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2023-12-03 37:28

vol.044「とある書籍からイキルを考える」康太郎雑技団チャンネル

今回は、あっきーさんとMoさんと代麻理子さんの書籍「9月1日の君へー明日を迎えるためのメッセージ」をもとに生きるについて語らいました。

サマリー

今日は、康太郎雑技団チャンネルの始まりです。チームメンバーが集まり、お互いの出会いや活動について話し合っています。この本は生きることをテーマにしています。自殺の要因は複数の要素が絡み合っていることが分かります。生きることに希望を持つためには、自信を持つことや自分を可愛いと思えるような要素を見つけることが重要です。そういうことを考えると、社会の問題や社会の構造についても考えることができると良いですね。こうしたことを聞いて、ちょっと希望的な気持ちになるんですが、こうたさんがお話しになった内容から思ったんです。

チームメンバーの出会い
はい、康太郎雑技団チャンネル始まりました。このチャンネルは、つくるをテーマに空間と時間を共にした仲間がそれぞれが持つ発行させた技を対話を通しつつ、さらに次のつくるを実現する番組です。
康太郎です。よろしくお願いします。今日はですね、この組み合わせは初めてですね。
はい、あっきーさんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
そして、もうさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんか照れちゃいますね、お互い。この前、都内で会ったのにも関わらず。
やっちゃいますね、なんかあそこだとなんかザワザワしてて、なんか立ち読みだったし、ここ全然普通な感じで、なんか、
へい、康太さんみたいな感じですね。
なんかその東中野の雑談というあれは、何て説明すればいいんですか?
バー、クラフトビールと?
クラフトビールと、
ホットキャストのスタジオ?
まさに。
なんか素敵な場所でしたね、あそこ。
ワイワイとね、来ていただいて、なんかすごいたくさんいらして、
いっぱいありましたね、びっくりしました。
ほんとに。
もうさんに会いに来ました、的な感じの雰囲気が良かったですよね。
皆さん本当は、ご自分たちでも会えるんだと思うんですけど、
なんかこうきっかけ、なんか海外に住んでる私が行くとみんなこうね、忙しいけど、
ちょっとたまにだからみたいな感じで、言い訳にされてるだけですね。
自己表現の誤解
いやいやいや、そんなことないです。
今日ね、本当にお招きいただきというかありがとうございました。
こちらこそありがとうございます。
ちょっと一言お断りをね、始める前にね、
お二人は例えば海外に住んでらっしゃったこととか、
あとは海外に行かれているすごい近しいお友達とか、
そういった方っていらっしゃいます?今まで。
僕ほとんどないですね。
僕住んでることもないですし、近しいって言うと家族とかでもないですね。
そうですか?
はい。
あっきーさんは?
僕もそうですね、会社の仕事の関係で何回かロサンゼルスとかに行った以外は全然ないし、
周り結構なんか最近ちょこちょこと移住したりとか、海外に住んでる人いますけども、
そこまでしたらちょっと危ないかな。
そうですか、じゃあなんか異質ですよね、私たぶんね、
ほとんどのもう半分以上、大人になってから半分以上も海外にいるので、
一応日本語は喋ってるんですけど、ほんと語彙も足りないし、
たぶん文言ストラクチャーとかもおかしいはずなんですよ。
なんか考えてるのが飛んでるらしいんですよね、やっぱり。
まあ性格もあると思うんですけど。
で、一個も悪気がなくて、皆さんを傷つけたりとかするようなことを言いたいと思ったことは一個もないんですけど、
私の表現で、あと言葉遣いとかが直接的すぎたりとかして、
ちょっと違和感を感じられる方とかもいるかもしれないんですよね、これを聞いていて。
だからすごく違うんですよ、やっぱり海外在住で、しかも長くいると。
なるほど。
性格的にも、だからこっちにいるのかもしれないんだけど、
ズバズバ言っちゃう方なので、でも別にそれがなんていうのかな、
傷つけたいとかも攻撃したいとかではなくて、
分かり合う途中のこのステップだと思っちゃってるっていうのがあって、
