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2024-08-04 20:53

第201回「ラジオ局を立ち上げるまでとラジオDJになるキッカケは?」NY在住ラジオDJ:大橋コユキさん(前編)

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▶️2024年8月マンスリーゲスト

『ニューヨーク在住 ラジオDJ』

大橋コユキさん

▶️今回の内容(目次)

オープニング

ご紹介

NYルナFMを開局するまで

日本のラジオ局の経験

NYのラジオ局の経験

渡米直後から、ラジオ開始まで

コロナ禍で起きたラジオの変化

ラジオDJが思うラジオの面白さ

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✅ 大橋コユキ(おおはし・こゆき)さん

プロフィール

埼玉県出身。現在NYを拠点に活動するラジオDJ・ナレーター。

ラジオパーソナリティーからナレーター・司会と幅広く声にまつわる仕事を続け、2013年よりNYに拠点を移し2017年よりNYのラジオ局にて本格的に声の仕事を再開。NYと日本のラジオ局の出演兼制作を担当、自宅兼スタジオにて収録から編集まで対応。2023年8月より、NewYork Luna FMを開局。全世界で配信しラジオ番組で世界を繋ぐ活動をしている。

<代表作・主な実績>

文化放送・ラジオ大阪・東海ラジオ「いきいき青春大学」パーソナリティーエフエム富士「Talk&More」パーソナリティ東海ラジオ・ラジオ日本「ケンケン健康館」ラジオ福島「とくしてキレイ」(ラジオショッピング)など

New York Luna FM

サマリー

ニューヨーク在住のラジオDJである大橋コユキさんが、ニューヨークルナFMの開局までの経験についてインタビューしています。ラジオ中継の楽しさやリスナーとのやりとりの面白さについてお話ししています。

