1. 上坂あゆ美の「私より先に丁寧に暮らすな」
  2. #126 愛って一体何やねん!【..
2025-02-21 53:37

#126 愛って一体何やねん!【ゲスト・鈴木ジェロニモ】

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【今回の内容】ガチ恋は叩かないでください / 「愛されない」と「愛がわからない」の怖さ / 愛=私が私でいることを許されている状態? / 愛がそれぐらい身近ってこと? / 愛の出力と受信 / 大地真央「俺に愛はないんか?」/ 愛はないけど仁義はある鵜飼・優しくないけど親切なジェロニモ・常識はないけど良識はある上坂 / 僧侶・歌人・芸人 / 鵜飼さんが寺を継いだ理由 / ハートは実は穴である / 俺が愛って言ったら愛! / 出力が弱い愛と強い愛 / 愛と怒りはエネルギー / 草超えて森超えて山すぎて草 / 世界は「面白い」だけじゃない / 俺たちは一生恋とか愛とかに悩んでいく【出演者】文筆家 上坂あゆ美 https://x.com/aymuesk京都の僧侶 鵜飼ヨシキ https://x.com/ziruziru1986※番組公式SNS https://x.com/yori_sunaお笑い芸人 鈴木ジェロニモ https://x.com/suzukigeno▼ご意見ご感想はSpotify上のコメントまたは #よりすな▼お悩みや質問はコチラまでhttps://forms.gle/1bqryhYcDWt334jZ7

サマリー

このエピソードでは、愛の本質について論じられ、鈴木ジェロニモさんとの会話を通じて恋愛感情や愛することの意味が探求されています。また、リスナーから寄せられたメッセージにより、アセクシャルやアロマンティックという概念にも触れられています。愛についての多様な解釈が展開され、愛の存在が矢印を持たない場合もあり、受け取る側の感覚によって変わることが明らかにされています。愛の受け取り方や表現に関しても、様々な視点からの体験が共有されています。このエピソードでは、「愛」の定義やそれぞれの愛の捉え方について、鈴木ジェロニモさんと共に深く掘り下げられています。愛の出力と受信のバランス、人それぞれの愛の定義についての議論が行われ、愛の多様性が示されています。愛の本質についての深い考察がなされ、友人たちの家庭環境が愛をどのように形成するのかも探求されています。さらに、ゼロネモの存在意義や、愛を与えることと受け取ることのバランスについても議論されています。愛の定義や捉え方について、多様な視点からの考察が行われ、愛を表現することの重要性が語られています。

ゲスト紹介と活動
上坂あゆ美の「私より先に丁寧に暮らすな」
ということで
ビデオポッドキャストを始めてあげるので、自己紹介全員にしましょうか。
まず、過人の上坂あゆ美です。よろしくお願いします。
京都の僧侶の岡井亮式です。お願いします。
そして、本日はスペシャルゲストということで、たまたま居合わせた鈴木ジェロニモさんに来ていただきました。
はい。お笑い芸人とかやってます。鈴木ジェロニモです。お願いします。
お願いします。
というわけで、今日は特別ゲストでこの3人でお送りしていきたいと思うんですけど、
ジェロニモさんのことをご存知ない方もいるかもなんで、簡単に活動とか聞いてもいいですか?
はい。お笑い芸人として活動してまして、
アクション人力社という事務所に入っているピン芸人です。
あと単歌を作ったり、単歌を読んだりするのも好きで、上坂さんと一緒のイベントに
過人みたいな、過人として出させていただいたりもしておりまして、
2024年11月に水道船の味を説明するという本を出しました。
それは元々YouTubeだったりするんですけど、そんな感じで。
去年の夏、ロロさんという演劇で、劇団の公演に俳優として、
上坂さんと私、鈴木ジェロニモを出させていただいたりという、人間です。お願いします。
愛の感情の探求
人間かどうか大事だけどね。
最終的には。
最終的には人間で良かったですね。
人間になります。
なので、以前から公有があるジェロニモさんなんですけど、
前に鈴木ジェロニモの感情っていうお笑いアプリゲラでやっていたラジオ番組に、
私が一回ゲストで出させていただいて、あれが夏だから半年前ぐらいですかね。
そうですね。
公演時間中で。
一回出させてもらって、その時鈴木ジェロニモの感情の初ゲストですって言って、
出たんですけど、私より先に丁寧にクラスナーの初ゲストもジェロさんなので、
私は今、ジェロニモのガチ恋の人に叩かれないかなっていう心配をずっとしているんですけど。
大丈夫ですし、逆に叩くというムーブを見せるまでは大丈夫ですっていう、
ムーブを見せても構いません。
待って待って、どこが?誰が?
本当には叩かない、本当には叩かない。
フェイクとして。
叩くぞってポーズを。
まるで叩くような、まるで叩くようなぐらい、
鈴木ジェロニモさんのことを応援していますというポーズは見せていただいても大丈夫ですけれども、
本当に植坂さんを叩くということはお控えください。
いや、私ポーズも嫌だけど。
ポーズも取らないで。
いいですよ、いいですよ。
押し方は自由ですから。
押し方は自由。
お互い初ゲスト会。
そうですね、ありがとうございました。
というわけで、うかいさんを生で見る人も初めてなんじゃない?
