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2023-04-16 21:37

第133回「心の隙間に入ってきた音楽。パンクロッカーが全国デビューするまで」元祖鯱もなか本店 専務取締役:古田憲司さん(中編1)

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▶︎2023年4月のマンスリーゲスト

(第132回〜第135回までの全4回)

元祖鯱もなか本店:専務取締役 古田憲司さん

▶︎今回の内容(目次)

売上を仲間と共に創り出す

仲間と働く上で一番大切な基準

異色すぎる古田憲司さんの経歴

心の隙間に入ってきたパンクロック

大学時代に手にしたCDデビューのチャンス

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◉愛知北FMにて

第1・第3月曜日13:00~13:30

→『伊藤由美子のCozy Space

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00:18
伊藤由美子のCozy Space、第133回。
2023年4月のゲストは、元祖社地もなか本店、専務取締役、古田賢治さんです。
古田賢治さんのインタビューは、132回から135回まで、4回に分けてお届けします。
インタビューの2回目は、仲間と働く上で大切にしていることや、異色すぎる古田さんの経歴についてお話をしていただいています。
では早速、古田賢治さんのお話をお聞きください。
今、お店の専務取締役という形でされていると思うんですけど、営業かつ広報担当みたいな感じですかね。
そうですね。やっぱり売上を作っていくというところが、自分以外できる人がいないので、そこを担当しているという感じですね。
職人さんは職人さんで、お菓子を毎日しっかり作ってもらうというのが仕事ですもんね。
そうなんですよね。両手使ってずっと働いてもらっているので、そこは役割は分担してやっているという感じですね。
あとやはり、ノートでも拝見させていただいたんですけど、自分がこの人と一緒にやっていきたいという人とチームを組んでいるんですけど、
そういうのも私も今大事だなと思っているところで、誰でもいいわけじゃなく、この人だという人にオファーして、
一緒にやってもらって世界観を作っていくというところの話もあったので、
そうなんですよ。
そうだよなと思って見てたんですけど。
そういうのも本当に成功した事例もあれば、大失敗したのもあったりして、
やっぱりですね、方向性かな、同じベクトルでというか、目指したいところを見れているかどうかというところが一番大事だと思って、
うちも単純に求人出して来てもらってというケースもあるんですけど、それでうまくいかずに離れていっちゃうということもあって、
やっぱりそういう場合の典型的な特徴としては、条件でうちと一緒に仕事をしているという部分、条件でつながった関係性というのは離れるときも条件で離れていく。
例えば、こんだけお給料もらえるとか、何時から何時まで働くんだとか、そういうところだけだと離れているときもそういうところから離れていくってことですよね。
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でも先ほどのやっぱり目指す、方向が一緒、ベクトルが同じっていうところだとまた全然違う人間関係が作られていくんですよね。
条件というのは目標というか、目標が給付されていると条件というのはビビタル部分になってくるので、それは調整していけばいいだけの話なんですよ。
逆に言えば、その条件に合う人だったら他の人でもいいっていうことでも言えちゃいますもんね。
言えちゃうんですよね。
それがやっぱり同じ方向を向かってやる人、この人だって見つかるとか見つけるっていうか、たまたまのご縁だとかいろいろあると思うんですけど、
古田さんの中で一緒に今やっていらっしゃる方ともいらっしゃると思うんですが、一番大事なところの基準っていうところを今お聞かせいただいていいですか。
そうですね。これまでいろんな人とお会いしてきてうまくいった人の共通点としては、やっぱりその人自身が前向きにこんなことをやりたいみたいなものを持ってる人かな。
自分でちゃんとそういったものを持ってらっしゃる方ですよね。
仕事を通じてなのか、仕事に限らずでもそうだと思うんですけど、自分で人生を作っていくというかっていうモチベーションのある人とやっていくと、
