1. 伊藤由美子のCozy Space
  2. 第141回「"LIVEで伝わらない曲..

▶️2023年6月マンスリーゲスト

(第140回~第144回の全5回)

シンガーソングライター:小山卓治さん

▶️今回の内容(目次)

02:01 過去の自分と比べて進化したこと

04:55 お客さんの声の力

06:43「LIVEで伝わらない曲」は伝わらない

08:00 デビュー前にやっていたローディーとは?

08:53 事務所の先輩だった忌野清志郎さんの人物像

09:47 シーナ&ザ・ロケッツの

鮎川誠さんとのエピソード

10:52 小山卓治さんのルーツ

13:05 虚弱体質で末っ子として育った幼少期

14:19 温和な祖母のことを歌った

『ばあちゃんごめんね』

◉小山卓治さん LIVE音源から

15:19『前夜』

20:45『天国のドアノブ』

※作詞・作曲者、小山卓治さんより

楽曲著作利用許諾をいただいています。

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◉小山卓治さん プロフィール

1957年熊本県生まれ。1983年3月にメジャーデビュー。今年デビュー40周年。デビュー当初からRCサクセションと同じ事務所に所属。独自の世界観で一つの物語を歌にする”ストーリーテラー”とも呼ばれ、同じ年にデビューし親交のあった尾崎豊さんや、ミスチルの櫻井さんなどにも音楽の影響を与えています。現在も毎年50本以上LIVEを行い、全国へ歌を届け続けているシンガーソングライター。

小山卓治オフィシャルサイト

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◉愛知北FMにて

第1・第3月曜日13:00~13:30

『伊藤由美子のCozy Space』

生放送もやってます

番組YouTubeチャンネル

サマリー

小山卓治さんが、ライブでの曲の伝え方やお客さんの反応によるアプローチの変化について話しました。彼は中学生の頃から創作活動をし、自分自身を歌に込めることで癒しを求めています。彼は厳しいお父さんと気の強いお母さんのもとで育ちました。

