1. 伊藤由美子のCozy Space
  2. 第134回「立ちはだかる厳しい..
2023-04-23 20:36

第134回「立ちはだかる厳しい現実~ブラック企業・大手商社の仕事で学んだこと」元祖鯱もなか本店 専務取締役:古田憲司さん(中編2)

▶︎2023年4月のマンスリーゲスト

(第132回〜第135回までの全4回)

元祖鯱もなか本店:専務取締役 古田憲司さん

▶︎今回の内容(目次)

なぜブラック企業の社畜に?

転職を繰り返すも、立ちはだかる厳しい現実

大手商社で身につけたビジネスの基本

実力差を感じさせられた時にとった行動

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『元祖鯱もなか本店』公式HP

楽天市場

Twitter

Instagram

YouTube鯱もなかチャンネル

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◉愛知北FMにて

第1・第3月曜日13:00~13:30

『伊藤由美子のCozy Space』

生放送もやってます

◉愛知北FM『伊藤由美子のCozy Space』

YouTubeチャンネル


00:18
伊藤由美子のCozy Space、第134回。
2023年4月のゲストは、元祖社地もなか本店、専務取締役、古田健二さんです。
古田健二さんのインタビューは、132回から135回まで、4回に分けてお届けします。
インタビューの3回目は、
会社員時代転職を繰り返すも立ち上がらかる厳しい現実や、大手商社で身につけたビジネスの基本などについてお話ししていただいています。
では早速、古田健二さんのお話をお聞きください。
そうなんですね。でもそこから、次なんかブラック企業社畜って書いてあったんですけど。
ブラック企業社畜ってのがすごいんですけど。
だからそのままフリーターのバンドマンとして、お社会に出たんですけど。
なんかエネルギーが、パンクのエネルギーって衝動的なもので、持続的なものじゃないんですよね。
そんな感じはありますね。
っていうのがあって、フリーターになったっていうのもあって、なんかちょっとテンション的にもダウンしてしまって。
自己肯定感がちょっと下がっちゃった。
っていうのもあって、バンド解散しちゃったんですよ。
そうなんですね。
そこから何年くらいで、CDが発売からどのくらいで解散しちゃったんですか。
1年くらいかな。
解散しちゃって、僕は中古のCDとかレコードの売ってるお店でバイトしながら、また次のバンドに入ったりとか。
音楽活動はやっぱり続けてるんですね。
次はベースとして、歌はやらずにベースとして、もっとハードコアなパンクをやりながらバイトしながらっていう感じだったんですけど。
2年くらいやってて、そしたらうちの今の妻ともずっと付き合ってたんですけど。
24くらいになって、お互いフリーターだし。
そうなんですね。
お互いフリーターで、うちの妻の親としては、わけのわからん感じの相手と付き合うのは辞めて、お見合いとか。
辞められてたんですね。
今、奥さんになってらっしゃる。
っていう話もあったんで、バンドもそこまでうまくいかなかったし、就職するかと思って。
03:05
就職したんですけど、ちょうどそのタイミングがリーマンショック直後だったんですよね。
その時期になりますから。
ストレートに就職してれば一番景気良い時だったんですけど。
その2年の間にリーマンショック来ちゃって、求人とかなかなかない状態だった。
そういう時に募集してるっていうのは、やっぱり離職率高い。
確かにね。その可能性高いですね。
そんなこともよくわからず、入っちゃった会社がブラック企業だったっていう感じで。
ブラック企業と一言言っても、建築業界もね、結構ブラックって言い方あるじゃないですか。
残業はもう日常的ですし、遅くまでやってとかっていうのもあって、
中小とかだと残業代も本当はいけないんですけど、付かなかったりとかする時代がずっとあったんですけど。
どんな感じの、言える範囲?言えるのかな?
労働時間的にね、結構業界的に多いとかそういうところもあると思うんですけど、
その会社は営業会社的なブラックさだったんですよね。
実際にこの実作業があって勤務時間が長いというよりは、
若いやつは9時前に帰るっていうことはあり得ないみたいな。
理由じゃなくて、理屈じゃなくて。
