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社長に聞くin WizBiz
本日の社長に聞くin WizBizは、大嶋啓介社長様でいらっしゃいます。
経歴の方を先にご紹介させていただきます。1974年生まれ、名犬桑名市に生まれていらっしゃいます。
2004年、居酒屋から日本を元気にする目的に、株式会社てっぺんを設立。
本気の調理が日本中の話題になり、数々のテレビや雑誌に取り上げられていらっしゃいます。
有名なところですと、居酒屋甲子園の立ち上げであったりとか、外食産業に最も影響を与えた人におかれる外食アワードを受賞されたり、
経済産業省からもドリームゲートアワードを受賞されているという、大変著名な社長様でいらっしゃいます。
今現在は女子のソフトボールチーム、オリンピックの女子のソフトボールに調理研修を行ったり、そのチームは金メダルを取っていらっしゃいます。
高校野球の有名な高校のチーム強化研修なんかをやったりということで、大変有名を与えていらっしゃる社長様でいらっしゃいます。
大島社長様、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
では最初のご質問は、三重県桑名市出身ということでいらっしゃいますが、小学校、中学校時代どんな幼少期をお過ごしになられましたか?
小学校、中学校の時は野球ばかりやっていた幼少期で、中学校の時は目立ちたがり屋だったので、生徒会の副会長だったりとか、ただ中学校の時に野球を挫折したり、何もかもやる気がなくなってしまったのも中学校の時だったりもします。
そうですか。やる気がなくなったのをどう抜け出したとかは?
中学校は、中学校2年生から受験もうまくいかなかったですし、本当に滑り止めの、私立の高校に行くことになったり、野球の挫折が僕の中では精神的に大きくて、やっぱり高校野球もやらなくなって、本当に挫折の、中学校の挫折が大きいですね。
小学校の時は逆に2年連続で全国大会3位の少年野球のキャッチャーをやっていたりとかしていて、すごく野球を頑張っていたけれども、中学校で挫折をした。
大きいところで言うと、小学校の時に父親が亡くなって、警察官だったんですけれども、殉職という形で、小学校3年生の時に亡くなりました。
母親が31歳で当時大変な苦労をかけたという弟と妹がいますので、そういうのが大きな出来事だったなと思います。
大変苦労された思い出でいらっしゃいますね。
高校の方はどんなふうなことをして過ごされたんですか?
高校は逆にまた僕の中ではすごく調子が良くて、そんなに頭のいい学校ではなかったんですけれども、たまたま成績が最初のテストが学年で8番だったのがきっかけで、
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周りからすごいね、すごいねって言われると調子に乗って、結局卒業は2番で卒業して、ずっと学年で1番か2番で、2年生の時は全科目オール5というのがあって、
すごくクラスでは1番しかなくてという状態だったので、そのまま名城高校から名城大学という推薦で大学を行かせていただいたという高校生活で男子校だったんですけれども、
勉強ばっかりしていたかというと全然そうではなく、部活もやらずに友達と毎日遊んだり、当時は男子校だったので合コンしたりとか、
本当に友達と明日も高校楽しかったです。
なるほど、じゃあ勉強もできるわ、遊びもできるわ、表にもなれればという感じでいらっしゃいますね。
そんな感じでした。
羨ましい高校生活でした。大学時代はどんな風に過ごされたんですか。
もう引き続き遊び倒していました。本当に毎日のように飲んで、モテるような仕事ばっかりしていました。
バーでアルバイトしたり、長島スパーランドのプールのアルバイトしたり、世間で言うチャラ語的な感覚ですかね。
こういうのも公演とかで言ったことないですけど、大学時代はたくさん仲間と友達と毎日一緒にいる感じでした。
本当にこれでもかというくらいたくさん遊ばせていただきました。
お友達をかなり大切にされていらっしゃる。
本当に一番大切な存在でした。
大学卒業後、ご就職をされたというふうにお聞きしたんですけど、どんな会社に就職されたんですか。
僕はやりたいことが特に本当になかったので、周りが就職活動をするのでそれに流されて就職活動をしました。
そのときに取っていただいたのが電気関係の専門賞賞者。
明星大学の理工学部の電気電子工学科というところだったので、電気関係の専門賞賞に勤めさせていただくんですけども、
