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2024-04-18 31:51

【001】 NVCのレンズでみる「怒り」とは?

NVC大学の後藤ゆうこと苅部ミュア智美が、ワークショップの準備のための対談をしながら、怒りの本質にせまります。

サマリー

NVCのレンズでみる「怒り」とは?の話は、怒りについての認識や扱い方について話しています。 自分の怒りと他人の怒りについて理解を深めるプロセスと、怒りを解体して変容させるプロセスについて語っています。

怒りについての認識
後藤ゆうこ
はい、では今日から
シリーズで2人で話をしてみようかなと思います。 後藤ゆうこです。
苅部ミュア智美
はい、苅部ミュア智美です。
後藤ゆうこ
今日のテーマは、怒りについて。
苅部ミュア智美
はい、そうですね。ミーティングしてたんですよね。本当はっていうか、世に出すつもりはあるけど、ワークショップの組み立てをしようと思っていたら、怒りについて語り始めてしまったというか、話し始めたので。
後藤ゆうこ
NVCの認定トレーナーになるのに、最低これだけは知っておいてくださいよ、みたいなもののリストの中の一つに、怒りに対してどういうふうに対応するか、みたいな項目があって、
今、そもそも怒りって言っても、いろんなパターンがあるよね、みたいな話をしていたところでなんですけども、今までちょっと出たところをおさらいしてみようか。
苅部ミュア智美
うん、ぜひ。
後藤ゆうこ
今まで話した話だと、まずはそもそも結構怒りって、日本的にはあまり良くない。怒っちゃいけないとか、怒ってる人は自分をちゃんとコントロールできてない人だとかっていう、そもそも怒りイコール暴力みたいなイメージがあるよねっていう中で、
どうしても怒りって敬遠されがちだったり、抑圧されるべきものとして、なかなか扱いにくいテーマなんだけれども、そもそも怒りって言ったときに、まず自分の怒りなのか、それとも相手の怒りなのか、みたいなものによっても向き合い方がまた違うよね、みたいな話をしてたよね。
ともちゃんはまず自分の怒りを。
苅部ミュア智美
そうね、そもそもの候補生の人とか、NVCをがっつり実践したい人が、こういうトピックを入り口として学ぶといいよ、みたいなものの一つとして他人の怒りを聞くっていうのがあるんだけれども、
後藤ゆうこ
その他人の怒りを聞く前にまず自分の怒りについて知るといいかなと思ったので、怒っている時の自分に自己共感というプロセスをやった後に、じゃあ他人の怒りはどうかなっていうのがいいんじゃないかなって話をしてたんだよね。
苅部ミュア智美
何でもそうだけど、まずは自分の内側にある感情だったりニーズだったりを扱うことで、他の人の中にもそういう同じような何かがあるんだなっていうのが、より共感しやすくなる。
後藤ゆうこ
そういう意味ではやっぱり、自分の中ではどういう風に怒りがあるんだろうかとか、そもそもちゃんと怒りとつながれなかったりとか、怒れない人もいるし、それを見たくないと思って蓋してしまってる人も結構いる中で、
なかなかどうぞ怒りを出してくださいって言っても出せない人が多いよね、特に日本は。
苅部ミュア智美
で、この撮ろうって言ったのは、私があるエピソードを話し始めて、ゆうちゃんがこれ撮ろうって言ったんだけど。ある時、私がある人にとある講座で、いやいや怒んない人っていないよね。
それを表現するかどうかは別にして、怒んない人っていないよねっていう何気ない一言を言ったんですけど、自分的には何気ないだったんだけど、それを聞いた人にすごい反応が起こって、後で知ったんだけど、その人は怒りを安全に出せる環境に育ってなかったから、自分は怒れないんだって。
後藤ゆうこ
って言ってたんだよね。だからもう、表現するしないの前に怒らないように自分を凄く律していたというか、怒りの回路に行かないようにしている人もいるんだっていうのを、その時初めて知ったんだよね。
苅部ミュア智美
今では怒れるようにその人もなっています。
後藤ゆうこ
今の話を聞いてると、ないわけじゃないんだけども、怒りをないことにしないと、逆に自分が危なかったから、怒りをどう表現していいかもわからないし、怒りの感情にうまくつながれないっていうことが起こってたっていう。
