ジョーカーについては皆さんわかりますかね?
こう、ピエロのさ、お化粧して、結構さ、サイコパスな感じでもう、ねえ、なんていうのかな、
すごいハンズを起こしてくるじゃないですか。
まあちょっと何とも言えないよね。
僕バットマンシリーズ結構好きで、ジョーカーも好きなキャラクターなんですよ。
過去を言うとさ、89年に公開されたバットマンでは、ジャック・ニコルソンがジョーカーを演じたんですね。
その後2008年、ダークナイトという映画で、もうこれは本当に話題になりましたよね。
ヒースレジャーがジョーカー役をして、アカデミー助演賞を取ったんですよね。
結構こういうさ、アメコミ系の映画っていうのはアカデミー賞と縁がなかったと思うんですけど、
多分この映画で初めてぐらい取ったんじゃなかったでしたっけ。
まあね、ヒースレジャーはアカデミー賞の前に亡くなってしまってね、
まあその追悼のね、アカデミー賞自体がちょっと追悼のような感じもありましたけれどもね。
あとは2016年にスーサイドスクワットで、ジャレット・レッドウォーがジョーカーを演じましたね。
それで2019年にジョーカーという映画で、フォアキン・フェニックスがジョーカーを演じました。
今回の続編ももちろんフォアキン・フェニックスが演じてるんですけれども、
フォアキン・フェニックスといえばね、お兄さんがリバーフェニックスでスタンドバイミーですよね。
もうリバーフェニックスかっこいいですよね。スタンドバイミーって結構何年かに1回見たくなるんですよね。
その弟がね、フォアキン・フェニックスで、彼もね素晴らしい役者さんで、大好きで僕ねフォアキンの映画を結構見るんですけれども、
今回ね、このジョーカーっていう映画の話をするにあたって、ちょっと僕の話をしたいんですけれども、
僕ね、バットマンの原作っていうのを知らないんですよ。
知らないというか、読んだことがなくて、だからね、このジョーカーっていう映画が原作通りかどうかっていうのもちょっと僕はわかってないんですよね。
ちょっとね、それでちょっと調べてみたんですけど、バットマンってもともと何だろうと思ってね、調べると、
バットマンの原作はアーティストのボブ・ケインと作家のビル・フィンガーによって創造され、
1939年にナショラル・アライド、後のDCコミックスが出版した本で登場したようですね。
1939年って結構もうかなり前ですね。80年ぐらい前ですか。
さっき出たDCコミックっていうのはアメリカの出版社の一つですね。
日本で言うと漫画を出版している集英社とか、そういう感じのところになるのかな。
でさ、なんて言うんだろう、僕原作を知らないから、いろんな気持ちがあると思うんですね。
というのは、この映画さ、公開されたと同時にものすごい賛否がSNSで分かれてたんですよ。
すごい称賛する人と、ダサくだっていう人とね。
で、まあちょっとそれを見てからね、ちょっとこの原作とかを調べたんだけど、
というのも、前にアラオネでも話したんですけれども、セクシー田中さんっていうね、ドラマと漫画の話をしたじゃないですか。
その時にさ、やっぱり原作っていうのが第一で、それをね、ドラマ化とかそうやって二次創作するときはどうやって表現していくか。
で、その原作者の意図っていう考えっていうのがやっぱり一番大切で、それをリスペクトして二次創作するのが本当に大事だと思うんですよね。
思うんですけれども、ちょっとこのね、バットマンっていうのはまたちょっとそのセクシー田中さんとかとは違うのかなっていうのをちょっと感じていて、
というのは、このさっきお話したアーティストのボブ・ケインと作家のビル・フィンガーっていうのはもう少し前に亡くなってるんですよね。
で、亡くなった状態で、過去にもそのダークナイトとかそうやってね、バットマンっていうのは何度も描かれていて、
日本で言うとさ、サザエさんとかさ、ドラえもんとかとちょっと似てる気がするんですよ。
サザエさんのね、作者の長谷川マチ子先生も亡くなられてるし、ドラえもんのね、藤子F・藤代先生も亡くなってますよね。
ドラえもんで言うとね、大山信夫さんが最近亡くなられて、ショックでしたね。
