で、あのやっぱりねそのなんで参拝するかっていうところをたまには話すかなと思ってですね。
簡単に言えばタイトル通り神様を味方につけるということなんですが、
あのちょっとしたねスピリチュアル好きの人の中ではね、竜をつけるとかね、支益するという意味ですね。
神様を下ろすとかね、いろんなこと言う人がいます。
で、まあそれをね私は否定するつもりはないんですね。
あのまず何をもって神と呼んでいるかっていう前提もとっても大事だなといつも思います。
あのその人にとっての神とは何か、それは自分自身も問ってほしい、問いをね自分に投げかけてほしい部分なんですね。
何をもって神とそれを呼ぶか、神と呼んでいるそれは何なのか、
まあどうしてもね、あの大枠にはなってきてしまいますが、
そこをはっきりさせるのに偽人化っていう方法がね、世の中にはあって、アマテラスを神って呼ぶとかね。
まあまあそういうね、いろいろあるわけですよ。
で、いろんなねちょっと宗教の話になっていくと広がりすぎちゃうんですけど、
やっぱりね太陽神功っていうのは古くからね受け継がれているものであり、あとは岩とか山とか、
五神木っていうけど木っていうのもねやっぱりありますね。
でもやっぱね岩とかね、そういうのは昔からなんかこうそのものを神としてあがめるとか、
あるいはね沖縄とか歌木って呼ばれるようなねもう場所、特に何もないんだけど、そこは聖域。
神様っていうよりはね聖域っていう表現になるのかなと、ちょっとね私はそこも詳しいわけじゃないから、
私の言葉の定義でしか今は話せないんですけど、
簡単に言うと、
領域と神様とその他いろんな表現の仕方があって、
自分がね何をもって神と呼ぶか、これはねやっぱり何か指標があるといいんじゃないかなって思います。
で、
味方につけるっていうのは何かしてもらいたいから味方につけたいっていう、
横島というか、まあ欲求がある人が多いと思うんですよね。
味方についてくれてるっていうね、いつも守られてる、こういうね確信と自信を持っている人もいらっしゃると思います。
ここに関しては私も持っています。
本当にね守ってもらってるなとか、
助けてもらってるなっていうのを本当にもうあらゆるところで感じていて、
それを守られていると表現するか、味方になってくれてる、あるいは味方につけていると表現するか、
前半の方が受動的なんだよね、してもらっているっていうね、受動的。
後者のねつけている、味方につけるっていう表現になると、
能動的、主軸が自分に変わっていくっていうことがねあるかなと思います。
なのでね、別に言葉遊びなわけじゃないんだけど、
言葉のそういうちょっとした捉え方っていうのも結構大切にされると、
いろんなねその奥にある本質っていうのが見て取れるんじゃないかななんていうのを最近感じたんです。
神様にね、好かれるとかいう、本とかなんかそんなタイトルがあったなと思ったんですけど、
神様に好かれるなんとかの法則とか、なんとか感とかとか、
やっぱりなんかね、そこの受け取るって言ったらいいのかな。
やっぱりね恩恵を受け取る、これ愛情に置き換えるともっと身近になると思います。
愛を受け取る、愛情を受け取る、人からの好意を受け取る。
これが苦手な人結構日本人に多くて、
こういう方はね、やっぱり神様が味方してくれてたりサポートしてくれていても、
気づかないわけはないんだけど、なんかねその気づく範囲がやはり制限がかかる、狭くなっている。
こういうことが結構見てるとありますね。
神社ツアー、私はなんか一番たぶん楽しくて、一番とは言えないな。
なんかね種類がやっぱ違うからな。
なんかね、なんだろうね、本当に橋渡し感が一番強いんですよね。
講座もそうなんだけど、やっぱりなんかね、神事をしている時っていうのは、
非常にやっぱりこう、使わされている感がいい意味であって、
なんかね、本当に世界の役にも立っているし、
もうちょっと世界だと広がるか、神様の役にも立っているし、
神様っていうのをちょっとね、キャラクター化してイメージしているんですけど、
神様っていう存在がいて、なんか役にも立っているし、人間の役にも立っているし、
本当に橋渡しっていうのはピッタリなんですけどね。
やっぱそのね、橋渡しは何がいいかって結局ね、交流と循環が生まれていることが、
まあなんだろうね、心地いい、楽しい、見てて幸せ、そういう感じなんですよ。
そういう感じなんです。
昔はね、なんかね、そういう恩恵を受けたいっていうのがもともとやっぱりありましたよ、若い時はね。
なんか神様からわかりやすくサポートされるなんか欲しいとかね。
