でも撮ってどの写真にするかっていうのを選ぶのは自分だし、
こだわり始めたら一眼で測ったり、
あえて古いフィルムで撮ったりするじゃん。
それでコラージュしたりとか、
フォトショップで修正したりとか、
被写体も人物撮るとか景色を撮るとか、
その辺のものをドキュメンタリーとして撮るとか、
いろんな使い方があるわけ。
アートとしてやるのか、報道写真としてやるのか、
商品コマーシャルの写真としてやるのかとかぐらい、
それぐらい幅広いものだと思ってて、
生成AIもそれと同じぐらいの、
それと同じぐらいかそれ以上にパワフルなツールで、
写真が出てきたことで別にペイント価値が下がったわけじゃないじゃん。
写真っていうツールがあって、
そこで活躍してる人もいるわけで、
生成AIも同じように誰でもジェネレートできるけど、
でも何回もやってそれをセレクトするのもその人次第だし、
カスタムでデータセットとかみんな作れるから、
基盤はLLMとかだから、
ステイブルディフュージョンとかミッドジャーニーとか、
大企業がやってるデータセットではあるんだけど、
その上に自分の顔や体のデータを入れたりとか、
自分で撮ってきた写真を何千枚も入れてみたりとか、
生成AIってテキストからイメージを出すだけじゃなくて、
イメージとイメージを混ぜ合わせてその中間を出したりとか、
本当にいろんな使い方があると思ってて、
だから結構著作権侵害も別にできるし、
写真だってね、ミッキーの写真いっぱい撮ってそれを売ったら著作権侵害なわけじゃん。
っていうぐらいに思ってて、難しい問題ではありますね。
私が表現している形がほぼ写実的かつ自分の顔とかを学習させて作ってるから、
ほぼ写真家みたいな感じなんだよね。
だからそれがイラストになって、絵が描けないけど、
ドラゴンボールのやつで何かやってますってちょっと印象変わるじゃん。
でも難しいけどね。
そういう意味では例えばAIがなかったとしても、
めっちゃフォトショップを使いまくってコラージュしたみたいな感じの方向性じゃない?
どっちかっていうと。
あとでも私が思ったのは、生成するところも大事だけど、
結局アーティストステートメントめっちゃ書いてたりとか、
そもそも何を思考して、生成っていうのはこの長いプロセスの中の本当に一部じゃん。
なぜこれを作ったのか、どういうことを伝えたいのかみたいなことをめっちゃ思考して、
そのアート作る部分があって、その後にどうやって展示するとか、
どうやってみんなに伝えるかとか、
そういうところもすごい結構プロセスがいっぱいあるから、
多分家でペッて適当に生成してる人とは全然違う。
全然違うし、でもアートはいつでもそうだったからね。
そのベンキンにサインして、それで作品になってた時代から、
なんでもありの世界にはなってるわけだよね。
アートフェアとかアートバーゼルとか行って歩いてみたら、
白いキャンパスに点みたいなやつだって全然あるわけよ。
バーって塗った、ポロックとかペペペペってやったように見えるけど、
それが価値があるというのは。
それをみんな突っ込まないで、生成愛はチーティングだって言ってるのはすごくナンセンスだと思うし、
フォトショーでガンガンやってるのとも同じぐらい労力がかかるし、
どの絵の具にするか、どのマテリアルで表現するかというのを決めるのと同じぐらい思考できるスペースがあるし、
でも生成愛の面白いところは、人間が意図しない結果とかを出してくるから、
