石丸 では、さっそくなんですけど、今回は2021年に京タンゴへ行かれたときのことを、改めてお話ししたいと思います。
石丸 はい、ぜひ。
石丸 はい、お願いします。では、まず質問なんですけど、2021年に京タンゴに行かれたということなんですけど、どんなきっかけで行くことになったのかなっていうのを教えていただけるとありがたいです。
石丸 2021年って4年前ですか?
石丸 そうです。4年前。4年前です。
石丸 4年前か。あのときはまだ、僕は長寿喫茶の活動をまだ始めてなかったんだと思います。
石丸 あの、屋台をようやく手元に手に入れて、これから長寿喫茶をやるぞのタイミングだったんですけど、その前まで、実は山形県で勤務していて、その年の4月に東京に引っ越してきて、
石丸 で、京タンゴの船渡先生のツアーに参加させていただいたのが12月だったんですね。
石丸 で、東京に帰ってきて半年経ったところで、まだまだ何もわかってない状況だったんですけど、ただ船渡先生にお会いしたくて、
石丸 あ、ずっと船渡先生って言ってるんですけど、僕多分唯一かもしれない、Xのフォロワーさんの中で先生って呼んでるの船渡先生だけなんですけど、
石丸 なんかもうそれぐらい僕の薬剤師、長寿喫茶の店主としての僕のあり方に対してすごく影響を与えた方だと思っていて、本当にいろんなものを教わったんですよ。
石丸 なんか京タンゴに行く前から、実はポッドキャストじゃなくて、クラブハウスか、定期的に毎日のように電話っていうか音声でやり取りさせていただいてたりして、
石丸 その中で僕と社会的処方っていう言葉をつないでいただいたのが、船渡先生だったりとか。
君がやりたいことはこういうことなんじゃないか、ああいうことなんじゃないか、僕はこういうことやっててね、みたいな話をたくさんしていただいて、
そのクラブハウスでもたくさんの仲間ができて、僕の夢を語ったりとか、船渡先生がやってることを語っていただいたりとかする中で、そこにいろんな物語が生まれてきて、
ぜひそれをやっぱり自分の目で見てみたいなって思ったときに、ちょうど転職して一段落着いたタイミングで、京都に行けるタイミングがあるぞっていうところで、
もう満を持してようやく会いに行けたっていうのが、京タンゴのツアー第一回目ってやつでした。
石丸 じゃあ京都に行くタイミングで、その時に行ってみようっていう感じになったってことですかね。
藤井 そうですね。普通に会いに行ったって感じですね。
石丸 あ、そうなんですね。
藤井 その直前に町財喫茶をやってみようってなったときに、クラウドファンディングを立ち上げたんですね、僕が。
このクラウドファンディングで、今も使っている町財喫茶の屋台を購入して、実際に運転するまでの立ち上げに関わるクラウドファンディングをして、
その支援してくださった方の中に船渡先生がいらっしゃって、それまでのつながりももちろんあったんですけど、
だから、屋台手に入れたよって、店に行ったみたいなとこもあったりとかして。
ようやく僕があんなにたくさんお話ししてた、あの活動がようやくこうやって初めの一歩を踏み出したよ、報告しに行ったっていう回でもありました。
石丸 なるほど。じゃあ最初は京都単語をメインで行くっていうよりかは、船渡さんに会いに行って報告したっていうのが一番だったって感じですかね。
藤井 そうですそうです。
石丸 それで行ったら案内していただけたっていう流れですかね。
藤井 そうですね。事前にお会いしたいですってところでご挨拶させていただいたら、船渡先生もようやくだねって言ってくださって、
じゃあ店からところがいっぱいあるから一緒にあっちこっち行こうよって言ってくれて、いろいろ計画してくれたんですよね。
その計画が今のツアーの一番最初の石杖になったってこの間聞いて嬉しかったですね。
石游 ああ、そういうつながりがあったんですね。
藤井 そうなんです。
石游 その時に、教単語に行く前の自分と、今振り返った時の自分の気持ちの変化とかってありますか?
