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#36 自分の人生に「YES」を言う。バイオグラフィーワークで知る自己受容とレジリエンスの力
2026-01-18 31:21

#36 自分の人生に「YES」を言う。バイオグラフィーワークで知る自己受容とレジリエンスの力

スウェーデンでの生活も折り返し地点(18週目)を迎えました。
今週取り組んだのは、自分の人生の歩みを振り返る「バイオグラフィーワーク」でした。
過去の辛い経験や幼少期の自分を、今の感情に流されず「事実」として淡々と、でもそっとあたたかく見つめること。
そして、聞き手は自分ののレンズを通してではなく話し手がその人のまま話せるように、ただそこに在る。
粘土で「行き詰まった瞬間」を表現して手放したり、インドのデリーで見かけた絨毯職人の手仕事に人生を重ねたり。
「なぜこんなことが起きたの?」と嘆きたくなるような出来事も、視点を変えてズームアウトしてみれば、いつの間にか美しい模様の一部になっているのかもしれません。
自分のレジリエンスに気づき、自分の人生に「YES」と言えるようになるまでの、静かな変化について話しています🌿


#バイオグラフィーワーク

#レジリエンス

#シュタイナー

#人智学

#傾聴

#マインドフルネス

などについて話しています🌿


—————————

スウェーデン国際教育プログラム(YIP)の最年少と最年長の日本人2人がお届けする、共同生活のリアル話。


YIP体験こぼれ話

スウェーデンからお届けする、最年少と最年長の国際教育プログラムYouth Initiative Program(通称YIP)でのリアル青春体験ストーリー


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00:00
スウェーデンを飛び立ち、インドから最年少と最年長の2人がお届けする国際教育プログラム、ユーフイニシアティブプログラム、通称YIPでのリアル青春体験ストーリー。
ナオコです。リオです。はい。
今週は何週目ですかね?18?
18週目とかでしょうか。
うんうん。
折り返し時点にどうやら来たらしいですね。
1月18でちょうどYIPの半分らしいですわ。
オーマイガード。
半分でも、半分折り返したんだね。
なんかどっちの感じもある。え、こんな、もうそんなに?っていうのもあるし、まだこれで半分なんだっていう気持ちもある。
分かる。どっちもだよね。濃すぎて、もうちょっと、だいぶいい感じお腹いっぱい。
今お腹いっぱいだもん。
ね。そう、こっからまた続くのかと思うと、楽しみになったと同時にエンジン入れていこうみたいな。
その折り返し時点の今週は何を取り組みましたか?私たち。
今週はバイオグラフィーワークwith アニーですね。
アニーはOTの一人。
オーガナイジングティームの。
そうそう。
で、バイオグラフィーってどう説明する?
バイオグラフィーワーク?そうだね。
アントロポソフィー、人種学の考え方のエッセンスも少し入っている。
バイオグラフィーワークは、自分の人生で起きたことを、小人数で輪になって、1人15分ぐらいずつ話すっていうのを、今週は1週間やりました。
で、それを話す時は、今の自分からその経験を話すっていうよりかは、その時の自分をあくまで客観的にというか、少し距離を置いて、その時私はこうだったみたいな感じで話していく。
で、聴き手は、自分の聴き手のその人のレンズを通してではなくて、つまりナオコの話を聞く時に、私がリオのレンズを通してではなくて、ナオコがナオコのままでいる。
それをただ聞くっていう、そういう稽古だったかなって。そんな1週間だった気がする。バイオグラフィーワーク。ナオコにとってどんな体験だった?
03:10
いろんな訓練がギュッと詰まった感じで、まず自分の過去に起きた辛い経験だったりとか、ちっちゃい頃どういう子だった?みたいな話をワンセッションずつでしていくんだけど、
え、どんなだった?ってまずこう、一旦この真っ白なページに戻って、あの時自分は何歳で、どういう環境にいて、どういう人たちが自分の周りにいてっていうのをまず一旦考えてから、
