でも私自身の中では、ポジティブとかネガティブとか、決めつけるじゃないけど、そういうのはないかな。
なんかそこで、たとえば、コテンラジオ的にちょっと絡めていると、色即色、空即自色的な考え方があると思うんですけど、結構その、
何だろうな、そういう捉え方をしちゃうこともあると思うんです。
たとえば、足のおかげが、おけがをされて、本を二度と読まないっていう、あそこを読んで、
あとは、なんかその、目素とかも足のおかげに、こう、そういうのがあるわけじゃないかって。
で、本に出会って、今日の話にもなりましたけども、また、とはいえ、シューズをまた履くことができたっていう。
で、これはきっと、なんだろうな、そういう巡り合わせ、
なんか、その出来事を受け入れるっていうことと、それをちゃんと楽しくというか、楽しまなくちゃ損だよね、みたいな捉え方をするのって、
またちょっとなんか違うエネルギーというか、訓練というか、トレーニングというか、慣れというか、
なんかそういうのが必要な気がする。自分はだから、なんだろうな、そう捉えてないですね。
良いことも悪いことも受け入れるっていうところは多分近いんですけど、じゃあ全て楽しもうみたいな、そういうマインドは別にそんななくて、
ちょっとやっぱ違うんですけど、やりたいことをやりたいときに、
なので、そこにどうやって至ったのかっていうのが気になる感じですかね。
やりたいことを達成するためにやる、なんで、反っていう感じでは全然ないですよね。
なんで、そこにどうやって至ったのかっていうのが気になる感じですかね。
私も今みたいになったのは、昔からそうだったわけではないんですけど、私昔からでもスピリチュアルではあったんですね。
人に見えないこととか、人が感じないようなことを感じたりとか、人が持ってないような感覚をやっぱり持ってたりして、
身体的にも、なんかね、宇宙人ぽかったの。
鉄棒の上を走ったりした。
鉄棒の上を走ったり、すごい不思議なのが、学校の校舎のね、すごい目が良かったんですよ。
すごく目が良くて、誰も見えない遠くの看板とかを普通に読んだりすることができたのね。
今はそれできないんだけど、校庭に北欧の教科書をぽって広げたのを、3階の教室からこうやって見て読むことができたりとか。
私それは目が良かったってずっと思ってたんだけど、なんか違う能力使ってたかもって最近思うのね。
でもそれはもう目が良かったって思ってたけど、実は違ったんじゃないかって最近思うようになったのは、
なんか気候でやっぱそういう人のエネルギーを読んだりとか、なんか感じたりとか、
学生体験っていうか、私は宇宙のほうとね、あんまりそんなに言ってないんですけど、
瞑想とか気候の練習を通じて、やっぱ自分自身と外との繋がり、私以外のものとの繋がりって、
昔から感じてたけど、絶対そうだよね、みたいな感じの、確信を持って腹落ちしているのがわかってる。
例えば子供の時からお友達と話してたり、親と話してたりとかしても、だんだん相手が自分になってくるんですよ。
こうやって話してても、ヨウムさんもヤマちゃんも私なんですよ。
なんかそういう感覚があるね。
でもそれを、君たちのすべてを私がそこで知ってるわけではないし、知ることはできないけど、
でもそういう感覚融合的なものとか、そういうのね、子供の時からちょっとあったよね。
でもそれが何なのかわからなかったし、みんなそうだと思ってた。みんなそうだと思ってたんだけど、どうもそうではないらしいっていうことが、
どれくらいかな、なんかだんだんわかってきて、隠すようになったじゃないけど、そういうのを閉じるようになってたんですね。
本当にここ最近ね、大人になって子供を産んで、その子供とのつながりとか、そういうのを感じて、
感じたけど、違いだよね、みたいなところをずっとやってきたのが、
気候と出会ったりして、そうすると、
こういうスピリチュアル的な、ちょっと人と違う感覚を持っている人たちともコネクトが増えてって、話とか聞いてて、
まあ私は結構疑り深いところもあったりとかしたけど、なんかうーんっていうのをしながら気候をやってるうちに、
育成体験っていうのがあって、
全部いいんだって、なんか世の中に悲しいことも、
辛いこととかね、ニュースは特に悲しい人とか怒りを感じるようなことがたくさんあるけれども、
なんか冷たい言い方になっちゃうけど、それはそれ、これはこれで、そこに同調することは、
この世界にとっていいことじゃないのよ、っていうのはもう、ちゃんとわかっていて、
何だろうね、なんか、以前は私は人を助けたいなとか、人の役に立ちたいとか、
助けたいってバレエもやってたのも、自分が踊ってて楽しいっていうのもあったけど、バレエを見に来てくれた人たちが、現実をね、その
舞台を見ている間は、現実の苦しいとか、そういうことをすべて忘れて、夢の世界に入っていける、その夢の世界に入っていくため、
行けるためには、やっぱ舞台上には、ちゃんとそれを表現できる人たちが必要で、それになりたい。
で、その、だから自分が踊ることが、人の助けにつながっていくっていう意識で、結構やってたんだけど、
