福祉施設の設立へ向けて
皆さんおはようございます。ゆきえです。
看護師20年を卒業し、4歳1オペ育児に奮闘しながら福祉施設を作りたい私のリアルや、育児も起業もうまくいかない日々もひっくるめて配信しています。
私と同じようにこれから挑戦してみたいと思っているママに少しでも勇気が届いたら嬉しいです。
今日はですね、今5時過ぎ、5時台ですね。なのでちょっとまだ子供と旦那が寝ているので、小声でお送りさせていただきます。
私が住んでいる札幌はですね、この間雪が降ってね、本当に朝方寒くて起きたくないんですけれどもね、仕方がないから起きています。
息子のお弁当を作らなきゃいけないし、雪が本当に寒くて嫌いなんですけれどもね。
今日はなんですけれどもね、我慢してまでそこにいる意味はあるの?ということでね、そのことをちょっとお話ししたいなと思います。
前回の放送でね、全てがゼロになったけど、あの違和感を信じていれば違っていたかもしれないっていうお話をしました。
私はね、福祉施設をオープンしようと思ったんだけれども、その家を貸してくれる人だったりとかね、取り巻く人たちがちょっと自分と合わない違和感を感じてしまったので、
それでね、進めていた施設を作るということをゼロに戻したっていうお話なんですけれども、この前の放送とその前の放送でお話ししているので、よかったら聞いてくれると嬉しいです。
今日はその続きとして、私が今子どもの領域に関わるお仕事をしている中で感じたことをお話ししたいかなって思います。
なんで話をしようかと思ったのは、施設をゼロに戻すってなった時に、
施設をそもそもオープンする前に、私は子どもとかに関わったことがほとんどなかったのでね、
少しね、ちょっとそういう領域とかね、学びたいなーっていうことと、サービス管理責任者っていう資格があるんですけれども、
それをちょっと取得したいなっていうこともあり、実務経験が必要なんですよね。
それをね、この今言っている施設で1年間契約でそこに勤めさせてもらって、取得しようかなって、お勉強がてらと思ってここに入れさせていただいたんですけれども、
私はね、看護師という国家資格を持っているので、そのサービス管理責任者っていう実務経験、本来2年必要なところ、
半年の実務経験で取得可能だっていうのが国のルールなんですね。
それで実際にその経験を積むために、今の現場に入らせていただいているという経緯なんですけれども、
私は看護師として長く病院にいたんですけれども、
この療育っていう世界、全く新しい分野で、当然わからないことだらけでね、周りの方々、
一緒に働いている方たちはね、ずっと子どもに関わってきた人たちのプロの方たちが管理者だったり、
サービス管理責任者っていうのをやっているんですけれども、
私のようにゼロから入ってきた人間が半年で資格を取ろうとしているのは、
もしかしたらね、もっと修行を積んでほしいなと思っているのかもしれないっていうところから始まるんですけれども、
この施設に入って、療育っていうものは始めたわけなんですよ。
よくわかんないんですよね。
よくわかんなくって、わからなすぎるし、そもそも最初なんて業務もわからないから、
教えてくれるのかなって思いきや、見て学びなさいみたいな感じの空気を感じたので、
日々何やっているのかなっていうのを見ていたんですよね。
見ているだけだから、見て真似してやっているだけだから、
なんかちょっと、私には気づかないけれど、そこ違うとかね。
よく注意されて、この7ヶ月間、半年ちょっとやってきたんですけれども、
見ているだけじゃ、やっぱりわからないこといっぱいありますよね。
聞いても、なんとなく教えてくれるんだけど、
だからなんでそれが必要なのとかはね、そこまでは教えてくれない感じなんですよね。
でもその、なぜの部分が必要だったりするんですけれど、
本とかにも何にも載っていない部分ってあるじゃないですか。
そういうところは私知りたい派なんですけど、
なんかその辺あまりわからないのと、
あと当然ね、仕事の流れっていうのがわからない部分があって、
でも、そこの方たちは、これぐらいできて当然でしょう、みたいな空気感を出している感じの職場でしたね。
入った時からね。