確かにね、ちょこちょこ最近は動画があったりするけれども、
よりその本編では初めてですね。
だってイベントに来てなかったらお顔も知らない人いっぱいいるでしょうから。
それ私もそうなんだけど、こんなだったんだって今みんな思ってると思いますけど。
こんなでございます。
というわけで、今日はいつもの皆さんからのリスナーメールのご相談について、
この3人で喋っていこうかなと思っております。
それでは次のお便りです。
ラジオネーム、ちくわぶんこさん。
上坂さん、うかいさん、こんにちは。
1ヶ月ほど前から聞き始めた新規リスナーです。
扱われる様々なテーマやお二人からの深いお話が面白く、
過去回を少しずつ辿って聞くのが日々の数少ない楽しみです。
ありがとうございます。
私は以前から気になっており、最近特に悩みが増してきたことがあり、
お二人のお話を聞いてみたくてメールしました。
それは、愛とはどういう感情なのか、
それは誰の心にも自然に芽生えるものなのか、ということです。
愛するという感情がわからなすぎて、
以前周りの先輩や友達にリサーチしたことがあります。
返ってきた回答としては、自分が犠牲になってもその人のために
何でもやってあげたいと思う感情、というような答えが多く、
30年近く生きてきて、いまだにその感情の境地に自然と達したことがない自分は
まずいのでは、とめちゃくちゃ思うようになりました。
私はアセクシャルを辞任。噛みましたね。
私は、私じゃないね。
ビデオ緊張しちゃってさ。
私はアセクシャルを辞任。
解説すると、アセクシャルっていうのは一般的に
性衝動というか、性欲がないが恋愛感情がある人を指す言葉ですね。
を辞任。恋愛に関しては、今はたぶんアロマンティック。
アロマンティックというのは、恋愛感情はないが性欲はあるという人を指す言葉で、
私、植坂由美も比較的アロマンティック辞任を持っております。
というわけで、という傾向がある方ですけれども、
なんとなくのイメージとして、恋愛感情というのと、
上記の無償の愛みたいな感情は完全に重なっているものではない気もして、
恋愛感情がわからなくても、せめて人間として他者に抱く愛情はわかっていないとまずいのでは、
わかりたいとここ数年ずっと強く思っています。
SNSの婚活アカウントで、このまま誰にも愛されずに死んでいくのは嫌だというようなつぶやきを見かけますが、
私は人から愛されないことよりも、人間として生まれてきたのに、
人間への深い愛情を一度もわかることなく死んでいくという現象の方が怖すぎます。
愛されるより愛したいまじで状態です。
そこでお聞きしたいのですが、お二人が思う愛とはどういう感情ですか?
愛することの本質
また、それが最初に自分の心に自然と芽生えたときのことって覚えていますか?
ということで、ラジオネームちくわぶんこさん、ありがとうございます。
ありがとうございます。
いいお便りですね。
いいですね。
この番組、全員長文なんですよ。
長いんです。
メール届きましたから、メール以上ですまでが長かった。
良い長さですね。
溢れてる。
溢れてる思いが皆さんあるんですけど、
こういうふうに具体的に書いてくださる方が多いんですけど、
すごいこのお便りでハッとしたのは、
誰にも愛されずに死んでいくかもってことよりも、
愛がわからないかもの方が怖いっていうのって、
なんかすごい聞いたことがあるようでないシャープな問いだなと思いました。
なるほどね。
どっちが怖いんだろうね、実際。
愛されない、愛がわからない。
わからない。
愛されないっていう状態ってあるんですか?そもそも。
誰にも?
誰にも愛されないという状態って。
あるんじゃない?
どういう状態になると私って誰にも愛されない、愛されてないんだな、
周りにいる人が冷たくしてくるとかそういう状態か。
そもそも周りに誰もいない状態。
孤独とか。
それは生まれてからかもしれないですし、年老いてからかもしれないですし、
半ばである可能性もありますね。
なるほど、確かに。
この人は婚活アカウントでそういうのを見るって言ってるから、
個人に恋愛として異性に選ばれないということを言っているかもしれませんね。
それを婚活なんて、結婚をしてないという状態を
誰にも愛されないという状態に当てはめてるみたいな状態ですよね。
確かに、そういう圧にお悩みの方いますよね、社会には。
僕今読んだり聞いてたりして思ったのは、
愛するということと恋愛と結婚みたいなことって
全部別な気がするなっていうのは多かったと思います。
恋愛におけるとか結婚における愛するとされる状態もあると思うけれど、
普通に生きて、ただ生きている状態の中に愛する愛されるということが存在していて、
そこでの愛する愛されるは、ちくわ文庫さんもその家中にもしかしたらいるんじゃないのかな、みたいなことは思いました。
それは、例えば友情だったり、同僚だったり、家族だったりみたいな?
