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2022-06-15 35:49

ふるかわりささんとザッソウ第3回|学び方がわからないと、教え方もわからない

倉貫と仲山(がくちょ)が、友だちをゲストにお招きし、ゆるーくおしゃべりするザッソウラジオ。
6月のゲストは、ふるかわりさ(古川理沙)さん。最終回(第3回)です。

[今回のザッソウ]
「自分で考えろ」って言ったのに…/保育園児が包丁の使い方を学ぶプロセス/信頼している大人の行動を見ている/コミュニケーションができている幻想/言葉をつくしすぎ?/「あなただからできる」はイラっとしちゃう/弥生時代の組織のイヌ/縄文2.0

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00:07
くらぬきです。
中山です。
ザッソウラジオは、くらぬきと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、
雑談と相談の雑草をしながら、威力をしゃべりしていくポッドキャストです。
今回のゲストは、ふるかわりささん第3回となります。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回の話を聞いて、りさどん的に何か感じたことはありますか?
なんかすごい面白いなと思いながら聞きつつ、今、それこそ前回お話しした中で、
学長と本を書いている、もやもや修行の途中にある中で、何でもひも付けて考えちゃう部分があるのかもしれないんですけど、
くらぬきさんが、プログラマーとプログラミングを発注する側に、結構認識の違いだったりとか、
割と壁だったり、作法みたいなのが、お互い知ってた方がいいのがあるよ、みたいなことだったのを聞きながら、
それってもしかして、会社の中で社長と現場の人たちとの、でも似たような構造ってもしかしたらあるかもなーっていうふうに振り返りながら考えていたんですよ。
何かっていうと、例えば社長って、創業社長であったら、自分が何かアイデアを思いついて、試行錯誤しながら、
なんとなくうまくいったりそうじゃなかったりしながら、ちょっとずつ会社が大きくなって、なんとなく構造が生まれて、会社っぽくなっていって、
で、新入社員、社員が入ってきて、どんどん取引先も増えて、なんか事業分野も確立されてきて、みたいな、
そうなっていく過程を全部見てるし、なんだけど、その社長と、そのストーリーも全部わかっている社長、現在地もわかっている社長と、
そこよくわからずに、ポンとその会社に入ってきた新人スタッフみたいなのって、
全く同じような構造があるかもしれないなと思って、その新人の人からすると、
入る前に外から見えてた情報はわかってるんだけど、入ってみた時に、いや自分で考えろとかって突然言われても、
前提もよくわかんないし、情報も足りないし、なんか判断しようにもないな、みたいなことがあったりするけれども、
そういう中で、この共通の、今ここだね、みたいな、
持てたりとか、全体はこういう形だよね、みたいなことが、前提として共有できてたりとかすると、もっと気持ちよくコミュニケーションできるかもしれないな、
03:03
学長が前何かの本でこう、やれてると、
なんだっけ、知ってる、なんかこうジャンプ、いっぱいジャンプしてる絵があるじゃないですか。
知る、わかる、知る、やってみる、わかる、できる、知っているってやつですね。
そうそうそうそうそうそう、それもさ、社長ってそこの道をいつの間にか通り過ぎちゃってるからさ、なんでできないの、みたいな、
上司とかも、上司とか先輩とかも、いつの間にか自分が通り過ぎてきたことって、
