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2025-07-07 13:37

#006 大学生、夢と現実のあいだて揺れた4年間

🎈バカになった大学生活、勉強しない大学デビューのリアル
🎈サークル・合コン・バイト三昧
🎈役者か就職か?夢と現実の狭間で悩んだ大学4年の僕
🎈夢に近い就職先、広告代理店やテレビ局を受けた話
🎈東京で出会った3人の仲間、あの頃と変わらない関係が支えになってる
#大学生
#起業
#副業
#社長
#経営者
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サマリー

大学生の4年間を振り返り、自由を手に入れたが、勉強を怠っていた時期があったことや、アルバイトを通じて友情を築いたことについて語ります。また、役者を目指す決意の過程や、東京での新しい環境への適応について考察します。

大学生活の始まり
みなさんこんにちは。金髪社長のエンタメ経営radioにようこそ。
今回は、大学生になった僕の話をさせていただきたいなと思っております。
山形から上京しまして、横浜の、横浜って言ってももう山の中でしたよね。
なんか浜っぽくないですけど、明治学院大学っていう大学に入学するわけですけども。
東京に出てきました。親元を離れました。
あきば少年はですね、どうなったか。
もうね、自由を手に入れたわけですね。自由を手に入れたあきば少年は、もう勉強なんてやらなくなりました。
どんどんどんどん、授業はいったんですけど、馬鹿になっていったって感じですよね。
今までは、授業を受けました。高校生までね。
授業を受けました。福祉をやります。また授業を受けます。予習もちょっとやります。
試験を受けました。そうするとまあまあ点数取れるわけですけど、大学生になったらですね、勉強しなくていいっていうふうに勝手に自分で思い込んだんですよね。
そこからもう、学校には行くんだけど、授業はちゃんと単位取るために行くんですが、
なんか全然、復習もしなければ何もしないっていう、最低ですよね。もう本当にあの親に申し訳ないなって思うんですけど、まあそういう
まあ1年、2年スタートするわけです。
アルバイトと友情
で、サークルに入り。サークルもですね、大学生って言ったら、テニスサークルでしょみたいな、なんか思ったんですけどね。
テニスサークルに入り、バスケはもうやめ、バイトをやり、で、高校に行き、もう
みんなが通る道なんでしょうかね。あのわかりやすい大学生活を送ってました。
で、バイトはですね、何をやったかと言うと、最初ね、居酒屋さんで養老の滝ってね、まだちょっと今もありますけど、昔結構あったんですよね。
で、あのご飯がつくので、やっぱご飯がつくところがいいなと思ってバイトをしたんですけど、
きつかったですね。あのずっと立ちっぱなしだし、店長怖いし、
酔っ払い相手に、なんかちょっと絡まれたりするし、
ああ嫌だなぁと思いながら行ってました。時給はね800円でしたね。
あ、ちなみにね、大学生の時、あの時給、あの
アルバイトやってるんですよ。大学生の時はね、ファミリーレストランでアルバイトやったんですけど、時給、なんと
550円。 すごいよね。
今、今、今1200円とかですよね。あの東京都の最低値。
半分ですよ。 これね覚えてるんですけど、働けど働けど
なんか全然お金もらえないっていう。 そりゃそうですよね。1時間500円ですからね。
いやーこれはなんかね、まあ一応社会人経験としてやったんですけど、 2ヶ月ぐらいあったのかな。
あの頑張って働きましたけど全然お金かかりませんでした。 で、次にやったのが800円。
まあこれもそうですよね。なかなかお金は 週4ぐらい入ってたのかなぁ。8万円ぐらいで稼いだのかなぁ。なんか大変でしたけど。
まあなんとか、遊ぶお金はそれで確保したみたいな感じですよね。
で、そこでですね、僕はあの今でも親友のお友達に、あ、ごめんなさい間違えた。
それ引きつくてやめたんだ。
もうね、大学生まで僕はですね、ちょっと回避性、ちょっと逃げようみたいな、そういうのがあってですね。
なんかね、大学生の1年、1、2、3、4年生までいかないけど、 1、2ぐらいは少しネガティブな少年だったんですよね。
今みたいな感じではなく、なんかいろんなことを悩み、心配性で、
で、考え方は少しネガティブな感じでした。 だから、
なんかね、会社、経営者になろうなって、なんかそんなこともあんまり考えてなかったですし、
とりあえず楽しくやろうみたいな形でやってましたが、
バイトもですね、ちょっときついからやめようって言って、 3ヶ月か4ヶ月ぐらいやってやめて、次にですね、もうちょっと楽なバイトに行こうと思いまして、
で、先輩がゲームセンターで働いてたんですね。 なので、そこに行ったらそこじゃない店舗は開いてるっていうことで、そこじゃない店舗で紹介をもらって入ることができました。
そこでですね、今思う親友の人と出会うということになりました。
一人は全然違う大学に通っている、僕と同い年の人。
もう一人は僕と同じ大学に入っている、年齢は1個上なんですけど学年は一緒という人。
この人たちと結構一緒にバイトも入ったり、普通に遊んだり、旅行行ったり、合コンやったり、みたいなことをやってました。
大学生のときに今も続いている友達ってもう彼らしかいないんだよな。
なんか馬があったんですかね。青春時代を過ごしたということが良かったのかなと思うんですけど。
今はね全然仕事もバラバラですけど、1年に1回ぐらい会うんですよ。
