2025-08-27 36:55

#238|期待しない生き方。それって本当に正解?

霊性開花の専門家
リアルスピリチュアリスト®︎
橋本ゆみです

この番組は
ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて

エンタメでもファンタジーでもない
リアルなスピリチュアルを
なりわいとしながら

人生をガッツリ切り開いてきた
「ゆるっと覚醒マインド」をお届けします。


「今回のテーマは、期待しない生き方。それって本当に正解?」


今日のお話が、あなたの人生の扉を開く
ヒントになりましたら嬉しいです。

この番組のご意見ご感想を
番組説明欄にある質問フォームか
スタエフのレターで投稿してください。

気に入った方は、ぜひチャンネル登録もお願いします!


┏━━━━━━━━━━━━━━

脱皮と覚醒を求める方へ
日本人の霊性を呼び覚まし

“ほんとうの自分”をつなぐ魂の解放

【25年制限解放WSリトリート】

▼詳細はこちら
https://spog-ad.com/beingws_iwate25/

┗━━━━━━━━━━━━━━



▼講座やワークショップなどの情報は、
ホームページやメルマガにてお送りしております。
ぜひ、ご登録をお願い致します。
(週1〜2回お便りが届きます)

https://spog-ad.net/p/r/roYxhogC

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

▼amazonベストセラー2部門1位!
やりたいこと探さずみつかる「魂の道」 もぜひ、下記よりダウンロード!

<電子書籍>
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CXN49DL1

<紙書籍>通販サイト
https://spog.theshop.jp/items/85545758

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

ポッドキャストのスピリチュアルラジオ番組
魂に目覚める魔法の知恵袋もぜひ、ぜひ
聞いてみてくださいね。

▼ご感想・質問フォーム
https://spog-ad.com/podcast_form/

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

▼ポッドキャスト
【魂に目覚める魔法の知恵袋】

■iPhone
https://apple.co/36URvzr

■Spotify
https://spoti.fi/3aNAOXP

■amazonポッドキャスト
https://amzn.to/3ryqXvL

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

▼日本リアルスピリチュアル協会HP
https://spog-ad.com/

▼ブログ
https://spog-ad.com/blog/

+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

#霊性開花
#スピリチュアル #占い
#ビジネス
#リアルスピリチュアル
#リアルスピリチュアリスト
#日本リアルスピリチュアル協会
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/667ea403b3df4313863cc01b

サマリー

このエピソードでは、期待しない生き方について考察し、期待の光と影の側面を探ります。期待がモチベーションになる一方で、裏切られる不安や他者への過度な期待が引き起こす問題についても触れられています。また、期待しない生き方の意義とその妥当性について掘り下げ、人間関係や仕事における期待の影響を考察します。期待を手放すことの重要性が論じられ、自分や他者に対する期待の持ち方がテーマとなっています。さらに、人間関係における信頼と期待の違いについても探求されています。

