まって
例えばオリオン座って有名だね
オリオン座とかも星の粒ぐらいにしか撮れなくて
レンズの大きさとかもあると思うけど
そうなんですよレンズももちろん大きさもありますし
木村さんにも質問したりとか自分で調べたりとかして
ようやくわかったのが光の強さが全く違うよって
なるほど
星を撮るときは真っ暗の中じゃないと撮れないですよっていう話で
いわゆる光害ってわかりますか光の害って書くんですけども
害ってのはどういう感じの
害っていわゆる浮かぶりの害です
光害の害
害中の害
そうです害中の害
光の害
光が邪魔をして星が撮れない
なるほど
っていうので星を撮ることは無理だってそこで思ったんですね
ならばと月を撮ることができないかっていうので
星を撮りに行ったときに
なるほど
朝日を撮りに行ったときに夜中からテクテク歩いて川沿い歩いてたら
朝日が昇る前に月が昇ってきたんですね
朝に月が昇るのみたいなそんなことも知らなくて
朝日が始まるマジックアワーっていう夜空がレインボーになる
ゴールデンアワーと呼ばれる時間の前に月がポンっていう浮かんでる写真が撮れて
なんだこれはってまたそこで驚いたんですね
なるほど今ちょうど上山さんの壁紙になっている写真のような
上は真っ黒の夜空漆黒でグラデーションで日が昇ってきている黄色だったり
オレンジだったりっていうのが混ざったゴールデンタイムってことですね
このときマジックアワーって言うんですけども
マジックアワーのときに三日月が昇るんだっていうのを初めて知って
それは綺麗そうだな
これだってもう気づいたんですね
じゃあ最初は望遠って言ってもそんなに長いレンズも持ってなかったので
いわゆるそのもらった古いレンズで撮り始めて
どんどん撮っていくうちにもっと月を大きく写せないかっていうので
ハマっていったっていうのが月とニューヨークっていうテーマですね
いやーそういうことか
42:01
じゃあ月は月の明かりだったら十分に撮れるくらいの明かりがあるってことですね
そうなんですよ
本当に時間によるんですけどこのままそのマジックアワーがどんどんどんどん
明けていくっていうんですかね
夜が明けていくと月は消えるんですね
なのでそのタイミングっていうのが必要なんだと
夜が明けるのって大体日が昇る1時間前からなんですけども
40分くらい前が最高だとか
50分くらい前だともう少し暗いなとか
そういうのも撮り始めるとどんどん分かっていって
ハマっていくっていう感じですね
それも毎日同じ角度じゃなくて年中ちょっとずつちょっとずつ動いてますもんね
そうなんですよ
太陽っていうのはね365日も全く変わらないんですけど
月っていうのは29日周期なので
毎日昇る角度場所も違うんですね
太陽っていうのはもう来年の例えば4月16日はここから昇りますよ
5月26日はここから昇りますよ決まってるんですよね
それを調節するために潤い年っていうのが4年に1回あるんですけども
月っていうのはそういうふうに調節されてないもので
去年の同じ日にて同じ時間なのに何で見えないのっていうのが月なんですよ
あーそうなんだ
そうなんですよ
少しずつ少しずつずれていくので
あーそういうことですね
31日の日もあれば
余ったら偉いことになりそうですね
そうなんですそれに11年間ハマり続けてるんですね
これはこれはちょっと時間があれなんでそろそろ次週にその話は
はいよろしくお願いします
ちなみにちょっと皆さん気になった方いるかと思うんですけど
そのお話に出たフォトグラファーの木村さんという方木村陽介さん
そうですね木村陽介さんですね
石巻宮城県の石巻に住んでるんですけども
彼もブログの名前がですね
はるかなる月光の旅っていうブログなんですね
ちょっとねリンクこれも貼らせていただいて
興味ある方見ていただけたら
年間の読み写しフォトでグランプリも撮ってらっしゃいますし
知る人はもうよく知ってる方ですね
月光写真家
元々その月光写真家の第一に
いわゆる日本で一番有名な月光写真家っていうのは
石川賢治さんという人がいるんですね
そうしたら本当にもう1980年代から
