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2012-01-03 11:07

vol.5-3「多くの人を惹きつける、原三溪市民研究会の魅力」原三溪市民研究会

後半は、猿渡顧問がインタビュアーに転じ、会員の久保いくこ氏と佐滝剛弘氏にお話しを伺います。世代も職業も違う二人が三溪に興味を持ったきっかけはそれぞれ。二人をつなぐキーワードは、同会発足において重要な役割を果たした藤本實也著「原三溪翁伝」でした。※現在の年会費は5,000円です。











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今度は、私が聞く側に立って、久保さんと佐々木さん、いろいろねほりはほり聞いていきたいと思います。
久保さんは、研究会が立ち上がったときというか、最初に会員を募集したときに応募をくださって、それからかれこれ4年間ですか、ずっと会員でいらっしゃる。
佐々木さんは、藤本実也の産経要伝という本が出た後、加わってくださって、まずはお二人に同じ質問をしていきたいなと思うんですけれども、
さっき言ったように、市民研究会といっても、1万円もの会費を払わないと会員になれない。
1ヶ月に1回の割で元原稿を読み解いていくという地味な会ですし、お金もかかるし、一体本当に応募してくださるのかしらと、こちらとしては心配だったわけですけれども、
久保さんは、どういうような関心を持っていて、あるいは何を期待してというか、この会の会員になられたんですか。
原産経といえば、矢代幸夫の書いた本で読んだことがある人だという認識はあったんですね。
矢代幸夫さんというのは、ちょっと説明していただくと、どういう方なのか。
西洋美術史家で、昭和の時代に活躍した人です。横浜生まれで、神奈川県立第一横浜中学校という、
この地元の中学校を出た方で、現在の希望が丘高校にあたるんですね。
それで、サンドロボティチェルビ研究で、ヨーロッパで尚派生。戦後は文化財保護委員会とかに入って、
西洋美術も詳しいし、日本美術も詳しいという、美術史黄金時代な感じの時代を生きた研究者の人なんですけれども、
高校に入った時に、矢代幸夫が卒業生だという話をする先生がいまして、
自分の大先輩だった。
で、矢代幸夫はいい人なんだって、耳元でささやく美術部顧問がいたんですよ。
それで、私の美術編歴というタイトルの矢代幸夫の自伝的な本を読んでいましたら、
原産系という人がいて、美術品のコレクターで、どうも矢代幸夫はその人にかわいがられていたらしいということは知ってましたね。
実際に入ってみて、期待にあってましたか?自分が予想していた回と。
一番最初は三軒苑のツアーがあったじゃないですか。
それで、これは面白いかもしれないと思ったんですけど、だんだん分厚いコピーの束が出てきて、これを読むのだという話になって、
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そうなんだって気づいたのは結構後ですよね。
でも、まだそれは出版されていない原稿で、これから活字にするんだ。
そして宇津美先生が、まだ活字になっていないこの本があちこちにすでに引用されていて、それもきちんと引用されていないことにとても義憤を感じているというスピーチをなさったところがとても心に残っていて、
そういう貴重なものをコピーですけど、手稿を直に見て作業して、私たちが活字化するんだというところはとても魅力でしたね。
佐々木さんは、その本ができた後、つまり魅力が多分半減してしまった後に参加されて、
その時は何かきっかけとか、ご自分の産経園とか原産経という自分に対しての関心があってのことですよね。
私は群馬県に3年間勤務しておりまして、その時に、洋産と製糸の歴史と現在について、個人的な興味でずっと勉強してたんですね。
富岡製糸場というのは、4代にわたって受け継がれてきた、今130年を超えて残っている非常に貴重な建物なんですが、
バトンをついた1人が原合名会社だった。最初にバトンを持ったのは政府だったので、これは当然なんですけども、その後が三井、原、最後が片倉製糸。
三井も片倉も名を残していて、とても有名なんですけども、私にとっては原合名会社というのは聞いたこともない会社だったんですよね。
今はそんな会社もないだろうと。三井も片倉も名前も変わりましたけども、今も一応残っているということで言うと、原って一体何という感じだったんですね。
でも原の40年がなかったら間違いなく富岡製糸場は今に残らなかったわけですし、今富岡製糸場は2014年の世界遺産登録が、ほぼ時期もはっきりしてですね、
これからますます脚光を浴びてくることが間違いないんですけども、その時そのリレーをした一つ、しかも一番知られていないことを知るのに、この本はとても役に立つに違いない。
それからこれを書いたのが藤本実也さんだったんですが、彼はさっきも話が出た、開港特技と貿易という名著を書いているだけではなくて、富岡製糸場史も書いているんですね。