結構小さい頃、まあ僕ドラえもんよく見て、ちょっと話しとれちゃうね、これね。見ていてね。
でもあの声優さんが変わってもう10年ぐらい多分経ってるんですよね。
だから今のね、子供たちには今のドラえもんの声がドラえもんという感じだと思うんですけど、
僕らの世代はやっぱりこう、大山信夫さんの声を引きずっているわけですよね。
あれで映画とか見に行って、ほんと感動してさ、小さい頃ね、ワクワクした気持ちでね、見に行ったのを本当にね、思い出してたんですけれども。
そうそう、サザエさんとかね、ドラえもんとかと同じように。
まあ最近ではちびまる子ちゃんもね、桜桃子先生が亡くなりましたけど、亡くなっても続くシリーズっていうのがあって、
そういうのはさ、どんどんこう、新しいクリエイターが、
まあその先生たちが作り上げた世界観を元に、どんどんね、新しくなっていってて、
国民的な作品になっているわけじゃないですか。
バットマンっていうのもアメリカではそういう作品なんじゃないかなって僕は思うんですよ。
もうすごく大きく言うと、音楽家のバッハやモーツァルトと同じだとも思うんですよね。
彼らもさ、どんな風にピアノを弾いてたかっていうのはわからないわけじゃないですか。
だけど彼らが作った音楽、そして残された譜面を今の音楽家たちが自分なりに解釈して、
今ね、お届けしていて。
そうやってさ、その芸術っていうのは受け継がれているわけで、
バットマンというのも似てんじゃないかなって思うんですよ。
だから僕はその、まあちょっとね、セクシー田中さんの時には原作者が第一とは話したんですけれども、
ちょっとそういう目線じゃない目線というかね、こう新たな切り口というか、
単純にこう自分の気持ちと向き合ってバットマンというのを見ました。
さっきも言ったように本当に様々な評価があるんですよね。
あのぶっちゃけて僕もね、イメージしていたジョーカーとは全然違いました。
さっきも言ったけど、サイコパスですごいさ、こう気持ちが全くない。
もう平気でさ、犯罪を犯せる。
その犯罪もさ、爆破とかさ、もうちょっとさ、信じられないような犯罪ですよ。
日本で考えるとね。
そういうことをさ、こうバンバンしてさ。
もちろん映画の世界だから、それを見て僕はすごいなんていうのかな、楽しむというか、
ジョーカー好きなんですよ。
そのダークナイトで演じたヒースレジャーのジョーカーとか本当に大好きなキャラクターで、
少しそれをやっぱり期待はしていて、前回のパート1で、
ジョーカーは犯罪を犯した後に逮捕されるんですね。
で、今回の続編はそこから、たぶんきっとその逮捕されたとこから脱獄して、
ジョーカーになるまでっていうのを描くんじゃないかなって思ってたんですけれども、
全く違ったんですよ。
それはね、僕ね、その見る直前、SNSの反応を見てわかったんですけど、
全く違ったんだけど、それはそれで僕すごい楽しみになったんですよ。
で、まあ映画館に行ったんですけれども、
否定的なね、意見を言ってる人っていうのは、たぶんそのDCコミックスのファンなんじゃないかなって思うんですよね。
その、まあ要は原作を知ってる人なんじゃないかなって思うんですよ。
あとはもしくはハリウッドの対策が好きっていう方なんじゃないかな。
その、ハリウッドの対策でよくあるようなさ、ジャンプシーンとか飛んだりさ、飛行機から降りたりとか。
全部ミッションインポッシブルの話をしておりますけども、
ああいうさ、ド派手な映画ではないんですよ。
今回の映画って、警察署と裁判所の映画で、もうほとんどそれの繰り返しで、
どちらかというとこうなんていうのかな、心理的な話なんだよね。
で、まあ僕はそういう映画結構好きだから、すごい楽しめたんですけれども、
まあそんな感じで、今週のアラオネはですね、映画、ジョーカー、フォリアドゥの話をこれからね、していきたいと思います。
ネタバレもちょっと含みます。
というかですね、この映画自体ね、すごく単調なんですよ。
あんまり大きな山がなくて、すごく単調に進んでいくから、
なんていうの、大きなネタバレをするっていうよりは、