藤井 大きなのがありましたね。人生の節目節目で大きな言葉っていうのがいくつかあるんですけど、
そのうちの一つは確実にこの教単語ツアーの船渡先生の言葉が一つずっと胸にあるものがあって、
待てる人になりなさいって言われました。
藤井 へえ。待てる人。
藤井 待てる人。すごい意味は深くて、今も噛めば噛むほど味がするじゃないですけど、
噛めば噛むほど意味が染み出してくるような言葉だなと思ってるんですけど、
今振り返ってその言葉が何だったのかっていうのを考えてみると、
あの時の僕ってきっとやりたい、やりたい、やりたい。役に立ちたい、役に立ちたい。
あんなことやりたい、こんなことやりたい、こんな素晴らしい世界がきっとあるはずだって、
押せ押せどんどんの状態だったんですね。
で、それを見ていて、おそらく欠けてくださったんだろうなと思うんですけど、
大丈夫だから、君がやりたい未来はちゃんとしっかり描けてるし、
それはみんながちゃんと評価してくれるから、大丈夫だから、待ってろ。
そんな頑張って進もう進もうとしなくても大丈夫だから、待てば大丈夫だから、
待てる人になりなさいっていう風に言われて。
それから、朝鮮喫茶含め、僕自身の在り方とか、
普段の生活まで染み出して、ゆったりと構えられるようになったなっていう、
そんなエピソードがありますね。
待てる人ってすごいですね。
いやー、そうなんですよね。
なかなか、けっこう背中を押してくれる人っていっぱいいるじゃないですか。
どんどんやりな、みたいな。
でも、いったん待ってみなって、あんまり言われたことないけど、
確かにすごい大事な感じしますね。
ブレーキの踏み方というか、何でしょうね。
ブレーキっていろんな形があると思うんですけど、
悪い意味でのストッパーになる人もいると思うんですよね。
そんな意味ないよとか、やめときなよっていう人。
ただそうじゃなくて、アクセルの緩めても大丈夫だよの言い方だったので、すごく響いて。
そこから派生してきて、今僕が大事にしている言葉としては、
人の役に立とうとしすぎない。
を今、長沢喫茶の指針に掲げてるんですよね。
地域活動とかっていうと、やっぱどうしてもポジティブで、パワーのある活動が多い一方で、
それって、じゃあサービスを受ける側としては受け取りやすいんだろうか、みたいな問いを立てたときに、
そうじゃないな、決してって思うようになって、
でもそこにたどり着けたのは、きっと大丈夫だから待ってなさいの言葉があったからだろうなと思ってます。
客観的に見える感じがしますね。
そうですね。
ありがとうございます。
メイリー、なんかありますか?
結構、何でしょう、ちょっとお言葉を借りるなら、いけいけどんどんだと、結構自分も楽しいとか、
私も同じようなタイプだなって聞いてて思ったんで、
待ちなさいっていうのが、なんか気持ち的につらくなんないのかなっていうのは少し気になりました。
そうですね。やっぱ最初は分かんなかったです。
なんか自分が突っ走ってる感覚は持ってたので、
その突っ走ってる自分に対して待てって言われてるのは、なんとなく分かった。
自分が突っ走りすぎなんだろうなっていうのは分かった。
けど、待ったらどうなるのか。
待って自分がいい方向に進むのかどうかは、正直あの時は分かんなかった。
けども、この3年間がそれを噛み締めるには結構十分だったので、
長大喫茶をやっていく中で、だんだんと染みてきたっていうのが正しいかもしれないですね。
ありがとうございます。
じゃあ次に質問なんですけど、
教単語で実際どんな体験をしたのかお聞きしたいです。
はい。
そうですね。教単語は、最初は夕焼却さんを見学させていただいて、
今までずっと夕焼却さんの活動の話とかを船人先生から直接聞いてたので、
それがどんなふうに地域に目指しているのかとか、
そこで働いてる人たちはどんな顔をしてるんだろうっていうのはすごい興味があったんですよね。
で、実際に足を運ばせていただいて、現地で働いてる方々とお話もさせていただいて、