そう思っている時はやっぱり気づかないんですよ。
サポートが入っているのに期待の方が大きくて、こういう結果が得られたらとか、
こういうサポートがこんな状態の時に入ったら信じられるみたいな、
すごい無意識的な領域でのなんかね、そういうロジックが働くんですね。
まあ仕組みでもいいんだけど。
そうするとね、結局遠ざけちゃう、自分がね。
自分が神様を結果的に遠ざけるっていうことが起きる。
これを人間様に変えると、例えば愛情を受け取るのがなんか苦手っていう人、
人の親切を受け取るのが苦手。
昔の私はまさにそうだったんですけど。
そうすると相手を拒むということと等しいわけですね。
そういうところで神様を味方につけるっていう部分では、
いろんな方向からお話できて、
本当はねシャーマニズム、アミニズム的な話をしようと思って始めたんだけど、
もっと手前のところだなって今なんかちょっと切り替わりまして、話がね。
切り替わりまして。
やっぱりね、その気づく、簡単に言うと気づくことが大事ですね。
サポート入ってるなーって気づくこと。
これがねみんな気づかないんですね。気づかない。
本当にね、びっくりするぐらい気づかないんですねみんなね。
悪いことではなくてね、もったいないよねって話なだけなんです。
気づかないから鈍感だとか能力がないっていう、そういうことじゃなくて、
もったいないよねってだけなんです。本当に。
気づける感性は人間、動物なんで持ってるんだけど、
育った環境や今お仕事が忙しかったりとか、いろんなことがね、
例えばサバイバルの問題、お金とかね、いろんなそういうものがあると、
目の前のことでいっぱいいっぱいになっちゃう。
そういうことがね、やっぱり起きるわけです。
でもその中でいかに自分がサポートを得ていることに気づけるかって、
結構この先重要になってきます。
その表現を別の言い方をすると、兆しを捉えるって言ったりするんですね。
先見性とか。
それをね、別の言い方すると直感っていう人もいますね。直感。
直感は2種類ある。感じる感と観察の感。
これなんかどっかでね、スタイフのどっかで話してるんで聞いてみてください。
やっぱりね、私みたいにこんな細かくいろんなことを考えなくていいと思うんですけど、
いいと思うんだけど、肝心要のところだけは、
表も裏もあるっていうことを前提に置いていく。
これだけ大事ですね。
どっちかに答えを振り切らないっていうか、必ず反対がある。
ちょうどね、この間お話ししてて、お話ししててって、
神社とかね、秘密っていうか、秘密じゃないんだけど、
いろんなね、宗教の考え方とか、あと縄文時代はこうだったみたいな。
あと土着のね、アイヌとかね、アイヌ編はこういうふうに考えてるとかね、
そういう話をしてた時に、
いろいろあったんだけど、
何話そうとしたんだっけな。
やっぱり西洋の人からすると日本のね、
なんだろう、どっちともつかない話が、
ハテナが浮かぶっていう話題があって、
それが何かっていうと、何かっていうと、
例えば動物をね、動物を食べる、いただく、殺すわけじゃないですか、言ってしまえば。
命を奪う、殺生をするってことは、
一寸の虫にもゴムの魂じゃないけど、
まあまあ良くないことと言われる。
だがしかし、その命を持って食べることによって命を受け継ぎ、
生きながらえる、だからいただきますという、
それは感謝の意味であり、
そしてアイヌとかになってくると、
その動物たちが、あるいは神様が、
これ食べていいよって許可をしてくれてるから、
殺すことができる、その矢が打たれてくれるみたいな表現があるわけですよね。
なんかその、でも大事にしてるみたいな。
なんかそのね、西洋の人からするとその感性がいまいちわからんっていうことがあるんですね。
何かどこかに答えを収めようとすると、
なんかもう全ての動物が食べられないベジタリアンみたいな、
ごめんベジタリアンの人がそうかどうかはちょっとわかんないんですけど、
体とかね、個人差もあるし、考え方は個人差があるので、
どれが悪い、いいじゃないんだけど、
でも極端な方向に行っちゃうと、
もう生きてる動物は食べれないみたいに、
なんかなっちゃったりすると、
別のもので營養とれて健康でいられるボディならいいんだけど、
こういうのは体質もあるんでね、遺伝子とかね。
やっぱり多少ね、動物性タンパク質っていうのは取った方がいいという考え方もあるわけですね。
もしその体がね、そういう成分も取る必要がある、
そういう体だったとしたら、逆に命取りでもあり、
その命はね、動物たちと人間は等しいとか、