僕が感じたことは話すんだけど、でもやっぱり内容に触れていかなきゃ話せないことがあるので、
これからね、見たいっていう方は、気になる方はね、見てから僕のアラオネを聞いていただけると嬉しいです。
最後の方とかね、これは聞かない方がいいよっていうのは、ちょっと注意を入れていきますので、
皆さんそんな感じで楽しんでいただけたら嬉しいです。
先週ね、ちょっと最後にさ、公開収録の反省とかね、いただいたお便りのね、話を今回お届けするって話してたんですけれども、
まぁちょっとね、結構ね、ジョーカーがね、ほんと僕の心にグッと刺さったんですよ。
で、やっぱりちょっとこれは、鉄が熱いうちに打てじゃないですけど、話したいなって思ったので、ちょっと変更します。
あの、反省とかね、来週ね、お届けできたらいいなと思います。
ていうわけでね、映画ジョーカーを見て僕が感じたことを話していきたいと思います。
それでは今週も始めましょう。
アラフォーゲイのお姉じゃないのよ。
改めまして、藤田鉄平です。
この番組は人生の爆発を踏んで発行を始めたアラフォーの僕がこじれた人生観をお届けするポッドキャストです。
ゲイといえばお姉のイメージが強いですが、そうじゃないのもいるんですよ。
夫婦なノリであららつとコネクトする番組です。
というわけでね、ジョーカーの話なんですけど、その前にちょっと僕のね、好きな映画の話も少しだけしたくて、
まぁ僕は伝道入りしているね、好きな映画があるんですけれども、
それはね、グザビエドラン監督のマミーという映画と、ヤン・イクチュン監督の息もできないという2つの映画なんですね。
これは結構僕が20代、マミーは30代かな、の時に見たんですけれども、
まぁすごいね、両方ともすごいね、入ったんですよ、自分の体の中に。
でね、息もできないはね、渋谷のシネマライズっていう映画館で確か見たんですけど、
見た後ね、初めて映画館で過呼吸になっちゃって、
その後2時間ぐらい記憶がなくて、気づいたらね、六本木まで歩いてたっていう、もうなんかね、それぐらいね、ハマっちゃって、
それ以来ね、マミーと息もできないっていうのはもう、ここ数年見てないんですよ。
結構僕の中でトラウマ級の映画で、
まぁどちらもね、どういう内容を描いているかというと、内容は違うんですけれども、
共通していることがあって、それは何かというと、主人公が社会の底辺でもがいてるんですよ。
その底辺というと、悪い言い方かもしれないけど、社会の中のすごく位置の低いところでもがいていて、
すごいもがいていて、それをどうにかして脱却したい、その普通の生活がしたいっていうのを描いている映画なんですよね。
それってさ、ジョーカーもすごく共通してるんですよ。
僕やっぱりその、そういう映画が好きなんですよね。
その、なんていうのかな、ハンディキャップがある人たちが頑張って、その社会の中で頑張って、自分らしさを手に入れようとしている映画ね。
これでさ、主人公の問題だけじゃないんですよ。
その、主人公はやっぱりいろんなハンディキャップを持っていて、
それをさ、生まれ持ったものもあれば、自分が生きてきた中で持ったものもあるんだけど、
そのさ、自分がさ、持ってしまったものっていうのもやっぱり理由があって、
それは結局やっぱり社会の構造自体に問題があってそうなってしまったっていうパターンが多いんですよね。
で、そのジョーカーもやっぱりそういう映画で、
特に僕はね、そのヒーローよりもね、ヒールが好きっていうのもあるんですよ。
その、スーパーヒーローに共感するっていうよりも、ヒール役に共感することの方が多いんですね。
特にそのヒール役の人がどういう環境でそうなったのかっていうのを知ると、やっぱりすごく共感をするというか、そこにすごく惹かれるんですよ。
で、だからジョーカーっていうのもね、すごく惹かれたんですけれども、
このジョーカーね、2019年にパート1が映画で公開されたんですけれども、
さっきもちょっと言ったんですけれども、アーサーという人間がどうやってジョーカーになるかっていうのを描いた映画で、
その映画の中でね、アーサーは6つの犯罪を犯すんですよ。