月光写真っていうのをずっと撮り続けてるんですけども
デジタルじゃない時代ですねそれは
45:00
そうなんですよフィルムから撮ってるんですね
それってまた話せば長くなるんですよ
その石川賢治さんを憧れて
木村さんは木村さんで
自分でその仕事は普通に持ってるんですけども
そのフォトグラファーとしても
別で作品作りを続けている方ですね
なるほどじゃあちょっとね
皆さん興味ある方チェックしていただいて
ぜひ見てください
その月とニューヨークというキーワードが出てきて
ちょっと次週はスーパームーンですね
お話を伺っていきたいんですけど
もう一回皆さんに言っとくと
5月の26日がスーパームーンが
1年に1回だけ昇る
そうですね
今年は5月の26日
今年は2021年ですね
そうですね
皆さんで夜空を見上げましょうということで
もちろんです
じゃあ次週
お父様がカメラマンさんで
でもお父様から教えられたわけではなく
自然とカメラマンになるという不思議な現象ですね
本当だよね
そのお父さんの心境もちょっと興味があるけどね
えっ
っていうね
あんまいいって感じだけど
戻ってきたみたいな
全然仕事の話は家ではしなかったって言ってたけど
えー本当に
カメラマンにさせたくなかったのかね
どういう感じなのかね
そうなんですかね
よく芸能人の方でも
芸能人にさせたくないから話はしないけど
結局なるみたいな人も多いですよね
ね
だから本当に全然興味なかったって言ってたけど
飲食業界に進む
お子さんの写真を撮りたいがために
カメラに興味を持ち始め
そして
月を撮り始めるというのが面白いよね
面白いな
何が効くかわからないですね
ね
カメラ沼ってよく言うじゃない
カメラにこだわる人は
カメラのレンズとかこだわり出すと
高いしさお金もかかるし
あれも欲しいこれも欲しいってなる
この上が月
月にこだわるっていうのもさ
沼に
かなりはまりそうだよね
48:03
首ぐらいまで入ってるじゃないですか
11年目っておっしゃってましたけど
そこまで情熱を持ってできることがあるっていうのがすごいです
それはそれですとても
幸せなことだよね
本当にそう思いますよ
しかも前から違うお仕事されていてのキャリアチェンジだけど
そこに対してやっぱり不安に思う人とか
いいんだろうかと思う人も多いと思うんですけど
そこはすんなりとかもしかしたら
ストラブルもあったかもしれないけれども
キャリアチェンジをして自分の好きなことをやってるっていうのは
すごく魅力的ですよね
なんかでもさ
ニューヨークの売ってるカレンダーを見て
なんで季節感がないんだろうってことに
気づいたっておっしゃってましたけど
やっぱその四季
四季へのこだわりみたいなのって
日本だからなのかな
感じますよねこっちに住んでると
逆にだからこっち
カリフォルニアは特にもう
ほとんど四季がないっていうか
ないですからね
いやないですよね
ないよね
二季ぐらいかな
夏ぐらい
でも本当にその四季が
移り変わる美しさみたいなのに
こだわってるのはたぶん日本が
一番かもね
それも
それがきっかけの一つでもあると思うんだよね
だから四季感を入れよう季節感を入れようと思って
月とかに
いろんなことがあって
やっぱり
日本で
育って日本の四季を感じている
上山さんだからこそ感じられることで
そうだよね
ニューヨークで育ったカメラマンだとわからないアングルですよね
ところであれだよね
やっぱりその朝日
朝日が昇るとことか見たことありますか
朝日が昇るとことか
もしくは夕日
夕日はロザンペルスにいると太平洋に沈む夕日は
よく見ますよね海に沈むから
めっちゃ綺麗だよね
めっちゃ綺麗
沈む瞬間の空の色
本当本当
土屋さんでもサーフィンやってたら朝日見る機会あるじゃないですか
51:02
そうなのよ朝日の時間も
一瞬だけどめちゃくちゃ綺麗なのね
マジックアワーって言ってましたけど
あの時間って
なんだろうね
自然の力を感じますよね
ぼーっと見ちゃうよね
本当に
いやー面白いですね
そうだからこれが配信されているのは
5月の中旬頃なんですけど
間に合えばね
