何かしながら喋るとかができたら、
こんな時間かけなくていいだろうなみたいな、
そういうのもありましたし、
で、コテンラジオとか他の番組の中でも、
ユイさんが簡単にできるっていうアンカーさえ入れればみたいな、
そういう話もあったので、
思い切ってというか、
とりあえず始めてみるだけ始めてみて、
で、せっかく始めたし、
樋口塾に入ってみようと思って、
申し込んで、みたいな感じですかね。
打ちながら喋れるっていうのがいいですよ。
おかげさまは別にOKっていうか、
何かやってるっていうか、
そんな感じです。
公認。
妻は別に何かそれに対して、
何だろうな、肯定も否定もしないというか、
好きにすればって感じなんですけど、
子供たちはおかげさまで身内はないし、
みなさんによくしてもらっているので、
いろんなつながりで、
誕生日とかクリスマスに
何か頂き物してしまったりとか、
そういうのもありますし、
亡者さん生まれるのがいいよね。
それは本当ですね。
なんか子供同士が、
親がやってるポッドキャストの仲間で集まったときに、
その子供同士がまたお友達になるっていうのは、
ほっこりしますよね。
ほっこりしますね。
その話を聞くんですよ。
さらにこういうご時世なので、
オンラインでゲーム仲間になったりとか普通にする時代なので、
すげえなって思うんだよな。
今後もそういう形でできてきたらなと思うし、
この前も別に。
そういうちょっと離れたお友達って、
学校でのお友達って結構近い距離でね。
やっぱり子供ながらにコンタクトがするじゃないですか。
やっぱりこれ恋したほうがいいのにでも言わないとことかさ。
大人もあるけど子供も絶対あるじゃないですか。
そういうのから離れて、
そういうちょっとしらがみっぽいことから離れて、
ところにいるお友達ってちょっといいですよね。
いやと思いますしね、
その別の環境だからこそできることで、
バランスが取れたりするときがあると思うんですよ。
わかりますね。
自分自身なんかで思うけど、
学校にいるときと学習塾に行ってるときと、
やっぱり人格変わってたかなと思うときもあったりするし、
そういう別の世界があって助かったなって思うところは結構あったりするので。
山ちゃんもさ、山姉さんもさ、穏やかな感じだけど。
穏やかじゃない時代はやっぱりあったでしょ。
今でも穏やかじゃないですよ、これ。
大体会社でもどれに違いしても。
いやでも、お姉さまがご想像されてる穏やかじゃない時代っていう言葉の定義が、
ちょっと不安に思うところもあるんですけど。
とんがってる時代?とんがってる時代。
山田さん今でも十分とんがってるような気がしますけどね。
だいぶ丸っこくなりましたね。
そうですか。
丸くなったらね、年齢とかもあるよね、やっぱりね。
それは多分絶対あると思う。
雇用できる範囲が広がった感じはします、正直。
昔だったらもっとこんなことで簡単に怒ってたなとか、
自分自身を貫かなきゃいけないなとかってカッコつけたところがたくさんあったかなと思いますけど、
年齢とかもあるなと。
これ子供ができたからっていうのもあるかもしれないですね。
娘がいるところで、ここで自分が尖っても娘に利益は出ないなとかを判断したりとかっていうところで、
昔は競技できなかったけど競技してるなみたいな動画を感じるときありますね。
競技に育てられるこっちがっていうのもあるよね。
本当にありますね。
あと本当に日々楽しくやらせていただいてるかなと思うんですが。
素敵じゃないですか。これからわかんないね。
でもたぶんみおちゃんは大丈夫そうかな。
少年期とかどうだろうね。
自然の節理としてね。
女の子はパパ嫌だっていう時期が、それは自然なんですよ。ホルモンってあるんだってやっぱり。
私自分では父に対して、嫌だっていうことそんなにはなかったよなーって思い返すんだけど、
私が中学校高校ぐらいのとき、父は単身不眠してたんですよ。離れて暮らしてたから。
お父さんが時々帰ってくるときって特別じゃないですか。普段いないからね。
今みたいにこういう携帯とか気軽にするとしたら普通の電話ですよね。
LINEの電話ね、普通の電話でしかなかったし。
そんなに自然と頻繁に話すことってなかったから、そういうのがあったから自分はあんまり感じなかったのかもしれない。
