どら
もっと世界が優しくなったらいいなぁと思っているのみとどらちゃんの会話を、こっそり公開しているポッドキャストです。もしよかったら深夜ラジオを聴く感覚で、そんな他愛のないおしゃべりに耳を傾けてみてください。
のみ
パンケーキを食べに行ったんだけどさ、パンケーキ好きなんだけどさ、パンケーキ食べると幸せになるおまじないがかかっちゃってさ、
僕はしんどい時とかつらい時とかパンケーキ食べるとなんか復活するんだけど。
どら
あーでもそういうなんかさ、自分の中でそういうものっていいよね、あると。
のみ
そうなんだよ、なんかそれで。
どら
ここに行くと幸せになれるとか、ここに食べると幸せになれるっていうものを持っておくのってすごい強いと思う。
のみ
パンケーキ食べてたら周りがさ、当然カップルばっかりなんだけど若い、
男の人がさ、みんなダボッとした服着ててさ、あ、流行りなんだな今はって思っただけっていうそれだけなんだけど。
どら
そうか。でもそれは確かに流行はあるよね。
のみ
隣に座ってた男女がさ、社会人かななんか会社の話とかしてて、
女性がトイレに行ったときに、女性のコートが椅子から下に落ちたんだよ。地べたにベタって。
僕隣だったから、拾うべきか彼に、彼女彼の関係ではないんだよね。
彼に、この女性のが落ちちゃったよって伝えるべきか。
どら
気がつかないんだ、それまず。
のみ
でもさ、気づいてないのか。気づいたけど、別に拾わなくていいやと思ってるのか。
一人で悶々と考えちゃったんだけど、何もノンアクションだったんだけど。
どら
なんかそれはでも気づいてないんだったら教えてあげたいけれど、
でもその人のじゃないし、確かに微妙な、どうしたらいいのかわからないケースだね。
のみ
でも視界に入らないってことはないと思うね。
二人席で女性が立ったときにコートが下に落ちて、全然気にせず貧乏ゆすりしてさ、携帯見てるんだよね。
どら
もう携帯にしか目が行ってないってことかな。
のみ
気づいたけど、拾ってあげる選択肢を取らなかった。
意図的なのか、そういう性格なのか。
どら
触らない方がいいっていう判断もあり得るのかな。
人のものを触らないっていう方がいいっていう。
どっちが優先するのかって感じかな。
のみ
どうやったらそういう人になるのかなってすごい。
僕は思ったのでした、まる。
コートの落ち方が結構ベタって落ちてるんだよね。
どら
踏まれちゃうかもしれないくらいの感じ。
のみ
気づかないわけないよなって。
どら
面白いね。
その人にどういう感覚だったのか、どうして拾わなかったんですかってちょっと問い詰めてみたいよね。
で、それ帰ってきた時に女性は何事もなかったかのようにコートを椅子にかけて座ったの。
ああ、そうなんだ。
そうか。
のみ
不思議だったな。
どら
気にしない人たちなのかな。
僕だったらそれ帰ってきて、もしも自分のかけたものが落ちてたら、ちょっと拾っといてよって。
言いそうだけど、僕だったら。
気づいたら拾っといてよって。
言いそうだけど。
ゆういち
言うね。
どら
言うよね。
ゆういち
言うね、絶対。
どら
なんかそれは面白い関係性なんだね。
でも彼女と彼氏ではなかった?
のみ
多分ないと思うんだよな。
どら
じゃなかったとしても面白いよな、別に。
と思うけど。
でも、知ってる人同士はだって、余計な親切とか関係ないっていうか、あんまりそんなこと気にしなくていいと思うから。
やった方がいいと思うけど。
知らない人にさ、例えば道端で何かをしてあげた方がいいか、しない方がいいかっていうのをちょっと考えるじゃない?
その人に変だな、変な人って思われたくもないし。
そこってすごい微妙っていうか。
それさ、前にのみとも話したことあるけどさ。
だからアメリカとかは結構しやすいっていうか、みんなが知らない人でも話しかけやすいので、そういうのはあるんだけど。
日本だと、特に相手が女性だったりとかした場合はやっぱり、変な人って変質者って思われるのがすごい嫌だから、そういうのがすごい考えちゃう。
言った方がいいのか、言わない方がいいのかみたいな。
のみ
そういうのって隣人を愛するような善きサマリア人の話?