うちの会社というか、僕なんかも本当にもともと未来のない会社というか、廃業を迎えるところまで来ていた会社を引き継いで、その中でいろんな企画をやっていって、いろんな出会いを作っていって売り上げを作っていくっていうようなプロセスをずっと繰り返してきてるんですけど、
そうやって何もないところから作っていくっていうところを楽しんでくれるというか、そこをチームで一緒にやっていくっていうプロセスをワクワクして一緒に作り上げていくっていうことができる関係性っていうのがすごくいいなと思いますね。
プロセスを楽しめる人っていいですよね。
すべてがうまくいくことばかりじゃないじゃないですか。もちろんやったことないことをやることもいっぱいあるので、そこで不安になったりすることも人間だから感情的にはあると思うんですけど、でもそれよりもまして、まずやってみよう楽しんでいこうよみたいな感じの、いい意味の楽しみ方ができる方だと、どんどん相乗効果で楽しくなってきますもんね。
そういったのをベースにあるっていうのがいいですよね。
変化を楽しめるっていうのが結構大事な要素かもしれないですね。
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変化を楽しめるですよね。私も結構変化楽しみたいタイプの人間なので、とってもすごくわかるんですけど、この変化を楽しめるっていうところからちょっと入ってきますが、
今度は古田さん自身のことをお聞きしたいんですよ。
フェイスブックのね、プロフィールにも書いてありますけど、フリータパンクロッカーからみたいな、ブラック企業社畜、そして大手商社マンを経てビックリ不動産投資家、そして現在に至るという。
そのフレーズだけでなんだろうこの人って。何が起こってたんだ今までっていう。
古田さんの見た目の感じがすごくスマートでイケメンなんですけど、キンがあってっていう、どっちかっていうといいとこの子なのかなくらいの感じの雰囲気で思ってたんですけど、
いいとこの子かもしれないんですが、フリータパンクロッカー?と思って。そこ登っていくと、中学では吹奏楽部だったんだ、高校では演劇部だったんだっていうのがわかってきて、
何、22歳でフリータでパンクロッカー?どういうことだっていう。どういうことなのかちょっと今日はお聞きしたいと思って、実は来たのがあるんですよ。
どういうことなんですかね。
どういうことなんですかねって私も言うのも失礼なんですけど、人の人生に対して。すごい興味深いなと思って。
そうですね、だからフリータパンクロッカーの一つの第一章、人生の第一章でピークを迎えたのが、フリータになる前ですけどね、大学4年生の時にCDの全国発売、インディーズでして、っていうところですかね。
いきなり一言で言っちゃったんですけど、でもそれって簡単にだから、じゃあ明日からCD出そうっていう話じゃないじゃないですか。
じゃないですね。
まずだってパンクロッカーってバンド組んでたんですよね。前ちょっとお聞きしたいけど、ベースだったんですよね。そうするとバンドやるにしても人が集まらないバンドにならないじゃないですか。
そうですね。
そのあたりでどういうきっかけでパンクロッカーに至ったんですか。
もともとパンク好きだったんですよ。
聴く側でね。
聴く側で好きで、でももっとさかのぼると、3歳の頃からピアノを習ってたんですよ。
だからうちの両親は父親普通のサラリーマンで、母親専業主婦で、弟一人の普通の各家族で、3歳からピアノを習ってたんで、音楽はいけますと。
そうですね。譜面読めてね、弾けるっていうの大事ですもんね。
なんですけど、小学校の頃はピアノとか、学芸会とかだとピアノ弾く人みたいな感じ。
そうですよね、弾けるとね。先生に頼まれますよね。
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テストの点数もよくて、優等生だったんですよ。
なんかイメージありますよ、今の感じの。
小学生だったんですけど、そっから進学した中学がひどいヤンキー中学でした。
荒れてたんですね。
めちゃめちゃ荒れてて、本当に荒れてる中学で。
だからテストの点数良いっていうのが、なんか逆にマイナスになっちゃうみたいなところがあって。
逆にいじめの男子とかになるとか感じする?そういうわけではない?
いじめてほどまで行かなかったですけど、後ろの席にヤンキーがいて、
ある程度テスト良いのがわかってるから、お前ちょっとテストのとき見せろよみたいな。
そういうことか。
そういうのが嫌で。
嫌ですよね、それは。
ちょっとなめられるのが嫌だからと思って、自分も茶髪にして。
そっちに行っちゃうんだね。そっちにヤンキーにやったんですね、そっち高校に。
それきっかけだったんですか、茶髪になった。
