1. 丹羽には、にわかに庭が広い。
  2. 大学生らしさが肉付いていくか..
2023-05-12 33:02

大学生らしさが肉付いていくから、忘れないうちに 死にたい を切り分けて考えたい

はじめてゼミの呑み会に参加した丹羽です。20名ほどとなるとやっぱり箸も口も進みません。
自分の過去のことを話すコーナーでは昔からあった希死念慮ちゃんの変化を思い出してみました。忘れた頃に大きな気持ちになってなにも考えられなくなる前に細かくしておきたくて話しました。
だから洞窟の中のライトのようなポジティブさではないけど、洞窟色のライトみたいなそんな感じです。
重たかったらすっ飛ばしてください。
オープニング
養鶏場
掘り起こし
エンディング

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00:04
5月12日、第54回目のにわにわにわかに庭が広いです。
5月のゴルデンウィーク明けの1週間の金曜日です。
ゴルデンウィークの最後の土日は、天気があんまり良くなかったので、
なんだかなぁと思ったまま、月曜日を迎えて、それがこの金曜日まで、こう、
過ごしているなっていう感じで、やってましたね。私の住んでいる関西県では、この土日、天気悪くなるみたいなので、
土日に天気悪くなるの、月曜日に関わるので、やめてほしいなぁと思うんですけど、
本当にしばらく最近は、1週間に1回は雨を見ているなぁと思うんですけど、
ゴルデンウィーク明けてなんか、もやもやーっとしていたので、ネットショッピングをずっと見てて、
別にそこのもやもやーっとしていたところに、ネットショッピングがしたいっていう理由があったわけじゃないんですけど、
なんとなく時間潰しというか、日を紛らわすというか、そういう意味でAmazonとかYahooショッピング見ていて、
それでレインシューズを買おうと思って、それが日曜日からネットショップ見てて、結局注文したの水曜日で。
そういう生活というか、そういう時間の潰し方してましたね。
昨日ちょうどレインシューズが届いたので、この土日の雨に備えて、雨靴を履いて外に出かけることができます。
2話の陽景所、このコーナーでは私2話の最近あった出来事をお話しするコーナーです。
今週の火曜日、5月の9日にゼミの新入生歓迎会というか、新入生ではないですね、3年生歓迎会がありまして、
自分の学部学科は3年から各先生のゼミに配属されるんですけど、そのゼミの4年生主催で3年生歓迎会が開かれまして、
総勢10人10人プラス先生ぐらいの20人超えないぐらいの人数で3年生歓迎会があったんですよ。
大学も3年となると、歓迎会って言ってもティータイムみたいなのとか、レクリエーションの時間っていうわけにもいかず、
お酒の席なわけですよね。なので、できれば参加したくないなと思いながらいたんですけど、
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出なきゃいけないよなぁと思って、なんとなく憂鬱な気持ちで参加してましたね。
自分は小さい時というか、小学校ぐらいまでは地域の家の近所の、なんだろう、なんていうんですかね、父母会みたいなのでの飲み会に子供がついていくみたいなところでの20人以上の食事会、ご飯会、飲み会には行ったことがあるんですけど、
この自分が飲める年齢になって、同学年、または1個上の先輩と20人で飲むというのは初めてだったので、その初めてということへの緊張と不安があったし、
親と子が一緒になっていくようなご飯会飲み会の場で、全然食事もオードブルとかで出るんですけど、そこのものを全然食べれたことがなくて、
なんだろう、俗に言うというか、会食不安みたいなものがあるタイプだったから、そういう面での不安、憂鬱もあって、その5月9日始まる前まで緊張、不安でいっぱいいっぱいになってましたね。
そもそもゼミの授業時間枠の中で、あまりグループワークとかもなく、もう黙々と個人的に論文探して読むとか、もう卒論書き始めるみたいな作業をしている時間が多いゼミなので、
そもそもそんなに喋らなくても済むから、私は全く喋らずにいたんですよ。
教室の窓の方に座って、時々窓を見ながら、決して人のいる方は見ず作業をすることにしていて、なので全く喋らず、喋らずにいたんですけど、