わかなかったりするから、その、あれちゃんと順番に、ホップ、ステップ、ジャンプってしていかないと、突然、
突然、2個飛ばしてジャンプみたいなの無理なのに、なんか、そういうコミュニケーション取っちゃうなとか。
いや、それはありますね。
その辺、保育園とかだと、それこそ園児の人には、こう、何て言うんですか、指示命令みたいなものをしても、
急にできるようになるわけもないっていうのが、結構、目に見えやすい環境な気がするんですけど。
うんうん、確かに。
先生からすると、園児は、例えば0歳ってこんなだよね、今まだミルクしか飲んだことない子が、初めて固形物を口にするってこういうことだよね、
なかなか飲み込めないって、それは当たり前だよね、とか、1歳ぐらいになるとこうだよね、2歳だとこんな感じだよね、みたいなのを、そういうのを分かってるから、
今、彼がここにいるとか、次のステップはこうする、みたいなのも分かってるから、そんなにコミュニケーションで難しさってない気がするんだけど、
先生と、ベテラン先生と入ったばっかりの、短大卒業したばっかりの先生みたいなところのコミュニケーションだと、結構難しさはあるのかもしれない。
なるほど。
なんか、そう、適当にやれば大丈夫だよ、みたいなことを言われて、分かんないよ、みたいな。
で、適当にやったら怒られたみたいな。
はいはいはい。
自分なりに考えてよかれと思って考えたのに、なんか、え、そういうことみたいなので、なんか否定されて、何やっていいか分かりません、みたいなことは起こりがちなのかなって。
ある程度も、先に行ってる人は経験してるところなんで、正解までは行かないけど、道筋はある程度できてるので、でも、後から入った人、その道筋をたどらないと、そこの一番先頭まで行けない。
でも、多分、日本語できる人がそうだと思うんだけど、どうやってできるようになったんですかって言われて、最初分かんないっていうか。
いや、なん、四苦八苦したらやってたらできたんだよ、みたいな感じで。
06:05
言語化しにくい。
そう、言語化しにくいし、なんかこう、なんか分かんないけど、なんかいろいろやったらできたんですよね、とかって言ったら、他の人からしたら、いや、そんなの再現できるわけないだろって言われちゃうやつ。
うんうん。
スポーツとかもね、最近学長サッカーの話、ずっとサッカーの話してる。
ずっとサッカーの話してる。
なんかプロ、プロに、プロが、プロだと上手に教えられるものですか?
なんかこれからサッカー始める人に、どうやってこう段階的に上手になっていくかみたいなのって、プロサッカー選手だと。
それもやっぱ日本語と同じかな。
同じ同じ。
うん。
同じですね。
だからやっぱ、学び方っていうことが分からないと、教え方が分からないですよね。
うん。
学び方、学び方って、例えば、どういう。
例えば。
教え方は、教え方はなんとなく分かるけど、学び方って、なんか難しくないですか。
保育園児に包丁とかを使わせるようなことを、リサドンの保育園ではやるじゃないですか。
うん。
何歳から包丁使うんでしたっけ、本物のやつ。
あのね、先生が手を添えながらだけど、ゼロのクラスがもうすぐ1歳に上がりますみたいな頃には、触りはしています。
えー。
その使い方学んでいくみたいなことを、どういうふうにこう捉えて、そのやり方をしてるんですかね、それって。
質問が難しい。バクッとしてる。どういうこと。
例えば、包丁が切れる、で危ないみたいなのって、最初分からないじゃないですか。
分からないですね。
ゼロ歳とか、それこそ1歳とか。
うん。初めて見ただけ。
どうやって学んで、分かっていくんですか、子供って。
子供はまず危ないよっていうのは教えてあげる。
大人も、子供って例えば包丁だけじゃなくて、食べ物とかもそうで、例えばね、子供ってピーマンとかあんま食べないじゃないですか。
うん。
