お盆の訪れと故人を思う
【Obon】だから、故人をしろぼう!
大山梨ののんびりしたいラジオ、どうもカタカナの親肉とお手の丸と書いて大山梨でございます。
僕はですね、普段は普通の一般サラリーマンをしておりながら、
まあ、勤め人ですね、をしておりながらですね、
副業として不動産賃貸業、いわゆる大屋さんにね、挑戦しております。
まあ、今はね、地区売る子だてを何個か賃貸したりだとか、
今後ですね、もっと大きなもの、一棟アパート、アパート丸ごとごっそり買い取ってですね、
それで家賃収入ゲットゲットっていうふうな活動をしていたりだとか、
最終的な目標、夢はですね、エンターテイナーになりたいんですね。
人を笑わせたり感動させたり、面白いこと言ってずーっとふざけたり、
そういうことを仕事にしたいと思ってまして、
その夢を叶えるべく、今はお笑い芸人にお熱になっていたりなんかしております。
そんな毎日を過ごしている僕のアウトプットをしているラジオ、
それがですね、大山梨ののんびりしたいラジオでございます。
OBU…OBU…違う、忘れたと、OBUNだ。
OBON、お盆ということで、お盆ですね。
今年もお盆がやってきました。
日本は本当にお盆が来るよね、毎年ね。
皆さんお休みしてますか、ちゃんと。
長い連休とれてハッピーなんですけど、
僕もうね、典型的なザサラリーマンですよね。
平日9時5時勤務の、
あ、そうか、違うわ。平日1時9時の勤務をしておる。
ちょっと勤務時間は変日なんですけど、普通のサラリーマンをしてまして、
お盆最高なんですよ、この1週間はね。
思いっきり休みとって、思いっきり休んでやろうと思ってるんですけれども、
まあね、お盆といえばですよ、先祖が戻ってくるじゃん。
母親との思い出と家庭の事情
ナスとかキュウリとか乗って戻ってくるじゃんということで、
せっかくならばですね、
僕の発信活動の中でも個人はしのんでいこうかなと思うんですけれども、
皆さんの周りに亡くなられた方いらっしゃいますか?
僕はですね、実の母親が、僕が6歳の頃に他界しておりまして、
実の母親との思い出が6年間しかないんですよね。
だから、片親で育ってきまして、
僕が10歳の頃にですね、新しいお母さん、ニューママがカミングしまして、
ギリの母に育ててもらいながら、
本当に33歳まで元気に生きているんですけれども、
今日はそんな僕の亡くなったお母さんの話をちょっとしようかなと思ってまして、
6年間しかないので、物心はついてましたけど、あんまり記憶がないんですよね。
だから大好きだったお母さんっていう、なんていうのかな、
固定概念というか、お母さん大好きなもんでしょうというかね。
でもお母さんがどんな人だったのかっていうのは、
僕は知らないままずっと育ってたんですね。
まあ、こういう家庭事情複雑な方あるあるだと思うんですけど、
自分の身の上話をするとき、気を使われそうで気を使うっていうのはありますよね。
あるあるですよね。
あのね、お母さんいないんですよとかね、片親で育って、
ギリの母がいるんですみたいなことを言うとですね、
周りそれを聞いた人が、ああ、そうなんですか、みたいな。
これ、今もう大人になってからですね、話すと、
ああそうなんだ、大変だったんですね、ぐらいで休むんですけども、
その思春期とかね、僕ちっちゃい頃にお母さん亡くしてるんで、
そのたかんな盛りとかの時期にですね、
そういう話をすると、ああ、みたいなね。
同世代の子には聞いちゃいけないこと聞いちゃったって思われるし、
親世代の人から、ああ、もうかわいそうだったね、みたいなね、
かわいそうを決めつけられたりするんですけども、
これあるあるじゃないですか、家庭事情複雑な方々。
なんですけど、実は、もちろんあれですよ、
いろんな捉えからする方いらっしゃいますけど、
僕はそんなに気にしてなかったというか、
逆に幼い頃に親と離れすぎてですね、
それが当たり前みたいなね、
実の親父と途中から来たお母さんが家にいるみたいな、
これが当たり前だったので、そんなにね、
当時はね、何も思わなかったんですよ。
逆にね、なんでそんなに眉毛下がるの?みたいなね、
眉間にシェア寄せるの?みたいな、
不思議な思ってたぐらいだったんですけども、
