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  2. #471 分からないことが分から..

分からないことが分からないとき、3つの原因が考えられる。


上水優輝 Twitter @y_uemizu

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、分からないことが分からないというお話をしたいと思います。
分からないことが分からないっていうことが日常に皆さんはありますか?
僕はですね、分からないこと自体は無限にもちろんあるんですけども、分からないことが分からないと感じさせられる機会っていうのは、あんまりないなぁと思っています。
それはですね、多分、良くも悪くも、自分の目的の範囲外のことをやらないとかね、冒険していない、行動がある範囲に落ち着いてしまっているみたいなですね、ところがあるのかなと思います。
良くも悪くも、良く言えば目的意識を持って行動しているってことかもしれないけども、基本的にはですね、分からないことが分からないほどパニックな状況に見送ることが少ないのかなぁとかって思っています。
最近ですね、新しい仕事を始めたこともあって、久しぶりにですね、分からないことが分からないっていう感覚に陥ったので、
今日はそういうエピソードをお話ししたいなと、エピソード通じて、分からないことが分からないっていうのがどういうことなのかなっていうのを自分なりに考察して、話したいと思っています。
分からないことが分からないの前に、分からないことが分かる状態、僕が言う分からないことが分かるってのはどういう状態かっていうのを例を出したらと思います。
先日ですね、友人がですね、C社を吸いたいと、水煙草を吸いたいと言ったので、C社カフェっていうところに行ったんですね。
水煙草専門店みたいな、水煙草を吸うためのカフェみたいなところに行って、僕はもともと煙草も吸わないし、C社も吸ったことがなくて、
なんとなくそのビジュアル的にはわかるけども、それがどういう体験なのかってことはよくわからないっていう中で行ったんですね。
だからといって、わからないことがわからないわけではないんですよね。
水煙草をどのように吸えばいいか、どのように楽しめばいいかってことはわからないけども、
吸い方は聞けばわかるし、楽しみ方はやってみれば自分で見つけ出せるし、
じゃあその水煙草を吸い始めるまでのその店のシステムとか、どういうメニューがあるのか、
そのメニューからどう選べばいいのかってことなんかは、店員さんに聞けばわかるだろうってことが分かるし、
何がわからないかがわかる。システムがわからない、メニューがわからない、吸い方がわからない、楽しみ方がわからない。
どれくらいの時間を過ごしたいいものかがわからない、どれくらいのお金がかかるかがわからないっていう、わからないことがわかってるので、
そこらへんに書いてあるものを見ればいいし、書いてなくても感じればわかることもあるかもしれないし、店員さんに聞けばわかることもあるかもしれないって感じで、
分かるようにするかは別として 何が分からないか分かっているという状態なんですよね
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これが分からないことが分かっている状態っていう僕のイメージです
次にですね
分からないことが分からないという状況に陥ったエピソードをお話ししたいんですけども
最近ですね仕事でキリスト教について学ぶような機会をいただいています
アメリカのですねデューク大学で進学を学んである方から講義を受けるんですけども
毎回ね何か質問ありませんかってことを聞かれるんですが
分からないことが分からないので質問が全く出てこない状況になってしまうと
講義の話している意味が分からないとかではなくて
言っている意味は意味として分かる
こういうことを言っているということが分かるけども
マップとしてその全体の地図みたいなものが見えないので
なかなか適切な質問が浮かんでこないという感じですね
講義はしっかりしてくれています
そして僕自身入門みたいな入門キリスト教みたいな
そういう本は何冊か読んでその講義に臨んでるんですね
なので何となく頭に入っている状態で講義に臨んでるんだけども
それでも全体像が見えないとか質問が浮かんでこないという現象が起こっていると
これを自分の中ですごい不思議な体験で
いろんな分野の勉強は入門書を読んだら何となく
ぼやーっと全体像が分かって
ぼやーっと分かるから具体的にいろんな本を読んでとか
いろんな論文を読んでとか感じで具体的に掘り下げていく
ぼやーっとしたものをクリアにしていくことができるんだけども
宗教においては掴みきれないみたいなことが起こっていると
いうふうに思ったんですね
分からないことが分からないってどういうことなのかなって思うと
3つあるなと思ったんですね
一つは知識の絶対量が足りてないっていうことですね
それは素人ですから知識なんかないけども
入門書を例えば2,3冊読めば
結構な分野のことって
さっきも言ったけどぼやーっと全体像ぐらいは分かるというか
基本とか大事な概念ってここだよねみたいなことが
分かるというか捉えることができるそのぼやーっとなりに