それによって、ジョーカーになって、テレビに出演とかをして、ちょっとあがめられて、でも最後には逮捕されて終わるんですけれども、
そのパート1で僕がね、ジョーカーを見て感じたのは、笑わせるっていうのと笑い物っていうのは違うっていうことでしたね。
アーサーはね、ピエロの格好をしてみんなを笑わせるパフォーマーなんですけれども、本人はさ、みんなを楽しませる、ファンな気持ち、笑わせるようにやりたいんだけれども、
彼自体が結構さ、社会の底辺にいることによって、笑わせるつもりが笑い物になっている瞬間があるんですよ。
それはね、パート2の牢獄のシーンでもたくさん出てくるんですけれども、やっぱそういうのが見ててね、ほんとすごい切なかったですね。
それでね、2はね、牢獄の中の世界から話が始まっています。
基本的には牢獄の中にアーサーがいて、裁判をするんですけれども、その行ったり来たりの繰り返しなんですね。
映画の構成自体は結構ミュージカルシーンが多いんですよ。
これも結構僕ね、びっくりしたんですけど、パート1でもね、アーサーが歌うシーンっていうのは出てくるんですけれども、そんなにすごく多くはなかったんですけど、今回はね、全編を通してミュージカルシーンが出てきます。
それはどっちかっていうと、アーサーっていうその主人公の妄想の世界なんですよね。
妄想している世界がミュージカルで、歌の世界で描かれていることが多いんですけど、僕ね、ミュージカルってね、ちょっと苦手なんですよ。
なんで苦手かっていうと、実現世界と切り離されているような感じで、急に切り離して歌が始まるじゃないですか。
あれが結構苦手だったんですけど、今回の映画はアーサーのほぼ妄想の世界なんですよ、ミュージカルが。
だから結構ね、受け入れやすかったのはあったんですけど、恋をする時とかさ、そういう気持ちがさ、変化する時ってミュージカルの中で急に変化することがあるんですよ。
このジョーカーでもそれがあったんですけど、というのが、今回ジョーカーの相手役でレディー・ガガが演じるリーという女性がいるんですね。
これは後にハーレー・クイーンといって、ジョーカーとタッグを組む女性版ジョーカーみたいな感じなんですけど、彼女と恋に落ちるシーンがあるんですけども、歌でね、あっという間に恋するんですよ。
恋するまでの余韻が短いというか、アーサーを理解してくれる人がいない世界でリーがね、理解をしてくれたから好きになったっていう、その気持ちはわかったんですけど、
なんかね、それが急すぎてちょっとね、なんか置いてけぼりになったなという感じはあったんですけれども、まあでもね、なんていうのかな、ザ・ミュージカル映画っていうよりは僕は見やすかったですね。
あとね、とにかく映像が美しいです。もうね、前編ね、ダークな映像なんですけど、こう、青っぽい光とか緑っぽい光とか、あとはオレンジっぽい光もあったかな。
結構、暗い中に色の光が入ってくるっていう感じで、僕としては結構ね、プラダのショーを見ている感じだったんですよ。もう前編渡ってプラダのショーを2時間半見てるみたいな、そんな美しさがある映像でしたね。
だからその、映像を見るってだけでもね、すごく楽しめると思います。
でさ、裁判の途中で弁護士を解雇するんですよ。で、そこからはね、アーサー自身が自分を弁護するんだけど、そこからね、ジョーカーがね、生まれるんですよ。生まれるというか、アーサーの中のジョーカーが出てきて、ジョーカーになりきってね、裁判所でショーを始めるんですけれども、それをさ、見ていて僕はさ、自分は何者かっていうのをすごい考えたんですよね。
その、精神病じゃなくてもさ、結構社会の中ではさ、小さな二重人格っていうのはあるような気がして、これ精神病じゃないからね、あの、別にしてね、話してるんだけど、例えばさ、ゲイというセクシャリティも、そういう二重生活がある人が多いと思うんですよ。
カミングアウトしている友人だったり、新宿二丁目という限られた場所では、ゲイというね、セクシャリティを持って生きていけるけど、そこから一歩外に出た、例えば会社とか、普段のね、社会生活の中では、農家として生きている人が多いと思うんですね。