私はじゃあ、あなたがそう言うなら、私はこう思うけど、その瞬間はなんかちょっと、
反対の意見を言っちゃうかもしれないんですけど、
それは本当に皆さんが言ってることを知りたいからであって、
別にそれでなんか喧嘩をしようとか、攻撃しようとかしてるわけではないんですけど、
そういうことが、もしなんかちょっとあれと思っちゃったりとかされるかもしれないので、
それをね、ちょっと気をつけていきたいと思うんですけど、私も。
だけどもし、あれ、何もうさん、なんかそんなって思ったら、
そういうなんかことがあるので、バックグラウンドで。
あの、その話って結構大切だなって思ったというか、
僕、それこそ甲太郎さんのキャンプ出るまでは、
そういうのに対して免疫がなかったのかもしれないんですけど、
淡いキャンプも含めて、甲太郎さんのキャンプ出始めてから、
いろんな人と、いろんな立場のいろんな人と話す機会が増えたんですよね。
それまでは会社の中の人とばっかりが中心だったんで、
今みたいな話は、なんとなく僕にとっては、
あ、まあそうですよねって、普通というか、普通っていう風になってきてるんですよ。
ただ、ももさんがおっしゃる通り、聞いてる人があって言われると、
聞いてる人、誰が聞いてるかわからないので、
そういうお断りは、ああ、理解しましたって感じですかね。
そうですね。
本当に妹とかと話してて、妹もちょっと海外に行ったことあるけれども、
ずっと大人になってからは会社にずっと勤めていて、
一般的なサラリーマンというか、そういうのをしてるわけですよね。
だから、そうすると、なんか全然全く違うので、
言ってることが、やっぱりお姉ちゃんおかしいよとかって、
よく言われるんですよね。
やっぱ感覚が違うって言われるんで、
逆に面白がられて、ちょっかい出されたりしますけど、
それおかしいとか言って、でもそういう差があるので、
ぜひフォローしてください。
それわからないとか言っていただけると、説明できればしたいと思うんですけど。
はい。
そうですね。
じゃあ早速、内容というか、今日のテーマ。
もともとこの3人でちょっとやりましょうっていう話は、
かれこれ3ヶ月前ぐらいから話してたかもしれないですけれど、
その時の1つのテーマになったのが、
大丸子さんの書かれた、9月1日の君へっていう本ですよね。
これがきっかけだったというふうに思ってます。
僕まだ全て読み切ってないんですけれど、
もうすでにこの本すごくいいなっていうふうに感じているっていうところがあるんですけど、
お二人はこの本、ちょっと出会ったきっかけみたいなのを聞かせてもらえたらなというふうに思うんですけど、
アッキーさんどうですか?
僕、そもそもこの大丸子さん、大丸さんっておっしゃる方なんですけど、
そもそもで言うと何年ぐらい前なんだろう、5、6年前かな。
会社員時代にオンラインサロン、今音声配信のプロデューサーとかやってる野村さんと、
あとしだらさんがされてるコミュニティ、立ち上げられていたのに入っていて、
そこで大丸さんと会って、そこで少しお話しするようになったのが、そもそも出会ったきっかけで、
割とそこからすごく編集やられたりとか、インタビューやったりとか、文章を書かれたりとかって、
いろんなことをされるようになったので、すごいなと思って見ていた感じだったんですよ。
そうしてたら、YouTube始められて、すごい面白い配信、面白いわけじゃなくて、
すごくいろんな人とつながって学び、もともと学びの好奇心みたいなものがものすごい方だなと思っていたので、
それがすごく炸裂した番組だったので、すごくそれが面白くて、
そこからいろいろ、また改めてすごい人だなと思っていたら、
隣町コーヒーですかね、そこでいろいろやり始めたので、そこでまた少しずつ交流するようになったみたいな、
そういうきっかけでしたね。
あれですよね、隣町コーヒーといえば、僕も学校時代に習ったことがある平川勝美先生が主催されていて、
内田辰さんでしたっけ、がそこで話をされたりとか、
最近の感じでいうと、近内ゆう太さんもそこで講演をされたりとかっていう風な感じの、
ちょっと僕一度も行ってないんで、実は2月に行く予定はあるんですけど、
みんなでそこで同窓会をやろうみたいな話があるんですけど、
ちょっと1回行かなきゃいけないかなみたいな、
