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2023-11-23 35:21

vol.042「私たちは子供たちからどんなGift(恩恵)をもらったのだろうか?」 康太郎雑技団チャンネル

今回はおかちゃんとMayumiさんに登場いただき、子育てについて振り返り子供たちからどのようなギフトを受け取っているのかについて語らいました。”そこにいるだけでいい”♪

サマリー

私は、子育てを通じて、親が子供からどんな恩恵を受けることができるかを振り返りながら、赤ちゃんの存在が人を幸せにするだけで十分な価値があることに気づきました。子供の成長に目を向けることで、母親自身が自分の考え方や見方を変えることがあります。親子の関係や子供の学習能力について考える中で、子供がどれだけ成長しているのかに驚きを感じながら、自分自身が子供の成長を見くびっていたことに気づきました。赤ちゃんの成長や育児中に夫婦のコミュニケーションが増え、育休は非常に貴重な時間だと感じられます。

子育てを通じた気づき
康太郎雑技団チャンネル始まりました。このチャンネルは、つくるをテーマに空間と時間を共有した仲間がそれぞれが持つ発行させた技を対応を通して、さらに次のつくるを実現する番組です。
みなさんこんにちは、こんばんは、康太郎でございます。
今日はですね、ちょっと子育てについて振り返りをテーマに、ちょっといろいろと話をしてみたいなというふうに思っておりまして、
今日はこの方たちにお越しいただきました。まず、岡ちゃんよろしくお願いします。
はい、岡です。よろしくお願いします。
そして、まゆみさんよろしくお願いします。
お願いします。
はい、では、お二人とも初登場ということでありがとうございます。
そして、まゆみさんの後ろにはお子さんが。
ちょっと早速出てきました。
早速出てきてということなんですけど。
今日は子育てを通して、僕らが以前もちょっと話したテーマではあるかもしれないんですけど、学んできたこととか気づきがあったことということで、いろいろとお話ししていければなというふうに思っておりますが、
お二人のお子さんの、今おいくつぐらいなのかをまずちょっと聞いてみたいなというふうには思うんですけど、まゆみさんのうちはどんな感じですか。
うちは上が小1で、下が4歳の両方女の子です。
可愛い。
可愛いですよね。
今ちょっとチラチラになってきました。
顔が。
顔が綺麗に、顔だけで映るっていう。
背景にこう。
背景に。
いいですよね。岡ちゃんのところはどうですか。
うちは生まれたてで、今5ヶ月になったところで男の子ですね。1人です。
5ヶ月。
だから子育てというか、赤ちゃん。まだ子になってない感じです。赤ちゃんって感じですけどね。
5ヶ月だと今どんな状況なんでしたっけ。うち11歳の娘なんですけどしっかり忘れちゃってて。
今は寝返りをするかなぐらいです。
まだ離乳食が始まってないよぐらい。
夜はまあまあまとまって寝るよぐらいですね。
なるほどなるほど。そっか。まとまって寝て、だいたいちゃんと規則正しく寝始めたぐらいですか。
そうですね。うちの寝る才能がすごいあるんで夜10時間ぐらい寝ます。
すごい。
続けで。
うらやましい。
今一番多分手がかからない、親にとってはまだ動き回らないし寝てくれるし離乳食もないしみたいな。
今一番いい時期です。
ちょうどいいあんまりのときなんですね。
出かけるチャンス。
そうですね。
そっか、なるほど。
じゃあそんな感じで、うちは娘が今11歳、小学校5年生。
最近は口答えも当然してきて、いい感じに面白い話し相手に僕にはなってくれてるんですけど。
そんな感じですね。
じゃあそこからいくと、子育てとか子供と一緒に過ごしてきて、学びみたいなところとか気づきみたいなところを共有していきたいなと思うんですけども。
じゃあおかちゃんからいきましょうか。
そうですね。さっきも言った通りうちはまだ赤ちゃんなんで、赤ちゃんからの学びみたいな、結構そういう感じになるんですけど、まだ性格とかもまだよくわからないぐらいなんで。
でも私はすごい、自分にとっては割と大きな気づきが日々あるんですけど、赤ちゃんってまだ生物なんですよね。