その時に自分はどういう感情を持ってたか、どういう目線で起きたことを見てたかみたいなのを、今の自分の情けとか同情とかを入れずに淡々と述べていくみたいな。
それは難しかったし、それにアニーも言ってたけど、本当にただ起きた事実を述べるんじゃなくて、それ全てを温かい雰囲気で自分で包み込んで、
自分の体の一部が離れていったみたいな風に話すんじゃなくて、私の今この一部はこういう感じで今私の中にいますっていう、こういう見せ方をするっていうのは、
なんかこう、凄い良心的というか、今の自分の気持ち的にすごくありがたいけど、その分逆にそれをするのが難しくなるなみたいな、思ったし。
聞き手の時は、できるだけその人を見ようというか、その人にフォーカスしようってするんだけど、鳥が飛んでるとか、自分の話とも繋がるとこあるなとかで、自分が話す時にそこを入れようみたいなことを考えたりとかして、
でも、この人の話聞こうって、毎回こう自分にリマインドして、リマインドされて、またよし聞くぞって、継承する姿勢に戻るのを何回も繰り返して、訓練訓練って感じだったな。
あと、話を聞く、話すっていうのとプラス、アート作品を少しずつ、アートも通しても見ていくというか、例えば絵を描いて、絵じゃなくて何だっけ、川?自分の人生を川の流れで表現した時に、そこの川や川にどんな人とかが関わってたかとか、そういうのを絵で表現したりとか、
06:23
あと、すごいスタックした瞬間を粘土で表現したりとか、そういうふうに毎回少し違うマテリアルを使って、違う手法で表現をしてから話に入るみたいな、それもすごいありがたかったというか、何ていうのかな、
例えば粘土の時は特にやりやすかったなと思って、自分の中の少年ばというか、辛かった、スタックした体験だったかな、その時の様子を抽象的にじゃなくて、ここに私がいて、ここに誰々がいて、こういう状況でっていうのを結構具体的に粘土で表してって言われたから、
そういうふうにやってみたら、話す時にこの人がこうでって話しやすかったのもあるし、あと逆に、逆にというか、そういうと同時に、あえて粘土で作ること、その状況を作りきることで切り離せれたというか、
どうしても解釈とか、今の自分の考えとかが入ってそうなるのを、何ていうのかな、話してやれたなと思って。
今のはカットするかわかりませんが、ポルトガルとイギリスのね、が今通ってきました。
あと、自分たちの個別のセッションの前に毎日朝のモーニングセッションがあったじゃん。
アニーがこのバイオグラフィーワークについてっていうのと、その日の午後にあるセッションについての、
に関するクエスチョン、自分に問いかけられる質問だったりとか、引用だったりとか、詩だったりとか、そういうものを読んでくれて、
それが自分的にはすごく、何ていうんだろうね、受け入れやすかった。
この詩を聴いて、自分が受けた印象で自分も話せばいいのかなとか、
こういう質問もこの中に入れられるんだ、みたいな。
09:03
もう全体を通してすごく、何ていうんだろうね、結論をもらったというよりかは、
何かスタート、駆け出し始められるきっかけをくれる質問だったりとか、引用だったりとか、詩とかをくれたなって自分は思う。
ノートが質問だらけです。
そうだったんだね。例えばどんな質問とかが印象的とかある?
何が起きたかっていうことをそのものをそのままで見れるか。
多分これはね、スタック、自分が乗り越えるのがちょっと難しいって思った時の経験の時に
兄が持ってきてくれた質問だと思うんだけど、やっぱり自分たちがその中にいる時って、
何が起きてるかにちゃんと向き合って見るなんて、一番避けたいことだなと思って。
自分の感情に流されて、状況に流されて、わーわーってなって、
今ようやくその中にいない時だから、起きたことと面と向き合って、
こういうことが起きたんだ、こういうことが起きたんだ、こういう感情だったんだって見れるってなったけど、
実際これからそういう辛い時が来る時に見れるかなって思って。
そのものと、ちょっと目育ちがちでもちゃんと今何が起きてるのかって見ようとできるかなって思ったりとか。
したなー。
あとこれも結構好き。
Can I stand guard of solitude of the others?