それもすごく面白くて、ある種ここはディレクションしてるけど、
ここは空発的だなっていうところにも魅力を感じてるっていうのがあるね。
しかもそれはフェイクメモリーにつながる。
フェイクメモリーって歌を出してるんだよね。一貫性あるよね。
ずっと情報が多いすぎるときに記憶がなくなってくるみたいな歌を歌ったりしてました。
確かに。ちょっと話変わるけど、
昨日シカゴっていうミュージカル、ブロードウェイを見に行ったんだけど、
それも1920年代だよね、舞台は。
だけどみんな炎上消防みたいなのをやってるっていう感じで見ると、
全然人間って変わんないねみたいな。100年前の話じゃん、そういう意味では。
そうなんだよ。昔の話を見て、そこから人間の普遍性とかを紐解くのが好きなんだよね。
シカゴとても良かったね。なんとYukaちゃんはニューヨークに何年も住んでるのに。
初ブロードウェイ。
人生初ブロードウェイ。
そうなんだよ。面白かった。
むしろ私がここでプレイビルもらったよって。
知らないから。そして結局もらえてないし。
もらえてない。ちょっともらいそびれて。
もらいそびれちゃったけど。
シカゴは何気にブロードウェイの中でも一番ロングランで20年以上やってるショーなんだよね、1900年代。
20年じゃなくて50年。
50年か。50年すごい。
100年前の話を50年間ずっとやってるっていう。
すごいね。話の内容としては地上のもつれによる殺人で炎上処方でスターになるって話だよね。
殺人した人が私を見てみたいな感じ。みんな。
すごい話だよね。すごい話だけど、現代でもそういうことが起きてるなっていう。
そしてどんどんそれがすぐ上書きされちゃうんだよね。
もっとすごいセンセーショナルな殺人犯が出てきちゃって、私のこともう1週間で忘れられちゃったみたいな感じでショック受けてるみたいな。
新聞なんだけどね。
すごいよね。
すごい話だよね。でもすごい良かった。
ちゃんと曲がジャズだし、当時のフラッパースタイルにぴったりな感じの楽曲だから、
物によっては設定は20年代、60年代だけど、曲は今風みたいなのが多いじゃん。
なんかそれがギャッツビーがちょっと批判されてたポイントらしいね。
ラナーデルレイとかが出てくる。
合わないなっていう時あるよね。
ポップソングみたいな。その当時のポップソングが乗っちゃってて、いやいやみたいな。
センラ監督2を見た時に、ビリーアイリッシュが唐突にダイアログで流れるシーンがあって、爆笑してしまいました。
80年代の日本で、切ないシーンでビリーアイリッシュが急に歌い出すの。
なんでなんだろうあれ。
確かにおかしい。
レコード会社との競争。
ネットフリックスの大人の事情が。
そういうのがたまにあるから、完全にフラッパーで、しかもブロードウェイらしい演出がいっぱいで面白かったね。
面白かった。
その人間の普遍性。
人間の普遍性が見えるのも面白いし、なんだろうね。
なんか、ゆかちゃんとこういう話をするとなんか緊張感がないから、ぐだって話しちゃう。
他の自分のインタビューとかより、分かってることが多いから、説明を省いちゃう。
それはあるかもしれない。
分からないことがあったら、私の名前でググって。
ググってください。いっぱいインタビューが出てくる。
インタビューといえば、最近サム・アルトマンにインタビューしてた。
そうなんだよ。サム・アルトマンに会ったんだよ。びっくりした。
どうだった?