生物。
まだ人ではないって言ったらちょっと語弊がありますけど、子育てみたいになってくると結構社会性の面での話が出てくると思うんですよね。
優等生だとか、別に優等生じゃなくても読書が好き、スポーツが好きとかって、人間社会を形成した上での特徴とかの話じゃないですか。
だけど赤ちゃんってそれがまだないので、本当に生物的な存在なわけですよね。
で、ちょっと話長くなっちゃうんですけど、私、人生を生きていると自分が何を社会に貢献できるかってことを結構考えちゃうんですよね。
だから自分の価値ってなんだろうとか、社会にどう貢献できてるかなとか、仕事を通してとかって考えちゃうんですけど、それが全て私の人生ってなんだって考えるのが社会性によるものなんだなってことにちょっと気づくんです、赤ちゃんを見てると。
だから、要は赤ちゃんって何にも生み出してないじゃないですか。未来はありますけど、今はまだ見えてない。何にも生み出してなくて、だけどこんなに人を幸せに、親を幸せにしてくれるんですよね。
本当にそこに存在しているだけですごく価値があるって、私は今の自分の人生をそういうふうには捉えてこなかったので、何を生み出せるかとか、社会的な評価というか、社会という物差しでいい人生だなとか、こういう人生を送りたいなって思ってたのが、
ニコニコしてるだけでいい、オールオッケーみたいなことって本来の人間の姿なんだなって、結構そういう物差しを壊されるような赤ちゃんを見てて思うっていうのがすごいありますね。
今の話を確認すると、どちらかというと、社会に対してどうあるべきか、どういうことができるかっていうのをずっと考えてたんだけど、赤ちゃんを見るとそういうのは必要ないというか、ただ存在だけでいいんだ、そこにいてくれるだけでいいんだ、みたいな。
赤ちゃんの存在と社会性のバランス
だから、ひるがえって自分がここにいるだけで私はいいんだっていうほどは、現実的にはそこまでではないじゃないですか。何かした役割とかをしなきゃいけないんですけど、大人になるにつれて赤ちゃんはニコニコするだけでこんなに人を幸せにしてくれるのが、生物性100だとすると、それがだんだん社会性がルールを守ってとか、それこそ犯罪を犯さないようにいったところから始まって、こうあってほしいとか、
こういうふうに価値を残してほしい、自分に対してもこういうふうに価値を残したい、こういう人生にしたいってなって、それがいつの間にか社会性100にバロメーターが、55時の時期もあるはずなんですよ、それこそ小学生ぐらいの時とか、分かんないですけど。
それが本来の人間的なものじゃなくても、全て社会性だけで自分を評価してるって、自分の物差しがいつの間にか社会性に乗っ取られてきたんだなーって、最初は人間性100だったのに、社会性100になったんだなーって、自分のこうちょっとバランスを崩していたかもしれない私みたいな、そういう感じ。
マヨさん、何か思うとこありますか?
そう考えたことなかったですけど、確かに言われるとそうですね、本当に赤ちゃんとか何も動かなくてもいるだけで、すごい価値があるっていうのが、確かにそう、今うちの子が小学生なので、その社会性とその性理性みたいな、確かにこう、社会性の枠が広がってきてるなっていうのは、なんか感じたので、今お話聞いて、なるほどってすごい。
から落ちた感じです。
なんか、僕もその疑問というか、その生物性、人間性から社会性100に移っていくっていうそのプロセスが多分あるような気がしていて、娘を見ていると、いつの日からか、今、まだ社会性に向かって、社会性100に向かっている最中だと信じてはいたいんですけど、信じたいんですけれど、
いつの日からそうなったのかなっていうのをちょっと考えたときに、ひょっとしたらすでに2、3歳の頃に親がコントロールしちゃってるのかなって思ったりしましたね。
ちょっと反省の弁を含めてですけど。
やっぱり。
それは何か心当たりがあるんですか?その当時の何かエピソード的な。
あの、春さんがこの前ボイシーで紹介してた本で、ケアしケアされ生きていくっていう本を今ちょうど読んでいるんですけれど、その中でやっぱりいい子でいなさいって。
