丁寧な生き方の意義
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。 霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、
エンタメでもファンタジーでもない リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、丁寧に生きるということについてです。
丁寧に生きるって、よく目にしたり耳にしたりする言葉かなと思います。
だけど丁寧ってどういうことなのかなって思ったことないですかね。
そんなことをふと思ってみると、
例えば、朝掃除きちんとするとか、
ご飯をゆっくり味わうとか、
あとは書作を美しくするとか、
そういうことに意識が向くんじゃないかなと思うんですけど、
それはそれでやっぱ素敵だしいいなって思うんだけど、
なんとなくそこだけを見てしまうと、
なんだろうな、なんかちょっと距離が遠い感じ、
なんか自分ごとになりにくい感覚があるんじゃないかなと、
いろんな人とかそういう情報を見ていると、
なんとなく感じる違和感だったわけです。
自分なりに丁寧に生きるってどういうことかなと、
自分の中での話を考えると、
それって丁寧に意識を上げることなんじゃないかなって思ったら、
なんだか譜に落ちたんですね、なんだか譜に落ちた。
例えば書作ってわかりやすいけど、
これって本当に意識の現れですよね、書作。
例えばコップを取るときとか、
靴揃える、食器片付ける、
行動の意識と習慣
これ無意識でやっていることだと思うんですけど、
そこに意識が入る、
意識をするだけで書作自体、
そして見え方なんかも変わってくるんじゃないかなって思います。
それはやっぱり、
人の振り見て我が振りを直せっていうのが結構私は多くて、
やっぱり人がやった行動に対して、
なんでそんなことをするんだろうって思うことってあるんですね。
例えばね、座布団を置くとき、敷くときに、
ポイって放り投げてバサッと置く人がいて、
それ埃舞うじゃんっていうか、
バサバサって置いていく人がいたりして、
私が埃とか得意じゃないからね、
埃が舞って、その後そこに座るなら私もみんなで寝るんだよなみたいなことを考えると、
埃が次第に落ちてくるわけで、
神経質と言われてしまえばそうなんだけど、
どうしたって埃は舞うんだけど、
置き方、少し外を置くとか、
程度問題っていうかね、程度ってあるんじゃないかななんて、
昔思った体験があるわけです。
それだけに限らずね。
例えば洋服が好きっていう人がいて、
私も洋服好きなんですよ。
とはいえお家でね、ポイって置いちゃうときだってありますよね。
Tシャツとか、シワになっても大して問題がないやつ。
でもシャツとかは流石にポイって置けないんですよ。
シワになっちゃうからね。
シワ加工とかはいいんだけど、
そういう時にやっぱり人によって、
服の扱い方、カバンの着方もそうなんだけど、
すごく、こんなに細かいかもしれないけど、
すごくね、荒い人とかを見るとハッとすることがあります。
なのでね、意識がやっぱり向いてないだけだと思ったんですよね。
だから意識を上げるっていうのは、
丁寧っていう風に言えるんじゃないかななんて思ったんです。
だから何か物を置くときとか、
書作っていう意味ではね、
扱い方、物の扱い方、
私は結構散らかしまなんですけど、
とはいえ散らかしまなんですけど、
やっぱりなんだろうね、
そういうのはね、会社とか、
人がいるところではやっぱりちょっと気にしたりするし、
あと大切にしているものはやっぱり丁寧に、
要するに意識に上げながら扱うってことをしています。
丁寧のね、程度とその正しさじゃないけど、
心地よさっていうのは人それぞれだから、
座布団を放り投げても気にしない人もいれば、
座布団を放り投げずにそっと置きたいなっていう人もいるみたいな。
でもね、便宜上っぽいって投げた方が楽しい気分だったりするときもあるじゃないですか。
全てがあれだけど、
その楽しい気分で投げるっていうことすらも、
自分はその気分で投げているというふうに意識に上がっていることが、
ある種丁寧なものになっていくんじゃないかなって感じるんですよね。