それって当たり前のことで、苦い物って毒かもしれないサインで、酸っぱい物って腐ってるかもしれないサインだから、人間として正常だったら基本的に食べないんですよ。
口に入れた時点で、口ってセンサーだから食べない。
でもそれをどうやって食べるようになっていくかっていうと、自分が信頼してる大人が美味しそうに食べてるのを見て、
これは苦いけど大丈夫なものなんだっていうのが一旦頭にインストールされてから、後天的に食べられるようになっていくのが苦味と酸味なんだけど、
09:09
それと包丁って同じかなと思ってて、その信頼してる先生がいつもおもちゃだったら好きに遊ばせてくれるのに、なんかすごく先生も緊張した状態で、
これは危ないよっていうのを散々言いながら、おもちゃだったら自分が持つとき手を添えてくれるなんてしないのに、先生が手を添えて持ってくれて、
他のお友達をちょっと遠ざけて最初の包丁を持つみたいになると、やっぱり子供なりにも、
それはいつものおもちゃのように振り回してはいけないものなのかもしれないって思って使うんだと思う。そんなところから始めてますね。
その前に見せるっていうのやってて、
なんかリンゴをね、あの給食だったらもうリンゴが、例えばもうそのクラス、ゼロ歳のクラスとかだったら小さく切ってあるとか、こうすってペーストになった状態で給食では出てくるんだけど、
包丁の一番最初のクラスみたいな授業って言ったら変なんだけど、体験で言うとね、まず丸いリンゴが出てきて、
それの匂いを嗅がしたりとか、ちょっとかじらしてみたりとか触らしてみたりみたいなことをした後に、先生が目の前で包丁で皮を剥いてってくれて、
で、いつも食べるサイズに切ってあげて、ほらいつも食べてるリンゴってこれなんだよみたいなことを、まず見せるところから始めて。
なんかそういうことをしながら、ちょっとずつ先生が手を使わない、手を出さないようになっていって、というふうな段階を踏んで包丁が使えるように、うちの縁ではなっていってる。
そういう質問でした?
そういう質問です。
包丁を一人で使えるようになるタイミングっていうのは、やっぱり子どもによって違ったりとかする?
うん、違ったりする。違ったりするし、面白いのが、こうやって0歳からうちの保育園でやってきた子たちっていうのは、大きな毛があんまりしないんですけど、
4歳とか5歳で入ってきた子たちとかは、突然同級生、その下積みからやってきた子たちとさ、突然同じ出動しようとしても、結構危ないことをしちゃったり、
今だとテレビ、木とか刃物とかって、結構お笑い番組とかでも危ないことをしてたり、料理番組とかでも料理家さんがタンタンタンタンと切ってるところを見ちゃった。
自分もなんとなくあれはできるもんだと思って、恐る恐るみたいなステップを踏まずにそこをやっちゃおうとして、大けがは園ではさせないような仕組みになってるけど、危なっかしかったりとか、逆にうまくならなかったりするパターンが多いかもしれないですね。
12:23
サッカーとかも同じかな、そのなんか基礎からきちっと積み上げてきた、なんかの回で雑草ラジオでも言ってた、シュハリのリーとかから始めてあっても、みたいなことと一緒かもしれない。
なるほど。いや、そこの言葉も通じないし、本人も何が何だかまだわかってない子どもたちに伝える、学ぶ、教えるみたいなところがめっちゃ参考になりますよね。
逆に言うと、大人は要は権力とかで、お前これやれって言ったら言った通りにやるみたいな、そういうコミュニケーションの選択肢が可能だから、みんな楽ちんなそっち側の方向に流れやすくって、めんどくさく、これはこういうことなんだよとか、これは危ないんだよとか、そういうのすっ飛ばして、
仕事を進めやすくなりがちな気がするんですけど、だからみんなその、幼児に包丁を教えるみたいなプロセスとかを体験できたら、めっちゃ学びになりそうな気がしました。
