ファミリーイベントの概要
僕たちは、死ぬために生きている、ヤマルののんびりしたいラジオ。どうもカタカナのヤニクとテノマルと書いてヤマルでございます。
僕は普段、不動産賃貸業というね、ビジネスに挑戦しながら、サラリーマンとしての活動、あれちょっといつもと逆だ。
本業はサラリーマンですね。普通に給与収入もらってるんですけれども、副業として不動産賃貸業、大屋さんとして家賃収入をゲットする活動、そうそうそう、この順番だ。
なんか順番逆になっちゃいました。それだけ不動産の熱意が高まってるからでしょうか。
そしてさらにですね、エンターテイナーになりたいという夢もありまして、エンタメを仕事にしたいと思ってるんです。
それを具体化するために、今はお笑い芸人としての活動にお熱になっております。
そんな僕がですね、今日お話したいことなんですけれども、先週の日曜日なんですが、ファミリーイベントに参加してきました。
これはですね、僕が運営のお手伝いをしているワクワクというコミュニティ、これ主に名古屋で活動してるんですけれども、
その代表であるコビーさんと、京都の方で活動されているバーニング大屋さんという大屋さんがいらっしゃるんですけれども、
すごい方でして、もともと京都で消防士をされてたんですけれども、不動産賃貸業で独立をしまして、
消防屋さんという形で不動産屋さんをやられているという方でございまして、
すごくビジネスとしての視点だけでなく、その生き方としてですね、
その考え方みたいなところもすごく尊敬してやまないバーニングさんなんですけど、
そのお二人が卓球を組んでコラボイベントという形で、奈良の小学校の体育館、
これ元小学校ですね、廃校の体育館を貸し切りまして、ファミリーイベントを開催されました。
何組かのご家族と、あとはフリーランス保育士としてスタイフ会を石鹸圧巻しているミュウさんもいらっしゃってですね、
本当にいろんな家族の、いろんな子どもたちの、そしていろんな生き様を垣間見たような、
そんなイベントでございました。
子どもたちの自由な遊び
それについて今日は振り返っていきたいなと思うんですけれども、
イベントの詳細、プログラム、趣旨みたいなところはすごくシンプルだったんですね。
みんなで遊ぼうぜと、それ以上でもそれ以外でもないような企画だったんです。
プログラム自体もあんなことしたい、こんなことしたいというのを皆さんが意見を出し合ってやったんですけれども、
結局やったことって4つぐらい。
例えば、じゃんけん列車をして、みんなでじゃんけんして一番先頭から最後まで一列の電車を作るとか、
あとはラケットにボールを置いてリレーをする、運動会みたいな競技とか、
ムカデ競争とか、しっぽ取り鬼ごっことか、そんなのを子ども中心に楽しんでやってたんですけれども、
それがメインでありメインでないような感じがして、僕はすごくそれが良かったんですね。
子どもたちが自由に遊んでいる姿がすごく印象的でして、
みんなでこれやろうぜ、これやりますよ、ルール聞いて、今この人が喋ってますよ、
学校の規律というか規則的なやつが全部ないような。
みんなしたいときにしたいことをしている、僕のモットーですよ。
好きなときに好きなことを好きなだけする生き方を子どもたち全員がやってて、
それにすごく感銘を受けたというか、そうかこれでいいじゃんと思ったんですね。
なんかこう、みんなとか親とか周りからやろうぜとかやりなさいじゃなくて、
これが私今やりたいとかね、今僕はこのボールを追いかけたいとかね、
今私はこの虫を捕まえたいとかね、それが相互に爆発生まれて、
そこでまた新たな価格反応が生まれて、そのとき初めて会った名前も知らないお友達と、
気づけばトカゲやカマキリを交換し合う仲になっていたりだとかね、
今誰か投げたどこかわからないゴムボールが当たって痛かった痛くなかっただろうの議論が生まれたりとかね、
もうなんかそれじゃんって思ったんですね。これいいなって思ったんです、僕はね。
生きる意味についての考察
初めましての子どもたちがたくさん集まる体育館という空間を見て、
僕はこれいいなって思ったんです。大人とも話をしました。
それはもちろん不動産地に対応されている、同じように不動産とされていて、
ビジネス的な視点で泣きついた人もいます、僕はね。
