お笑いオーディションの挑戦
【もったいねぇ】
【もったいねぇ】
【もったいねぇ】
人生最後は骨になる。灰になる。ヤマルののんびりしたいラジオ。どうもカタカナのヤに黒点の丸と書いてヤマルと申します。
サラリーマン×大屋さん×お笑い芸人という掛け算の中ですね、僕は今日々活動しております。
どれもこれもですね、一生懸命やってるんで毎日充実していて、そんなアウトプットをこのラジオでお伝えしております。
今日はですね、どれにも当てはまらないんですけど、ある意味どれにも当てはまるようなぼんやりしたとした言い方で申し訳ないんですけど、
一昨日ですね、8月27日の水曜日、僕は人生初めてのお笑いオーディションに挑戦してきました。
CBCのお笑いラジオスターズというオーディションライブというやつでしたね。
これを勝ち上がるとCBCラジオの生放送に出場する権利が与えられるというようなオーディションだったんですけれども、
結果ですね、11組のお笑い芸人がいてヤマルの順位11位でした。
うーん、最下位。
傷つきましたね。
だいぶ落ち込んできましたね。
それに関していろいろ感想を述べるYouTubeなんかも撮りたいなと思っているんですけど、
今日は本筋というか、言いたいことはその次の日でして、次の日というのは昨日にあたるんですけど、8月28日の木曜日ですね。
遠い身内の親族の不幸がありまして、国別式に参加していたんですね。
前日お笑いライブして、次の日国別式と、前日ヤマルTシャツ着て出会って、
翌日も服着て証拠を述べるという、ご証拠をするという、本当に非日常的な、刺激的な毎日を送っているんですけど、
その国別式で僕が思ったことをお話したいと思うんですよ。
お葬式とか人の死に関わるお話なんで、明るくはないかもしれないんですけど、
僕の中では結構明るくなったという話で、そもそも亡くなられた方が遠い身族で、
しかも老衰で、もう95歳という年齢で亡くなられたということで、
大きな病気があって亡くなられたというような感じでもなく、
国別式での気づき
参加された僕含めて参加していた親族の人たち全員、悲しみに暮れるとか、
涙で何も言えないとかそういうことではなくて、
長生きしたんだねというような、ちょっと穏やかな雰囲気で見送ることができたんですけど、
国別式とかお葬式は僕久しぶりに出たんで、
ああそうかこんな感じだったなーみたいな流れで進行していて、
最後に仮想場で遺体を焼いて納骨するというところまで一緒に参加したんですけど、
ちょっとなんていうんですか、誤解を恐れずに言うなら、
死んだら人って骨になるだけなんですよね、本当にそのまんまなんですけど、
焼かれたご遺体が骨になってそれを納骨してきたんですけど、
ああそうかと、僕たち死んだらもう骨になるんだ、灰になるんだ、それで終わるんだなって改めて思ったんですよ。
言葉の上でというか日常生活の中でもそういう意識はあるじゃないですか、
最後は仮想場で焼かれて骨になって大墓に入るんだみたいな認識は皆あると思うんですけど、
実際その現場を見て、実際ご遺体を目の当たりにして、そして骨になった姿、納骨した姿を見たら、
ああもう人間の人生の儚さみたいなのを改めて感じたんですよね。
思ったらそこから僕、今日に至るまで今に至るまでずっとこの人生観みたいなことを考えてたんですけど、
本当にやりたいことをやらなきゃもったいないなって思ったんですよね。
自分自身が亡くなったら死んじゃったら何にも持っていけないですし、お金とか資産とかね、
どんな人生を最後に迎えるかわかんないですけど、最後の最後まで幸せだな、楽しいなと思えた方が絶対いいじゃないですか。
そう思ったら今やりたくないこととか嫌なことみたいなのって、できる限りそっちを選ばない方がいいなと思ったんですよ。
どうせ死ぬんだから、どうせ最後骨になるんだから、みたいなふうに思ってたらですね。
僕の最近常日頃そう考えるようになったんですけど、より強く強調されるようになったなっていうのが2つあって、
1つがさっきも言ったんですけど、好きなことやろう、やりたいことやろうっていうことですね。
その方は95歳まで生きたんですけど、僕今33歳で何年、95年まで生きれるんかなみたいな。
多分僕、もともと体弱いですしメンタルも弱いのであんま長生きできなさそうなんですよね。
ってなるともったいないんです。嫌なこと考えてる時間とか嫌なことしてる時間、やりたくないことやってる時間もったいないんで、
絶対好きな方やりたい方を選ぶべきだなって思ったんですよ。
だから人生をちょっと俯瞰してみれたというか、たっかんできたというか。
あともう1個は、同じようなことなんですけど、日常で起こるストレス、嫌なこととか困ること、
人間関係とか僕よくあるんですけど、そういうのも価値ないなと。悩む価値ねえぞって思ったんですよね。
そんなことにもちゃもちゃ苛立ってたり悩んでたり悲しんでることするのは結局もったいねえと思ったんですよね。
だってどうせ骨になるんだからみたいな。すごくネガティブな意味じゃなくて、
どうせ僕ら最後死んじゃうんだから、骨になって終わっちゃうんだから何しても無駄じゃんじゃなくて、
やばいやばい、あと数十年で俺たち灰になっちゃうぜって思ったときに、
じゃあもうこの残された時間でおもろいことやるしかねえなと、楽しいことやってたほうが絶対いいでしょうと。
あとは目の前に降りかかってくるストレスとかって歯虫みたいなもんで、振り払って気にしないほうがいいなって思ったんですよね。
だから人の死を目の当たりにして、僕の生というかどう生きていこうみたいなのを思ったんですよね。
もしかしたら個人を忍ぶという場面ではふさわしくなかったかもしれないんですけど、
僕本当に最後何回か脳骨する前に手を合わせて個人を忍ぶという機会があったんですけど、
めっちゃ自分のこと言っちゃいましたね。
遠い親族っていうのもあったんで、思い出を振り返るというよりもありがとうございますと。
今このタイミングで僕に今の人生を見直す機会をくださってありがとうございますみたいな。
いやいやいや、なんでわし死んでありがとうやねんって思われるかもしれないっていうツッコミが入るかもしれないんですけど、
僕は本当にいい機会をもらえたなと思って残りのわずかな人生を骨になるまで幸せで生みつくしていきたいと思いました。
ヤマルでした。
ありがとうございました。