僕らはそれを農家社会という言葉で表現することがあるんですけれども、まあ自分はね、一人なんだけれども、そのゲイをね、カミングアウトしている社会と、カミングアウトしていない社会。そこでさ、自分自身は一緒だけれども、言動とか行動っていうのは変わってくると思うんですよね。
他にも別にゲイに限らず、セクシャリティに限らず、そういうのってありますよね。社会と自分の違いとかね、そこでちょっと演じ分ける。まあそれによってさ、自分の生活がさ、円滑にできたりとか、混乱を招かず社会生活ができるっていう、それはさ、大人になりにつれてさ、すごい自然に身につけていくものだと思うんだけど、
みんなね、自分の中に小さなジョーカーとアーサーっていうのは持っている気がするんですよ。その、犯罪をするとかしないとか、そういう話ではなくてね。で、もちろん僕もそういうのを持っていて、で、この映画を見てた時、やっぱ前半はすごい苦しかったんですよね。
というのがやっぱりアーサーがその弁護士の戦略に乗ってないっていうのがひしひしと伝わったんですよね。でも僕も嫌だなって思うんだよな。自分の立場だったらね、自分のことを誰かに決めつけられたくないっていうのかな。
もちろんね、その精神的に問題を抱えている人がいて、自分のことをさ、証明できない、自分のことがわからないって人を専門家がね、証明してあげるっていうことは大切で、それはさ、その法廷の場とかでも人権としてね、権利として与えられているから、それを否定したいわけじゃないんだけど、
もし僕がその立場だった時、きっと僕も自分のことを誰かに決められるっていうのは、そこに多分ね、落ち込むっていうか、嫌になると思うんですよ。きっとアーサーもそうだったんじゃないかなって思うんですよ。
アーサーってさ、自由がない社会で生きていて、自分自身がね、そこからさ、這い上がろうとして頑張ってたのに、またそうやってね、法廷でさ、自分自身っていうのを誰かに決めつけられて、これから生きていかなきゃいけない。そこにきっと多分うんざりしたと思うんだよね。きっとそれでさ、自分自身がさ、亡くなってしまうのが怖かったんじゃないかなって思うんですよ。
僕もね、やっぱり映画を見ながらそれすごい感じましたね。なんか映画ってさ、自由に感じていいもんだと思うから、そのさ、ストーリーとは違うところっていうのは、僕は結構そっちに行きがちなんですよ、映画を見ながら。自分だったらこう思うなとか、そういうふうにどんどん進んでっちゃう悪い癖あるんだけど。
結局さ、それでさ、アーサーはさ、自分の中にアーサーとジョーカーっていうね、そういう2人がいることを認めて、自分が犯したね、6つの罪を認めるんですよ。彼はやっぱりアーサーであって、ジョーカーだったんですよね。で、そこからさ、こう開花した時の彼っていうのはすごい生き生きしていて、後半にね、繋がっていくんだけど。
それでさ、こう、なんていうの、罪に問われるんですけれども、そのね、認める姿を認めない人たちがたくさんいるんですよ。それがさっき言った2つ目ですね。罪を犯した人が罪を認め変わろうとする姿を僕らは許すのかっていう話なんですけれども、実際のさ、犯罪、僕らの社会で起きている犯罪でも、罪人がさ、公正することを認めないっていう人が多いじゃないですか。
で、それのほとんどはその人を批判している人だと思うんですよね。まあ、もちろんさ、犯罪を犯しているから批判はするんだけれども、そうやってさ、その人を許さないって思っている人たちが、彼がね、罪を認めて公正していく姿、その姿までも許さないって人が結構僕は多い気がするんですよ。
その犯罪に限らず、例えばさ、芸能人の不倫とか、そういうのを見ててもさ、その人がさ、変わっていこうとする姿を永遠に認めない人っているじゃないですか。SNS見てるとさ、この人が出てる作品は見ないとかね、そういうつぶやきをしている人をすごいたくさん見るんですけれども、もちろんそういう言動っていうのは自由なんですよ。