外国人とかとのコミュニケーションも、外国人と一緒に働くときのコミュニケーションとかも似たような形かもしれない。
大人になると会話ができると思い込んでる、もしかしたら本当はできてないかもしれない。
こうやってコミュニケーションが取れてるつもりでも、結局お互いの頭の中は違うものなので、僕の口から発しているものが学長とかリサの耳に入った後には、僕が喋ったものと違うものが頭の中にあるかもしれない。
本当はコミュニケーションって取れてないかもしれないんだけど、でも少なくとも大人同士はコミュニケーション取れてるという幻想があって、話せばわかると思ってるから、逆に言うと話せばわかると思いすぎてて、何でもかんでも話して説明しようとしがちなのかもしれない。
仕事のやり方とかもそうだし、成長とかも会社でこういうふうにしたほうが良いですよとか、こういうふうにしましょうねとかっていうのをめちゃくちゃ言語化しすぎちゃって、言葉で全部伝えようと思ってしまって、でも結局やってみないと伝わんないかったり、やってみないと気づかないことがたくさんあるんだけど、言葉に頼りすぎてるところなんかあるのかもなって思いましたね。
15:06
確かに。しかもその言葉は相手はちゃんと分かってるはずだみたいな前提がありつつの言葉。コミュニケーションの量が圧倒的に足りない場面もすごくある気がしてて、同じプログラマーだからわかるよねみたいな。
もっと丁寧にコミュニケーションとってれば、ミスコミュニケーションみたいなことって起こる可能性低かっただろうに、きっとあいつはあれでわかってるはずだとか、俺と同じ、自分と同じ気持ちだろうみたいな前提から入って、わかるよねみたいなので、わかりませんもあんまり言いにくいから、
大丈夫な気がしてますっていうような感じで進めちゃって、違うみたいな。なんだこれはみたいなことが起こるかのことって多いかもしれないな。
僕らも本書いてますけど、本こそあんなに一生懸命いっぱい文章書いてるのに全然伝わってないなって人いっぱいいますからね。
うん、いるよね。
そうですね。
うん、ある。
あとね、言語で、なんか私がいろいろ言語に言っちゃうんだけど、さっきのわかってるよねみたいなパターンとね、逆もあって、外国語を学ぶときにね、例えば私がフランス語を今日から始めました、1年勉強しました、2年勉強しましたみたいなステップの中で、
わかってるでしょっていうところと、もう一つあるのが、きっとこれは日本語とは違うはずだと思い込んでて使えてないみたいなパターンってあって、
そのままフランス語にしたら、そのままフランス人にも通じるから、別にもう遠回りして遠回りして遠回りして、
説明しなくてもよかったのに、これのことをみたいな、最初からそう言ってよみたいな、
はいはいはい。
説明しすぎちゃって、何言ってるかわかんないみたいな。
はいはいはい。
なんだけど、もしかして言いたかったのこれみたいな、フランス語でも同じだよみたいな。
うんうん。
の、そういう、あの、わかってるだけじゃなくて、
わかってるだけじゃなくて、
わかってるだけじゃなくて、
わかってるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかるだけじゃなくて、
わかってるだろう、同じだろうという原型を、
18:02
きっと違うだろうと思い込んでて、
コミュニケーションに言葉を尽くしすぎて、
逆に伝わってないみたいな。
うんうんうん。
うんうん。
うんうん。
なんかそれはありそうだな。
何の話をしてたんでしたっけ?
教え方と学び方です。
ああ、そうですね。
学長がそう言ったんです。
そうそう。
学び方って、つまりは自分がどう習得してきたかが わかんないとっていう、そういうこと?
