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私もそうなるかもしれない、カルフォルニアから来た娘症候群とは?
2026-10-09 16:11

私もそうなるかもしれない、カルフォルニアから来た娘症候群とは?

カルフォルニアから来た娘症候群の説明⬇️

カリフォルニアから来た娘症候群(The Daughter from California Syndrome)とは、普段は高齢の親と疎遠な遠方の親族が、終末期医療や介護の重大な場面で突然現れ、それまで近隣の家族や医療チームが時間をかけて築いてきた合意やケア方針を覆し、過度な延命治療などを強く主張する現象のことです。
※Google AIより抜粋

この状態になることが良い,悪いではなく
『(自分の罪悪感もありながらも)親はどうして欲しいのかな?』
を考えることが大切だと、私は思います。

そのためにも対話をして欲しい、そう願う日々です。
みなさんはどうでしょうか?

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
親の介護、まだまだ先だと思ってませんか?
親との会話の時間、とってますか?
キャリア、育児、家庭に忙しい私たち。
だけど、介護はいつ始まるかわからない。
だから『話そう』

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サマリー

「カリフォルニアから来た娘症候群」は、遠方で親と疎遠だった家族が、終末期や介護の重要な場面で現れ、延命治療や手厚いケアを強く望む現象です。話し手は、これは親への愛情や距離による罪悪感から誰にでも起こり得ると説明します。母親のがん治療をめぐる親族のサプリメントの例や、延命を望まない父親との事前の会話を紹介し、本人の意思を確認するため、元気なうちから人生観や最期について対話し記録しておく大切さを語ります。