あと地球上の中でね、割合、人間の方が本当に少なくて、
動植物の方が世界をね、牛耳ってるじゃないけど割合が多いっていうこととかね、
いろいろ考え方がありますわ、いろいろある。
その中で自分はどうするかっていうのが、
今後の時代本当にそれが言える人になっていく。
今言えなくても考える力があるっていうのはすごく大事で。
やっぱりそういう人はね、結果神様が味方についてきてくれるっていうことになっていくんですね。
なんか話がちょっとね飛躍して聞こえるかもしれないんですけど、
これはちゃんと巡ってる話なんですね。
ちょっと私がね、話がたまに広がって戻ってっていう独特な話し方をするので、
ちょっとねピンとこないっていうことがあるかもしれません。
だけど、やっぱり言われたのがね、その話って、
縄文とかアイヌとかの話をしてたときに、あとその動物ね、話をしてたときに、
私が言うことが、それは縄文的だねとか、それはアイヌ的だねみたいなふうにくくられてったわけなんですよ。
私はその意識が全くなくて、もともとやっぱりアミニズム、シャーマニズムっていうのが、
体になんか染み付いてるんでしょうね、DNAレベルでね。
だから自然にそういう考え方になっていく。
縄文時代にキケイジが生まれたら、もうそれは神様だっていうふうに特別な存在っていうふうにね、
してきたから、そういう差別とかね、そういうのがなかったって話があるわけなんだけど、
そういうのもなんかね、自然なんですよね、すごく。
だからって何ってことなんですけど、
それって結局、人間の都合っていう常識、人間が作った考え方の正しさ、ルールとか、
それを人は常識とか概念って言うんですけど、
そこになんかあんまり縛られてないというか、縛られていても、
縛られていてもそこにはまらない感性があるんですよね、もともとね。
でこれは、本来人はみんな持っているはずと私は感じるんですけど、
でもこれまでの育った環境でやっぱりね、その話が通じる人がほぼほぼいなかったわけね。
これ何かなって思ったら、やっぱりね、神様とかお寺とか、
宗教じゃなくて信仰、もうちょっと言うと神話っていうところ、
信仰と神話がちょっと近いわけなんです。
私が今言いたいことは近いわけなんだけど、言葉は全然別なんだけど、
大事なものっていうのは、神話がなくなったら文明が滅びるって誰かが言ってたらしいんですけど、
まさにそれぐらい人が人たるゆえんというか、人が人たらしめるためのとても大事な教養であり要素なわけですね。
それをやっぱね、教えられてないんだなっていうのを、中学校ぐらいで気づいたのかな。
高校の時になんかはっきり気づいたっていうことがあって、
なんで知らないの?みたいなことがいっぱいあって、
逆になんで知ってんの?ってなると、教わってないのに知ってることいっぱいあったりして、あれ?ってなったわけ。
話を少し戻すとですね、その感性って特別なの?っていうと、私は特別ではないと思っていて、
まずはやっぱりその神話とか信仰っていうところでの情報を今からでも得ていくことは、
なんかスイッチになるんじゃないかなと思ってます。
もともとみんな日本人だし、たぶん聞いてる人は、海外の地が入ってたとしても、
なんか日本の地が入ってれば、なんかやっぱなんかあるんだよねっていう。
なんかロシアの人が日本に来て、日本人以上に日本のそういう感性を知ってるとかね、
そういう人がいたりするんだけど、なんかそういう人もやっぱり前世とかも含め、なんか引き継いでる情報があるんですよ。
やっぱり経営者とかリーダーシップを取る人たち、何か作っていく人、表現者の人、アーティスト、
そういう人たちって必ずその鍵取る力、センス、センスなんだよね。
ほんと一言で言うなら感性、それをお持ちなんですよね。
それでね、改めてそういう人向けの神社ツアーを2月から始めるわけなんですけど、
じゃあ別に経営者じゃない一般の人はダメなのか、そういうことじゃなくて、みんな一緒だからね。
それぞれに役回りっていうものがあるので、どんな人でも神様は味方についてるし、
ただやっぱりそういうのに気づかない、センスがない人はいくら味方をしてても気づかれないから、
気づかないということはないに等しいわけですよ。つまり神がいないという認識になるわけですね。
それはその人の中にいないだけであって、世の中には神様を信じる人たちがいて、存在してるわけです。
存在してるわけ。この辺になってくるとどんどん哲学的になってくるので、この辺にしとこうかなと思うんですけど、
やっぱりこのスタンドFM、そして私の魂に目覚める魔法の知恵袋、ポッドキャストを聞いてくださっている方々は、