期待しない生き方の探求
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。霊性開花の専門家、 リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、
エンタメでもファンタジーでもない リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、期待しない生き方。
それって本当に正解?ということで、
期待しない方が、がっかりしないからいいよね。
こういう考え方ありますよね。
でも、期待するからこそ、希望が持てるというか、
信じる力、あるいはモチベーションになる。
こういう考え方、捉え方もあります。
どうでしょうね。
期待っていうのはね、木を待つっていう風に書くわけなんですけど、
どうですかね、期待。
結構私は期待をする方ですよ。
よく言う、ちょっと前まで言う、ちょっと前までというか今も言うと思うけど、
自分に期待はするけど他人に期待をしないっていうのは、
まあいいっていうかね、ある意味ちょうどいいバランスというか、
期待をなくすっていうのはちょっとやりすぎで、
やっぱり自分に期待はしようやっていうのは、
自分の中である種出た答えですね。
人に対する期待っていうのは、言葉を変えると、
その人を信じているからこそ出てくる期待、
信頼している証としての期待。
これはね、やっぱり大事にしたいなと思います。
そこはやっぱり繰り返しになるけど、大事に持っておきたい。
人間らしさみたいなところかなと。
期待の影の側面
自分に対する期待っていうのはね、成長を信じている。
やっぱり自分を信じている。
そしてモチベーションにも時につながるかなと。
そういう意味では、
ビーングレベルの期待っていうのは、
影が伴わない期待なんじゃないかなと、このように考えます。
ビーングレベルっていうのは存在っていうことですね。
誰かの存在、自分の存在。
これに対して信頼する姿勢、気持ち。
揺れがない何か。
これは未来に向かうエネルギーでもあり、
本質的な光を見る。
そしてタイミングを待つ、気を待つ。
こういう姿勢になるので健全じゃないかなと、
私は思います。
期待のプラス面っていう意味ではそこですね。
光っていう部分ね。
影っていうところで言うと、
裏切られたみたいなのが起きやすいのも、
また期待の一つの側面ですね。
これは結局自分のフィルター、
願望というフィルターを通しての期待っていうことね。
こうあるべきっていう期待もそうだろうし、
こうなって欲しいっていう期待とか。
例えば子供とかね。
期待するのは当然だよね。
でもそれを期待すると裏切られるわけですよ。
私の場合は猫さんにもう何か分かった風があったから、
高度はかじらないかなと思ったら、
高度を何度もかじられそうになるという。
かじられたりもするんだけど、
それでね、ああってなるわけですよ。
猫さんも成長したら覚えてくれるかなという淡い期待を持ちつつ、
結局私の願望をフィルターを通して猫さんに期待をしつつ、
っていうことはある種の影を落とすわけです。
猫さんは自由にやりたい。
今ここしか生きてないからね。
もう前に怒られたことなんて忘れてしまうわけですよ。
そういう生き物だしね。
でもそこで裏切られたって傷つくことはないんですが、
これ人間関係に置き換えて、
例えば大人同士、恋人同士みたいになったら、
それは傷つきますよね。
やっぱりこの期待っていうのは光と影の側面がある。
こういうふうに捉えると少し整理しやすいのかななんて思います。
やっぱりね、私が自分の中ではやっぱりビーングレベルで
相手を信頼する、相手その存在としての信頼っていうか、
存在をちょっと嫌な言い方かもしれないけど、認める。
認めるって承認欲求とかじゃなくて、
そういう存在であるという認識を持つっていう意味なんですけど、
それって言葉にするとさらっと今言ったようになるんだけど、
絶対的な存在に対する信頼っていう、存在に対する信頼ね。
だから余分な赤がついてない信頼っていうのは、
これは本当にね、本当に相手に安心感を与えられる、
そういう期待、信頼、そういう在り方だなというふうに、
私個人はこれまでのカウンセリングとかしてて非常に感じますね。
期待と執着のバランス
それは多分幼少期に存在しているということを誰もわからなかったら、
私は本当に存在しているんだろうかっていう。
我思うゆえに我ありは、これは幻想というか、
肉体があったとしてもこの肉体を周りが認知していなかったら、