見たくなければ見なくていいし、それを発言するっていうのもその人の自由なんだけれども、それを発言している人の多くが、それが正義だと思って発言している人が僕は多い気がしていてね、それは僕間違っているような気がするんですよね。
個人の意見なんだけど、これは民衆の意見だみたいな感じで、すごく大きな気持ちで発言している人がいて、それはね、間違っていると思うんですよ。その罪を犯したり、悪いことをしたっていう人にも人権っていうのがあって、その人権っていうのはね、守られるべきで、たださ、すごい難しいのはさ、その人がさ、誰かの人権を奪っていることがあるんですよね。
やっぱそうなってくると本当にね、これってすごいさ、何が正解で何が不正解かっていう話ではなくなってくるし、被害者もいたり、被害者家族もいたり、その周りの友達もいたりね、もちろんその人たちはその人を許さないっていう気持ちは当たり前だと思うんだけど、今話しているのはさ、周りにいる第三者の話なんですよ。その人と直接関わってない人たちの話ね。
概要欄に時間がね、載ってると思うので、次のエピソードに飛ばしてもらいたいと思うんですけれども、ジョーカーはね、最後ね、車のシーンがあるんですよ。もう車のシーンがあるっていう時点で裁判所出てるなっていうのがみんなにはわかると思うんですけれども、そのね、ジョーカーを支持する、彼を称賛する人たちの車に乗って外に出て逃げ出すんですよ。
彼はね、一緒に逃げ出すんですけれども、途中で彼はその車を降りるんですよ。その時僕はもう本当にね、涙が出てね、彼はさ、アーサーとしての人生を選んだわけですよ。
まあそのアーサーの中にジョーカーがいるかもしれないんだけど、その車に乗ってたら彼はジョーカーとしての人生を歩まなきゃいけなかったと思うんだよね。彼らのカリスマとしてジョーカーとして生きる。だけど彼はその道を拒んだんですよ。だから車を降りた。
もしかしたらそこが僕は原作とは違うんじゃないかな。原作にない話なんじゃないかなって思ったんですよね。要はさ、それを選んだことによってジョーカーという存在がいなくなってしまうわけですからね。もしかしたらその続きが、その先にジョーカーになる話があるのかもしれないんだけど、ジョーカーにはならないんですよ、彼は。
2つ目のね、大道念返しがあるんですけど、それはね、みんな映画で見てほしいんですけれども、僕はそのね、彼がね、自分の道を、自分という存在の道を選んだのにすごく感動しましたね。それがもしね、みんなが求めているジョーカーでなかったとしても、そのさ、バットマンっていうのが作られた時代はさ、1930年代で、
そのジャック・ニコルソンが演じたジョーカーは1989年で、ダークナイトは2008年だったと思うんですけど、その時代とも今ってちょっと違うと思うんですよ、僕。だからね、その原作とは違うかもしれないけど、今の時代のね、ジョーカーを描いたっていう、今回の映画に僕はすごいね、賞賛を送りたいって思いますね。
僕もすごいね、心の中に入ってきました。もう本当にね、最後の15分はね、いろいろ考えさせられましたね。あの、まあすごいシーンがいっぱい、どんどん起こるんですけど、皆さんもぜひそれは映画で見てください。唯一ね、気になったことっていうのがまあ一つあって、あの、ほとんど触れなかったんですけど、レディ・ガガが出てくるんですよ。そのリーという役で出てきて、後にね、ハーレー・クイーンになる役なんですけれども、
あの、レディ・ガガがレディ・ガガでしかないんですよ。その、リーでもなくハーレー・クイーンでもなく、レディ・ガガにしか僕は見えなくて、レディ・ガガがゴッサムシティの中に入って、ジョーカーと出会って恋に落ちてくっていう話にしか見えなかったんですね。
ちょっとね、そこがね、残念だなって思ったんですけど、でもなんかね、ちょっといろいろ考えたんですけど、レディ・ガガもまたジョーカーなのかもしれないってちょっと思えてきたんですよ。
っていうのが、レディ・ガガもレディ・ガガでなきゃいけないじゃないですか。僕らはそれを期待してるでしょ。ガガはさ、出てきた時ってさ、すごい奇抜な衣装を着て、奇抜なコスチュームでね、ショーを見せてくれたじゃないですか。で、僕らは毎回それにさ、夢中になって、ちょっとさ、中毒性のある感じでレディ・ガガっていうね、こう、ポップカルチャーを作り上げていったと思うんですよ。