今もいいなと思うんですね。
役者への道
僕はそれで遊びほうけてましたから、3年生になると就職活動どうするんだって話になるわけですね。
就職かそうか何も考えてなかったなって思うわけですよ。
僕は法学部政治学科っていうところに入りまして、法学部は結構就職は潰しが利くっていうことで入ったんですけど、やりたいことないわけですよね。
どうしようかなって思ってたんですよ。
就職活動する前に僕は役者をちょっとやりたいなと思っていたので、
養成所に通って役者の道を少し歩んでたみたいな感じかな。
あんまりまだそのときは舞台とか立ってなくて、養成所でレッスン受けたりオーディション受けたりみたいな感じだったと思いますけど。
そこから就職活動ってなったときに、そういうメディア系がいいなって思ったんですね。
目立ちたいっていう気持ちが。
前ちょっと話しましたけど、幼稚園のとき主役をやったっていう、チアを増やされたっていう経験がたぶん根っこに残ってるんでしょうね。
だから目立ちたい、チアを増やされたいっていう、そういう気持ちがあって役者であったんですけど、
役者で作っていくのって難しいですよね。
だから就職って考えたときに、広告代理店とかいいよね。電通とか工場とかかっこいいじゃないですか。
広告代理店で仕事やってますってかっこいいじゃないですか。
なので広告代理店だったりとか、あとは製作会社、ADって言われてるようなテレビ関係の仕事をやるっていう、そういうところを選んでやりました。
あとテレビ関係で言うと、テレビ関係の営業というのもあるんですよ。総合職というのもありまして、そこにも受けました。
実際、広告代理店は大手はほぼ全滅。中堅どころで一社内定をもらったって感じでした。
テレビ局はですね、なんと仙台のテレビ局で最終まで行ってですね、
これ行けるかもしれないと思ったんですけど、最終でちょっと落とされてしまいまして、テレビ局に入社することはできませんでした。
内定はあと印刷会社さんとですね、なぜかパン屋さん。地元のパン屋さんでですね、結構今もある、いいパン屋さんなんですけど、
幹部候補を募集しているという、そういう新入社員の研修がありまして、そこも行ってですね、そこも受かったんですけど、
一旦3つ、僕のとき就職氷河期って言われてたんですよ。就職氷河期で3つなんとか内定をもらいました。
じゃあ、どこに行くのかって考えたんですよね。
パン屋さんはちょっと、朝早起きしなきゃいけないの嫌だなと思って、まあ辞めました。
でね、広告代理店と印刷会社。印刷会社さんはどっちかというとこのウェブ系に伸ばしていくみたいな、IT系使っていくぞみたいな、そういう印刷会社さんだったんで。
ああ面白そうだなと思ったんですけど、話を聞くとですね、印刷系ってね、最終工程なんですよね。
なので企画が終わって、いろんなものが出来上がって、最後印刷するので帰れないよみたいなこと言われて、帰れないのきついなと思って。
広告代理店かなと思ったんですけど。広告代理店に行こうと思ったんですけど、そこの広告代理店あんまり華やかな感じじゃなかったんですよね。
どうしようかなと迷った時に、これ役者をやっぱりもっとちゃんとやりたいなって思ったわけです。
それでですね、4年間お金を払って大学に通わせていただいた親にですね、
直談判をしまして、まあものすごい反対されるだろうなと思って言ったんですけど、
30歳まで役者をやらせてくれないかと。 父にお願いしたんですね。
結構真面目で厳格な父です。
あんまり派手なこととか、堅実が一番。 そういう父なんですけど、
父はですね、わかったってね、結構素直に言ってくれたんですよね。
僕はちょっとびっくりしまして、 えっ、みたいな。
そうなんだ、いいんだ。
なので父の偉大さというか、せっかく4年間会話したのにお金のこととか何も言わずにですね、
OKって言ってくれたんですよ。
ちょっとびっくりしましたね。
そこで全部内定を断りをして、そして横浜に住んでたんですけど、東京に引っ越し。
そこから大学を卒業して、役者の道を歩み始めるわけです。
大学生、大学期間というのは、僕にとってはすごくいい、いろんなことを考える期間になったし、
今までとは違う世界でいろんなことをちょっと試そうと思った期間。
ただですね、やっぱり思ったのは、18年間山形で染まってきた青年が、東京に来て、東京の人たちと会って、いろいろやるとですね、
まず全然考え方が違うというか、すごく自分が惨めに感じた記憶がありますね。
なんかこんな破天荒な人普通にいるんだみたいな。こんなに周りのこと気にしないんだとか。
そういう人たちが多すぎて、田舎にいるとみんな人のこと気にしてますからね。
なんかこんな自由に生きてるんだみたいな。
ちょっとそこに慣れるのに時間もかかりましたね。
そこからいろんな人と会って、役者もやったりとかして、少しずつ少しずつ、なじんでいったっていうかな。
東京というか、都会のライフスタイルになじんでいったっていうのがこの4年間だったなと思います。
見た目もそうですし、心もそうですし、あんまり垢抜けてないんですよね、振り返ってみると。
でもこの垢抜けてなかった4年間があったことですね、僕の人生はちょっとずつちょっとずつこれから変わっていくことになります。
ではこのちょっとずつちょっとずつ変わっていったっていうことにつきましては、これからまたね、次で役者の話なんかをしてみたいなというふうに思いますので、ぜひまた聞いてください。
では今日はこの辺でありがとうございます。
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