中学、運動部行かなかったんですよ。
運動部行かなかった、運動部はあんまり好きじゃなかったっていうことね。
ちょっとスポーツより、文化系で吹奏楽部行って、音楽はずっとやってて、
その当時ってビジュアル系とかすごい流行ってたんですよ。
グレイとか。
その時代ですね。
ビジュアル系のコピーバンドとかやるってなったときに、
僕もいろいろ歌でっていうときもありましたし、キーボードでっていうときもありましたし、
っていうのをやってたんですよね。
だからコピーバンドとかで中学からそういうことをやってたっていうのがあって、
高校では演劇部ですよね、スポーツできないからっていう感じで行ってまして、
それとももう茶髪じゃないですか、高校は。
高校のときは茶髪もやったし、金髪とか。
金髪も自由にやってた。
っていう感じでやってて、ずっとなじめなかったんですよね。
学校とかクラスとか、あんまり仲いい友達とかもいなくって、
たぶん原因として、小学校のころにすごく優等生で、
自分は点数よかったんですけど、
それで人と比べてテストの点数の良さで自分を保ってた部分があって、
そこが基準になってたんですね。
そこが基準になってて、
テストの点数良いと親は褒めてくれるし、
だけど100点とかが基準になると、
1個間違えるだけでめちゃめちゃ怒られたりみたいな。
そういうことですね、感度がもう上がっちゃってたんですね。
親もちょっと若かったんで大変だったと思うんですけど、
そこで人とうまく関係性を作るっていうのはずっと苦手で、
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そうなんですか、今はちょっと考えられないですよね。
そのまま中学行って高校行って、
なんとなくなじめない。
ずっと自分の中でなじめないなと思いつつ、
学生生活を送ってたってことですね。
そうですそうです。
このなんか違和感は何なんだろうって思ってたんですけど、
そういう心の隙間に入ってきたのがパンクだったんですよね。
心の隙間にパンクがあった。
それはなんか衝撃があったんですか、最初。
もともとすごい衝撃があるようなイメージの音楽ではありますけど。
最初は本当に高校1年生くらいのときに聴いたブルーハーツがすごくはまって、
その時点でもだいぶ昔の音楽だったんですけど、
そうですよね、ブルーハーツさんの年齢から。
今は30代後半ですね。
38ですけど、それでゲオとかに行って連絡しまくって、
昔の音楽とかすごい聴いていて、
これは自分の言いたいことを代弁してくれる、こんな音楽だったのかと思って。
なるほどね。
音楽で自分の言葉を代弁して伝えれるものがあるんだっていうところに響いたってことなんですね。
そうなんです。
パンクが。
確かにメッセージでは強いイメージはありますけどね。
ブルーハーツなんかとかもね。
だから高校時代は本当にどんどんそっちの方にのめり込んでいって、
ちょっと流行ってる感じの、その当時青春パンクっていって、そういうの流行ってたんですよ。
モンパチーとか、そういうのも聞くのは聞きながらちょっと半分横目で見ながら、
どんどんアンダーグラウンドな、ちょっと昔の80年代ぐらいの過激な感じのところにのめり込んでいって、
その時の一つ結論が出て、自分がこの社会に馴染めないっていうのは、これは社会が悪い。
そっちに行ったんですね。社会が悪い。
社会が悪いって結論付けて、なのでこの社会で自分が生き生きと生きていくためにはパンクしかないって思ったんですよ。
パンクを通して社会に対してメッセージを送ろうという感じで、もう意気込んでたんですね。
そんなことを考えながら、でも根は優等生なところがあるんで、普通に勉強をして、大学に進学したんですけど、
大学に在学中もメンバー集めてバンドやってっていうことをずっとやってたんですよ。
いくつかバンドが変わってたりとかしたってことですかね。
本格的にオリジナルの曲を作って始めたのは、もう大学入ってからなんですけどね。
それで最初はボーカルが一人いて、僕はベースで入るっていう形でバンドを結成したんですよ。
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4人のメンバーで、本当に下手くそなんですけど飾らない歌詞でストレートに激しい音楽をやるっていう感じのバンドをやってて、
僕も自分で歌いたいなと思って、そのバンドは抜けて、また別のバンドを結成。
ボーカル兼ベースみたいな。
ベースボーカルを結成したんですよ。
そのバンドで一生懸命やっていたら、名古屋の100人ぐらい入るライブハウスで、そこをベースに活動してたんですけど、