なんか、でもね、なんかその覚醒体験とかがあってから、
なくなった。
ある意味冷たいんだけどね、みんなやっぱり人それぞれ、
なんていうのが、私、
自分が生まれてくる前のこととかね、覚えてて。
で、だから、
子供の時からそういう心霊的なこととか、
死んでも終わりじゃないっていうのは、もうずっとわかってたことだったね。
で、
うーん、
そうです。生まれてくる時に、それぞれやっぱりみんな、この地球上で、何をやっていきたい、やっていきたいなとか、どういうことを学びたいなっていうことを、
大体決めてきてる。みんな。で、それは、それはもう、それぞれの魂の中に絶対入ってて、
なんかこれ違うなーって、なんか自分が、なんか物を取り組む、何かに取り組んでいたとしても、
なんとなくちょっと自分自身の不一致とかがあれば、自分の中に絶対違和感を感じたりっていうのがあると思うんですね。
そういうのが、それぞれのそういう、霊的な能力の一種だったりとかするんだけれども、そういうとこはもっと
敏感になってて、で、人を助けるってことがね、相手からの要望があったら、私は助けます。絶対に。
で、なんか実際に助けられなくても、なんか、
こがましいけどアドバイス的なこととか、なんかそういうことはね、あの、して軽くなってもらったらいいなーって思うんだけど、
おせっかいは一切なくなったね。あの人困ってるからこれやってあげようっていう、相手からの悪もない状態でやることはしてなくて、
もちろんしてあげたら、その人はすごく喜ぶと思うんだけれども、その人自身の魂としての
やりたいことを阻害する可能性って結構ある。実は。そういうのが見えてくるから、
なんかおせっかいがなくなっちゃいましたよね。で、やっぱ死ぬこととかね、この世を去ることって本当にすごい
やっぱ肉体がなくなって、見えない、会えないって悲しいことで、私もずっと悲しいことって思ってたけど、今は
言っちゃっていいかわかんないけど、美しいと思ってるんだよね。
もちろん悲しいんだよ。悲しいのと一緒、同じくらい美しいし、そしてまたその魂が苦しい肉体から離れて、
次に転生するか、違うとこ行くか、そのまま大きい塊に戻っていくか、わからないけれども、新しい
旅の始まりなの。だからこの世界では悲しいけど、三次元としてはね、三次元、二次元、
物理世界としては悲しいけれども、魂としては肉体を離れることって喜びなんだよね、ほとんど。
っていうのが見えてるから、
あの、たぶん泣くよ、親がね、死んだりしたら、たぶん泣くし、泣くし悲しいって思うけど、でも同時に
美しいって多分思うんだよな、嬉しいなって思う自分もいると思うの。
なんだろうね、なんか答えになってるのかわかんないけれども。
えーと、なんだろうな、不思議なことにというか、その感覚すごいわかるんですよ。
自分とすると、番組聞いてても、それは感覚的にわかるって、理屈じゃなくて、自分もそう思うことがたくさんあるし、でも自分はその、なんだろうな、
フラットになった状態の中で、なんかこう、
それを受け入れるかどうかは、受け入れるんだけども、何が起こっても受け入れるんだけども、でもあがこうっていうふうに自分は決めたんですね。
で、一方で番組を聞いていて、あの、ちょっと
感覚的なんで、言葉にしてどんだけ伝えれるかっていうのが怪しいんですけど、いっこさんの存在をすごい虚ろに感じるんですよ。
あの、偏見自在というか、どこに本意があるかわかんないっていうか、
あの、でも多分全部本意なんだろうなと思うし、一方でその、
その、なんていうのかな、あの、ちょっと前におっしゃられてましたけど、
なんだろうな、全て受け入れて、ちょっと冷たいかもみたいな、表現を自身に伝えたと思うんですけど、そういうとこも感じるし、
なんかこう、本当に存在するんだろうかみたいな感覚。
そうね、えっとね、なんか、
何回か前に宇宙意識みたいな話をしたと思うんだけど、
例えばその悟りを開いた、その覚醒の状態っていうのが100%だとすると、大体私は60%ぐらいのところにいる。
で、じゃないと生きていけないんだよね、肉体持って生活できなくなるし、
あの、だってね、いろんなスピリチュアルの世界ってそんなにご存じないかもしれないんだけど、いろんな人がいるんですよ、やっぱり。
宇宙に帰っていきましょうとか、ヒーリングをして、なんかすごい軽やかになって、次元上昇して、波動上げてとか言ってる人たちたくさんいるんですよ。
で、波動上げることももちろんいいし、自然とみなさん楽しいことがあれば、自然と波動が上がっていくしね、
なんか、そういった楽しいことがまたそうすると舞い込んできたりする。それが現実的にあるんだけど、でも、
せっかく、私はせっかく肉体を持ってここに来てるんだから、
なんか苦しいこととか、悲しいこととか、そういったこともやっぱり体験したいんですよ。
で、
なんだろう、
だから、その自分のパーセンテージ、例えば気候の練習とか、気候の教えるときとかは、
かなり、宇宙意識の方に傾けていく。