皆さん5月の26日にスーパームーンが何回もいますけど
LAにいても
東京にいても
どこにいても見れるはずなの
そうですね確かに
そんなこんなで
次回の話はどんな感じです
そんなこんなで
次回の話が
スーパームーンを撮るための
ビハインドザシーン
準備だったり
大変なわけですよ
いろいろと
ちょっと知らなかったんですけど
1台に1回でしかも
やっぱり撮る角度によっては光が
その辺のちょっと深い話を
掘り下げておりますので
上山さんのこだわり
ただのスーパームーンじゃなくて
やっぱりその時にも
撮る作品に対してのこだわりがあってね
その辺に迫っております
はい
楽しみにしております
リアルアメリカ情報
このコーナーではですね
ロサンゼルスより最新の
ビジネス生活情報をお届けしておりまして
今回はプレミアムスポンサー
スカイアス様のご提供という形で
インタビューをさせていただきます
今回のゲストスピーカーは
インターン生の美穂さんです
よろしくお願いします
ではちょっと簡単な自己紹介をお願いできますか
簡単な自己紹介
鈴木美穂と申します
54:00
現在24歳で
去年の2020年1月から
今年の2021年の3月末まで
インターンとして
アメリカのニューヨークで
働いていました
大学を卒業されてすぐに来たって感じですか
そうですね
なるほど
実際に今されている
具体的なインターンの内容を教えていただけますか
私が働いていた会社では
日本のものを輸入して
アメリカでどうやって売っていくか
例えば焼き物だったり
チョークだったりクレヨンだったり
日本で生産したものを輸入して
アメリカでどうやって売っていくかという
マーケティングと
日本の企業さんで海外に進出されたい方の
コンサルティングというか
どうやったら海外に進出できるかという
サポートをしていました
美穂さんの業務の内容は
具体的に言うとどんな感じですか
そうですね
今お伝えしたことを全般
携わっていたんですけども
日々の業務としては
会社で
消費者向けのオンラインショップも
持っていたので
カスタマー対応だったりとか
海外に進出されたい企業さんへの
市場調査のレポートを
作成したりしていました
市場調査ということは
アメリカの企業とのやり取りも
結構あった感じですか
私たちが行っていた市場調査というのは
日本の企業さんが
海外で売りたい商品
例えばティーポットだったら
アメリカではどういうティーポットが主流なのかとか
実際にお店に足を運んでみて
どういう風に売られていて
箱のデザインだったりとか
中身はどうなのかという細かなところまで
調べてレポートを作成していました
確かにそれは現地にいなきゃできないお仕事ですよね
実際にお店を回って
写真撮ったりとかもしてらっしゃったんですね
なるほど
それはでも見たいですもんね
日本の企業さんにしてみて
どういうものが売れているのかとかね
なるほど
もともとインターンをされる前に
海外に興味を持たれたきっかけは何ですか
小さい頃から英語に触れる機会が多かったことと
57:00
私の周りの人たちで
日本以外のバックグラウンドを持っていた人たちが
多かったというのが一番大きい理由でして
小さい2歳の頃から英会話を習っていて
体を使って歌って踊って覚える英会話を
始めたんですけど
そこからスタート
小学校の頃には家の近くに
インターナショナルスクールがあったんですけど
そこに夏休み限定でサマースクールに通っていたり
とか
結果そのインターナショナルスクールに中高と通うことになり
大学は
全ての講義を英語で行う大学にいたので
私自身は
日本生まれて日本育ちですけど
周りにいたクラスメイトや友達は
帰国子女だったり
日本国籍以外を持つ人たちだったり
今までに長期留学をしていた人たちばかりだったので
そういう人たちに囲まれていたから
そういう人たちの考え方って
自分と違うな面白いな
行動の仕方も違うな面白いな
というところから興味を持ったというのもありますし
あとは単純に小さい頃から洋画とか洋楽が好きというのもありました
インターナショナルスクール
二中学校から通っていたということは