私よく注意されるんですけれども、そういう時にもこここうしたらいいよとか、
こうすると子どもたちに伝わりやすいよって、
ちょっと一言を言ってくれるだけで、
そうなのかって次からね、自分の動きも変わったりできるのになって思いながら、
聞いても教えてもらえないし、間違ってても、
悪口はないんだけど、
なんか陰でね、あの人ミス多いよね、みたいなことを言われている感じの職場なんですよね。
直接行ってほしいなって思いながら過ごしていたんですけれども、
ちょっと感じる空気のもう一個としては、
たぶんこの努力してきた、プライドを持ってやってきた人たちからすると、
このパッと出てきた私が、管理責任者を取るとか、
急に医療育を学びたいとか言ってきたのが、
ちょっと面白くない部分もあるのかなっていうのもちょっと感じたりはしますね。
で、あともう一個がね、たぶんその管理責任者、サービス管理責任者の資格を、
本当は半年でね、私もらうことができるんだけれど、
半年経った今でもね、
もう少しのんびり取りましょう、みたいなことを言われるんですよね。
きっと自分が至らない部分がすごくたくさんあるから、
心配だしあげられないっていうのもあると思うんですけれども、
あとはちょっとね、あんまりあげたくない、
本当は努力して取ってきたのに、
渡したくないって思ってる部分もあるっていうのをね、
陰で言ってるのを、私はちょっと聞いてしまったので、
そっかっていうふうに、自分が至らない点も多いしなとか、
いろいろ思いながらちょっと考えているところですね。
私にミスが多いっていう内容もね、
人間関係と職場の空気感
家を借りると言っていた矢主の社長さんの方にも、
どうやって伝えてるのかわかんないんですけど、
うちの管理者の方たちがね、伝えているみたいで、
そのせいで管理者さんが私がすごく、
できない人、至らない人とかね、そういうふうに思っているようで、
当たりも最近強くなってきたので、
その点に関してもね、ちょっといろいろ思っていることが
たくさんありますね。
私はね、本当に至らない点が多くあるし、
むしろできてないことの方が多いのかもしれないんだけれども、
こちらとしては、だからこそここでね、
わからないから学んでいるのになぁとか思いながら、
そう思っているんですけれどもね。
でも、きっと向こうからしてみるとね、
普通はこうやるべきでしょ、みたいな思いがあるんだろうなぁって、
管理者取得、管理者取得したいと思っているなら、
これぐらいできるでしょとか、
何か思っているのかなとは思います。
そんな中でも、やっぱり私にいろいろやらせるわけですよ。
で、できないとかけて、ほらやっぱりできないみたいな感じで、
言っているっていう雰囲気はありますね。
きっとね、周りにとっては当たり前にできることなんだろうなぁって思いながら、
その雰囲気感を感じているんですけれども、
まあね、心は折れますよね。
そんなことされるとね、
やったことのない仕事いきなりね、
あなたこれ担当ですからとかね、
されて、ちょっと説明とかもなく、
見た感じで、こうやってやってるんだろうなと思ってやって、
ちょっと違うと、これどうなっているのとか、
心折れるなぁと思いながら過ごしていたりね。
まあ、じゃあいつもこれどうやってるんですかとか聞いても、
普通こうでしょ、みたいな感じで言われるので、
どうして、
さらに、私がなぜその方法でやったかとかね、
聞いてくれたらいいのになとか、
説明する隙を与えてくれないので、
ああ、だけどって思うんだけど、
どうやってやってるんですかとか、
聞いてくれたらいいのになとか、
説明する隙を与えてくれないので、
ああ、だけどって思うんだけど、
ただ言いたいことだけ言って、
はい、じゃあ次は気を付けてください。
ピシッて止める感じなので、
こちらとしてはね、
どうしてそうしたかっていう風にね、
伝えるっていうこともしたかったんですけど、
まあそのね、隙もなく、
終わってしまったっていうね、
それもね、良くなかったなって思うんですよね。
やっぱりね、事実を伝えること、
意見とかじゃなくて、
こうでこうでこうだから、
こうしましたよっていう、
その事実を伝えることっていうのはね、