でも宗教の場合って
というふうに言ってるけどもと言っていない人たちもいるよねみたいなことが起こってきて
しかもそれが何ていうのかな
いろんな宗派みたいなのがあるわけじゃないですか
どの宗派ではこうだけどこの宗派ではこうだよねみたいな
すごい具体的なところまで入っていかないと
そのぼやーっとした全体像さえも全体像になり得ないみたいなことが起こってくる
ある宗派はこういう承諾をするけどもある宗派はこういう承諾をするよねみたいなことを
言い出すといきなり応用編みたいになっちゃって
どこが基本中の基本で
どこまでが共通了解として得られているのかみたいなことは
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ちょっと入門書を読んだレベルではわからないなって思った
このキリスト教についてはですね
なのでキリスト教じゃないにしても
例えば入門書一冊も読まず
例えばwikipediaを読みもせず
わからないってのは確かにわからないことはわからないだろうねって感じするので
最低限の知識を得るってことが
わからないことがわかるということにつながっていくのかなというふうに思いました
2つ目そもそも学ぶ目的ってのが明確なのかってことですよね
今回はお誘いを受けてですね
よかったらどうぞということで興味あるんで行きますみたいな感じで言っちゃってるから
このキリスト教の行為から自分は何を知りたいと思っているのかってことが明確にあれば
おそらくそのわからないことがわかる
その明確にもうちょっと知りたいことを質問できるから
わからないことがわかるんだと思うんですよね
多くの場合ですねこの2つ知識の絶対量が絶えているか
基本的な知識を抑えているかってことと
そこで学ぶ目的が明確かっていうことがあれば
質問が浮かぶ何がわからないかわかるってことが
基本的にはこの2つで大丈夫だと思うんですけども
今回直面したのは3つ目なのかなと思ってるんですよね
この3つ目ってのが感覚的にピンとこないってやつですね
キリスト教の知識みたいなもの以前に
そもそも僕は信仰心みたいなものが全くないと
何かを信じるということがどういうことなのか
というのが経験的にというか質的に全く理解ができないと
なのでキリスト教を理解する云々の前に
信仰とは何かを理解しないと
何を聞いてもピンとこない
概念としてはわかっても
感覚的にピンとこないから
全く自分ごと化できないみたいな感覚があって
経験的に自分自身は
信仰というものが全くわからない
質的にわからないってところが
今回の質問しようとしても
結局信仰とは何か的なものを問うような路線の質問しか浮かばなくて
それは抗議とはちょっとずれている
キリスト教の話じゃなくて信仰の話をしちゃってるから
なかなか質問として不適切だなということで質問ができないというのもあるということで
この3つ目っていうのは意外とね
どうすりゃいいのっていうのはありますね
学ぶ目的を明確化するとか
知識の絶対量を増やすみたいなのは
努力でとかね心がけでどうにかなるんですけども
感覚的にピンとこないっていうのは
めちゃめちゃ勉強して
知識がある域地を超えて
知識と知識がつながって
経験はしてないんだけど感覚的に理解できるようになる
感覚的にも理解できるようになるみたいな
もう圧倒的知識量で感覚に落とし込むか
自分の経験の中からいろんなことと知った知識をつなげるっていう
経験とつなげるみたいなところで
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ピンとこさせるみたいな路線あると思うんですけども
どっちもない時に感覚的にピンとこないという問題は
一丁一石でどうにかなる問題もないなと思って
どうしたもんかなというふうに思ってます
まとめるとですね
分からないことが分からないっていうのは
知識が根本的に足りてないよということと
目的が不明瞭なんじゃないのということと
感覚的にピンときてないんじゃないの
っていうこの3つがあると
この3つはそれぞれでカバーし得る
例えば圧倒的に知識があれば
目的が多少不明瞭でも質問はできるだろうし
より知りたいことを出せるかもしれないし
感覚的に全く分からないというのも
圧倒的知識量があればカバーできるかもしれない
知識の無さとか目的意識がかなり高ければ
カバーできるでき得るというか
質問できるということもあると思うんですよね
この辺は3つが連動して
どれがあればいいというものではないんだけども
3つが連動して分からないことが分からない
という現象に結びついているんだろうなというふうに
僕なりに考察しました
なので何かを学ぶときはもちろんなんですが
例えば誰かと会話をするみたいなときも
これは当てはまるなと思っているので
よかったら分からないことが分からないというときには
基本的な知識目的感覚的な理解
この3つをチェックしてみて
どこが足りていないのか
どこを伸ばせば分からないことが分からないから出せるのか
みたいなことを考えてみるといいんじゃないかなと思います
本日は以上ですまたお会いしましょう
さようなら
10:48

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