英語はほぼほぼネイティブに近いんじゃないですか
私が言っていたインターナショナルスクールは
日本よりのインターナショナルスクールだったので
基本教科の国語算数とか科学とか
そういうのは日本語でやって
でも英語の授業は自分で選択して
取りたいものだけ取るというような
自由な学校だったので
日本語をちゃんと日本語で勉強しつつ
英語も飲ませていけるような学校にいたので
ネイティブまでは行かなかったですけど
英語はずっと学んでいました
いろいろあるんですね
知らなかった
ちなみに大学で専攻されたメジャーは何だったんですか
メジャーは国際経営
国際経済ですね
もうじゃあ
一直線というか
インターナショナルスクール
インターナショナルな感じで育ってきて
そのお仕事をされていた感じですね
はい、ずっとインターナショナルな環境にはいました
多分いろんな国籍の方が周りにいたと
おっしゃってたんですけど
なんでアメリカまたニューヨーク選ばれたんですか
そうですね
大学時代の時に初めて
長期留学を
私の人生で初めて長期留学をしたんですけど
1:00:01
その時に自分の人生が変わったというか
大げさですけど
たった1年の留学ではあったんですけど
自分でもびっくりするくらい
家族とか友達とかもびっくりするくらい
自分が変わったと言いますか
今まで自分に自信がなかったり
自分の意見をちゃんと言えなかったんですけど
自分に自信が持っていて
自分の意見をちゃんと言えるようになったというのが
自分の中で大きな変化があって
たった1年で変われるのであれば
もう一度アメリカに行って
今度は学生としてではなくて
インターンとして行くことによって
さらに何か吸収できるのではないかな
と思ったのがきっかけで
ニューヨークを選んだ理由は
今回ビジネスとして行くので
ビジネスの中心であるニューヨークで
多くのことを学びたいと思ったことと
文化交流として
一つの街にいろんなバックグラウンドを持った人たちが
集まっているのでさらにいろんな人と
交流できるんじゃないかなという意味でニューヨークを選んだこと
ですね
自分で気づいたんですか
変わったっていうのは周りから言われたんです
気づいたのか
自分で私変わったわみたいな
そうですね
ちょうどその留学が終わる頃に
就活を始めるタイミングがあったんですけど
今まで興味があった企業とは
また違うところに興味があったりとか
企業にエントリーシートで出すことあるじゃないですか
そこに文章を書いている間に
自分のことについて
理解が深まったなって
そこで多分私が留学した時に
アジア人の少ない地域にわざと行ったんですけど
その時に日本代表じゃないですけど
そういう感じで自分のことを話したり
日本のことを話したりすることによって
自分に自信がついたり
自分のバックグラウンドを知ることができたのかな
っていうのがあるんですけど
特にこれで気づいたっていうのはないんですけど
でもそういう日々の積み重ねで
自分の中で何か変わったんだなっていう風に思いましたね
外から中を見れたような感覚なんですかね
そうですね
自分のことも1回見つめてみたみたいな
1:03:02
インターンをやってみようと思って
実際にインターンをされるまでってどういう流れだったんですか
インターンをするまでは
大学を卒業して
就活とか
次のお仕事をする時に
どうしようかなって思ってた時に
今までの自分のバックグラウンドがあったので
海外で単純に働いてみたいなっていう
思いがあったんですね
なので何かいい方法はないのかなって思ってた時に
姉の友人が
海外でインターンをして
そのまま就職をした人がいるよっていう話を聞いて
どういう働き方もあるんだと思って
私の中では海外の大学を卒業してないと
海外でそのまま働けないっていう考えがあったので
その考えを
その考え
新しい働き方もあるんだっていうのに気づいて
社会的に
調べて
チャンスがあるのであれば
飛び込んでみたいなっていう風に思って
エージェントさんを見つけることができて
インターネットで探して
スカイアスさんを発見して連絡してって感じですか