なんでしょうね、やっぱり薬局が地域に染み出していくってこういう図なんだろうなっていうのを体感した初めての機会でしたね、一番最初。
なんかこう地域活動しなきゃやるんだ、みたいなスイッチを切り替えるように地域活動される薬局とかは、
これまでいくつか見てきた一方で、ただそこにある薬局がじわじわと染み出していくっていうような形を取られていたのがすごい印象的で、
特に僕はまんまる薬局が在宅専門の薬局なんですけども、夕薬局の在宅医療はそうじゃないよって言っていて、
ここにもともと通院されてきた方が通院できなくなって、
在宅適用になった時に今までの薬局の人が来てくれる、それが夕薬局の在宅医療なんだって言われて、
あーなるほどなーって、それすごい理想だなーと思ったりとか。
っていうのが薬局を見学してさせていただいた時の感想で、その他にもいろいろ見させていただいたんですけど、
ふなと先生のツアーは本当に地域密着なんですよね。
本当に、わかる。
なんだろうな、地域好きなんだろうなっていうのが伝わってくる。
そこは戦略的でもなんでもなくて、本当にこの地域を愛していて、この地域の一部として夕薬局というものを作ってきた人なんだろうなっていうのが
わかるツアーになってましたね。
だから医療とか全く関係ないところも全然足をはかぶし、医療に全く関係ないけど、
僕らがここにいるっていうことは、ここの人たちと一緒に歩むってことだから、っていうのが真のメッセージとしてすごい表現されていて、
この街で生きていくってことはどういうことなんだろう?をすごく考えさせられるようなツアーでした。
ふなとさんも地域の方とか夕薬局大好きだし、地域の方も夕薬局もふなとさんも大好きなんだろうなっていうのがすごい伝わるなって、すごい伝わってきましたね。
お二人はどういうところへ行きました?その地域の場所としては。
私は、えっと、京タンゴに私は行ったんですけど、なんかまちまち案内所って。
まちまちさんに行きました。
はい、ところだったり。
あ、ほんとですか。
はい。
あと保健所とかもお邪魔させていただいたり。
へー、保健所。
しましたね。
そうです。あとケアマネージャーさんとかとお話しさせていただいたり、あと夕薬局さんももちろん何店舗か回らせていただきました。
へー、やっぱレベルアップしてますね。
あ、そうだと。もう一日ギュってなってました。
メイリンさんは他に何かありました?
はい、私はマイズルに行って、子育てサロン、妊婦さんとかお子さん、まだ小学生とかになってないお子さんがいる家庭をサポートするところとか、
あとマイズル市の健康づくり課っていうところにも行って、行政との関わりとかを学んだり。
へー。
あとルーツにちょっと似てるんで、カタラボっていうところに行きました。
あ、ルーツも行ったんですね。
ルーツにはなっちょが行った?
あ、そうなんだ。
私が行きました。
あ、へー。
えへへへ。
僕は、たぶん京タンゴと豊岡に行ったんですよ。
うーん、豊岡。
豊岡、県がはみ出ちゃうんですけど。
あ、そうなんですね。
隣の市なのかな。で、豊岡市ってところに連れてっていただいて、僕の町財喫茶って屋台を引いてお茶を配る活動なんですけど、
それをやろうと思ったきっかけになっていた森本先生っていう先生がされているフリーコーヒーの活動が、
今、京タンゴ市じゃない、豊岡市の大会文庫ってところで今やっていて、せっかくだから一緒に見に行こうよって言ってくださって。
ちょっと距離あるんですけど、連れてっていただいて。
実際に森本先生とも話したりとか。
はい。
うん、しましたね。
じゃあその経験がすごい今の活動につながってるんですね。
いやもう、つながってますね。
やっぱり現体験ってすごい大事だなっていうふうに思っていて、
なんで僕がこれをやろうと思ったんだっけみたいなところに立ち戻って、
現体験のもともとあった活動の良さをかみしめるとともに、
じゃあそれを自分だったらどういう形にするかっていうのを真剣に向き合えた時間だったので、
やっぱ豊岡にも行けてよかったなと思ってます。
じゃあ本当にそんな豊岡の体験がなかったら、今なんだろう?