なので、誰にでもあるよねっていうふうに言われても、それが実感があってでもつながれないって思う人もいれば、いや自分にはないですっていう人もいるかもしれないよね。
苅部ミュア智美
その人にすごく強い反応が起こったのは、本人も多分その時には自覚してなかったんだけど、怒らない人もいるっていうことを、脳天気に知らない人がいるっていうのは、かなりショックだったのかなって。
後藤ゆうこ
その時、その人は、嘆きというかに入ったんだよね。怒るんじゃなくて。
苅部ミュア智美
私なんかは、IFSで内的家族システムでパーツとして見た時に、怒る代わりに相手に合わせるとか、相手の喜ぶことをするっていうことで自分の安全だったりとか、居場所を確保してきたっていうことが、
後藤ゆうこ
サバイバルな戦力として当然に身についているものだと、そもそも怒りは完全にないことにされていたりとか、あったとしても怒りとしては出てこなくて、
諦めだったりとか、無力感だったりとか、というものとしてしか感じられなかったり、感じること自体が安全じゃないっていう、怒り反抗的なエネルギーがあったら、余計怒られたかもしれないこともいたりするかもしれないし、
なので本当に、まずは怒りに丁寧にアクセスするとか、怒りを受容するっていうところって、NVCの中でも大きな要素かなみたいな、嘆きもそうだけども怒りも、結構時間をかけて安全な場所で丁寧に扱っていかないと、出せる人と出せない人は結構いるかなと思うし、
苅部ミュア智美
あとなんか、無理に出させるものでもないみたいな。そうなんだよね。
怒りの中にあるニーズ
後藤ゆうこ
なんか、ダンスフロアとかやっていても、やっぱり怒りのとこに立っていてもみんな嘆きに入ってしまう。多いなと思っていて、もちろんね、怒りの背後には嘆きがあるから、それは自然の流れなんだけども、でも怒りは怒りとして、実はすごく自分のニーズを満たすために大事な声だったりする。
なんか、嘆きから無力になってしまう。代わりにちゃんと怒りを怒りとして、歓迎して、その怒りのエネルギーが、自分のニーズを満たすパワーだったり、何か新しいものを作り出す創造性に変えていける。
苅部ミュア智美
なんかその命のエネルギーがそこの中にはすごく含まれている気がするので、それに本当により繋がれれば繋がれるほど、その人の生命エネルギーみたいなものも取り戻されてくるんじゃないかなって思ったりするんだけど。
後藤ゆうこ
NVCを学んでいくと、怒りの驚くべき目的とかにも書いてあるんだけど、怒りは思考の副産物みたいな、解釈をして言い悪いという仕分けをすると、怒りが、なんでそんな悪いことをするんだみたいなふうに湧いてくるって書いてあるんだけど。
苅部ミュア智美
そしてそれも本当に私はそうだと思うんだけども、一方で人間に怒りっていう感情だったり、怒った時に起こる身体的な動き、なんか血圧が上がったりとか、本当に怒ると体がブルブル震えてくるようなエネルギーがぐわっと上がってくる感じっていうのが備わってるってことは、
やっぱりさっきゆうちゃんが言ったみたいに、自分のニーズを満たそうとするためだったり、自分のことを守るためだったりっていう、何らかの必要なメカニズムなんだよね。
だから怒りも喜びも、必要というか、すでに備わっている身体感覚だったり感情なので、それを悪いものにするんじゃなくて、どんなニーズが満たされなかったんだろうとか、どんなニーズが満たされたんだろうとか、
自分はどの刺激に対してこの怒りが出てくるんだろうみたいなものに気づいていけたり、そもそも怒っていることに気づくとかね、いろんな気づきの入り口になるのかなっていうふうに思って。
後藤ゆうこ
なんか今、ともちゃんの話を聞いてて、改めて本当に守るためだったり、自分のニーズのために湧いてくる強いエネルギーみたいなもの。
母親グマが子グマを守るみたいな、本当に命のために必要な怒りと、マーシャルが言うみたいに思考が作り出す怒りって、ちょっと種類が違うような気がする。
この思考が作り出す怒りっていうのは、ずっと続くし、ぐるぐるして、ある種、相手が悪い、何かひどいという固定したイメージの中で、自分がそれに対してひどいことをされた人とか、被害者だみたいな、