そうですね
なるほど
スカイアスさんに決めた理由ってのはあるんですか
実際に
インターンだったり
他の就労ビザで働いている人たちの経験談
体験談っていうのがたくさん載ってましたし
海外インターンとはどういうことなのかっていうのを
全く分からない状態だったので
そういう初歩的なことから全て説明してくれてたんですね
実際に私がやるって決める前に
一度お話したことがあるんですけど
スカイアスさんと
その時も丁寧に最初から
こういうスタートから始まって
こういうことが起きてこういう風になっていきますよっていうのも
全てお話してくれたので
お任せしようという風に思いました
それは助かりますよね
何も分からない状態だったら
いつから説明してもらわないと不安ですしね
なるほどなるほど
このインターンを経て
どんなことを学んで
その学んだことをこれからどういう風に活かしたいか
っていうのを聞いてもいいですか
インターンで学んだことは
もちろんたくさんあるんですけど
特に日々気をつけていたこと
っていうのが一つあって
自分の常識を疑うっていうのを
常に心がけていますね
1:06:00
確かに
日本で働いていても
どこで働いていても
同じことが言えると思うんですけど
自分の母国でないところで働いていたので
日本で生まれ育った常識
これだからだいたいこうだろうみたいな感覚で
何にも接していたら
やっぱりミスコミュニケーションが起きて
仕事上だったら契約が
最悪発揮になったりとか
っていうこともあるので
何事においても柔軟に対応できるように
自分の考え方に
縛られていたら
いざ新しいことが来た時に
心も体も追いつけなくて
パニックになっちゃうと思うので
いつでもウェルカムできるように
スタンバイしておこうって思っていたのは
ありましたね
仕事においても生活面においても
それは両方気をつけていたこと
素晴らしい
すごく納得できますし
今後これから
インターンとか考えている方にも
これはぜひ伝えておきたいですよね
そうですね
これからの展望というか
何かあるんですか
これから
まだしばらくアメリカに残ることは
決まったんですけど
海外にいる日本人だからこそできる
ということを引き続き
していきたいなと思っています
今までこのインターンでやってきたこと
日本の企業さんを助けるのでもいいですし
何かしらの形で
日本人だからこそできることを
できたらなと思っています
それは
サポートを
もらえたということなんですかね
実はこっちの方と結婚をしまして
そうなんですね
やり手だな
じゃあこっちに
住まれるんですね
今のところはそうですね
今のインターンしている企業さんで
もう一応契約というんですかね
プログラマーが終了してしまったので
また別のところだったり
今はグリーンカード申請中で
働くことができないんですけど
働くようになったらまた
インターン先に戻れたりというのもあると思うので
いろいろ考えようかなという風には思っています
1:09:01
素晴らしい
ありがとうございます
ちなみにどこで出会われたんですか
留学時代に
そっかそっか前にも
お付き合いは長い
そこそこ
留学はニューヨークじゃなかったんですよね
留学は
ペンシルバニア州のピッツバーグというところに
インターンを決めたのは
自分が海外で働いてみたかった
ニューヨークで働いてみたかった
別の理由なので
全然場所は違うんですけど
ピッツバーグに行かれるってことなんですか
そうですね
またアジア人が少ない地域で
また新しい
新しい生活
そうか
よかったですね
なんかすごいな
いろんな人生の天気が一度に来てますもんね
本当に
2020年
いろんなことがありましたけど
いろんなことがあって
素晴らしい
では最後に
これからインターンを考えている方
興味がある方に向けてメッセージをお願いできますか
私が
インターンとしてアメリカに来たのは
2020年の頭でして
来てすぐにコロナが起こって
大変な状況でいろいろ影響もあったんですけど
その中でも来てよかった
経験できてよかったと心から思えるので