だから、自分じゃない他の人のそのソウティチュウって日本語で説明するのは難しいけど、
個人、その人の価値というかその人の楽しみを、そのものを自分の見方、捉え方で、
12:01
包み込むんじゃなくて、自分のものは自分のもの、相手のものは相手のものって、
区別ができるかみたいな。
区別をしてすごく話すんじゃなくて、私はこう、あなたはこう、私はあなたのそれをただ見るねみたいな。
結列するのでもなく、混じり交差するのでもなく、はい、はい、はい、みたいな。
ちょっと今手でやったから、わからないと思うけど。
手のひらで説明するとこう、むずいな。
手のひら同士が向き合ってる感じなんですよ。
で、この手のひらの間のギャップをどれくらい尊重できますか?みたいな。
質問だと自分は受け取って、大事だなって思いました。
なんていう文章だったっけ?
こんな素敵な質問がいっぱい出た。
確かに、素敵な詩の引用とかもあったりね。
ちょうどさ、私先週末スーツケース事件があって、デリーに行ったじゃないですか。
ちょうどその時にデリーの友人に会うことができて、
デリーの友人が、後とか監視あるならここ行ったらって教えてくれたところがあって、
The Kunjっていう、K-U-N-J-Iみたいな、
Kunjっていう場所があって、そこ最近できて、まだ完成してないんだけどオープンになってるんだけど、
なんかでっかい大きいモールみたいな感じなんだけど、
中を入るとすべてインドのいろんな地方のアート作品、アート工芸品がいっぱい、
その部屋ごとにあるみたいな感じで、だからこの部屋は、
このスペースはインディゴ、藍染めのものがいっぱいあったり、
ここはなんていうのかな、ビーズ作品があったりとか、
ここは絵の作品とか、ここは木の作品とか、
もうインド中のあらゆる地方のアート作品が集結した場所があって、
そこで実演がいろいろあったんだけど、
そこでね、実際に絨毯か何か編み物、木のカタンカタンってやって作る大きい木の機械で、
絨毯か何かわからない編み物、織物を作ってるおじさんを見てたのね。
で、おじさんから見ると、おじさんがやってるその手元から、
15:05
おじさんが折り折り、木の機械で折り折りしてるのを見ても、
何を作ってるか全くわからないの。モザイク模様というか、
ただただ折り折りされていくんだけど、何の模様かわかんなくて。
でも外側から見ると、本当にきれいな模様ができてたのね。
で、アニーが紹介してた詩もさ、まさにそのようなことのような詩を紹介してたのが一つあったなと思って。
私たち人生を折り物に例えたときに、今折ってるこの最中は何が何だかわからないけども、
でもやっぱり外から見ると美しく模様が折りなされているというか。
それは私たちの手によってかもしれないし、それは宇宙の目に見えない大きな力によってかもしれないけど、
いろいろ目に見えるもの、目に見えないものを折り合わさって、
一つの私の人生という折り物がなされていくみたいな。
まさにその詩とリンクするのをちょうど見て、その詩が印象的だったので、
見つけたらまた概要欄とかにもシェアしたいと思うんだけど。
あれみたいだね。中島みゆきの糸みたい。
何それ。あ、その曲。
あの縦の糸はあなた私たち。
そういう見方はしなくても別にいいんだけど。
いろんな人との出会いとかが交わって、自分の人生が。
そのときは意味がわからなくても、後から本当に振り返ったときにいろんな模様となっていくっていうのは。
言ってたのは、自分が折っている、まだどういう模様ができているのかわからない状態に
とらわれるんじゃなくて、自分をもっと広い視点から見て、
どれくらい折り物が進んでいるかとか、どんな模様ができているかとか、
できたものからどういう印象が受け取られるか、自分が受け取れるか、みたいなのにも
気づきたいよね、みたいな。
自分がズームインして、今何を折っているんだ、みたいな。
そういうのも大事だけど、ズームアウトして、こういうのができているんだ、みたいな。
見るのを繰り返すの。
それを訓練、訓練、訓練、みたいな。
その訓練の手法がまさに一つ、その一つがバイオグラフィーワークなのかもしれないね。
18:02
なんか、このバイオグラフィーワークを、ウィークを学ぶまでは、