親としては、周りに迷惑をかけないようにしようとか、例えば、スーパーとか外出したときに、子供がワーワー泣いたりとか、あれ買ってとか、それ欲しいとかっていうのを制するじゃないですか。
これも完全な親のエゴだと思うんですけれど。親がそうやって、ここではうるさくしちゃいけないよっていうところで静かにしなさい。いい子でいなさいみたいなふうに。
勝手にその親側のエゴを押し付けて、それによって子供は当然のことながら親の反応を見ているのでそれに従うみたいなところから。
社会性を植え付け始めてたのはその頃なんじゃないかなというふうに今話を聞いて思ってるんですよね。
で、それがどんどん保育園に入り、小学校に入り、小学校、高学年になっていくプロセスの中で、ちゃんとしなさいとか、いい子でいなさいっていうのをすごくこう、親だけ、親もちろんだと思うんですけど、親以外のところでも言われ始めて、周りをすごく認識している娘がいて。
で、きっかけは親にも関わらず、それを心配している自分がいるみたいな。
っていうのはありますね。
でもなんか今、お話聞いてると、でも必要な場面ってやっぱり社会の中で生きていくために必要な部分ってあるじゃないですか、社会的なルールって。
それこそ法律みたいなこととかに始まりですけど。
だから、その社会性が増えていくことは必ずしも悪いことではないんだけど、一方でその人間性、生物性の価値を持っていくというのは、
認められるのは結構親だけだったりするというか、本当にあなたはそこにいるだけでいいのよ、でも社会性ももちろん身につけなきゃいけないんだけどっていう。
社会100で存在を否定、社会を身につけないとダメだ、社会性を身につけないとダメだってなると話は違うから、
社会性を減らすというよりも人間性の部分の肯定をしてあげるのも親なのかなとか。
それは思いますね。すごい思う。
真由美さんの話はどうですか。
自己肯定感を高めるのが大事みたいなのをよく本とかでも書いてあって、今おかちゃんさんが言ったように、
いるだけでいいんだよっていうのが結構常にそういうのを伝えていくのが大事みたいなのをよく見聞きするので、
そういうことなんだろうなっていうところと、
あと社会性を身につけるっていうところが結構ルール一つ、
さばいじゃいけないですよっていう、静かにしなさいっていうのも、なんでダメなのかっていうのをすごい考えて伝えるようになったなっていうのは、
子育てをしてて思って、例えばお箸の持ち方も、なんでちゃんと正しい持ち方で食べなきゃいけないのか、
みたいなところまで、自分の中で掘り下げて子供に伝えるようにはしていて、
そこがすごい、今お話聞いててつながるなって思います。
今ですね、真由美さんが相当すごいことになって、2人の子供に囲まれながら今のトークをしているという、
後ろからどんどんどんどん。
いやでも、いるだけでいいというか、そこにいてくれるだけでいいっていうのはすごい、なんていうのかな、尊いですよね。
なんか気がついたら忘れてるんだよな。
私が赤ちゃんを見ているだけでいいって本当にそうなんだなって納得できてたのが、
私は兄が身体障害があるんですよ。生まれた時から障害があって、動けないし話せないし、かなり生活は大変だったんですけど、
一方で、でも私はそれがいろんな兄がいるのが当たり前で、親もすごく外出とかをしたりとか、公立の学校に行かせたりするような兄がいても困らない、
養護施設じゃなくてとかっていう親だったので、全然違和感なく暮らしてたんですけど、
でも、違和感なく暮らしてたからこそある時、私は自分の人生ってなんだろうって、社会に何を残せるかってことをずっと考えていて、
一方で兄は社会に対して、それこそ何かを仕事をするとかでもないですし、何かを作り出すとか生み出すとかをしていない存在なわけですよ。
障害者の方の中でも障害者アートを描いたりとかって人もいる中で、なおさらそういうこともできないので、
でも何かしらの価値はあるはずなんだけど、私のロジックでは何か説明がつかないことに大人になって気づくんですね。
兄の存在は全然肯定的なんだけど、私のロジックだと社会に何かを残すことが人生になってしまってるから、じゃあ兄はみたいな感じになったんですね。