大事だったなって、
やらなかった自分ってそれ悪かったなって、
思うんですよね。
意見とか、だってとかではなくて、
こうしたからこうしましたって、
言われる、言うのは大事だったかなって、
それで自分の立ち位置とか、
スタンスとか、
決まっていくっていうか、
それで何か、もしかしたら自分はこうだから、
っていう位置をしっかりしていれば、
また対応が違ったのかなっていう風にも思います。
なんだけどもね、
同じことを違うスタッフがやっていたら、
何も言われないんですよね。
そういうのを見るのも心が折れるかなっていうのと、
あとはたまにね、社長さんがね、
職場に、その施設に来るんですよ。
社長さん何店舗か経営してるので、
来ない時もあるんですけど、
たまに来た時は、
その会社の人たちすらも、
普段はやっぱりちょっと、
社長がいない分、
まあいいよねみたいな部分って出ると思うんですけど、
いざ急にやってくるものだから、
その日やってなかったことを、
私にこう押しつけたりとかすることも普通にあったりとかして、
え、なんなんだこの人たちっていうのは思っていたりとかね、
あとはいないところでいないスタッフのね、
特定の一人の人なんだけど悪口を言ったりするのと、
なんかイメージとしてはもう、
私とかその人を落とすような発言をして、
自分たちはもっと分かっててできているって相対的にこう、
自分たちは優れてるよって言いたい人たちなのかなっていうイメージもちょっと、
まああったりとかね、
まあ一生懸命頑張ってきてプライドも高いでしょうからね、
きっとその思いをね大切にしたいんだろうなっていうのは思うんですけど、
まあ私はそれを見ていてね、
ここのこの空気感私には合わないなっていうふうに思って過ごしているところですね。
でスタッフがね6人しかいないんですよ、その建物の中に私含めて、
自分を守るためのサイン
その6人の中で少ない中でやるんだから、
なんかそんな落とすとか、なんかわかんないんだけれど、
悪口かけて言ったりとかねしないで、
なんかうまくやったらいいのになーっていうふうに思います。
こないだ気になったね悪口としてはね、スタッフの一人がインフルエンザにかかったんですよ。
仕方ないじゃないですか。
なんかあの人のせいで忙しかったとか、
あの人普段からこうでこうでこんなんなのにインフルエンザにまでかかって迷惑だよねみたいなのを
管理者が言っていたんですよね。
それってどうなの?とかね思いながら聞いていたんですけれどもね。
そうなんですよね。
でさっき話していた、
あの自分の考えをそのまま事実を伝えるってどういうことかっていうと、
まああの社長さんに多分いろいろなことを私のことを言ってるみたいなんですよね。
で結構主観が入ってる。
まあ主観じゃないのかもしれない事実なのかもしれないけれども、
そう伝わっているようで、
なんかすごい社長が一回私に、
あの管理者の言うことは聞きなさいとかいろいろ言ってきたことがあったんですよね。
どこからそうなってきたのかわかんないんだけれどもね。
その時に、
あの自分のやってることのなぜそうしたかっていうのを伝えたら、
違ったのかなっていうのがありますね。
例えば小さいことなんだけれども、
自動発達施設なので落ち着きのない子とかもたくさんいるわけですよ。
でその子たちってやっぱ宿題に向かうのも時間がかかったりとかするんだけれども、
うちの施設のルールとして、
来たらまずカゴに全部自分の荷物を入れて、
あの机の横に置くっていう決まりがあるんだけど、
一人の子がね、
カゴに入れてくるのを忘れちゃったんだけど、
あのやっとうろうろうろうろしながらもう机に向かった子がいたんですよ。
でその後にあれカゴがないなと気がついて、
カゴあったら忘れちゃったっていうから、
じゃあ宿題続けててカゴを持ってきてあげるからねって言って、
私はもうせっかく机に向かったんだったら宿題をすればいいと思って、
カゴを持ってこようとしたら、
それを管理者の女性の方に、
全ては自分でやらせてください。
カゴは取りに行かせてくださいみたいな風に怒られたりとかね。
私の中ではカゴと宿題どっちが大事なんだろうって。
機に向かったことってすごいいいことなのになとか思いながら、