カリフォルニアから来た娘症候群とは
Life Designチャンネル、このチャンネルは介護・福祉業界で約20年間働き、現役の主任ケアマネージャーである私、やまとゆきが介護の話や、自身で作ったノート、ライフデザインノートのお話をしております。
おはようございます。やまとゆきです。
皆さん、カリフォルニアから来た娘症候群という言葉をご存知でしょうか。
症候群と言っても何かしらの病気とか疾病とかいうわけではなくて、普段は高齢の親ですとか親族と疎遠な人が終末期医療ですとか、終末期医療っていうのはもう本当末期の状態ってとこですね。
介護が必要な重要な場面で突然ババーンと現れて、これまでいろいろとお話をしてきた培ってきたケアの方針ですとか合意を覆して延命の治療を希望するとか、
ケアに対して、介護に対しての、より一層も手厚く、そういうのを要求するっていう現象のことを指しています。
これがカリフォルニアから来た娘症候群。
娘って言ってるけど、何も女性だったりとか、ほんまに娘だったりとかするわけじゃないんです。
男性がこれをやる場合も多くあるし、はたまた娘とか息子とかじゃなくて、孫とかいとことか、なんかおじさんおばさんとかいっぱいいっぱいあるんだけど、
遠方の家族が抱える記憶と罪悪感
今日はですね、何でこの話をしようかなと思ったかというか、どうしてこれを伝えたいのかなっていうところのお話になるんですけれども、
これって誰しもがなる。
誰しもがそのカリフォルニアから来た娘症候群のように延命を強く望んだりですとか、
介護のケアの方針をですね、バーンと変えてしまうような行動に出たりとか、
こういうのって誰しも、私もあり得るということを皆さんに知っていただきたいと思ったからです。
こういう今まであまり遠方に住んでて、兄弟に親の介護のことをお願いしていたとか、
そういった場合に、いよいよちょっと、お父様お母様どちらかをですね、
例えば施設に入れないといけないとか、ちょっともうこれ以上の治療が難しいから、
例えばがんだったら緩和ケアの方向を考えようかとか、
点滴とかそういういろんなことは必要最低限のことはするけれども、
自然な形で息を引き取るっていうような方向に変えようかみたいなお話って、
多かれ少なかれどこかのタイミングで人間っていうのはですね、出てきます。
それを親が、この場合は親にさせてもらうんですけど、
置いていくっていうのを結構近くで見てきた子どもっていうのは、
徐々に食べられなくなるとか、しゃべれなくなるとか、歩けなくなるとか、
トイレに行けなくなるとか、いろんなことが指の間からすり抜けていくようにできなくなっていくっていうのを見ているんですよね。
それを見ているときはもちろんショックだろうし、どうしてなんでっていう受け入れるまでの時間はもちろんもちろんかかると思うんだけれども、
やっぱり近くで見ているから理解もしているし、100%理解しているかどうかっていうのは置いておいてですよ。
ゆくゆくは、人は自分よりも先に天に召されるんだろうなっていうのを思っている方は多いと思うんですよね。
なんだけど、年に1回とかお盆とかお正月の時とかにしか寄生していなかった娘、息子は、
やっぱりね、その元気な時の親のイメージっていうのが結構鮮明に残っているもんなんですよね。
自分も年をとっている。自分の子供も年齢を重ねて大きくなっているということは、
その分同じだけ自分の親も年を重ねていっていってるんですよね。
年を重ねるって、若くなっていくわけじゃないから、やっぱりできなくなることが増えていったりとか、
いったことはすごくすごく増えていく。
なんだけど、1年に1ページ買わないから、去年のお父さんお母さんっていうよりも、
10年前のお父さんお母さんのことを覚えていることの方が多かったりするんですよね。
なんでこれができないんだ。なんでこれができないんだ。
この前まではできてたじゃないか。努力が足りないんじゃないか。もっとケアが必要なんじゃないか。
これを試したらどうなんだろうか。これをこうしたらああしたらどうしたら置いていく親を受け入れるっていうのは、やっぱり結構しんどいこと。
それを急にというかね、徐々に徐々にもちろん置いていってはいってるだろうし、
もちろん急に倒れて山に倒れてっていうこともあると思うんだけど、
やっぱり遠く離れていると、その分自分が物理的な距離で何もできなかったっていう罪悪感を持っていることっていうのも結構多いんですよね。
だからその罪悪感を払拭するためにやっぱり体調が悪くなったりとか、ケアが今以上に必要になったりとか、
それこそもうそろそろ最後の時を迎えそうっていう時とかに何もしてこなかったりの自分への罪悪感を払拭するしたいから、
もっと何かできるんじゃないか。何かできることをって言って、
フルコースというかね、全てを希望する、心臓が止まっても心臓麻痺するとかさ、いろんな延命治療というのを望むっていう方もいらっしゃるというのが結構事実。
こうなった時にね、もちろん私たち支援者っていうのは、何言ってるんですかって、今まで見てこなかったのに、
何々さんの娘さんと何々さんは決めてこうやってるんですよ、ちょっと黙っといてくださいとは言わない。
その人自身の気持ちをまずは聞いてどうしていこうか。
ただ1分1秒争う時とかはね、そこはもうちょっと考えてもらわないといけないところではあるんですが、
その人はその人なりのやっぱりいろんな気持ちがあって、そういう話をしている。
