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2024-01-03 24:22

第363回 佐藤康人氏(株式会社プライスレス代表取締役)【前編】

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今回は、株式会社プライスレスの佐藤康人氏にお越し頂きました。

日本で唯一の代理店構築コンサルタントとしてその地位を築き、代理店の仕組みの普及を通じた新規開業率の向上、日本経済の活性化に力を注ぐお姿から経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。
■経営者インタビューメディア「経営ノート」
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■WizBiz社長塾
https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ




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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社プライスレス代表取締役 佐藤康人さまでいらっしゃいます。
まずは、経歴のご紹介させていただきます。
東京都小金井市にて幼少期を過ごす。その後、中央大学小学部を卒業。
その後、建設会社、外資系の制度、そして営業アウトソーシング会社のほうで、2005年にプライスレスを創業されていらっしゃいます。
代理店.comの運営をなさっている会社さんです。
さらに、2011年、2013年には一般社団法人日本代理店協会を設立していらっしゃる、代理店についてお詳しい佐藤社長さまでいらっしゃいます。
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は小金井市ということで、小学校時代はどんなお子さんでいらっしゃいましたでしょうか?
いきなりそういう質問ですね。
そうですね。自分では割とネクラというか、おとなしい人間だと思っていたのですが、後々聞くとまあまあはしゃいでいたというか、目立っていたらしいです。
じゃあ、ガキ大将的な感じですか?
ではないですね。みんなの記憶と私の記憶がだいぶ違ったですね。自分では過去を振り返らず生きる、みたいな生き方をしているのですが、その時々楽しんで生きていたみたいです。
なるほど。ありがとうございます。今の姿と似ていらっしゃって、ちょっと面白いなと思いますが、中学校時代はどんなことをして過ごしたかというお思いでございますでしょうか?
中学がですね、さらに自分では暗い時代というか、塾に通っていたので、ほぼ勉強づけ、暗い少年時代を過ごした、中学生時代を過ごしたという認識です、私は。
なるほど。ちょっと街の方にも聞いてみたいなと思いますが、高校はどちらの高校でいらっしゃった?
高校はですね、中大の附属で小金井市にあるんですけれども、自転車で通っておりました。
大変頭のいい高校でいらっしゃいましたが、高校時代はどんなことをして過ごしたかというお思いでございますでしょうか?
高校がですね、本当は陸上、ずっと子供の頃から足が速かったので、そういう意味では小学校は足が速くて、まあまあ人気があったと思われます。
高校時代はそれで陸上に入りたいなと思って、頑張って受験勉強をして入ったと。やりたいことをやりたい。
陸上に行こうとしたらですね、何かの先輩方に捕まってですね、お前どこ行くんだと。
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陸上に行くんだと。陸上に行くって言ったら、陸上はやめとけ。坊主にされる。
ということで、じゃあやめよう。
その誘われた人たちが落語研究部の人たちですね。
なぜか、落語自体よくは興味なかったんですが、多分その方々が、今でいうとパワハラというかですね、
カリスマ性が結構あったので、なんか引き込まれるように入って、その学年では私だけで、部長っていうそういう部活はそうでしたね。
ただ、スポーツはその頃から、中学時代は軟式テニスやってたんですが、公式テニスをスクールで通っていて、
なので、文部、寮道ではないんですけども、学問とテニスと、あとは男子校だったので、今中学は教学になっているそうなんですけども、男子校だったので、週2回合コンみたいな。
そういう高校生活でした。
じゃああんまり今とそんな関係ないというか。
もうちょっと真面目な話をした方がいいですかね。
でも本当に週2回合コンみたいなペースでやってたのが、高校時代は。
そうですね、なんか目的が合コンみたいな感じでしたね。
相当モテたんじゃないですか。
いやー、やっぱり中風はですね、すごくお金持ちのジュニアが集まることで有名で、