で、その中からアキーさん、この本を手に取ったのっていうのは、
本当はじめは大森さんが本出すんだかと思ってた、それは書いたいなと思っていたのと、
本の紹介で本人が書かれていた文章がやっぱりすごく響いたというか、
自分の書くきっかけになったとか、そういうきっかけでYouTubeもやり始めたんだみたいなことを聞いて、
これはぜひ読んでみたいなというところでしたね。
なるほど、目が通さん。
ももさんはどうだったんですかね。
私は古典ラジオをね、コロナに入ってから家にこもらなきゃいけないということで、
古典ラジオをはじめの友達に教えていただいて、
そこで深井さんのお話とかがめちゃくちゃ好きだったので、
深井さんを追っかけてたんですよね。
それがきっかけで小太郎さんにもお会いしたんですよね。
深井さんがはじめに桜村ジョーに出られて、
本当ごめんだけど深井さんよりすごくないって思っちゃった瞬間から、
あの時からだったんですけど、これは置いといて、
その後深井さんが今度、
Eスコープだっけ、何スコープだっけ、
アスコープだっけ、
アスコープという番組を始められて、
それがまた面白くて、そこに橋爪大三郎さんが、
先生が出られたんですよね。
私が古典ラジオのリスナーコミュニティに入ってるんですけど、
そこでやっぱり歴史強者とか読書強者とか、
めっちゃ強い人たちがいっぱいいるんですけど、
そこで私、橋爪大三郎先生の話めっちゃ大好きとか言ってたら、
あるやっぱり読書強者の方が、
そんなに好きなら大麻里さんっていう人が、
YouTubeを未来に残したい授業をYouTubeやってらっしゃって、
めっちゃ橋爪先生出てらっしゃるからっておっしゃって、
それでそこから大麻里ちゃんのYouTubeを見るようになったんですよね。
ああ、そうなんですか。
それでもう本当にいろんな先生に、
お話、こうなんていうのかな、
担当直入にお話、いろんな質問をされて、
なんて素晴らしい人なんだろうと思って、
しかも無料でいろんな方にお話を聞いてもらいたいっていう、
そういう志みたいなのを感じたので、
それで大麻里ちゃんには、
私の家を毎日お祝いしようっていう雑談番組をやってるんですけど、
そちらに来ていただいて、
どうしてそんなことをやってるんですかっていう、
3人も子供いてすごく大変で、
それで私びっくりしたのは、
あっきーさんその前の時にニュースピックスとかの関連の時からご存知で、
それも私インタビューというか大麻里ちゃんに聞いた時に、
実はそこでいろんなつながり、
インタビューとかをするつながりを作れたし、
その時にどうやってアプローチをしたらいいかも知ってたので、
いろんな有名な本当に著名な皆さんに出ていただくことが、
しかも全然フィードがなくて、
全く無料で出ていただいてるっていうことを聞いたんですよね。
それでそのうちに、
当然この本につながったっていう感じなんですけど、
やっと作りましたって言ってね、
その対話が結構元になってできている本なので、
そういうことでちょっと長くなりました。
なるほど。
そうか。
YouTubeあまり見ないので、
未来に残したい授業がYouTubeですか?
ちょっと違います?
そうです。
そうなんですよね。
ここから多分この本に対する印象とか、
考えみたいなところが話していけばいいかなと思うんですけれど、
やっぱり思いですよね。
9月1日の君へっていうタイトルは、
そうでもないんですけど、読み解いていくと、
やっぱりこう、死というものに向き合うというか、
当然のことながら、
間違っていたら言ってくださいけど、
9月1日に自殺をする人が多いって、
特に子供が多い。
そこに課題意識を持って、
いろいろと語られている、いろいろな方との語り、
いろんな人のメッセージがこの中にふんだんに入っているっていう風な本だと僕は思っているんですけど、
一方で、
僕が感じているのは、生きるっていうことの話でもあると思っているんですよね。
その死という、自殺というキーワードが出てくるんですけど、
死というものを題材に、だからこそ生きていく大切さであったりとか、
親との関係があったりとか、
生きることのテーマ
すごくそういったところがストレートに伝わってくる内容だなっていう風に僕は思ってたりとかするんですけれど、
みなさんは何かこう、この本の中でここはちょっと聞いてほしいんだよねみたいなところあったりしますか?