サム・アルトマン、すごい思ったより小柄な、なんか表情があまり変わらない感じのお兄さんでしたね。
いや、すごい良いよね。サム・アルトマンに会いましたっていう写真をソーシャルメディアに上げたら、めっちゃバズって、なんかツイッターとかなんか4000リツイートとかされて、
なんかいろんな国の人が、いやこれ本当のサムなのか、なんか本当っぽいけど髪型変じゃないとか、本当っぽいけど。
これさ、ショックじゃない?本当なのにさ。
髪のここが変とかゾーアップにされたり、なんかこの女性が着てる服の模様が不自然だわみたいな。
そういう服なのに。
なんかめっちゃ議論されて、そういう服なのに。着好きで着てるのに。なんかすごい面白いなと思って。
そのちょうどサム・アルトマンに会いましたってあげた日が、ソラ2が世界でリリースされたタイミングで、みんなサム・アルトマンに会いましたっていうのをバーってあげてたのね。
で、そこに私が会いましたって言ったんだけど、多分スルーした人と思って。で、スルーしてない人もなんか、え、ちょっとこれ本当に合ってるの?みたいな感じになってて。
すごい面白い。何が本当か分からない。
でもそれもさ、ちょっと皮肉というかさ、本当か本当か分からなくした超本人じゃん、言ってしまえば。
本当そうだよね。いやーなんかもう、あのソラ2は本当になんかすごいクオリティも高いし、何よりもあのTikTokみたいな、あのインスタリールみたいななんか、あのインターフェースが本当に目眩がするよね。
なんかさ、それもぜひ話したかったんだけどさ、あれ自分で自分のディープフェイク作るみたいな感じじゃん。
もうやばいよね。
いや、なんか、そうそう、サムアルトマンにそもそも会うきっかけになったことをちょっと話してなかったけど、サムアルトマンが日本に来ますって言って、3日前ぐらいにそのオープンAIの人から連絡が来て、
日本に来るので会いませんか、初めましてみたいに来て、それでぜひって言ったら、なんか私が今グループ展を東京でやってたから、そこに来てくださいって言って、そしたら最終的に記者が20人ぐらい来て、テレビ局が来て、私の狭い展示ブースに20人沈め状態になって、でサムと握手して喋って。
え、なんかトーク?
トークセッション、最終的に。
最初はハローって感じの予定だったのに。
そうそう、最初はただ普通にスタジオビジティングして、でもなんかすごいまだオープンAIってやっぱり私からしたらもうなんかGoogle、Appleとかみたいな大きい会社のイメージなんだけど、まだすごくそのチームの数は少ないらしくて、なんか結構それがいろいろドタン場で。
まあでもこれあんま話してない。
でもすごくそのサムは本当に自分の倫理観とか正義をこうしっかり信じていて、そのニッチな文化とかもこうちゃんと適切な形で出るようにコンテクストラーニングを進むし、なんかできるだけオープンにしてできるだけファインチューニングとかも自分でこうできるようにしていきます。
って言ってたんだけど、そう言ってたね。
なんかさ、えみの作品をさ、自分の写真とかをいっぱい学習させてやってるって言ったけど、なんかそれと、それもまあじゃあディープフェイクなのか、ちょっとよくわかんないけど微妙だけど。
やっぱり私がやってることってあくまでもアートなので、なんかアートだから成り立ってることがいっぱいあると思うんだよね。
アートですって言ってるし、あえてちょっと不自然なところとかを残したりしてるし、それは精々作り出す質感として私は。
気持ち悪さみたいなのも一部みたいな。
だから手とかがグニャグニャってなってるものをアウトプットとして出したり、その精々AIで作ってることを作品の意味合いとして語っているから、なんか全然アリなんだけど、
もう本物にしか見えないものを本物ですよってやるのは全然違うじゃん。
騙すみたいな意図がある。
だから私は精々AIであるっていうラベルはした方がいいと思うんだよね。法律でね。
報告でこんなに綺麗な人があって、この人は精々AIですとか一言つけるべきだし、それをディテクトするようなシステムとかも必要だと思うし。
