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5回に1回、シミポタと離れた話をさせていただいているんですけども、私は18歳まで大阪に住んでまして、大学生になった時に東京の大学に進学をしたんですね。
いわゆる夜行列車というわけじゃないですけど、ドンコウ列車に乗って、大垣で乗り換えるドンコウ列車に乗ってですね、東京に行くんですね。
その時に龍馬が行くなんか呼んだりしてね、俺も東京行くんか、江戸行くんか、みたいなことを思いながら東京に行くんですが、
ただ東京といっても八王子なんで、天気予報は山梨の交付の天気予報が当たるという、そういう場所だったんですけども、
学生時代には夢がございまして、僕はイベント屋さんになりたかったんです。イベント屋さんね。
1年間、2年間、最初の2年間は寮生として生活をしまして、寮は学校のすぐ横にありますから、家でも仲間がたくさんおるんで、
叩き起こされて授業に行く。遊んどっても、遊んどってもではないですけどね、せってみんなで切磋琢磨して単位を取ることができるんですよね。
だから1年生、2年生の時はたくさん単位を取りました。
3年生もこの調子で単位を取ったら、4年生になったらゼミ1と言いまして、週1回だけ学校に行けば、
あとは卒業論文だけゼミだけやれば、あとはもう全部フリーと、全部単位は取り切ってしまってるという状態にできると思って、それを目指してやってたんですね。
ところが、1年生、2年生の寮時代から3年生になって、友達と3人で下宿をするようになりまして、
大学から遠い遠いバイクで30分かかるところに部屋を借りて住むわけなんですけど、まあ行かへん。
学校に行かないんじゃないです。授業に行かないです。学校には行くんです。
学校何しに行くかというと、イベントしに。イベント屋さんになりたかったんですよね。
4年生になって週1回だけ学校に来るようになったら八王子を脱出しまして、都内に住んで劇場かどこかでアルバイトをしながら、そういうイベントの道を極めていこうと思っていたんですが、
3年生の時にあまりにも授業に行かなかったために、週1回だけ4年生の時に行けばいいという夢は儚くも崩れ、
休みが週1回だけだった。あと全部行かなかった。卒業するのに必死だった。そういう思い出がございます。
イベント屋さんになりたかったんですね。イベントが大好きでございまして、なぜ大好きかというと、やっぱりあのみんなで力を合わせて一つのことをやりきる中にですね、
新しい景色が見えるんですよね。ですから、あいつはイベントばっかりやっとると。イベント屋さんやって。これ結構悪口だったんです。あいつはイベント屋さんやって。
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悪口ですえって言われたんですけど、僕は嬉しかった。イベント屋もっと言うてくれと。俺は本物のイベント屋になってやるって思っていました。
イベント屋にはその後ならなかったですけど、今やっぱりね、こうやって市民活動に関わる仕事をさせていただく中で、いろんなイベントに関わらせていただくというのは、
30年40年経ったんですか。30年経ったんですか。学生の時の夢を実現できてるんちゃおうかなというふうにちょっと思っています。
その時と何ら真剣さは変わらない。真剣さです。大事なのはね。真剣にそのイベントをいいものにしようと思ってやっています。
イベント屋さんのお話でした。
5階・2階進歩とは関係なし。お気に入り。