00:11
こんにちは、番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、
あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、
ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、
そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第141回、2023年6月のゲストは、
シンガー・ソングライターの大山拓司さんです。
4月16日にこの番組の公開収録、大山拓司トーク&ライブを開催しました。
その公開収録前に、大山さんには私からのインタビューを受けていただきましたので、
そのインタビューを140回から142回まで、3回に分けてお届けします。
インタビューの2回目は、ライブでの話や、
大山さんのふるさと・熊本の家族のお話などをしていただいています。
では早速、大山拓司さんのお話をお聞きください。
ライブでの進化
大山さんって、今も年間50本とかライブやられてると思うんですけど、
若い時からずっとやっぱりライブされてるじゃないですか。
若い時っていつか、若い時分かんないけど。
長くやったらだんだん分かんない。
そこで決めるのも変だなと思うんですけど、
以前と今、現在とライブやってて、何か自分の中で進化したものってあるなと思います。
うーん、お客さんに伝える方法が昔よりは明確になったかもしれないですね。
昔はとにかく闇雲にシャウトして、闇雲に伝えようっていう感じの、
若い時ってみんな力強くなっちゃうんで、
今はもっと叫ばなくても伝わることはあるとか、
例えばライブだけに絞るんだったら、
曲順を考えることで、その曲の伝わり方が全く変わったりすることもありますし、
いろいろ考えますね、アプローチの仕方ってのはね。
反応によるアプローチの変化
そのライブ会場、いろんなライブ会場があると思うんですけど、
お客さんによっても、その場所によっても音の響き方とか、
相手のもちろんお客さんの反応って違うじゃないですか。
その反応がどのように変わるのか、
お客さんの反応って違うじゃないですか。
その反応によって、瞬時にこうしようっていうアプローチを変えるとかっていうのはあることなんですか?
曲順を変えることはよくありますね。
今日はこの曲順じゃないなって。
最初はもちろんすごく考えてライブに臨むんだけど、
やっぱりお客さんとやり取りがあるので、
そこで曲順を急遽変えることはよくあるんですよね。
曲順を変えるんですね。
去年2022年の8月に、
私が前やってた愛知期タイムのソングレゾネーターっていう番組に
特別公開収録ということで、
尾山さんにライブやっていただいたじゃないですか。
あの時に最初に決められてたセットリストの1曲目が変わったんですよ、瞬間。
違う曲で始まったんですよ。
あれはお客さんを見てパッと変えたんですか、その場で。
確かそうだったと思います。
それは確かパラダスアレからビネツヤに変えたと思うんですよ。
それってお客さんの何を見てその曲に変えたのかと思って。
感覚ですかね。
感覚に近いですけどね。
なんか違うなと思ったんですよね、きっと。
感覚として違うなと思ってビネツヤにした。
そっちの方が伝わる気がしたんですよね。
なんかそんな気がします。
そういうことってよくあるんですか。
あの時はもちろんお山さんの長年のファンの方もたくさんいらっしゃいましたけど、
初めてお山さんの曲を聴くっていう人たちも多かったじゃないですか。
だからこそ変えたんでしょうね、きっと。
きっとそうなんでしょうね。
なんとなくそうなのかなと思ったんですけど。
ライブもコロナが落ち着いて少しずつみんな声を出せるようになってきたと思うんですけど、
やっぱり一緒に歌うとか声を出してもらうっていうお客さんのアプローチがあるのとないのでは全然違いますよね。
全く違うものになりますね。
ですよね。
コロナで無観客ライブとかやったりお客さんがマスクをして声も出せず一緒に歌うこともできないときって本当に辛かったですよ。
盛り上がり絶対違いますもんね、どう考えても。
今どうなのかちょっとわからないんですけどホールライブあんまり行ってないので最近わからないんですが、
35年前にお山さんのライブに行ったときってホールライブで、
そのとき満席だったのに一番前の席だったことがあったんですよ、なぜか。
名古屋で。
あれ確か一番前だったと思う。
あの頃って結構勢いよくみんな最後の方になってステージの方にみんな集まってくるみたいな時代だった。
もみくちゃになるみたいな感じだった。
私ステージの上でお山さんがアスピリーンとか言ってるのを一緒にやってた人間なんですけど。
あの熱量ってすごいじゃないですか、お客さんの。
すごかったですね、熱かったですね。
きっと熱いお客さんいっぱいいましたよね、今までも。
そうですね。
それによってこっちの熱量はかなり上がりますよね、きっと。
そうですね、相互作用っていうか、そっちが相互だからこっちも行くぜって。
行ってまえみたいな感じになりますよね、やっぱり。
なりますよね、きっと。
それがまた向こうがすごい盛り上がるとお客さんも盛り上がるみたいな。
そうそう、そんな感じです。
反応しあいますよね、絶対。
ライブの面白さってそういうところにあるんですか?
どういうところにありますか?
それはもうまず第一になりますね。
あとって、ずっとライブをやり続けたいって思ってる理由ってどこにあります?
やっぱりね、ライブで伝わらない曲は伝わらないってのがあるんですよね。
最初からそう思ってて。
ライブと曲作りの関係