なんかこう、何て言うのかな、自分のこれまで追ってきた過去に対して、
全てにイエスは言え切れていない自分がまだいたけど、
でもなんか、何て言うのかな、この1週間で小さい4,5人くらいの輪になってさ、
いろんな人の人生の区切り、一つのモーメント、一つの話を聞く中で、
いろいろ聞いていくのを通して、何だろう、その、何て言うのかな、
イエスとまだ100%言えるか、まだ私も分かんない中にはいるんだけど、
それでもなんかこう意味が、何て言うのかな、
今タクシーがちょっと目の前に止まって、若干今自分が何を落としたか飛びそうになったんだけど、
自分の人生の中で予期もしないこととか、何でこんなことが起きたのとか、
そういうことに嘆きたくなる、なんかもう居るのをやめて、
居る機会まで壊したくなるというか、その場を立ち去りたくなる、
なんかそういう自分とも向き合えたし、でもなんか、何て言うのかな、
すでにそこを、その経験を通して自分の人生の編み物を編み編みしていく、
タペストリーを作っていく力があなたの中にすでにあるっていうことを、
少人数の中で話を聞いていく中で、自分の力に自分で気づかせてもらえるような、
なんかそんな1週間だったなって思ったり、
あとなんか素敵だなって思ったのが、自分の結構スタックしたモーメントを粘土にしたときあったじゃん、
なんか結構それをこう、今の自分とは切り離して話し終わった後、
なんかこう、それをどうしたらいいのか分からないというか、
この感覚、切り離したこの後どうすればいいのみたいな感覚が、
うちらの小さいグループの中にはあって、
なんかそれをどう扱うかはいろんな方法があるけど、
それを何かで包むとしたらどういうもので包みたいな、
例えば私は、この間冬休みにアイルベイダーの体験をしに行ったときに、
めっちゃ温かいコットンとアイルベイダーのオイル、温かいオイルでめっちゃ染み込ませて肩に乗せてもらったとき、
21:07
すごい温かかったのね。
それぐらい温かいコットンでアイルベイダーのオイルをめっちゃ染み込ませて包んで置いておきたいなとか、
何でもいいんだけど、温かい布団とか紙とか葉っぱでもそれぞれ自由でいいんだけど、
そういうメタファーとかも意外と自分の中でこれから人生でトラウマ的なことが起きたとしても、
そのトラウマに引き込まれるというか引きずられるよりかは、
一旦離して自分の中で自傷として、現象として置いて、
それを投げ捨てるというよりかは、一旦それで優しく包んでおくみたいな。
投げ捨てました。
え?
自分たちのグループはね。
投げ捨てた?
そう、作ってくれ、みんなでバイバイしようって言って投げ捨てたんだけど。
それもありだと思う。
自分の感覚的には、過去っちゃ過去なの。
そりゃそうだ。
なんて言うんだろうね。まだ引きずられてるなっていう感覚が1ミリもなくて。
そうなんだ。
本当に感謝してるし、本当に辛かったけど、
もう過去っていう、完全なる過去として認識してて、
殻破ってるから、今の私には本当に必要がない。
本当にありがとう。もういらないっていう感覚で。
だから、
粘土投げ捨てた?
気持ちよかったし、忘れることはないから。
そうだね。粘土投げ捨てたとしてもね。
だから、よかったなって思う。
いろんな葬り方がありますね。
聞いたところによると、何人かは土に埋めたらしい。
埋めるのもありだね。
いろんなやり方があるね。
それぞれの向き合い方でやっていきましょう。
はい、まさに。
どうだった?グループ的には。小さいグループは。
なんだろうな。
すごく自分の話に共感してくれたりするところもあったし、
自分が他の人の話の中に、
それ自分やん、みたいな。
とか思うときもあったし、
何より、
共通しなくていいんだけど、自分が強く感じたのは、
24:00
一人一人のレジリエンスっていう。
日本語で言うと抵抗力ってよく訳されやすいけど、
必ずしも抵抗力じゃなくて忍耐力というか。
忍耐力、そうね。
すごく年齢とかも、すごく幼いときだったりとか、
ゆっぷに来る直前だったりとか、いろいろあるけど、
みんなこのレジリエンスをちゃんと蓄えてて、
今その過去を振り返ると、
自分よくそんなことできたなとか、
あれだけつらいことがあったのに、よく耐えれたな、みたいな。
