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はい、みなさんこんにちは。リゾナススペースコネクト協の委員長の山口でございます。
かわちです。
さあ、今日はですね、最近話題の直美問題、これですね。
ナオミと書いて。
直美じゃないよ。
直美問題。
ナオミちゃん問題ですね。
ナオミちゃん問題ですね。
これちょっとね、これを、リゾナスはどう思っているの?というところについてですね、少しお話をしたいと思っています。
ちなみに先生、どう思う?
まず直美の説明的なところですね。
今のところ、直美のファンのせいか。
直美のせいか。
直美、いわゆる研修医上がりで直接美容に行く先生たちのことですよね。
なるほど。直で美容、直美ということですね。
これ、自分たちが、いわゆるドクターが研修医でいろんな科を回って、そこから科を選んでいくというのが、日本のお医者さんの進み方なんですけど。
その中で、一般的な科を経ずに、いきなり美容に行くというところですよね。
そうだね。どうなんだろうね。
俺らの時代ではなかったというか。
僕らの時代であったのは、完全に社会不適合者の人が、初期研修をギリギリ超えたか超えてないかぐらいの人が、とにかく金のためだけに猛者のように行き先を求めて美容に流れ着いた。
なので、ろくでもない人が美容をやっていたみたいなイメージがあってですね。
なので、僕らの時代は、まともなやつはそうはならないという感じだったんですよね。
先生の時どう?
まあ、もう同じですね。
そうだよね。
だから、いきなり美容に行くって、逆にちょっと怖いなって。
なんでって感じ?
そうだよね。何も知らない。研修医って2年間もいろいろ回るんですけど。
できることって言ったら、いろんな科をちょこちょこっと味見していくような感じですね。
何のお料理もできないけど、こういうお料理をしたらこんな味になるんだなってわかるよっていうのが初期研修なんですよ。
なので、その初期研修を終えた後っていうのは、何屋さんに今からなっていくのっていうのを決めていくっていうのが専門医をとるまでの道、そういう風になっていくんですけど。
何屋さんになるもなくいきなり美容屋さんになりますと。
かつ美容診療って専門医の制度がちゃんとしてないので、あるんですけどあまり形として成立してないので、いわゆる認定のものにはなってないんですよね。
そういう意味で言うと、直美に行く人たちのメンタルすげえタフだなみたいなところはあるんですけど、今の時代ってちょっと違うかもしれないね。
変わってきましたね。
どうなんだろう?
若い子たちもやっぱり保健診療自体に限界を考えにしてそっちに行くっていう子も増えてきてる感じ。
昔に比べると将来性の面で行くっていう方が増えてる。
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でも割と真面目な子とかよく考えてる子の方が逆にいきなり美容に行ってみたいになってるのもあったりするんじゃないですかね。
それこそいわゆるユーチューバーとかもそうですけど、何の出来もなくてもいきなりバズってお金持ちになれるとか人気になれるみたいなうちに直接美容に行くのは近しいかなと思います。
だから保健診療で頑張っていくって何年も何年も下積みをしながら、やりたくないような事務仕事系のやつもしながら積み重ねてなんとかみたいな感じなのがポンといける人はいける。
そこに魅力を感じる人もいるのかなと思います。
結論から言うと直美はなしですよね。
結論から言うとですね。
もちろん美容に来てからお医者さんの勉強をしていくっていうのはできると思います。
教育体制の問題というのは。
ただお医者さんっていうのは専門とするフィールドの外側まで知識があったりとか、もしくは治療をしている最中に大きな合併症、もしくは命にかかるような状況が突然発生する可能性も当然あるわけですよね。
例えば、シワが気になるのって言って治療をしている最中に胸が痛いってなって、どうしたの?胸痛いんですか?とりあえず痛み止めっていうパカがいたら、パカって言っちゃった。
長野野郎って話になるし、痛いからとりあえず痛み止め注射しとけばいいじゃんみたいな。
そうですね。お医者さんのベースの上に美容っていうところのそのベースのお医者さんがない人がやっぱり多い。