00:11
こんにちは、番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、あなたらしくいられるちょうど良い場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space 第201回
2024年8月のゲストは、ニューヨーク在住ラジオDJの大橋コユキさんです。
大橋コユキさんのインタビューは、第201回から第204回までの4回に分けてお届けします。
ニューヨークルナFMの開局まで
1回目のインタビューは、ニューヨークルナFMを開局するまでのことをお話していただいています。
では早速、大橋コユキさんのお話をお聞きください。
今日は、ニューヨーク在住のラジオDJ大橋コユキさんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
お願いします。
今日は日本では、まだ朝の9時半過ぎなんですけど、ニューヨークは時差が13時間あるということで、コユキさんの方は夜8時。
そう、夜8時39分という感じで、マータイムが終了しますと14時間の時差ということで。
そうですよね。私はコユキさんのニューヨークルナFMというラジオにテスト配信から私のポッドキャストを流していただいているんですけど、それが去年の6月からだったと思うんですよ。テスト配信期間からなので。
そうですね。あっという間にでも立ってますよね。早い。
今収録させていただいているのが2024年の7月なので、約1年毎週私のポッドキャスト番組を配信していただいているんですよ。ニューヨークルナFMが8月から解局したということで、もうすぐちょうど1年になるということなんですよね。
そうなんですよ。もうテスト配信、テスト配信というのをずっとやってたので、解局にしようかというのを実はずっと迷ってたんですよね。そろそろいけるかなという時に、8月だったんですけど、実は私ニューヨークに住み始めたのが8月2日だったんですね。
8月2日。
ある10年の記念日を解局日にしようということで、8月2日の解局にしたんですよ。わかりやすく。
どういうことなんですか。うわー。なんか思い出深い8月2日ですね。もう本当に。
思い出深いといえば深いんですけど、もうなんか気がついたらあっという間に時間が過ぎちゃって、時間どんどん過ぎちゃうから、いつ解局したんだか覚えてないっていうような状態に、覚えやすくするためにそうしましたね。
そうなんですね。そのニューヨークルナーFMを解局するまでのいろんな準備って、もちろん自分は経験したことはないんですけど、おそらくかなり大変だったんじゃないかなと思って。
今笑ってらっしゃいますけど、ズーム上でね。なんかね、きっとかなり大変なことなんじゃないかなと思って。そのニューヨークルナーFMを解局するまでのいきさつをね、私ね、実は本当お聞きしたいなと思ってたんですよ、ずっと。
なるほど、そうでしたか。
やっぱり私もね、このご縁でニューヨークルナーFMに配信していただいてるので、やっぱりね、そこはすごい興味深いのと、もともとはごめんなさい、今もですけど、建築士なので、全然そういったラジオ業界の人間でもないんですが、こうやって何かラジオに携わるようになって、本当にラジオ面白いなと思ってるんですよ。
だからやっぱりその小雪さんが解局に至るまでのそういったいきさつがね、本当に興味深くて。
そうですよね。もちろん日本でもラジオパーソナリティとかDJとか、いろんな方にTFMさんとか地上波さんとか、それこそラジオさんでも実はずいぶん前に番組をちょこっとやらせてもらってたこともあったんです。
ずっとこうラジオをやってきて、ニューヨークに来てからですね、実は他にもインターネットラジオ局って日本語放送があるんですけど、その中の解局時から携わっていたラジオ局があったんですよね。
そうなんですね。
なので解局するっていうのは初めてではなかったんですけど、そこでなんだろうな、やっぱり自分でこうやってみたいみたいな気持ちが芽生えてきて。
そうなんですね。なんか私とタイプが似てるなと思って今。
喋っているだけとか、もちろんそういうのも楽しかったんですけど、運営側に回って自分でちょっと、どうなるのかなって、どうなるのか見てみたい。
いざやってみてなんですけど、大変かって言ったら多分大変だったとは思うんですが、一からこうやらせてもらっていた、もちろんチームではあったんですけど、っていう経験があったので、
同じようなことをやっただけみたいなところがあるので、すごい大変かって言ったら大変じゃなかったような気がする。
そうなんですね。じゃあやっぱりそれまでのね、やっぱり解局に携わったことがある経験が生きたってことですね。