投げ方が多分変わると思うんだよね。
同じ投げるにしても優しく投げるとか、
わかんないけど。
そういうちょっとしたところって結局、
意識しているかどうかの違いであって、
味噌汁を出汁から取るのが丁寧な生活、丁寧な暮らしとかじゃなくて、
結局その行為に至るのは、
自分がお味噌汁を飲むときの味わいとかで、
こういうふうに飲みたいなと思ったら、
出汁から取った方が求めることにかなうなと。
そういうのが無意識的にあって行動にさっと移せる人と、
なんとなく面倒くさくてやらないっていうのと、
そうすると手間暇かけているのが丁寧っていうふうに思われがちだけど、
面倒くさくてやらない、面倒くさくてやらないでも、
それをちゃんと意識にあげて自分が選択している、
そこに意識を向けていくと、
今日は出汁は下流でいいけど、
今日は出汁から取ろうとかね、
そういう選択肢が広がると思うんですよね。
手数とか手間、時間、工程を増やすっていうことが、
自己理解と生活の質
丁寧なわけではないだろうと思うわけですよ。
意識を込めるっていうことが結局手数がかかってくる。
そういうことだと思うんです。
何かを使ったり、何かを片付けたりっていうことも、
結局使うときも、
中国茶器だったらたくさん茶器がある中で、
今日何を飲みたいかって体に聞いて、
そして、このお茶飲みたいな、じゃあこの茶器だなっていうふうに考えるわけですね。
意識にあげるわけですね。
これは別に中国茶飲みたいって言ったって、
別にみんなたくさん茶器を持っているわけじゃないから、
一個でいいんですけど、
そのときに一個のものを使うにしても、
緑茶、中国じゃなくても、旧酢でもなんですけど、
私失敗したのが、香りが強い紅茶、チャイとか入れるような、
そういう紅茶を、ポットがなくて旧酢で入れたんですよね。
そしたら匂いが旧酢についちゃったもんだから、
それこそ緑茶とかね、
なんか紅茶の香りがしばらく香って不思議な感じになっちゃったんですね。
だからね、結構年配の方とかこの辺の話はすんなり入ると思うんだけど、
若者はもしかすると、それ意味あんの?みたいになっちゃうかもしれない。
どういうことか。
道具にはそれぞれ役割があって、
それぞれに使って併用しないっていうのが、
昭和の教えなんですよね、大体がね。
家によって細かくあると思うけど。
それって最初しつけで言われてるんだけど、
それこそがこれにはこれっていう意識にあげるっていう、
丁寧さにつながるななんて思ったんですよね。
片付ける時っていうのも、すぐに片付けられない時もあるわけです。
すぐに片付けたらいいってわかってるけど、すぐに片付けられないと、
自分がすぐに片付けられない、丁寧な暮らしをしてない、
そんな風に飛躍して思っちゃう人がいると思うんです。
昔の私は結構そういう感じでしたね。
だけど今はね、後でいいやってなったら後でいいんだけど、
ちゃんとその後回しにしたものを片付ける時は、
一個一個丁寧に扱う。
これでもいいんじゃないかなって自分に思うようになったら、
割と生活楽になったんですよね。
一個一個大切にするっていうのも、
大切の仕方、大事にすると大切にするはまた違う意味になりますけど、
大切っていうのはね、心を配るってことですよ。
切に扱う、大切に扱う。
情が入ってくるわけね。
大事っていうのはこと。ことなので、情ではないこと。こと扱い。
ことと情と分けて考えれば、大事と大切の区別っていうのは簡単にしやすいと思います。
大切に扱うものを大切にする。時間を大切にする。人を大切にする。
これって結局自分の気持ち、自分の意識を大切に扱うことなんですよ。
自分がどうしたいかっていうと、
なんかハウトゥーというかね、外側のドゥイングレベルになるんだけど、
気持ち、自分の感覚を大切に扱うっていうのは、
これビーングなんですね。
なのでね、なんか頑張んなきゃとか、これやんなきゃ、すぐに固さなきゃとか思った時に、
一回深呼吸して、後でまとめて固そっか。今は休もう。ってね。
そうやって自分に思えること、これも自分を大切にすることだし、
それこそが丁寧、丁寧に生きるっていうことでもあるなと、ふとね、気づいたわけです。
なのでね、丁寧に生きる、丁寧に生活する、丁寧なホニャララっていうのは、
