こんにちは。番組ナビゲーターの伊藤由美子です。
伊藤由美子のCozy Spaceへようこそ。
Cozy Spaceとは、日本語に訳すと、居心地の良い場という意味になります。
この番組では、居心地の良い場とは何かということをテーマに、
あなたらしくいられる、ちょうどいい場所を見つけるためのラジオ番組です。
毎回素敵な方々にインタビューさせていただき、
ついつい夢中になってしまうことや、個性を生かして自由に生きること、
そして日々気持ちよくいられるヒントなどをお伝えしていけたらと思っています。
伊藤由美子のCozy Space第203回。
2024年8月のゲストは、NY在住ラジオDJの大橋コユキさんです。
大橋コユキさんのインタビューは、第201回から第204回までの4回に分けてお届けします。
3回目のインタビューは、ラジオDJ以外の顔や、ニューヨークルーナイフームを始めた理由などについてお話をしていただいています。
では早速、大橋コユキさんのお話をお聞きください。
コユキさんの野菜ソムリエでもあるんですよね。
ブログを過去の見てた野菜ソムリエの話がすごい結構出てきたんで、
そのイメージがすごいついてて、そこら辺にもすごい気遣ってるんだなと思って。
そうなんですよ。ラジオをやってた時に、しゃべるプラスなんか欲しいなって思った時に、
なんだかわかんないんだけど、野菜ソムリエって思ったんですよね。
その間、目が暗くなくて、ポンと来たってことですか?
それ怖いですよね。ちょっとお話しすると、
なんで健康意識するようになったかっていうと、私もともとニキビがすごかったんですよ。
いろんなお医者さんとか、そういうケアをしてくれるところに通う中で、ある人と出会ったんです。
その方が、あなた肌ばっかりケアしてないんで、食べ物何食べてるのか1週間の書き出しでごらんって言われたんですよ。
書き出した時に、こんな中華とかイタリアンとか、こうじゃなくてこうでこうでって、
いろいろその方、親切で指導してくださって。
例えば野菜を入れると、白米じゃなくて玄米に移行した方がいいとか、
そういう指導をしてくれる中で、玄米にしたんですよ。
そしたらやっぱり野菜が好きになったんですよね。これ不思議なもんで。
そういうことですか。玄米から野菜に。
野菜のおいしさを知った時に、あれこれ知識が全然ないなと思って、さっきの話に実は繋がるんですけど、
そうだ、野菜ソムリーだっていう話ですね。
でもいきなり野菜をしっかり食べましょうと思うだけで、ソムリエの資格まで取りたいと思ったってことですよね。
あれはね、ちょっと本当になんでなのかわかんないんですよ。
そういうのがあるってことで、結構資格が欲しかったのかな、もしかしたら。
何かの資格が欲しいと。栄養士、いやハードル高すぎるなっていうところで、多分野菜ソムリエに行ったんだと思いますね。
おいしく野菜を食べるっていう意味では、資格取られてよかったなと思います?
思います思います。やっぱり知識は本当にレベルは一番下のレベルなんですけど、基本的な知識はちゃんといただくことができたし、
あとは野菜ソムリエ仲間と結構飲み会が多かったんですよ。
そうですね、飴風呂見たらすごく飲み会多いんだなと思ってましたけど、お酒飲むのも大好きなんだなと思いながら。
大好きですね、本当に。なのでそういうのが主にはなってましたけど、でもそんな中で自分で農家をやってますみたいな方とかね、
出会うこともできて、どんな思いで野菜を作ってるのかみたいな話とかも聞くことができたので、よかったと思いますね。
そういうことですね。そういう方たちとのつながりも面白かったと思うし、ラジオに出てもらったこともあるってことですかね、インタビューさせてもらったこともある。
ありますあります。
じゃあお仕事にもつながってたっていう。でもどんな形であっても意識があればつながりますね、やっぱり。
そういうことなんでしょうね。だからね、なんか面白いもんで、その意識してたらなんとなくそこからつながっていくんだなって、今はユメコさんとお話しさせていただいてて、そこでなんか改めて感じました。
あのちょっと前にお話ししていただいた、音楽からDJになってみたいな話もあったじゃないですか、そしてラジオみたいな、なんかそういったね、いきさつも全部そうつながっていってると思いますしね。
結局何やってても全部こう意味があるんだなっていうことをやっぱりね、小池さんの話聞いてて思ったんですけど、全く違う話ですけど、ラジオ、DJ、ナレーター、司会業の他にパーツモデルもね、日本でされてたっていうこともね、分かりまして。
