私が同じ立場であれば、まず聞いてほしいから。
なんかどういう風に思ってて、どういう風なことがしんどくて、どういうことに悩んでいたりとか、辛い、悲しい、嬉しいこともあるだろうし、なんかそういうことをね、まず聞いてほしい。
で、聞いてくれる。黙って話を遮らずに、最後まで聞いてくれて、それでもうすっきりしたって、それはよかったねって言ってくれるのと、ちょっと待って、ちょっと待って、みたいな。
で、触ってくる、私なんですけど、それってさ、こういうことやんな、みたいな、いちいち言わんでええやん、みたいなことを言うっていうのが、長年にわたって娘の記憶に残ってしまうと、あの人に話したいなって思ったときに、私の顔は多分まず浮かばないなっていうのをすごく思ったんですよ。
だから、見てたらね、これってこうやねんって言いたがるときとかもちろんあるんですよ。
せやけど、やっぱり言うんじゃなくて、まず何か本当に困ったんだって思って、困ったって言えるようにも納得かんとっていうか、言われへんかったら、そもそももうつらさ抱えるだけやから、娘が。
でも、それを言えるっていうのはすごく大事なことやから、自分で言わなあかんと思うし、それは。
だから、待つ、待ちが大切。今の私に待ちがすごく大切と思いました。
そう、待つこと。待って、求められたら確かに答えられる状態。
自分もイライラして、そんな知らんから今忙しいねんって言って、跳ねのけてしまわない。
いつでも何かちょっと困ったんだっていうSOSが見えたとき、言われたときに、ほな聞くわって。
もうありとあらゆることをストップさせて、娘に全力で向き合う状態を私が自分自身で作っておくことに力入れんやと思ったんですよ。
アドバイスばっかりしてんと、と思って。
結構やっぱり、普段イライラしたりとか、これやらなあかん、あれやらなあかんって追われてること結構ほんまに多くって、日常でね。
で、そのときに何気ない話をね、やっぱりパッと学校のこととかを話してくるんですよ。別につらいことじゃなくても。
そのときに、その何気ない会話をないがしろにする人に、大事な話しようと思いますかってなったら、私はと思わへんし、娘だってそうやろうから、
なんか常日頃アドバイスするとか、こういうことを考える方がええでみたいな考え方を伝えるっていうよりは、
この人に話そう、この人がいてくれるから頑張れそうとか、そういうふうに、何やろう、パッとね、なんか浮かぶ、なんか頼ろうと思ったときに浮かぶ人でありたいと思いました。
なんか、そう、そっち、そっちのほうが重要やんと思って。
で、それで何か言いたいなとか見てて感じ取る部分もこちらもあるので、めっちゃ何か言いたい、言いたいとかなるんですけど、
でもそこをね、何も言わんくって知らんぷりしてて、困ったら自分で言ってきなさいっていうスタイルはちょっと冷たいなと思ったけど、
ヒロヒロさんが言うように、何かあったら聞くからねって、聞く体制はできてるよっていうことをね、節目節目で伝えておく。
何回言いたいってなったときにこれ言おうと思いました、ほんまに。
行き出しね、何悩んどん、分かった、それはな、みたいなところでね、すぐ自分の価値観を押し付けたりとか、私こんなんもできます?っていうアドバイスできます?みたいなスタイルを示すことはいらんから、
そこじゃなくて、ほんまに基本的には見守るスタイルをとっておくんですけど、何かあったときは必ず絶対にいつでもそばにおるで、聞くで、みたいな。
の一言だけ、もうそう、一言だけでええんやっていうのをめっちゃ思ったんですよ。
ベラベラベラベラ、ほんまに、ほんまにうるさいんですよ私。
そうやけど、そういうとこじゃなくて、なんか節目節目でね、話すポイントっていうわけじゃないけど、大事な一言をね、大事なタイミングで伝えて、
あとは手取り足取り何かをするということよりも、ぐっとこらえて待つ、みたいな。