その飲み会という場で喋らないという行為は何を思ったか、とても目立つなと思って、それなりに喋らなきゃなっていう謎のプレッシャーを自分でかけたんですよ。
その、多少喋っておけばステルスできると思って、逆に印象に残らずに済むと思って、多少喋るという行為をしました。
わざわざそんな表現を使って、喋りましたっていう話を一人喋りしてるって謎な状況が続いてるんですけど、
この多少喋ったことがきちっと出るか、今日と出るかは分かりませんが、なんとか終わりましたね。
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にしても、飲み会って、何なんですかね、私にはやっぱり苦手なものだなと。
その、あんまりご飯食べれないし、コースの方が安いからってなって、そういう時だと20人で何分コースってなって時間制限あるような感じが、逆に変えれない感を醸し出しててきついし、
20人もいるから新刊だしっていう意味も兼ねて自己紹介が入るしっていうもん。
いろんなことが盛りだくさんで、やっぱり苦手だと思っていました。
思っていましたというか、なんであるんだこれと思って、別になくても20人集まらなくても良くないみたいなことは思ってしまったし、
お酒の席でなくても良くないって思ってしまってましたね。
その、結局20人で集まったとて、テーブルごとになってしまうというか、この宴会場みたいな場が10人のテーブルで、ちょっとだけゆとりもって座れるようにもう1個4人ぐらい掛けの机があるみたいな場だったので、
結局5人のまとまりとか、真ん中はどっちに入っていいかわかんないみたいな状態になる5人とか8人とかのまとまりで喋ってるから、
20人で飲む意味は果たしてあるのだろうかと思ってしまったし、
20人いないと、そして居酒屋じゃないと普段喋らない人と喋らないよねみたいな感じできっと集まってると思うんですけど、結局話題はそいつの話をあっちでしててなんやねんってなるみたいな飛び越え会話みたいなのとか、
4とか3で隅っこで喋ってるのと、あっちで喋ってるのと、みたいななってるだけというかね、そんな感じがするから、何をもって集まってるんだろう。わざわざ本当にお酒を飲む意味はあるのだろうかと思っていましたね。
このポッドキャストの第49回で初めて居酒屋に行ったっていう話をしたことがあって、その時は中高の同窓生と行った、そしてあの頃との違いを考えてしまって寂しくなったっていう話をしたんですけど、
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今回この20人っていう大人数で初めて居酒屋に行って、でまあ新館みたいなこの同僚の飲みみたいな空間をね、初めて行って、悲しさとか寂しさではないけど、ああこういう空間に馴染んでいくことが大人なのかと思っていましたね。
あの居酒屋の匂いが臭いと思わなくなったらきっと大人なんでしょうね、と思っていました。
洗濯したんですけど、ちょっと匂い取れなくて私まだ気になってるのでね、その部分まだ子供です。
そしてまたちょっと別の話というか、その飲み会の場で自分の隣に座っていた4年生の方がいて、その方は喋らないというか会話に入らない方だったんですよ。
私から見た視点なので入れない、できないなのか入らないなのかは分からないけど、まあとにかく会話には入ってこなかった方がいて、こういう場苦手そうだなっていうのもなんとなくは分かって、自分も苦手だから。
もう終わりそうな、終わりそうだなって何回か思う瞬間があったんですよ、その飲み会が。
一通り料理が出たらしいってなって、一回シーンとした時間とかがもう始まって1時間ぐらい、1時間半ぐらいで訪れて、
なんかもう終われるんだったら終わりたいなと思ってたから、なんとなくその隣にいた4年生にもう終わりたいですよねって直接言うのも3年生の身分でそういうのもあれだなと思ったし、
なんかそれを言ってしまっては、本人も気にされるかなと思ったから、電車とかバス大丈夫なんですかって、全然大丈夫なんですよ。8時過ぎぐらいだったので、全然大丈夫なのは分かってたんですけど、大丈夫なんですかって聞いたら、
大丈夫っていう、あのー、LINEスタンプで言ったら、初期に入ってるあの白いね、ムーンの全部一本線で描かれた笑顔みたいなスタンプあるの分かりますか?