今のことがうまく回ってない可能性もあるってことですか?
そうですね。
あの豊岡の大会文庫は屋台での活動のネクストステップの場所としてすでに今あるんですね。
屋台を引いてコーヒーを配る活動から、
それが臨時出展じゃなくて常設の本屋さんとして街にあったらどうだろうっていう実験を今されているのが大会文庫なんです。
なんで僕の町財喫茶が、じゃあ喫茶店になったらどういう未来を描けるだろうかを想像するときに、
あそこで見た景色っていうのはすごく糧になってます。
そんな繋がりがあるんですね。
そうなんですよ。
この話の延長線みたいな感じなんですけど、
その教壇後に行った経験が今の人生とか活動にどんなふうに影響しているのかなっていうのがすごい気になるんですけど、どうですかね?
なんか地域の力をすごく信じるようになりましたね。
やっぱ僕らの視点ってすごく偏っていて、
どうしても医療とか頑張って福祉の視点から地域を見ることは多分興味がある方たくさんすると思うし、
社会的処方って言葉から発せられるエネルギーって今すごく高いので、その視点で地域を見る方ってすごく多いと思うんです、最近。
でもその一方で、医療と全く関係ない視点から地域を見れてるかって考えたときに、
なかなかやっぱり難しい。僕らに専門性があるからこそ難しいなっていうふうに思っていて。
ただ教壇後で回らせていただいたツアーの中には、それこそまちまちとか、あとはルーツとか、
医療っていう視点がない場所にも連れて行っていただいたので、
僕らが何とかしようとしなくても地域で頑張ってる人たちってこんなにいて、勝手に地域ってもしかしたら良くなるものなのかもしれないなっていうふうに思ったんです。
僕がどうにかしてやろうなんておこがましくて、そうじゃなくて地域は良くなっていくものだ。
だけども僕がいたらもっと良くなるかもしれないし、それに僕は伴奏してたい、乗っかってたい、一緒にやりたいっていうふうに思うようになって、
だからなんて言うんでしょうね、そういった意味で力みはだいぶなくなりましたね。
自分がどうにかしなきゃっていう肩ひじ張ってたような状態から、ゆらゆらとこの人たちと一緒にいれば大丈夫みたいなマインドになれたので、
頂材喫茶が長く続けられたのもきっと力みがなかったからなんじゃないかなと思ってます。
どうしても自分からチャレンジしたいとか思うと、自分メインで考えちゃう気がするんですけど、
メインで地域を良くするのはもちろんのこと、地域を支える側にも立つみたいな感じの活動。
支える側に立つっていうのも、もしかしたら少し違うのかもしれないなと思うときもあって、
自分も支えられる側なのでは?みたいなところはあります。
だから町々に行ったときに、僕自身居心地が良かったりしたのは、きっと僕が支えられる側だったら空だろうなって思ったりとか。
でもその体験って頂材喫茶もそれを目指していて、
頂材喫茶は僕が将来居心地が良いと思って居座れる場所を今のうち自分で作ろうっていう活動なんです、実は。
僕が将来通いたい喫茶店を今自分で作ってる感じなんですね。
だからこの活動が僕を癒してもいるんですよね。
自分が誰かを癒すとか、自分が誰かの役に立とうっていう視点ではなくて、
自分が乗っかっていたい船というか、そういったものを大きくイメージするようになったのが、
あの地域を見たツアーでしたね。
周りのためにもなってるけど、自分もすごい癒されてるとか、自分の心の余裕ができるようなモチベーションになってるっていう感じですかね。
そうなんです。
ありがとうございます。