一番よく思うのは、新曲ができたら俺必ずライブでやるんですよ、まず。
レコーディングする前に。
ライブで歌わずにレコーディングしたことは一回もないんですよ。
つまり、ライブで歌うことでようやく初めて曲が息吹を始めるような気がしてて。
だから必ずライブで歌って、何度も歌ううちに曲が少しずつ変化するんですね。
言葉も変わったり、メロディが変わったり。
少しずつ変わるんですよね。
それはお客さんの反応によってそれが変わっていくって感じなんですか?
お客さんの反応もそうだし、ステージからお客さんに向けて歌ってお客さんから何かが戻ってくるんですね。
そのやりとりの、目に見えない空気のやりとりの中で曲が完成していくっていうのかな。
そういうのが必ずありますね。
必ず経てからレコーディングに入りますね。
そういう歌手の方ってそんな多くないイメージがあるんですけど。
そうでしょうね。みんなどうしてるのかよく知らないけど。
知らない?知らないんだ。
どうだろうね。他の人はどんどん知ってるんでしょうね。
でも大山さんはそれも必ず昔からそれをやってきてるんじゃないですかね。
絶対そうでしょうね。
その方が自分の中でいいものができるっていうのがもう分かってるってことですよね。
そうなんですね。
さっきのデビューまで、半年間の間、曲作りと並行しながら
同じ事務所だったアルシサクセションとか
あとシーン&ロケッツのローディーをやられたってことで。
ローディーっていうのは音楽協会のツアーパッドはないと思うんですけど
聴いてる方は分かんないのに。
例えばどういったことをやってるかっていうと。
ステージやる時の楽器のセッティングだったり
地方のツアーだったら車に乗って楽器運んだり
行く先々で楽器をセッティングして
ライブの時はステージの袖で見守って
トラブルがあったら解決しにステージに飛んでったりとか
ライブが終わったらまたそれを片して
トラックに背に込んで次の街に行くみたいな
ツアーだったらそうだし、東京だといろんな場所に行って
ホールに行って楽器を組んだり壊したりっていうことをやるのがローディーですね。
それも半年間やるんですかね。
半年くらいやりますね。
アルフィスアクセーションの清代さんって
ずっと同じ事務所だって先輩ってことだと思うんですけど
イメージがつかないのにどんな方なのかなと思って
その人は謎の人ですね。
そのままの感じですか?
謎ですね。普段はものすごい静かな人ですよね。
静かなんです?
ステージなんて表現しますからね。
そういう人多いですよ。
俺はそうでもないです。
俺はそうでもない?
そうかな?
どうなんだろう?わかんないですけど。
表現までしない?
表現はしないけどステージに映ったりに上がると性格が変わりますね。
そうですよね。シャイなイメージがあるんですよ私。
確かにステージ上でシャイでいられないんですよね。考えてみたら。
歌うわけだから。
謎の人っていうので一言で終わっちゃうんですね。
謎の人です。あんまり話しかけにくい。
雰囲気なんですか?
SEED & ROCKETSの有川さんはなくなってしまいましたけど。
有川さんはとてもフレンドリーな方でしたね。
デビューした後何度か一緒のイベントとかやらせてもらったんだけど
すごくフレンドリーに通じてくれてとても嬉しかったですね。
あの方も九州の方ですよね?
福岡です。
そのままですもんね。ずっと。
高田弁のままでしたよね最後まで。
そうでしたね最後まで。
え、そういう時って
別に聞きたくない質問かもしれないけどみんな
そういう時って小山さんって熊本弁になるんですか?
ならないですよ。
九州の方だと同じようなイントネーションになっちゃうのかなと思ったんですけど。
意外と違うんですよ。
違いますよね。博多と熊本と。
全然違いますね。
鹿児島は全く違うじゃないですか。
熊本弁出ます?今。
あんまり出ないですね。
東京の方が。
もうさすがに出ないですね。
だから熊本で帰るとたまにちょっとおかしなイントネーションになっちゃうことがたまにありますけどね。
つられてって感じでね。
そのみんなの会話にね。
熊本市内なんですか?
熊本市内なんですね。私あの水前寺公園とか好きなんですよ。
え、熊本って5兄弟って?
上に2人います。
お姉さんとお兄さん?
そう、3人兄弟の末っ子です。
末っ子な感じします?自分で。
どうでしょう。よくわかんないな自分で。
一見お兄さんぽく見られるかもしれないじゃないですか。
親の影響と創作活動
どうでしょう。自分にはわかんないな。
自分にはわかんないですよね。確かに。
お父さんって高校の先生だってブログかなんかに書いてましたよね。
そうですね。高校の教師やってて。
昔昔役者の卵みたいなことやってたみたいなことをちらって言ってたことがあって。
高校演劇の脚本を書いてその芝居の演出をしたりとかしたんですよ。
そういうところは多分僕は影響を受けたんだと思いますよ。
そういう創作活動っていうところでね。そういった地位を築いてるんじゃないかってことですよね。
厳しい方でした?
厳しかったですよ。大正末期の前だったんでね。
大正末期?
厳しかったですよ。
それはお兄さん、お姉さん、小山さん、みんなに厳しい方でした?
みんなに厳しかったです。
そういうことですね。九州男児ね。小さくて言うことでもないですけど。九州男児ですもんね。
一応ね。
九州男児ってすごい強いイメージがあって、強いイメージがあるじゃないですか。
あれないんですか?九州男児っていう。
九州男児と言ってもいろいろありますからね。いろんな人いますからね。
でも結構キーマンはやっぱり女の人な気がするんですけど私。
確かにね。
なんやかんや言って女の人が厳しいっていう気がするんですけど。