こういう部分すごく知りたいんじゃないかなってすごくひしひし感じます。
出会う人にね、最近やっぱりここ数年ポッドキャスト聞きましたっていうお声、非常に多いのでありがたいなと思ってて、
簡単に言っちゃえばこれって一つの教養なんですよね。教養って言うとなんか敷居が高かったり偉そうになんか雰囲気になっちゃうんだけど、
そういうことじゃなくて、昔からね、おじいちゃんおばあちゃんが語り継いできて教えてきた、大事にすべきものっていうのの情報だから、
すごいものでも偉いものでも特別なものでもなんでもない。
だけどそれが途絶えてきてしまってるがゆえに、もの珍しさだったり、それのエンタメっぽくなっちゃうこともあるのかもしれません。
でも本当にね、うちで4,50代の女性が多いわけですが、上はね今66歳って言ってたかな。
60代の方も何人かいらっしゃって、何人かっていうか結構いらっしゃって。
でも一番多いのは4,40,50あたりなんですが、一番若い人が20後半の方が何人かいらっしゃって。
やっぱりそういう若い世代の方とお話しすると、やっぱり心の奥で本当に求めてるもの、ちょっと強く言えば渇望しているものに本人が気づき、そして何かそれをうちで見出してくれていると。
それは若い人に限らずなんですが、やっぱりそのね、日本人の心とか、なんかね日本人たるゆえんとか、よくねスピリチュアルの意識高い系の人とかはね、言ってる単語かなぁなんて思うんだけど。
本当にね、これはスピリチュアル、私2階層に、よく2階層、3階層に分けるんだけど、そのね一部の階層では本当に重要で、全部を統合していく流れの中で絶対的に外せないとこなんですね。
今日ちょっと神様の話なので、ちょっとそこには触れないんだけど、やっぱりそういう部分をね、トータルに見ていく。
神様ばっかりノンノンしてたって、ダメなんですよ実は、本当は。本当はね。
でもね、やっぱ神様を大事にする気持ちから、気持ちからだんだん気づくんだよね。だんだん気づくの。
ああ、そうかって。
だんだん橋本の話が分かってくる。
分かってくるのとか言って。
そこにね、やっぱり理由、理屈っていうのを問い始めると、思考のマインド、上のマインドに入っちゃうので、本末転倒なんですけど、
そこをね、受け入れながら、自分の内側でこう味わっていくと、言葉を越えて本当の領域に入っていきます。
というわけでですね、今年12月22日、ここCM入れときますが、シンギングボールの瞑想会、音磁場瞑想会と言います。
音磁場瞑想会。
あの、陶磁場にかけてます。
音のね、揺らぎ、音。
特に私が持っているシンギングボールはオールドボールになってますので、アンティークなんですね、ほとんどがね。
なのでね、すごく、なんていうのかな、いいっていうか技術が、今では作れない技術で作られてるボールとかなので、
やっぱりね、お坊さんとかが扱ってた、そういうボールなんですよ。
なので音がやっぱね、違うんですよね、全然。響きとか浸透具合が。
なので、昔はそれでね、体の施術セッションをやってたんだけど、コロナでね、ちょっともう一切やめましたが、
唯一、その瞑想会ではね、それを体験できる場になってますので、
だいたい年にね、1回をやってて、まあ下死か陶磁なんだけど、だいたい陶磁にやってるっていう。
たまにね、下死にやって年2回になるっていうね、まあそういう流れがあるんですけど。
今回ね、やっぱ年の終わり、気が枯れてるところにね、けがれをね、払い、そしてチャージしていく音磁場瞑想会になりますので、
これは本当にパワフルなんで、東京でね、開催されます。
あの、ホームページの方にもお知らせが、これ今回はね、ホームページからお知らせ見られますので、
ホームページ見てもらったらいいし、あとメルマガにやっぱね、登録してもらうと、いろんなお知らせいきます。
メルマガの時にね、なんかあの、先行で案内欲しい人はこっちも登録してねっていうお知らせがあるので、
ちょっとね、入れ子になってますけど、あの本当にこう神社ツアーとか、見逃したくないって人はそこに登録をしてもらうと、
メルマガと、さらにメルマガから先行案内欲しい人、メルマガと両方ね、登録してもらうと非常にいいかなと。
結構なんかね、メールが届かないっていう事件がちらちら発生してますので、
あのもし万が一届いてなかったらですね、迷惑メールボックスチェックいただき、
事務局の方にお問い合わせいただくといいんじゃないかなと思います。
というわけでですね、12月22日のね、シンギングボール面相会良ければ聞いてねと。