彼女が作っていったものに僕らも乗っかったと思うんだけれども、ガガがさ、新しいものを出すたびに、今度はどんなパフォーマンスをしてくれるんだろう、どんな刺激があるんだろうっていうのをちょっと期待している自分がいるんだよね。そう思っている人は少なくないと思うんですけれども、そうやってさ、レディ・ガガっていうのもレディ・ガガであり続けなきゃいけないわけですよ。
人彼女はそこにさ、少し苦しんでたりとかするんじゃないかなって思っていて、そう考えた時に、レディ・ガガがゴッサムシティにね、迷い込んで、ハーレー・クイーン、リーという役を演じたんじゃないかなって僕はちょっと思えてきたんですよ。
なんかそう考えるとすごい皮肉的なアメリカンジョークだなと思って、それもまたジョーカーの一つなのかな、もしかしたらそういうことなのかなとかって思ってきてさ、そう思うとレディ・ガガとしてこの映画に出てたことをすごく肯定的に受け止められるというかね、なんか面白いなと思えてきたんですよ。
最初に言ったけど結構さ、否定的な意見を持っている人、この映画を面白くないなって思った人はたくさんいると思っていて、映画を面白いか面白くないかなんてどう受け取るのか本当自由だからさ、みんなの好き勝手すればいいわけで、それに対して僕は何にも言わないんだけど、せっかく思うのは面白くなかったらなんで面白くなかったかっていうのを考えると面白くなると思うんですよ。
映画が面白くなるんじゃなくて自分が面白くなるっていうのかな。
さっき言ったように僕はレディ・ガガっていうのがなんかいまいちフィットしなかったけど、なんでフィットしなかったんだろうっていうのを考えた後にレディ・ガガというのがジョーカーなんだっていうところにたどり着いたんだよね。
それが正解かどうかなんていうのもどうでもよくて、自分の中にそれが閃いただけでなるほどなーって思う。そこにたどり着いた自分がまた嬉しかったりして、そこが僕の中の面白さなんだけど、せっかく面白くなかったんだったらなんで面白くなかったかっていうのを考えるのがすごいおすすめですね。
タイムパフォーマンスの話最近よく出るじゃないですか。こういう面白くない映画を見たら本当タイパーが悪かったみたいな話すると思うんだけど、それってすごい一番タイパーが悪くて。
というのは良質な映画だけを見て、自分にとって良い映画だけを見て学びがあるとかプラスになるとかね、そういうわかりやすい映画だけを見てタイムパフォーマンスがいいっていうのはちょっと安直な気がしていて、自分にとってプラスじゃなかったもの、そういうものもなんでプラスじゃなかったか。
そういうのを考えることによって自分の中で得が生まれてくると思うんですよ。自分はこういうのが苦手なんだな、だったら次はそういうの避ければいいなとかね。そこがね意外とねタイムパフォーマンスの良さだと思いますよ。結局さマイナスになったプラスにならなかったものをマイナスにしないっていう話ね。
プラスにならないんだったらプラスに変えていこうっていう精神がね、僕はいつもあるんですけど、そういうのが実はタイムパフォーマンスにつながってるんじゃないかな、そのコストがいいっていう話ね。につながるんじゃないかなって思いますよ。だからね、あのつまんないなって思った人もさ、なんでつまんなかったかっていうのをね考えて、そしたらさ意外とさ、なんでつまんなかったかわからなくてもう1回見るきっかけになったりしてね。
そうしたらいいじゃんね。好きになるきっかけになるかもしれないしね。そうやって映画とかアートとか音楽とはね、僕は触れ合っていきたいな。触れ合っていくべきなんじゃないかなって思いますね。
というわけで今週はね、映画ジョーカーフォリアドゥーのお話をしました。まだね、公開したばかりなので、もしね、この配信を聞いて興味があるって思った方は是非見に行ってね、自分はどう思ったか。僕とさ、同じようなこと思わなくて全然いいんですよ、映画なんて。自分が思ったことが一番で、なんで思ったかっていうのをそこね、追求していくと多分ね、自分と対話できると思うので、そういう感じでジョーカーを楽しんでください。
