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じゃあ、もう少し年齢的には上の佐々木さんは、こういう中に入ってこその醍醐味とかありますか?
ありますね。今の話もそうですけども、実は日本の戦後の教養の水準というのは、年代ごとに落ちてるんですよね、はっきり言うと。
さっき、藤本一弥の本が、すごい漢字の自己がいっぱいあるっていう話をしましたけども、あれは戦前の教養人だったら読めたわけですよね。
それが60年70年経って読めなくなっていると。
それは、今の原三溪市民研究会の方々の話を聞いていても、私より10年上、20年の上の人たちが常識として知っていることは、もうすでに私の年代では常識ではないということが結構あるんですよね。
多分、私の下ではもっとそうなんでしょうけども。だから、年代を超えて交わるということは、とても大切なことだと。
しかも、低下しているということを身に染みて、自分も含めてそうなので、そのことって本当にどうなんだろうと。
これは個人だけの問題ではなくて、もちろん個人としても恥ずかしいし、日本のもっと広い意味で言えば、日本人全体の教養とか教育とか、そういった問題とも関わってくることなんですけども、そのことをいくたびに感じるんですよね。
そういうことを感じるというのは、普段同じような年代の人と、あるいは同じ会社の中で、同僚の中で話だけで話をしていても、インナーサークルではそういうことは気づかないわけですよね。
そのことに、世代を超えた研究会、しかも関心がみんな同じところに集まっているので、話はいつも深くなるわけですよね。
だからこそ、そういうことがわかってくる。
世代の差や年代の差を超えて伝えてもらえるものがあるからこそ、より深く知る。
そういう意味で、市民研究会の役割というのは、私にとってはとても大きいと思うし、だから緊張しなくてもいいせいもあって、林読会はとても楽しみにしていて、それからイベントの話もありましたけど、イベントもやっぱり一人で見た時の、一人で見てああっていうことじゃなくて、その仲間がいろんなことをしゃべってみてですね。
やっぱり例えば、古材に興味のある人がこの木は何だとかですね。
そうですね。植物にすごく詳しい方がいて、植物博士という方がいて、この間のウォーキングの時にもう街路樹のこの木を指して、これは何の木なのよとか、サンゴ樹というのよとか教えてくれると、一気に世界が広がるような気がしますよね。
リテールの事実を知るということはとても大切なことなんです。見学では一番重要なことなんですけれども、それを一人が全部知るということは不可能。
建築の専門家はいるけど、建築の専門家は植物のことはやっぱりわからない。そういうことが総合的にスタリーツアーなんかに聞こえてくるということは、えがたい経験だと思います。
久保さんもマニアックとかって言ってましたね。この回はマニアックだとかって言ってましたね、いつか。
それはどういう意味で言ったんですか?
例えば観光地に行っても観光的なものは見ないっていうことですかね。お寺に行ってもひどい時なんか敷地にちゃんと入らないで、石碑だけ見て帰ってきたことありましたよね。
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それは産経のおじいさんの高橋強尊の石碑が作られているところですね、岐阜の。
興味がはっきりしているので、岐阜の全学院の庭にあるおじいさんであった高橋強尊の墓標を見たい。
それを読む?
そのために行って、なぜか誰も見てないような墓標に我々だけが群がって。
本当はお寺の中に入れば本堂もあるし、普段は見られないような従業文化財もあるらしいですし、小牢も変わった素敵なものがあるんですけど、なぜかその時はそれを見ないで帰ってきてしまった。
それはもうマニアックとしか言いようがないのではないでしょうか。
佐々木さんは他のフィールドでもいろいろ活躍していらっしゃるじゃないですか。
今後の市民研究会とか、私たちが見つめていきたい方向性とか、何かありますか?
横浜市民でさえ原産経という人同士とかほとんど知らなくなってしまった。
私は東京在住なんですが、東京だと横浜よりもさらに距離があるんですよね。
ですから産経に行ったこともない人も多いし、まして産経が人の名前だったなんてことは、横浜市民はまだかろうじて人の名前ぐらいは知ってるかなって感じがするんですが、東京ではそれすら失われてるんですね。
原産経がということではなくて、例えば今回の震災で言えば、東京の震災復興よりも実は横浜の震災復興のほうが大変だったと言われてるんです。
なぜかというと、限られた狭いエリアで全部失われたというのは、実は横浜のほうがひどかったわけですよね。
それから移出貿易港という港の機能が損なわれたということで、実は東京よりも堆積が大きかったということが、東京の復興した後藤新平よりも実はもっと大変だったということが、この2011年という年に本当はもっとクローズアップされてますし、
そういう意味で単に産経を作った人だということではなくて、公共とは何かとか、あるいは政治がするべきことって一体何なのかということを、
一から考え直させる人の足跡をたどるツアーというのを、今知的好奇心にあふれた、この研究会もそうですけども、時間はあると、工学心もあると、でも対象が見つからないという人が実はたくさんいらっしゃるわけです。
そういう人たちに横浜で、中華街と港の三重丘公園が飽きた横浜好きな人たちに、あるいは横浜にもっと深く知りたいという人たちに、原産圏の目を通して横浜を歩いてみましょうと。
そういうことでいうと原産圏を見るだけではなくて、木戸検査所の建物だったり、あるいは今残っている低山倉庫であったりとか、あるいは横浜国大に行って明強資源費を見てみるとか、あるものをつないでも実はまだまだあるんですよね。
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それを1日かけてみて、それもちゃんとボランティアガイドがついて、歩き終わると原産圏という人のことがわかるというようなことを、もっと積極的に定期的にやっても十分人が集まるのではないかというふうに思っていますし、
これはちょっと個人的な夢なんですけども、原産圏を買うにはちょっと高いですね。
1万6千円もしますので。
それから読み切るのも大変です。
私は実は新書ライターなんですね。
そうなんですか。
コンパクトにして。
これは私がやる仕事ではないのかもしれないし、むしろ市民研究家でやるべきことだと思うんですけども、
実は今月、さっき言った後藤新平という新書が出て、彼については電気もいっぱい書かれてますけども、後藤新平だけに新書を出させていいのかと。
やっぱり原産圏さんについても、新書サイズでコンパクトに、でもそれを読めば、私たちが苦労して今やっているようなことをコンパクトにわかるということは、やっぱり原産圏横田園で終わりではないということで言えばですね、
特に知られていないだけですね。そういうことはお手伝いができたらというふうには思っています。
いろんなお話を聞いてきたんですけれども、かなり楽しみながら、しかも自分だけじゃなくてみんなとそれを分かち合いながら、新たな知的な好奇心を抱きつつ進んでいるというのが今の研究会の現状でして、
横浜美術館からこれは誕生したし、長いこと横浜美術館の会議室というのを使って、読み解きの仕事、作業をやって本が出たわけですけれども、その後2010年から市民メンバーが主体になって、
ちゃんと会長とか副会長とか、あるいは運営委員会とかっていうものも作り、そして会足のようなものも作り、会費も徴収してという非常に自律的な動きにシフトしてきたんですね。
なかなかたくさんの市民グループだとか、いろいろな愛好会とかっていうのは生まれるんですけれども、なかなかそういうところまでいかなかったり、何となく一時は盛り上がったんだけれども、いつの間にかみんな高齢化をしたりとか、一人抜け二人抜けって何かいつの間にか消滅しちゃったっていうようなケースも多いので、
そういうふうにはしないで、なんかもっと若い人たちにもつないでいきながら、この先5年とか10年とかっていうのを見定めていけたらいいなという、私たち全員の願望をここで表明をして終わりたいと思います。ありがとうございました。