もうまさにそうですね。そこでどうやって解局をしていくのかとか、どうやって運営をしていくのかとか、やっぱりうちってどういう会社でもそうなんですが、
日本人が限られちゃってるので、喋っているだけとかミキサーだけとかじゃなくて、全部やらなきゃいけない時には営業みたいなこともやりに行く。
全部一通りのことを経験させていただいたので、その経験はもうかなり生きてる感じはしますね。
そうなんですね。どっちかというと、1から10まで携わるっていう面白さってあると思うんですけど、
私も建築業界にかなり長くいるんですが、30年近く、大企業だと一つの歯車でここの部分しかわからないっていう状態が本当に苦痛で、
小さい公務店とか向いてたんですよね。それ分かったんです。1から10まで見れるから。
今のお話聞いてて、すごくいろいろ携わりたいとか見てみたいとかっていう気持ちがすごくわかるなと思ったんですけど、
日本で携わってきた時とはまたちょっと違う形にはなると思うんですけど、
日本の時は運営側に携わっている人がもうちょっと人数が多かったんじゃないかと思うんですけど、違います?
そうなんですよ。日本にいた頃は地上派もそうなんですが、コミュニティFMさんでもやらせていただいていて、
例えばコミュニティFMさんだと、しゃべる、ミキサー使う、制作やる、その辺まではやっていたんです。
地上派になってくると人数も多いので、完全にしゃべるに徹する、インタビューに徹するっていうそれだけだったんですけれども、
コミュニティFMさんでの経験はすごくありがたくて、ミキサーも自分で使うじゃないですか。
なのでやっぱりなんとなく機械に強くなってた部分はワンワンピースがあるんですよ。
ただし、それ以降の部分ですよね、運営サイドっていうものに携わったことがなかったので、
それはやっぱりアメリカに来てからっていう形になりますね。
そうなんですね。アメリカに来てから、どなたかからいろんな情報を得てやっていったんですか。
詳細話しちゃうと、アメリカに来た当時っていうのは、私もニューヨークが好きで来たので、
仕事は全く考えてなかったんですよ。ラジオの仕事やるとかっていうのは考えてなくて、
とりあえず住むだけでいいっていう学生ビザで入ったぐらいの、何にも情報ないまま来たんですけれども、
それじゃいけないっていうことで、結局ビザを取ってお仕事ができるね。
そうこうして、じゃあどうするってなった時に、たまたまこっちでニューヨークで、
厳密に言うとお隣のニュージャージンなんですけれども、ラジオ局がインターネットなんですが、開局したんですよね。
そこに開局するんだったら、じゃあ私経験あるからやりたいっていうことで応募させていただいて、
そこから採用してもらって、そこが開局スタッフ募集っていうことだったので、そこで開局に携わって、
人数もやっぱりアメリカってどこの企業もそうなんですけど、非常に人数が少ないので、
1から10まで全部みんながやらなきゃいけないっていうような感じで、本当にいろいろ経験させていただきましたね。
あ、じゃあ日本だけのラジオの経験じゃなくて、ニューヨークに渡ってからの、
本当に1から10までの開局までの経験をされて、去年からニューヨークルーナインFMを開局できたっていうことなんですね。
そうなんですよ。もうアメリカに来てからの方がやっぱり、かなり経験させてもらったっていう感じはしますね。
そうなんですね。でもどうですか、どっちかというと実験マインドがある方なのかなと思うんですけど、
その大変なことが多いんだけど、大変なことが結構好きっていうタイプです?
それね、意識ないんですよ、私自身は。ただ、日本にいた頃からMだって言われてた傾向があって。
SかMかって言ったらMかって。
そう、大変なところに行こうとするのがあるんですよね。だからそういうのが好きなのかな。
そのユミコさんがおっしゃってくださった実験ですよね。そこも自分の意識はないんですが、もしかしたらそうかもしれない。
なんで実験マインドっていう言葉が出たかというと、全く私も同じだからですよ。
なんかやっぱり同じように言われますね。自分から自ら大変な方向に飛び込んでいくって感じ?
でも本人は意識ないんですよ。すごいよねとかって言われるんだけど、本人は自覚ないんですよね。
やりたいからやってきたらこうなってるみたいな感じなんで。
もうまさにそうですね。やりたくてやってんのもあるし、なんか気がついたらこっちに行ってたみたいなことが多いですね。
気がついてたら。ただ自分で意識がないとそういかないんですけど。
そうなんですよ。だから無意識に、潜在意識でそれを求めていると思いますよね。
わかります。じゃあ2013年にニューヨークに移住っていう形になっちゃうんですかね。そこから。