コネクトフェスコネクトフェス言うてましてね、この話をほとんどしてなかったんですけど、ちょっと最後にお知らせです。11月頭に開催されるポッドキャストウィークエンドにアラオネが参加します。
前にも話してたんですけれども、ポッドキャストウィークエンドとは、多様なジャンルで活躍するポッドキャスターが参加するマーケットイベントです。
今年で4回目の開催です。日時は11月2日、3日の土日ですね。時間は11時から18時。会場は下北沢にあるボーナストラックという場所で行われます。
僕は2日間参加させていただきます。この期間2日とも僕会場におりまして、皆さんにお話をしたりグッズを販売したり、あとはノベルティのポケット実証を大量に散布するみたいな感じで配りますので、あららずのみんなね、時間あるよって方はぜひ遊びに来てください。
ここで募集しちゃおうかなと思うんですけれども、もし僕のブースでボランティアでポケットティッシュを配るの手伝ってもいいよっていうあららずがいたら、僕のXとかのDMでちょろっとご連絡をください。
僕はいつも一人でアラオネを制作してるわけですけど、コネクトフェスの時は本当に大変で、向田くんの手伝いだったり大前くんに参加してもらったりしてね、なんとか乗り越えられたんですけど、一人で今回ポケットティッシュ配ろうと思ったんですよ。今回2000個用意しております。
2日間で2000個配る気で僕はね、頑張ろうと思ってるんですけれども、無理なんじゃないかなっていうか、でもさ、僕毎年さ、東京アートブックフェアっていうの4日間出ていて、今年はね、それ参加しないんですけれども、その時4日間一人で乗り越えてて、体力はある方だからやれるかなと思ってたんですけど、
最近さ、他にさ、出場するね、参加番組のXを見てた時に、その番組さ、4人でやってる番組なんですよ。だからその時点ですでに4人スタッフいるのに、プラスで他の番組も手伝ってくれますとか言ってて、2人ぐらい手伝うのかな、6人なのかなって、すごくないと思って。
僕、一人で立ち打ちしなきゃいけないの?みたいなさ、藤田はどこまで孤独なの?みたいな感じで、ちょっとね、不安になってきまして、もしね、ボランティアで本当申し訳ないんですけど、手伝ってもいいよっていう方がいたらDMください。
あの、お礼はね、できないんですけど、できないっていうか、しますよ。あの、忘年会しましょう。ちょっと12月になったら時間できますのでね、手伝ってくださった皆さんと藤田とでね、忘年会なんて、僕ね、おすすめのね、しっぽり系の居酒屋があるんでね、ちょっとそこにね、招待したいと思いますのでね、あの、ぜひね、手伝えるよっていう方ね、あの、XでDMください。よろしくお願いします。
最後にこの番組ではあららずからのお便りを募集しています。番組への感想やコーナーへのお便り、くだらないけど誰かに伝えたい話だと何でも構いません。宛先は概要欄にある応募フォームからお願いします。またSpotifyやApple Podcastで番組の登録や評価を通してアラオネを応援していただけると嬉しいです。サポートをよろしくお願いします。
というわけで今週はジョーカーの話をしましたけれども、来週はコネクトフェスね、公開収録の反省とお便り会にしたいと思います。あのね、公開収録してね、すごいね、いろんなこと学んだんですよ。だからぜひね、これからね、公開収録したいなぁと考えているPodcasterの皆さんにもね、来週はぜひ聞いてほしい。
僕のね、失敗と反省をね、包み隠さず、包み隠さず全部話しますので、それをね、参考にね、公開収録とかをね、計画していただけると事故が起きないと思いますし、後々のね、後悔も最小限で抑えられると思いますので、ぜひね、あのPodcasterの皆さんも来週ぜひ聞いてください。
というわけで今週もありがとうございました。来週もあらおねにコネクトしてください。ナビゲーターの藤田てっぺいでした。じゃあねー。