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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、ブルーイノベーション株式会社代表取締役社長最高執行役員熊田貴之様でいらっしゃいます。
まずは、経歴の方をご紹介させていただきます。
2001年、大学院在学中に海岸防災コンサルタントサービス事業を開始、2008年はドローン事業を開始なさっていらっしゃいます。
そして、2023年には東証グロースショーに上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。熊田社長様、本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身はどちらでいらっしゃいますでしょうか。
そうですね、私は埼玉県の方ですね。こちらの方の出身でございます。
埼玉のどちらでいらっしゃいますか。
昔、浦和ですかね。
浦和レッツの浦和でございます。
そうですね、そちらの方ですね。
浦和には結構長くお住みになっていらっしゃいますか。
その後ですね、私は実家は和光市の方に移動しまして、そちらの方がずっと長くですね。
そういう意味でいうと、小学校から大学までは大学院もずっとそこにいたって感じですね。
小学校時代は、和光の小学校時代はどんな少年だったのでしょうか。
そうですね、私はスポーツがとにかく、昔はキャプテン翼とかすごい流行ってましたんで、
低学年はものすごいサッカーばっかりやってまして、
その後ですね、私は同じ和光市、厳密に言うと和光市の中でもですね、少し転校したりということがございまして、
その中で高学年になるとですね、ちょっと転校して、そこから今度は野球にのめり込んでですね、野球をひたすらやってたということで、
どちらかっていうと結構スポーツばっかりやってたっていう記憶ですかね。
和光市の方だとセーブライオンズが近いんで。
そうですね、もうご存知ですけど、セーブライオンズも大好きでした。
ただ、うちの祖父もそうですし、父もどちらかっていうとジャイアンツファンでしたので、
ジャイアンツの試合とセーブの試合も満遍なく見に行ってたって感じですかね。
なるほど、ありがとうございます。私もでも、工藤君康さんの講演会を昨年やりまして、
今年もやりますので、おそらくこの番組が流れた後の7月ぐらいにやるんではないかと思って、
もしよろしければ、リスナーの皆さんと私たちも、もしよろしければ、こういう講演会をお聞きいただければなと。
工藤さん、一応セーブ出身で、途中巨人も挟んでると思いますので、
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すみません、宣伝をしてしまいましたね。
いやいや、とんでもないです。ありがとうございます。
ちょっとインタビューの元に戻りたいと思いますが、
中学時代はどんなことをして過ごしたなんてお思いでございますでしょうか。
移動が激しくて、小学校の5年生、6年生のときに、
私は父親の仕事の関係で、今度は香港の方に小学校から中学校、3年生まで、
父の転勤というかたちで過ごすことになりまして、
香港は昔まだイギリス領の頃の香港で、
ちょうど日本企業もたくさん、やっぱり昔は世界の金融都市というか、
世界のおへそとまで言われていたので、
日本企業もいっぱい当時は進出していまして、
したがって日本人学校が結構充実していたので、
香港なんですけども、日本人の小学校、中学校というかたちで、
当時は在籍していたということですね。在学か。
なるほど。香港時代はどんなことをして過ごしたのかお思いでございますか。
そうですね。香港の頃もスポーツが大好きだったんですけども、
当時はなかなか日本では珍しい、
イギリス領だったらラグビーが結構盛んでして、
私はイギリスというか香港にはほとんどがイギリスの方がやってらっしゃったんですけども、
ラグビーチームに中学校から参加して、
中学校3年間は本当にラグビー付けではないですけども、
結構ラグビーを一生懸命やってたと。
あともう一つは、
生徒会も結構盛んな学校でして、
私も小学校時代も実は結構学校の先生からも推薦もあったりで、
結構学級委員長とか、
あるいは日本にいた時の小学校時代も児童会なども色々とやってた経験もあったので、
さらに香港に行ってから中学校が非常に学校の主体性を結構尊重するような中学校でしたので、
そういう意味では生徒会が活発で、
生徒会で色々と私も結構立候補して、
色々と活発に当時はやってたっていう、
そんな自分だったかなという感じですね。
じゃあ小学校、中学校時代からもう経営者らしいリーダーシップが取れる少年だったという、
こんな感じでいらっしゃいますか。
そうですね。もともと私の父のずっと教えではないんですけども、
どんなことやってもいいんだけども、
なるべくリーダーになるようなポジションというものを積極的にやりなさいっていうことをですね、
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昔からほぼ洗脳のように言われてまして、
そういう意味では例えばスポーツやれば、
なるべくキャプテンや部長をなるべく手を挙げてみるとかですね、
学級委員長になってみるとか、
どちらかというとですね、
そういうリーダーになるようなですね、
そういったものをですね、
気がつけばあまり人前に出て話をするとかもそんなに好きな方ではなかったんですけども、
そういうのを何でしょうね、
無意識に選択をしてたというですね、
そんなような学生時代だったかなっていう記憶ですね。
なるほど、お父さんも素晴らしい教育でいらっしゃいますね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
高校は日本にお戻りになった感じなんですか?