大橋コユキの開局経験
なんか厳密に言うとちょっとよくわかんないんですが、移住みたいな感じですよね。
最初の留学っていう形で学生ビザを取って、まず学校に行ってっていうのはお仕事じゃなくて行かれたんですよね。
2013年にそうして、今2024年なんでもう11年経ってると思うんですけど、
ちょっとブログとか見させていただいて、17年からラジオのお話が出てくるんですけど、その間っていうのは学生だけをされてたんです?
2017年、私も記憶定かじゃないんですが、たぶん2017年に解局したのかな、そこが。
ニューヨークのコミュニティFMが。
インターネットラジオですよね。
インターネットラジオ、はい。
だから最初の2年間ぐらい学生をやってて、その後テレビ局で本当にちょこっとなんですが、携わって見せてもらったりとか、
あと日本のコミュニティFMでやってたっていう感じですね。
それは日本のコミュニティFMっていうのは、今遠隔でできると思うんですけど、ニューヨークで収録したのを日本で流してもらってるっていう形なんですか?
そうなんです。ニューヨークの情報番組みたいなものを日本で流してもらってるっていう感じですね。
そうなんですね。今本当にインターネットがあるからそういうことができちゃうっていうのがね、何十年か前だと考えたこともなかったことが今できてるっていうのでね、
どこにいても自分がやりたいことができるっていうことも言えますよね。
本当そうですね。特にコロナ禍から自由が利くようになってきたりします。
インターネットラジオの普及と経験
それこそコロナ前は私も実際に制作して日本にお送りしてたりもしてたんですけれども、せいぜい収録完璧番組だけだったんですよ。
ところがコロナ禍で某コミュニティFM局さんと連携を取ってっていう形で、今生放送とかも、
生中継になるんですけどやらせてもらってますね。これがやっぱり生と収録の反応がこんなに違うんだっていうぐらい、
ライブはすごいですね反応が。全然違いますね。
そうなんですね。生放送もやれちゃうんですね。
そうなんですよ。もちろんスタジオにはパーソナリティさんがいらっしゃって勧めてくれてるんですけれども、
じゃあここでニューヨーク中継のコーナーです。ニューヨーク大橋さんお願いします。
その方と掛け合いをしながら、今日はセントラルパークに来てみましたとか、タイムスクエアでこんなイベントやってますっていうのを中継する生放送ですね。
昔あったザ・ベスト10の海外中継とかあったじゃないですか。その映像思い出しましたよ。
あったの覚えてるんですけど、どんなものだったのか私全然覚えてなくて、ただ多分そういう感じだと思いますよ。
あれも生放送だったと思うんですけど、ザ・ベスト10自体が。それを中継してて、いろんなハプニングがありながらやってたのを見てましたけど、
そういうイメージなのかなって今私の中で思ったんですが、反応がすぐあるっていうのは楽しいですよね。
やっぱりね、ここはたまらないですね。今エックスとかにラジオとかって反応が結構来てるんですけど、もう即ですね。即反応来たりとか、やっぱり生放送の中継のイベント、おっしゃったようにトラブルっていうのはあるわけですよ。
フェリーに乗った時にあまりにも風が強くて、ゴーっていう音しか聞こえないで台風中継になっちゃったことがあったんです。
そうなんですか。
リスナーさんが面白かったみたいで、「小柳さん大丈夫ですか?これ台風中継になってますよ。どうなっちゃいますか?」の反応が来たりとか。
やっぱりそのトラブルを含めてリスナーは楽しいと思いますっていう私は解釈ですね。
ラジオとエックス、旧ツイスターですけど、そのコラボってすごくいいんじゃないかなって私思って。
私自身はちょっとごめんなさい。動画YouTubeに上げるので、自分の番組を。どうしてもエックスじゃなくてFacebookライブ配信しちゃうんですけど、
ただエックスのいいところって、実名が出ないっていうところだと思うんですよ。だからコメントしやすいんだと思うんですよね。
Facebookだと実名なので、基本は。だからコメント入れにくい人もいると思うんですよ、おそらく。
だからやっぱりラジオとエックスっていうのはすごく相性がいいんじゃないかなと思ってるんですけど、
そうやって多分ダイレクトにいろいろリアルタイムに入ってくると楽しい。そうだなって今思いましたね。
ラジオとエックスの相性
本当そうですね。楽しいですね。だからその場でコメントも読ませてもらったりとか、中継中にエックスでこういうのも来るので、
今大好きなこんなイベントやってますけど、これに関してはどうなんですかっていう質問がその場で来るんですよ。その場で答えてあげるっていうやりとりあってが面白くって。