もし一緒に住んでたら、あったかもしれないってふと思うんですよね、思い返すと。
うちの子どもたちもそんなにはないね。パパのこと今好きですよね、うちの子どもたち。
自分自身でもそう思うし、自分の母親が俺に言うんですよね。
あなたのおじいちゃんに対しては、どうしても好きになれない時期が必ずあったと言ってたので、
その辺は覚悟じゃないんですけど、それは普通だなと思うような感じで思ってますし。
それが成長の過程に見えることであればいいなと思うし。
もしければまたそういうところで戻ってくれればな。
20歳過ぎたときに一緒に酒を飲めてればいいかなとか、そのくらいのことを考えるようかなと思ってますけどね。
20歳って言ってももうあと10年しかやらないんで、ちょっといろいろ思うところなんですけどね。
もしかしたら大学で離れるかもしれないし、遠くの大学とか行ったらね。
それはそれでまた思うし。
いろいろ自分がやりたいことが実現できたらいいなとかって思って、
いろいろサポートしていきたいなと思いますけどね。
みこさんになりたいんだ。
そうそう、みこさんになりたいとずっと言ってたんですけど、
この前修行体験できる施設の喫茶ニャーですか。
医者いいなって言い出しましたよ。
医者さん。
いいじゃないですか。みこより親としてはね。
親としてはみこよりいいんじゃないかとかね。
なんとも言えないところではあるんですけど、
いろんなことに興味、経験することによって興味ができるんだなっていうのが親としてはわかった感じでもするので、
またいろんな仕事を見せる機会もあってもいいかなと思うし。
みこさんだったらね、私お友達に菅主さんになる修行されてる方がいらっしゃるんで、
そういうの聞けるっていうか。
すごいいろんなことを覚えなきゃいけない。
なり方を。
なかなか縁がない世界ではあるので、
サポートの声の書き方が限られるなと思ってはいたんですけどね。
いろいろ実際になっている方もいらっしゃるしなと思いますけど、
いろいろこの時代ではありますからね、
今自分は自分なりの最大の社会貢献をしているつもりなので、事業をすることで。
それがやっぱり一致したから余計楽しいってなりますね。
農業ってすごいよね。やっぱ自然とさ、調和して、自然はいつも変化しているから、
私、夫の実家が農業をやってるんですよ。
麦、大豆、大麦、大もろこしと、そういうのを育ててて、
やっぱりいつも天気予報と睨めっこをしながら、帰るときって大体8月とかだから、
収穫をしたりする時期だったりとかして、すっごい大きいトラックに乗せてもらったりとかして、
面白いよね。
天気見て、湿度見て、麦の状態を見て、よしじゃあ下行こうとかね、そういう感じで決めてたりとかして。
もうね、お年だからちっちゃくちょっとずつ。
動物もね、ヒツジとニワトリとクジャクといたんですよ。
でも動物は手放してお世話ができないから、お年だから。
ニワトリとヒツジはペットとしてというか。
ニワトリはたまごちゃんで、フリーケージで広いところに放されてて、
たまごを産んだやつを。
中に有性の子だと、全員じゃないかもしれないけど、有性の子だとちゃんとお母さんが上に温めてるんだけど、
有性じゃない子だとニワトリはほっぽってるんだよね。
ほっぽってるやつを拾って。
ヒツジはラムだよね。
それが悲しいというか、ちょっと攻め気合がある中で。
その中でクジャクが気になったんですけど。
クジャクはペットでいたんですよね。
もう死んじゃったんだけど、クジャク。
アメリカってタカ、日本もいると思うんですけど、タカとかが飛んでニワトリを取りに来たりするんですよ。
タカが来るとね、クジャクさんがほーんって鳴いて、教えてその声を聞いて。
私たちはその声の違いがわからない。あんまりわかんないんだけど、それを聞いてバーッと物陰に隠れるニワトリが。
すごいの、クジャク。面白いの。
私たちはクジャクにとっては知らない人で、
知らない人がお客さんに来ると、ベランダのほうにもそもそもって来て、窓のところから見てる。
そっちがちょっと動物園の動物になったような気がする。
お、クジャクに見られてる。
クジャクすごいですね。
ピックしに来たりする。