私が認知していたとって存在していると言えるだろうかっていうね、
存在に対するものすごい不安があったわけですね。
この不安は本当に怖いですよ。
死とは違うけど、死に近いのかな。
ちょっとね、昔のことだからあんまり覚えてないんだけれど。
でもやっぱりね、幼少期に存在、死が身近だったもんだからね。
そこへの恐怖っていうのと、
あとやっぱりそのアイデンティティっていうのがまだ定まりきらない。
居場所が定まらないっていうところでね。
やっぱりね、そこの不安定さっていうのは言葉にできない、
とても深い不安になるよね。
未来への不安ではなく足元がないという不安。
なんか寄るべない不安。
そういうのはね、結局、
いや、もうちゃんと認識しているよ、ここでいいんだよっていうのが
確信に変わるとものすごい安心になるわけですよ。
多くの人はね、そういうものを持っているわけなんだけど、
一部やっぱりね、家事情とかでなかなかそこが根付いてないで成長しちゃうっていう人は
世の中いらっしゃるんでね。
まあまあ今日、機体の話なんですけど、
まあまあ機体はね、光と影があるなという話。
で、やっぱりバランスの取り方なので、
やっぱりこの執着っていうのが関係してくると、
機体を裏切られるとか機体が重くなる、こういうことがあるなと。
例えば、お子さんとかパートナーにこうなってほしい、こうしてほしいっていう期待をかけるのは
当然であり自然のことなんだけど、
そこまでは健全なんだけど、
その後、期待通りにならなかった時に裏切られたと感じて傷つくのは
ちょっとバランスを欠いた状態だよ、こういうことなんですね。
相手が自分の期待とは違う選択をした時に、それもOKである。
これが男性性的な寛容性というところでもあり、
女性性的な需要というふうに捉えることもできます。
全部OKみたいな。
まあまあ、その寛容と需要の区別は、
私がブログの方でね、女性性、男性性の違いというところでちょっと書いてるので、
そこは参照してもらうといいかなと気になった人は参照してみてください。
やっぱり期待はしていいんだけど、期待が執着にならないっていうのが大事で、
執着を伴う期待はしない方がやっぱりいいよねっていうことですね。
やっぱり期待があるからこそ人間らしさでもあり、
子供にこうなってほしいな、健やかに育ってほしいなも期待なんです。
猫さんたち病気なく健やかに育ってほしいなと思うのは自然のことです。
でも病気にならないなんてないんです。
病気になってもOKって嫌だけどね、仕方がないというか、
そうなったらそうなったで最善を尽くす。
そうなった時に裏切られたって思わないよね、普通。
あり得るのはペットショップ、たまによく見るんだけど、
たまによくってどっちだって感じだけど、たまにやっぱ見るんですけど、
ペットショップで購入された方がすぐに病気が発覚して、
結局期待はなかったかもしれないけど、
管理に対する動物を販売するという責任とか、
そういう事業をしているということに対してのある程度の期待があるのは当然なんだけど、
そこは何か期待が大きい人っていうのは、
それは何のあれでもペット業界限らず、
ホテルとかコンビニとか、コンビニにめちゃくちゃホテル並みの対応を求めたら、
それはちょっと筋違いじゃんっていうことだけど、
そこを期待してしまう人っていうのは中にはいるわけで、
それは過度な期待ってやつですね。
期待の度合いが過度になったり、
あとは執着になったりすると、
自分が苦しんでね、そういう意味では期待は手放した方がいいよね。
手放せる期待がいいよねっていう風にね、
考えることができるんじゃないかなと。
やっぱり、何だろう、普通にね、
人間だからこうしてほしいな、やってほしいも含めてね、
こうなってほしいっていう以外にパートナーだったら、
このように対応してほしい、こう考えてほしい、こう扱ってほしい、
そういう風に思うのは、さっきね、自然ですよ、当然健全ですよなんだけど、
これがやっぱり過度に執着、過度な期待と執着になると、
まあこじらせるわけですよね、まあこじらせる。
何だろうな、例えばパートナーシップで、
私だけを見てほしい、こう願うのはある種、
まあまああり得るというか、当然というかまあまあ普通までいかないかもしれないけど、
多くの方がそう望むよね、それは多くの方が望むし、
お互いにそこに合意があってパートナーっていうことになるんだけど、
一般的にはなるんだけど、
その時に例えば相手の方が別の人を好きになった、つまり浮気をした、
これがご夫婦だと不倫をした、でもいいんですけど、
別のパートナー、別のパートナー、別の人を好きになった、