その構造が続いてしまうような、ある種の思考があると、そこでずっと怒りが永続する感じかもしれないけど、瞬発的にバーンって出てくる、もう一つの怒りっていうのは、ちょっと種類が違うかもしれないな。
苅部ミュア智美
サラが言うヘルシーノーってあるじゃない。健康とか健やかなっていうか、ここまではいいんだけど、ここから以上を、例えば何か頼まれたとして、1個目はいいよって言うんだけど、10個、20個って言ったらもう無理って、それをごめんもうできないからって言い方ができる人もいるだろうし、その怒りを使わないと言えない人もいるかもしれない。
その時に、本当はもう無理って思って、自分のシステムがもうやりたくないっていうか、もうこれ以上頼まないでって思ってるから怒ってるんだけれども、その怒りに理由をつけて、こんなにたくさんのものを、私の状況も顧みないで頼む人は悪い人だって思うと、怒る理由がいい感じに生まれちゃって、怒れるのかなっていう、
いろんな段階もあるのかなっていう。
後藤ゆうこ
だから、そもそも健全な境界線、バウンダリーを自分の中で、ちゃんと自分のキャパとか、自分のニーズを大事にするっていうことをしながら、ちゃんとNOを言うときはNOを言えていれば、そもそもそこまで怒りは蓄積されないけれども、
自分が健全に境界線を引けない、NOが言えなくて、気がつくと自分が喜べない、ストレスになるレベルで引き受けてしまうと、相手に振り回されているような感じがしたりとか、自分だけ損している感じがしたりとか。
そもそもやっぱり、なんで私ばっかりとか、あの人はわがままだとかって、そういう人がストレスを表現する、それこそ、なんでこんなにしんどいんだろう、責任の所在はどこにあるんだ、みたいな回路が湧いてきて、
その怒りが増幅するような思考、要するに悪者探し思考になってくる、ストレスを感じすぎることがある程度続くと。
その辺の構造的なもの、一概に怒りと言っても、どの怒りなのか、ほとんどの場合は永続している怒りが来る。
突発的に誰かに境界線が破られて、わっ!っていうのは、その瞬間を感じて、ちゃんと解放されるような気がしていて、
だから、よりNVCで扱うといいなと思うのは、何かしら自分がパワーアンダーっていう、自分で自分のパワー、ニーズを満たすパワーを手放して、
自分のニーズがあまりにも満たされない状態で、相手との何かしらの関係を続けている場合には、そこに何か怒りの原因になるような、
私って何々とか、相手は何々だっていうラベル付けが起こって、そうすると相手が悪い、嫌な奴に感じられたり、
すごく自分がフェアじゃないっていう、そこの部分にNVCの、まずは観察を見ることだったり、
そこにどんな敵のイメージを増幅するようなラベル、ジャッジメントがあるのかっていうのを丁寧に見ていくことだったり、
でもその上でやっぱり怒りの背後にある、満たされていないニーズ、大きな嘆きがあるからこそ、蓄積した怒りになっていると思うから、
そういった形で長期的に続いている、蓄積されている、嘆きのから来る怒りみたいなものを、そういう形で解体していけると、
ちょっとずつ、どこから自分で自分のパワーを取り戻していけるのかみたいな、だからそれこそ健全にNoが言えるっていうのは、
一見ちょっと怒りのエネルギーの手前ぐらいにある強い、ちょっとこれ以上は入らないでっていう、でも怒りとはちょっと違う、
怒りの背後にある思考
後藤ゆうこ
自分の尊厳を守るためにとか、そこがまず自己共感で、自分の怒りとか、怒りの構造を理解したり、
自分の腹が立った時に、構造が分かったり、自分の怒りをちゃんとケアできるためにも、それがどこから来ているのかとか、どうしたらそれを本当に大事な自分の命につながる入り口として、
怒りと向き合うことができるのかみたいな、そういう感じだよね。だから結構丁寧に時間をかけて最初は、
感じる部分と、知的にこういうことから来る部分もあるよねとか、ここはでも嘆きもあるよねとかっていうのを、
まぎれにって言ったら変だけど、解像度を上げていく感じでやることで、単にあなたの怒りを出してとか感じてとか言われるよりも、安全に、
この怒りって私たちが感じているものの中には、積み重なった嘆きもあれば、相手に対する判断もあれば、自分に対する判断もあれば、