当たり前のように生きてきて、
一生懸命学校行って、勉強頑張って、
それなりの大学行って、
結構固めのサラリーマンの仕事してるぞ、みたいなね、
僕としてはすごくいい人生を送れてきてるんだなって、
思ってるんですよね。
実はあんまり当時の本人に気にしてないっていう感じですから、
皆さんもね、あまり過度にですね、
かわいそう、ムーブを出さずに、
純粋に接してあげてください。
大人になってからの自己理解
家庭事情複雑な方とかね、
何かパーソナルにいろいろ問題を持たれてる方に対しては、
素直な心で接するのが一番ですよ。
ヤマルでした。
なんかいい終わり方しできそうだったんで、
終わっちゃいました。すみません。
もうちょっと話続くんですけど、
だったんですよ。
でも大人になってですね、
自己理解が深まるというか、
自分ってどんな人間なのかを改めて、
第二のモラトリウムとでも言いましょうかね、
考えてみるとですね、
やっぱり親がいない愛情不足からなるものっていうのは、
絶対あるんだろうなと思うんですよね。
それはもう皆さんわかると思いますけど、
僕はもう本当に目立ちたがり屋で、
面白いことを言いたがり屋という側面がありまして、
これはもうみんなから面白いと思われたいとか、
目立ちたいとか、
本当チヤホヤされたいという欲求がね、
すごく強いんですよ。
ファンクラブ立ち上げちゃうぐらいですかね。
自己承認欲求とか、
自己堅持欲とか、
そういったものがですね、
ものすごい高いんだろうなと思うんですね。
これってまあ、
天性のエンターテイメント機質とも取れるかもしれないですけど、
やっぱり僕の幼少期の母親からの愛情不足っていうのは、
絶対かな、
言い切れないですけど、
一因としてはあるんじゃないかなと思うんですね。
だからですね、
本当不思議な現象が起こってるんですけど、
僕の中で、
母親を亡くしたことに対して、
母親に対してね、
それこそお盆で、
お墓参りに行くときなんかに、
お母さんいないけど大丈夫だよみたいなね、
お母さんのこと大好きだよみたいなことを思いながら、
手を合わせたんですけど、
幼少期というか今までとかですね。
最近はですね、
ちゃんと怒りがあるんですね。
湧いてくるというか、
なんで俺を置いて死んじゃったんだよとかね。
そういう気持ちを、
なんていうのかな、
自分に偽ることなく、
持てたというか。
なんか下手すると、
好きとか愛するという気持ちよりも、
怒りを持つこととかね、
不満を持つことの方が、
難しかったんじゃないかなと思うんですけど、
ちょっとここの細かい解像度を上げられてないんですけど、
今はね、
大人になってね、
なんでだよお母さん、
先に死ぬなよとかね、
思う気持ちがちゃんと出てきてですね、
そこは僕の中でなんか一個、
自己理解が深まったというか、
家族との付き合いが変わったというか、
怒りを持つこと自体は別に悪いことではないと思うんですね。
今まで妄心的に思い込んでたんですよね。
お母さんがいなくても大丈夫とか、
お母さんがいないけど、
お母さんはいい人だみたいなね。
じゃなくて、
ちゃんと向き合って、
この人生を振り返って、
おい、
こんな愛情不足の塊人間になっちゃったじゃないか、
ファンクラブなんか作っちまったぜ、
もっと俺を愛してくれよ、
あの時。
そういう気持ちをちゃんとぶつけられるようになってきたなという気がするので、
文字面だけにすると、
ネガティブな受け取り方をされるかもしれないですけど、
全然そのことなくて、
ポジティブにですね、
また一個、
お母さんと仲良くなったというかね、
もうこの世にいないんですけど、
お母さんに本音が言えるようになったというか、
そういう意味ではですね、
大人になってよかったなというか、
自分のことを理解が深まって、
あるいはもう6歳の頃で終わってしまったけど、
お母さんとの関係が深まって、
嬉しいなぁみたいな風に感じてるんですね。
うわぁ、なんかここをもうちょっと誰にでも伝わるように、
分かるように伝えたいんですけど、
ちょっと今の僕にはこれぐらいしか言語ができないのが悔しいです。
皆さんもせっかくのお盆ですから、
個人に思いを発してみてはいかがでしょうか。
ヤマルでした。