全く仕事についていけず、知識とかを勉強する気も起きず、営業成績も全然駄目で自信もなくし、
いつの間にかうつのような乗り乗せみたいな状態になって、仕事もいけなくなるぐらいの状態になりました。
そうですか。
1年で。
そこはお辞めになられたんですか。
はい、もうクビっていう状態。社内的にはクビで、社外的にはそういうふうになってないんですけども、
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1年で会社を辞めてくれと言っていただきまして。
今の大島社長からは全く想像つかない感じですね。
全然やる気にならなかったですね。
本当に会社にとっては申し訳なかったなって思うんですけども、
すごくびっくりすることで、5年後、6年後ぐらいですかね、そこの会社の講演をさせていただいたり。
7年後ぐらいですかね。
すごく上司にはかわいがってもらってたので、その上司が社長になったときに、
講演してるんだったらうちの社でもやってくれって言っていただいて、やらせていただいたりとかはありましたけども。
よく講演のネタにしてます。クビになった会社で講演してますみたいな。
なるほど。
人生変わりましたってやってますけども、でも本当に事実はそんな感じでした。
辞めになった後はどうされたんですか。
3ヶ月、4ヶ月ぐらいぼーっとしてまして、家で。いわゆる引きこもりだったんですけども、
やりたいこともなく、ただやっぱり飲食をやってみたい、飲食業にやりたいとは思ってたんですけども、
背中を押してもらったのはじいちゃんで、おじいさんに祖父に背中を押していただいて、飲食の修行に3ヶ月後に行こうと決めて、
いろんな店を回って、本当にすごく空気がこの店だって思う店が3つあったんです。
その3店舗とも、かぼれ屋グループという同じ会社のグループだったので、もうここだったら自分の余ったれた考え方や厳しく指導していただけるだろうなって思いましたし、
成長できるなと思ったので、そこで修行させてもらいました。
なるほど。ちゃんと事前に調査してから後輩になったというのが、やっぱり大島社長、やっぱりご有志でいらっしゃるなという感じなんですけど、
何年ぐらいそこで修行されたんですか。
6年間店長をやらせてもらったり、店長の教育までやらせてもらったり、自分の店からどんどん店長を輩出するような立場でやらせてもらって、
統括店長をやらせてもらったり、主に人材育成をやらせてもらっていたので、
あと名古屋のグループだったんですけども、東京の出店も任せていただいて、すごくそれが大きな経験をさせていただきました。
なるほど。じゃあそこで飲食事業をすべて学ばれたということで。
そうですね。飲食と人間力もすごく、やっぱり飲食は人間力商売だなと思う。人の魅力を磨くところもすごく学ばせていただいて、すべてを学ばせていただきました。
そうですか。その後、独立ということになられるわけですかね。
はい、そうですね。
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いざかやてっぺんを創業するきっかけって何かあったんですか。
僕自身がかぐれグループで修行させてもらっているときに、いろんな人材育成の研修とかセミナーとかに行かせてもらって、その研修が僕の中では人生をまた大きく変えるきっかけなんですけども、
こういう研修講師になりたいと思ったのもそのときだったんですね。自分もそうやって希望を与えられるような人になりたいと思いまして。
やるんだったら圧倒的な人の魅力のお店を作りたいとも思いましたし、人が成長できる、どんな会社様よりも一番この自分のお店で成長できるような学校にしたいと思ったんです。
人間力を磨かれる学校で3年間しか働けなくて、学校と一緒で卒業してどんどん自分で独立していくような、自分で経営者をしていくような、経営者を配置するような学校にしたいと思って創業していくんですけども、
やっぱり自分がかぐれグループに入るときからそういう自分で挑戦していきたい、見せやりたいというのは思ってはいました。
なるほど。
居酒屋てっぺんとは大変有名な居酒屋さんでいらっしゃいまして、非常に元気のいい居酒屋さんでいらっしゃいます。
私も行ったことがあるんですが、大変皆さん、本当に店員の皆さんがお元気ですよね。
ありがとうございます。
そういうのは大島社長いつもどういうふうに入れてるのかなと思いながらいつも見てたんですけども。
やっぱり思いがですね、やるんであれば圧倒的な日本一、人が輝く、働いてる人たちがとにかく元気で輝いてる、そんな輝いてるスタッフにあそこ行くと元気になるよねって言ってもらえるような、