うん、自分だけじゃなくて、学びを得るとは どういうことなのかのプロセス、学びのプロセスみたいなのが、
やっぱ、わかってない人は、教え方は うまくならないよねっていう。
それこそ、りささんのところがやってる、 保育園でやってるようなことって、
例えば、視察に来た人とかが、うちの園では こういうことをやっていますとか言って、
子どもたちに自由にやりたいこと、 みんなで話し合いをさせて、
バスツアー行きたいです、みたいな。 じゃあ、バス借りるのにお金かかるからって言って、
じゃあ、どうしようって言って、 自分たちが作った料理を売ればいいんだって言って、
自分たちで料理作って売って、お金を作って、 バスツアーにみんなで行きましたって言って、
それは全部、子どもたちが自分たちでやっています、 みたいな話とかを聞くわけじゃないですか。
その視察した人が、多分、そこだけ上積みのところだけ、 同じことを真似しようとして、
全くうまくいきません、みたいなことに。 やろうとも思わない人の方が多いような気がしますけど、
なるじゃないですか。 構造化された後のところだけ見て、
あ、つまりこういうふうにすればいいのね、の方だけ見て、 真似ったけどできなかったから、
あれはやっぱり、リサさんだったからできたんだよね、 みたいな、再現性がとても低いというか。
それを再現性がないと呼びがちですよね。 そうですね。
再現性は本当はあるけど、 すごいプロセスとして長いやつがあった上で、
それをやれているのに、 手っ取り早くやろうとしたら、再現性がないものとして扱われがち。
そうすると、ちょっともやもやするよな、みたいな。 あなただからできるんですよね、とか言われるみたいな。
講演とかでよくあるパターンです。 講演の感想とかで。
で、それを、あなただからできるんですよね、 私にはできません、とかいうような大人は、
もう手遅れだなって思ったから、 子供から行かなきゃって思って、
保育園なんですよね。 そうなんですよ。
21:00
そこまで遡ったんだ。 そこが一番、20年かかるけど、それが一番最短距離だと思って、
保育園から積み上げていこうって言って、 まだ小学校ができてないっていう。
小学校が遅れてる。次は小学校が作りたい じゃなくて、もともとそのつもりをやった。
順番で行くなら、大人まで全部作らなきゃいけないってことですね。 その流れで行ったら。
そう、だから、そういう教育方針でやってる学校、他にも、 だんだん増えてきてるじゃないですか、日本の中でも。
でも、その中学校までだったりとか、高校までだったりとか。 で、そこで育った子供とかが、
要は社会に出ていくと、社会の中ではだいぶマイノリティな、 自分で考えて動けてしまうというか、動かないと気持ち悪いみたいな、
ただ言われたことやってるのは気持ち悪いみたいな人になって、 組織の中でうまくやっていけなくて、
めっちゃ低く評価をされるみたいなこととか、 起こりそうだよなって思うんですけど、そこって今どういうふうに捉えてるんですか。
それはもうこの中山審議員さんという方が抱えた、組織の猫という、 ならきたというふうに思います。
猫たちは組織、そういう組織にはもう、 自分の生息場所じゃないと判断して、勝手にやればいいという。
エンジニア、プログラマーになろうと思えば、ソニックガーデンという会社もありますしね。
自分たちで会社を作ってやっていけばいいしね。 その力が。
でも、保育園からそこまで自分で考えていったら、 普通に就職とかしないんじゃない。
そこまで考えて動ける人になっているなら、 もしかしたら大学とかも行かなくても、
大学なんてそれこそ、別に社会人になってからでも大学行けばいいというか、 後からでも行ける時代になってきてるんで、
働けるとか、価値出せるとか、お客さん見つかるとかっていうところまで来たら、 一回生涯やってみても良いんですよね。
何かで見たのが、なぜ縄文時代が終わって弥生時代が来たかみたいな話ですか。
縄文人が死に絶えたからっていう話を聞いたことないですか。
何それ、聞いたことない。
結局、時代が変わっていくところの中で、 結局古いOSってどんどん新しいものが出てくるでしょ。
その時代がガラッと変わるんじゃなくて、 徐々に前のOSの人たちがいなくなっていくから、
24:01
新しいOSの人の時代が来るんだけど、
今さ、2022年でいくと、そういう虎みたいな人って、 まだまだ少数派だから居心地が悪かったりするかもしれないんだけど、
今の園児たちが大人になる頃には、 昭和のOSを引きずっている人たちはもう絶対に死に絶えてる。
現役からは引退されている可能性はあるから。