そうですね、やはり父親の仕事の方もですね、
ある程度、香港での仕事もある程度完了に近づいて、
私たち母親と私兄弟で2人いますんで、
その弟と2人で先にですね、やはり日本に帰ってきてということで、
日本のいわゆる高校で入ることになったんですけども、
今度、高校時代はですね、
非常に、ここもいろんなことをやったんですけども、
剣道とですね、
剣道が非常に、武道が非常に新鮮でして、海外から帰ってきた時ですね、
また何でしょうね、私も気が多くてですね、
高校の後半はですね、今度スキーにのびり込んでしまってですね、
スキー部がちょうど新しくできたばっかりでして、
そういう意味でスキーの方ですね、
もともとうちの父もスキーは結構、一生懸命やったんで、
そういった意味から、私今度、なぜか高校の後半はスキーにのびり込んでるっていう、
やっぱりそこでもスポーツばっかりやってたってことですね。
なるほど、でもサッカー、野球、ラグビー、剣道、スキーってなると、
相当運動神経がよろしかったんじゃないですか?
そうですね、私はやっぱり中学校の時もですね、
これは記録という記録かわかんないですけども、
やっぱり50メーター走でも5秒7ぐらいかな、
当時やっぱり記録を持っていまして、
非常にとにかく足が速かったというですね、
なんで当時は、やっぱりこれは過去の栄光ですけども、
そういうなんて言うんでしょうね、
いわゆるこのアンダー15って15歳以下でのですね、
そういう世界大会でも私、香港のラグビーでは、
そういう選抜に選ばれるようなですね、
そんなことも当時あったということで、
とにかく運動神経というか、運動が大好きだったし、
そういう意味ではよく走り込んでたっていうのがあったかもしれないですよね、
今思うとね。
アンダー15の世界大会に選ばれるくらいだと、
あれじゃないですか、日本でもラグビーっていうのはならなかったんですか?
実はやっぱり高校もラグビーすごいやりたかったんですけども、
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なかなかですね、日本ってそんなにこう、
当時は、今もそうかもしれないですけども、
あるところとないところで結構ね、はっきりしてまして、
当時はどちらかっていうと、
なんて言うんでしょうね、
海外から日本に行くときにも行けるところに行くっていうスタンスだったんで、
こだわっているようでこだわっていなくても、
ちょっとあったかもしれないですよね。
なるほど。ありがとうございます。大学はどちらにお勧めになられましたでしょうか?
私はですね、日大の方の理工学部の方ですね、
こちらの方に、同じ建築なんですけども、
建築の方でも海洋環境ですね、
結構専門にやってる海洋建築工学専攻の方にですね、
私たちの方は入学することになります。
何かちょっと変わった学部だったかなと思うんですが、
そちらを選ばれた理由というのは何かございましたでしょうか?
一つはですね、やはり私は日大のそういう意味でいうと、
実は高校付属高校だったんですけども、
やはり理系でして、
特にやっぱり建築関係っていうのは非常に歴史のあるということで、
何か建築に関われるといいなと当時思ってたのと、
あと海洋っていうのは非常にちょっと切り口面白いなと思ってまして、
当時私が高校大学の頃っていうのはやっぱり環境問題がですね、
結構やっぱりいろいろとクローズアップされてた時期でして、
非常にそういう意味でいうと何かこう、
海洋の構造物的なものでも、
少し環境問題と絡めたもので何か自分が貢献できないかなということで、
こういった学科をですね、ちょっと選んで進んだという経緯がございます。
なるほど。ありがとうございます。
大学時代はどんなことして過ごしたなと思いでございますでしょうか。
そうですね。
やっぱり同じように大学でもスキーサークルで、
今度は大学、高校は少しどちらかっていうと競技スキーだった。
一部競技スキーで。
大学入ってから少し基礎スキーっていうのをですね、
いわゆる結構やっぱり同じように年間でも山にですね、
もう多いところだと本当60,70,80日ぐらいですね、
山に籠ってまたスキーをやるっていうですね、
そんなようなことは繰り返してまして、
それと並行してですね、
やっぱり比較的その大学では研究室のゼミがですね、
大学の3年生ぐらいからスタートするのかな当時ですね。
わりかしちょっと早い時期にゼミがスタートするので、
その時に環境問題に非常に関心があってですね、
いるとそういう少しずつですけども、
こういう環境問題の本を読み始めたりとか、
あるいはそのいろんなそういう講演会セミナーにもですね、
参加するような、
そういう何かこう多感な時期であり、
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何かそんなようなことをしてた記憶がありますね。