だから何かあった時に、患者さんはお医者さんを信頼して治療していくと思うんですけど、要は胸が痛くて心筋梗塞かもしれません、すぐに緊急搬送が必要かもしれませんとか、
何か一瞬の判断でその人の命にかかわるような状況ってなった時に、その措置がない方たちが診療をしているとするとやっぱり怖いなと。
で、僕らのフィールドでいくと、やっぱり形成結果からの美容っていう形になるので、傷に関するあらゆる診療を経験してくるわけですよ。
ね、あの、火傷の治療とか。
そうですね。
塾層とか。
まあ、交通事故とかもそうですよね。
そうですね。
いろんな。
大変だったよね。
大変でしたね。
研修の日々。
大変でしたね。
何か多くなる。
大変でしたね。
てんてんてんてくらい。
まあ、いろいろあるんです、本当に。
だから、逆に言うと、そういう治療を、さまざまな治療に携わってきたというところが、僕らの中での自信というかですね、自負。
なんか少々のことがあってもですね、ちゃんと乗り越えて治していけるというふうな深みになっていくんですけど、それがだから直尾の場合にはなかなか成立しないのかなというふうに思うところですね。
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だから、よほど体制がしっかりしていて、直尾なんだけど、その子たちにきちんと教育していける、そういう立場の教育制度であったりとか、教育の指導者であったりとかっていうのがおられればいいんですけど、まあない。
まあないですね。
なんでかというと、お金を作り出すのが上手ということは、もはや直尾でその子たちがいきなり年収2000万みたいになってるんですけど、なんで2000万もらえるのというと、2000万以上作り出すからですよね、当然。
だからその子たちに働いてもらわないといけないので、教育をしている間というのはお金にならないから、教育をするんじゃなくて、もう1日でも1円でも多くですね、毎日生み出してもらわないと困るというところでどんどんどんどん働かせていくから、やっぱりルーチンのように間違った子どもですね、ずっとそのルールのわからない全体像が見えない中でやってるので、細道を掘り進んでいくような感じになっちゃうからね。
しかも周りの知識も増えずに、そこだけひたすらやるみたいなパターンもよくありますよね。
これがもし間違ってたとしても、誰もそれを悟す人もいなければ、自分が数やればやるほどですね、信じていってしまうから、間違ってても俺はこれを1000件やりましたって言ったら、もう1000件やった人になっちゃうから、間違いのベテランですみたいな感じになっちゃうから、だからそこはな。
危険ですよね。
そういう意味で、逆に直尾にしようかなって思っている人たちに対して、僕らが提言というかアドバイス、考える材料を提供してあげないといけないなというふうに思うんですけど、どうですかね先生。
直尾に行きたい人が。
例えば直尾じゃなくて、なぜ研修をした方がいいよとか、専門医を取った方がいいよとかっていうところ。
専門医って取ったから偉いとか、取ったら何でもできるとかじゃないじゃないですか。
そういう意味で言うと、専門医というのは一つの基準ではあるとは思うんですね。
取っても別に何もそれがいいわけでもないんですけど、ただそれだけ研修をちゃんとしたよっていう証拠であり、その間ちゃんと教育を受けてきたよっていう証だとは思います。
それだけ研修を積んでると、自分の診療科はもちろんそうなんですけど、他の診療科とも関わりながら研修をやって進めていくので、
他の診療科との関わりで学ぶ、いわゆる医療全体のこともそうですし、患者さんとのコミュニケーションの仕方もそうです。
そういったところを学ばずにいきなり美容に来て、特に直尾に行く方々っていうのは多分結構大手に行かれる方が多いと思うんですけど、
大手の場合はすごくシステムがしっかりしてるというところもあって、逆にやらなくていいことはやらない。
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お医者さんはこれだけやっといてください、みたいな感じでレーザーを、皮膚をチェックするだけみたいな。
これ、皮膚OKです、皮膚OKですっていう仕事あるんですよ。
めぐくない?