で、そうするとちょっと肉体から
ずれるんですよ。
ずれるのね。でもね、私ね、ヤマムンさんはね、そういう感覚あるんじゃないかなって思う。
農業とかされてる時に、やっぱ瞑想状態とかになられるんじゃないかなと思うんですよね。
そうですね。でも聞けるっていうのは、やっぱり私ね、こういうお話って、
自分の頭の中から来たっていうよりは、もう宇宙からもらってるっていうかね、
そういうものなので、いっこさんが噛み砕いたものじゃないっていうか、自然と出てるんですよね。
多少はあるよ。多少はあるけど、
あの、そうそう、やっぱりタイミング、その人のタイミングだったりとか、だから、
でもね聞けるってことは、やっぱりリンクしてるっていうことで、
なんていうのかな、私あの、
魂を高めるとかって好きじゃなくて、よく言われるんですよ。
あの、魂を高めていきましょうとかね、スピリチュアルであるんですけど、
でも私たちの魂ってもう、高めようがないんですよ。完璧だから。
あの、完璧を何言って言うかわかんないけど、私たちはもう常に、
言い方は何でもいい、宇宙であり、神様であり、
愛であり、言い方、言葉にすると何でもいいんだけど、そういったものと同一なんだよ、私たちは。
なので、魂って高めようがないから、
いかにその周りを囲っているエゴっていうかね、
で、私はエゴも悪いように捉えられてるけど、全然悪いものだと全く思ってなくて、
むしろそれがないと生きていけないよねと思ってる。
だけど、そのエゴを普段はさ、
その魂を、魂というか、私たちを、
いろんな社会のあれこれがある中で守っていくために必要な鎧みたいなものだと思ってて、脱ぎ気ができるわけ。
よく聖徒さんが教えるときに言ってるのは、玉ねぎ。玉ねぎのこの皮の一個一個がエゴみたいな感じでね、
みんなこういう時はこういったらいいよね、こういう時はこういったらいいよね、っていうものがあって、
でもグタグタに似て、それがホワーって、でも根っこでは繋がってる。
で、なんかそういう状態で、いつでも必要なときにその鎧、武装、武装って言うと戦いっぽいけど、でも守るためのプロテクションとしては必要じゃない?
なんかそういうふうにいつでも使える状態、脱ぎ気がいつでもできるような状態にしていくっていうのを私は寄稿では教えてるんだけど、教えたいと思ってるんだけどね。
まずは柔らかくしなきゃいけないよね、でもね。
そうね、でもなんか捉えどころがないのは、私が行ったり来たりしてるからかも。
知れないし、そうだね、なんかなんとか、この私がそういう、一回ね、配信するっていうか、やめようと思った時があった。
で、ポッドキャストをする前にもブログを書いたりとか、ちょっとそういうのをしてた時があったんだけど、
なんか、やめようって思った時があって、
でもあなたはそういうのを語る人だから、やめてはいけませんみたいなのは、メッセージをいただいていて、
ブログが細々とでも、タイミングが来たなーって思うときにちょろちょろちょろって出していってる。
うーん、なんか表に出してない変なことっていっぱいある。
でも、みんなには伝わらない話だというのもわかってるし、タイミングが来ないとこのラジオを聞くこともないっていうのもわかってて、
でもこのラジオを聞いてる人っていうのは、まあね、今回はほら、こうやってゲストで呼んでもらったりしたこともあったから、
じゃあゲストで来てくれるから、じゃあ聞いとこうっていうのでね、ヤオムさんも聞いてくれたかもしれないんだけど、
でも理由は何であれ、そのメッセージがヤオムさんのもとに来たっていうことは、必ず絶対に何らかの意味があって、
で、この意味っていうのは頭で考えるっていうよりも、なんか胸で感じてほしい。
自分の中では聞くべくして聞いた、で、それがいつ生きるかどう生きるかはそれは知らん。
それは知らんけど、どっかのフックになるために聞いてるみたいな感じ。
あの、すげー手前の目的はこの収録のためにイコさんがどんな方なのかを知るっていうのがすげー手前の目的であるし、
で、ここで聞いたことをこうやって喋るっていうことで、もしかしたらこの後というかこの収録のまた全然違うタイミングでの別のコミュニケーションに繋がるために聞いたのかもしれないし、
全然わかんないんだけども、でもたぶん何か意味があるんですよね。
って思っているっていう感じですかね。だから、なんだろうな、イコさんがどんな方かは、俺も知りたいっていう。
そうですね。
で、その捉えられないなぁと思う一方で、すごいにこやかにおしゃべりされる方だし、
大概的なものの見られ方というか、ここはここまで出してここはここまで渡さないとことか、そういうモードチェンジをするだとか、
すごいやっぱり周りに合わせてある程度自分をコントロールできる方なんだなっていう印象がすごい強いし、
一方で、ディズニーに行こうとか温泉に行こうとか、そういったところも大事にされる方だし、すごいバランスの人だなというか、
後世要素というか。
例えばね、出家をします。興味がないわけじゃない。そういう感覚の中に生きてるから。