あーそうなんですよ。もうね、年齢が年齢なので、もちろん今はやってないんですけど、足がね、むちゃくちゃ綺麗だったんですよ。今はあれですよ。
いや多分綺麗だと思いますけど。
むちゃくちゃ綺麗だったって自分は認識ないんですけど、すごい言われてたんですよね、若い頃から。足細いねとかって言われて。
そういうことですよね。
いや別に細くもないし、何なんだろうなって思ってたんですけど、ある人が綺麗、すごい良いよねって言ってくれた方が、足モデルやればいいのにって言ったんですよ。その方が言ったんですよ。
えー、そんなモデルなんて、足だけのモデルってあるんだよ、何それ、ストッキングとかなんとかのあるじゃない。
なるほどと思ってちょっとずつ調べるようになって、それからもう綺麗だよねっていう風に言っていただくようになったので、じゃあとりあえず何かやってみるか。
本当にもうアルバイトにもならないレベルなんですけど、じゃあやってみようかっていう感じですよ。
だからもうそこに表記するなんておこがましい話なんですけれども、何か入れないといけないなと思って、じゃあこれインパクト強いから入れとこうって言って入れたのがパーツモデルですね。
でもね、それもオーディションがあると思うので、モデルさんだとね。
それが結構面白かったというか、すごいシュールでですね、要は足だけのオーディションなんですけれども、1回だけオーディションで通ったことがあったんですよ。
それはサポーターのメーカーだったのかな、ちょっと記憶がいいんですが、じゃあ実際お仕事しましょうってなった時に、メイクさんがつくんですよ、すごいと思いません?
えーと、足にメイクさんがつくの?
足にシミとかあるじゃないですか、そこを綺麗に修正してくださって、綺麗にもう全部ファンデーション塗ってくださって、パウダーまでつけてくださるっていうね、メイクさんがいてびっくりしました。
すごいですね、1つのものを作ってるってことなんですよね、CMにしても。
その方は顔のメイクもやってるっていうような話はされてましたけど、でもまあ足も手もやるよっていうような話もされてましたね。
いろんなことに挑戦してますね。
いやいやいや、もうなんとなく興味があったらやってみようかなっていう感じなので、やっぱりいざやって違ったなってすぐやめちゃうっていうようなことも結構ありましたよ。
でもまずやってみて。
そう、だから実験なんでしょうね、そこはね。こっちに来てから思うようになったのが、成功とか失敗っていうのはないんだなと思ったんですよ。
あー、なるほどね。
成功ってなんなんだっていう話じゃないですか、だって。
あー、はい。
どうだって決めるんだっていう話ですよね。
そうですね、逆に自分では全然うまくいってないって思ってたりすることが、なんかユミコさん活躍してますねって言われるとすっごい違和感があったりとか逆にするんですよ。
自分ではそう思ってなかったりとか、それもだから人の評価じゃないですか。
そうなんですよ、その人の評価なんですよ。
その人の評価じゃないですか。自分の評価もあるし、で、それって基準がわからないっていうか、今小池さんの話の失敗ってなんですかみたいな、なんかその話って今ちょっとほんと私聞きたいなって今思ったんですけど。
そう、失敗ってなんですかなんですよね。いろんなことをやらなきゃいけない状況というか、こっちにいるとどんどんどんどんいろんなことが押し寄せてきたり、
家のトラブルとか水回りの問題とか、アマゾン届かないとか、いろんなことが起こるんですよ。失敗したかもしれないんだけど、それを覚えている要領がないんですよね、頭の中に。
次行かなきゃってなるので、そういうのも気にしなくなるんですよ。
ニューヨーク面白いですね。
面白いですよ。何でも経験できると思いますね。
私、あってるかも。正確に。
あってるような気がします、ほんとに。
そういうのがあんまり嫌だっていう方ももちろんいらっしゃるかもしれないんですけど、日々変化があった方が好きなので、え?って思うこともあるけども、え?って思ってるうちに次のこと行かなきゃいけないの忘れちゃうっていうね。
そうなんですよ。日本にいた時は1年くらい前のこととかも気にしちゃってたりとかしたんですけど、こんなの気にしてたらもう頭の中パンクして次のことやらなきゃいけないっていうような状況なので、本当に性格も変わって、どっちが本当だったのかわかんないんですけど、かなり変わりましたね。
日本にいた時は結構いろいろどうしようってくよくしてる時間、気にしてたんですか?