うちは中小企業の社長の息子であるんですが、中小本当に冷裁だったんですが、周りはもうポルシェを持っているとか、パイロットの息子とかですね、そういう人たちなので、
見た目も華やかだし、お金の使い方も違うし、そういう意味だと、モテたかモテなかったですね。
ありがとうございます。
大学はそのまま付属から中央大学にお勧めになっていらっしゃるんですが、大学時代はどんなことをして過ごしたかと思いますでしょうか。
大学がですね、いわゆる大学デビューでやっと自分の番が来たという感じで、テニスサークルに入りまして、ここはもうモテましたね。
そういう話でしたっけ。
そういう話ですよ。
そういう話でいいですか。大学デビューです。
でも運動神経もよろしかったし、テニスも相当上手だったんじゃないですか。
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テニス上手いメンバーが教えて、その時は部長でやったんですよね。なのでテニスの腕よりは代表というだけでモテたっていう、そういう時代です。
なるほど、ありがとうございます。
一番最初は新卒で東証二部上場企業の建設会社、こちらはどちらだったんですか。
テクノリオワっていう、元々クリーンルームとかですね、そういう世界に強い会社なので、私が入った時は店頭公開。
私は総務に入ったので、その時に二部上場を持っているというところですね。
佐藤社長のことを私はリーサーの皆さんはご存じないと思うんですが、私仲良しでよく飲んでいるので、建設会社ご出身というのは今回のインタビューで初めて知って、そっち系のイメージがないんですが、建設会社を選んだ理由は何かございましたか。
元々大学で割と派手に生活していたので、その時にアルバイトで社長の方々が集まるようなところで仕事を手伝っていたんですね。
覚えているのは、例えばゴキブリ駆除、これを独立できますとか、いろんなアイデアの社長さんたちが集まって一つの事務所で仕事をしているというようなところでお手伝いしていて、
その時に佐藤くんこのままやったらお金持ちになるよと言われていたので、就職するつもりがなかったんですね。
ただですね、ギリギリになって、周りが就活する中、私だけやっていなくて、ギリギリになって、母親に泣かれまして、
もう頼むから、新卒は一度しかないんだから、頼むから就職してくれと言うので慌てて就職活動をしたんですが、
そういう感じだったので、有名なところ、資生堂とか、コマーシャルをやっているようなところばかり受けたら、最終的には全然浮かんなくて、
ある世界的な企業で最終面接まで行って、神戸まで進化するので行ったんですが、その時に最終面接で言われるだろうなと思って用意していたんですが、
落語をやってくれと言われて、お知見と言っても研究するだけで上手いとはそういうのではないですね。
神々でしかも途中で遮られてとか、悲惨な役員面接、多分向こう7名ぐらいお偉い方が並んでいて、落語をやれと言われて真っ白になりますよね。
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つけ焼き場で覚えた、その短いネタのほうがいいだろうと思って用意していたら、それも飛んじゃって落ちて、
そしたら父親の、先ほどのテクノリオは昔父親が務めていて、工事部長までやった、その後独立したんですけれども、
そのコネを使って、スーパーエリートが入ってきたみたいな感じで、総務になり物に入って、毎晩同期をくどいて飲みに行くっていう、
そういうような、そういう話でしたっけ、が一社目です。
なので建設業は全く興味もなかったですし、父親が空調関係でご飯を食べているということは、
たまに見学とか行っていたので知ったんですけれども、まさか自分が働くとはということでしたね。
そこで総務だったので、上場会社の総務なので株主対応とか、株主総会もやっていたので株主対応とか、建設業の許可申請とかということで、
当時パソコンが出てちょっとぐらいですかね、だからエクセルとかワードっていうのをそのとき徹底的に学んで、
そのときから営業に向いていると言われつつも、総務を6年、7年ですかね、6年半とかぐらい勤めさせていただきました。
ありがとうございます。その後外資体制の政府の会社に移られていらっしゃるんですが、これなんか移った、いわゆる建設会社さんを辞めて政府に行こうというきっかけというのは何かございましたでしょうか。
順番としてはですね、その後にあるアウトソーシング会社が先になんですけれども、大学のサークルの仲間が先に日本アウトソーシングという会社に転職をしていて、
久しぶりに飲んだときにですね、すごく面白そうな話をするわけですよね。
彼はノリで言っただけらしいんですが、私は真に受けてですね、会社辞めてきたから入らせてくれっていうような話をしまして、
当時の副社長、社内恋愛で結婚したんですね、テクノリオ時代に。