なんかC2PAだっけ?なんかアドリがやってるラベルとかあるよね。
そうそうそう、そういうのをディテクションするとか、そういったことを言った方が誠実だと思う。
精々AIって一言言っても非常に詐欺に渡るし、いろんな問題があるし、今ディープフェイクとかはすごく怖いけど、
サムの考え方としてはそれを一部の悪い人の手に当たるよりは民主化して、
誰でもできるようにすることによってオープンにするっていう苦肉の策なのかなと思うんだけど、
でもこのサイクル、オープンAIが開発しなかったらソラみたいなものは出てくるから。
難しいよね、なんか例えばじゃあオレオレ詐欺があるから電話がいけないのかみたいなさ。
そうなんだよ、だから新しいテクノロジーが出てきたら新しい犯罪が出てくるし、
リサーチによると失われる仕事よりも新しく生み出される仕事の数の方が多いらしい。
そうなんだ。
でもその情報が増えすぎるのは結構危険だとは思う。
さっきも話したけど、Twitterがボットしかいないんじゃないかみたいな世界になってたりとかするのって。
本当だよね、全然影響しない最近。
ボットとかフェイクのものが溢れすぎて結構判断するのに、判断ができないもしくはするためにめっちゃ時間とリソースがかかるみたいな。
今後私はノーAIのプラットフォームとかも絶対出てくると思って、それが価値みたいな。
ソーシャルメディアは本当にやばいよね、もう終わりだよね。
インフルエンサーになることが難しくなってくるんじゃないかなと思って、
ボットがあまりにも多いし、アルゴリズムのあり方も変えないといけないよね。
100人がフォローしてフォロー外してその人一気にエンゲージ下がるとか、
そういう詐欺とかも今起きてるし、
100人ぐらいが急にフォローしてそれでエンゲージ下がって、
エンゲージ上げませんかって営業してくる人とかいるんだよね。
テロみたいな感じなんですよね。
そういう意味で私は結構ブロックチェーンに可能性を感じてて、
ビットコインとかイーサーとかは私はまだこれから上がると思ってて、
で、上がると思ってる理由はそういうことがあった時にブロックチェーンがインフラになって、
これはボットかこれは人間かとか、この人とこの人は女若干とかみたいなのが
ヒモ付くのがブロックチェーン上でなるんじゃないかなと思ったりしてる。
もうちょっとセキュアというか、結局今ソーシャルメディアって
メタとかが元締めというか、そこのアルゴリズムによって私たちは踊らされてる。
そうだよね。
1984年ってジョージ・オウエルの小説あるじゃない。
あの中では情報がめちゃくちゃ統制されて、情報がリミテーションされることによって、
あと言語とか言語もグッド、バッドじゃなくてグッド、アングッドみたいなシンプル言語にさせられることによって、
思考が危険な思考をいただかなくなって、
バカになってくるみたいな。
そうそう、1984年読んだことある。
めっちゃ昔に読んだ、高校生の時とか。
ユーラシア、イーストアジア、3カ国ぐらいしかなくて、3カ国が絶えず戦争してて、
なんかわかんないけど戦争あるねってぐらいでみんな、
認識がフワッと。
フワッとしてるっていう話だったけど、オウエルの世界は実現されなかったけど、
情報がある意味多すぎて、それに近いことになってる。
なるほどね。
そうあるらしい、でもこっちもあるらしい。
こっちもあるらしい。
それよりこれが。
でも私には関係ないみたいな感じ。
考える時間もないし。
確かに、全部を把握することができなすぎる。
そうそう、フィルターバブルって言葉があるけど、それのもっと深いところに今いるし、
なんかすごくそういう世界になってきたね。
森の中にいるみたいな。
本当ずっと何かしらもうそのタイムラインが、
戦争、戦争、田中みな実のコンシーラー、戦争、不正、詐欺。
田中みな実のコンシーラー。
それが同じサイズで見えるじゃん。
確かにね、確かにそうなんだよね。
私のところには田中みな実のコンシーラー出てこなくて、
なんかもっと知らんユーチューバーの友情とか。
不倫してたとか。
あとなんかグニャグニャのアプリ。
ゲーム。
スライム触りませんか?