東京からちょっと有名なパンクバンドが来ると、そこの前座をやらせてもらえることになって、前座で出たんですよ。
そうしたら、そのバンドのボーカルの人から声がかかって、仕事の話があるって言われたんですよ。
なんだろうと思って言ったら、自分がプロデュースするから、CD出せませんかって言われて。
すごいね、それ。びっくりするよね。
びっくりしましたね。
嬉しいオファーですよね。
めちゃめちゃ嬉しかったですね。
本当に自分が高校生でのめり込んでたバンドだったんですよ。
うわー、それ余計に鳥肌立っちゃう。びっくりした。
めり込んでたバンドの前座ってオープニングアクトをやり、そこの人から声がかかるなんて夢にも聞いてた時に思わないですもんね。
思わなかったです。
だからその人と仲良くなって、毎回打ち上げで騒いでみたいな感じで仲良くさせていただいて。
そこからプロデュースしたものがCD化されたっていうことなんですか?
そうなんですよ。
その人が本当に有名人なんで、業界の人脈とかもすごいんですよ。
だからそのCD出る時にちょっとしたチラシとか、CDショップに貼るような大きなポスターとか、そういうところに推薦コメントとかをたくさんつけてもらって。
すごい嬉しいですね。
その中に本当に有名な人でいうと、スピードワゴンの小澤さんとか、あと騎士団の綾野孝司翔さんとか、それこそ僕が大好きだったブルーハーツのドラムのカジ君っていう人も推薦コメント書いてくれて。
なんですけど、コメントが集まりすぎて、本当なんか50とかかな。
集まりすぎて、ちっちゃくなっちゃって、何書いてるかわかんないぐらいになっちゃったんですよ。
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なかなかそういうCD見たことないですよ。
逆に何書いてあるかわかんなくなっちゃったっていうのはあるんですけど、でもそこまでいろんな方に推薦してもらって。
インディーズなんですけど、全国のCDショップに並ぶっていうところまで行って。
インディーズのCDって予約ランキングっていうのがあるんですけど、タワーレコードとかの予約ランキングとかネットで見れるんですけど、ああいうのってわりと1位取りやすい。
当時そういうふうに言われていて、だから友達とか家族とかとにかく予約をしてもらうようにレベルから言われて。
予約してもらったら、確かにどんどん順位が上がってくるんですよね。
2位まで行ったんですよ。インディーズ予約ランキング2位まで行って、1位もなんかよくわかんないやつなので、これはもうちょっとでいけると思ったんですけど、
その瞬間に1位が入れ替わって、違うのに。
急に来た?
急に入れ替わったんですけど、入れ替わったのがAKB48だったんですよ。
そっか、インディーズか最初。
インディーズだった、そうそう。2006年だったかな。
最初はね、地味一日、地下アイドルみたいな感じですか、ちょっと覚えた私、認識があんまりないですけど。
ホームスがちょっと下火になってきて、AKBっていうのが出てきたらしいぞみたいな。
らしいぞぐらいですよね、まだその当時だと。
でも来たんですね。AKBに取られたんですね。
AKBに取られちゃった、1位。それで微妙なランキングで。
残念ながらそこは。
1位になれば雑誌の取材が来たりとか。
取材が来たりするんですね。
そういうのもあるんですけど、そこまでいけずに終わっちゃったって感じです。
それででも、大学の時からバンドをやり始めて、フリーターってことは大学卒業してもやってたってことですかね。
それが大学4年生だったんで。
そのCDが出たときね。
大学生でこんな経験普通しないじゃないですか。
しないですね。
それがいけるぞと思って、音楽で食っていこうと思っちゃったんですよね。
就活をしなかったってことですか。
就活しなかったです。
だからフリーターって書いてあったんですか。
そうそうそう。
そうなんですね。
でもそこから、次なんかブラック企業社畜って書いてあったんですけど。
そう。
ブラック企業社畜ってのがすごいんですけど。
だからそのままフリーターのバンドマンとして、社会に出たんですけど。
古田健二さんにご登場していただきました。
次回は、会社員時代転職を繰り返すも立ちはだかる厳しい現実や、
大手商社で身につけたビジネスの基本などについてお話ししていただきます。
21:04
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それでは次回もお楽しみに。伊藤絵美子でした。
21:37

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