そのときに高度副社長に頼んだりとか、そういう恩義もありつつも全く無視してですね、奥さんにも自己報告するっていう、そういうような転職の仕方でしたね。
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その日本アウトソーシングさんでの思い出というのは何かございましたでしょうか。
そうですね、急に営業の世界に入って、マーケティングとか結構好きで勉強をそのとき猛烈にやって、
そのマーケティングの知識を生かしてお客様に提案したりとか、獲得した仕事を管理系に、
受託するメンバーには引き渡すみたいなことをやってて、すごくクリエイティブ。
ソーム自体が2年3年すると同じような業務が毎年、クオリティはどんどん上がっていくんですけども、
一方その営業の世界っていうのは全然違う、お客さんも違うし、すごく楽しかったという経験ですね。
なるほど、ありがとうございます。
その後、制法ですか。
そうですね。
それは転職するきっかけというのは何かございましたでしょうか。
そのときもですね、まあまあやんちゃしてまして、小さい子供がいながら飲み歩くとかしている中で、
社長と大喧嘩してですね、辞めました。
なるほど。
でも、すごく大したことないんですが、本当にですね、手紙の宛名様かどのかみたいな、
そういうことからですね、今もいらっしゃらないと思うんでいいと思うんですけど、
そうですね、喧嘩していました。
なるほど、じゃあ割と喧嘩っぽい感じのタイプでサトシさんとかいらっしゃるって感じですか。
そうですね、なんか普段はニコニコ、ヘラヘラという感じしているんですけれども、
なんか自分のポリシー、様かどのかっていうのはポリシーだって話なんですけど、
何かこの本当に守りたいものっていうのを、いやそれはないだろうっていうのは一瞬でカチンとなりますね。
だから自分のことは結構簡単に受け流せるんですけど、
仲間が何か言われたりとかすると、もうシラフで喧嘩しちゃうっていう、そういう感じですね。
よく知っている佐藤社長なんで、思い浮かぶことがいっぱい出てきて、ちょっと楽しい感じがあるんですけれども。
あれとあれっていう、そうですね。
で、政法を選んだのはなかなかあれなんですが、何か理由はございますでしょうか。
いや、もうその年、30前後だったと思うんですけど、それぐらいだとですね、もうなかなか転職先が難しくて、
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しかも今でも昨晩かもしれないんですけども、外資系の政法さんってすごくリクルートに熱心だったので、
それでお声掛けいただいてっていう形で転職しましたね。
なるほど。政法での思い出なんてございませんでしょうか。
政法はですね、営業のノウハウ、個人経営みたいなものですよね。
なのですごく営業力、マーケティングとか活かせるなと思っていたんですが、結構私はあまりあってなくてですね、
ちょっと人の財布の中身を心配して、安めの提案をしてしまうとか、
どんどんどんどん親戚にご紹介いただいて、出張費がかかりつつ、
今みたいなオンラインとかなかったので、出張して経費割れしちゃうみたいな感じで、
今思えば法人営業とかやっとけばまだまだご飯食べれてたと思うんですが、
もうどうにもならずですね、保険はもう大失敗でしたね。
なるほど。で、その後独立でいらっしゃいますか。
はい。
だから、独立するのに怖さとかそういうのはなかったんですか。
もう選択肢がないっていう、他の社長の方々はもっと前向きに、
会社設立とかされるかもしれないですが、私の場合は政法やって、
政法もですね、実は2者当たりあるっていう、
獲得し続けないと報酬がどんどん下がってしまうっていうのが、
基本的な報酬スタイルなので、私はそれ十分な獲得ができず、
もう辞めるしかないっていうところまで追い込んで、
当時、保険っていうのは金融業界なので、すごく制限が厳しくてですね、
保険を販売するために、割引っていうことができないので、
割引もそうだし、何かプレゼントするっていうことも値引きに値しますので、
そういうことができないので、保険は保険しか売っちゃいけないと。
ただし、その後、その後に、
保険を売るためには、この商売を紹介するとか、
お客さんを紹介するとか、そういうのがありますよね。
ここに一円もいただけないっていう不自由さをすごく感じていたので、
独立する際には、もうそういう縛られない、逆に持たざるものっていうのが、
プラットフォーム的な発想、
プラットフォームって言葉は当時はあまりなかったと思うんですけども、
ファブレスっていう表現ですかね、
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持たざる経営をしようというので独立をして、
怖さというか、もうやるしかなかったので、
そういう腹に満ちたスタートでしたね。
最初からこのダイテン.コムですか、
これを放送して独立って感じなんですか?