それを考えていたんですけど、赤ちゃんを見てるとやっぱりそうなんですよ。
いるだけでよくって、赤ちゃんの場合はこれからニコニコしてる状態から社会性を身につける未来はありますけど、
でも身につけなくても正直いいなとすら直感的にですね。
頭で考えたらそうなんですけど、存在としてパッと見て赤ちゃんがニコニコってしてるとそれだけでも幸せっていう、
これが生命的なこの人間同士の幸せを感じるみたいな。
だから時間軸でいくとね、これから社会に出ていく日も来るんでしょうけど、でも直感的にやっぱり生物ってこれでいいんだなっていうので、
なんかそういうのもなんとなくだからやっぱりその兄の存在っていうのも、
社会性みたいなものが社会に何か残せなくてもやっぱり合ってるなみたいな、人間として存在してるだけで周りを幸せにするっていうのは、
母親の感じる変化
なんかちょっと二人目の兄とは別の社会性のない生物を身近に見てみて、
なんかやっぱ合ってるなみたいなのはちょっと嬉しくなったというか、
そういうこともやっぱり頭で考えすぎてたなっていうのはね、人生とはみたいなことをね。
それはうちも娘を見てるとやっぱり笑っていてほしいみたいなのが直感的にあるというか、
それはもう今の年でもそうだし、
多分この前も学校行って、学校研究じゃなくて父兄さん館みたいなのがあって、
子供の様子見てるとやっぱり学校で見る表情と家で見る表情がまた当然違ってたりとかするので、
やっぱり学校に入って一枚殻をかぶってるというか、
社会性のベールをまとってる感覚はあったんですよね。
そういう中で家に戻ってきて無邪気に勝手にやってる様子を見ると、
それだけでいいかなっていうふうに思ったりはしますね。
全然家と学校でとか保育園で見せる表情って違いますよね。
それを参観とか行くとやっぱり上の子も下の子も恥ずかしがるというか、
そういう自分をちょっと見られるのが恥ずかしいみたいな様子もあったりして、
もうちっちゃいなりに社会に入っていくみたいなのが今の段階なんだろうなっていうのが思います。
ぜひまゆみさんにも、私は赤ちゃん軸で話してますけど、
もうちょっとお子さん大きいんで、どうですか、子どもからの学び的な。
そうですね、子どもからの学び。
やっぱりちょっと話繋がりますけど、その社会性みたいにルールを守って、
学校とか集団生活とかってルールを守ってもらいたいところもあるけど、
でもやっぱり尖ってほしいみたいな個性を消さないでほしいなっていうのは思っていて、
自分の子だけしか見てないと気づかないんですけど、
他の子と一緒に並べてみるとやっぱりそれぞれ得意不得意も違うし、
考え方とか性格も全然違うなっていうのは他のお子さん見てて思ったりするので、
それを各々の個性を社会のルールで治したくないなっていうのが、
それを結構お育てしながら勉強していることで学んだこともいっぱいあります。
なるほど。
なんかそういうふうに言えるっていうのはね、
おそらく真由美さんがお子さんの個性をちゃんと認識できているというかね、
そういう守りたいもので伸ばしたいものだっていうふうに、
もうそういうふうに、なんて言うんでしょうね、
しかもそれを自分だけじゃ個性って伸ばせないから、
それを学校とかでも伸びる人って思えるっていうのが、
今やっぱ姿勢が垣間見えたような気がします。
なんか上の子が女の子なんですけど、
怪獣?恐竜の柄の傘をこれが欲しいって持ってきたことがあって、
そこで、それ3歳とかそれぐらいの時なんですけど、
それをその場で、いやいやこれは男の子だからみたいなっていう気持ちもあったんですけど、
それはすごい本人が気に入ってたので、
そこは別に男の子、女の子で持つものとか色とか、
そういうなんとなくバイアスがありますけど、
そこは別にあえてかける必要がないなと思って、
本人がやりたいようにやらせてよみたいなのとか、
結構、なんかその恐竜の傘の時にすごい思って、
そこからすごい意識してますからね。
へえ、すげえ。
うちなんて完全にバイアスかかってましたからね。
ランドセルの色ってどうしました?
ランドセル結局赤になりましたね。
でもいっぱいありすぎて本当に悩みますよ。
親が選んだ感じでした?