60日、70日で3ヶ月以上スキーをやる感じですね。
本当に冬は全部スキーっていう感じが。
そうですね。もう楽しかったですね。
なるほど。ありがとうございます。
その後大学院にお勧めになってらっしゃるようなんですが、
これはどちらの大学院にお勧めになられたんですか。
同じですね。日本大学の大学院の方でですね。
当時は私、何でしょうか、就職氷河期だったんですね。
ちょうど私、1976年ということで、
よく76世代っていうのは就職氷河期って言われてまして、
実は76世代って日本では一番社長が多いって言われてるんですけども、
就職氷河期だったから自分で会社を作っちゃうっていう人が
実は多い世代だって言われてましたけども。
当時はやっぱり私たちでもなかなか就職がすごい大変な時代でして、
理系ですから結構大学院に進む、
当時マスターコースに進むのは結構多かったんですね。
その意味で就職家庭っていうのはですね。
私もその時にめちゃくちゃ熱意があったかっていうあれもあったんですけども、
いわゆる普通に皆さん就職家庭に進んでたのも一つあったのと、
あとやっぱり先ほど申しましたように環境問題関係、
特に海に関わる環境問題について非常に関心が高くてですね、
ぜひ大学院でいろいろとそこは研究してみようと思ってですね、
大学院に進学するようになったっていう経緯がございます。
なるほど。ありがとうございます。
大学院時代はどんなことをして過ごされた思いでございますでしょうか。
そうですね。大学院の方はやっぱりどちらかというと研究室が結構ですね、
ある意味で言うと非常に自由な風土のある大学の先生でして、
もともとそういうアメリカの大学院も出られて先生でして、
非常に風土としては自由度が高かったんですけれども、
一方で自分で研究テーマを決めなくちゃいけないっていう、
なかなかセミでは自由度はあるけれども厳しい。
自分でテーマを見つけて、自分でいわゆる最後まで終始論文でいろんな仮説を持ってですね、
それをいわゆる理系ですので、いろんな実証を踏まえて証明していかなくちゃいけないっていうですね、
そういったある種非常に厳しい研究室ではあったんですけれども、
その時に私の方でもですね、在学中にいろんな環境問題ということで、
当時はその沿岸部でいろんな地球温暖化問題、今もすごい大変な問題になってますけれども、
地球温暖化関係で非常に話題になってまして、
当時はその沿岸部にマングロブっていう木があるんですけれども、
大変性といって、普通は淡水しか木ってあれなんですけれども、
そこは海沿いに、いわゆる塩水でも生育ができるっていう木があって、
主に東南アジアの方に多いんですけれども、
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そのマングロブがですね、当時沿岸部で通常の木のですね、こういう二酸化炭の吸収量が20倍以上当時あるという調査論文が出てまして、
林野町から出てまして、かつそれを沿岸部に植林すると、
植林というか、そこに生育している場所ではですね、いわゆる落ち葉とかで自分で土壌を作っていく。
その土壌を、いわゆるその土壌の上昇速度っていうのが海面の上昇速度よりも早いというようなですね、調査も出てまして、
これを実は日本にいろんな植林すればめちゃくちゃスーパーツリーなんじゃないかって話になって、
当時はそういう林野町の論文を読んで面白いなと思って、
もともと海洋の沿岸部に関わるようなことを研究しようと思ってたので、
それですぐにですね、林野町にも連絡して、じゃあ熊田くんすぐ来いということで、
タイとベトナムの調査にですね、当時私も連れてっていただいて、まだテーマは何も決まってなかったんですけども、
一緒に林野町の森林総合研究所の皆さんとですね、いろいろと現場を見させていただく中で、
私が一つ大学院でテーマを見つけたのはですね、いわゆる海岸とかですね、あるいは河川の岸の部分なんですけども、
ものすごい浸食っていうかですね、掘られてるような状況を見まして、
あたりを見ますとすごかったのは、家が流されてるような場所もあってですね、
実はちょうど洪水の後に私がその調査に実は入ったということで、
当時その時はタイ、ベトナムでもですね、やっぱり湿地帯なんで、いわゆる豆腐の上に木が生えてるような場所なんですね。
洪水があるとやっぱり簡単にいろいろと稼働も変わってしまって、そういう意味では被害もあったということで、
災害直後に私行った時に、やっぱりこの浸食、洪水とか災害の後のこういう海岸下岸浸食っていうのは大変な問題だなと思って、
このいろいろと浸食されてるメカニズムをもう少し大学院で研究して、
そしてその浸食が対策できるような研究ができたら面白いんじゃないかということで、
私は初めてそこで研究テーマをですね、海岸のこういう浸食の対策に関わるような研究をしようということで、
私の研究テーマが決まったと。