クジャクすごいんですよ。面白かったですね、やっぱり。
今、我が家にあるんですけど、オスのクジャクとメスのクジャクといて、
オスのクジャクは羽が綺麗な羽を広げる。
あの子が亡くなったときに羽を取って、
それをアートの作品にしてくれる人のところに譲ったり、
我が家にもいくつか着て飾ってたりするんだけど、
面白いですよ、クジャク。
おっきいしね。
ユーユーとしててかっこいい。
女の子もちょっとかっこいい、綺麗で、白っぽくて。
一回、新入社員のときに行ってた現場に配属された山の中で見たんですよ。
クジャクが来たんですよ、現場に。
野生カフを逃げてきたかわからないんですけど、
現場のハンバーのすぐ脇の朝礼をする広場のとこに、
ノッソノッソ来て、ブワッサーって広げて、
またよそよそ歩いて出てったんですけど、
本当に親分を呼んで、
ちょちょ、クジャクがいます!みたいなことを言った記憶があるんですけどね。
だからそういうペットにっていうのはすごいなと思ったし。
あれですよね、ねえさんもご主人が外国の方でってことになると、
いろいろなギャップじゃないけど、新しい発見みたいなところってあったかと思うんですけど、
一番大きいことはありますかね。
一番びっくりしたことを言うとね、
初めて夫の実家に帰ったときに、
当時はまだ健在だったおばあちゃんと夫が、
あとお母さんともなんだけど、口でキスするの。
それにびっくりした。
それにびっくりしました。
ほっぺたはね、分かるけど、
でもね、外国人結構いるんだよね。
私の友達の息子の友達がお母さんと口でキスしたりしてさ、
うちは一切ないから、ほっぺたとかもしないで、日本人だからさ。
ハグ、何かのときにハグするかどうかだけど、
みんな離れた時は、いってらっしゃい、いってきます、みたいな感じくらいだから、
おーっと思います。
やっぱりそれ一番最初にびっくりしました。
彼は、私が大学のときにね、さっきもお話しした通り、
エクスチェンジストゥデン、エクスチェンジじゃないね、トランスファーで、
ミシガン大学の文工に2年間いたし、
だからそれで日本語がすごい上手だったし、
その後も日本語ができるからって、
金融業界で働いてたんですけど、
最初はアメリカでちょっと働いた後、
もう日本に来て、トータルで言うと10年間仕事してたんですよ。
で、その間に出会ったんですけど、
もうすでに日本語が上手だったし、日本のこともよく知ってるし、
アメリカ人だからっていうギャップはわかんなかったけど、
全部その実家に帰ったときに、お母さんとおばあちゃんと口でキスしてたから、
それが一番驚いた。
驚きますね。
それが一番驚いた。
でもさ、別に男の子女の子だから、男女だからっていうわけじゃなくて、
娘と母とおばあちゃんとかも口でするわけ。
でもさ、たぶんおばあちゃんの世代だと、特にそういう世代だったと思うのね。
だからおばあちゃんは遊びに来て、2週間3週間遊んだ後に、遊ぶっていうか滞在した後に、
私たちがまた外国にね、当時はたぶんシンガポールだったと思うんだけど、
帰るっていうときに、おばあちゃんは私にも、娘たちにも口でキスするの。
対処困る。
別にシュッて普通よ。普通に軽くシュッてよ。もちろん。
だけどさ、衝撃だったよね。
いやまあそうですね。
わかるじゃない、キスするときのこの寄ってくる感じ。わかるでしょ。
私はほら、ほっぺかなと思うからこうするんだけど、なんかこういう感じじゃないですか。
こうちょっと寄せられてる感じで。
あれはびっくりしたよね。
一番最初は夫の時間に遊びに行ったときは、
私は夫とは結婚する前に6年間お付き合いをしてたんだけど、
結婚する前に遊びに行ってて、
そのときはね、そのときはおばあちゃんにも会ってたけど、口にはキスしなかった。
家族になってからってことね。
家族になってから。
なるほど。それは衝撃的だな。
びっくりしましたね。
それが一番。
でもアメリカ人でもしない家族もいると思うけど。
まあまあね、その地域差というかもちろんあるかもしれないですけどね。
ないよね。
お母さんと口でキスすることちょっと考えてみて。
うちはない。
寂しいよね、親としては。
それはそう。親としてはこれがあれだったほうがいいなって思うときがあります。
