00:00
皆さん、こんばんは。横浜美術館塾オープンスクール本の教室のプレ講座、本を見ること、アートを読むこと。
そして、これがラジオ美術館の公開収録も兼ねているんですけども、お越しいただいてありがとうございます。
私、本日の司会を進行させていただきます。早川陽平と申します。よろしくお願いします。
そしてですね、今日お二人メインのゲストを来ていただいてますけども、手前にいらっしゃるのが富本博さんです。よろしくお願いします。
そして、奥にいらっしゃるのが幅允孝さんです。幅さん、よろしくお願いします。
幅さん、よろしくお願いします。
改めてですね、お二人のプロフィールを簡単にご紹介したいと思います。
手前の富本博さん、1973年新潟生まれ、武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。
日用品の仕様と原理的な彫刻の両立を試みる。アーカススタジオ、モッドアニュアルなど展覧会多数。
そしてですね、今ちょうど開催中の横浜鳥屋になれ、2011年にも出品されています。
そして幅さんですね、幅義隆さん、バッハ代表、ブックディレクター。
人と本がもう少し上手く出会えるよう、様々な場所で本の提案をされています。
羽田空港の東京ズ東京や双子玉川45Rなど、ショップでの選手や戦利リハビリテーション病院のライブラリー制作など、
その活動範囲は本の居場所とともに多岐に渡るということですね。
そんなお二人にこれからいろいろお話を伺いたいと思います。改めてよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず幅さんにちょっとお聞きしたいんですけども、ブックディレクターっていうのはこれは簡単に言うとどんな仕事なんでしょうか?
なんか自分では実は名刺とかにも書いたこともなければ、名乗ったこともないから、なんか恥ずかしいんですけど、カタカナ職業みたいなんでね。
もともと僕は本屋さんで働いてたんですよ。青山ブックセンターの六本木店っていう、六本木の交差点の階段登ったところにある本、
デザインとかアートとか建築とか。
よく行った。
ありがとうございます。そういう本のバイングとかね。
でもバイングではそんなだけじゃなくてエプロンしてレジ入ったりとか返筆、そういう本屋さんの仕事を実は2002年までやらせてもらってました。
だけれども2000年を超えたくらいですかね、人があまり本屋さんに来なくなっちゃったんですよね。
理由はいくつかあって、だけど一番大きいのはやっぱりeコマース、まあ簡単に言うとアマゾンで人が本を買うようになってしまって、
それであまり人が本屋さんに来ずに、さらに言うなら出版布教みたいなところも重なり、
人があまり本屋さんに来ないんだったら人がいる場所に本を持っていくしかないなっていうような感じでこういう職業を始めようと思いました。
ただいきなり思っただけでは仕事は始まらないんですけれども、2004年六本木ヒルズっていうなんだか大きな施設ができたときに、
津田屋東京六本木という初めて津田屋が外部スタッフを招聘して作ったお店がありまして、そこの僕はそのMDとか企画監修、
まあ要はそこにどんな本を置くのか選ぶっていうようなところを、その一冊一冊の選書からもっと大きな、どういう本を総合書店にするには小さすぎるからどういう本を選ぶのかっていうそういうようなところを企画したりとか、
03:00
そういうお仕事をしているうちに、なんだかこう本屋さん作りたいんですけれどとか、全然異業種なんですけれど本を置きたいんですけれどっていう人から連絡が来るようになって、
なんか仕事になるかもと思って、なんとか生きながらえて。
当然そのコーナーだったり、場合によってはライブラリーだったり、あと本そのものも作られてると思うんですけども、その活動の範囲って多分最初から決めてるわけじゃないと思うんですけども、どんな感じで展開されてるんですかね。
レンジは自分では決めてないです。ただ逆にやっちゃいけないなっていうことは決めていて、それはやっぱり本の読み方を規定するっていうことですね。
本の読み方を規定する。
つまりこの本はこういうふうに読みましょうっていうふうに言われすぎてしまうと、そういうふうにしか読めなくなっちゃうじゃないですか。
面白かったよって言ったら、これ面白がらないと私バカなのかなみたいな気持ちになっちゃうじゃないですか。
やっぱり本って僕いいところはその余白というか、千人読んだら千通りの読み方があるというか、受け取り方があるっていうのが一番僕は本のいいところだと思うので、そういう意味でこういうふうに読まなければならないとか、そういう規定だけはしないように。
ただ一方で先ほども言ったように、なるべく知らないものを手に取ってほしいっていうようなところはあるので、何ですかね、自分の仕事としてはなるべくいい匂いというか雰囲気をたたえて配置するっていうんですか。
やっぱり僕らができるのはここに本を一冊置くっていうことしかできないんだけど、それをなるべくモワンといい匂いがあって、自発的に読めって言われて読むんじゃなくて、自発的に手に取りたくなるような環境をどういうふうに設計するのかという、設計って言うと偉そうなんですけど、そういう環境をどういうふうに整えるかっていうことが一番大切だと思ってます。
それは実は最近思うんだけど、本を選ぶよりも差し出し方の方が重要なんじゃないのかなとすら思うようになってきました。
差し出し方?