実は、アウトソーシングの時に、
営業を始める前に、
アウトソーシングを始める前に、
アウトソーシングを始める前に、
実はアウトソーシングの時に、
営業代行ということを少し学んでいたんですけども、
保険を辞める時に、
営業代行という業務からスタートしました。
実際にプライセリスという会社を作ったんですが、
別の会社さんから業務委託という形で、
営業代行を受け持っていて、
なので会社としては、
営業代行会社という形でスタートしましたね。
どこのら辺で、このダイリテン.コム、
いわゆるダイリテンボッシュのサイトをやろうと思われますか?
営業の代行をしていた時に、
おかげさまでいろんな仕事をいただいていて、
マックスで7社ぐらいの営業部長とか、
営業課長とか、そういう役職をもらいながら、
営業代行をするということをやっていたんですけれども、
その時に、ある会社さんから、
ポスレジの会社さんだったんですけど、
お伺いした時に話を聞いたら、
うちはエンドユーザーではなくて、
代理店を獲得してきてほしいというようなオーダーがあって、
その時に保険をやっていた時代も、
代理店なんですけれども、
その時は業務委託か、
代理店というモデルですよね、政府自体は。
そのことを知らずに、
ポスレジの会社さんの話を聞いて、
代理店ということを調べるうちに、
なんて素晴らしい仕組みなんだというふうに感銘を受けまして、
マーケティングも勉強していたので、
いろんな会社の営業代行をやるんじゃなくて、
代理店を構築するということに特化していこうということで、
日本で唯一の代理店構築コンサルタントというふうに名乗って、
そこからスタートしました。
なるほど。
代理店構築のコンサルタントをやっている中で、
代理店募集のサイトを作ろうという話になっている感じですか?
そうですね。
代理店構築という仕事を新しく受け負っていく中で、
受け負った会社さんの代理店をどうやって募集するかというときに、
当時、今でもありますけど、アントレさんとか、
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うちよりも前からそういうサイト運営されている会社さんが、
モデルのような会社さんがあったので、
そこにはないような強みとかサービスをプラスするという形で、
新しく作りましたね。
なるほど。
なんか当初より狙いがあって、
代理店.comを作ったりもしたんですか?
そうですね。
そのときは本当に食べるのに必死で、
もともと保険業界で食えなくて、
困って社長になったという感じなんですよね。
誰も採用してくれなかった。
確か35歳くらいだと思うんですけど、
そのときは4回くらい転職しているので、
どこも採用してくれないだろうという思いで、
社長になったものですから、
本当に食べるのに困って何でもお仕事を受けてきましたし、
サイト作りもその一環で、
だからサイトもどこかに頼むのではなくて、
昔ホームページビルダーみたいなソフトがありました。
自分でソフトをいじってですね。
そういう意味だとソウムでの経験がすごく活かされていると思うんですが、
勉強すれば何でもできるということでサイトを作って、
当時は今のような立派なサイトを作って、
今のような立派なサイトになるとは全然思わずに、
本当にお客さんのためにということでサイトをスタートしましたね。
本日も社長に聞くインウィズウィズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
この内容はすべてテキスト化いたしまして、
私どもウィズウィズが運営するウェブサイト経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、
皆様の会社経営に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、
サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、
経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
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本日の社長に聞くインウィズではここまで。また来週。
24:22

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