どうしたらいいと思います、これってね。僕今こうなんですけどみたいな。
助けてくださいみたいなね、嘆きを受け止めている方もいらっしゃればね。
僕が全く知らない世界のお仕事をされている方とかがいて、
その方の話を聞いて、すごい人生だなとか、なんでそれを仕事にしようと思ったのとかね。
僕も今自分の働き方にすごく迷いや悩みがある人間ですから、
その人の働くという歴史を聞いてすごく感銘を受けたりだとか、
衝撃を受けたりとかして、それもすごく楽しかったですね。
でもそういった子どもたちとか大人たちとか、いろんな人、いろんな場所から来た、
いろんな背景を持った、いろんな感情を持った、いろんな人と関わっていく中で、
僕はすごく思ったことがあって、僕たちはもう死ぬために生きているんだなって思ったんです。
すげえ広い話しますけど。
バーニングオヤさんのいつかの配信で言ってたんですけど、
人間が最も効率よく生きるには、生まれてからすぐ死ねばいいと言ってたんですね。
すげえ怖いこと言うなと思ったんですけど、ちゃんと意味があって。
最も効率のいい生き方というのは、死ぬことなんですね、人間がね。
でも私たちが死ぬまでにやることというのは、極論全て無駄なことだということなんです。
なるほど、みたいな。
お金を稼げばいいか悩むことも、誰かと出会って愛情を育むことも、
言ってみれば全部無駄なことであるわけなんですよ。
効率よく生きようと思えば、合理的に生きようと思えば。
でも、絶対そんなことないじゃないですか。
僕たちが望むことというか、少なくとも僕が望むことというか。
ということは、その人それぞれの望む生き方があるわけなんですよ。
最も効率のいいではなくて、合理的ではなくて、
その人がありたいとか、なりたいとか、やりたいと思うことが必ずあるわけであって、
これが人間の面白さだなと僕は思って走り回っている子供たちが、
今何をしたいのかというのは、その子供たちそれぞれによって全然違いますし、
大人になっていろんな人生を歩んできた大人たちの話を聞いても、
自分がやっていることとか、これがやっていきたいこととか、
どういう人生かというと、みんな違う、当たり前ですけどね。
そこにそれぞれの幸せがあって、それぞれの悩みがあって、
それぞれがそれを今、何とかして生きているわけなんですよ。
僕みたいに悩み苦しんでいる方もいれば、思い切り自己実現を果たして、
今自分は生きるという幸せを体感しているという人もいるわけなんですよね。
そういう人間の面白さみたいな、人生の面白さ的なとこまで俯瞰してみちゃう。
見ちゃった僕は体育館の中で、すげえ幸せな時間でした。
じゃあ僕はどうなの?と。
逆に言うと、そう考えると、誰しも絶対同じ人はいないわけで、
これも当たり前の話ですけど、
同じことをやったって絶対幸せにはならないんだとも思ったんですよ。
僕は尊敬する人とか、こうなりたいなと憧れる人はいっぱいいますけど、
その人にはなれないんですよ。なりたくてもなれないし。
その人になったら僕は幸せかというと、そうでもないおそらく。
僕には僕だけが味わえる幸せが必ずあるわけであって、
僕が死ぬまでに感じたい喜びとか幸せが必ずあるわけであって、
これを一秒でも長く、一秒でも早く見つけて一秒でも長く味わっていくことが
僕の生きる意味じゃん。
僕の幸せは何なの?みたいな。
そういうのを見つけていきたいし、
さらにそうなってくると、喜怒哀楽全部ありがとうじゃんって思ったんですね。
悩むこととか苦しむこと悲しむことも、
効率よく生きるという意味では無駄なことであって、
幸せすらね、嬉しいと思うことすらね。
でもそれを体感するってことは僕たち間違いなく生きてるということなんですよね。
死んでないということなんですよ。悩めてラッキーです。
悩めて幸せなんですよ。
そう思ったら、ネガティブで仕方ない僕の心もちょっとだけパッと明るくなりました。
体育館とか外の庭で無邪気に、
本当に今やりたいことを全力でやっている子どもたち、
そして何かのご縁でこうやって集まってきた大人たちを僕は俯瞰してみて、
勝手にね、じゃあ僕の幸せってなんだろうとか、
じゃあ僕の幸せってなんだろうって悩めている今の僕って幸せだなとかね。
そういうこの心の築きというか、新たな心の動きみたいなのを感じてとても幸せでした。
ヤマルでした。