昭和の時代の部活動厳しい先輩後輩みたいな感じの、もっと大変なやつみたいな感じですか。
若いから9時以降まで勉強するのが当たり前だみたいな、謎の。
今の令和の新しい人だと本当に果てな世界ですよね。
鞄、すごいごつい革の鞄を買い与えられるんですけど、
そこに紙のカタログをぎっしり詰めていくんですけど、
その鞄の重さが、これが先輩より軽いとなると、やる気あるのか?
簡単に言っちゃうもんですよね。
鞄が軽いっていうのは何事だっていう感じで。
本当謎なんですけど、それでぎっしり詰めて、10キロぐらいあるんじゃないかなっていうのを持って、
歩いて一日中回ってこいっていう。
それのやりすぎで腰を痛めてる先輩とか。
重いの持って歩いてるから。
ヤバいですよね。
そういうことが日常的にいろいろあるっていう会社だったんですか。
本当はパワハラ体質だし、大変でしたね。
そこは何年くらいいたんですか?
そこも1年もいれなかったんですよね。
いらないですよね。理不尽なことが多すぎて。
成果を出す前の段階じゃないですか、それこそ。
だから、IT系のソフトを売ってる会社だったんですけど、
10ヶ月くらいいたんですけど、結局何を売ってるのかわからなかったんです。
06:05
そうですよね。
今、IT系って聞いて、昔からの業界かと思ったら違うんですね。
結構昔からあって、コンピューターが出始めてきた何十年前。
そこは業界からいったら古いんですね。
そうそう。っていうところで、営業にかなり力を入れてきた会社だったんで、
本当にみんな髪型がリーゼントなんですよ。
え?
本当にリーゼントで。
なかなかないですよね。営業マンでリーゼント?
あんまり見ない。
本当にリーゼントで、なんでこんなにみんなリーゼントなんだろうって不思議に思うんですけど、
やっぱり営業とはこういうもんだっていう。
謎の基準があったんですね。
社長もリーゼントとかなんですか?
社長はオールバック。
ちょっとあれかな。
オールバックかリーゼントかっていう感じ。
そうなんですね。その後に入るスペース。
謎のいろんな要求があり。
10ヶ月はでも耐えたんですね。
本当に耐えましたね。
本当に人格否定される日々だったんで、つらかったですね。
なかなかそういう厳しいところに行ってると、後は楽ですね、でもね。
いやいや、また次行ったところもまたブラックだったんで。
これ一社じゃないんですか?
一社じゃないです。
次に行ったところもブラックだったんですか?
次行ったところは数人レベルの超冷裁企業だったので、ブラックというよりは、
一人オツボネさんがいて、その当時35歳くらいの元ヤンっぽいオツボネさんが一人いて、
その人に潰されたっていう感じかな。
いろんな経験されてますね。
その段階でプルカさんはいくつですか?何歳ですか?
25歳。
若いですよね。その後はブラックじゃないですか?大丈夫ですか?
その後の会社はまたブラックだった。
そんなに続きます?
その次の会社は100人くらいにいる中小企業で、オーナー企業なんですよね。
どこもそうだと思うんですけど、社長がおむこさんで、その社長の奥さんが創業者の娘の副社長なんですけど、
そのおばあさんの副社長がすべての権力を握っていて、
あの子気に入らないわ、みたいな、倉庫にさせん、みたいな。
あれうちなところはありますよね。そういう話も聞くことはありますよね。
ちょっと服装が派手ね、みたいな。
人声で次違うところに行っちゃうんだよね。
赤色の靴下履いてた、あの子はもうダメ、みたいな感じで。
その基準でね。
09:00
飛ばされちゃうんですよ、倉庫に。
さっき、ふーたさんの今のお店のどういう人とやりたいかって基準あったじゃないですか。
その当時25歳あたりのふーたさんは、何か条件で選んでそうなっちゃったんですか?
もう選ぶ立場じゃなかったですね。
もう本当にさっきのリンマーショックのことがあって、
とにかく出てるスケジュールのところに働きに行くしかないっていうような感じですか?
今だったらね、何か起業してとかでもあったかもしれないですし、
いろんな選択肢あったと思うんですけど、
当時自分の親がサラリーマンっていうのがあって、
大人になって生活していくだけの給料を得るっていうのが、
ホワイトカラーのサラリーマンになるっていう、
それしか何か思いつかなかったんですよね。
自分の環境っていうのもあると、そういう選択肢になりやすいですよね。
それがちゃんとした社会人になることなんだっていう、
