00:07
平泉達也
はい、みなさんこんにちは。こんばんは。 康太郎雑技団チャンネルです。このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間を共にした仲間がそれぞれが持つ発行させた技と対話を通して、さらに次の作るを実現する番組です。
今日のゲストというか、今回第2回目にお越しいただきましたのは、天の地さんとえりさんです。よろしくお願いします。
あまのっち
お願いします。
えり
2回目でいいんでしたっけ?
平泉達也
2回目?2回目ですよね?3回目?2回目ですよね?
えり
あ、そうか。このコンビが、この3人が2回目ってことか。
あまのっち
ああ、そういうことか。
平泉達也
そうそうそうそう。
で、今日はですね、3人で何のテーマに話をしようかみたいなんですけれど、先日僕がですね、あるつぶやきをツイートでしまして、まあ簡単に言うと夫婦喧嘩をしましてですね、
その中でつぶやいたツイートが、強いつながりと弱いつながり、弱いつながりから刺激、触発、観点をいただきワクワクしていると強いつながりからは強烈なストローク。
まあわかりますよ、おっしゃりたいこと。そこから夫婦とは、親子とはということで、僕ここちょっとですね、日頃ここのキャンプメンバーがいろいろと仲良くさせてもらってるんですけども、
家族が強いつながりとするならば、このキャンプメンバーは弱いつながりと。このメンバーからいろいろと刺激をいただいているんですが、そっちでめちゃくちゃ楽しくしているとですね、ある日突然強いつながりから強烈なストロークがあったということでつぶやいたっていうところがスタートですね。
そういう時に天内さんが拾ってくれてですね、強いつながりを維持するためには時に強いつながりを俯瞰してみるとかですね、あとは襟さんが家族をテーマにした何かやってみたら面白そうということで、いろんな人の経験談や価値観が集まって、これまでの家族の良かったところとか、時代に合わなくなったところ、これからの家族とか、
実験的に取り組まれている疑似家族の形、地域コミュニティなどなどということで話ができたら面白いねということで、前回の文学的とはに続いて同じメンバーでお送りしたいと思いますのでよろしくお願いします。
あまのっち
よろしくお願いします。
平泉達也
どうですか天内さん最近。調子の方はこのテーマで言うと。
あまのっち
このテーマで言うと、ぼちぼちいい感じでやってますよ。
平泉達也
素晴らしい。
あまのっち
喧嘩もしますが、昔みたいにドロドロにはならないというか。
03:06
平泉達也
ドロドロ。
ドロドロ。
あまのっち
ちょっとドロドロした感じで聞きたいなというふうに思います。
エリさんはどうですか。
えり
私はですね、この仲間うちには何度もお話ししてますけど、来月に子供が第一子が生まれる予定で、
今までは夫と二人暮らしだったんですけど、3人家族になるっていうのもあって、
家族とか、家族間の人間関係とか、これからいろいろ考えていくこと増えそうだなっていうのもあるし、
今まで自分が族してた家族に関しても、いろいろ思うところはずっとあったんですよね、子供の時から。
うちの家族ってこうだなとか思うことあったので、ちょっとこのテーマ面白そうで、
いろいろ実体験とかお互い紹介し合えたら、そういう人たちがいいんだっていうのが、そもそも自分は面白いかなと思って楽しみにしてます。
平泉達也
ありがとうございます。
事前に軽く3人で話しましたけど、このテーマ多分話し始めたら永遠に続きそうなあちこちに広がって、
これでもしゃべれそうな感じなんですけど、まずはちょっと1回目ということで、複数回数開催も、
視野に入れながらいろいろな話ができればなというふうに思うんですけど、
エリさんというと、今まで2人だった。
1人加わるよっていうところで、もう1人加わるっていうことで変化みたいなのあったんですか?