まあ人に、相手によってはちゃんと笑ってるようにも見えるし、こっちの気持ちとしてちょっと苦笑いが入ってるような感じがするなっていうあの絶妙な表情のムーンのスタンプ、分かりますかね。
あの表情で、全然バスとか電車とか大丈夫って言われてしまって、その4年生に、ふん、わーってなっちゃって、まあそりゃ電車とバスのね時間大丈夫なの分かって聞いてたのもあるんですけど、
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なんか大丈夫ではないよなぁと思ってて、まあ自分ももう大丈夫ではなかったんですよ。帰れるなら帰りたいっていう状態だったので、だからなんかなぁと思ってて、まあ質問が良くなかったなぁと自分で反省はしたんですけど、
私だったら全然電車とバスは大丈夫なんだけどね、ちょっとねーって帰りたいなーみたいな一言を出せる空間だったらいいなーって思ってしまって、
あんまそういう空間じゃないんだなーっていうのをちょっと察してしまった。なんて言うんだろう、ちょっともう帰りたいなーを、漢字じゃない人が出せる空間じゃないんだなーっていうのを肌で感じてしまったところがあって、
ずっとお話に入ってこなかった4年生のお隣が、その全部仕切ってる方だったんですよ。私とそのあまり喋らない4年生が喋ってるのを見てすかさずその漢字の人がね入ってきて、
どうしたーって言ってきて、まあ優しさではあるんだろうけど、なんだろうなぁ大丈夫ですって言っちゃう場なんだなここはと思ってしまったので、なんなんだろうなぁと思ってしまっていました。
庭の掘り起こし。このコーナーでは私、庭が思い出した過去のことを話すコーナーです。
庭の掘り起こしは3回目ですね。まあ1回目2回目とやってきてて、その中でなんていうんですかね、今にも繋がるし、繋がるからこそ大きすぎて言えない過去のことがある。
でもどっかでなんか言わなきゃなーとかちょっとずつ言わなきゃなーとか、そんなようなことを言ってはきてて、まあ今回もというか、その大きい出来事について話すつもりはないんですけど、
なんかそれが、それ含め絡んでくるような感情、気持ちのことを、昔に振り返りながら話そうかなと思っていて、その感情っていうのは、ライトな表現を使ってもそのまま言っても死にたい気持ちのことなんですよね。
今回はそんな話なんですけど、なのでこの気持ちをどこまでそのまま言えて、でもその死にたいっていうでかい言葉だけになっちゃった時が一番しんどいっていうのを自分ではわかってて、なんて言ったらいいかな。
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どんな死にたいなのかっていうのがわかんなくなって、とにかく死にたいっていう言葉だけが自分の頭とか心から浮かんできた時が一番危ないことを自分でよくわかってるから、だから言えるうちにそのままどこまで言えるんだろうって、今回は自分を試そうとしているところがあります。
なので、いろんな意味で重たい、かい、ではあると思う。自分でもそう思ってる。今がマックス値でそうの気持ちがいっぱいだっていうわけじゃないから逆に喋れてるんだろうなって思ってて。
なので、以降は重たいので、いや、もともと多分このコーナーは自分に喋ってるところが強すぎるから。
あははは、なんかおかしいポッドキャストのコーナーかもなって思ってたんですけど、今回は特にそれが強いので、あはは、自分に喋ってるんだこいつはと思って、すとばしていただいた方がいいかもしれない。
じゃあ喋るなよって話なんですけど、でもこういう時じゃないと、こういう時、別に思い詰めてるわけじゃないんですよ今日、あはは、なんですけど、なんだろう、こういう場じゃないと、私はまたその大きい言葉で逃げてしまうのだろうと思って、それがいつかまた来ると思うと怖いから、喋れる時に喋っておこうみたいなのがありまして、そんな感じです。
その、喋れるうちに喋っておこうみたいな、かなりだから、ここ最近生まれてきた気持ちではないんですね、この騎士燃料は、あはは、私は、うーん、スイマみたいな頻度で、騎士燃料の悪魔が、うーん、小3ぐらいから、まあ今も来てて、まあスイマは言い過ぎなんですけど、
なんだろう、騎士燃料に人格を与えるというか、この悪魔としてこう捉えられるような表現になるかなと思って、スイマと並べてみたんですけど、その、もちろんというか、小3ぐらいからあったこの騎士燃料ちゃんと、今の騎士燃料さんは、あはは、全く違うもので、
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小3の頃の楽しい嬉しいとかが、今の楽しい嬉しいと違うのと一緒かなとは思うんですけど、まあ一緒じゃないかもしれないけど、死の恐怖っていうのがわかるのって、うーん、なんか、ちゃんと勉強してるわけじゃないけど、あはは、
