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緊張と緩和。5回、2回、シミポタとは離れた話をさせていただいていますが、
もう亡くなってしまわれたんですけれども、
桂市寂子市長という、幕小王と呼ばれた落語家がいらっしゃったわけですが、
その市寂子市長が、笑いというのは緊張と緩和ですわ、ということを言ってはりました。
緊張があって、ふっと緩和されるから笑ってしまったり、緩和の中に、
ふっと緊張が入ってくることによって笑ってしまったり、
というようなことがあるんだろうな、と思うわけでございまして。
例えば、お葬式でね、これ本場にあった話ですけれども、
お葬式で聖光ってやるじゃないですか。
聖光をするのに、列をなして並んでいたら、
その聖光という行為を初めて見た子供がですね、
お父さんと一緒に列を並んでいるわけですね。
前の人がどうやってやっているかをずっと見ているわけですけど、
聖光の幕をつまんでですね、顔のあたりに持っていってパラパラパラと、
またつまんで顔のあたりに持っていってパラパラパラと、
煙が上がるというやつですけれども、
それを初めて見た子供はですね、不思議で不思議でしょうがなくて、
とうとうその好奇心に負けてですね、お父さんに質問してしまうわけです。
なあなあお父ちゃん、あの前の粉っておいしい?
食べていると思った、つまんで食べていると思ったみたいで、
その何気ないね、子供の素朴な質問がですね、
周りの人に全部聞こえるんですよね。
なあなあお父ちゃん、あれっておいしい?
緊張している場面でですね、そういうことを言われると、
笑ってはいけないんですけども、笑いが我慢できないというね、
それはまさに緊張と緩和でございます。
逆に緩和の中に緊張があるというのは、
昔、私は若い頃にヤングタウンというラジオ番組があって、
そこに大好きなコーナーで、ため息コーナーというコーナーがありまして、
すごいのどかな曲がかかって、
パーソナリティの人がね、静かにゆっくり喋るんですよね。
その喋っている最後のオチが、
まあ言えば何でやねんというオチで終わるという、
そういうやつですね。
これも本場にあった話ですけども、
とあるところに、ものすごい怒りの電話がかかってくるんですね。
カスタマーセンターみたいなところにね、怒りの電話がかかってきて、
何でこりゃあれこりゃ、わーわー言うて、
もう全然人の話を聞かへん、
ものすごいおばちゃんが電話かかってきてね、
さんざん文句を言って、
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自分の意見を通そうとするんですが、
その意見が通ったらもう、
わーできたわかったーってプチッて電話切ってね、
もちろんおばさんやと思うので、
その人がどういう人かを調べてみると、
警庁ボランティアの人やったっていうね。
で、ため息つくのがため息コーナーです。
これも本場にあった話ですけどね、
警庁ボランティアの人めっちゃキレてるやーみたいなね、
まあ何でやねんみたいなね、すっこもいれるという、
笑いというのは緊張と緩和の中で生まれるんやなと、
そして本場にあることっていうのは何よりも面白いんやなという、
全然しんぼたとは関係のない、関係のない話でした。
ありがとうございます。