でも、出家をしたりとか、例えばそういうコミュニティの中に入って修行をしていく。
ひまらやの芋をいってこもって、もうそこで一生いますとか、
それはそれで素晴らしいと思うけど、
そうではなくて、日常生活のこの一般的な社会の中で、いかにこういった感覚を
そっちの方が難しいんだよね、やっぱり。いろんなことがある中で、
そういう修行をやっている人たちとある意味同じところをやっていく。
誘惑もあるわけじゃない。いろいろ。誘惑だってあるし。でね、誘惑に負けるのもありだと思ってる。
それもありだし、でもなんだろうね、
なんていうのかな。だから私は一般的にこの普通の社会に
生きていて、もちろん、今すごく苦しい状況にある人たちから見たら、私はすごく恵まれた生活をしてるっていうのも自覚していて、
いろいろなことがあったとはゆえ、結婚もして、子供もいて、一般的に言われる幸せ。
で、まあ趣味的な感じで気候を教えて、好きなダンスやって、
で、お金も困ることもなく生活をしてて、すごく恵まれてると思うのね。
で、恵まれてる生活をしてるからできるんじゃんって思われる人は思われる人でいいんだけれども、
なんだろう、なんかそういう、でもそういう他人から見たら恵まれてる生活の中にもさ、
子供になんかあれこれあったりとか、いい、まあなんていうの、辛いことっていうかさ、私は辛く感じないんだけど、
辛いこととか悲しい出来事とかがあったりとかするわけじゃない。周りから見えないだけで。
で、でもなんかそういうことの中で、いかに自分と魂を調和させて、
で、他の人と自分を調和させて、
で、この人生を楽しんでいくかっていうことを、で、私のこの今回のミッション、ミッションっていうかね、
あのミッションとしては、もうできるだけ自分の、そうすべて周波数だっていう話もしてるかと思うんだけど、
自分のこの愛である表現を、
なんていうの、日常生活、人に与える与えないとかね、自分自身が愛の存在であるっていう、その存在であるっていうことを体現することで、
この地球全体の周波数に貢献していく。
で、それ自分が高い、その高い波動とか言い方もあんまり、実は好きではないんだけど、
なんとなくイメージしやすいから言っちゃうけど、その高い波動を保つことで、みんなコネクト、みんな繋がってるから、
なんていうの、みんなのエネルギーっていうとおこがましいが、でもそこをちょっと引き上げる、
引き上げることで地球をサポートしていく、っていうことをやりに来てるんですね。
思ってるっていうより、もう見えてるって感じ。
あ、そうそうそうそう。
うんうんうん。
なんか予想とかじゃなくて、そうなるんだよっていう感じで捉えてらっしゃるじゃないですか。
それがなんかその、自分と一個さんのなんか似てるとこと違うとこなんだろうなって今わかった感じですね。
うん、なんかそうだね、私は普段は思考はほとんどない。
頭で全然考えることとか思考がなくて、
こうやって話してる。でも話してるけど前もって考えてるわけじゃないじゃない?
直感的に出てきたものを言葉にしてるだけなので、
普段は何を考えてるんですかって、何にも考えてないんですよねっていう。
え、私何考えてるんですか?何にも考えてない。
あ、あるよ、考えてること。今日のご飯どうしようかなとかそういうことはあるけれども、
なんかこれから先の人生とか、あの時ああしてればとか一切ないんですよね。
で、もう今この瞬間っていうのはさ、
1秒1秒というか0.1秒1秒というか0.001秒1秒、もう常に移ろってるわけじゃないですか。
で、常に移ろってる中の私たちはこのトップにいるの。
で、自分を変えるとしたら、今この瞬間のあなたしかいないんですよっていう。
で、今この瞬間でね、これがこういうちょっとね、このぐらいの角度のね、
このぐらいの角度の山みたいな、金色の山みたいなのが、
例えばある人が過去のことを悩んでたりとか、やっぱいるでしょ?
あの時こうしてればよかったとかさ、将来のことすごく心配している人とか、
あと自分自身も、
あーなんか、それはほとんど生活に根差したことだけど、あれやるの忘れたとか、
なんかまぁそんなことはあれなんだけど、自分自身の生き方的なことには疑問を一切持ってなくて、私は。
で、でもなんかそういった、今この瞬間にいる自分が一番パワフルであるっていうことを
忘れてしまう?なんかちょっと忘れてしまう瞬間というか、時にこういう金色のこういう傘みたいなのがね、
あのこうやって見てるでしょ?ビジョンの中にパーンと出てくる。
で、私はこれは宇宙から見せられていると思って、で、直感的に最初はね、何かわからなかった。
それが何かわからなくて、なんだこれ?って思ってたんだけど、でも直感的にこれは
そういうことなんだっていうのが、フッって入ってくるわけ。フッと入ってくるね、ほんとに。
で、あ、わかった。っていう風になるのね。
だからみんなそれぞれ
その瞬間、瞬間で、もういつでも、いつでも自分の人生を変えて作り上げていくことができるのね。
で、例えばさ、なんか想像するじゃない?