それは責任の点からですよね。
皮膚OKですって言ったその医者の許可の下で、これ看護師さんが脱毛を当ててるから、何か問題が起きたら、あの医者がOKって言いましたっていうOKですにお金が発生してたり。
毎回免許を振りかざしてるわけですね。
そうなんですよ。
免許は。
だからね、それは違うしな。
そういう意味では直尾に進むことの前に、そういういわゆる医療としての研修を進んだ方が深みも当然出るし、もしいわゆるトラブルのマネジメントが一番重要だと思うんですよね。
そのトラブルのマネジメントが直尾だとなかなかできない。
そうね。
と思います。
直尾だとやっぱり直尾だよね。
全部見てほしいだけ、体を。
そこだけ見てほしいわけじゃなくて。
そういう意味。
そういう意味ね。
そういう意味でいくと、先ほどね、コーチが言ったみたいに、人間関係、お医者さん対お医者さんに対してもそうですし、対患者さんに対してもそうなんですけど、
僕たちはやっぱり診療をするということにおいて、受け負ったサービスだけを提供すればこと足りるのかと、
例えば、ハンコくださいと言われてハンコあげますよとか、噛み切ってくださいと言って噛み切りますよというのではなくて、
お顔ですから、体ですから、一個しかないので、買いが利かないものなので、だからこそその人が本当に求めている向こう側に何があるんだろうみたいなことをやっぱり探っていかないといけないし、そこで診断が発生するんですけど、
そうなってくるとやっぱりですね、人間力というのは問われてくるわけですよね、診療していく上で。
大事ですね。
だから、ペライ、例えばですよ、人生経験もあんまりないペライ子が、例えば40代50代、人生の起路に立ちました、私これどうするかどうか迷っているんですっていう人に正しいアドバイスができるのかというとですね、
もちろん形を変える、それはもう鼻筋にヒアノンさんいるときはもうバッチリですよとか、伊藤です伊藤、とりあえずギュンともう切るのは怖いしダウンタイムもないし、とりあえずいいぞみたいなっていう話になってくると、
温度が違うんですよね、階層が違うというか。
だから僕らはその診療する上で人間力を鍛えていかないといけないですけどもちろん人間力だけあったらいいわけじゃなくて、技術力もそうだし人間力もそうだし、そしてやっぱりその診療の中で言うとセンスだよね。
センス重要ですね。
センスを磨くっていうのが結構大事なんですよ、これね、どう?
センスは、もともともちろん皆さん持ってるセンスっていうのがあると思うんですけど、プラスアルファはやっぱり磨く必要があると思うんですよ。
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その磨き方って様々だと思います。
先生ちなみにどんな感じで磨いてきたのとかありますか?
僕はね、やっぱりあれかな、美しいものってなんだろうっていうのをずっと考えてるかな。
なんかけど、人間が作り出す美しさもあれば自然界に存在する美しさもあるし、調和ですよね。
例えば鮮やかな色一色があったとして、その色自体は鮮やかなんだけど、周りの色との兼ね合いで見たときにすごく目立ちすぎていて逆にうるさいみたいなのも存在したりするんだけど、
そういうのって絵画の中でも学ぶことができるし、彫刻の中の造形の美しさでも見れるし、いわゆる芸術作品ですよね。
さらに僕は職人の手の動きがすごく好きで、職人さんっていうのがひたすら、
例えばその子を作っている職人さんとかが、その子なんかどこでも手に入るでしょみたいな思うんですけど、
例えばそれをずっと何十年も作り続けている方っていうのはやっぱりそこに思いがあったりとか工夫があったりするので、
その思い自体が既に美しいというか、手はシワシワだし、手は伏立ってるし、すごくゴツゴツしてるけど、けどそれは美しいっていう個性の部分っていうかですね、
美しいは決して一般的に今言われてるみたいな黄金比とか、当てはめられたようなものの中に美しさはないというふうに僕は考えているから、
だからもちろん変わっていっていいもんだと思うけど、その表層的なものではなくてより深いところにある、
それを神秘感というか見抜いていく、そういうのがセンスだし、自分自身がそのセンサーを持ってないと相手のそれもやっぱり感じ取ってあげることができないから、
だからあれかな、自然も人間も芸術も食べ物も全部、やっぱり生活そのものがセンスに関わってると思うけどね、あなたどうですか?
僕は振り返ってみたんですね、自分の中で、どうやってそのセンスで磨いてきたのかというと、僕もともと田舎で暮らしてきたので、
すごく田舎だよね。
だいぶ田舎ですね。
すごく田舎の人です。
なのでやっぱり田舎で、僕は田舎すごい全然嫌いじゃなくて、田舎で生きてきたなってすごく思ったんですよ。
田舎いいじゃん。
子供の頃から、いわゆる本当にしょぼい川ですよ、しょぼい川に行って魚捕まえたり、ザリガニ取ったりしてたし、山の山に行って虫捕まえたりとか、蛇捕まえたりもしてたし、
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蛇捕まえたの?
蛇も捕まえてました。
蛇ってどうやって捕まえるの?
蛇は基本一方向にしか行かないので、そっち裏から切って網を取るか、もしくは反対側から、
こう行くんです。
首持てば。
こう持ったとこ噛まれないの?
届かないです。
ハブでも?
ハブは大丈夫なんですよ。
怖すぎるやん。
ハブ捕まえるんだったら、
棒があるよね?
棒がありますね、蛇捕まえるように。
子供だったら基本は網とか、手よりは袋使ってました。
使ってましたね。
そういう自然の中で生きてきたんですよね。
なんで自分の中で、
今もできるの?
