でもこっちが期待するものは全部応えてくれるしというものですごく驚いたんですけれども、
まず編集する前のところの特徴を聞きたいんですけど、
僕らボットキャスターって長くても2時間喋ったものを1時間ちょまちょま編集して1作品するみたいなことはやるんですけど、
おそらくなんですけどこのドキュメンタリーって収録時間ってもっと膨大な気がするんですけど、
例えばハイパーの場合1エピソードに費やす収録時間ってどのくらい取ってるものなの?
1エピソードはだいたいハイパーの時は前後半で2エピソードを1回のロケで作ってたんですけど、
1回のロケで最低でも8時間くらいですか8時間から12時間くらいの収録時間ですかね、
に対して前後半だから1時間半から2時間、長くても2時間ですから、
4分の1から6分の1くらいに絞ってるっていう感じですかね。
最初の当たりをつけるのってどうやってるのか伺いたいんですけれども、
記憶で切る切らないっていうのは最初に当たりつけるものなのか、
バーッと聞きながら何度も聞きながら判断していくのかだとどっちなんですか。
基本的には聞きながら考えていきますね。
ロケ中にも2時間前に聞いたあの話か、今ここで聞いてくるなとかっていうのをずっと考えながら話は聞いてるんで、
半分編集しながらロケをしてるっていうことはあるんですけど、
ただ素材を持ち帰ってからはもう1から聞き直して、
ここでこんなこと言ってたんだとか結構あるんですよね。
発見もあるんですよね。
かなりありますね。
話聞いてるときってどうしても次あれ聞こうとかっていうのが頭の中で働いちゃったりとか、
ここノイズでかくなってきてるからマイク近づけなきゃな、
今近づけたら意識途切れちゃうなみたいなこととかずっと考えてるんで、
結構相手が言ってること抜けちゃってたりすることもあるんですよね。
だからやっぱり聞き直し、完全に聞き直しをして話を作っていくっていう、
どっちかっていうといらないところを切っていくっていう作業を何往復も何往復もしていって、
一般的に許される尺にまで落としていくっていう感じですね。
じゃあもう彫刻みたいな感じですね、きっとね。
本当におっしゃる通りで。
大雑把に大きくだんだんだんだんシェイプしていって最後最後つまんでつまんで。
はい本当におっしゃる通り台本がないっていうのはやっぱりそういうことなんで、
もともとある道のりにシェイプしていくなら簡単なんですけど、
どういうものがその先に形作られるのかは結構わからない状態でやっていくんで、
だから本当に切るときに結構緊張感あるっていうかめちゃくちゃ迷うんですよ、
これ切っていいのかなとかって。
でも大事なのは切ってみるっていうことで、
これはその若いディレクターとかにはとにかくそのアドバイスをずっとするんですよ、
とにかく切ってみろって。
最初は撮れた8時間の素材を6時間にするのも結構大変なんですよね。
つまり自分がせっかく撮ったものだから切りたくなくて、
全部大切に思えて全部面白く聞こえちゃうっていう、
でもそれはお客さんにとって全く関係ない感情なので、
まず切ってみな、迷ったら切るっていうのがもう大方針で、
これが彫刻と違うのは切っても元に戻せるっていう部分なんで、
切って切ってどうにか物語を作るところまでいって、
でもやっぱそこが魅力的だったなと思ったらそこだけ最後に戻すとかそういうことができるので、
とにかく切るっていう、
ディレクターとしてやっていけるかいけないかっていうのは、
そこの切れるか切れないかっていうのは実は結構別れ目になってくるみたいなことあるんですよね。
僕造形家なので、粘土的な彫刻といわゆる彫刻とっていうのを、
あるいは料理を見るときも音声を見るときもそういう想像しちゃうタイプなんですけど、
神戸さんのってやっぱ削り込んで作ってるような感じがすごいしてたので納得で、
やっぱ削るって彫刻はもう本当特に素材無垢の素材を削って失敗したらそこはもう欠けたまんまになっちゃうので、
その勇気の造形なんですね。
粘土はむしろ持っていきながら気づきをフィーリングで足し算の彫刻なので、
なんかその辺で結構作家のキャラ出るなと思ってるのでいくと、
今カットの仕方の話にもまさに彫刻っぽさ出てたんで、
いやそれでなんかね、ソリッドさっていうか、なんか質感として感じるんですよね。
それはあると思いますね。
やっぱそれテレビ上がりゆえだと思いますね。
やっぱり1秒でも飽きられたらチャンネル変えられちゃうっていう恐怖感を10年間経験してくると、
やっぱりいかに切るかっていう、どこかに余分なものないかっていう、
俺はここ面白が出るけど、他の人はここ面白くないと思うんじゃないかとか、
そういうアンテナがもう過剰に発達してるんで、
とにかく税肉本当に切りまくるっていう。
確かに。
なんでソリッドという表現でいうと本当にその部分を多分おっしゃっていただいてると思うんですけど、
それがいいのかちょっと僕でもだんだん分かんなくなってきてるっていうか、
音声コンテンツってもうちょっとゆったり聞きたいみたいなことも多分あると思うんで、
そこは最近よく思いますね。
もうちょっとゆったり編集していいんじゃないかなみたいな風には。
だからあのハイパーの時は、ながら劇不可能みたいなこと最初から歌ってましたけど、
そうだそうだ。
本当にそれでいいのかなというか。
みんなそんなの求めてないのかもしれないとかもちょっと思ったりはしますけど。
でも1個のソリッドに作り込む今のシグネチャーを持ってるからこそ、
他の表現手段っていうものは浮かんだ時にはそこをもうちゃんと判断して意図通りやれるし、
そこは分からなくて曖昧にやってる人っておそらくどっちもできないんだと思うんですよね。
なるほど。
なのでなんかそこの力強さって今の部分でもすごい感じました。
もう1個その編集やディレクションに関して僕の中で不思議だったのは、
この番組ってディレクターさんいろんな方登場されていて、
上出さんだけじゃないじゃないですか。
さっきの制作環境を伺うと本当に1人全て判断して撮ってくるっていうのを見ていると、
なぜ複数人のチームでやってる作品、
しかも1番組は1人がちゃんと預かってやってるのに、
あれだけパッケージとして同じ質感、
そして顔である上出さんの色というか、
そのブランドみたいなものを全く削ぐことなくパッケージ完結してて、
その辺を伺いたいんですけど、
エピソードを担当されているディレクターさんにはどのような指示をすることによってあれが実現するのかちょっと聞きたいです。
統一感がなんで出るのっていう。
何なんでしょうね。
基本的にはあらゆる番組を作るときに僕が1本目を作るっていうのはまずやっていて、
こういうふうに俺はやってほしいんだというのを見せるっていうことをやっていますと。
ただその真似をしなさいっていうことではなくて、
大事なのはこういうところだと俺は思っているっていうのを示すためなんですけど。
いろんな取材対象者、全然違う人に毎回取材するので当然コピーはできないんですけど、
取材する前にこの人にはこういうことは聞いてみてほしいなっていうことの擦り合わせはしたりはしますと。
ただ基本的にはどういうディレクターに任せるかっていうことからそれは始まってると思うんですよね。
なるほど。
結局これってディレクター的な腕、テレビ的な上手さみたいなことってほとんど関係なくて、
人と人がどういう会話をするかっていうことでしかないんですよね、基本的には。
それ以外の細いところは編集でどうにかなるんで、