だから、その時はだいぶ違った景色の中で、 彼らは活躍できるんじゃないかなと思う。
そうなんですよね。
世の中、それこそ社会を変えようとか、 世の中を変えようって動きをされているスタートアップとかNPOとかもあるし、
それ自体は尊いことなんだけど、 慌てなくても、あと10年20年したら変わるよっていうのはある。
その感じがすごくあるんですよね。
変わった時に、OSが新しくなった時に、 まだ自分も頑張らなきゃいけないってなった時に、
古くレガシー側になってしまうと辛いので、 常に新しい側に入れるように、
その努力はしておいた方が良いかもしれないけど、
レガシーな人たちに一生懸命、 変わりましょう、変わりましょうって言わなくても、
自分のOSさえアップデートしていくってことをみんながすれば、
おのずとみんな変わるんじゃないっていうのは、 僕もいつもそれは思ってて、
今だと、僕らの教会だとデジタルトランスフォーメーションとか、
すごい流行ってて、何とか変化させなきゃって、 みんな思いすぎてるけど、
変化は勝手にするから、とりあえず自分だけでも、 少なくともアップデートし続けようぜって、
そっちの方が大事じゃないって気はしてるんですよね。
無理やり変えようとしても変わらないからなっていう。
ちなみにさっきの縄文からやよいみたいな話で、 僕が何かで読んだ記憶があるのは、
縄文の人たちって、自分の強みを生かして、 イノシシ獲るのが得意な人はイノシシ獲って、
貝拾うのが得意な人は貝拾って、 楽しく過ごしてたんだけど、
外から来た人が、これからの時代は稲作ですよとか言って、
米作りだとかっていう動きが出始めて、 それがだんだんデカくなっていって、
だんだん力を持っていくじゃないですか。
縄文の人に稲作やろうよって言うんだけど、
縄文の人ってそんなくじごじの働き方みたいなの 嫌ですとかいう感じだから、
半年後に仕立てできるものを苦労して、苗を植えるとかね。
ちゃんと決まった作業を指示された通りに分担してやるのとか、 面倒くさくないって思ってて、
27:03
すっごい渋々、できる限りやりたくない感じで断り続けてたんだけど、
稲作の規模がデカくなっていくと力を持ち始めますよね。
偉い人とかができていって。
その流れに逆らえず、渋々米作りをやっていくようになったみたいな。
要は猫だった人が世界的に犬の力が強くなりすぎたために、
犬の下で働かざるを得なくなったみたいな流れで、
弥生になっていったので、縄文人はめっちゃ渋々でしたって書いてあった気がするんですよね。
そんで弥生に生まれた子供たちはみんな自分は犬だと思って、
稲作しか見てないから。
それが常識になってる。
昭和のOSって弥生OSから昭和OSまでが一つながりな感覚があって。
長いね。
長くない?
すごいね。
そろそろ弥生OS、ちょっと限界来てるかもしれないですねって言って、
今違う、僕は縄文2.0って呼んでるんですけど。
本当にそう呼ぶの?
はい。
ラセンすごい大きい。
何年、何年くらいの数千年のラセンで、また縄文に戻ってくる感じですよね。
面白い時代になるんだ、じゃあ。
そうね、その時代の求められるものと常識が違ってるので、
いやマジで、リアル縄文時代に、弥生時代でもいいけど、言ったらもう僕役立たずですからね。
なんか小難しいことだけ言ってんなみたいになっちゃう。
いやそんなこと言わずにお前桑田が安いとか言われちゃうので、
そんな肉体労働無理ですねみたいになっちゃうから。
たまたま今はそこにはまって、それが価値になる時代で良かったなっていう。
喋って考えてお仕事になるっていいなっていう。
そうですね、だからその弥生で米作りで分業を始まって、それが行き着いたら、
それこそリンゴっていうのは皮剥いた状態でこのやつ切りになって出てくるものみたいな風に、
そこしか知識がない人たちが増えてしまいましたみたいなことがなれの果てとしてね。
だからちゃんとリンゴの皮をこうやって包丁で剥くところ全部プロセスを見せてあげることが大事ですみたいな話に戻っている感じがしますよね、螺旋的には。
30:02
最初から最後まで知っておくこと大事だよね。
オバラッチのプロセスエコノミーとかもそういう話だろうし。
私は倉松さんは縄文に生まれても弥生に生まれてもすごく重宝がられると思います。
いやーどうでしょうね。
パソコンすらないでしょうけど。
パソコンないと役に立たないですよ。
いやーでもね、言語化できるって。
あ、そういうことなの?みたいな。
時代が変わるかもしれない。
天体の動きとか読んで言語化して。
先生術とか。
占い師みたいなもんですね。
占い師だったら今の仕事と変わらないからいけるかもしれない。
変わらないの?