人類多分、成長の過程上、発達の過程上、だいたい10歳よりちょっと前ぐらいとかなのかなって思うんですけど、それだから本当に小3のちょい前ぐらいとかなのかなっていうか、その、死の恐怖って終わったらどうなるかわからない、うーん、深さみたいな、何も見えないみたいなのが、
ただただ怖かったんだと思うんですよ。まあ、そりゃそうなんですけど、その、当時ね、小3の時に思ってた死にたいみたいなのは、なんかすごい、だから、ライトなもので、うーん、例えばインフルエンザの予防接種が怖くてとか、
音楽の時間にある発表ができなくて、体育ができなくて、恥ずかしくて、そういうイベントごとの前に、自分が終わればいいって思ってたような、うーん、キシネンジョちゃんだったんですよ。だからなんて言いたいんだろうな、あはは、この表現が正しいかどうかわかんないけど、逆中二病みたいな、俺が世界を滑るものだ、とか、お前のことデスノートに書いてやるみたいなんじゃなくて、
あの、本当に逆の感じ、内側に向いて、なんて言ったらいいんだろうな、そんな感じ。だからまあ、ライトな、まあ自分が終わればいいみたいな、簡単な死にたいみたいなこと言ってたけど、結局それはちゃんと怖かったんですよ、死ぬのが。
怖かったんですよ。だから、まあ自分の場合ですけど、当時の死にたいっていうのは、キシネンジョというよりかは、楽しいとか悲しいみたいな、最初に覚える感情概念?感情を表す言葉の一つみたいな感覚だったのかなとは思っていますね。
自分の中では、その、ヤバイみたいな、ヤバイはちょっと広すぎるけど、そういう本当に大きい単語の一つになってる部分はあるんじゃないかなって思います。
小学校の時とかって何にも分からずに、小学校の時とかだからこそなのか分かんないけど、割と死ねっていう友達とか、死ねっていう友達とかっていうか、なんかいましたよね、そういう人。そういう人っていうか。
21:07
だから、なんか、死にたいみたいなのも、そういうかなりライトな部分での表現として、きっと当時はあったんじゃないのかなっていうふうに思ってて、だんだんなんていうか、年齢を重ねるにつれて、人に言えなくなっていくような感情に変わっていくんだろうと思うんですけど、
まあその、当時の死にたいとか死ねっていう人がいたみたいなのも、あくまでこれ私の主観で感じたことだから、本当に最近の若者はとかっていう種語に変換してほしくない話ですね、この感じはね。
まあ、昔の人がどうだったかは分かんないからこそ、そういうふうに言ってほしくないなと思ってるんですけど、まあとにかくどんどん年齢が上がっていくにつれて、死にたいっていうのを、なんか人に言えなくなっていくようになると、私は感じていて。
感じていてというか、そもそもどうなんでしょうね、小学校の時にそういうの感じない人もいるからね、よく分かんないけど、自分の場合は年齢が上がっていくにつれて、大きい感情を表す死にたいっていう気持ちじゃなくなっていく感覚があったというか、なんかもっと細かくなっていく感じ。
そのさっき言ったみたいな、体育とか音楽恥ずかしいからみたいな、大きなイベントごとの前をきっかけにして起こる気持ちとかじゃなくて、本当に具体的なもともと持った原因に結びついて、
うーん、既死年女が、こう、単なる死にたいじゃなくて、消えたいとか、生まれてこなければとか、いらない子なんだとか、具体的に方法を考えるようになって、いったなぁと、振り返ってみれば思って。
うーん、そんな感じに私は、こう、そのね、既死年女さんがね、そばにいたり、一体化したりしながらいるんですけど、最初のそのライトな、ライトなというか、大きい気持ちだった部分での死にたいみたいなのは、もう恥ずかしくてっていうのが、多分一番の原因だったんですよ。多分。
で、それ以降、だんだんこう、なんか、いろいろ減っていく中で、具体的な原因に結びついて死にたくなるっていうのは、うーん、原因って言ってるから、うーん、もう出来事なり自分の性格、特性とかから、まあ、死にたいが来てるみたいな言い方になっちゃってるんですけど、
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自分は、あくまで自分はですけど、なんか、既死年女が先にあって、それに後付けして、自分はなんとかだからとか、なんとかのせいで、みたいになっていくっていう感覚が近い感じがしますね。
だから、本当に小3ぐらいの時に、あー恥ずかしい、死にたい、みたいな、短絡的なのと、今のそういうのは違うなっていうのは確かに感じていて、なんていうか、こんなことをつらつら喋ってると、
現代のその、表明でもなんでもない、とても広い意味で使われるようになった言葉で言ったら、メンヘラみたいと言われるんでしょうけど、まあそういうんじゃないだろうと自分で思ってるし、そのなんていうかな、メンヘラを売りにされてる方というか、この表現はあまり良くないとは思うんですけど、
なんかそういう界隈の方とかからしたら一緒にされたくないと思うような感覚だろうと思うんです。
かといって正常かと言われたら正常ではないでしょうっていう。とにかく正常でもなければ、まあ健康にも見えないよなぁとは自分でも思っていて、