なんか僕、すいません、いきなり出てきて、誰が何を言ってるかっていうのもあると思うんですけど、
僕なりの、今なんかこう愛、愛とはみたいなすごい今考えてたんですけど、
なんか愛というものはすでにあるっていう感覚が僕としてあって、
で、それが矢印を持って他者に出力されることもあるが、
基本的には愛というものはその人の中だったり、その場所とかにすでに存在している。
というのは、私が私でいることを許されている状態が愛されている状態だと思うんですよね。
すごい考え方で。
面白い。
逆に言うと、私が人を愛するということは、あなたがあなたでいることを認めるというか、そのままでよい。
あなたがあなたでいることを肯定するということが愛するという状態。
その恋愛とかにおいてはまた別かもしれないですけど、
僕なりの感覚としては今、愛というものを考えているとそうなのかなと思いました。
なるほどね。
じゃあ、ちくわ文子さんが今周囲に存在を許されていたりとか、
そのままのあなたでいいんだよって思ってくれる人がいるのであれば、
それは愛されているのではないかということですね。
そうですね。
で、そのちくわ文子さんがそれを分かるか分からないかに関わらずということですね。
愛はそこに既に存在しているんじゃないかという。
いや、すごいいい話、いい説だなと思いつつ、
ちょっとこれ言うか迷うんですけど、
私、ジェロニモさんと共演する機会が特にこの1年、結構あったじゃないですか。
イベント出たり、演劇出たり、ラジオご一緒させていただいたりとかして、
なんか知らないんですけど、ジェロニモファンが私がやってるスナックに来るっていう現象が、
お1人、お2人、お3方ぐらいいらっしゃるんですね。
で、なぜかジェロニモとファンよりも、
私とジェロニモのファンの方が喋っているっていう現象が今生まれてるんですよ。
で、前言われたのが、ジェロニモファンの方に言われたのが、
なんか、え、ジェロニモさんってすごい愛されて育ってそうなお顔されてるじゃないですか、
そこが好きなんですよ、みたいなこと言われて、
だとすれば、ジェロニモの世界ではそうなのかなって、今の話を聞いて思ったんですね。
ジェロニモの世界。
なんか、ジェロさんにとってそれぐらい愛って、当然のように存在している概念なのかなと思ったですよね。
なるほど。
僕、その話を聞いた上で、だから僕にとって愛というものが出力、ビームのような形を持って愛を目撃したことがあまりなかったんですよ、そういう観点で言うと。
なるほど。
だから、親とか家族を愛されて育ったみたいな面で言うと、
愛とは何か
親から私へ向けての方向性を持った愛の出力というものを、目に見える形で見たり感じ取ったなっていう経験は自分の自覚としてはあまりないんです。
ないんですけれど、じゃあそれが愛されなかったかって思うと、愛されなかったとはあんまり自分では思わない、ってことは愛はあったと思うんですよ。
でなると、愛というものは矢印を持っているものではないというのが自分なりのそこへの解釈になって、だから自分は愛という何か、愛のやり取りをした覚えはないんだけれど、
お互い持っていたということが自分なりの家族から愛情を受けたと見られることへの仮定の結論。
あー、言ってることはわかる。
っていう感覚になりました。
でも実際それもそうだなと思いますね。
愛とかって受け取った側が全てじゃないですか。
子供とかも、どんだけ親があなたのこと大好きだよって言ってても、子供が受け取れなかったら、それは愛として成立しないというかね、成立はしてるのかもしれないんだけど、
子供からするとその愛は享受できなかったことになるとかってすごいあるなと思うんですよ。
だからそれはジェロさんが享受できた人なんだって思った。
なるほど、自分は受け取りましたという判断が自分の中であったと。
受け取るに値する感度や日々の感じ方やそういうものがあったし、
実際親御さんもね、出力は今ないって言ったけど、近いことは愛情表現的な、露骨ではないにしろそういうのがなかったのかなみたいなことは思いましたね。
愛の受容
うかいさんはどうですか、愛。
質問に戻ると愛とはどういう感情ですか。芽生えました?
なんかね、僕ね、今でこそちょっとわからないんですけれども、なんかよくね、愛がないって言われたんですよ。
うかいさんが他人から愛がないって言われた。
生きててそんなこと何回も言われる?
愛がないって。
教えて。
そうがあって、すごく特定の人が来てればすごい言ったんですけど、
でも似たようなことは何人かに昔言われてて、特に20代の頃。
で、一番明確に友達に言われて、なんかハッとしたのは、それから俺のことうかいちゃんって思うんですけど、
うかいちゃんは愛がなくて人気だけある。
人狂も。
そう、人狂の世界なんだよ全部。
だから、何かに対して何かをしなければいけないって考えてるでしょって言われて。
でもしなければいけないじゃなくて、したいっていうのが多分愛なんだよね。
って言われたときに、なんかいろんなことが明確になった気もしていて、
確かにそれは先輩後輩感とか、そういうときにも先輩だから後輩に交接しなければいけない。
逆もしかけて先輩だから後輩だから後輩。
恋愛に対しても、恋人だから交接しなければいけない。
いうのに割ととらわれてたなみたいなのはあって。
それが人狂ね。
そうそうそう。
義務というか。
で、同時にそれはいいポイントでもあると。
絶対恩をもらった人裏切らないでしょって言われて。
確かに確かに。
ただそれはいいポイントだとして、じゃあ俺に愛はないんかみたいな。
逆大地真央。
俺に愛はあるんだ。
っていうのは未だにわかってないかも。
何か自分、確かにね、受け取ったものとしてはなんとなくわかるんですよ。
それは家族であろうか、かつて恋人であろうか、先輩達であろうか。
ただ自分が明確に言語化して与えれてるものとしてはよくわからなくて。
で、ちょっと調べたりもするわけじゃないですか。
本であったりとかいろんなもの。
けど愛ってものが若干抽象的すぎて、結局わかんなくなる。
いやわかんないよね。だって恋もわかんないしね。
結局のところ。
この番組なんてずっと恋と愛って何って話してる気すらするじゃん。
だからある種、自分を変えりみずとも誰かに何かをしたい気持ちみたいな。
そういう感覚なんかなみたいなのはわかんないけど、
え、俺それないの?みたいな怖さもある。
そこまで定義してしまうときに。
え、でもそれみんな逆にあんねやみたいな。
そんなはっきりとみんなあんの?みたいな怖さもあったりする。
自信あるんだって。
今日共感したのが、友人に、後輩ではないですけど友人に、
ジェロニモさんって優しくはないけど親切ですよねって。
みんななんでそんなこと言われてるの?