アメリカとかだとやっぱり小さい頃からそう習うのかね?
どら
習ってんのかな?
まあ、良き隣人であれ的なことは、日曜学校みたいなのに行ってるような人たちは聞かされてはいるだろうけど、
でもそれ言ったら日本だって一応、学校で道徳教育とかあったりするから、言われてはいると思うけど、どうなんだろうね。
ゆういち
日本に来た外国人は、でも日本人ってすごい親切だって言うよね。
どら
言うよね、確かに。
ゆういち
外国人には親切なのかな?
どら
困ってる人がいた時には助けてあげたいっていう気持ちはあるんじゃないかな。
しかも英語わかんなくても別に、困ってる人がいたら助けてあげたいとか、そういう気持ちは発生するのかもしれないけど。
どうなんだろうね、確かに。面白いね。
確かに海外から来た人は日本人は親切だって言ってくれるけど、どういうところでそれを感じるのか聞いてみたい。
具体的にね。
ゆういち
テレビのインタビューでよく親切だって言ってるよね。
どら
言うよね。
のみ
親切だって言った人を取り上げてるだけかもしれないけどな、テレビはね。
どら
もちろんそれは良い経験はやっぱり強く残ったりするから。
ただ良い経験、そうだね。しかも良い経験の方が、本当は悪い経験の方が強く記憶に残ると思うんだけど、
海外から来た人って良い経験の方に目が行ってるのかなっていう気はちょっとしたりはするよね。
日本人は悪いところに目が行きがちだなと僕はちょっと思ったりするんだけど、海外の人からは良いところの方が見られるかな。
もちろん好きだっていうか、気持ちとして日本に行きたい、日本が大好きって思って来た人は、日本の良いところがやっぱり見えるんだとは思うから。
そういうのはあるかもしれないね。
フランスに憧れている女性がパリに初めて行った時に、パリの汚さにがっかりするみたいな話って結構あると思うんだけど、
ああいう期待が大きすぎると、期待と違った時にギャップで残念に思っちゃうっていうのもあるような気はするから、
日本に来て残念だなと思ってる人ももちろんいるはいると思うんだよね。
日本でメディアとかに出てくる人たちは、良いところを言ってるところだけをピックアップされて、もちろん日本人が喜ぶように編集されてると思うから、
実際にはもっとマイナスなところを言ってる人も確かにいるのかもしれないね。
のみ
旅行者はね、総じて、金払って旅行に来てつまんなかったとか、親切じゃなかったとかって言うのも嫌だっていうマインドで働きそうだけど。
働いてると、どうなんだろうね。女性とかアジアの人とか、日本だと。
どら
そうだね。また旅行で来るのと、確かに住んで働くのとは全然違うもんね。
のみ
スタンフォードの先生?目が見えない方?名前ど忘れちゃったけど。
彼女が来て、京都かなんかでお茶を頼んだときに、お砂糖を入れてくださいって言ったんだって。
自分は、日本人はお茶というものをお砂糖を入れずに飲むのは当然知っています。
でも私は、アメリカから育ったからしか知らないけど、甘いお茶が好きだから、
お砂糖を入れてください、あるいは持ってきてくださいみたいなことを言ったら、店員さんが困っちゃったらしくて、
お茶はお砂糖を入れて飲むものではありませんみたいな会話があって。
そうなると、店長と確認しますみたいになって。
店長が来て、すいません、砂糖がうちにないんですみたいなことになった。
じゃあ、甘い砂糖が入ったお茶が飲めないなら、お紅茶お願いします。砂糖を入れて。って言ったら、砂糖を持ってきて、お紅茶を持ってきてくれた。
どら
それはどういう反応なの?