蛇捕まえるとか。
すごくできない。
捕まえれるとは思うんですけど、
怖すぎる。
噛まれたときのリスクが、仕事上ちょっとあれかな。
大人になったらこうなっちゃうんだよね。
セミとか、バッターはつい最近も捕まえてます。
俺もいける。
そういう自然の中で生きてきたので、
いろいろ思い浮かぶんですよ、自分の情景が。
朝例えば、高校生の時ですね、
球道部だったんで、
朝の冬のすごい寒い霜が降りた球道場、
田舎なので霜降りるんですね。
そこで朝礼をしてる時の情景もそうだし、
夕日の中で赤トンボ捕まえてる。
いいじゃん、やったな。
船の上で朝焼けが水平線から上がるみたいな、
そういう美しい情景がいっぱい思い浮かんで、
そういうのって結局、
色の、さっきおっしゃったみたいなコントラストもそうだし、
光と影の使い方もそうだし、
風もそうだし、季節もそうだし、
そういうものを、いわゆる互換を使って生きてきたの。
いうのをすごく感じて。
基本なんですよ、互換。
あんちゃうで。
え?
点々なくなったら楽になるから。
互換やん。
なるほど、そっち。
互換ですね。
これも手術でもよく言うんです。
手術中にも、うちで手術してると、下界もそうだし、
一緒に入ってる看護さんたちにも、
互換を使って手術しなさいっていうのも。
点々もついてるんですね。
もちろんですよ。
点々ついてないともう大事ですから。
でも、やっぱり耳もそうだし、
マスクしてるんですけど鼻も使えますし、
目も口も、もちろん感覚もですね。
大事だよね、互換ね。
大事ですね。
それって、そんじょそこらのシティライフしてたら無理じゃない?
多分シティライフしてても、
すごく鋭い人はできるかもしれないんですけど、
結構難しいと思うんですよ。
そういうセンサーを持って、
そういう目で生きてないと、
そういう脳みそで生きてないと無理だろうと思います。
自然との関わり合い。
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そういう意味で言っても、
教育論に近いものがあるかもしれないですけど、
子供に自然と触れさせるっていうのはやっぱり、
いろんな教育の中でやっぱりいいよねっていうのは出てるし、
逆に都内のいわゆる富裕層がわざわざ子供をですね、
北海道の山奥に送り出して、
合宿に行かせたりするんですよ。
今は実は海外の学校とかも、
わざと森の中に作って、
森の中で教育を貫通するっていう、
そういうプログラムがあったりね。
オーストラリアなんかも確かありました。
だからやっぱり自然との関わり合いの中で
磨かれる感性っていうのはやっぱりあるから、
股間を磨くという意味で言うと、
街の中だとどうしても対人との関係性はすごく学ぶんですけど、
あとなんかこう、僕が思うのは、
最近のSNSもそうなんですけど、
浴びる感じ?
なので情報が多すぎて、
自分で感じに行くとか、
もしくはあるものを感じるとかではなくて、
強制的に浴びさせられるみたいなシチュエーションが多いので、
それだとたぶん磨けないと思うんですよね。
やっぱり自分で捕まえに行く、
さっき先生がおっしゃってたこの、
重いとかっていう話と思ってたんですけど、
自分がどう動くのかとか、
どう見るのかみたいな、
こちらのセンサー側の調整がいると思うんですけど、
その辺ができないと、やっぱり磨けないと思いますね。
うーん、そうだよね。
ま、けど直尾に考えてる人に、
今から自然に行けって言っても、
あ、それが気力だ。
もう俺、医者らしいみたいな。
今からじゃあちょっと田舎でどうぞ。
だけどお医者さんになってからでも、
磨けるよね、別に。
磨きますよ、磨きます。
ワークライフバランスじゃないですけど、
自分に対して時間をどれくらい使うのか、
自分に対して投資をどうするのか、
これは患者さんもお医者さんももちろんそうなんですけど、
やっぱりね、今の人たちは、
生産性という言葉に取り憑かれてるところがあって、
タイムパフォーマンス、コストパフォーマンス、
自分自身に対しても無駄を一切省いて、
効率的に生産性を上げていくっていう話になりがちなんですけど、
もちろんだからその直尾の人たちは、
直尾の人たちはお金を作るという意味でいうと、
コスパもタイプもめちゃめちゃいいんですよ。
だけど、こと人生という軸で見たときにですね、
直尾で行った子たちの未来、ちょっと考えればわかる話なんですけど、
数年で自分たちがもしそれなりのポジションをゲットして、
収入を確保できました、
患者さんたちもつくようになりましたっていう状況って、
お山の大将みたいな状況になってると思うんですけど、
この状況って逆にですよ。