自分をこう、称賛してあげたい、
あげたい気持ちになるっていうか、みんなを称賛して、
なんか、よくやったね、頑張ったねって、
自分自身に感謝する機会をもらえたなって思う。
どうだった?
私のグループは、5人で、全員ガールズで、
チェックインチームの子もいれば、
仲はいいけど、そんなに深くゆっくりお散歩して話すとか、
そこまででもない。
でも、大好きみたいな仲間だったんだけど、
なんていうのかな?
確かにみんなの少年場とかの話を聞いてて、
全然違う境遇で、
みんな、5人中4人ともウドルフシュタイナー系の教育を
少しでも受けてきたことがある子たちで、
私だけが多分メインストリームの学校で、
みんなの生まれ育った生活とか環境とか聞いてるだけでめっちゃ羨ましいとか、
正直思う自分もいたけど、
そういう自分は箱に一旦隣に置いといて、
でも、それでもやっぱり経験してきた痛みとかっていうのは、
私とは違う痛みだけど、
でも何かどっかで繋がってる感じがして、
そういう話って別に前に進むためには必要じゃなくない?
って思う自分がどこかにあったけど、
いや、大事なんだなっていうか、
その人の色を知る上でも、自分も知るためにも、
めちゃくちゃ大事だって、
って思ったかな。
あと一つこれは自分がこのウィークで学んだなというか、
より強く勝ちるようになったなっていうのが、
アニーもモーニングセッションの中でもすごく強く何回も言ってたんだけど、
私たちはこの世界の中にいて、
この世界は私たちの中にもあるんだっていうのを言ってて、
でも、
27:00
いろんな意味でそれが自分の頭の中でメイクセンスしたというか、
これまでナブタニャのソイルウィークだったりとか、
シードウィークだったりとか、
いろいろやってきて、
自分たちの腸内細菌は、
この土の中の腸内、土の中の細菌の数とほとんど同じとか、
なんか似てるなとかそういうのは感じたことはあるんだけど、
もうちょっと握りきれてない感じがして、
でもこのウィークでアニーが何回も言ってくれて、
いろんな説明の仕方をしてくれて、
自分の中で、
なんかしっくりきたなって思ったな。
もうちょっと聞いてみたいんだけど、
自分の中に?
世界があって、
世界の中に私はいるっていう。
例えばそれは、
小さいグループの輪に話してる時にそれを感じたなみたいなことは?
話してる、
小さいグループでみんなの話を聞いてる時とか、
自分がその話をしてる時はないんだけど、
内省してる時。
内省してる時とか、
過去何が起きたかなって考えてる時に、
自分の人生の中で繰り返し起きてるようなことだったりとか、
世界の大きい歴史の中で繰り返し起きてるようなことだったりとか、
似てるなっていうよりかは、
どっちも同じ見方で見れるなって思ったっていうか、
なんだよ、おっちゃこちょいなやつとか、
可愛いやつって思える時もあるし、
なんでまたそんなことするのって思う時もあったりとか、
それと逆に新しいことが起きた時とかの時も、
自分はどういう見方をこれからしていけるんだろうとか、
いつもマイクロ視点でギュッギュッって道を狭くするんじゃなくて、
マクロだったりもっと大きい見方を自分自身と世界に対してできないかなって、
思った。
自分の中に世界があって、世界の中に私がいるって思うことによって、
それがすごく楽にできるなって思った。
30:06
いいね、またバイオグラフィーワークは今週だけじゃなくて定期的にね、
いろんなことを取り上げてやってみたいね。
そんな折り返し地点の18週目か19週目かわかんないけど、
来週はイニシアティブウィーク?
ですね。
パーソナルイニシアティブっていう自分たちのプロジェクトをどうやって進めるかみたいなことをきっとやる1週間ですね。
もっとより個人個人のワークになるでしょう。
楽しみですね。
どうやらインドのエッジーな、なかなかユニークな人ももしかしたら来てくださるかもしれないということで、
それも楽しみですね。
引き続きシェアだったりフォローよろしくお願いします。
いつも聞いてくださっている皆さんありがとうございます。
それじゃあまたねー。
またねー。
31:21

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