まあこうなった時に、
私のことを見てほしい、見てくれてると思っていたのに、
っていうところでまあ怒りが湧くのも当然なんだけど、
そこで何とか振り向かせようと変にやるというか、
期待の影響
変にコミュニケーションを取ると執着になって、
メロドラマが展開されて、メロドラマじゃないか、
恋愛とか不倫とか、ドラマでよくあるあの感じになって、
すごい急にざっくりしたけど、
ああいう男女のいざこざ、男女に限らず恋人いざこざ、
みたいなドラマがね、いろいろあると思うんですけど、
そういうことが起きますよねと。
だからなんかね、期待がコントロールになってしまうと、
これは期待ではちょっとなくなってくる。
期待という着ぐるみを着たなんかコントロール、執着、
要するにエゴ、エゴってやつね、
その人の欲求を満たしてほしいというものになると、
これは本質的な期待っていうか、
期待の影の部分しかなくなっちゃうよねっていう話ですね。
なのでね、私もなんだろうな、
その光の面と影の面両方混ざって、
それは期待するってことは人間だからあります。
ありますよ。
思っていたことと違うとか。
なんかね、なんだろう、
そうそう、結構仕事とかはやっぱりね、多いですよね。
昔ね、なんだろう、
今、象徴的なエピソードを思い出したんですけど、
やっぱり昔、デザイナーで独立してた時だったかな。
そうね、企業じゃなくて、
フリーランスの時期とかだと、
自分で仕事取りに行かなきゃいけないから、
いろいろ活動するわけですよね。
そういう時に、まだ若かったし、
わりと言葉そのまま受け取っちゃうタイプなんですよ、個人的には。
素直と言えば素直だし、バカと言えばバカなんだけど、
若い時は本当に素直に受け取ってしまう、
ある種、幼さというか若さゆえの無知というかね、
そういう時期があった時に、
言葉通り受け取るので、
例えば一緒に仕事しましょうと言われて、
一緒に仕事するんだなと思って、
待ってても来ないんですよ、仕事の話が。
あれどうなったんですかっていうと、
また何かタイミングがあればみたいな機会があればねって、
要するに社交事例ってやつですね。
それが昔は判断がつかなかったんですね。
なんだろう、バカっちゃバカですよ。
自分のことそういうのはどうかなって思うけど、
世間はやっぱり知らなすぎた。
フリーランスで働くと、
契約書を交わしていたとしても保護にされたり、
私はなかったんですけどね。
お金払われずに仕事が立ち消える、逃げられるとか、
結構そういう話は本当に多かったんですよ。
私はお金を払われないっていう体験はないんだけど、
仕事振りますって言われて振られないとか、
やっぱこっちに買えますとか、
そういうのがどんどん体験していくと、
当たり前っていうかそういうもんなんだなって、
社会って言って学んでいくんですね。
バカ正直に生きていけないんだなって学んでいくんですよ。
今は大体社交事例というかその辺はもう分かってきてるんだけど、
とはいえ人間関係で意気投合したりして、
良さそうだななんて思って最初一緒に仕事なんかしてると、
途中でやっぱり意見がずれたりとか価値観がずれたり、
こういうことはよくあります。
昔あったのが、
私は今言ったように痛い体験をいっぱいして、
世当たりがちょっと分かってきた時期に、
あまりそういうのが分からない、
私より年上の方がいたと、
金銭がかかるお仕事っていうかちょっとしたお手伝いで、
金銭がかかわったりするやつを何だとかやった時に、
状況が変われば、
変えていかなきゃいけないっていうことがあるわけですね。
前提条件とか何かが変われば臨機応変に変えるっていう、
臨機応変の幅って人それぞれなんですけど、
それが最初に言ったことから絶対変えられないっていうタイプの方だったんですね。
相手の方が。
どんなに、何だろう、こういう事情だから、
1日ずれても差し障りがないような状態の時に、
例えば明日までって言ったのに何で明後日なんだみたいなのに、
えらい揉めたことがあって、
その時にですね、
なるほどと、
詳細は忘れちゃったんですけど、
本当に申し訳ないことに、
もうだいぶ忘れてしまったんですけどね。
そこで価値観っていうか、
柔軟さっていうのが、
体験してないとわからないんですよね。
私自身は体験してない、わからない、
難しいな。
無知だった時の体験をしくじりとして、
自分の中に経験則があるので、
この人は今そのタイミングにいる人なんだなっていうのを途中で理解をして、
であればどんなに正当性のあることとか、
論理的に筋が通っていることを言ったとしても、