これから状況が良くなって
全力で文化交流プラス
インターンも楽しめると思うので
もし少しでも興味があるのであれば
チャレンジしてみてはどうかなという風に
私は思います
今回みたいに美穂さんは長期のインターンという形で
いらっしゃいましたけど
実際にアメリカにもいらっしゃるOPTの方の
ご相談とかにも
スカイアスさんが乗ってくださるということなので
OPTの方とか
あとは短期のインターンを希望されている方も
ご相談をされてみてください
最後にですね
プレミアムスポンサーの
スカイアス様のご紹介をさせていただきます
スカイアスは世界6カ国
11都市に拠点を置くグローバルエデュレーションブランドです
海外留学ですとか
1:12:02
スタディーツアー
あとは海外インターンシップ
ジュニアキャンプ オンラインプログラムなどなど
グローバルへのきっかけをつくる
詳細は
www.skyas.global.com
もしくは
www.america-intern.com
にてご覧いただけます
このウェブサイトの中にも
会見談がいっぱい載ってたりするので
興味ある人は
ぜひ見てください
そして
お気軽に問い合わせしてください
ということで
今回のリアルアメリカ情報は
ニューヨークにインターンでいらっしゃっている
美穂さんにお話を伺いました
ありがとうございました
ありがとうございました
以上 リアルアメリカ情報でした
それでは
締めのコーナーです 質問
はい 質問
さおりちゃんがちっちゃいころは
星 見えましたか
星はめっちゃ見てましたよ
あ そう やはり
なぜなら 山梨県甲府市という
高い建物があまりないところで
星の輝きを見つめ
非常に貴重な時間を過ごして
育ちました
今でも帰ったら見れる
見れます 見れます
ぶわーって感じ 天の川も見れちゃう感じ
あ うん 裸眼で
細かいのも見れるかなって感じですね
美穂さんは
実家は豊田市ですけど
まあまあ田舎ですけど
やっぱりね 長野とか
山梨は行ってないかな
長野県に行った時に見た星は
やべえと思ったけどね
小学校の時の
キャンプかなんか
川べりで見て
何のキャンプだか忘れてない
兄貴もいたのよね その時に
みんな空を見続けてて
1:15:00
うちの兄貴が口を開けたまま
空を見てて 先生に
お前口開きっぱなしだぞって言われてたの
の光景を今思い出した
そっかー でもそうだよ
美穂さんのところは
確かに
都会ではないけれど工業地帯
だから明るいのかな
一応工業地帯なのかな
トヨタ自動車がもちろんあるから
そんなに高い建物ないですよ
田んぼもあるしね
だけどやっぱりもっと
もっと田舎の方に行った方が見れる
そうですよね
でもやっぱりアメリカに来て初めて
ラスベガスに行く途中の道
砂漠の中で見た星空っていうのはもう
あの感動は忘れられないですね
日本よりも?
全然違いました 星の数ってこんな
何百枚もあるの?っていうぐらい見えました
ほんとほんと
確かにね
セダナとかも綺麗だった
絶対綺麗でしょうね
ベガスの間のジョシュアツリーとかね
あの辺も
そうなんですよ
やっぱり日本は国土が狭いから
どうしてもどっかに明かりがあるんですよね
そうだね
国土の広くで砂漠の多いアメリカだと
ほんとに何にもない真っ暗なところで綺麗な星が見えますよね
あと日本ってあの
雲が多いような気がする
カリフォルニアが少ないのか
そうかもそうかも
確かにそうですね
ここはよく見えるのかな?
わかんないけど
なんかそんな星空のことをね
上山さんの話を聞いてると思い出してしまったの
そうですね
ということで今回お届けしました
インタビューの内容またリアルアメリカ情報の
インフォメーションはブログに掲載しております
podcast.086.com
podcast.086.com
または1%無情熱物語で検索してみてください
はい皆さんからのお便りをお待ちしております
そしてパトロンさんからのご支援も
引き続きお待ちしています
はいということで今週も聞いてくださってありがとうございました
ありがとうございます
また来週お会いしましょう
じゃ