えり
ありますね。子供を持とうみたいな話をする前は、
自立した2人の人間が共同生活を営んでるみたいな、そういう感覚だったんですよね。
結婚しても別に家族ってあんまり意識しないっていうか、お互い好き勝手やってるし、
収入お互いあって依存してないっていうか、じゃあなんで結婚届を出したんだろうっていう感じではあるんですけど、
ただその家族、2人家族はそうなんだけど、自分の意識的には本当に共同生活してるみたいな感覚が強くて、
でもいざ子供を持とうってなって、いざ妊娠したりとかして暮らしていると、
ここから家族かなみたいな、そういう感覚、なぜなのかわからないんですけど、
2人でやってる時よりは、家族を意識しつつある自分に気づいてるみたいな感じがあります。
06:00
平泉達也
そこの分岐点というか、パキッと線を引けないのかもしれないんですけど、そこは何なんですかね。
何なんですかね。責任とかかな。
子供に対しての責任。
えり
やっぱり子供って、大人が世話しないと死ぬじゃないですか。
だから絶対世話しなきゃいけなくて、嫌でも。
だからそういう責任なのかな。
平泉達也
うちも娘が1人いるんですけど、やっぱり責任っていうのは一定感じていて、
えりさんの話と同じように、子供ができたっていうところから、
これすごい勝手な思い込みだと思ってるんですけど、俺しっかりしなきゃとか、
外国柱にならねばならぬ、みたいなモードが変わるのが不思議な感じがしますよね。
誰もそんなこと言ってないんですけどね。
そうですね、今浮かんだはずだけどすぐ忘れた。何て言おうとしたんだろう私。
えり
すぐ消えたみたいな。
すいません、また思い出したら言います。
すぐ思い出したら言ってください。
平泉達也
不思議な話で今、時間軸というと子供が生まれた後のことも、
子供が生まれた後に、子供を面倒見るのは僕であるとか、両親であるみたいな、
なふうな形で、なぜか子供を面倒見るのは、
子供を面倒見るのは、子供を面倒見るのは、
子供を面倒見るのは、子供を面倒見るのは、
そういう形で、なぜか子供より僕らが強い存在になるというか、
変なそこで冷えられる気を作っちゃったところがあるんですよね。
だからこそ、子供がやんちゃに叫んで自分の言うことを聞かないときって、
イラッとしてたりしてたような気もするんですよね。
うん。
それは不思議だなと思って、今思えばですけどね。
娘には娘の人格があるのに、そこで強制力を働かせようとする僕がいて、
平泉達也
そんなの誰も言ってない、勝手に思い込んで反省と考えておりました。
09:00
えり
今、娘さんっておいくつなんでしたっけ?
平泉達也
10歳です。
えり
10歳。小4とかですかね。
5年生になったのか。
平泉達也
まもなく誕生日で11歳になるんですけどね。
えり
おめでとうございます。
平泉達也
ありがとうございます。
今話をしながら、僕ばっかり喋って申し訳ないんですけど、
11歳になるまでに、どこの瞬間か忘れたんですけど、
僕は彼女のことを、さっきのえりさんの話じゃないですけど、
自立した人間というふうに捉え始めた瞬間から、若干楽になってしまうような気がしましたね。
親子なんですけど、コントロールしようといなくなった瞬間がある瞬間あったんですよね。
そこから関係値が良くなったかもしれないなというのもあったりしました。
えり
娘さんとの関係ですか?家族の関係?
平泉達也
娘かな。家族はさっきつぶやいた通りの感じなんですけど。
天の地さんはどうですか?
あまのっち
責任って言葉はすごい重要な気がしていて、
自分の子供ができた時、責任ってあんまり考えていなかったような気がするんだけど、
その言葉を考えることもないくらい当たり前に責任を背負っていたような気がする。
一人で生きていくように育てるのが親の責任だと思っていて、
今思えば、今は全然違う考えなんだけど、
自分、親が頑張らなければ一人立ちすることはできないって思い込んでいた。
その思い込みがどこから来ているんだろうなってすごく思っていて。
僕も明確にそのターニングポイントがあって、
九州で塾をやっている戸場和久さんという方がいて、
その方の本に親時々子供っていう本があるんだけど、
そこで親は子供に呪いをかけてはいけないっていう言葉があって、
それをきっかけに自分は子供に呪いをかけているのかなみたいなことを考えていた時に、
やっぱり呪いをかけているなって気がついたっていう。
何かっていうと、要は自分の価値観を落ち着けているということで、
12:01
あまのっち
例えば何かテストとかがあって、100点取ってきましたと。
100点取ったら褒めます。
90点なら褒めないとすると、
90点から100点の間が自分の価値観になるわけで、
平泉達也