やつとかめっちゃ。
なんかすごい興味ないです、興味ないですってのを押してまくったら、
スライムみたいなのがめっちゃ勧められた。
でもそれもさ、アルゴリズム。
一人一人のアルゴリズムが違うからさ、
それが世界だって思って見てたのが実は全然偏ってる。
本当怖い。
なんかすごいアルゴリズムの滞在として、
インボロンジャが増えたりとかさ、フェイクニュースが増えたりするけど、
それがもっと加速されるってことだから、
私はAIが出てきて、
こんなに面白い動画が作れるとか、
ハートだってやってる人ももちろんいるけど、
それで人を騙そうとしてる人がめっちゃいるって思うと本当に怖いし、
もうちょっといろんなルールを変えていかないといけないと思う。
そうだよね。
私がさ、すっごい嫌なのが、
私BTSめっちゃ好きじゃん。
BTSのメンバーと自分を生成AIでイチャイチャしてる写真とか作って、
それを投稿する人がいるわけ。
めっちゃキモいじゃん。
自分がやられたら超嫌じゃん。
投稿してるんだ。
一応自分の顔隠したりしてるけど、
なんやねんみたいな。
そういうやり方になってくるんだろうね。
そういう倫理感というか、
なんかキャーみたいな。
なるほどね。
難しいよね。
なんかすごくみんなジブリ風のやつとかだってさ、
なんかジブリとかパクってひどいってみんな思ってたけど、
自分が使えるってなったら楽しくなって、
ハードルが下がっていって、
カメオも見慣れたら、
すぐに合成して遊んだりとかするようになるし、
あのカメオの機能でやってたらさ、
すごい今のティーネイジャーとか子供たちどうなるんだろうって思うよね。
いやーそうだよね。
それはさ、ちょっとどうなの?
お子さんがいる身としては。
うちはね、なんかあんまりまだ、
まずうちの長男は生性AIがあんまり好きじゃなくて、
ちょっと一緒になんかやってみようってやったんだけど、
もう結果がちょっと怖いやつとか気持ち悪いのが出るのが無理らしくて、
ちょっとまだいいやって。
でもなんかチャットGPTとかでね、いろいろ問題作ったりとかしてるし、
でも次男はもう4歳なんだけど、
もう超生性AIネイティブで、
彼の名前を連呼するテーマソングとかを、
ユーディオで作ってくれって言われて作って、
その歌を歌って踊って、
空が出た時もめっちゃプロンプと、
なんか僕とマイクラとピカチュウが遊んでるやつ作ってとか言って、
作ってたから、
なんかもう多分自然に息をするように生成してるのかなと思って。
それは心配ではある?
心配ではあるけど、
心配しすぎてもしょうがないかなと思ってる。
ツールをどう使うかよりも、
こうされたら傷つくよとか、
倫理観の話から入らないといけないし、
でもちょっとまだ答えは出てません。
私もちょっと迷ってるとこもある。
でも生性AIを使いこなせた方が絶対将来に役立つと思うし、
生性AIを使ったから頭が悪くなるとかは全く思わないかな。
Googleが出てきた時も、
こんなのあったらみんな勉強しなくなるから、
Google禁止にしましょうって昔の学校では言われてたりしてたけど、
今そんなことも全然ないし、
検索をする上でのリテラシーとか、
プロンプトをする上でのロジカルシンキングとか、
そういったことが重要になってくると思うから、
全然触らせていきたいなとは思うけどね。
プロデューサー的な思考ができると、
すごいAI時代に強いと思うんだけど。
プロデューサー的な思考と、
もしかしたらプログラミングは前ほど必要なくなるかもしれないけど、
プログラミング的な思考も必要になるかもしれない。
こういう設定を与えればこうなるとか、
ちょっとロジックを組み合わせることとかすごく重要だし、
あとはやりたいことがあるっていうのが一番強いよね。
だから本当に私にとっては、
私すっごい不器用貧乏だから。
不器用貧乏な?
不器用でもある。
不器用貧乏なの?
不器用貧乏だから、
一人でできないけどやりたいことがすごいあるとか、
そういう人にはとても向いてるし、
手を動かしたい人でさえも、
手を動かす上でアイディアをもらったりとか、
考えを整理したりとか本当にいろんなことで救われる。
みんな脳の作りって違うからさ、
感じ方とかも違うわけじゃん。
その人の共感力とかも差があるし、
そういうのをAIは埋めてくれるとは思う。
我々は大人になってからAIを使うようになったけど、
子供の時からあったら、
AIを使わない部分を育てていかないと、
使われちゃうんじゃないかみたいな、
そういう怖さがあって、
使われちゃうんじゃないかというか、
インプットするものがないと、
アウトプットするためのツールじゃん。
インプットするための原動力とか、
源みたいなのをどうやって育てていくかとか、