のみ
その趣旨は、アメリカは自分が選択をする。
自分の好みは自分で分かってるし、自分で選択をする。
バーガーキングとか行っても、ハンバーグはちょっとウェルダンでとかそういう話あるじゃない。
あれを入れて、これを入れて、こうやってとか。
どら
サブウェイとかね、全部自分で選ばなくちゃいけないもんね
のみ
日本はそうではなくて、世間的に言われて、やっぱり型を押し付けるっていうか、それを
どら
でもまあ何か言いたいことは分かるっていうか、そうだね。
のみ
そういう趣旨で、面白いなと思ったんだけど。
ゆういち
選べって言われると困っちゃう人がいっぱいいる。
どら
いっぱいいるよね、日本は多分。
お任せでって感じだよね。
え、でもそれはなんで砂糖を持ってきてって言われたんだから、砂糖を出せばいいだけの話なのに、なんでそこで砂糖を持ってかなかったんだろう。
すごい面白いなあ。
のみ
僕の記憶違いは入ってないと思うんだけど、要はそういう。
そこまで日本人は外人に固執しない気はするけど、文化の違いですよね。
要は自由というか、自分が選択するというものに対する大切さがアメリカは違うよねっていう。
どら
そうだね。結構付け合わせとかさ、わかんないけど、サイドメニューみたいなのとか自分で選ぶっていうか。
あと変えてとか、これが嫌いだからこれに変えられますかとか、平気で言うよね、あの人たち。
あの人たちってアメリカに住んでる人がいるのもなんだけどさ。
僕もなんかね、うちの父親はアメリカ人的なのかよくわかんないけど、
すっごい昔、子供の頃ね、ファミレスかなんかに行って、ニンジン嫌いなんだよ、うちの父親。
付け合わせにニンジンのものが付いていて、これを他のものに変えられますかって言ったら、できませんって言われたっていうのがすごいなんか、
どら
それを目の目の当たりにして、なんかすごいこの人はすごいな、そういうの聞けるんだ、すげえなって、
ちょっと自分の父親ながらびっくりしたっていうことがあったなっていうのを今すごい思い出した、突然。
日本では僕はそういうことはなんかするものじゃないというか、別に日本ではっていうか、子供の頃からそういうことしていいんだとか、そういうことってあんまりするっていう発想がなかったから、
うちの父親がしているのを見て、ああ、そういうこと言う人いるんだへえってちょっと思ったね、そういえば。
のみ
そういうのが自分の仕事にもつながるけど、目の前のお客さんに大切、
目の前のお客さんが喜んでもらえることを自由に発想してやっていいよっていう、上からのリーダーシップというか指示だったら、
別に人参じゃないのやろうというのはできるわけだよね。
でも社内でね、厨房のオペレーションが崩れるとか、何また勝手なことやってんだとか、そう言われると嫌だなと思うと、もうルールの中で生きようって思うけど、
厨房の中もあの人に人参嫌いっていうか何か他できますかって言ったら、ああ、これができるよ、ちょっとこれでいいか聞いてきてよとかっていう会話になるんだったら、より良いお店になる気がするよね。
どら
そうだよね。で、その人はまた来たいお店って思うようになる。リピーターを作るよね、そのほうがだって。自分の希望を聞いてもらえるお店。
のみ
そういう発想にさせれない。その意識の問題だよね。
どら
まあだからそれは上の人とか厨房の人がめんどくせえなとか、なんかそういうやっぱりマイナスなことがあるからっていうのを知ってるから、そういうの聞けなくなっちゃうんだろうね。
あるいは何か忖度してるのかな。でも子供の頃からそういう生活をしていると、そんなことはあるはずがないとか、そんなことはありえないっていうふうに思っちゃうから、もう聞こうともしないのか。
のみ
思い込んじゃうのかね。
どら
面白いね、それは。それは経験からそういうふうになっちゃうのか。でもそうだよね。僕がだから父親がそういうことをしていて、そういうことってできるんだってちょっと逆に思ったみたいな。
だからそれこそサブウェイとかじゃないけど、やっぱり子供の頃からああいう選択選択選択っていうのを迫られる生活をしていたら、それが当たり前だっていうふうに思うっていうのは、経験からやっぱりできるのかもしれないね、その発想は。
めんどくさいなって今でも思うけどね、サンドイッチとか入れる入れない入れる入れないとか全部お任せねとか思っちゃうから、できれば全部決めてくださいみたいな。
ゆういち
ある程度定番のセットみたいなのはない?