もうすでに相手は感情論で言ったんだから守れしか言ってないから、
であればそこを合わせていくっていう選択をして、
ことなきを得たというか、
もうそこで終わったわけですけどね、関係性はね。
その時にやっぱり途中のやりとりで、
説明したらわかってもらえるはずだっていう期待が私の中に出るわけですね。
なぜなら論立てて言えば、
まあそうだよねって話でしかなかったから。
これは第三者が聞いても何もおかしくないレベルの話、
合理性っていうか論理的に、
他の人が聞いても、
いやそれであれば橋本の選択を普通するよねっていうような流れだったんですね。
それが通じない相手っていうのは社会に出るとあるわけです。
それが通じるであろうという期待を持って接していくと、
相手は相手で、
まずもう裏切られてマイナスになっている状態なので、
何を言われても受け付けないっていう、
そういう時には自分の期待とか、
自分の常識とか自分のフィルターをとにかく脇に置いて、
もう相手のフィルターでやっていくしかないっていう時があるわけなんですよ。
仕事の中の期待
これは皆さんも体験があると思いますよ。
多かれ少なかれ、仕事であったりパートナーシップであったり、
何らかそういうね、話せば分かるっていう期待。
説明すれば通じるっていう期待。
これ結構ね、私はやりがちなんですけど、
これね、早く気づいて修正すると、まあ楽になりますよ。
だからね、そういう期待を手放して、
相手も人間であるという存在という意味での信頼。
変わることへの期待でも何でももうなくて、変わらないし、
何だろう、何だろうね。
何なら、今の話だとちょっと分かりにくいかもしれないんだけど、
例えばブラック企業にいた時のパワハラ、モラハラ上司に対しては、
まあいろいろ傷ついたことがたくさんあったわけですけど、
でもそこに対する裏切られたみたいなのは、
もうほんとないんですよね。
ある段階、もう会社にいるある段階でもうそれはね、全部捨てて。
期待してもしょうがないから、期待しちゃいけないなってなった時に、
何だろう、自分の人としての期待ではなくて、
会社の上司としての期待も半分捨てて、
何だろうな、その人の資質の部分への期待みたいなのに変えた時に、
まあまあいい距離、距離感を取れたっていうのがあって、
本当に一人変に巻き込まれずに住んでたんですよね、うつ庭になったけど、
その巻き込まれない工夫が本当に大変なんですよ。
もう感情も思考もフル稼働でね、
ほんと30になったぐらいの時によくやったなと自分を褒めてあげたい。
まあまあちょっと話がね、長くはなりましたが、
具体事例をちょっと出したので伝わりやすくなったかなと思います。
なんかね、皆さんどんな期待したことありますか?
期待が叶わなくてもね、相手の人との関係性っていうのをね、
もう一回見つめてみるといいですよ。
それはね、自分のためにですね、相手を変えるとか、
なんとかじゃなくて、期待したことでもし傷ついたっていうことがあったら、
自分をもし責め、そういう時ってね、私もやるんですけど、
責めちゃうんです、自分をね、まずはね。
だけど、これはね、やっぱりね、はっきり言ったらダメです。
はっきり言ってダメです。
まあしちゃうんですけど、ダメだって思ってください。
私がこんなにはっきりダメって言うときあんまないんですけど、
これを本当にね、やらないほうが、やってしまいがちですが、
やったら気づいて修正したほうがいいので、強めにダメって言っときます。
ダメ、絶対ってやつです。
やっぱりね、期待してしまった自分が悪いんじゃないかって、
嘆く、こういうことがね、まあやっぱりありますよ。
特に恋愛とかになるとね、どうしても女性はね、そうなりがちだよね。
どうしたってやっぱりね、好きな相手のことを、
ある種、影の期待と光の期待と両方を持って、
そしてまた別のところで信頼っていうのを持ってたりするから、
これちょっとね、なかなかね、乙女心が入ると複雑だと思いますが、
だけど、だけどやっぱりね、自分を大事にしないと、
本当にね、その先進みにくくなるんですよ。進みにくくなる。
自分への期待
期待を手放すわけじゃなくて、本当にね、
自分への期待に抜けていくっていうことが大事です。
抜けていくっていうことが大事。
だってね、例えば、本当に申し訳ないことをしたって思ったときに、
まあ謝るじゃない、許されないことっていうのもあるわけなんだけど、
あるわけなんだけど、まあそのこそ本当に犯罪レベルとかじゃない限りは、
相手の許容範囲だったり、相手の価値観だって、相手の世界の話になってくるから、