すごい気にする。どっちかって言ったら普通の人よりもかなり気にする性格で、私エステに行ってるんですけど、日本でお世話になってるエステがあって、そこの先生にいまだに日本に帰国するとき言ってるんですけど、
本当に変わったねーって言われて。前はここが治ってないとか、結構ごちゃごちゃ言ってたけど、本当に全然変わっちゃった。よくニューヨークでやっていけてるよね、みたいなのって言われたりしてるので、たまにしか行かないエステティシャンの先生もそうやっておっしゃるくらいの性格だったんですよね。
じゃあニューヨークが小雪さんを変えたってことですか。
かっこいい言い方ですね。でもそうかも。変わらざるを得ないんでしょうね、多分。気にしてたらやっていけないんだと思う。
でもあれですよね、もしそれが嫌だったら早々に帰国するわけじゃないですか。でもそれでも小雪さんはニューヨークがいいと思って今も住み続けてるってことは、相当ニューヨークが魅力的ってことですよね。
もうまさにそうなんでしょうね。魅力的っていう感覚がもう今なくなってしまってるんですけど、コロナでロックダウンして、マーちゃんからロックダウンした瞬間に誰もいなくなるっていう状態で恐ろしかったんですけど、そのタイミングでやっぱりこっちにいる日本の方も長くいた方もバンバン帰国したんですよ。
ただ私はその選択肢はなかったんですよね。
それは本当にそういうことですか。一度もそこで日本に帰ろうと思わなかったってことですね。
思わないです。思ったことない。だって日本だって大変だったわけじゃないですか。
そうですね。ロックダウンはないですけどね。
当時まだそこまでではなかったんですけど、どうやら日本も大変になるだろうな、流行り行くだろうなっていうのが予想できたのもあるし、帰ってどうするってなるわけですよね。帰る選択肢はなかったですね、本当に。
ロックダウン中とかどうされてたんです?
普通に、普通にじゃないですよね。ロックダウンなんで、外にはスーパーとかに行けるんですけど、やっぱり家にいることが多くて、その頃からヨガとか始めたりとか瞑想とかもやっぱりするようになったのがそこですね。
大好きなお酒をここで一旦禁酒してるんですよ、私4、5ヶ月。
そうなんですか。
そう。これずっと家にいるから、もしこれで飲酒してたら毎日朝晩ずっと酒飲んでる。
そっか。危なすぎると思って、そこでもうバシンと一旦やめようって言って禁酒したっていうこともありましたね。
じゃあそのあたりがきっかけで、ちょっと健康的な生活に変わったっていうことですか。
変わりました。
飲酒に関しては多少戻っちゃってますけど、でもかなりその頃は健康的でしたよ、本当に。
先ほども遠隔でもラジオのお仕事とかもやってたのかなと思うんですけど、インターネットがあるからこそ、外に行かなくても仕事ができたっていうのは良かったんじゃないですかね。
まさにそうですね。だからさっきお話ししたニューヨークの生放送の中継あるじゃないですか。
それもロックダウンの最中か終わりかけの頃だったのかな。で始まって、やはり日本の方たちとのやりとりが結構スムーズにできるようになったというか、
今まではニューヨークとつなぐってそんなどうやってやるのみたいなタイミングが多かったんですよ、正直。
ところが意外とフレキシブルに対応してくださるところが増えてきたっていう印象ですね。
そうですよね。私も実はオンライン完結してるんですよ、建築の仕事を。ほぼね、その前からオンライン完結だったんでほぼ。
だからそれが当たり前に今なってるっていう。だから建築も確認申請って書類を出さなきゃいけないんですよね、建てる前に。
それも全部今オンラインなので、昔持ってってチェックされて直してっていう。今本当にビッてインターネットあったら遅れるので。やっぱり変わりましたよね、コロナで。
そうですね。ニューヨークルナインFMに関してはもっと広げていきたいなというのがあって、アプリを今作っているところなので。
やっぱりもうスマホ完結でいかにゃいかんなとちょっとアドバイスとかもあったんですけど、
スマホをなんとかしたところで番組数も増やしていきたいので、番組をやりませんかっていうちょっと告知をバンバンバンバン打っていってですね。
私自身もちょっとルナインFMで朝の30分とか生放送をしようと思っているんですよ。
リスナーとのやり取りを含めて、ルナインFMをちょっと広げていきたいなっていうのがあるので。
まずその3点ですね。アプリ、アップ、私生放送、平日毎日ちょっとやる。
そこからちょっと告知につなげて番組数をとにかく増やしていくっていう。そこにいきたいですね。