最終的には選択肢を出して、値段とか色々あったので、
そこから、でも本人だったんですかね、赤っていうのは。
ランドセル屋さんでいろいろ見て、
結局最終的に本人が赤かいってなりました。
うちも最終的に赤でしたけど、
赤推しで行っちゃったなって感じはありましたね、親が。
親が赤推しで、赤とかヤメルとかね、あるじゃないですか。
で、一瞬娘が白を選んだんですよ。
白もあるんですね。
白は勘弁してくれと。ちょっと汚れるから汚れが目立つ。
それは完全に親の都合ですけど。
色々見てて最終的に赤になったって感じなんですけど、
ああいうのもバイアスかけちゃう。かけちゃうつもりないんだけど、
なんかかかっちゃう時あるんですよね。
子供の個性と成長
今のまゆみさんの話を聞いて、恐竜のエピソードで言うと、
そういうところで自分自身も気をつけなきゃいけないんだなって思ったりしましたね。
やっぱり親の都合でっていうところ。
ありますね。
でもその、
お母ちゃんの話も
すごいですね。
味方化してすごいっていうか、そもそも前提としてお母ちゃんが
社会に貢献せねばならぬ、あらぬっていう思いが強いっていうのが
ありますけど。
それを赤ちゃんを見て気づかされるっていうのもすごいですね。
対比が、コントラストがすごいあるから。
いてくれるだけでいいっていうふうに対してね。
だから本当に私は頭で考えちゃうタイプなんで、赤ちゃんに対して
頭で考えない時間がすごく増えたんですよね。
だからもう、あ、かわいいみたいな感じですよね。
はい、かわいいみたいになって。かわいいってなんだとかじゃないじゃないですか。
ああ、かわいいみたいな。それこそ胸を打ち抜かれるような、
何これみたいな感じ。
だからもうそういう頭で考える価値じゃない、
うむを言わせる価値というか、幸せを影響を受けているっていうのが
結構その身体的な影響赤ちゃんから受けるんで、
もう本当に頭で考えてたなっていう感じですよね。
湧き上がる何かみたいな。
本能とか感性とかそういう世界ですよね。
そうなんです。だから人間の生の気の状態みたいなのを
ある意味神秘性だったりとかそういうことも含めて
すごいな存在だろうっていうのを思ってます。
一番かわいかった瞬間とかでどうだったんですか。
これはうーって打たれたみたいな。
そうですね。でもやっぱり最初って反射でしか生きてないんで、
その時代もかわいかったんですけど、
真っ直ぐ目を見て正面から笑いかけてくれるっていうのが
しばらくして出てきて、大人でもなかなか真っ直ぐ目を見て
にこって笑わないじゃないですか、大人同士で。
それをまさかこの間まで反射でしか生きていなかった赤ちゃんが
これをあっちに浴びかけているの?みたいな。
うんうん。
それをまさかこの間まで反射でしか生きていなかった赤ちゃんが
これをあっちに浴びかけているの?みたいな。
感じでもうすごい。
えー。
確かにな。
純粋な目で。
うん。純粋な目で。
うんうんうん。
なんかすごい100%自分を信頼してくれてるじゃないですか、赤ちゃん。
てか子ども。
赤ちゃんの世界の中ではもう親とかまだ少ない関係者しかいないから
その中にすごい、まあ母親であるっていう特権もあると思うんですけど
一番、私のことを一番に好きっていう
なんかこういうのを受け取って、なんかすごい
あれですね、こう今までの生きてきた中であまり親からとかはそんなに
感じなかったっていうのは別に普通の家庭なんですけど
そういうのはなかったです。
感じなかったけど子どもがすごいやっぱり
一番の味方みたいなのがすごい感じだなっていうのを赤ちゃん時代思い出しました。
うーん。
それって、まあ僕はあんまりダイレクトに感じたことがないんですけど
やっぱりそれは母親ゆえのっていう感じですかね。
ですかね、まあ一緒にいる時間は長いからね。
うーん。
うちはその今、夫も育休中なんで
見てると母親の特権がやっぱりちょっと薄いんですよ。
だからやっぱり一緒にいる時間だと思うんです。
だからこのままではなんか、お母さん大好きみたいな感じだと思ってたんです。
産もうやさず子どもってこうママ一番かと思ってたんですけど
今状況を見てるとパパが一番ママ二番になる可能性もちょっとありそうなんで
なんかやっぱり、わかんないですけど一緒にいる時間とかっていうのはある。