もう一番苦手なんですけどね、私。もうすぐ言う、すぐ言いたくなる、もうすぐ、なんか手取り足取り何でもしたなる、みたいなところがあるんですよ。
けどやっぱりそれって、自分の、私のためにもならへんし、娘や息子のためにもどうなのかなって思ったし、
だから本当に見守るって苦手なんやって改めてね、思ったし、自分の考え方の癖だったりとか、自分ってこういうふうにおせっかいというか、すぐに、
あとすぐ何でも改善するんですよ、自分のことでも。
これ嫌やなって思ったら、そのまま放置してるのってすごく嫌で、家人でもそうですし、どうしたら心地よく暮らしやすくとかを、
どうしたらっていう発想を持って行動にすぐ移すっていうのは、私のいいところでもあるんですけど、求められてへんのにそれやったらやっぱり迷惑じゃないですか。
でもなんか、そういう自分の改めて、癖、自分の癖みたいなものにも気づかせてもらえたなと思って、
でやっぱり、私としての価値観にだけに触れさすんじゃなくて、いろんな人と話すことって大事やなと思ったんですよ、子供たちが。
例えば私にもそうですけど、私が家の中だったらパパですよね。
パパの話を聞いたり、パパの意見を聞いたり、パパに話をしに行くこともすごく大事だし、
それだけじゃなく本当に、お友達のお母さんとか結構娘は話して帰ってきたりもするんですよね。
こういうのどう思う?とか、好きなの?とか、大人に質問したりとか。
そのお母さんの価値観を聞かせてもらうこともできるし、やっぱり私とは全く同じ人はいないから、価値観がね。
似てるなっていう人はいるだろうけど、全く一緒なんやっていうのはいないから、
そうやって、周りの人の価値観とか、考え方に大人の人もそうやし、子供であれね。
触れていく。本当に今、経験値を増やしてるところなんだなって改めて思わされて、
学校に行くとね、やっぱり楽しいこともあれば傷ついて帰ってくることもあったりもするんですよね。
見てたら何とかしてやりたいって、傷つく。私が見るのが辛いんです、たぶん。
絶対そう。娘の傷ついている姿を見るのが嫌なんです。
だから、こうしたらいいんじゃない、ああしたらいいんじゃないっていう、
自分も人間関係、友達との関係でつまずいたこともあったから、
こうやって乗り越えてきたみたいなのを思うから、できるだけ嫌な思いをしないで円滑に行って準備したくなるんですよ。
そうやけど、やっぱり傷つくことも経験やし、それによって不快な思いもするけど、
大切にしてる人に気づけたりしてくれてる人とか思いとかにね、
より強く気づけるとか、大切にもっとこうしていきたいと思う風にもなっていくっていう、
決して嫌なことだけで終わらないことにもなると思うんですよね。
鳴ってるとき最中は最悪って鳴ってると思うんですけど、娘も。
私も見てるの、無理辛いなーって鳴ってると思うんですけど、
やっぱり耐え忍ぶというか見守るスタイルで、
それでもどんにもこうにも首が回らないんですよみたいなぐらい、
辛い、あかん、無理やって鳴ったときのSOSを見逃さないようにしておくっていうのが大事だなってすごく家族間の話だったりとか、
子供に対する姿勢っていうのを、しかも同じ女性じゃなく男性からの意見、
そして聞かせてもらえたのは本当にありがたかったなと思って。
しかもね、ちょうど全然関係ないんですけど、今もうめっちゃ旦那さんと不仲なんです。
ちょっとしたことで喧嘩してね、もう2日ぐらい、基本で3日目です。
あまり口を聞かへんというね。
いつまでそれやってんねんって思うんですけど、
だからいつもやったら旦那さんに話したりとか、
夫の方に話して、いろんな夫側の意見とかも聞くんですけど、
まあまず今聞く耳持たれへん状態になってたので、
でもそんなときにね、やっぱり自分とは違う背景を持っていらっしゃって、
自分とは違う性別で、自分とは違う考え方を持つっていう人の意見にやっぱり耳を傾けていくっていうのは、
ほんまにいい気づきがあるんやなと思って、