だからそれをあからさまに否定をして、今までこうやってお父さんお母さん生きてきたんだからっていうのを正論でぶつけても何の解決にもならないんですよね。
親族の善意と本人の幸せ
で、ここで一番大事なのって、人がどう思っているかの確認なんですよ。
例えばお父さんもお母さんが元気だった時にどんな話をしていたか。
ちょっと病気が進んでた時に、自分はこうなるかもしれないからこうしてほしいっていう話は誰かにしてなかったか。
その確認はどうしたらとれるのか。
だからね、やっぱりね、元気なうちに話をしておいてほしいと思うんです。本当に。
別にこのね、カリフォルニアから来た娘、翔子くんが何回も言ってますけど、悪いわけじゃないんですよ。
やっぱり親を心配してっていう子供の愛情の表現の一つだから、悪くはないんだけど、
親がそれを望んでるかって、やっぱり一回立ち止まって考えた方がいいと思うんですよ。
なんか、実際ね、私も色々とこういう場面を経験するっていうのもありましたし、
自分の親、私の母親の時も近いようなことが起きたっていうこともありました。
このサプリメントをね、1日30錠だったかな。
飲めば癌が消えるって言われてるからって言って、飲ませようとしてた親族とかもいたんですよ。
でももうガリガリに母は痩せてて、なんか物がしっかり食べれる、もうご飯が食べれるような状態じゃなくてね、
大腸がいろんなところに転移してたから、ストマになっちゃってたし、
ストマって人工肛門ですね、になってたから物が食べれるような状態じゃなかったんだけど、
その親族はダブルイベントを飲め飲め飲めって言って、
1回2回は母飲んだんかな。でもやっぱりもうしんどいって言って、飲まなくて。
でもその親族はこれ飲まないと死んじゃうんだよみたいな感じのことをね、母にぶつけてたりもしてましたわ。
なんか、それを見たりとかね、すると母の幸せってどこなんだろうってやっぱ考えないといけないと思うんですよ。
延命について親と話し、記録する
皆さんがね、自分事になって一回置き換えて考えてみてほしいんですけど、
やっぱり自分がね、あんまり今は各家族化も進んでるし、私も実際自分ね、父親とは遠く離れて過ごしてるんですけど、
倒れて急にもう、今日明日が山かもしれないって言われてね、延命とかどうしますかとか。
まだ若い、うち父親まだ71とか。
ほんと目覚ます可能性がないとかって言われたらね、またあるかもしれないけど、
なんかこれをしたら、もしかしたらちょっと長い間生きれるかもしれないみたいなこと、ドクターに言われたとするじゃないですか。
皆さんどうするかなって。
で、それをこう、どうしたらいいの?
子供に決めないといけない時ってやっぱり来るんですよ。本当にね。本当に。
うちも来たし。
だから、こうなった時に、親と話をしておいたっていう記録って、本当に残しておいた方がいいって私は思うんですよ。
うち父親ね、もうずっと言ってますわ。
延命処置はしません。
あのね、壁に書いてあるんですよ。
で、もうずっとうち兄弟がね、私の他にも兄弟がいるんですけど、
その兄弟にもずっと自分はもう延命とかしないから。
そのまま生かしてほしいっていうのをずっと言ってるから、
だから今のところはね、家族間ではそういう話になってるけども、
でもやっぱりなんかしてあげたいとかさ、
これ以上何もできないのかとか、
ご飯食べれなくなったらやっぱりどんどん弱っていくし、
食べなくなるっていうのは受け付けなくなるっていうことと一緒なんですよね。
で、それをこうやってきたら、いわゆる点滴したら、
とかさ、あるじゃないですか。
色にしたらとか、鼻から栄養を入れたらとか、
そうしたら栄養は取れるから心臓は動くし。
それを、こう、本人が良しとしてるのか、
本人がどう思うのかっていうその一歩先をやっぱり考えないといけないと思うんですよね。
本人の意思を尊重する土台作り
で、そのためにも親とやっぱり急にね、
お父さん延命治療どうするとか、そんなのは聞けないけど、
自分の親が歩んできた人生のことを子供が知って、
父親は、私にとったらね、父親はこういう価値観で生きてるんだなっていうのを子供が知って、
じゃあ、そんな父親だからきっとこう思うんじゃないかとかね、思ったりとか、
そういう話をしていくときに、もしかしたら自分の親が、
ここまで話を聞いてくれたしっていうことで、ポロポロっと自分のこと、
自分のその最後のことを話してくれるかもしれない。
そういう土台作りをしていってほしいなって思います。
今回はね、このカルフォルニアから来た娘症候群っていうのがあるっていうことを皆さんに知っていただきたかったし、
皆さんでもこういうカルフォルニアから来た娘症候群っていうような感じのことになる可能性は大いにある。
でもそれは決して悪いことではない。
だけどそれを、私たちの罪悪感でそれをそうしているんだったら、
本人の意思っていうのをやっぱり尊重すべきなんじゃないのかなっていうのは私は常に思っている。
じゃあその本人の意思って今意識ないのにどうやって確認するのってなったときは、
前に自分の親は何て言ってたか。
じゃあその何て言ってたかっていうのを確認するためには、やっぱり対話が必要なんだよっていうのをお伝えしたかったので、
今日はこんな放送をさせていただきました。
どなたかの参考になれば幸いです。
今日が皆さんにとって素晴らしい一日になりますように。
それではまた次回。
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