いやー面白い。それもすごいな。
旦那様と今ご結婚されてたのは何年なんですか。
もう29年ですか。
そっかー。
娘いくつになったか忘れちゃうね。
2年生。
若いときにはご結婚されたんですね。
うん。でも出会ったのが21くらいで、結婚したのは26。
結婚するつもりはなかったんですよ、別に。
付き合いしてたし、ずっと一緒にいたいってお互い思ってたけど、
でも別に結婚という形を取らなくていいよねっていう感じだった。
別に結婚しなくても一緒にいられるし、それでいいよねってなってたんだけど、
そのときは夫は東京でお勤めをしてて、
でも選挙をこうしてシンガポールに引くってことが決まったときに、
一緒に来るでしょみたいな感じで言われたけど、どうやって行くんだって。
行ったり来たりもできないし。
それで、ああいう金融関係の人の転職とかって一気に決まったりするのね。
一応ルールがあって、会社から引き抜か…どういうルールだったかな。
自分から辞める場合は、3ヶ月間働けないとか2ヶ月間働けないとかがある。
情報を持ってくるとかね。
会社間の取り決めで、すぐに次のところで働けるとかもあってね。それだったんですよ。
一気にすごい早く決まっていって、もう来月引っ越しますみたいな感じになって。
じゃあ結婚して、ビザ取って一緒に行こうよみたいな感じになって。
ああ、そう?OKっていう感じで。
届けだけ出して、親に言って。それで引っ越しをしたんだよね。
1ヶ月ってことは2ヶ月ぐらいあったのかな。
結婚する前に一回住むお家見に行ったりとかっていうのもあって。
でも本当に結婚は勢いだっていう人もいるけど、6年した後にさらにそういうタイミングでっていうのもまた、運命的なものが多いんですね。
それがなかったらしばらく結婚してなかったかもしれないね。
旦那様が外国の方だって伺ってたので、どういう感じで会えたのかなって思ったんですけど、
ちょっと納得というか、でもそうかと思ったりするし。
ねえさま、いろいろシンガポールと今アメリカ国内とかいろいろありますけど、
いろいろ世界のところを見られて、ここすげえよかったなみたいなところとかあります?
シンガポール時代とその間にアメリカに来る前に住んだ日本時代は、エキスパッドだったのね。駐在妻だったわけ。
私はその間セレブだったんですよ。セレブ生活を送っていたんです、私。
それをまたしたいかっていうと、今のほうがいいので、
いたいとは思わないけど、住み込みのお手伝いさんがいたりとかして。
そうなんですよ。だから別世界を、ちょっと夢の世界を見てた時がありましたよね。面白かったよね。
シンガポールはすごい住みやすくて、季節も一つしかないし、見てくれが全員アジア人じゃないですか。同じ、変わらない。
駐在だったので、会社がすごいいいお家とか用意してくれたりとかして、自由にしてましたよね。
長女は、育ては知ったけどお手伝いさんがいたし、
私当時、バレエで足を怪我してあまり踊れなくなったときに、ベリーダンスに出会ってて、ベリーダンスをやってたんですよ。
シンガポールの日本人会でベリーダンスを教えたりとか、ショーに参加したりとか、
パーティーに呼ばれて踊りに行ったりとか、結構自由っていうか。
面白かったですよ。子どもがいながら子育ても楽しみながら、自分の好きなこともできて。
それは良かったっていうか、面白い体験でしたなって思います。
俺も前いた会社の海外部門の拠点がシンガポールが中心だったんですよ。
そこの交番関係作ってたので、そこに駐在されてた小先輩方と奥様を見てると、
ちゃんとアスキーパさんがいらっしゃった世界だったから、すげえなって思ってたんですよね。
日本人の駐在の奥様は大変だったと思う。
しがらみがすごい。日本人妻会。
私は外国人で外国企業だったから、そういうところからは外れてたんです。
日本人会で教えてると、やっぱり日本人会は日本人の企業のご主人とかがほとんどだったので、いろんな話聞きましたね。
奥様方にはないんですけど、上下関係的なところが出てくる。上司の方々とか。
そう、上司の。
あるんだなあ、そうか。大変だなあ。
そういうのを聞いてましたね。
私は外にいたので、「うわー大変ですねー」って言ってたね。