そういう褒めるっていう、叱る怒るも当然価値観を打ち付けだけど、
あまのっち
褒めることも打ち付けだし、
自分の価値観を逐一子供に植え付けているのがあって、
それって要は呪いなんだなっていうことに気がついたんです。
子供2人、長男と長女がいるんだけど、
子供とパートナーの4人で家族会議みたいな形にして、
その場で子供に謝った。
平泉達也
ごめんって。
あまのっち
いつのタイミングですか、それは。
2年くらい前だったかな。
2年くらい前だったかな。
えり
それをきっかけにさっきコートさんが言った通り、
平泉達也
まさに自分が楽になったんだよね。
あまのっち
それは本当に子供たちもすごく安心したというか、
そうだったのかって、子供たちも気づいたような顔をしてて、
2、3年くらい前からちょっと考え方が変わってきてた。
だけど子育てっていうことに対して言うと、
その時が明確なタイミングポイントだなっていうのがあって。
そこからやっぱり世の中のいろんな親子の関係とか見てると、
子供たちもすごく安心していて、
子供たちもすごく安心していて、
世の中のいろんな親子の関係とか見てると、
抜け出せたらいいのになって思うことがたくさんあって、
つい口出ししたくなってしまうという、
言ったりはしないけども、そんなことを考えたりしてるっていう。
平泉達也
今の粘らない理論というか、
僕らが自分で呪縛というか呪いをかけているみたいな話でいくと、
子供のパーソナリティをよく聞いてるんですけど、
フライヤーのキャンペーンの講師である大石春さんが、
面白いことを言っていて、子供は社会からの預かりものである。
だからそれが15年とか16年とか、
15:01
平泉達也
それぐらいの社会人になるまでの間、
預かって返すものだから、
上とか下とかっていうよりも、
そのものを大切に扱って、
社会にギフトをまた戻すみたいなことを言ってて、
確かにそうだなって。
僕もある程度呪いがなくなって、
受け入れることができたのかもしれないんですけれど、
そういうようなことを言ってて、そうだなみたいな。
じゃあその呪いの話に戻ると、
誰が呪いかけてるんだみたいなふうに、
今ちょっとふと思ったりするんですけどね。
まだ呪いにえりさんがかかってないんですかね。
えり
でもやっぱり、
どの人も自分の親から呪いかけられてるじゃないですか。
あまのっち
そうだよね。
えり
なんか、なんていうかな。
私、両親はそんなに田舎の人なんで、
学歴が高いとかそういう感じではない両親なんですね。
で、私は大学の学部は出たんですけど、
なんか、田舎の子って、
そんなに勉強しなくていいよみたいな、
特に女の子はみたいなのが、いまだにたぶん強くて、
高校卒業して、専門学校とかで例えば、
手に触付けて就職とか、
そういうパターン多いんだと思うんですけど、
私は結構、子供の時から勉強して、
大学にまでは行って、
そうすればある程度、
自分たちっていうのは両親のことなんですけど、
自分たちよりはいろいろ選択肢も増やせると思うよ、
みたいな感じで育てられたので、
大学までは、行くのは既定路線みたいな感じだったんですよ。
勉強そんなに嫌いじゃなかったので、当時。
で、何でそんな風に言ってくれるの?みたいな風に言ったら、
自分ができなかったことだから、
自分の子供にはそれぐらいはしてあげたいと思った、
みたいなことを言われて、ありがたいけど、
でも、それって呪いじゃないですか。
いや、また心の内に呪いかけられた。
えり
そうそう。だから私はその時に、
勉強はしたかったから、
そんなにコンフリクトは生じていなかったんですけど、
特にこういう職業がいい、みたいなことも言われたことはないけど、
親的にはよく分からないから、
世界がそんなに広くないから、
学校の先生とか、公務員的な仕事とかしか、
口からは出てこないんですよね。
だから、嫌だなとも思わなかったけど、
18:04
えり
これは呪いですよね、みたいなことは、
思わなくもない、みたいな。
それをただ私はそんなに気にしないようにしてた、みたいな。
平泉達也
はいはい。
えり
だから、たぶん少なからず、
親から受ける影響が一番強い人は多そうな気がする。
でも、もちろん人間関係とか広いような子とか、
いい先生に出会うとかってなると、
別に親から何言われようが、自分はこう考える、みたいな、
そういう子もきっといると思うけど、
私は親からの影響が強かったんじゃないかなって思ってるんですよね。
あまのっち
それは絶対あるよね。
親の影響が一番大きいっていうのは。
でもそれはある程度しょうがないっていうか、
親も愛情でやってる部分もあるからこそ呪いになるのであって、
そこで、基本それはあるっていうベースで、
いかに薄めるかみたいな。