この後、若い子たちはみんな先輩が行ったからって言って、
直尾に流れてくるわけじゃないですか。
だからその後から追っかけてくる若い子たちは、
お山の大将は簡単に打ち取れるんですよ。
だからそこを考えてほしくて、
目の前だけを見続ければ、
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確かにその山は一番最初に登れるから簡単なんですけど、
その山はそこで城築いたとて、
攻められるんですよ、その後。
要は僕らが自分たちの人生を賭けてやっていくことって、
どこまで山登れますかっていうのもそうだし、
どこまでいろんな景色が見れますかっていう話もそうなんだけど、
高く高く登っていこうとしないと、
その資座って手に入らないんですよね。
だから観戦を磨きなさいって今五感の話になってますけど、
結局もうすでに直尾に行った人たちは別にもうそこで景色が見えてるからいいんですけど、
気づいてほしいのは、もっと高い山はたくさんあって、
じゃあその山にどうやったら登れるのか。
これは例えば今やってる診療を一生懸命やり続けたとしても、
残念ながら決してその上の山には登れないです。
なぜなら慣れるだけだからね。
やってることに慣れるだけだから。
ここに自分への投資っていう話になってくるんだけど、
生産性はめちゃめちゃ高い。
お金は手に入ります。
患者さんは広告を打ちまくってるから広告に反応して、
いわゆる情報弱者の人たちが流れ込んでくる。
何も知らないから騙し込むのも簡単。
なのでお金を生み出すという仕組みにおいてはすごくビジネスとしては回ってるんだけど、
けどユーザーもみんなバカじゃないじゃない。
一回やって大丈夫もう絶対上がりますからとか言われて、
やって3ヶ月ぐらいしたら戻ってきて半年したら何も意味なくて、
なんだったらこれだけ残ってますみたいな。
わかりますね。
あるじゃない。それって気づくから。
あいつ嘘ついたなってわかるから。
だからあいつ嘘ついたなっていうのが溜まっていくと、
嘘ついてない若いやつ、まだやってないからね。
こいつは嘘つかないかなって言って、
そういう嘘は患者さんたちも今度こっちに流れてくるんですよ。
なるほど。
とすると、この人は嘘つく人だよね、になっていって、
しかも自分は高い山に登る努力をしていなくて、
そして後ろから来た若い選手たちに追われるってなると、
結局その先にある価格競争とか、質が悪いんだけどキラキラしたフレーズだけで
患者さんを集めるという風に流れてってしまうから。
だから直尾に行った子たちは、僕は何を心配してるかというと、
その子たちが10年とか20年というスパンで
患者さんの人生としてしっかりと意味のあるものとして
山を登っていっていけるのかと言うときっと苦しくなっちゃうから、
そこは本当に気をつけたほうがいいなというふうに思ってます。
ユーザーの皆さんも、やっぱりグッと踏みとどまって、
価格が安いからとか、すごいイケメンだからとか、
すごい美人だからとか、関係ないから。
考えてみろよ。
美人だろうがイケメンだろうが。
それはその人が、もし手術をしてそうなったとしたら
そいつはされた側だから。下側じゃないからね。
その人を下人にしてもらう。
そうなのよ。おかしいじゃん。
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理論がおかしい。破綻してる。
だからそこら辺は見定めるというのも重要で、
その中に互換、感性という部分も一つ要素として入れてみて
いうのがいいかなというふうに思います。
直尾問題に関して、まだこれからもっと加熱していく議論もあるし、
今、消化器技科の先生が足らないというニュースが
今日の朝も流れてましたけど、
やっぱり努力して頑張っている先生たちの
労働環境って今も粗悪なんですよね。
その環境を変えていくという国は
これからきっと動くんですけど、
大きくは動けないから。
そうすると直尾問題と皆さんの医療と直結する部分というのは
切ってきれない話になってきますので、
また都度そういう話をしていきたいなというふうに思います。
続いてのお話としては、何に話す?
自然の中で、僕は先生が知らないんじゃないかなと思って、
ひとつ先生に質問してください。
工事の自然体験の話を行うと、
いろいろ話してもらいたいと思います。
ヘビつかないやつですか。
いろいろ出てきそうな感じがしますが、
僕なりの深掘りをしてみたいと思いますので、
お楽しみにしてください。
では、一旦ここまで。
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