単純なこの母親だからっていうことだけじゃないのかもしれないっていう
ちょっと危機感も若干感じるんですけど。
危機感。
いやでもいいですね、ご夫婦で育休取られて、今どきというか。
どうでもいいと思う。
そうですね、育休僕もの時もなんかなかったけど、この場合は。
まあ休んだらいいんじゃないのみたいな感じでしたけど、制度的にはなかったんで。
でもなんとなくこう、子どもの成長って当たり前ですけどめちゃくちゃ早いですよね。
そうなんですよ。
だからその瞬間瞬間を捉えていかないと戻れないですよね。
だからその時その時を大切にした方が絶対いいですよね。
なんかできるようになると急にグラデーションでできてきちゃうから
なんか明らかに立ったとか歩いたは目に見えたらわかるんですけど
何かができるようになるっていうのはすごい気づいたらできるようになってるみたいなことが多くて
母親手帳にこういうことができるようになったのはいつですかって書く欄があるんですけど
途中からいつできてたんだろうみたいな。
今できてるけどいつだったんだろうみたいなのが結構多くて
すごいこう、瞬間瞬間があんまりないとか
ダラダラダラダラといって気づいたらできてるっていうのでも
子供の学習能力と自身の見くびり
それでできてない頃には戻れないので
ちょっと寂しくもありつつ嬉しくもありつつみたいなのが結構日々繰り返しだなっていうのが
成長のスピードってやっぱり僕すっかり忘れちゃってるんですけど
すごくお母ちゃんなんかは感じますよ日々早いなみたいな
成長の度合いがすごいなみたいな
すごいですね
なんかこういったらなんですけどやっぱ
見くびってたなって思います
見くびってた
見くびってた
見くびってた
そうなんですよ
それこそ反射で最初生きてるので
すべてがこう音が出るからモロ反射が出るってびっくりしちゃうとか
そういうすべてが反射で自分の意思がまだないんだろうなって
ずっと1、2ヶ月ぐらいの時はそういう感じで赤ちゃんってそうだなって思ってたら
自分の意思がない存在って私が見くびっちゃうわけですよ勝手に
だけどある日
明らかに学習してたんですよ
その時明らかに学習をした瞬間があったんですよね
人形みたいなのをベッドに引っ掛けてるんですけど
それを引っ張って
引っ張ったのがブブブって上に自動で戻る人形みたいなのを引っ掛けていて
それをいつも触ってたんですけど
私がある時力をグッと入れて下に引っ張ってあげたんです
赤ちゃんの力じゃ引っ張れないんで
引っ張ってあげたらそれが戻るその人形が戻る瞬間を初めて見て
そしたらはーっていう目を見開いた顔をして
そしたら次の瞬間から力を入れて引っ張るようになったんですよ
だからそれまでは触ってただけだったのに
明らかに学習をして力を入れて引っ張ろうって動きをして
その時はすぐ引っ張れなかったんですけど
1日ずっと引っ張り続けて
次の日から引っ張れるようになったんで
それってもうこの反応が戻ってくるから自分は引っ張るんだっていうのが
もう学習ってするんだ意志を持って引っ張るんだみたいなのが
めちゃめちゃ見くびってたみたいなのが
やっぱ赤ちゃんだからまあまあみたいなので
結構私がそうやって見くびるんで
それをどんどん超えてきて
え、もうこんなのできるの?みたいなのはあります
そのお子さんの話もすごいですけど
それを観察しているお母ちゃんもすごいなと思って
すげーなそれ
でもすごいなめては本当に
あー
なんなんすかね、あの成長力というか
すごいですよね
子供は子供で観察してるんですもんねきっと
親のそういう動きを見て
あ、これなんだって
すごいマイペースですよね
赤ちゃんの成長による夫婦のコミュニケーション増加
めちゃめちゃマイペースというか
できなかったからって
諦めずに練習して
練習って言ったらあれですけどね
寝返りみたいなこととかでも
やり続ける
だから目に見えるところでだけやってないんですよね
なんかね
勝手にできるようになってるわけでもないと思うんですよ
やっぱり体動かしたりとか
何かをインプットして
でもそれって
自分のペースで淡々と意外とやってるなっていうのは
思いますよね、赤ちゃん
あー
なんかこう
親としてこういうことを
仕向けたりしてることとかあるんですか
よくいろんな情報が氾濫してるから
これぐらいの時期にはこういうことをした方がいいとか