でもそれは彼にとっては評価してるよというか、それ良いですよねって言ってくれてるんですけど、
たぶんさっきのうかいさんの、仁義はあるけど愛はないよね。
たぶん近しい気がしてて。
行動、人間社会における行動規範としてこういうことを、
例えばしてもらったらこういうことを返した方が良いとか、こういうことをすると相手は喜ぶだろう、
みんな困らないだろうのパターンとしてそのコマンドを選択するっていうことはあるんだけど、
それが無から、内発的に無からそうなった感じは感じたかったみたいな。
だから行動に温度が伴ってないみたいなことを感じてる。
そういう行動をとってるけど、別にそれが温かみと別に結果としてその行動をとれている。
評価、そういう見られ方をしたっていうことがあって、そこはすごいなんか今聞いてて、
そうなのかな、もしかしたら僕も近いのかなと思いました。
私も上坂さんは、常識はないけど良識はあるよねって言われたことありますね。
何かはない。
みんな何かが無くて何かがあるんだね。
何かが無くて別のものがある3人でね。
僧侶、過人、芸人っていうね。
この3人何なんだっていうね。人狼担うね。
常識が無くて良識がある?
って言われました。
でもなんかわかるかもな。
でも私もそれ言われてめちゃくちゃわかって、
でもそれはこのお二人の話とちょっとずれることだからあれなんだけど、
まあなんか私は優しくしてくれた人に恩を返すとか、
人を大事にするみたいなことはあるけど、
世間一般的に正解とされるものに興味がないよねみたいな意味だと思って。
そりゃそうなんですよね、その通り。
むしろ常識の暗示なんですけど。
なんだっけ?親切?
親切だけど優しくはない。優しくはないけど親切。
愛がないけど人事がある。
今のところ愛なし、優しさなし、常識なし。
愛と優しさと常識がない3人でね。
しかもさ、世の中でまあまあ大事なものがある。
逆にさ、逆にだけど、ジェロさんには仮にだけど常識があったりして、
うかりさんには優しさがあったりして、私には愛があったりするのかもしれないよね。
いや可能性はあるよ、全然。
あゆみちゃんはむしろ愛はどう?
愛はあると思うし、この方、しくわぶんこさんみたいに愛ってなんだろうって悩んだことはそんなないかもね。
私はずっと恋ってなんだろうに悩んでました。
それは自分がアロマンティック傾向があるからってことに最終的にわかったんだけど、
恋のほうがわかんなくて、愛のほうがまあこんな感じみたいな、
おくそくはできるぐらいの感じはあって。
でさ、今2人の話聞いてて思ったんだけれども、
愛ってたぶん2個あんだと思って、1個が自分があげるやつ、もう1個が人からもらうやつの2方向の愛ってものが
混在してるからちょっとわかりづらくなってるような気がした。
でさ、うかいさんのさ、恩をもらったら返すみたいなことをさ、お友達は仁義って言ったわけじゃん。
でさ、それ聞いて思ったのが、うかいさんの誕生日に、私、うかいさんに雑談しててさ、誕生日なんか欲しいもんある?って言ったら、
ホゲータのぬいぐるみって言われたから、ポケモンのね、ホゲータのぬいぐるみあげたんですよ。
そしたら、うかいさんめっちゃ喜んでね、大事にしてくれてるんだけど、
なんか、私の誕生日が近づいたときに、あやみちゃんなんか欲しいもんある?って言われて、
これが仁義じゃん、おそらく。もらったから返す。
っていうその仁義ルールなのかなって今話聞いて思ったんだね。
で、そのときに私がね、手紙っていうめんどい彼女みたいな答えしたんだよね。
手紙が欲しいなーみたいな。
アマゾンそっとじるって。
アイテムで探してるけど、アマゾンに手紙はないし、ポケモンに出たらそっとじるって。
私、ゼロにもガチ声からも、うかいガチ声からも怒られる。
やばいやばいやばい。
うかいガチ声。
いるよ、いるいる。
ていうことがあって、でも私普通に手紙ってものが好きなんですよ。
お友達からも読者のほかからも、もちろんリスナーの方からもらう手紙もすごい大事にしてるんだけれども、
なんか、うかいさんの手紙欲しいなーと思って。
で、数ヶ月後に書いてくれたんですよね。
よりすなの東京のイベントに来られた方は知ってると思うけど、まさかの朗読したから。
結婚式の流れの手紙。
お父さんへの感謝みたいなね、手紙をね、朗読してくれて。
で、私は、うかいさんのあゆみちゃんなんか代わりに、
ほげーたのお礼に欲しいものあるっていう発言は、たぶん仁義のシステムのことだと思ったんだけれども、
実際、うかいさんからもらった手紙は、めっちゃ愛感じたのよ。
それはもちろん恋愛ではない、人間としての愛とか親しみをすごい感じたから、
愛の多様性
うかいさんがわかってなくても、私は受け取ったよっていう話もあるわけ。
だから、送る愛ともらう愛の2つがあって、
なんだろうね、ジェロさんはだから、もらう愛は知覚してるわけじゃんか、みたいな話があるなと思ってさ。
うかいさんももらったなっていうのはある?
もらったなか、あるあるある。
ある?ある?