健康には見えない、正常には見えないよなぁっていうのが、自分で思っている部分がどういうとこかっていうと、今現在大学に通っていて卒論とかゼミ入ってするわけですけど、そういう一個の大きなことを達成しようと持続するモチベーションが続かないのを自覚してて、
で、まぁサークル入っててもやることはあるし、やりがいもきっとあるんですけど、本当にモチベーションがゼロになったまんまだったりとかして、そういう部分の原因にずっと持ってる大きい気持ちが含まれてるよなぁというか、含まれるというか、ほとんどそれが原因じゃないかなぁなんて思ったりしていて、
あとこのポッドキャストで何度も言ってる、大人になりたくなさの原因とか、それこそその過去の中高時代の大きいことをずっと引き続けたまま、なんかこう具体的な感覚に引きずっているみたいな部分の原因とかにはなってる気持ちだよなぁこれと思って。
27:00
なんか健康ではないだろうなぁとは思うんですけど、でもそのね、小3ぐらいからかなり長くこの騎士燃料ちゃんを持ったまんまいるわけで、これはある意味個性だろうとか、開き直りじゃないけどそんな部分もあって、開き直りではないですね。
でもその死にたいっていうのを消すのは生きてる上で無理なんだろうなっていう、なんかある種悟りみたいなのは自分の中で出てきたりもしてて、これが生きてる上で消えたら自分は一体どうなるんだろうなって考えるというか、それが幸せなのかとか、
それで完全に消えるということがあったとしても、下手したら急にやっぱ思い出す、騎士燃料ちゃんのことをね思い出したら反動が大変だろうなぁとか、そんなことも考えてて、何なんだろうなぁこれと。
自分のその、いろんなことをする上でのモチベーションがゼロになるポイントがこの気持ちなんだよなぁっていう、この気持ちの変化みたいなのを過去から振り返ったなぁって。
なんか結局なんでなんだろうっていう、この気持ちを持ってしまったのはなんでなんだろうっていうところには至れなかったけど、でもなんだ、その今回、最近本当にモチベーションがないなぁっていうことの原因を考えたり、まぁいつも考えたりとかはしてるけど、
原因を考えてるから、この気持ちが出てきたわけでもなく、この気持ちそういえばずっとあったなぁと思っていて、それがなんか振り返ってみようというか、そんなポジティブな気持ちで振り返ってみようってやってるようなことではないけど、
なんていうか、気持ちだけを取り出して振り返れるのは、逆に死にたいっていう気持ちしかないんじゃないかなっていうのはちょっと思ったなぁと思って。
楽しいとか嬉しいとかのポップな感情だけを気持ちを取り出して振り返るってなんか一続きじゃないなぁと思ってて。
点と点で思い出すような楽しいとか嬉しいの出来事ってあるけど、マイナスはずっと線で続いてるような感じがしたから、なんかだから自分のこの具体的な出来事を振り返るというよりかは、このぼんやりとした気持ちがなんか線で見えたような気がしたから。
良かったわけではないけど、そういうのが出来る時間でしたね。
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なんかこういうのって良かったとか悪かったとかっていう評価をつけたくはないから、終わり方に困ってるんですけど。
だからこう、楽しいとか嬉しいとかのそういうポップな気持ちがちっちゃい時から変化してるみたいなのを探るっていうのも出来たらいいなぁとは思いましたね。
そろそろ第54回目を終えようとしているところです。
庭の掘り起こし重かったかな?どうだったんだろう。
自分でもこれは重たいぞと思って、なるべく何回もワードは言わないようにしてたけど。
ちょっと難しいっていうか、重たいですねこういうのね。
ゼミの3年生歓迎会の話から始まって、なんていうかな、ゴルデンウィークも終わって、
大学生活が大学生だぞ、みたいな色づき方を具体化し始めたから。
そうなってくると、自分は自分のことを取りこぼすだろうと思って。
で、そうなって気づいたら、大きい気持ちしか感じられなくなることが多分あるだろうと思った。
感じられなくなるというか、そういう言葉が細かく出てこないだろうっていうことが多分あると思ったから。
これは観測点として置いておこうと思って。
だから本当に、自分に喋ってたかも、この会話。
不思議と細かく喋る、気持ちを細かく喋ることへの怖さとか恥ずかしさは、そういえばなんですけど、
フォトキャスト始めてから、なんか、そんなに怖くなくなってきた気がするから。
ちょうどいいタイミングだったのかなと思いつつ。
まあ、そういう観測点みたいな会でしたね。
次回は好きなことをとっても喋る会にしようかなと思います。
緩急が激しい。相変わらず。
また、荷のつく日には庭がにわかに広い庭を開きますので、お楽しみに。
では。
33:02

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