藤本実也という人にも興味があったんです。
宣伝にそういった本を立て続けに名著と言われる本を、あるいは富岡製糸場の歴史をきちんと書いた人が、どんなふうに原産経のことを書いているのかということはとても興味があったし、
900ページの本を見たときに、これは一人では読みきれない。
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しかも1ページ見るだけでも、自分が聞いたこともないような熟語が間違いなく10個は入っているような本なので。
やっぱり60年以上前に書かれた本なので、漢字がたくさんあるんですね。
あと熟語もたくさんあって。
今の辞書に載っていないようなね。
緩和辞典を引いても3つぐらい行くと、一番古い緩和辞典に載っているかなという程度ですよね。
それはやっぱり自分一人で読み解くよりも、大勢で読んでいったほうがいいだろうということで、お力を借りたいと思って入りました。
こういう様々な活動の中で、何が一番自分にとっては面白いかとか、私の一押しの活動はこれだったというのは、久保さんはいかがですか。
今やっている活動の中で何が一番。
そう言われるととても難しいんですけど、一番ベーシックなのは臨読会じゃないですか。
原産系横伝を次回は誰が発表するって決めて、何ページ読むって決めて準備してきて、
臨読会の日にその人がみんなに発表する、どんな内容だったかをみんなに分かるように説明するっていう会をやってるんですけど、
それがあるので、自分が担当したところなんかは詳しく読みますし、
そこから派生して自分で全くわからないことを調べたりということがあるので、一番大事なのはそうだと思うんですよね。
佐々木さんも何か特定の関心とかありますよね。
臨読会毎回こんなことまで調べて、本も900ページで読むのだけでも大変なんだけど、
そのバックにあることも合わせて勉強されて研究されて発表されている。
それを聞くことは、本を読む以上に何倍も何倍もことが分かってくるということが素晴らしいんですけども、
最終的に私はさっき言ったように関心があるのは、なぜ彼は富岡製糸場を経営したのか。
なぜそれを建物を壊さないで片倉に引き継げたのかということなんですよね。
片倉さんだったら残してくれるということを見込んで、建物を含めて残してくれるということを聞いていたので、
そんな人って、企業経営家でそんな人って普通考えられないわけですよね。
今でこそ世界遺産になるかもしれないと思うから貴重だと思うんだけども、
もうその当時から次の世代に残すべきだということを彼は分かっていたんですね。
なぜそういうことができた人かっていうことは、実はこの産経王伝を読むと、
それは単に富岡製糸場だけではなくて、貴重な建築を集めて産経園を作ったり、
あるいは色んな絵のコレクションを集めたりしたことと相通じている。
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彼は自分の目でいいものだと思ったものを、ここは金に射止めをつけず残そうと。
そういう人だったということが産経王伝を読むと、全体として分かってくる。
この人だから残せたんだということが、富に落ちたのは、この本を読めたことだし、倫禄会で学んだことだったんですね。
そこが一番の関心事だったし、その関心事がある程度、そういうことによって分かってきたということかなと思っています。
産経市民研究会自体の魅力とか良さとかありますか。
そういう魅力とか良さっていうのは、むしろ日頃の倫禄とか飲み会じゃなくて、イベントで発揮されているような気がするんですよね。
数は力なんですよ。
例えば、昨年箱根小田原ツアーに行きまして、秋ごろ、原産経が持っていたと言われている別荘で、
ゴーラ公園の中に白雲堂という茶室があるんですけど、
多分ああいうところに一人で行ったら、ちょっと中入ってみるのも遠慮しちゃうし、
外側からチラチラって見て、うわーって縦看板読んで、あ、そっかそっかって言って帰ってきちゃうと思うんですけど、
我々団体で行きますよね。おばちゃんたちが集団で行きますよね。
わーって言って勢いで中に上がり込んじゃったりとか、じゃあ畳に寝そべってみましょうかみたいなこともしますし、
写真撮りまくったりとか、周りがお友達だからこそ、自分は遠慮しなくても大丈夫っていうところが。
産経さんが寄りかかっていた柱はここかしらとか言って、実際にその柱に寄りかかって本を読む真似をしたりとか。
そうそう、でそれを写真に撮るとか。そういうことができるのは団体だからなんですよ。
しかも原産経が好きでそういうことやってる団体って、私身の回りに他にないですから、原産経市民研究会に来なきゃダメなんですよ。
だからそういうところでとっても有益だなと思っております。
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