あ、なんかこんなことがあって、こんなことがあって、でももしかしたらこうしたらこんなことがあって、こんなことがあって、
で、全部万華鏡みたいな感じで、すべての未来がもうそこにね、すでにあるのよ。
で、実際に自分が体験することっていうのは、自分が出したその思いとか思考、思考も思いも一緒、行動とか、
でもまあ、思いだよね。思考っていうんじゃなくて思いによって、だから思いって言うと多分感情的なものが付随してくると思うんだけど、
なんかそういったものによって、このフラクタクルのこう、万華鏡みたいなとこからシュッて自分のところに引き寄せてきてるわけ、自分で。
そうやって現実を作ってきてるのね。
大丈夫かな。ついてきてるかな。
あとね、その感覚は今んとこないので、あの、なんだろ、
共感みたいなのはちょっとやっぱ難しいですけど、なんかすごい頑張ってというか、おっしゃりたいことはわかるみたいな感じ?
そうですね。その感覚は自分にはなかった。一方で、すげーたまたま聞いたポッドキャストでデバフがかかっているっていうのもあったんで。
ミイさん?
うん、そうですそうです。なんかそういう、それの表面的なのがそれなのかなみたいな、感情とか気の持ちよみたいな言葉で、
それが悪い方に行っちゃってる例の話だったのかなみたいな、その引き寄せ方というか。
でもだよ、そのデバフがかかった状態っていうのも、必要だから起こってる可能性がある。
うんうんうん。
で、私もね、それね、散歩しながら昨日聞いたんだけど、
なんかそのデバフが人にかかっているのとかっていうのは、実際に外から見るとわかるじゃない?
あの人、本当はこう、自分できるのになんかちょっと違う方向のなんか行っちゃってるなぁとか言うで、
なんかそういうのを外すことができたら、あの、もっと輝けるのにっていうのは周りから結構見えてたりする。
だけど、で、ベインとは言わないけど、結構スピリチュアルの人たちの多いのが、それをね、おせっかいで助けようとするわけ。
で、スピリチュアルじゃない人たちも、見えてる人はさ、やっぱ助けてあげたいと思うわけ。
でも、実際にはそれをやることで、彼女自身の、その自分でステップを踏んで、自分で輝いていく、自分で解決していくっていう、そのなんか、ミッションを邪魔する可能性の方が実は多いんだよね。
っていうのが私には見えている、っていう感じ。
なんか樋口さんがたまにおっしゃる失敗する権利みたいな。
そうだね。
感じなのかなぁと思ったり。
で、たまたまその今、樋口さんの話だけだったら、たぶん理解はできないけども、たまたまその周りに、自分の周りに材料がいっぱいあって、
なんでイメージはギリできるみたいな、それぐらいの伝わり方ですかね。
うーん、そうだね。
なんか素敵だよね。だから私は結構もともとそういう感覚があって、でね、本でね、聞いたことが、なんかの本で読んだんだけど、
私は、あ、私は私以外のもので、私以外のすべてのものでできていて、で、私以外のものは私を含めたそれ以外のものでできているっていうのがめちゃくちゃ踏み落ちていて、
うんうん、なんかそういうことなんだよね。
うーん、もうその、
だからなんだろうね、私はとにかく、
スピリチュアルラジオって名前でやってますけれども、で、スターシードってつけてるのはね、なんか木格子って言うと重くない?
木格子?