あるとか言いながら若干大胆に。
ちょっと今ここでないって言われたら、ちょっと場が一瞬シーンとしますけど。
あるということですね。
だからなんて言うか、もっとそれはもしかしたらひどい意味になっちゃうかもしれないですけど、
たぶんその話で言うと、僕が寺を継いだ最終的なきっかけって、
おじいちゃんおばあちゃんとの関係なんですよ。
ここ話はちょっと長いんですけれども、
そこの今の極楽寺の仙台ですね。
もう2人とも亡くならなかったんですけど、
その2人って僕、ちいちい長くてないです。
言ってたね。
そうそうそう。ちいちい長くてなくて、養子として親父が来た。
それとは別に違うところに住んでた母親が出会って結婚した。
だから全然うかいって僕のルーツって全然ないんですけど、
だから親父自身は、継いだの使うのかどっちまでもやるぞみたいな、
悪いやったんですけど、
最終的におじいちゃんおばあちゃんがしてくれたことを、
無理にできなさすぎて。
愛の定義
それが一方では呪いでもあったんですよ。ある時までは。
やんなきゃみたいな。
そうそうそう。なんで生まれてんだよ。
このために生んだんちゃうんかみたいな。
そうだよね。
それはほんまに呪いやったけれども、
でも、それはある種バトンみたいなものでもあるし、
それでも言うても、
ちいちい長くてへん孫を大事にするってやばいなと思って。
確かに。
それをすごく感じた時に、他にもやることないしなっていうのもあったんですけど、
その結果、あの2人もあれはある種の愛やったんかなみたいな。
そうだよね。
そういうのは感じる。
実は最近ようやくはっきりわかってきた感じがする。
なるほどね。
愛を、出力の愛、受信の愛みたいなものがあるという話を聞いてて、
自分のイメージとして何か浮かんだのが、
ハートマーク、愛のわかりやすいハートマークだと思うんですけど、
ハートマークって、赤くて出っ張ってるイメージがあるんですけど、
実はあれって赤い穴なんじゃないかっていうのを今思って。
ちょっと座りますね。
ハートマークは赤い穴なんじゃないかっていう。
それはつまり、入ってきていいですよっていう。
あなたに対して赤いハートマークが見えてるということは、
あなたの何かしらを出力してきていいですよっていうことが、
ハートマーク、メガハートとかって、
そういう状態なのではないかというふうに、
実は与えると受けるがあるよねって言ったような話をすごく思って、
僕の場合は、僕の場合の愛の認識は赤い穴だなって今思いました。
そこにあって入ってくるものだっていう感覚があったのが。
その説でいうと、ジェラさん受け取り線だけど大丈夫?
そうなんですよ。
だから僕の中でハートのドキドキ、ハートが出っ張ってるみたいなもので言うと、
僕はあんまりそれを、
自分の行動としてそれを積極的にできたことはないのかなっていう意味では、
このハートの出っ張り、赤い出っ張りということはあんまりできてないのかなっていうふうにも思いました。
じゃあだから、
ハートというものの中央があって、
出っ張ってる側とへこんでる側があり、
人それぞれその両面があるけど、
得意不得意があるよね的なことなのかな。
赤いハートマークが見えてるが、
これは別に出っ張りとして存在してるわけではなく、
これは穴であるという感覚が。
でも確かに絵文字とかだとあたかも出っ張ってる風に表現される。
世の中にそれで愛は出っ張りであるっていう。
確かに出力のイメージが強い。
愛は人に出す、出力するものだというイメージがついてるけど、
実は愛って来ていいよっていうことでもあるんじゃないかというふうに。
愛の表現
今の説踏まえると、
アイドルたちがしきりにハートマークやるのってすごい哲学じゃないですか。
来ていいし、あげるよみたいな。
どっちか知らないけど。
あげる派と受け取りたい派がいるのかなとかって思いましたけどね。
なるほど。
でもみんなさ、今聞いてて思ったけど、
あれじゃない?2人とも受け取るほうが得意そうだったじゃん。
気づいたらそっちだったというか。
たまたまね、2人がって話だけど。
私1個の仮説としては、
もちろん私も受け取ったな、愛をっていうことはあるわけ。
友達や家族からね、あるんだけれども、
なんか、あげてるなっていうのも自覚あって。
私、愛の出力に関しては正直、
定義とかラインとか、数値があるわけじゃなくて、
なんか、俺が愛だって言ったら愛だっていうのが愛の出力だと思うんですよ。
はい。
ただ受信に関しては、受信者が認知しないと、
それは愛にならないっていうのが落とし穴なんだけど、
出力に関しては、俺が愛って言ったら愛なんですって思ってるので、
私は、私にとっての愛は、
毎年健康診断に行ってもらうとか、生きててほしいからとか、
もし頼まれたら理由も聞かずに10万貸すとか、
あとは、悩んでる時に話をいくらでも聞いてあげたいと思う気持ちとか、
あとは、うちの猫に対する毎日触ったり餌をあげたりする時の気持ちとかを、
私が勝手に愛判定している。
けど、実はそれが愛ってことでいいんじゃねって思ってる。
なるほど。
愛として受け取られようが恵まいが、
こちらの出力を愛と名付けた時点で、
それはもう愛で良いんだという。
そう、愛で良いと思ってる。
っていうのは、私は恋がわかんないからこそ、
愛に関しては結構敏感でというかね。
何笑い?
それすごい分かった。
分かった。全てが分かりましたから。
そして、自分がつまずいてるのは、
それが果たして本当に愛というもので伝わってないか、
大丈夫か迷惑かけてないかっていう不安の上で愛が出せてない。
でもそういうのありそう。
もう自分で愛だってしちゃってなかった。
そうしたいんだが、それは迷惑なんじゃないだろうか。
みたいなところで、いつも出しそこめている。
そうだね。結局やっぱり今の説で言ったら、
思い込みの強さ的な話だから。
同時に歪んだ愛みたいな言葉もあるからさ。
私、愛の出力って結局自己判断なんだけれども、
全てが正しいかどうかっていうとまた別かなとはもちろん思ってて、
それを恐れすぎると受け取り線になってしまうというかもしれません。
ジェロさんの出力ベタっていうのは、他の理由があったりしますか?