で、修士課程でその論文を書いてですね、その時に初めて私は大学院の中でも一番最優秀賞を取ってですね、
その後また面白いということで、私は大学院の今度は何を持ってるか博士課程まで行ってしまったっていうですね、
そういう大学院であったかなと思ってますね。
なるほど、じゃあもうご優秀でいらっしゃった部分もありのっていうことですね。
まあ大学院は実はあんまり正直言うとあの勉強は正直そんな好きな方ではなくてですね、
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ただやっぱりその研究をやっぱり自分でその先生が自分でテーマを見つけなさいっていうことを言ってくださったっていうのはやっぱすごいやっぱ当時大きくてですね、
ですのでもちろんその先生との出会いも大きかったのと、やっぱりその研究テーマを自分で見つけられたことがやっぱり自分のそのやってみよう、
本当にやってみたいっていう思いがですね、やっぱりその熱量がそこまで博士課程まで博士論文まで書かせたっていう経緯があったのかなと思いますね。
なるほど、ありがとうございました。
その大学院、大学中に海外防予債コンサルタントサービス事業を開始ということは、この大学院、大学中に創業なさったと思ってよろしいでしょうか。
実はですね、私大学院のちょうどやっぱり修士課程から博士課程にいわゆる進学するときに、正直言うと親もですね、
ちょうどうちの父が、そういう意味ではサラリーマンを終えて、実は今のBlue Innovationの会社の前身の会社を実は父が実は立ち上げたんですね。
プライベートカンパニーとして立ち上げたんです。その頃ちょうど私、そういう意味では大学院に行ってまして、親からは、
頼むから就職してくれって。もういいじゃんと、学生というか勉強みたいな。頼むからもうちょっと稼いでくださいよみたいな感じだったんですけども。
ただ決して家計も楽ではなかったんですけども、独立したばっかですね、父も。
だったんですけども、当時父もですね、そういう意味ではやりたいんだったらやってみたらいいんじゃないかということと、
当時たまたまそのうちの母がですね、祖父のほうにですね、いろいろとこう、結果として祖父の寝回しではないんですけども、
祖父が当時やっぱり、昔の人たちは末は博士か大臣かって言ってですね、孫がそんなに博士が出て勉強したいんだったりということで、
学費を実は祖父がですね、当時出してくれてですね、私としては生活費はもうとにかく親に迷惑かけないからと、
自分でなんとか、区学生じゃないけどアルバイトやってなんとかするからっていうことを単価切って大学に行ったんですよ。
だから私はもうホスト以外はなんでもやりまして、いろいろとアルバイトをやったんですけども、その時にやっぱり外でいろいろこう、当時は塾の講師とかいろいろやったんですけども、
やっぱりどうしてもですね、大学院って勉強する時間をいかに確保するかってやっぱり結構、研究する時間をいかに確保するか大事でして、
やっぱりアルバイトと研究を両立するので、ポートフォリオ間違えてそのまま仕事やっちゃってるって人も結構いたんですけども、
私の場合は、やっぱりできれば大学院で内職しながら研究できたらいいなってことを当時思いまして、大学院の当時、
なんていうんでしょうね、OBにですね、いわゆるその、私は元々先ほど言ったように海洋建築系だったので、ゼネコンとか建設コンサルタント、マリコンとかいろんなそのまあ卒業の先輩方がいらっしゃって、
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でその時にその先輩方にですね、少し話して何かその私に仕事なんかくれないですかねって話をしたんですね。
でその時に、熊田くんには仕事は発注できないよと、あのね、あのまあ先輩の会社もみんな上場会社のいろいろあったんで、個人に発注できないと。
ただその熊田くん、箱はあるかと言われたんですね。で箱ってなんだっていうと、要は会社だったわけですね。
で当時はやっぱり会社作るのってね、あのいろいろと結構なお金かかりました。有限会社の300万円ぐらい当時かかったりとかですね、会社の維持も結構かかったんで、
まあ会社を作るんだったらそもそもそんなお金苦労しないよってのはちょっとあったんですよね。
でその時にたまたま父が独立した、いわゆるプライベートカンパニーがあって、あそういえばうちの父の会社があるなということで、
まあ先輩にちょっと話をしたところ、じゃあちょっとそこの会社を使って仕事を発注するようなちょっとなんかあの構造を作ってみようかということで、
であのそこからですね私は在学中だったんですけども、その父の会社を借りてですね、自宅をして仕事をすると。
でそのうちその最初の仕事っていうのは、いわゆるそのなんていうんでしょうね、住民協議会のですね、あのいろいろとこう状況を撮影して、それを編集するっていうだけの仕事だったんですけども、