そうでしょうね。エックスはいいですね、かなり。
そうですよね。リスナーさんも自分がコメントした内容に反応して読み上げてくれるのがまたやっぱりすごく楽しいんだと思うんですよね。
参加してるっていう感じがやっぱり。そこはインターネットがない時代のラジオはハガキの時代、それはそれでいいと思うんですけど、
でもそこが今のラジオの面白さの一つでもあるかなと思うんですが。
本当そうですね。だからライブ配信は結構ラジオだけに限らずインスタライブとかライブ配信もやってると思うんですけど、
やっぱり聴いてる側も自分が送ったコメントを、なんとかさんおはようございます、ありがとうございますって言ってもらえるのが嬉しいから、こういうのがすごい流行ってるんじゃないかなっていう気はしますよ。
そうですよね。ラジオって音声だけって思いがちだけど、今って音声だけじゃなくてYouTubeに上げてるラジオも多いですしね。
いろんな楽しみ方ができるなと思うんですけど、私以上に小池さんはラジオ、テレビにも出られてた、司会とかもされたりとかテレビ番組でもやってらっしゃると思うんですけど、
いろいろ見させていただくとラジオの業界が長いのかなと思いますが、ラジオの面白さって小池さんどこだと思います?
本当なんかこれご縁なんだなと思ってて、なんでなのかわかんないんですけど、もともと私音楽がめちゃくちゃ好きだったんですよ。
今も好きなんですけど、もともと音楽相当好きで、70年代、60年代とかか、ファンクとかソウルとかが好きで、そういう曲をかけながら喋る場所が欲しいっていうのが最初なんですね。
今でこそラジオなんですが、25年ぐらい前かなに、バーでDJをやるスタイルがすごい流行ってたんですよ。DJって回す方じゃなくて喋る方なんですよ。
お客さんからのリクエストをもらって、その曲をかけてあげてメッセージを読み上げるっていう、そういうのが結構ね、私埼玉なんですけど、埼玉とか東京で流行ってまして、これやりたいと思って入ったのが最初なんですよね。
そうなんですね。
音楽喋ることのコラボが面白くって、やっぱりとっかかりとしてはやりましたね。
いきなりアナウンサーになりたいとかそういうことじゃなかったんですね、最初。
今言っといてなんなんですけど、本当にとっかかりは喋る仕事がしたいっていうところから入ったんですけど、ゆめ子さんご存知かな。
元セーブライオンズの工藤気宮津投手。
あーわかりますよ。愛知県出身なので、工藤選手は。
名古屋、名殿出身かな。
そうですね。
その工藤気宮津投手の大ファンで、彼は埼玉セーブライオンズで、テレビスタイトルを見てたらですね、勝利途中、工藤気宮津さんってバーンって出てきて、インタビューされてたんですよ。
ほんで、工藤さんめっちゃかっこいいって思って、なにこの人すごい。
あー一目惚れ。
私も隣でインタビューしたい。そうだ、インタビュアーだって。
えー。
それはちなみに何歳ぐらいの話なんです?
えーとね、中学2年か3年とかそのぐらいですね。
えー、じゃあそれがきっかけで話をする職業に就きたいと思ったきっかけだったってことなんですね。
まさにそうなんですよ。話が上手とか別に声がなんとかっていうことがきっかけじゃなくて、工藤さんをインタビューしたいっていうところから、そっからですね。
えー。
いきなりそこから聞けちゃったので、今ちょっとうわーって思ったんですけど、その思いをずっと持ち続けて、お話をする仕事に就くような方向に意識を向けていったってことですよね。
もうまさにそうですね。面白いもんですよね。なんかそこからやっぱりMCとかも面白いかもしれないとか、そこから音楽が好きになって、
これ喋りと音楽のコラボでラジオとかDJとかだなっていう、そっから入っていって、今言ったようにバーとかでDJをやってたんですよね、喋る方に。
そっからこれラジオすごいいいなって思い始めて、そこから何かのご縁でラジオですね、ずっとね。
でもごめんなさい、何かのご縁でって言っても、やっぱりいきなりじゃあ、そのまでだってラジオの業界の人と知り合いじゃないわけじゃないですか。
大橋小幸さんにご登場していただきました。
次回はニューヨークの生活についてお話をしていただきます。
番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は、Podcast音声アプリのフォローボタンをポチッと押していただくと、新しく配信されたものがスムーズに聞きますので、番組登録をよろしくお願いします。
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。伊藤衛美子でした。
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