それは多分自分基準で考えちゃってるからだと思うんですね。
自分基準が、愛はもう受け入れ、
あなたがそのままでいることを受け入れることって思ってるから、
他者に対しても、自分はもうあなたがそのままでいることを受け入れてるわけだから、
もうこれ愛だよね。だから自分では愛判定をしてるんだけれど、
でも結構、確か自分以外の相手においては、
出力をまずしてないよね、あなたはっていう。
鈴木さんは出力をあなたはしてないですよね、ジェロニモさんは、
ということを言われると、いや確かに出力はしてません。
が、私はあなたがそのままでいることを、
愛の出力というか、愛がそこにあるとしているので出力してないということが
ある意味出力なんですけどね、ってなるんだけれど、
いやいや、そもそも出力してないじゃん、っていうところになる。
なるほどね。すごい燃費のいい電気自動車みたいな愛なんですね。
ちょっとでめっちゃ愛だぞと、そういうことなんですね。
でも確かに、愛の出力を自己満足で、
自己満足っていうか自己定義してしまうと、
たかが、の分かりやすさっていう指標はやっぱり出てきちゃうね、とは思った。
多ければ多いほど愛が多い、少ないときは愛が少ないんじゃないかと。
そうそう、なんか相対化されてしまうんだと思う。
過去に人から受けた愛の量とかで、
本当は人それぞれの定義があるのに、やっぱ比べちゃうっていう現象は多分起きてて、
でなんか、私とかは結構その、分かりやすいのかもしれないね、
そういう意味だと、愛の表現がね。
だからたまたま言われてきてないけど、
ジローさんみたいなタイプは、
そんな弱い出力の人見たことないから、
みんなまだ電気自動車乗ったことないから、
たぶんそうだね。
そんなちょっとでいけんすか、みたいな。
昆布だしだけみたいな味なんですよ。
みんな醤油とかかけてくんないと、味わかんないよって言ってたけど、
私は昆布だしが一番うまいと思ってるんで。
でも味しないんだけど、みたいな状態。
同時にさ、ジローさんの昆布だし、つまり愛はさ、広そう。
一人じゃなさそう。
で、私の愛ってめっちゃ限定されてる相手が。
で、なんか愛の話って結構ね、その、
広く浅くか、狭く深くかっていう話結構あると思ってて、
その出力の満足度にそれがかなり関わってる気がしてる感じ。
で、私はジロー系ラーメンみたいな愛をかなり少ない人に与えているので、
あなたの出力はとてもありますね、みたいなことなんだと思うんですよ。
なんかすごい色んなこと思い出してきた。
俺そういう意味では、
俺、愛する時って、その人に対して怒ってる時だと思う。
俺、怒らへんのよ、ほとんどの人に。
で、怒ってる姿はあんまり見られてへんねんけど、
見たことないよ。
怒りと愛
あんまり外つかへんやろ。
だけど、怒るのよ。
で、その時は本当にどんでかしたい。
その人を。
その怒りっていうのは、結構やっぱり自分の主観がすごい出てくるから、
なんか今までのそのなんとなく優しいみたいな感じとかをもう捨ててんのよ。
あ、そうか。
うかいさんあれだもんね。
なんかどうでもいいから優しいみたいな話を前にしたもんね。
そう、そういう部分もある。
だけど、時々その怒る人はいんのよ。
それか、友人であれ昔の恋人でもあって、
いや、あったね。
だからそこなんかもしれん、俺の中って。
ちょっと待って。
あの、怒りがイコール愛、うかいさんの愛だとすると結構怖いんだけど、
いや、怒りイコールじゃないから。
そうじゃなくて、
怒りと発露っていうのが、自分が愛があるかどうかのリトマス試験師だっていう話だよね。
そうそうそう。
あー、よかった。
一つであるし、怒りじゃないの怒ってんのよ。
なんか怒りは僕ほとんどほんまにないもん。
けど、なんか絶対おかしくなるやんっていう心配やん。
その上で怒ってるんやと。
お前このまんまじゃやばいぞ。変わってくれ。
お前のことが好きだから。
というか、そんな姿見たくないから、みたいな。
姿勢かなり近いと思うんです。
僕もほぼ怒ったことがない。
てか、怒ったことがないと言ったら、
挟まれ、私も怒らなくなっちゃう。
世界の現象に対して感情がほとんど動かないっていうのがあるんですけど、
多分それが愛の出力のしてなさとも近いなって思う。
それはあります。
怒りイコール愛情とは思わないけれど、
怒りの出力もできる人って愛の出力もできるのが
多いような気がするんですよね。
そうかも。
感情を他人に対して出すっていうことが
僕はそもそもあんまりない。
ないというか、得意じゃなかったりするから
愛もそれと同様に出力が少ないのだなって今話聞いてて思いました。
愛の本質について
確かに愛って熱量というかエネルギーなのかもしれない。
エネルギーがある。
その総量がでかい人は怒るし愛するのかもね。
その説はあるな。
もう一つ話してもいいですか。
他人の家庭の話なので、
そこまで全てを知ってるとかでは全くないし、
人によって差があるという前提なんですけど、
僕の周りの友人とかと、今30歳なんですけど、
結構人生観みたいな話になってくる。
会話の内容が。
で、転職をするとかになった時に、
もう一度自分の人生をどうしたらいいか振り返り始めてる感じがあるんですよね。
話してると。
ってなった時に、
僕から見た友人とあるじゃないですか、その友人の、
僕から見たその友人って、