シンガポールは食べ物がおいしかったし安いし、体が良いか悪いかって言ったらそんなによくないかもしれないけど。
気にならないところはいいですよね。
日本人でいながら駐在で日本にいたときは、子どもがアメリカンスクールに通っていたので、
いろんなアメリカ人の奥様たちの話とか聞いて、よくよく聞いてると、この人実はドクターです。
この人実は弁護士ですとか、この人実は会社やってましたとか、すごい人たちがいっぱいいるんですよ、お母さんたちが。
ご主人の仕事の関係で日本に来てるので、彼女自身のワーキングビザがないので働けないんですよね。
せっかくスキルがある。
そういう方々はどこに常年像を注ぐかって言ったら、子ども学校なんですよ。
すごいなーって、そういう人に勉強させてもらいました。
おー面白い。
そうですよね、だってそれだけ能力があられる方だからね。
一つ一方向だけで全力注げって言ったら、ストレスもないパワーですよ。
万博みたいな、すごい気合の入り方で本格的に。
私は横っちょが外すぎこのほうにいて、
売店とかで配ってくれる人募集しても、そういうとこに入ってポチッと入ったりとかね、っていうくらいで。
できることをやるっていう。
この前、3月のときに、ポッドキャスでおっしゃってましたけど、
3月11日、2011年のときですね。
すごいですね、そのとき東京でしたね。
東京で六本木にいらっしゃったってことだったんで。
俺もちょうど赤坂三介のとこにいたんですよ。
近くにいたんだ。
めちゃめちゃ近くにいたんですよ。
上司さんの病院が赤坂だったので、
ちょうど地震あったときに、
俺今豊島区に住んでたんですけど、
電車止まると思ったから、地震だったからバーって車で寄せて。
で、4時過ぎには赤坂三介の交差点にいたんですけど、
家に帰るのが夜8時だったんで。
車で帰ると?
車で帰らざるを得なかったので、途中でガソリンスタンドに乗って、
燃料満タンに入れとけって言われて、
そのまま燃料をまた入れてっていうのを経験したんですけどね。
あのときも大変だったんで。
でもすぐさまお姉さんも帰国しなきゃっていう話になったっていう中から。
それがやっぱりね、日本に住んでる人たちにその話をすると、みんな知らないんですよ。
そうだよね、知らないねって思って。
本当にボロボロの飛行機で、上の棚が揺れるんですよ。
飛行機が揺れると荷物入れがガタガタガタって。今そんなことないでしょ。
ないないないないない。
テレビはもうない飛行機で。
それって怖いですね。
そう思いながら、怖かったですよね。びっくりしたよね。
でもやっぱり一番最初にこの地震が起こったとき、何が起こったかわからなかったことと、
六本木のビルがね、実際には森ビルがこういうふうに回ってた。
こういうふうに揺れてたけど、私から見るとこうでしょ。
なんかこれは森ビルだとすると、こういうふうにクロスするんだよ。
クロスしていくみたいに見えるの、他のビルと。
本当に外に見てて建物がああいう揺れ方をしている姿を、俺も見たことがなかったので、
衝撃でしたね、あのときは。
びっくりしたよね。
そちらはそんなに地震ないですか?
全然ないですね、コロナとはね。
本当は山があるので、台風も来ないし、竜巻とかも、私ちょっと離れるたんですよ、でかいから。
コロナのすっごい平地っていうところもあるので、ちょっと離れるとあるけど、
私が住んでるところは本当にロッキー山脈のふもとにいるんですよ。
だから台風もないし。
ただね、2012年に引っ越してきたんですけど、2013年に500年に一回大水が起こって、
山のほうに雨がいっぱい降って、でも耐えきれなくなって、やっぱり鉄砲水ですよね。
でも街が水没したみたいなときがあって、私のところはまだ高かったので大丈夫だったけど、
でもうちの目の前の湖と遠くの湖がつながったんですよ。
これはショックですね、見たときは。
びっくりしましたよね。
土木屋なので鉄砲として言われるんですよね。
水は高いところから低いところに流れるぞと。
低いところに住んじゃいけないっていうのは、ずっと鉄砲のように言われるんですけどね。
やっぱり川沿いとかその辺に日本も土地がないから建物を建てられるので、
5、6年前にも降りましたけどね。
アメリカってほとんどのうちに地下のお部屋があるので、