意識を意識にあげる、意識をする、意識を配る、こういうことにつながるんじゃないかなと。
つまりね、出汁をとるみたいな、味噌汁に出汁をとるみたいな行為は、
手間暇かかって丁寧な暮らしっぽいってなるじゃないですか。
朝起きて茶湯飲んでとか、自分の体を大切にしているってイコールっていうのが隠れ庵に示されていて、
丁寧な暮らしだななんてね、思うわけですよ、朝掃除してとか。
もう私の朝、一日何してるかって話をこの間知り合いに話してたときに、
仕事の稼働時間の話とかをしてたときに、
まず朝起きて猫でしょって言ったら、すごい笑われて、朝起きて猫。
意味わかるけど言わん、それ何なのみたいなね。
朝起きて猫。本当にね、本当そのまんまなんですけど、朝起きてね。
まず猫のためにモップをかけるっていうのが、猫が来てからのルーティンなわけです、私の。
寝てる間に埃が地面に溜まってて、猫さんが地面を寝たりするもんですから、
毛があるからね。かゆがたり一人、いつも毎日鼻くそついてたりするんですよ、ちょっとだけど。
そういうので、かいかいとかやってたりするから、やっぱりきれいになるべくしておこうかなって思って、
朝起きたら、朝一やるのはまずモップですよ。
クイックルワイパーのやつね。
モップをシュッシュッとかけるっていうかね、やって、水かえて、ケージから出して、ご飯あげて、
ご飯のそばから離れると一人ついてきちゃうようになってきたから、なるべくご飯を食べきるまでいなきゃいけないっていう謎のルーティンがあるんですよ。
これ結局もうルーティンなんだけど、朝起きて猫の一言に全部それが入ってて、
そこで何を意識にあげてるかっていうのは、やっぱり掃除に関してもこの辺、
早くご飯食べたい出たいってあるから、この辺はやっといたほうがいいなっていう隙間とかね、
夜掃除機かけるんだけど、掃除機だと届かないところとかシュッシュッとして、
丁寧に生きる重要性
猫さんの、一番最初はあれだね、ケージの中でおしっことか、なんか吐いてたりとか、
なんかね、ちょこっと吐いたりするときがあるので、それでまた踏んづけたりすると大変だから、
そのチェックが朝一起きたすぐあるわけですよ。朝起きて猫なんですよね。
それも結局一個一個全部意識があって、ルーティンとはいえタイミングとか、
あと様子、猫さんの健康の様子とか、食べてるときの雰囲気とかで、
あ、食べ飽きてきてるなとか、結局意識をずっと向けてる、まだ丁寧に意識してる、こういうことなんですよね。
だから普段のルーティンの大したことないことでも、ただ意識を向ければ丁寧になっていくんじゃないかなって感じました。
丁寧に生きてる人って、なんかゆっくりして見えると思うんですよ。
のんびりっていうか、どんくさい見れるかもしれないんだけど、
エネルギーの流れっていうのはスムーズになるなというふうに思います。
なぜなら、やっぱり今ここに意識がちゃんとあるからですね。
言い方変えたらグランディングされてるとも言えます。
体のグランディングっていうよりは意識のグランディング、今っていうここに意識がちゃんとコミットしている。
これを猫って言いながら、なんかあれこれ考えながら猫の世話をしてたら、今ここに猫といないんですよね。
朝起きて猫の時間は猫に意識が向いているので、丁寧に猫との時間を、じわってるとまではないけど、過ごしているわけですね。
それはスピリチュアルとかヨガとか、いろんな人が自己啓発とかいろんな人が今ここっていう単語を言うまさにそれです。
瞑想とかなんかしなくても、諸作というか、自分の生活の中で意識を丁寧に上げて生き続けると、瞑想的な生き方になっていくんですよね。
やっぱりね、過去も未来も今ここありきなんです。
なので丁寧に生きるっていうことは、今ここを生きるっていうことであり、過去も未来も創造、作り上げていくっていうことの入り口と言えるんじゃないかなと。
丁寧に生きるって忙しくて子供がいて、何とかかんとかで、全部が早く早くってなっていてもですね、その一個一個をなるべく意識に上げていくだけで、どんな状況でも丁寧さっていうのが生み出すことができる。
それがね、猫さんといてよくわかります。