肉体労働じゃなくいける。
肉体労働じゃなく、若い社員たちの人生相談に乗っていくっていう。
長老役で縄文化や弥生に。
生き延びたらいけたらいいなっていう。
で、だいたいもうこれでお時間になってしまったので。
いや、今回は本当に取り留めなく終わってしまいましたけど大丈夫ですか?
続きは本で。
続きは本でね。
今日は本の話を始めて、雑草をして。
もしかしたらこの放送が流れる頃には出版されてるかもしれない。
学長が何も言わない。
このなんかすごい雑草って広げていくみたいな機能が一つあると思うんですけど。
今日だいぶまた広がっちゃったなって思います。
また広がった。
でも広げるだけ広げたらもう無理だなって。
これ全部表現するのは無理だなっていうところに行き着いて。
ものすごいシンプルなものとして出すっていう手が魅力度を増してくるから。
そんなきっかけに今日はなるといいなって思いました。
これはもう本の企画をしている3人がただただプレッシャーを感じて終わるという。
現実逃避のおしゃべりをする回みたいな。
3回にわたりご参加ありがとうございました。
雑草ラジオは定期的にまた来ていただけたらと思いますので。
いつかお呼びすると思います。
古川梨沙さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
今日は割と発散系でしたね。
発散系でしたね。
結局みんな仕事の話みたくなりましたね。
33:00
本の仕事を進めなきゃいけない人たちが集まって。
結局本の企画って大変だよねという話になりました。
いつもの雑草ラジオの気軽な感じに比べると、
自分の仕事のことを考えて僕は口数が少なくなって、
倉抜さん逆に口数多くなってたみたいな気がしましたけど、
倉抜さん的にはどうですか。
今日でも僕が話して面白かった。
第2回で僕が今書こうとしている本の頭出しというか、
一般の人向けにソフトウェアとかプログラマの生態の話をさせてもらって、
雑草ラジオからも良い反応をもらえたから、
これはちょっとなんかやっぱり目から鱗系の本になりそうだので、
ちょっと自信がついた感じですね。
学長的にはどうですか。プレッシャーしかなかったですか。
いや、プレッシャーはないんですよ。
でもこのモヤモヤを超えると良いものができるっていうのは分かっていることなので、
そのモヤモヤのタイミングで雑草ラジオと収録があったっていうのは、
なかなかないタイミングな感じもしますけどね。
なかなかないですね。
この本の企画している段階のタイミングってレアですからね。
そうですね。そんなに頻繁にあるわけじゃないですからね。
このタイミングで喋るってこともなかなかないので。
3人全員その当事者になっているタイミングってあんまないですよね。
なんもないですね。
面白かったというか、仕事した感がちょっとありました。
本作りはもうずっとモヤモヤですからね。
多分書き始めてもまたモヤモヤするから。
それこそプログラミングと似てますよね。
ずっとですよ。
ありがとうございました。
ありがとうございました。ちょっと今日は久しぶりに疲れた感じの雑草になりました。
ということで雑草ラジオは毎週水曜日公開です。
SpotifyおよびApple Podcastなどで配信しておりますので
よかったらフォローしてください。
お便りも募集をしております。
概要欄にあるGoogleフォームからお便り、ご感想、もしくは何でも構いません。
メッセージをいただけたら僕らがほっこりしますので
ぜひお便りいただけたらと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回の雑草ラジオはこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。
35:49

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