じゃあどんどんルナインFMがいろんな人に広がっていくといいっていうことですよね。
そうですね。やっぱりやり取りもリスナーさんともやっていきたいっていうのもあるし、インターネットで全世界聞けるわけじゃないですか。
そうですね。
世界中の人たちとつながって今どんな状況ですみたいなやり取りしていったら面白いかなと思ってるんでね。
そう思いますね。やっぱり私も小雪さんきっかけでニューヨークから私のポッドキャストを配信してもらってるじゃないですか。
ニューヨークだけじゃなくてハワイと日本という形で。
なんか世界ってそういった形でもいろんな形でつながれるんだなと思うとすごい面白いなと思って、私もちょっとやっぱり参加させていただいてるんですけど。
いや面白いですよ本当に。
たぶんこれ最初に私聞きたかったことなんですけど、そのニューヨークルナFMをやろうと思ったっていうきっかけっていうのが、前ちょっとお話聞いたのかな。
日本語の放送局を自分でやったらっていうふうにどなたかに言われてやりだしたっていうようなことを聞いたんですけど。
すごいよく覚えてらっしゃる。一番最初はそこなんですよね。
本当にまだ私が学生の頃なので、こっちに来てから1年とか2年とかそのぐらいの頃だったんです。
2013年にニューヨークに渡ってその1年2年ぐらいの時にそういう話があった。
そうなんですよ。その方と話した時にたぶんラジオがやりたいって言ったんでしょうね。
ラジオがやりたいって言って、でも日本語放送まだないんですよね、なんていう話をしたら。
じゃあ自分で作ればいいじゃんって言われて、何言ってんのこの人って。
その時は覚えてたんですけど、それから何年か経って時々その方の言葉を思い出して、
だったら自分でやった方がいいのかなっていうのがずっとあったんですよね。
そういうずっと気になってる言葉ってありますよね、誰かに言われた何気ない一言かもしれないんですけど、
でもずっと残ってるってことはやっぱりやるような何か形にするようなことだったりしますよね。
そうか、確かにそういうことなんですね。
いまだにその方のその言葉は思い出すんですよね、時々。
とても重要なメッセージなんでしょうね。
なんて忘れちゃったら忘れたままでですもんね、正直言って。
確かにそう。
言われたって。やっぱり何か掴んだんでしょうね、そこのメッセージをね、小池さんが。
そういうことなんですよね、だから自分で立ち上げるとは思ってなかったんだけれども思ってた、みたいなこともあるんですよね。
それで実際ね、2023年に開局に至るわけじゃないですか。
言われてからだから8年ぐらいは経ってるってことですもんね、実際にそれを立ち上げるまでに。
そうなんですよ。でも何かどこもやっぱり深く考えてなかったですね。
じゃあやってみたらどうなるんだろうっていうところが、ただテック関係が私そんなに詳しくないので、最初これをどうするっていうのでやっぱり孫、孫、孫でやってみたらどうなるんだろうっていうところが、
そこはちょっとうちのパートナーが結構そこは詳しいので、かなり作ってくれてやってもらいましたね、ほぼほぼ。
最初の立ち上げのね。
でもその協力者がね、身近にいるっていうこともやっぱりね、それを実現可能にするっていうところに至りますもんね。
ほんとそうですね。一回やってしまえばやり方だけ教わればその通りにやればいいだけなのでいけるんですけど、そこに至るまでってやっぱり女性弱いじゃないですか。
そうです。私も弱いんですよ。そこら辺が。
これはもう絶対しょうがないと思うんですけど。
そうですね。
だからもうその男性がいてくれたのはすごいありがたかったし、今こうやって私目の前に機材とかも置いたりとか置いてますけど、もともとはここまでのものがなくて、やっぱりそれもコロナあたりがきっかけですよね。
それでもういつも使っているスタジオも使えなくなっちゃったので、じゃあもう自分で何とかできるシステムを作っちゃおうって言って作ろうと思ったんだけど、自分だけじゃできないから、そこもやっぱり力を借りて何とかしましたね。
やっぱりそういう力をね、素直に借りるのも大事ですよね。
もう借りないとやっていけない。
できないですよね。そうでしょうね。きっと。
日頃はいろんなことが起こって、いろんな対応していかなきゃいけないとおっしゃってましたけど、自分で何とかするっていうのもあると思うんですけど、何とかできないことは結構人にお願いできる。
新しく配信されたものがスムーズに聞けますので、番組登録をよろしくお願いします。
この番組は音楽事務所ロイスタープロダクションの提供でお送りしました。
それでは次回もお楽しみに。伊藤衛美子でした。