そういう固定観音があったんで、
そういう仕事の中で探していくと、
今までお伝えしたような会社に行き着いちゃったって感じですね。
行き着いちゃったって感じ。
そっから抜け入れることはできたってことですよね、今に至ってるってことは。
そっから良かったのが、その次の会社がでっかい会社だったんですよね。
なんで採用されたかわかんないですけど、
なんで採用されたか、とりあえず申し込んでみた?
そう、トヨタグループのある会社なんですけど、
その大企業の子会社を狙ってたんですよ。
大企業はハナから無理だと分かってたんで、
そういうなんちゃらなんちゃらみたいな、
大企業のグループのね、
そういうところだったら、まだバンチャンあるかもしれない。
あと、労働基準等的なのはね、やっぱりちゃんとしてますよね。
そういうところばっかりひたすら送ってったら、入れたんですよね。
本体の親会社から切り離された一つの部門で、
そこがすごく伸びてる段階だったんで、
人もどんどん取ってるっていうタイミングに入り込めた。
だからそこで初めて大企業の環境で仕事をすることができて、
そうしたら職場のビルもとんでもないでっかいビルだし、
研修とかでいろいろ活かされるんですけど、
そんなのも初めてだったし。
大手企業ってそういう研修が充実してますよね。
そうなんですよ。
人を育てるっていうところのベースがきちんとされてますよね。
だから最初ロジカルシンキングとか、いろいろあるんですよ。
いろんな財務であったりとか、そういうのを全部受けなきゃいけないっていう基準が。
全部受けて、いろいろ条件満たすと、次のランクに進めますよみたいな。
そういうのもしっかりしてましたし、
あとは募金産給と投育難点とか、そういうのも取らなきゃいけないんですよ。
12:03
そういうところも。
だからそういう仕事もしながら、
本当に社会人としての最低限のスキルを身につけることができたって感じですね。
よかったですね。すごいよかったと思いましたけど。
本当によかったんですけど、
僕と同じタイミングで同じ業に中途が入ってきてるんですけど、
周りがすごく優秀な人たちばっかりだったんですよ。
今までのブラック企業だと、僕の出た大学とかでも割といいとこ出てるなっていう感じだったんですけど、
ちょっとレベルが違って、本当に一流なんですよねみんな。
みんなが知ってるような大学ね。
ガチのエリートの人ばっかりが同僚だったりして、
年下の先輩とかもいるんですけど、
年下の先輩が明治のラグビー部の首相でしたみたいな、こんなムキムキの。
頭もいいし、コミュ力も抜群だし、朝まで飲んでも平気みたいな。
すごいね、スーパーみたいな。
そういうすごい人たちを前にして、
自分、頭も悪いし、仕事できないし、
そうなんです?
本当にちょっとレベルの違いに苦しんでたんですよ。
いい会社入ったら入ったで。
自分がスペックを持ち合わせてなかった。
そこで自分の中で、そこからどうしようと思ったんです?
その時の直属の上司がものすごいできる上司だったんですよね。
結構、親会社から課長的なポジションで来る人たくさんいるんですけど、
僕の上司だった人は、子会社に僕と同じように中途で入ってきて、
それから上に上がっていってる人で、超やり手だし、ハングリー精神もあるし、
でも親会社に対しても負けないじゃないですけど、
すごいそういうできる人だったんですよね。
だけどめちゃめちゃ怖くて、
めちゃめちゃ怖くて怒られるし、徹底的に詰められるんですけど、
そこには愛はあるんですか?
今までのブラック企業よりは愛があって、
あとは本当に苦しいんですけど、成長は感じられたんですよ。
そこ大事ですよね。苦しいだけじゃ続けれないですもんね。
本当に成長は感じられたし、そこに食らいついて、
辛いけど食らいついていったら、フルちゃんって言われてて頑張ってるからって、
そこを評価してくれるんですよね。
ちゃんと見てくれてるんですね。
自分もそうやって上がってきたし、
15:00
中途で苦しみながらも頑張ってるというところはちゃんと評価してくれる。
だけど仕事のレベルもめっちゃ高いんで、
本当に頑張らないとついていけないっていうところもあったんで、
鍛えてもらって。
そこでは営業なんですか?
商社なんで、
いろんなことを。
セールスみたいなことは全くないんですけど、法人営業って感じですかね。
コミュニケーション能力とかも大事ですよね。
めちゃめちゃ大事ですね。