僕はですね、今言ったように死っていうテーマではあるんだけども、
やっぱり書いてくださっている方々を見るとやっぱりバリエーションがすごくて、
教育的な側面もあり哲学もあり、
そもそも心理学だったり、生物学者の方もいらっしゃったりするっていうところで、
ちょっと重い話で、よくありがちな話って、死なないようにするために、
生きるってこんなに素晴らしいことなんだよとか、死ぬってこんなに人を悲しませることなんだよみたいな、
そういう話になりやすいのかなと思ったんですが、
そもそも根本が、学びたいみたいなところも、
結構それがなりまりさんらしいなとちょっと思ってたんですけど、
そもそも死ってどんなことなんだろうとか、
そういう好奇心みたいなものを結構感じられる気がしていて、
それを突き詰めて学んでいきながら、
そういうのを考えているうちに、生きることへの興味が湧いてくるとか、
死というところから少し離れていくとか、
死がもうちょっと身近に感じられるみたいなところもあったりするのかなと、
そういう感覚がすごく面白いなと思ったというか、
良い悪いとかよりも、いろんなことを考えることに。
そうなんですよね。
っていうのが面白いなと思った。
入り口が本当にいろいろあるんですよね。
すごく、
生物学の人の部分のところでいくと、
生きていることは美しく素晴らしいことだ、みたいなことで、
しっかりとタイトルがそこからグッと入っちゃって、
僕は引き寄せられたりとか、
する部分もあったりとか、
いろいろ感じたところはありますよね。
脊椎動物って今、生きているだけですごいことだ、みたいな、
陸で生きているだけですごいことだ、みたいなことを言っている人みたいな、
そういうものを見るとちょっと面白いなと思って。
モウさんはどうですか?
ちょっとお二人に聞きたいのは、
自殺をしたいということに対しての問題意識というか、
そういうのって感じたこと、今までありました?
こういうお話を。
最近本当にシンガポールもそうなんですけど、
本当に過去最悪の自殺の、
このティーネイジャーの自殺の数がすごい増減して、
膨大に上がっていて、
日本も実はティーネイジャーの自殺の数が、
自殺数が交通事故とかでなくなるよりも、
死亡原因の一番なんですよ。
シンガポールもそうなんですよ。
そういったことに対して、
私もちょっとだけですけど教授をやってたりしたことがあって、
やっぱりなぜそういう生きると死ぬがあるときに、
死ぬを選んじゃう子がいるんだろうっていうのが、
すごく私としての一般市民ですけど、
課題というかなぜなんだろうっていう気持ちがすごく、
ちょっと若い時からあったんですよね。
そういった感じのことは、
お二人は今まで触れてきたことがあるというか、
感じたことがあるというか、問題意識として、
課題として出てきたこととかってありますか?
僕はそれこそ死にたいと思ったことが、
過去ありましたと。
そうか。
それが、
高校生の頃と、
社会人になって、いろいろあってっていうようなところがありましたと。
一方で、
生命保険の会社に勤めているので、
死に対する考え方っていうのは、
普通の人よりも免疫もあるし、意識もあると思うんですよね。
その中において自殺というところで考えると、
当然自殺はしてはいけませんというふうに思ってはいるんですけれど、
そのさっきのモーさんの質問に答えるとするならば、
なぜそういうふうに思うかというと、
やっぱり生きることから逃げたいというか、
生きている間苦しいことが続くから、
もう耐えられないから楽にしてほしいっていうところで、
考えるのかなっていうふうに思いますと。
高校のときは本当にそこまで考えてたかというと、
高校だけそんなこと考えてなくて、
別に学校生活嫌だったわけじゃないし、
そこで何かいじめを受けてたわけでもないんですけど、
ふとした瞬間に、僕はそこで、
自分自身の存在意義がないと思ったんですよ。
なぜか、これもう全然思い出さないんですけど、
ある瞬間降りてきたぐらいの感じでそういう時があって、
母親とか父親にも相談したし、
結構それを切れ気味に相談したわけじゃなくて、
冷静に。
なんで自分っているんだろうなみたいな。
いる必要あるのかなとか価値あるのかなみたいなことを
親に話してたりとか、
友達の、
好きだった女の子にも話してたような気がしますね。
多分えらい気持ち悪かったと思うんですけど、
そんなことないと思うけど。
その女の子から言われたのは、今でも印象的なのは、
やっぱり人生、生きてれば悪いこともあるけど、
その分いいこともあると。
バランスだよみたいなことを言われたっていうのは、
衝撃的に覚えてますね。
でも、死にたいと思っても、
まだ冷静だし、
ただいなくなっても平気かなって思ったぐらいってことかな。
多分そのときの高校のときは、
自殺の要因
自分の存在意義がないから、
いてもいなくても一緒なんじゃないかと。
僕の中でですよね。
親からしたら何言ってんだって言われましたけど、
親からしたらもういてくれるだけでいいんだって話だったんですけど、
僕はそのときそう思ったっていう話ですね。
そっか、やっぱり。
あっきーさんはどうですか?