それは当たってますね。
ですよね。うちもだから親がどっちも九州なので、その感じを見てると結局お母さんが強いんじゃないかなとか思うんですけど。
お母さんはどんな方だったんですか?
やっぱり気の強い人でしたね。本当に気の強い人でしたね。
本当に気の強い人でしたね。
それしか出てこなかった今。言葉が。お父さん厳格な人、お母さん気の強い人。
厳しい人でしたね。
どっちも厳しい方だったんですか。
大山少年はどんな感じで育ったんですか?三人兄弟の末っ子で。
僕はどっちかというと引きこもりタイプでしたよ。
自分で絵描いたりとかする感じですか?
工作しちゃったりとかしてたりとかね。一人でちまちましてることが多かったですよ。
ご兄弟とはちょっと年離れてるんですか?
そんなに離れてないですよ。二つ三つずつ。
一緒に遊ぶってことはあんまりなかったんですか?
多分ね、僕だけちょっと軽弱体質なところがあったんで。
あんまりそんな記憶は二人に比べればないかもしれないですね。
一人遊び多かったってことですか?
友達とかと外で遊ぶっていうよりはそっちが多かったんですか?
多かったように記憶してますね。
外で関係理したりとかそういうのイメージがなかったんですね。
あんまりないですね。
家の中で工作したりって言って日常的にそういうことされてたんですか?
そういうことされてたんです。
あと本読んだりとかね。あんまりアウトドアな少年ではなかったですね。
やっぱりその時から創作活動好きなんですね。
なんかちまちま作ってましたね。
何か作り出すの好きなんですね。
そうかもしれないですね。
今って曲以外に何か作り出すものって何かやってますか?
今は何もできないです。今はもう何にも作れないです。
曲は作れますもんね。
曲作れればもういいじゃないですか。
一つできれば人生の中で。十分でしょ?
そうですね。今の大山さんの曲でばあちゃんごめんねってあるじゃないですか。
大山さんのおばあちゃんと熊本の話
大山さんのおばあちゃんのことを歌ってるんですよね。
おばあちゃんはちょっと優しい感じの人だったんですか?
そうですね。本当におばあちゃんでしたね。
おばあちゃんってやっぱりそんなイメージあるじゃないですか。
みんなそうかもしれないけど。
孫にはやっぱり甘いですよね。
そうですね。
おばあちゃんに結構可愛がられたってことですか?
可愛がられてましたね。優しい大人しい人でしたね。
大山さんのお父さん側のおばあちゃんの話なんですか?
母親側のおばあちゃんです。
ずっと熊本なんですか?
熊本。うちの親父は福岡の都市なんですよ。
九州の九州なんです。
お父さんとお母さんの性格
それでは熊本の話なんですけど、熊本が2016年に地震があったってことで。
大山拓司さんにご登場していただきました。
ここからは大山拓司さんが作詞作曲された曲のライブ音源をお届けします。
前夜、そして天国のドアノブです。どうぞ。
狭すぎるこの家を明日出て行く
花の一人の男として
あなたの息子としてではなく
俺の体に二人の熱い血が
流れてるってことは決して忘れない
さよならとさ
あなたのような男になるよ
さよなら傘
あなたのような女を探すよ
俺はこの街で市長になるより
大統領になりたかったんだ
あなたが俺を殴った
痛みも持って行くよ
あなたもずっと昔街を出た
母さんを愛し俺たちを育てた
その時のあなたに
今の俺は嘘っくりなはずだ
二人が俺を息子として誇りに
思ってくれたことは決して忘れない
さよならとさ
あなたのような男になるよ
さよなら傘
あなたのような女を探すよ
俺たちは互いに不器用なだけだ
距離を置いてでしか愛せなかった
だから何も言わないで
もう悲しむ時なんかじゃない
俺が生まれた朝のことのように
今日のことをいつまでも忘れないで
さよならとさ
あなたのような男になるよ
さよなら傘
あなたのような女を探すよ
眠れないまま迎えた午前四時
あいつのことを思い出す
朝露に濡れて輝く花びら
ベランダのブルーデイジー
天国のドアノブを回したあいつ
生き残るって宿題を勝手に言い残して
節奏は相変わらず終わってないし
俺のパソコンは調子が悪い
路上では聞いたことのないリズムで
歌い始めてる連中がいるぜ
あの頃俺たちは若くて愚かだった
今は若くはなく愚かなままだ
天国のドアノブに手をかける
俺たちはみんな天国のドアノブに手をかける
俺たちがいつか天国のドアノブに手をかける時
安らかでいられますように
彼女とは最近すれ違い
面倒な仕事ばかりが舞い込む
昨日のニュースが言ってた
また誰かが子供をわけもなく殺したってさ
遠いけどそこにあるって信じてた
ちっぽけだけど悪くない未来
天国のドアノブに手をかける
俺たちはみんな天国のドアノブに手をかける
俺たちがいつか天国のドアノブに手をかける時
安らかでいられますように
始発電車の音がする
二本目のタバコをくまえる
ズルズルと嫌な音を立てて
いつの間にか過ぎていく毎日
それなりに経験は積んできたのに
わからないことは余計に増えた
分かってる残された時間を
精一杯生きていくしかないってことだろう
ちくしょう言ってきた
そっちはどうだい
花は咲いてるか
天国のドアノブに手をかける
俺たちはみんな天国のドアノブに手をかける
俺たちがいつか天国のドアノブに手をかける時
安らかでいられますように
天国のドアノブに手をかける
天国のドアノブに手をかける
天国のドアノブに手をかける時
安らかでいられますように
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました
それでは次回もお楽しみに
伊藤恵子でした
27:56

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