ほぐれていくと、怒りっていう箱に入っているものの中には、実はそういういろんなものがあって、使いやすくなるのかな。
苅部ミュア智美
今、ゆうちゃんも言ってくれたように、いろんなことが起こって、怒りっていう目に見える言動になるっていう思考が、
ラベル貼りとかがあったりとか、敵のイメージがあったりとか、とはいえ満たされていないニーズがあったりもするんだよとか、いろんなことが起こっていて、観察じゃなくて思考で物事を見ているよとか、
いろんなことが起こっているよっていうのを知りつつ、そして実際自分の起こっていることをプロセスすることで、だんだん体現というか、
腑に落ちてきて、だんだん怒り始めた時とか、怒っている最中にちょっと待って、私は今相手のことをなんて言ってるとか、自分に今何か言ってることはあるのかね、レッテルを張ってるとしたら何なんだろうっていう、
そういう解像度だったり、メタ認知だったりっていうのが上がっていくのかなって、NVCを実践していくと。
自分の怒りとの関係性
苅部ミュア智美
あとなんか、今聞いてて思ったんだけど、そのメタ認知の過程でも、1分ぐらいでいいんだけど、フルに怒りにつながるっていう、怒りについて話していることが怒りそのものではなかったりするじゃん。
最後にあるストーリーを延々10分話しても、何のプロセスも進まないみたいな、ここで、ここで、これがあって、これがあって、ここで、ここで、ここでって言って、なんか怒りについて話しているようで、怒りとはつながってないみたいな、
後藤ゆうこ
時間が結構、怒りについてプロセスしようとしても、いわゆるジャッカル外耳と内耳みたいな感じで、でも本当の気持ちにはつながってないから、1分ぐらいでもいいから、とにかくちゃんと怒りを出させてあげることで、
本当にそのエネルギーがどこに向かおうとしているのかとか、だからその安全に出せる舞台を作りつつ、ちゃんとその身体的にエネルギーにつながることもやっぱり怒らないと、
自分は自分で何なんて言ってるんだろうとかってすごい大事だけど、でもやっぱり腹が立つものは腹が立つ。これが分かったところで。
その怒りは怒りとして健全なものとして、多分自分の中にも怒りを出しちゃいけないっていう気持ちと、出すのが怖いっていう。出しちゃったらどうなるんだろうみたいな。
暴力的な人間になっちゃうんじゃないかみたいな、そういう恐れもあったりするから、怒りのエネルギーをちゃんと感じること自体が危険ではないっていうことを体験できると、蓋をする代わりにちゃんと怒りとともにいながら、怒りの奥にある大事な宝物に出会えるのかなって。
苅部ミュア智美
そういう意味でも、NVCのクラスとか練習会で、当事者じゃない、相手じゃない人に、でも人に怒りを聞いてもらうというか、こんなボコボコにしてやりたいとかわかんないけど、本当に体と声と全身を使って表現すると、
怒りの状況について話すのと全く違うことが起こるのかなって。
後藤ゆうこ
だから本当にその怒り自体をまず歓迎するプロセスだったり、怒っている自分を重要的に迎え入れることだったり、その怒りが安全にちゃんと自分でケアできるようなプロセスがあると、
特に最初はプロセスを丁寧にやることで、その後怒りが出てきても怒り自体がそんなに問題ではなくなるというか、健全な感情の一つとして自分でも自己共感できるようになるので、
そういう感じかな。特に大きな怒りについて、自己共感の丁寧なプロセスがあるとしたら。
他人の怒りを聞く
後藤ゆうこ
もう一つの、やっぱり他人の怒りを聞くっていう、それはまるまる別のお題として、また違うダイナミックスがあるよね。
そもそも何で聞けないのかっていうところからそっちは入るじゃない。
だから、どっちから先にやるかって思った時に、今話したね、こっちのまずは自分の怒りの構造を理解する。
自分の怒りの構造を理解すると、怒りがもっと身近になったりとか、あって当然だよねっていうところに、だから相手の怒りに対しても多少好奇心が持てる。
自分の中で自分の怒りをちゃんと歓迎できるようになると、他の人の怒りも、もちろんだからって言って無理やり受け止めなきゃいけないわけではないと思うんだけども、
自分の安全が保障されている範囲の中では、相手の怒りにも好奇心や理解の目を自然に受け入れるような土台ができるのかなという感じがするよね。
苅部ミュア智美