すごく人のことを愛するのが上手い人だなって思う。
それは手慣れとかそういう意味ではなくて、
正しく適切に人に対して愛とか感謝を伝えたり、
それで人と友好的な環境を結ぶことがすごくよくできているから、
友達もたくさん多い、親友とかもいる、
素晴らしい人間だなっていう印象なんですよね。
でもその人の話を聞いていくと、
自分は実は家庭環境的に、
実はなんか、
例えば親との関係性があまりうまくいってなかった、実はみたいな。
っていうのがあるから、小学校ぐらいから、
家庭ではない友人関係において、
すごく人と信頼関係を結ぶことが、
自分の居場所つくりにつながってきたんだという自覚がある。
だから大人になって今でも、
人と関係性をうまく結ぶというか、
愛情を、
こちらも出力する、
とにかく人に愛情を出力して、
素敵な関係性になるということが得意というか、
そういうふうに、
そういう適性がずっとついてきたのかもしれない、
というふうに言ってたんですよね。
それが一人のケースじゃなかったんですよ。
めっちゃそれが、
めっちゃいたんですよ、
そういう人が身の回りに。
この人もすごくいいやつだよな、
人を愛するのがうまいよな、
という人に聞くと、
割と似たようなことを言ってた。
実際にどうかは分からないけれども、
本人の方はそういう認識、
親との関係性が実は。
で、なってくると自分は、
そういうものをあまり自覚がないんですよね。
親との関係性がうまくいかなかったところに
虹が全くない。
だから本当に、
つるっと向けたゆで卵の状態みたいな感じがする。
自分のこの愛とか感情の出力というものが。
なんだけれども、
他の例えば、
僕の友人の親との関係みたいなのを言ってた人は、
例えばジグソーパズルみたいな形だと思うんですよね。
だから他者に対して出っ張りへこみみたいなものを
常に探し回っている。
それがぴったり合うことを喜びとしているから、
何か他人のへこみ、
出っ張りに対してすごく敏感だったり、
それを良いとしたり、
それがうまかったりするんだけれども、
自分はそれがないんだな、
みたいなのがあったんで、
さっきの話に戻ると、
愛というものは、
愛を出す人がうまいというのは、
逆に受け取ることもうまいし、
逆にそれが反転しちゃうこともある。
悲しいことを出力しちゃうこともあるし、
悲しいことを受け取っちゃうこともあるのかな、
みたいなのを思いました。
ゼロネモの存在意義
なるほどね。
ゼロネモさんはね、
ゆで卵とパズルに例えると、
パズルのほうが硬いじゃないですか、
ゼロネモさんのほうが硬いよ。
カッチカチのゆで卵かな、みたいな。
いや、もっとだよ。
私はゼロネモさんって、
すごく山だと思ってますから。
前から何回も言ってますけど、
微動だにしないんです、この人。
本当に存在が、
内心慌ててる時とか、
いろいろあると思うけど、
表面上見えないし、
ゼロネモさんがいることで、
その場が山岳のような感じになることってあるんですよ。
で、それってやっぱりゼロネモさんが、
ジグゾーパズルの塊を探していなさがすごくわかる。
なぜなら山は一人で山だから。
っていう、なんだろう、
一人ですごく存在が強固でありながら、
感性されてる感みたいのはめっちゃ思う。
だから、なんていうか、
なんだろうね、これはもう、
受信とか送信の話でもないのかも。
もうそこにある。
なんかこれは、ゼロネモという生き物の特性のような気がしますけど。
私のみのケース。
わかんないけどね。
でも山だとしたら、
木々であったり、
動物たちはその山に住むことによって、
その山を受ける。
またその動物たちが、
その山を耕していくわけだから、
そのサイズ感はちょっと違うけど、
もしかしたら、ゼロネモさんによって、
すくすくと育っていく動物たちがいるのかもしれない。
そうじゃない?
愛の与え方と受け取り方
僕の周りの友達とか、
いいやつめっちゃ多いんですよ。
それでかなと思います。
自分がただそこにいるだけで、
動物たちが。
生態系。
木々や風や動物や虫が、
それでおすこやき。
営みをしてくれるから。
確かにその愛は静かな。
でも私、ゼロネモさんって、
後輩愛結構あるのかなと思ってた。
人間横丁のお互いとか、
仲良しじゃない?
あの関係、お三方の関係とか、
すごいいいなって思ってたけど、
あれは愛とは思ってない?
あれも出力してるっていうよりも、
入ってきていいよみたいな感覚に近いですね。
具体的には後輩にご飯を奢るとかもあるわけですよ。
あるんだけど、別にそれは、
自分が何かをしてあげてるっていうよりも、
彼らに対して、
しんどかったらこちらに流れ込んできても、
よかですよみたいな感覚っていう意味で、
奢るときとかはそういう感覚なんですよ。
与えているっていう感覚はあまりないんですよね。
山じゃんかよ。
つらかったら来ていい山じゃんか。
山だよな、かもしれないですね。
山すぎるな。
山すぎるよな。
さすがに山すぎ。
森越えて山。
草越えて、丘越えて、森越えて山。
山でしたね。
鈴山ジェロニモだね。
木ではない。
木ではないね。
なるほどね。
ちょっとお便り戻りますと、
今お話ししたみたいなことが、
愛ってどういう感情ですか?のうちらなりの考察で、
もう一個、それが最初に自分の心に自然と芽生えた時のことって覚えていますか?