なんか武道みたいなイメージがついちゃうかも。
なんかさ、木格子って私、私、なんていうのかな、すごい軽いっていうか、なので、なんか木格子なんだけど、木格子って重いよねって思って、カタカナでスターシードってつけたんですけど、
うーん、まあ、そうね。で、スピリチュアルってやっぱり、日本には特にカルトといえばオン心理教とかいうのがあったこともあるし、
信仰宗教で壺を替えとか、やっぱりそういうのとかが未だにあったりとかして、そういうところのつながりがやっぱり深いから、
やっぱり人をディスるときにさ、「うわ、だんだんスピ入ってきた!」とかいうのがさ、本に書いてあったりさ、漫画にから出てきたりとかさ、
やっぱりなんか40代でどうのこうので、やっぱりスピに走ってとかいう風になってるけど、でも実際はそういうものじゃないんだよね。
言葉が上手くない、上手くないっていうか、日本語でちょうどいい感じに当てはめる言葉がないっていうか、
だからスピリチュアルっていう言葉を使ってやっているけれども、だけどこれってもう本質である私たちのこの魂のこと?魂のことっていうかさ、
それをわかってるから、みんなも同じだから、ただ知らないっていうか、教えられてないからね。
で、こういったことって何千年も昔から言われてきていることで、もう見つけられてきていることだけど、でも下手者になる可能性があるし、
やっぱりそれを知る段階ではないから、結構秘密裏に、あんまり表にバーッと出ないで、私がやっているそのマスターヨーガっていうやつもね、
バラモンの間だけで、秘密裏に受け継がれてきたものが、やっと開示できる時が来たっていう感じで、今こうやって表に出してやってる。
で、私の先生世代までは句伝だけだったの。絶対メモもしてはいけませんっていう感じでやってきたんだって。でも先生もそれでは去られてしまうし、
今はだんだん時代がそういったものに追いついてきてるから、ちょっとずつ開示していかないとダメだし、やっぱ開示できる人が必要だからっていう感じで、
で、私も一緒にやろうよみたいな感じでね、教え始めたりとかしてるわけだけれども、何が言いたいか忘れちゃったんだけど。
だからスピンが今でもやっぱり下手扱いされちゃう?間違えた言い方をすると。
だって下手扱いされるような体験とか、知ってる友達とか知ってる人とかはいるけど、ラジオとかでは話してない。
昔のブログには書いたかな。ラジオとかでは話してない、やっぱり変な。
もうこれ言ったら本当に変人だよねっていうような体験とか、やっぱりしてきてるから。
そういうのを出しちゃうともう下手者でポンって、もう区切られてしまう。
でもこれって本当に自然の中で、私たちは自然に絶対知らない人も感じて、ハートで感じてやっていることなんだよね。
私がこうやって話していることも、実はみんな数パーセントは知らずに絶対やっていることなんだよね。
特に日本は神社に行くね。宗教的に入ってなかったとしても、神社に行ったりお寺に行ったりっていう、そういう結構精神的に開かれた文化がもともとあって、
スピリッツやらやらっていう人たちは初詣に行ったりするわけじゃない?
嫌だって言ってるけど、ここは絶対につながってる。そういうところの駆け足みたいなのができたらいいよね、今話しててね、なんとなく。
そういうのもあるかな。だから下手ではないし、一般的なスピリチュアルスピリチュアルも、そこをもうちょっと目指していこう。
私はやっぱり目指していきたい。人間としてこの生きているところを楽しみつつ、
酸いも甘いも楽しみつつ、
魂を広げていきたいっていうか、広げていくっていうか、エゴを広げていくっていうか、そういうのができたらいいかな。
うーん、そうだね。
個人的には、たぶん最後のその言葉が、
一番最初の自分の中の問いの、いっこさんがどういう人なのかわからないっていう、
のの、たぶん、今の一番ピッタリの言葉なんだろうな、みたいな
捉え方をさせていただきました。
だからその、なんだろうな、いっこさんがやられていることって別に普通に、なんだろうな、
その人の中かもしれないし、その隣っていう表現がいいのかもしれないし、
身近なもんだよみたいな言い方がいいのかもしれないし、それはわかんないですけど、
っていうか、一緒だよみたいな言い方なのか、でもたぶんそういうことだと思うんですよね。
で、そうそう、そして、で、それとその、
エゴのところ、だから、なんだろうな、いっこさん風に言うと、
自分といっこさんのエゴの形なのか色なのかわかんないけど、エゴが違う。
で、それはたぶんみんな違うんだけども、だから共通点もあるし、
一方で、なかなかわからない部分がある。それはやっぱそのエゴのところが違うんだろうな、みたいなのも思ったし、
その、最近だと、なんか社会が、そのスピリチュアルなところに近づいてきているっていう話ありましたけど、
なんか、たぶんよく言われちゃうくらいなんですけど、量子力学っていうものが、
すごい、考え方的には結構近いようなものなのかもしれないなと思って、そういったものがその学問としてちゃんと発展してきているっていうところ。
だから、で、たぶんその本質的にかなり近いことを言ってらっしゃる気がするので、
その今、科学っていうOSがめちゃくちゃ、OSというか、が支配している世界なので、