僕はね、今言われてまたいろいろ思い出そうとしてたんですけど、
正直言うと、死にたいと思ったことは多分ないんですよね。
そこまで、確かに会社員時代、
自分のことは全然好きじゃない時期もあったし、
嫌いな時期もあったし、
あんまりこの先いいことないなと思った時期もあったんですけど、
でもあんまり死ぬって考えたことはなくて、
会社員時代も一回やみかけたことがあったんですけど、
そのときはわりと身近な人とか、
気づけば毎月給料の何倍かぐらいの洋服を買って、
カードの請求が給料を超えるぐらいの買い物をして、
ストレスを回避してた時代もあったんですけど、
でもそれがあったから無事なんとか、
そのお店の店長さんと仲良くなって、
そこだけが休みの日のリラックス、息抜き場所みたいな感じになってて、
っていうのはあります。
でも実際そういう感覚はなくて、
むしろ最近社会人になって思うのは、
これはすごい言い方として、人としてどうかなと自分でも思うんですけど、
死ぬ死なないすらは自分本人の、周りの人の感情抜きにしてですけど、
別にそれは選択肢の一つという感じに思っている自分もいるんですよね。
良いとか悪いとかはあんまり考えたことがない。
自殺がダメっていう感覚はあんまりなくて。
それでじゃあ今お二人の何となくお聞きして、
私が問題意識を持っていて、
こういう、やっぱりだいまりちゃんとつながったのも、
めちゃくちゃその問題意識というか、
自分の中で本当にチョイスがあるのに、
生きるというチョイスと、生きたくないというチョイスがあるのに、
なんで生きない方を選んでしまうだろうというのは、
私は実はめちゃくちゃシンガポールに来てからすっごく寂しくなって、
それまで寂しいということを感じたことがなかったんですよね、多分。
だけど、一人ぼっちで親も近くにいないで、
でも自分はパーンて自分で決めて、
すごい何もかも自分の思い通りになってきているのに、
もし今日ここで私がいなくなっても、
もしかして何週間も誰も気づかないかもとか思ったときに、
これはもう自分がいなくなってもいいかもって、
多分この感覚はコウタさんと似てるかもしれないですけど、
存在意義がなくなってたの。
でもそのときに深く、
じゃあ死んでみるとしたらどうしたらいいだろうとかいろいろ考えて、
痛いし汚くなっちゃうし、ちょっと嫌だなと思って、
それで辞めたっていう経験があって、
そのときは結構今喋って笑ってますけど、
結構シリアスに自分としては考えていて、
自分もそういう思いをしたけど一応戻ってきたと辞めたと、
死ぬことは辞めたと、ちょっと嫌だから。
それでそうじゃない人たちはどこまで追い詰められてしまうんだろうって、
生きることよりも生きないことの方が楽なんじゃないかって、
思っちゃうんじゃないかって本当に思ったんですよね。
それでそれをすごいやっぱり大丸ちゃんが初めからすごい問題意識を持って、
この9月1日の君へっていうシリーズを先生方と撮ってたんですよね。
それで私としてはやっぱりいろんなことを知ることが、
その人にとって生きる方が楽とかではなくて、
生きることに希望を持てることなんだなっていうことがちょっと分かったと。
私の中では負に落ちてきて、
そのためにはいろいろな、
子じゃないかもしれない大人かもしれないけど、
その人に負に落ちる、生きていきたいと思える、
そっちの方がいいんだよってチョイスできる知識とか、
だからリベラルアーツとかいろんな分野の人たちが出てくるじゃないですか。
だからその誰かわからない子たちに刺さるようにいろんな分野の先生方が、
その分野の角度から生きるについてを、
語ってくださってるんじゃないかなっていうふうにはちょっと思ったりしたんですよね。
なるほど。
これはすごく思いましたね。
そうなんですよ。この本は生きるための本なんですよね。
生きるをテーマにした本だと思うんですよ。
すごく思うんですよね。
だからそっちを選んじゃうってことは、やっぱり希望がなくなるからですよね。
生きることって大したことないと思っちゃうんですよね、たぶん。
分かんないけど、どういうふうに思う?