という質問なんですけど。
さっきの僕のレイヤーとしたら覚えてないよね。
こうやって改めて、あの時のあれは愛であったんかみたいな。
はあるね。
あと、私、昔ちょっと発達心理学の本ばっか読んでた時期があって、
それで言うと、基本的には幼少期に身近な保護者や大人から、
適切な愛情を受け取ることによって子どもは育っていく。
つまり、愛という言葉を認知していない段階から受け取るっていうのが愛なんですよね。
健全な発達においては。
なので、多分大体の人が覚えてないんだろうなとは思いますね。
受けるってなったら覚えてないよね。
気づいたら受けていたっていう。
受けていたっていうことだと思うけれども、
さっき言った出力側の愛に関しては、
私、明確に覚えてますね。
25歳の人間になったときぐらいですね。
愛によって進化した。
そうなんです。
人間って愛が大事だってわかったんですよ。
それはやっぱり、自分が受けてきた愛をはじめて、
愛だったんだって認めたから、
じゃあ自分も与えようみたいな。
もしかしてそれはうかいさん的な仁義かもしれないけど、
いや、でもこれは私の中で愛ってことにします。
これは愛ですって思ってやってるって感じ。
でもうかいさんもおじいちゃんおばあちゃんの愛を自覚したことによって
自分もやろうってなったわけだから、
そういうポイントはあるかもしれない。
もちろん両親もあるし、友人、知人もあったんやもんな。
そうやって考えたらどんどん出てくるような気がする。
ジェロさんのそのままのあなたを肯定しますというのが愛である
という結論はいつ出たんですか?
恋人ができて付き合っている中で、
自分が恋みたいなものがどこに向かっていくことを目指していったんだろうと思ったら
それなんですよね。
愛が別に、ただそこにいるだけの個人としての幸せの追求を許し合うみたいなことが理想だなと思ったんですよ。
別の山の話してる?
俺は山だし、お前も山ってこと?
っていう状態の山2個あった方が良くねみたいな、山脈の方が良くねみたいな。
生態系多い方が良くねみたいな。
みたいな感覚になったん、それ自分の中で。
でもそれは、自分以外においては必ずしもそうじゃないんだなと思いました、同時に。
自分はそうであることを理想としたけど、ある人にとっては山になることじゃなくて、
そこにやってくる動物として何かを出力することの方が愛じゃないのかということにもすごくなったんで。
みんなは山ではないからね。
それ気づいたら何歳?
20後半とか、28とか。
折り返し最近じゃない?
折り返し最近。
じゃあ山だって知らなかったんだ。
知らなかった。
全て山になっていくのかなと思ってた。
全てが山になる。
全てが山になる。
そうじゃなさそうだね。
山氷野。
全ては山にならないよ。
だって私山みたいな人間初めて見たもん、33年生きて。
それはめっちゃ良さそうだね。
自分はもう山の30年しか知らないから。
そうだよね、山だからね。
でもそれが本当に1人1個ずつそれは多分違う。
厳密には全く違う価値観であるんだなと思いますね。
いや、そうだね。
でも私も、自分ってこんなに人と違うのか。
自分の当たり前って違うんだみたいなのは確かに25以降とか20後半くらいで、
自分って怪物だったんだとか気づいたから、
そういうね。
そうですね、サンプル1しかわからない。
知らなかったからね。
やっぱ社会出てちょっと経ってわかってきましたね。
そうですね。
なるほど。
愛の定義について
話し残したことなど。
話し出すと丸々1本あと1時間くらい喋れちゃうんで、触りだけなんですけど、
その愛の、自分以外は山じゃないんだみたいなのを気づいたと同時に、
面白いっていうことだけが自分の中の出力の評価、それだけだったんですよ。
その出力は面白いかどうかっていう判断しかなかったんだけれど、
いや世の中には出力に対して愛おしいかどうかっていう判断、評価ポイントがあるなって気づいたのも同じくらいの時期で、
自分は物事の出力は面白いのみの採点だったんだけれど、
意外と例えば、アイドルを推すとかって愛おしいという点での出力への評価があるなっていうように、
ほんと30歳で最近そうなんじゃないかと思い始めたっていうのがありました。
それもあって、愛の出力というのが下手だったら、
愛を出力しても面白くなくねって思ってたから出力してたのかなと思いました。
愛の出力は愛おしいっていうこと。
それは愛おしいことだっていう評価が分かれば、出せることもあるのかなみたいな。
やめてよ。
いやーこれ刺さるなー。
私もね、世界は面白いかどうかだと思ってましたよ。
ほんとに。
てか前、居酒屋でこの話したね。
しましたよね、そうですよね。
いや、そうなんですよね。
意外と愛おしさって、あの強いエネルギーなんだってことなんですよね。
そう。
そうだね。
大事だわ。
大事だ。
ちょっと後で書に書こう。
今のは書に書いてハロー。
すべてが書になるんです。
すべてが書になる。
いや、マジで。
書ってほしい。
なるほど。
なるほど。
ちくわぶんこさんに言えるのは、恋って何?とか、愛って何?とかって多分ね、
よりすむ聞いてるようなやつは一生考え続けるの。
で、別にないの。
なんかこんな感じかなっていう落とし心をそれぞれが見つけるだけで、
別に世の中の答えとか共通解はないんです。
なので、この偏った僧侶過人芸人の話を聞いて、あなたはどう思いましたか?ということで。
はい。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
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