っていうような情報ってあったりするじゃないですか
うん
そういう仕掛けというか仕組みというか
そういうことをやらせてたりとかするんですか
そういうわけじゃない
いやそうですね、あんまりそういうのはやってないんで
ちょっと私もあんまり情報扱うのがうまくないんで
なんか
それよりもなんか
意識してるわけじゃないんですけど
赤ちゃんを見て
今これできるんじゃないかみたいなのを
ちょっと
ちょっと先のことをやるじゃないですけど
はい
夫とかが最近やってたのは
口を鳴らすんですよ、ぽんって
私できないんでちょっとなんかあれですけど
口をぽんって鳴らすのをやると
それを真似てるんですよね赤ちゃんが
口をパクパクさせたりしてて
あ、こうやって真似るんだって
口を動かしたいっていうのがあるんだとか
うん
それこそ喋りかけてみて
どうせわからないだろうなって思いつつ
どうせできないだろうなって思いつつ
ちょっと楽しくて
どうこれできるみたいな感じで
期待せずにやる
ちょっと先のことをやると
意外とそれに答えてきて
もうできるのみたいなのとか
ちょっとそういう感覚で
これはまだできないだろうなっていうのを
ちょっと遊び感覚で
働きかけたりはしたりしてますけどね
まさに
豪太郎さんのキャンプの時に話した
真似るの時の赤ちゃんが
言葉を真似る時っていうの
親の顔を動きとか
真似ながらみたいな話ありましたもんね
まさにその世界ですね
うん
すげえなあ
言葉を話せないだけで
なんだろう
意思があるというか
言葉じゃないコミュニケーション
育休の経験から感じる育児の変化
なんだろう
だからすごい言葉とコミュニケーションが
取れるようになったら
一気に育児楽になったっていう感覚があって
それまではでも
言葉がなくても通じるみたいなのがあったり
あとはやっぱり喋れなくても
聞いてる感じはすごいあるので
なんか
よく赤ちゃんの言葉で話さないほうがいい
話しかけないほうがいいみたいな
言葉があったりして
なんとかでちゅよーとか
猫のこととかにゃんにゃんって覚えたら
にゃんにゃんとして覚えちゃったから
話し方もでちゅよーが
それだと
記憶されちゃうみたいなのがあって
だから
話せないだけで
ちゃんと
受け取ってるというか
赤ちゃんでも
そういう感覚なんとなく
あります
うちめちゃめちゃ話しかける家なんですよ
夫が育休で私も育休なんで
そういう時間ってあんまないじゃないですか
平日ずっと夫婦ともに家にでってことって
今までなかったんで
すごい
だから
一人育休じゃないんで
めちゃめちゃ喋りますね
赤ちゃんに対しても
普通に喋ります
夫と私が普通に話して
そこに赤ちゃんもさりげなく
会話に入れたりとか
っていう言葉の数は
めちゃめちゃ多いと思うんですよ
それを聞いてる赤ちゃんがいると
僕からすると面白いのか
なんか
今話聞いて新鮮だなと思って
育休がなかったんで
育休ってだから結構
夫の育休ってね
人で的な意味もすごい大きいんですよね
人でが大変足りないから
だけど
個人的には
すごくコミュニケーション量が増えたんで
夫婦の
だからこんなに喋るんだって思いました
おっと
そっちが
だし
それこそ
本とか趣味とか今まで全然違ったんで
あんまり本の話とかもしなかったんですけど
今は
それこそドミニクさんの
本とか紹介したら夫がすぐ読んだりとか
なんか
こういう本を読むんだ
それでこういう感想を持つんだとか
こんな風に
お互い考えをシェアする時間って
あんまりない夫婦だったんで
なんでもない会話シェア
それこそここに今話してるような会話を
することじゃなかったんですけど
そういう時間ができたりしたので
そういう意味でも夫婦上でもやっぱり
育休っていうのはすごい貴重な時間だな
と思いますね
えー
やっぱり
子どもができるって
いろんなことが変わってて
面白い面白い
大変なこともありますけどね
新しく作られるというか
生まれることも結構あるんですね
うーん
なるほど
面白いな
ということで
そろそろ30分を過ぎたんで
今回は
あっという間でしたけど
一旦ここで区切りたいと思います
どうもありがとうございました
ありがとうございました
35:21

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