親和性の高い科学が発展したからこそ、その、いっこさんが考えていることが伝わりやすい世の中になっているのかな、みたいな気もしましたし、
だから、今、しゃべれているというか。
そうかもしれないね。
だからね、俺はこう、今、二人の話を聞きながら、ずっと思っていたことがあって、
俺はたぶん、ねえさまの感覚を感じてるときに、
俺は実際にねえさまと同じような感覚になったことはないし、
でも言ってることはそういうことがあるのかもしれないなっていうことを聞ける土壌にいるので、
こういう話を聞いてる。でもねえさまは一生懸命お話しされてる。
俺らにもちょっとわからないところもあるなって、正直思うとこがあるんだけど、
仮にねえさまがたぶん俺らより見えてるところがあるとするならば、
俺とか山竜がもし、目の前に視力が非常に良くわからない人に、
この世の中を説明するときにどう説明するのかって思うときがある。
その人たちのときに、この世の中にはこういうものが見えていて、
こういうものが見えていてっていう話を目の前にしたときに、
どこまでうまくちゃんと説明できるのかなって思ったりしてね。
結構それって難しいことだと思うのよ。
日頃から訓練してというか、実際に言葉で説明しても、
自分で見えてるものが見えてないものがあったりすると、
説明しきれなかったりするところがあったり、
理解してもらえないところがあったりするのかもしれないなって思ったりするから。
全部が全部理解しようっていうか、
理解できることできないことってやっぱり感情あるから、
もちろんあるかなとは思うんだけど。
これねえさまが言われてることを、信じる信じないとかっていう話じゃなくて、
信頼を持って受け止める受け止めないだけの単純なことでいいのかなとか思ったりしてね。
私もこういう発信って、理解してもらわなくていいと思ってて。
ただ聞いてちょっと感じてほしいと思って。
こういう世界が広がってるんだなっていうことがあっていいのかなって思うし。
俺はずっと常々番組最初から途中までもずっと言ってたけど、
ねえさま楽しそうに喋るのがやばい。
こういう感じでこういうことあるんだよなっていうことを喋られつつも、
俺らの目線にも立ってくれてバランス取ってくれてる方だなっていうのはすごい思うんですよ。
だから俺は常々ねえさまと喋って楽しいなと思ってるし、
俺らが見えない世界を見てて羨ましいなと思うところも正直あったりするけど、
でもこっちの気使ってくれてるところがすごい見えるから、申し訳ないなって思うときもあるし。
だからこそなんだけど、見える世界が違うかもしれないけど、
でもこうやって喋れる機会とか喋れることが楽しいよねっていうことでいいのかなって。
楽しいし、よく言われる気候のことって友達にどういうことなのって知らないからみんな説明すると、
まあよくわかんないけど、一個は楽しそうだよねっていう感じで。
なんか楽しそうだからいいよねっていう話にもなるし、
ただなんかこうやってね話したりとかしてるとやっぱり、
でも一人私の生徒さんで科学者の人がいてね、
でドクターも持ってて、こっちで科学者として仕事してたんだけど、今は子育てでちょっとお仕事休みしてて、
全く信じてないんだけど、やりたいって人がいて、やってみたいっていう人がいて、
でもなんかこういう気を感じる練習をしたりとか、いろいろするけど、なかなか感じないの。
感じないんだけど、高血圧が治っちゃったのよ。
薬を一生飲み続かなきゃいけないって言われてた高血圧が治っちゃって、
それでなんか全然信じてないんだけど、でも一個のことは信じるって言って、
私のことを信じるんじゃなくて、あなたがここで練習してきたことを信じてって言って、
もう本当になんかそういうことってさ、だって昔はさ、科学がなかった、こういう科学がない中で、
患者さんを治療したりっていうので何を使ってたかっていうと、やっぱりそういう気を使ってたんだよね、気のやりとりとか、
そういったものを使ってやってきたことがさ、やっぱりいつしか怪しいっていうふうになっちゃって、
なんかだって3000年以上続いてやってきたことが、もう中国ではさ、
貴公の人たちを恐怖を成して、政府が恐怖を成して、法輪功事件とかね、私がやってるこの内単法っていうものは中国行ったら捕まっちゃう。
中国には行けないよ、私は。
そもそも捕まってしまうし、そういう技法なのね。
でも実際にさ、信じる信じない関係なく、もう技術としてこの呼吸と意識を使っていくっていう内単法の機構っていうのは、
確実に生きていく上で助けになるっていうかサポートになる、強い武器になるっていうか、自分自身のね、
もので、健康を支えるのはもちろんだし、精神的にも魂的にも一致させていくための技術だから、
いいよ、っていう感じ。
辛いところもあるけどね、やっぱり見たくない、自分自身の見たくない部分、これはラジオでも話したことがあるけど、
スピリチュアルは痛いっていうところで話したのかな。
やっぱり辛いところはある。見たくなかったこととか、今まで封印してきたことがバーって出てきたりするときがあるから、
やっぱりそこで踏ん張れるか踏ん張れないかっていうのはちょっとあるんだけれども、でもね、踏ん張れなかったとしても、
それこそ水道のパイプと一緒よ。水道のパイプが詰まるみたいな感じ?