相手が決めることなんですよね。
だから謝って許されなかった、その通りにならなくても、
それもOKって思えたら、それはちょっと薄っぺらく言うと、
やっぱり愛っていうところに入ってくるんじゃないかなって思いますね。
それをね美徳みたいにしちゃうと辛いんで、
自然にそう思えていくと、
愛情とかっていうより人間愛っていうか、もっと幅広く深い愛みたいな、
生きとし生けるものに対する尊重、敬愛みたいなところに、
まあ時間が経っていくと入っていったりしますからね。
いきなり失恋してすぐにそうなろうとするとこじらせるんで、
傷ついた傷っていうのはやっぱり時間がかかるんですよ、癒えるまでに。
これを人はみんな手っ取り早く癒やそうとするから、
癒やしいことになるんですよ。
すぐ笑っちゃう。ギャグっていうか、すぐ笑っちゃう。
親父ギャグ的なこと言うと。
何の話か、期待の強い話なんですけど、
お子さんがいる方はね、多いし、パートナーシップで悩まれてる方も多いし、
やっぱり仕事だとね、上司部下で、
上司部下になるとね、置きどころが定まりにくくて悩むっていう、
また別のね、悩みがあるんですよね。
自分に期待をする、信じる、希望を持つ、
これはめっちゃ大事ですし、相手に期待をするときっていうのは、
こうして欲しいとか、こうしてくれるであろうっていう、
フィルターがかかった期待ではなく、
もっと自分に期待をするときっていうのは、
こうして欲しいとか、こうしてくれるであろうっていう、
フィルターがかかった期待ではなく、
相手をビーングレベルで信頼している証というところでですね、
それを持つのはいいんじゃないかなと。
でもそれがあるからって、
友達でもなんでも関係が付き合っていけるかって、
そこはね、話変わるんでね。
ここがポイントですよ。
ビーングレベルで相手を信頼して、
信じる姿勢を持ちながら相手と関わるって言っても、
相手か、自分と本当に合わない人だったりした場合は、
無理ですからね、それ以上の関係を継続するっていうことは無理です。
継続するための期待と、ただ存在としての期待は、
これを切り分けないと、離れるタイミングが遅れると自分が疲弊します。
ただそれだけなんだけどね。
疲弊すると判断力が鈍くなって、
離れるべきタイミングを逃してダラダラ一緒にいたりすると、
どんどん自分が疲弊して、
さらに判断力がなくなって、
体がおかしくなって離れざるを得なくなるが一番最悪ケースで、
ラッキーな人は向こうから早めに去っていくことでことなきを得る。
こういうことが起きます。
ここ数ヶ月はそういうのが水面下で起きやすく、
顕在化されにくいので、
意識化されにくいので、
自分がそういう状態にあっていると、
信頼と関係性
気づきにくいってことですね。
でもね、最近もし誰かとの関係で、
なんかこうだと思ってたのにこんな人だと思わなかった、裏切られた感、
それ被害者意識かもしれないが、
結局機体の闇、影の部分であるということなので、
結局ね、自分自身のフィルターを外すっていうことがやっぱり大事になりますね。
なんかね、つらつら今日話したらめっちゃ長くなっちゃった。
早く話そうっていうのは、内容を短くコンパクトにって思ってたんですけど、
具体事例を出し始めたら、なかなかどうだったっけかなってなってしまいました。
本当に人間関係は自分を映す鏡でもあるし、
自分に合う人だけでいいっていう考え方をしちゃうと成長しないし、
本当にね、なんだろうね、面白いっていうかね、
一つの側面だけで見ていくと、やっぱり偏りが出る世の中と時代です。
あらゆる側面から物事を見て、そして選択していくっていうのがね、
その力がやっぱり問われているというかね、
それが養えるこの時期なのかななんて本当に思えますね。
11月に制限解放ワークショップリトリートがあるんでね、
こういう無意識の奥の方の顕在化しない、あるいは自分でもよくわからない働きっていうのを
整えていくのが制限解放ワークショップでできることで、
その迷路から抜け出すのは外側の力っていうのが役に立つので、
それはね他者だったり、さらに工事の存在だったりっていうのがお手伝いしてくれるということでございます。
本当に長くなっちゃった。
今日のお話があなたのおかげで、
レターとかご感想とか、いろいろ皆さんお寄せくださってありがとうございます。
また寄せていただいて、
またお会いしましょう。
ありがとうございました。
ご視聴いただいたりシェアなどしていただけるととても嬉しいです。
というわけで皆さんまたお会いいたしましょう。
では。
36:55

コメント

スクロール