だってお腹が空いちゃっても、たぶんお腹空いてもやっぱり死んだ方がいいと思っちゃうだろうね。
食べたいというよりもね。
だからそのためには生きる方がいいよって教えてあげないと。
なんかそうなんですよね。
僕も今、ストレングスファインダーとかを使って、
編集をしたりとか個人向けに話してるので、
それで少しでも気持ちが楽になる人が増えればいいなっていうのはやっぱり、
どっかにある、どっかにてか割と僕の中心にはあるんですよね。
強みを伸ばして仕事を成功させようとかじゃなくて、
自信がない人がちょっとだけ自分を可愛いと思えるようなところを見つけてくれるだけで、
ちょっと今より頑張ろうかなとか、
落ち込んでる人が少し笑えるようないい加減になるんじゃないかなっていうところもあって、
それはすごくそういうスタンスっていうのはどこかある気がしているんですよね。
スタッフの精子の話を言うと、
死にたいと思っているというよりも、
今の生きている場所からいなくなりたいみたいな感じなのかなと思っていて、
決して死にたいわけではないのかもしれない。
そういう選択なのかなって思うので、
ここにいたいとかいていいって思えるような気持ちになってくれれば、
少しでもそういう感覚が減るのかなと思います。
複数なものが絡まっているような気がしていて、
この本にも書いてありましたけど、
自殺の要因って一つじゃないよみたいなことを書いてあって、
複数のことが絡み合ってみたいな話がありましたけど、
人間らしくあるために必要なエッセンスって、
いくつかの切り口とか、いくつかの要素があるような気がしていて、
それをたくさん知ることが大切なんだよっていうのが、
この本からのメッセージなのかなと思ったんですよね。
社会問題の見つめ
ある種、目的とか目標は目標に縛られなくていいよみたいなことも書いてあったりとかするし、
今の社会においてそういうがんじがらみになってない中で成長してきて、
成人まで向かってみたいなことじゃなくてもいいんだよっていうことが結構書いてあったりするので、
社会構造的なところの問題もやっぱりあるのかなと思ったりとか、
ちょっとあちこち話題が言っちゃってますけど。
そうだと思います。
でもそれを知らないまま、限られたコミュニティというか、
例えば家族の中だけとか、そういった小さな家族といっても親戚、学校とか、
すごい限られたところにいると、
そういうことが社会構造を上から見たりとか、
今最近流行ってるけど、メタニッチとかするようなきっかけが、
親御さんの代でも、そのまた親御さんというか、うちで言うとうちの親ぐらいだと思うんですけど、
おじいちゃんおばあちゃんの代でも、そういったことをきちんと学んだことがないと、
見れないわけですよね。
その社会構造の中で困っている自分っていうのは。
だからそれをやっぱりいろんな視点から、いろんな著名な先生方から聞くっていうのは、
めちゃくちゃ必要だと思うし、これをどれだけの人たちが読みこなせるかっていうことも、
私は問題点だと思ってるんですけど、
でもYouTubeで聞く人もいれば、先生の顔を見て話を聞ける人もいるし、
本にして初めてわかる人もいるし、いろんな理解力のことがあると思うんですけど、
そういうことをやっぱりその社会問題としてというか、
社会の構造に行ってしまう自分っていうのとかも見つめられるといいなとは、
ちょっと希望的なんですけど、そういうことも思ったり、
こうたさんがお話しされた中で思ったんですけど。
死についての話
個人的に今の話も含めて思ったのは、
こういう本ってせっかくこれだけいろんなジャンルでやられていて、
いろんな視点から死ぬこと生きることについて考えられるので、
それを意図しているのかもしれないけど、
親子で話すとか、学校で話すとか、病院で患者さん向けに話すとか、
そういう対話のきっかけであったりとか、
ある程度の、なかなか本当に真意を考えている人が、
これ読んでどうかなるかっていうとなかなかそうはいかないぐらい、
ジャンルがちょっと広すぎてなかなか難しいと思う。