まあ大変だからね、今日もうんちをした後にもう一回トイレに入るから、何してんだろうっていうか、大体その時はゆるいうんちが出てる時だから、今日ゆるいうんちなんだなと。
前日のご飯とかが食べ残しとかしてると身がないんでね、水はちゃんと飲ませていったりするから、水分が多くなってね、寒くもなってきてゆるくなるっていうことだろうなと思っておりますが、
そういう様子っていうのも普段やっぱり意識を向けているから変化に気付く。動物は言葉を発さないし、猫さんも、うさぎ飼ってた時もそうだったけど、本当にね、隠すというか、本能だよね。弱みを見せちゃうと食べられちゃうからね。
だからね、ちょっとしたことは隠すので、その雰囲気というか、普段との違いを見つけていくことが飼い主さんは大切になっていくわけですよね。
でもね、100%そういうことができなかったとしても、やっぱり一緒にずっといて意識を向けているから、違いっていうのはなんとなくわかるわけですよ。
こういうことがストレスなんだなとかもね、だんだんわかってくるわけです。
それは今、猫さんの話で言ったけど、外側はみんなできる。家族とか大切なペットとか恋人とか。
だけど自分自身って意外と難しいというか、自分自身に対して丁寧に意識にあげるって、本当に意識しないとマジでない頭にするんですね。
それをやってるとね、本当にね、疲弊しちゃうし、人との関係でもアンバランスさ、こういうのを生んでいきます。
なのでね、丁寧に生きるのがいいかっていうと、丁寧に生きるのがいいよじゃなくて、意識を上げていくっていうことをすれば丁寧に生きるっていうことにつながるし、
所作にもつながるし、何よりも今ここを生きるにつながっていくからおすすめだよ。こういうお話でした。
日常の中の意識
というわけでね、夜聞いてる方は明日のメッセージ。朝聞いてる方は本日のメッセージ。
これをね、丁寧に伝えていこうかと思います。
どんな日になるのかな。
ちょっとですね、衝撃的な何かとか、衝撃っていうよりはちょっとした混乱っていうのがね、起こりやすいかもしれません。
なんか遅延するとか、人とのコミュニケーションでね、今までこれで話し通ってたやんみたいなのが、
あれ、なんか今日あれ、それこないだ言ったのに、みたいなことが起きたりとか、ちょっとした混乱、すれ違いだね。
トラブルに発展することもあるかもしれないけど、トラブルっていうのは結果の話であって、
そのすれ違い、混乱、自分の中でなんかあれなんかおかしいぞっていうことが、今日ちょっと起こりやすそうです。
それに伴ってね、感情が揺れる、こういうこともあるかもしれません。
そういう時は一呼吸置いてください。
吸いきと吐く息をね、それこそ丁寧に意識にあげる。
こういうことをされるとめちゃくちゃいいですね。
調和がもたらされていきますので、一呼吸置く。
人によっては3回くらい深呼吸をする。
そういうのがおすすめです。
今この混乱っていうかね、思いもせずっていうのがね、もしかしたら誰かから好きですって告白されて動揺するっていうね、
ポジティブな、なんかちょっと幸せなドキドキかもしれません。
だからね、なんかトラブルがあるのかな、嫌だななんて思わないでください。
ハッピーな予想外もある種のトラブルかもしれない。
トラブル?うんと、予期せぬ何か。
混乱、混乱させられることかもしれない。
自分が混乱しなくても周りが混乱する状況になる。
そういう日がね、今日です。
今日というかね、そういう日ですよということなので、
何より深呼吸して自分自身の今を感じる。
今何が自分に起きているのか。
それをね、しっかり意識を上げて丁寧に自分を扱っていくと、
今日の日っていうのが非常にスムーズに過ごすことができますよという。
そんなカードからのお知らせでした。
でしたでしたでした。
いやーね、やっぱりカードはちょっと面白いですね。
なかなかね。
というわけで、今日のね、お話は丁寧に生きるとはどういうことかなっていうのを考え、
考えたよーってそんな話でした。
今日の話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
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というわけでまた皆さんお会いいたしましょう。
それでは。