そういうことが起こっちゃったりとかっていうことがやっぱあるんだよね。
だから、
私はね、やっぱりお金っていろいろこう、
稼ぎたいとかいろいろやっぱりあると思う。生活していくからさ。
だけど、私自身もまあ趣味的な感じでこうやってやって、趣味をちょっと得てて、
でもそれでね、なんか、
あ、なんか今までは趣味を得てなかったから、まあ夫のお金でって言ったって、私家事やってるからね、十分使う権利があると思ってるんだけど、
でも自分がちょっとこうやってもらったお金で、
あ、じゃあお誕生日に私が自分で稼いだお金でプレゼントしようとかさ、そういうことができる、なんかそういう楽しみもあったりとか、
まあそういうエネルギーの循環のためのものだと思ってるのね、お金のこと。
やっぱお金もね、あれよ、「いってらっしゃい!」って言って送り出す。
使うとき。この中でいいかな。
クレジットカードでも現金でもなんでもいいけど、
もういってらっしゃいって大きくなって帰ってるでねーって帰ってくるのよ、ちゃんと。
なんかそういうものだから。
そうそうそう。
昨日もね、「いってらっしゃい!」と思って。
いってらっしゃい。
まあよく張ってきたつもりでいるんで。
いやでもね、気分よくこうやってね、こうできるといいなと思いながら。
でもまた、いろいろ今日は思うところがあったなと思ったけど。
またちょくちょく皆さんもいろいろお話していきましょうよ、今後。
こっちの時間がまただいぶいい時間になってきてますんで。
そうだよね、ごめんなさいね。長くなってしまいました。
いやいやいや。楽しい時間。わっという間というか。
すみません、そちらも朝早くからというとこだったんですけど。
楽しかったな。いつもいつも。
またちょっとこっちが来るときの計画とかをちょこちょこやらせてもらいつつ。
あれではね、やっぱり週末がいいんですかね。お仕事とかされてるからね。
平日でもあれですし、大丈夫ですよ。
夜10時以降だったら全然時間とれますし。
この時間ぐらいだったら。
意外と俺あれですよ。日本時間の昼飯タイミングとか、ねえさんが配信してるときぐらいがちょうどいい。
滞ったりしてるんですよね、最近。ちょっと忙しかって、なんか滞っちゃっていたんだけど。
ちょこちょこ見てるので私は。
オロルもらった。
俺もちゃんとゲットしましたんで。
ギリギリでもらえた。
私は本当に聞けなかったんでね、ようやく無料配布で俺も私もゲットしました。
山本さんもやろうよ、ゲームシーンも作ろうよ。
そんな時間ないんじゃないの。
いいじゃん、ゲームしながら収録したらいいんだよ。
さすがに無理っす。
いやー、ほんと。
部員二人じゃ寂しいですよね。
ね、ほんと。
ありがとう。ありがとうございます、本当に。
ありがとうございました。
こんな感じですかね。
もちろんいい時間もいい時間なんで終わりにしようと思いますけども、
最後に本当に軽く感想とか、特に竹井さんとはね、原神を通じて話されたと思いますけど、
この番組っていうところで、結果的にはかなり広い範囲のお話をしていただいたことにもなりました。
何か一言、感想を言っていただければと思います。
なかなかこうやって話す機会、自分のポッドキャストで一人で話すことはあるし、
実際に会うお友達とかとね、こうやって話すことがあるけど、
他のポッドキャストに参加する形で、こういう霊的なことっていうかね、スピリチュアル的なことをお話しするのを機会をいただけて嬉しかったし、
すごい、山村さんは素敵な人が多いのかなと。
ねえねえ、ここにしかいないですよ。
私、旧姓が小川なんですよ。
へえ。
なんかさ、ほら、山村と小川って相性良さそうじゃないか。
近くにいそうな。
ねえ、山の中の村に小川が通ってるみたいな。
ありがてえ。
全国の小川さん、いい人ばかりだと私も認識しておりますので。
そう思いますよ。
浴衣箱の近くとかね。
浴衣箱の近くとかね、そうなんですよ。
俺からも最後に、お姉さまの人柄を一言でご説明しておきたいなと思ったのは、
このラジオに私がオファーしたときにね、
ちゃんと預言者ネームを考えていかなきゃいけないのかって俺に聞いてきたところ、
こういう人だっていうことはちゃんと伝えておかないといけないと思って、
ちゃんと俺らのことを知っててくれて、上でちゃんと言ってくれるのが。
マジ預言者で入んなきゃいけないのかなとかね。
だってだからそれ。
マジ預言者枠で入るのかな。
名前どうしよう。
マジじゃないほうで入ってきてください、マジじゃないほうで。
あれは本当に面白かったからこれからも続けてほしいです、預言者シリーズ。
数ヶ月後にやりますので。
マジの預言者友達に送りました。
これはまたどういう感想をいただけるのかわからないですが、
感想を持たれるのかどうかわからないですけどね。
面白いからね。
ありがとうございます。
これをお聞きの方も何だろうな、すごいいろんな
いろんな一応角度から一個さんという方をね、私たちなりに
つっても打ち合わせしたわけじゃないんで、結果的に。
本当にね。
でも多分これを聞いて長いですけど、全部聞いていただけた方は
きっと一個さんの解像度がめちゃくちゃ上がったと思いますし、
実際こう直接お話をするチャンスっていうのが
比較的近いタイミングで来そうということなので、ぜひその時にはね、
自分は良さじゃ届けるかもしれないですけど。
え、そんなこと。
もしタイミングが合えば、そういうタイミングもそうだし、こういった収録とかもそうだし。
ぜひですね、なんか。
なんかその一個さんの近くに感じていただければいいなという感じですかね。
全然信じてないけど、話聞いてみたいとか。
私も一人でね、パッてきた瞬間、タイミングとかで収録できるときもあればできないときもあるんだけど、
なんか一人で話しているので、なんか結構