平泉達也
確かに。
あまのっち
さっきAさん言ったみたいに、先生との出会いとか、
たまたまそれが起こって、違う世界が見えてる人は確かにいると思うし、
それって今偶然に頼っている状態かなっていう。
それを偶然じゃなくて必然にする社会になれば、
変わっていくんじゃないかみたいなことをちょっと今思ったりしてる。
えり
だからやっぱりチャンネル増やすの大事なんですね、きっとね。
平泉達也
人間関係のいろんな社会での家族、学校、友達とか、
えり
こういうのがいっぱいあればあるほど薄まるんでしょうね。
家族しかないとめちゃくちゃ濃いけど。
平泉達也
さっきのえりさんの話を聞いてて、僕も全く同じ経験をしていて、
親が高卒だから、あなたには大学まで行ってほしいみたいな感じのストーリー。
選べない。
で、そんなに裕福な家庭ではなかったから、好きなものも買ってあげられないし、みたいなことを。
本人はこうしなさいとかああしなさいとか言っていないんだけれど、
子供が勝手にそれをプレッシャーに思って、
俺、大学行かなきゃダメだなって思ったりしてた時がすごいあって、
もうその段階で呪いがかかってるんだっていうふうに思っていて。
21:04
平泉達也
で、一度母親と大喧嘩したのは、
そんなこと一言も母親は言ってないのに、
あんたが大学行けって言ってるからすげえ勉強してるんだろうみたいな。
そんなこと言ってないわよって言われて、
あまのっち
っていうすごいこじれた感じの音があって、
平泉達也
なんかそれがすごい急に思い出しましたね。
私も急に思い出したエピソード、しょうもないんですけど披露していいですか。
もちろん。
えり
なんか、お母さんを泣かせちゃったことがあって、
受験の時に、
自分的にはここの志望校、志望校って何校ぐらい受けるのが一般的かわからないですけど、
本命があって、滑り止めがいくつかあるぐらいの感じじゃないですか。
なんだけど、やたら願書取り寄せてきて、
なんかお母さんが調べてるんですよ。
で、私は、
お母さんが、
例えば上中下みたいな大学のランクがあるとします。
せめて中以上に行きたいって思ってたとしたら、
低はちょっと受けないじゃないですか。
なんだけど、最低辺、
こういう大学に行く人もいるから、ちょっと失礼なんですけど、
最低辺の大学まで、
受験することを勧めてきたんですよ、親が。
で、私、こんなところに行くために勉強してるんじゃないし、みたいな。
で、お母さんは大学行ってないからわかんないんでしょ、みたいなことを言ったら、
ポロポロ泣いちゃって、
すごい、自分もショックだったんですよ。
すごい傷つけちゃったんだ、と。
でも、謝れないように、
平泉達也
でも、謝れなくて、
えり
その場を逃げちゃったんですけど、
そしたら、うちのお父さんが、
怒ったんですよ。
普段怒らないお父さんが怒って、
平泉達也
お母さん泣いてたよって。
えり
これは言っちゃいけないことを言ったでしょ、みたいな感じで、
普段、うちの両親にそんな仲良くないんですけど、
お父さんがお母さんのことをかばっていると思って、それもショックで。
いろいろなことが、
起きて、
それが一番、自分の中で、
残ってるっていうか、
後悔でもあるし、
成長のきっかけって言ったら、
言い方きれいですけど、
そういうのを18歳くらいでやらかしたので、
24:02
えり
いろいろ人にかける言葉とか、
気をつけなきゃなって思ったりとか、
あまのっち
ああ、言っちゃうよな。
えり
言っちゃったんですよね。
だから、自分も将来言われるかもしれないけど、
言われたら、またそのことを思い出すなとかは、
時々思いますけどね。
平泉達也
家族を強いつながりと例えるのであるならば、
家族だから、分かってよ、みたいなことってあるじゃないですか。
ありますね。
分かんないよねって、最近すごい思うんですよ。
でも、それくらい分かってよ、みたいなのが、
全然分かんなくて、
逆に、例えばこのキャンプのメンバーとかっていうことを、
例えるならば、弱いつながりというのだったら、
もっと丁寧なコミュニケーションを取るじゃないですか。
弱いつながりだから。
だからこそ、分かり合えるみたいなところがありますよね。
それが不思議だなって思って、
なんでそんなに近い人にもっと丁寧にやらない自分がいるんだろうな、みたいな。
えり
本当に思いますよね、そういうの。
家族もだから、弱める意識でいかないと、
ダメなんでしょうね。
あまのっち
そうね。
弱めたほうがいいんだね。
えり
弱めたほうがきっとうまくいきますよね。
平泉達也
うまくいく。
あまのっち
そうなんだよな。
えり
アマノッチさんの2,3年前の家族会議は、
やっぱり弱める方向に働いたと思いますか?