軍隊みたいにカゴからすべて全部一人でやりきるとかね。
やる必要性あるのかなみたいなことを思ったけど、
それもあえて言わなかったんですよね。
でもそこで言っていたら、
自分のこうした立ち位置っていうのは伝わって、
また話が変わったのかなとかね。
そういう小さい積み重ねで自分もね、
この雰囲気を悪くしてしまったんじゃないかなっていうところも、
ちょっと反省しているところですね。
何も自分は事実を伝えてこなかったのとね。
そうなんですよね。
でもね、だんだんね、こんなやりとりしている間に、
雰囲気もそんなに良くないし、
裏でできてない、できてないってずっと言われているのは気が付いているので、
できてないんだったら何か教えてくれよとか、
違うところ言ってくださいよって言っても、
ただそのできてない悪口を言っているだけで、
実際そういうのって雰囲気を感じているだけなので、
実際どこかどのようにどうすればよかったかっていうのが分からないわけですよね。
言ってくれればいいんだけれど。
でもないから、そんな風になっていっているので、
そこまで来るとさ、
だんだん我慢して関わっている意味ってあるのかなって思ってきたんですよね。
最初のうちは、社長の家を借りて福祉施設をするんだったら、
この人たちも付き合うかもしれないから、
なんかこう波風立たないようにしようかなとかね、
思ってたんですけど、
そこの施設も手放した今、
我慢の意味
我慢してここにいる意味って何なんだろうって、
別に他の違うところでも学べるじゃないですか。
尊敬できる人から学びたいと思うし、
さらにネチネチなんかいろいろ言われるけど、
尊敬できる人の指摘だったら、
そっかって落ち込んでるけど、
それはきっと学びに変わると思うんですよ。
今そうじゃないからさ、
ただの嫌がらせとか勝手に自分も思い込むようになってしまってるので、
ここにいても意味がないなとか思ってきちゃって。
そんな風に思いながらね、
心折れながらも、
ここで黙って耐えてるのって違うんじゃないかなって、
だんだん思うようになってきたんですよね。
結果としてね、
私はね、そんなこといろいろ思いながら、
そういうことも含めて、
結果としてその福祉施設、社長の家を手放そうと思いました。
だって別にそこじゃなくても、
他に物件探せばいいことなので、
そこで頑張る、
嫌な思いしながらさ、
学びにもそんなになっているのか、なっていないのか、
ならないことはないと思うんですよ。
子どもたちと関わってるっていう時点で、
学びにはもちろんなってるし、
そういうことなんだけれども、
それってここでね、
やらなくてもいいんじゃないかなって、
ちょっと思ってきているところですね。
この出来事を通して思ったのはね、
心地悪いところに頑張っていたって、
学びは小さいなっていうこととね、
だってどうしてこうなってるのとか聞けないとか、
今何やってるんだろうって見に行く、
見に行ってこれを学び取ろうとかね、
そういうこともできないとか、
やっぱりちょっと学びとしてはちょっと小さいかなって、
思うんですよね。
管理者の言動行動ばっかり伺っていても、
勉強になんてあんまりならないよねっていうことですね。
でもね、本当施設を作ろうと思っていたから、
関わり続けるんだったら恩便にと思ってたけど、
この違和感をね、だから蓋してたんですよね。
違和感を気づかないようにとか、
この違和感ぐらい仕方がないとかね。
でもね、ここまで来ると違和感って、
やっぱり自分を守るためのサインだったんだなとかね、
思うことですよね。
その場の空気や人間関係の中でね、
押しつぶされそうになったりとかしてさ、
自分の心がおかしいって感じたら、
それはちゃんと意味があることなんだろうなって、
今じゃなくても今後必ず起こりうる何か事例とかね、
そういうことにつながっていくんだろうなって思いますね。
そのおかしいって思う気持ちは、
本当にこれから生きていく先に
大切にしてもらえたらいいなっていうふうに思います。
今回はそんなふうに思ったのでね、
お話しさせていただきました。
今日も最後まで聞いてくれてありがとうございました。
またねー。バイバーイ。