めちゃめちゃ大事だし、
でもこれまでと違ったのは、
接待される側になったんですよ。
そういうことですね。
接待する側か、接待される側になるんですよね。
される側になって、すごくカルチャーショック。
そこで、大手に行けば行けば、接待される側になりますもんね。
もっと大手というかね、
そういう大きなお客さんを相手にするときは、
接待しないといけないとか、いろいろあるんですけど。
だけど、一つの仕事をやり遂げるために、
その直続の上司もいれば、
その上に部長みたいな人がいて、
その上に上部みたいな人がいて、社長がいるんですけど、
それとは別に、親会社の方の事業部があって、
親会社の事業部の部長が最高責任者としていて、
そこで関連のグループがあって、
ここの全員の合意を取って、
それで相手の会社のところにも同じように、
そういうでかい組織があって、
事業部長がイエスというのかどうなのか、
みたいなところを、末端の僕が全部調整をして、
一つのプロジェクトというか、
合意を取るために、
一年掛かりで物事を動かしていくみたいな、
そんな仕事内容でしたね。
そこもやっぱりプロセス経て、
そこまで行き着くわけじゃないですか。
そう。
そのプロセスは楽しめました?
そこの会社で。
やっぱり大きなことを動かす瞬間っていうのは、
すごい楽しかったですし、
やっぱりそこで、
基本メールベース、メールとか、
Excelで作った資料とか、
そういうものをベースに話していくんですけど、
そこでイエスとしか言いようがないほどに、
組み立てるんですよね。
なるほどね、やっぱりね。
プレゼンテーションをそこできちっと定めるんですよね。
そのまま常務に、
ここまでのプロセスを報告する、
メールを送るときには、
こうでこうでっていうのを入れて、
この1CCに入れといて、
この人も見てるから、
ここはもうノートは言えないだろうみたいな、
そんな本当にいろんなことを考えて、
ここでノートを言われたら、
全部もう振り出しに戻っちゃうし、
っていうようなところで、
押し通すスキルみたいな。
それって今の発信に行きますよね、
18:00
発信の文章にね、そのまま。
ほんとここでちょっと1つ間違えるだけで、
ニュアンス違っちゃったら、
もう本当に全部パーになるし、
そういうのが、
本当なんか奥とかが普通に動く話を、
毎日してるわけなんで、
だからそこで、
地雷を踏まないスキルみたいな。
なるほどね。
地雷を踏まないスキルか。
そこをしっかりと、
本当にしっかりと身につけてきたから、
今のところ炎上とかもせずに、
やれてるんだろうなって、
なりますよね。
生きてますね。
生きてますね。
今に生きてますね、やっぱり。
やっぱり私、このポッドキャストでお聞きすると、
人生ストーリーを伝えたいっていうのがあるんだけど、
やっぱり色を聞いていく、
やっぱり何一つ無駄がないですよね、
っていう話になるんですよね、やっぱりね。
そんだけ辛かったりね、
大変だっていうことがあったとしても、
やっぱり後々何か、
こういうことをやってきたから、
今これができるのっていうのって、
本当に多いですよね。
多いです。
まあね、本当によく言うけど、
経験は財産ですよね。
本当そうですね。
そうですね、
そういったサラリーマン生活を送られてたところですよね。
そうです。
私が本当にラジオでも、
私、来ていただいたときも話しましたけど、
最初に古田さんとお会いしたときは、
サラリーマンだったんですよね。
そうだったですね、そうでしたね。
2018年くらい。
そのくらいだったかなと思いますね。
5年くらい前はサラリーマンだったんですよね。
サラリーマンでした。
その後、
ちょっと副業みたいな感じですか?
副業で不動産投資をやってたんですよね。
だから、サラリーマンとして成長できたし。
古田賢治さんにご登場していただきました。
次回は、
会社員時代に始めた不動産投資や、
古田賢治さんにとって居心地の良い場とは、
などについてお話ししていただきます。
この番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、
音声アプリの購読ボタンや、
フォローボタンをポチッと押していただくと、
毎週日曜日に配信されたものがスムーズに聞けますので、
番組登録をよろしくお願いします。
それでは次回もお楽しみに。
伊藤絵美子でした。
20:36

コメント

スクロール