どら
どうだろう。サブウェイ、最近サブウェイ行ったことないけど。もちろん定番のものが決まってるお店もあるから、そうしたらもうそれでっていうようにはもちろんしてるけど。
のみ
だから選択するって本当に小さい頃から習慣づいてると、じゃあBLTサンドでじゃなくて、私は卵はこれぐらいでトマトとハム入れてみたいな、当たり前に出るのかもしれないね。
どら
でもこれって多分トレーニングでさ、いろんなことがそうで、自分が好きか嫌いかとか自分は何が好きかとかを言うのをすごい意識だからしてるんだろうね。
日本人ってそういうふわっとした感じがちょっとあるところじゃん。だから目標が弱いっていうか、アメリカ人は子供の頃からそういうのを鍛えられてるから、自分はこれがしたいとかそういう意志ももしかしたら強くなってくるのかな。
そういうのって全然関係ない食べ物とかで訓練されてる部分もあるのかな、もしかしたら。今考えたらそれはそうなのかもしれないってちょっと思っちゃった。
そういう好き嫌いとか将来こういうのになりたいとか、こういうことがしたいとか、何がしたいとかっていう気持ちがどんどん醸成されていっている。
そういう気持ちが強くなってくるのかな、もしかしたら。そういうのを慣れることによって。面白いね、それ。
子供の頃から日本人にも選択をもっと与えたら、これが欲しい、こうなりたいっていうのが強くなってくるのかな。面白いな。
のみ
ニューヨークから帰ってくるときに成田の天候が悪くて、札幌に1回止まったんだよね。
天候2時間、3時間ぐらい待ってたのかな。
成田ちょっとイマイチだけど大丈夫そうなんで戻りますって言われて、札幌で外出したくなかったんだと思ったけど成田に戻ったで、無事着陸できたんだけど、
すっごい深夜になってんの。これタクシー並ぶよなとか。
すっごい並んでて、タクシーも並んでて、どうしようとか思って、傍然と見たら、タクシーの運ちゃんらしき人が来て、どこまで帰りたいのって言うから、
世田谷の多摩川のほうなんですって言ったら、じゃあタクシーなんだけどさ、俺も並ぶの嫌だからさって言われて、ラッキーと思った。
でもなんか怪しいと思ったから、白タクかなって思ったから、ちゃんとしたタクシーですかみたいな話聞いて、ちゃんとしたメーターもあるから大丈夫で安心してみたいなって。
ただ乗るときに、これぐらいでいいよって言われたの。超えてもこれでいいからって言われたから、じゃあはい、わかりましたみたいになって。
結局成田からタクって、世田谷のほうまで帰ってきたんですよ。値段微妙に覚えてないんだけど、彼が言ったのとほぼ同じぐらいだったの、メーター倒してたの。
だから信用もしてそのまま金払ったんだけど。そのきっかけから、あれタクシーって交渉できるのかなってふと思ったの。
今までそんなこと考えたことなかったし、メーター通りに払ってたけど。
最初の会社とか2番目の会社もすごいおすすめだったけど、全部会社につけれるから金額なんて気にしてなかったんだけど。
だんだんそういう会社じゃなくなったときに、交渉してみようと思って、ぺけぺけのほうまでなんですけど、4000円だったら乗りたいんですけどいいですか?って言ったら、いいよって言う人普通にいるんだよね。
で、「あ、タクシーって交渉できるんだ。」って思って。
なんかこういうのって、当たり前じゃん。よく考えたら売買のあれね。交渉できるけど。
選択をしないふうに生きてるというか、タクシーはそんなもんだと思ってるとしないのかなと思っちゃうけど。あんまり見せかけてない。
どら
値切りとかはでも全体的にそうだよね。
大阪とかのおばちゃんはよくねぎってるのをテレビとかで見るけどさ、日本東京ではめったに見ないもんね、そんな状態。
昔は個人商店とかあったからさ、そういう八百屋さんに行ってとか魚屋さんに行ってとかだったらちょっとおまけしてもらうとか、ちょっとこれいくらにしてよとかっていう会話があったんだろうなとは予想がつくけど、スーパーマーケットでは値切れないもんね。
もうレジでこういうふうに売った金額を払わざるを得ないし。