あまのっち
めっちゃ思うよ。
手放した。
俺的には完全に手放したっていう瞬間だったから。
なんだろうな。
最初は寄り添うっていう言葉を使ってたんだよね。
引っ張るとか、扇動するとかじゃなくて、寄り添うっていう。
最近、藤畑海人さんが、
寄り添うも強いって言い出して、
寄り添うってずっと一緒にいるっていう言葉でしょ。
ずっと隣にいるっていう。
だから、それも気持ち悪いんじゃないけど、ちょっと強いって言って、
最近は繋がるって言ってて、
繋がるっていう言葉に最近変えてるけど、
今、息子が大学1年生で一人暮らし始めてて、
27:06
あまのっち
寄り添えてはいないけど繋がってはいると思ってるんだよね。
遠く離れてはいるけど、
常に繋がり合ってるっていう感覚があって、
そういう気持ちで接することができれば、
ちょうどいい距離感なのかな、みたいなことは思ってるかな。
平泉達也
今の話でいくと、一回手放してもう一回繋がった感じなんですか?
あまのっち
ある意味、手放す前は繋がってなかったのかもしれないっていうか、
こっちは、何て言うの、これちょっと難しい。
なんか、いい質問だね。
ありがとうございます。
平泉達也
いやいや、
あまのっち
天野知事さんが普通に今、
平泉達也
手放したんだよって言ったところから、
あまのっち
実は今繋がってるんだっていう風に言ってたんで、
おやおやって思ったんですよ。
平泉達也
あれ?手放す?手放すって。
僕はそこはすっごく勇気がいるものだと思うんですよ。
持ってるものを手放すって結構勇気いるじゃないですか。
うん。そうそう。
一回手放したんだけど、
その後繋がりっていう言葉があって、
今繋がってるんだよねっていう風に言ってて、
それで、
持ってたんだよね。
持っちゃダメなんだよね。
あまのっち
所有だもんね、持つってね。
手前の所は、
平泉達也
こっちだけ繋がってると思ってたっていうか、
あまのっち
何だろう、
一歩通行だったのかもしれない気がするかな。
それってこれ例えがあんまりよくないかもしれないんですけど、
こっちは一本のロープで繋がってると思ってたんだけど、
本来の形は、
平泉達也
こんな感じで、
こんな感じで繋がってると思ってたんですよね。
あまのっち
つながっていると思ってたんだけど、本来の形はそれぞれが持っている紐を結ぶ感じなんですかね。
平泉達也
そういうことなのかなぁ。 息子さんには息子さんの紐があり、天内さんには天内さんの紐があり、それを結ぶのが繋がるっていう行為なんだけど、
それまでは天内さんのロープを、
俺は握っとけや!みたいな。 なるほどね。
息子さんは握りたくないみたいな。
あまのっち
そんな感じなのかなって聞いてて。
平泉達也
それで言うとどっちかというと息子のロープを俺が握ってたのかもしれない。 引っ張ってたのかも。
30:03
平泉達也
勝手に。
あまのっち
なんとなく息子は 引っ張られて連れて行かれるのは
嫌でもあり 心地よくもあり
平泉達也
エリフィフロムの自由からの闘争だっけ?
あまのっち
その束縛されていることの心地よさっていうのが あるじゃないですか。
楽だから。 親の言う通りにしておけば
連れて行ってくれるから。 そういう部分もやっぱり子供にはあって
だけど健全なのはどこかで自分が引っ張られているっていうことに気がついて話せや!って言って無理やり
手を離すみたいな。 もしかしたらそういうことなのか。
平泉達也
今回の話でいくと自分から手を離した。 紐を離した。
あまのっち
そこでの繋がりっていうのはどういう比喩になれば? ちょっと難しいけど。
でもイメージ伝わります。 すごく。 ですね。
平泉達也
これ深いなぁ。 深いっすね。
どうしようかな。 無理の話になってるね。
話としてあったのはやっぱりこう 親の影響って
まずありますよね。 受けても呪いになるし親側もなんかこう呪いにかかってみたいな。 お互い呪いにかかって
あまのっち
互蓄されている関係なの? みたいな風にはちょっと思ったりしたのが面白かったです。
平泉達也
連鎖。 連鎖してますよね。
体を展開。 次回はどういう風な話で話しましょうか。
今日は何となく それぞれの家族の形じゃないんですけど
考える家族の関係性というかそれこそ 繋がりみたいなところだと思うんですけど
このあたりもうちょっと深めつつ 家族についてもうちょっと
33:00
平泉達也
最初にツイッターのご紹介しましたけど 家族という形態がちょっと変化してくるあたりの話を
持ち寄って話しても面白いのかなって思ったんですけど
確かに。 新しいスタイルが出てきそうですもんね。
いろいろみんななんか模索してる感じありますよね。 そうですよね。
これだみたいなのはないのかもしれないですけど スナックを作ろうの話と同じような形で
家族の形態を考えてみようみたいな感じで 作る方の話ができたら面白いかなというふうに思いますので
次回もよろしくお願いします。 お願いします。
今日もありがとうございました。