まああの当時はですね、まあそれだけの編集の仕事でしたけど結構なお金くださってですね、まあそれで私味にしめてしまって、バイトだったらこんなにもらえないよなということで、
あのこれはちょっと積極的にやるしかないなというふうに思ってですね、まああの私の大学院の後輩たちもですね、結構おいしい話あるよとかいう話になって、
で当時はあの研究室のメンバーがですね、あのいわゆる夕方までは学業に励みですね、その今度は夜以降はですね、今度は仕事をし始めるっていうですね、まあそんな大学院生活を送ってたっていうことですかね。
大学院卒業後そのままその授業などをどんどんやっていく感じになるわけですか。
そうですね、私はでもただやっぱりあの大学院を終えて、まあ当然あの博士方まで行ってますんで、あの道はそんなにこう選択肢があるというわけではなくてですね。
まあ先ほどおっしゃったように、あの自分でそのまあ言い方ですか、アルバイトのようなその会社を、私の会社を使った、まあそういった事業をやっていくという方法もあっただろうし、
それからあとはその大学のやっぱり研究者ですね、になるっていう選択肢もあっただろうしということで、あのまああるいは民間企業の研究者ってもあったかもしれないですけども、
まああの大学の話もちょっと実はあったんですけども、私としてはそのやっぱりあのちょうどその大学院時代っていうのは、
まああのいわゆる堀江門とかですね、いろいろとこう栽培所とか藤田さんとかですね、いわゆるアントレプレナーとか結構流行った時代でして、
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で、あのそういうのも非常に憧れてて、あのなんかこうやっぱりビジネスで大学院時代もそのお金を稼ぎながらこうね、いろいろと好きなことができるっていうんで、
ビジネスの世界が面白そうだなと思ったんですね。ただやっぱり1回自分は会社っていうのはそもそもよくわかってないから、
あの1回その社会に出てですね、あのいろいろとこう実務の勉強をちょっとしてみようということで、実は私1回大学院卒業した後ですね、
あの通常のあのそういう意味で言うとまあコンサルタント会社にですね、実は私あの就職を実は建設研の建設環境かなのコンサルタントに就職しまして、
で、そこであの実は私6年間、実はあのサラリーマンをですね経験してるんですね。で、じゃあその今の先ほどのあの父の会社でやってた仕事どうなったかっていうと、
当然私が今度卒業というか大学院を修了してしまうとね、あの後輩たちの金ズルがなくなってしまいますので、
あのまあそういう意味では当時の会社の代表は父でしたから、そこはそのまま継続したと。
で、私はあの今度就職した先のですね社長をくどいて、あのいやどこよりもうまくて安くて早いあのいいあのね解析をやってくれる会社ありますよ。
使用して。で、あの当時その私がまあ父の会社ですね、その後輩たちのブレインがある会社をですね紹介して、
当時は今だから言えますけども、仕事をですねいろいろこう振っていったっていうですね、そんなような実は経緯もあって。
で、そういう意味ではあのまあこれも今だから言えますけども、あの当時はだから社会人でも同じように6年間、
まあそういう意味では夕方まで会社で勤務した後ですね、その後その会社が終わってから今度大学に行って、で、大学でメンバーともいろいろと話をしてですね、
まあそういった当時いろいろとですね、仕事のまあ大学院に行って、まあそういうと仕事してるっていうですね、そんなようなことを当時やってたって記憶がありますね。
なるほど、そうするとだから今のいわゆる副業時代というか、ダブルワーク時代というか、それの先駆けをやってらっしゃったと、そんな感じでらっしゃいます。
そうですね、もう昔だったらすぐ怒られると思いますし、ですけどもまあまあ今ではね、それが当たり前のようになってきてますけども、
当時はまあそういうことで、いわゆるいつか自分がですね、そういう会社でこうやっていきたいって思いがあったので、なんとかその父の会社の方ですね、後輩たちとの会社っていうのを何か育てたかったって思いは結構強かったかもしれないですね。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。これまでにたくさんの成功社長、成功経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
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その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆さんの会社系に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。本日の社長に聞くインウィズビズはここまで。また来週。