あとは、手段と感情を分けることができるというか、怒りが上がってきても、相手が怒っているのが怖いとか嫌だって思った時に、怒っていること自体はそれは当然だというか、何か大切なことがあって怒っているのかなと思うんだけど、この大声で怒鳴るとか、
後藤ゆうこ
ブンブン手を振りますとか、この手段が嫌なんだっていうふうに分けられるよね。
そこがやっぱり一番難しいところで、やっぱり大声で怒られたりとか、
苅部ミュア智美
身の危険を感じるような怒り方。
後藤ゆうこ
それにガチで留まり続けるっていうのは、できればしたくないし、本当に安全かどうかはないから、そこじゃないよね、やっぱりね。
でも、それは時にはそういう場面に遭遇することもあるかもしれないけど、ほとんどの場合は、その人の怒りの背後にある大事なものは聞きたいけど、
それはまずは自分の身の安全をちゃんと確保しながら、本当に無理やりやることではなく、怒りの背後にあるその人の中の大事なものを理解することで、自分と相手の関係性を良くしたいとか、
そこに何かしらの自分のニーズもある。私がやっぱりその人の内側に起こっていることに繋がる、理解からそれを聞くっていうところから、
そこからなんかだとまた全然ね、怒りに対してもなんか違う、まずは好奇心が持てたりとかするのかなって。じゃあこんな風にちょっとやっぱり2つテーマを分けて、自分の中の怒りと仲良くなるみたいな、
怒りの解体と変容
後藤ゆうこ
自己深い自己共感のプロセスと、あとはなんか怒りをそもそも何ていうのかな、ちょっと解体するみたいな、怒りの背後にあるこの自分の内にあるいろんなものを解体して、仲良くなったり理解を深めていったり、
変容させていくっていうの、実際プロセスをやったりスキルを身につけるのが怒り、自己共感バージョンで、他の人の怒りに、どっちをやりますか。
苅部ミュア智美
私の好みはやっぱり自己共感、自分の怒り、自分の怒りで自己共感した後に、もう一回自己共感があって、他人の怒りを聞く時に怖いとか、ジャッジしてるとか、そういうのの自己共感が必要じゃないっていうので、2つに分けるとしたら自分の怒りを聞く、相手の怒りを聞くが好みです。
ゆうちゃんは?
後藤ゆうこ
そうね、やっぱり怒りとはなんだっていうテーマを自分の内側、人の怒りについて研究してます。
自分の体や自分の怒りについて研究することで、怒りがそこまでどうにもならないモンスターみたいなものではないっていうことを、やっぱり自分で深く理解するっていうのが土台にあって、
今度やっぱり相手の怒りを聞くっていう時に、やっぱり普通に怖かったり、気が済まなかったり、自分の中でも言い返したい気持ちが出てきたりっていういろんなことが起こるから、そこはそこで本当に自己共感も十分必要だし、
だからそこは必ずしも自分の怒りじゃないかもしれないんだよね。怖くなったり、気が済んだりだったりとか。
うんざりしてたりとかするかもしれないしね。まただって。
苅部ミュア智美
なので、こっちはなんか、自己共感の深いプロセスなんだけど怒りに特化した。
お勧めは両方、まずこっちを受けてからこっちを受けることです。
後藤ゆうこ
どっちかだけでも受けられるっていう感じで、なんか怒りシリーズ本も出したことですし。
苅部ミュア智美
1年経ちましたね。
そうだよね。1年経つのか、この本が出たの。
後藤ゆうこ
じゃあちょっとこんな感じで、どうやってここからまとめていくかね。
かれこれ1時間経ちましたが。
苅部ミュア智美
1時間も喋ってないと思うよ。
いいよ。
後藤ゆうこ
ミーティング始めてから1時間。
苅部ミュア智美
そうだね。
レコーディングはこのまま続けるの?
一旦止めようか。
なんか締めの言葉を言う。
後藤ゆうこ
そうね。
はい、こんな感じで、何でしょうね。取り留めもない、いろんなテーマについて。
気軽に私たち話してるのを記録として残したり、もしかしたらこれを聞いて役に立つ人もいるかもしれないので、
こんな気軽な私たちの打ち合わせプラスおしゃべりみたいなのをちょっとずつ配信していけたらなって思ってます。
苅部ミュア智美
ありがとうございました。
聞いてくれてありがとうございました。
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