普段からそうやって当たり前にこういう話ができたりとか、
いろんな角度から話ができていると、
それが少し頭に残っていることでとか、
それをネタにいろいろ対話を繰り返していくことで、
ちょっと変わっていくような感じがあるので、
そういうのができるとすごくいいんだろうなと。
そうですよね。
やっぱり死に対してあまり話すのは良くないんじゃないかという思い込みとか、
話題に出していけないんじゃないかみたいな、
性教育もそんなような世界ってあるかなと思うんですけれど、
やっぱりこういうことに対してしっかりと会話とか議論をして、
理解をするっていうことがやっぱり大切ですよね。
今、秋坂がおっしゃったように親子での話とか、
そういう社会課題一回向き合いながら、
まず身近な人同士、身近な人で話せなかったら、
ちょっと少し遠い人でもいいと思うんですけれど、
自分に話ができるような感じだといいのかもしれないですね。
そうですよね。
そうやって、
誰だっけ、他人の薬を、
自分の薬を作るか、
坂口公園さんの、
あれもワークショップみたいな内容を本に書いていたんですけど、
そんなふうに、
誰かの相談とか悩みをオープンにみんなが聞いていて、
それを聞いている人が割と、
あの人もそう思ってたんだなとか、
そうやってオープンにこういうものを話していったり、
自分の悩みとかみたいなのを話すことで、
他の人も解決していったりとか、
そういうのも結構有効なのかもしれないなと思った。
どうしても狭くなるというか。
そうですね。
そろそろお時間もあっという間に来てしまっているんですけど、
ちょっと一旦ここまでで、
今日のここまでの話の振り返りとか感想を聞ければと思うんですけど、
ももさんどうですか。
全然これ多分尽きないと思いますね、このネタは。
そうですね。
このお話がさせてもらえて私はとても嬉しくて、
私がお二人にこういうことの問題意識ありましたかって聞かせていただいたことが、
多分今これを聞いてくださる方々が、
その場で多分考えてくださると思うんですね。
お二人の答えも違ったので全く。
だから多分これを今聞いてくださっている、
聞いてくださっている方ももしよかったら考えていただいて、
本当に周りで起こることなので、
突然起こることなんですよ、これってね、実は。
本当にね、いろんな方が、
芸能人の方とかでも突然実施を選ばれる方とかがいて、
そこでまたちょっとその後のね、
実施に対してのグリフケアとかっていうところが私はちょっと興味があって、
勉強したいなとは思ってるけどいろいろお話を聞いたりしてるんですけど、
そういうこともあるので、まずはね、
問題を意識って言って真剣に考えることはないけど、
でもそういうことは起こることがあるよっていうことをね、
まず大人がわかって、
しかも子どもたちにもちゃんとちょっとずつこう、
会話ができるようになったらいいなとか思ったりはするんですよね。
だからありがとうございました。
ありがとうございます。
お話できてよかったです。
アッキーさんどうですか?
そうですね、なんかさっきのコータさんとかが言われた、
生きることについて考えるって本当にそうだなと思ったし、
さっき性教育の話のチラッと出ましたけど、
そういう話って本当に子どもの頃からやっておくってすごく大事だなと思って、
なんか言い悪いじゃなく、死ぬっていうことはこういうことなんだよとか、
そういうことを普通に話せる、
当たり前に話しておくことが、
もしかすると将来的にすごく大事になってくるんじゃないかなっていうのは、
今日の話でここはすごく思いましたね。
なるほど、ありがとうございます。
じゃあちょっと、
次回もこの辺りをテーマに話ができればなというふうに思いますので、
今日は一旦ここで区切らせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
37:28

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