そんな日本一のお店にしようっていうことをずっと言い続けて、言い続けてただけでですね、夢を語ってこんな店にしたい、こんな店にしたい、日本中から見に来てもらえるような店にしたい、そんなことを毎日のように思いを語り続けて、
いろんな、もちろんやってきたこともあると思うんですけども、思いを話してただけかなっていうのはすごく思います。
そうですか。言い続けただけではあんな素晴らしいお店はできないと思うんですけども。
3分コンサルティング。ウィズビズが社長の悩みを解決。
本日の3分コンサルティングは売社さん、営業代行会社さんで10年目、年商ゴールドということです。
先日、生産を将来の観光法だと思って育ててきたガタガタ男性社員が離職しました。
それも体重不良を訴えてきたんです。大会出身の彼が社内でも人がガタガタに向く根性もある社員だと見込んでいたため、私は期待の意味も含めて厳しく指導もしてしまったことが自覚した。
知らず知らずのうちに会話を進めていたのか、と自分の念頭を振り返られたわけないと同時に、どうでもしどうしても対処についていってくれる部門もいるため、何が正しいのか、厳しさと期待の選挙をどうしたらいいのかがわからなくなってきました。
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これがきっかけで、地下国のガーデンターの面からヘルスについても考えられるようになりました。
これ以上、このような理由での離職は防ぎたいと思っています。
解散するべきだと思うのか、何が正しいのか、アドバイスがありましたらお願いいたします、というのがご相談内容です。
私もこのY社の社長様と同様に失敗したことが数多い。
昔、副庁クラスにですね、大変厳しいことを言ってもらっていたんですが、ある時、あまりにも叱っていたので良くないなと思いまして、叱るのをやめました。
そうしましたら、しばらくすると、その社員の課長が物病になり、結局、辞めてしまった。
ですから、厳しく指導しているかどうかが問題ではなかったということなんですね。
何が問題だったのかというふうに私自身考えますと、その課長には厳しく指導しているのをよく見てあげていたというか、よく声をかけていたというものなので、
おそらく、認めているよ、見てあげているよ、こういうことが大変重要なんじゃないかなと思うので、厳しいか厳しくないかというのはあまり関係なく、
あなたのことを見ているよ、認めているよということも重要なんじゃないかなと思います。
もう一つ、将来の幹部候補生の若手の方には、将来の、例えば、あなたがいつか役員になってとか、
あなたがいつか私の後を進めとか、そういうことは見せましたでしょうか。
他にも私の社員で、課長、課長クラスまで、職場会食まで行ってやっていた社員なんですが、
その社員には、自分で社長をやりたい、事業を独立してやりたいと言っていたのですが、
ついでにその社員には、うちの役員になって、うちの社長になってみたいな話は、一切せずに話をしていたんですが、
あるときやっぱり辞めたいということで、辞めていたことがありました。
一方で、今うちの社内で、部長とか部長代理とか自宅専任には、
役員になって、職場役になって、専務になって、そして社長になってというのを、
都度都度言い続けて、そのチャンスを握っているんだからという話をし、
もちろん厳しいときには厳しいことに期待するということも言い続けています。
そうすると、辞めずに今でも活躍しているメンバーとなっております。
そういう意味で、将来像を見せるみたいなことも必要だったなというふうには思っております。
弊社では、毎年1月にライフプランを全員作り、
そして私が一人一人全員メンバーをし、将来こうなりたい、
新宅、私はこういうふうに応援するよということの機会を必ず持つように作ります。
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そういう意味で厳しく指導するかどうかではなくて、
あなたのことを見ているということ、そして期待しているということ、
そして将来像に関して一緒にあなたの個人の未来を一緒に作っていこうというようなことが
言えたらいいのかなというふうに思っています。
もちろん私もちょうど悩んでいることの一つですので、
正しいかどうかは分かりませんが、そんなことをしてくれるからいいんじゃないかなというふうに思っています。
本日の3分コンサートはここまで。また来週。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポトキャストはここまでになります。また来週。お楽しみに。