いや、つまり同じ本でも差し出し方によって相手の受け取り方って全く違ってくるんですよ。
例えばなんですけれど、羽田空港、僕らがやってる東京都東京という第2弾目の3回にあるお店があるんですね。
そこは羽田空港から出発する人が持ってく旅道具と羽田から帰る人が持って帰る東京土産を売る雑貨と本のお店なんですけれども、本はですね、壁一面に本棚があってそこに入っています。
で、どういうふうにセグメントされて、本棚がセグメントされてるかっていうと地域別なんですよ。
北海道から始まって東北で、四国、九州、沖縄まで。
で、要はこれから出発する人が沖縄行く人とかだったら沖縄のコーナー見てこれ役立ちそうだなとかそういう本を、しかもなるべく少なく、つまりタイトル数を絞って見せるんですよね。
東北地方に行くときに持っていくべき本、ベスト1、2、3みたいな、あえてもう日本人ベストなんとかとかすごい好きだから、ベスト10の影響なんでしょうかね。
あえてそういうような差し出し方をする。
つまり空港っていうのはチェックインの間則によってどんどん人の滞留時間が短くなっている。
昔だったら国内線も1時間前に行かなきゃだったんだけど、今なんとか20分前でも乗れちゃうような世界になったので、人が本を選んでいるような時間はない。
06:06
出会わせるタイミングは少ない。
だとしたらあえて少ない本を選び、でも東北地方にこんな本をっていうような打ち出し方で、例えばあるとき、風の又サブローという本を東北地方の1位に置いたわけですよ。
もちろん数量的に売れてるのはルルブとかなんですけど、別にそういうのは大手書店とかに売っていただければよくて、別にその数量なんとか、日本が正確に調べた数とかではなくて、うちからのメッセージとして東北地方1位はまたサブローでしょみたいな。
やっぱり僕としてはそれ短い話なんだけれど、読んで東北の岩手というわけでどこかの空港に降り立って、ピューッと風が吹いてきたらまたサブローって絶対感じてくれるかなって思って、それでやったんですけど、そういうふうに差し出すとものすごく久しぶりとか、まあ教科書で読んだけどとかいろいろな感想はありつつも、それを手に取ってくれる人が多い。
作品とかもやっぱり差し出し方なんで、作品を見てくれじゃなくて、どう見せるかで、場所によっても同じ作品も全然違ってくるし、そういうのは横浜美術館に限らず、美術館の収蔵品をね、美術館も今は新しいものばっかり入れられないから、もともとあるものを利用してるっていうのが多くなってきてて、横浜美術館は結構それよく率先的にやってる方だと思うんですよ。
置かれ方とか、先の並び方とか、お題展覧会のタイトルの出し方によって、常設だとなんてこりゃみたいな、絵みたいなのが全然違って見えんですよね。
風の窓サブロを普段見なくても、空間をちょっと変えるだけでね。
羽田空港という地場で、こっから旅立とうっていう人が見ると、はーってきちゃうみたいなのはあると思いますね。
だから、僕最近すごく富井さんのそのお話を受けてては思うんですけど、なんかやっぱりそのものももちろん重要なんですけど、それをどういう文脈に並んでるかとか、その編集の仕方っていうのがやっぱりすごく重要なんです。
セレクトよりエディットの重要さみたいなのはすごく気づくところだし、逆に例えば物を売るとか売れないとかいうのをよく世の中で聞くんですけど、
たぶんその商品そのものを売る売らないとかいうより、やっぱりその文脈をどれだけ相手に伝えようとしているのかとか、物一個で伝えられないんだったら、その周辺のものをどういうふうにこう作ってね、メッセージにしようとしているのかみたいな、
なんかそういうのってすごく全部やっぱり本当は絡んでくるものなので、それもなんか全部受け入れる。
しかもそれをサイトスペシフィックとかそういうアートの言葉で片付けちゃうんじゃなくて、単純にそのものとしてそれがそこにあったときに普通の人が普通に見て、つまりうちのおかんみたいなのが普通に見て、おーいいねっていうか、そういうところだと思うんですよね。
でも出会い方がすごく重要で、今の時代は特にその出会い方がもう一番重要なポイントになってきているというか、物があればいいっていうちょっと傲慢なあり方っていうのは、ちょっと通用しなくなってきているというか。
09:04
それはやっぱり富井さんの作品とか見ててもそうですよね。
そうですよね。
単純にその物がポンっていうよりはって。
ちょっと聞いてて、僕も自分でもう一回意を新たにしてねって思ったんですよ。
自分の個展をやるときっていうのはだいたいメニューだと思って並べるんですよ、作品のセレクト。
よく聞かれるんですよね、どうやって展示考えてるんですかとか。
で、そう考えるときにだいたいいつも空間がまずあるんですけど、正直やりやすいのは通路上の方がやりやすくて、どうしても入る導線がストレートに前から進んでいくので、メニューの出し方が決めやすいんですよね。
じゃあ前菜はこちらにしてみたいな、デザートはここみたいな。
そんな感じです。軽い素材でちょっと見せておいて、そこでちょっとそれを見てる目の小脇のところにちょっともう少し食べたくなるような。
場合によっちゃ展示空間とか、僕のその時に置かれてる立場とか、全然無名の頃であればいきなりメインディッシュをガンガン出していくとか、
あえてメインディッシュを一切出さずに前菜だけで技術を見せ切るとか、いろいろ考えるんですよね。
そういうのはやっぱりすごい大事で、ただあればいいっていうより、その辺の人の引っかかりというか、どう見せたらどう伝わるんだろうとかっていうのの仕組みを考えたり、差し出し方を考えるのが実は一番好きというか。
僕も好き。僕それなんかおもんぱかりっていうことだと思っていて、ちょっと古めかしい言葉なんだけれど、その察するというか、察するよりももう少しちょっとこうなんだろうな、呼吸深く熟慮するっていうイメージがあるんですけれど、おもんぱかりという言葉に関して。
なんかね、そのやっぱりおもんぱかって差し出すみたいなのは、なんかね、一番僕も重要だと思ってます。