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2025-05-07 21:47

第433回 天沼聰氏(株式会社エアークローゼット代表取締役社長兼CEO)【前編】

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今回は、株式会社エアクローゼットの天沼聰氏にお越しいただきました。

 

高校時代をアイルランドで過ごし、英ロンドン大学でコンピューターについて学ぶ。

帰国後はIT系の企業に勤め、2014年に株式会社エアークローゼットを設立。普段着に特化したレンタルサービス業で業績を伸ばし、上場を果たしたエピソードから経営のヒントが得られます。ぜひ、インタビューをお聞きください。

 

なお、過去にこの番組で配信した内容は、経営者インタビューメディア「経営ノート」にも掲載しています。ぜひこちらもご覧ください。

 

■経営者インタビューメディア「経営ノート」

https://keiei-note.com/

 

■WizBiz社長塾

https://www.youtube.com/channel/UC16VkcI4PaUISDD4UL7pFvQ

サマリー

株式会社エアークローゼットの社長、天沼聡氏が彼の経歴や国際的な経験について語ります。千葉での子供時代からアイルランドでの生活、さらにロンドン大学での学びを通じて異文化に対する興味が育まれたことが強調されています。天沼氏はテクノロジーの進化やデジタルネイティブ世代についての洞察を述べています。また、大学で選んだ情報システムの学科が彼のライフスタイルに与えた影響にも触れています。

天沼聡氏の経歴
社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、株式会社エアークローゼット代表取締役社長兼CEO、天沼聡氏様でいらっしゃいます。
まずは、経歴をご紹介させていただきます。1979年生まれ、千葉県ご出身。高校時代はアイランドでお過ごしになっていらっしゃいます。
その後、イギリスのロンドン大学でお住みになっていらっしゃいます。
その後、アビームコンサルティング楽天株式会社とお勤めになり、2014年に株式会社エアークローゼットを設立しなさっていらっしゃいます。
そして、2022年は東証グロース市場に上場している上場企業の社長様でいらっしゃいます。
天沼社長様、本日はよろしくお願いいたします。
はい。よろしくお願いします。
まず最初のご質問ですが、ご出身は千葉というところで、千葉のどちらでいらっしゃったんですか?
千葉県の千葉市ですね。
千葉市出身です。
小学校時代も千葉でいらっしゃいましたか?
小学校、中学校とずっと地元の千葉にいました。
なるほど。小学校時代はどんな少年だったなんて思いでございますでしょうか?
そうですね。今とそんなに変わらないですけれども、当時まだデジタルがなくてアナログだったので、
外で遊んでいることが多かったなというのが思い出です。
結構ガキ大将とかそんな感じですか?
いやいや、そんなことないです。仲間と一緒によく公園で遊んでいたなという思い出があります。
なるほど。ありがとうございます。
中学時代はどんな子として過ごしたなんて思いでございますでしょうか?
そうですね。中学部活に入って、中1の時はデニス部に入って、その後バレエ部に入ったんですけれども、
割と部活をやっていました、ずっと。
なるほど。じゃあスポーツ少年と言いますか、そんな感じでいらっしゃいますか?
そうですね。できる限り文部領土でいたいというか、頑張っていました。
なるほど。ありがとうございます。
で、高校時代アイルランドということで、アイルランドに行かれた経緯というのは何かございましたか?
そうですね。きっかけが、海外に興味を持ち始めたきっかけっていろいろあると思うんですけれども、
私の場合、語学力ではなくて、どちらかというと異文化の中に自分を身を置きたいというのが、
あってですね。一番のきっかけは、中学校1年生の時に夏休みにですね、母が勝手に申し込んでくれたんですけれども、
海外にすごい短期で留学体験するみたいな形で、夏休みの1ヶ月間イギリスに行く機会があってですね、
その、いわゆる短期留学体験なんですけれども、中学1年生から大学4年生までの学生が参加できる中で、
私が中1で参加しているので一番ちびっこですけれども、お兄さんお姉さんとかが一緒に参加している中で、
イギリスに着いてですね、イギリスの電車って今もそうだと思います。
当時ボタンを押すとドアが開く電車だったんですね。押すとピシュって開くという電車に、
店長員の方がこちらですというので、ほとんど初めての海外でついていくだけという感じだったんですけれども、
ついていこうとしたときに開いたドアの中で電車の中でですね、カップルがついキスをしていてですね、
中学1年生だった私はうわーと思ったんですよ。よく見ると男性同士で、さらに私はわーって驚いたんですね。
ただそのときに周りの車両に乗っているイギリス人の方たちはすごい自然だったんですよ。
私は乗っている間もちょっと気になってチラチラ見ちゃっていた自分がいたときに、
これなんで自分は周りの人は自然なのに自分はすごく気にしていたんだろうかというのを、
当時中1なんでそんなに今みたいに言語化していないんですけれども、そのときにすごく違和感を持ってですね、
自分がこれまで生きてきて作ってきた価値観というか当たり前というのは他の文化の中では当たり前じゃないんだなというのを、
さすが海外だなというのをですね、そのときすごく強く感じて、逆に言うと自分はわりとある種限られた価値観の中で生きてきたんだなというのを感じたときに、
異文化、いわゆる全く違う価値観の中に自分の身を置いたときにどんなことが起きるんだろうかというのがすごく興味があって、
語学というよりはそういった異文化というか違う価値観の人たちとの経験がしてみたいというのが、
中学、帰ってきてからその違和感をずっともやもやしていたってですね、気づいて異文化の中に身を置いてみたいなというふうに思ってですね、
海外に行くことを考え始めて、中学、高校受験のタイミングでいろいろ探していったら、
現地校に行きたいと最初は思ったんですけれども、祖父が大反対でして、危ないと、危ないから行っちゃだめだと言うので、
しょうがない、どうしようかな、でも諦めたくないなと思って、いろいろ探していたら、
日本人学校の文校という形でいろんな世界各国に日本人の学校、日本の学校の寮が当時あるような場所があるというのを知って、
これはいいなと、祖父も安心できる日本人の先生で周りも生徒日本人ですし、日本の教育ですというので、そこを探してですね、
その中で一番肌に合いそうだなと思ったのがアイルランドにある寸大の文校だったんですけれども、
そこに行こうというのを決めて、祖父にも話をして、OKをもらって進学することになりました。
ロンドン大学での学び
なるほど、ありがとうございました。ご家庭は割と先進的なご家庭でいらっしゃったんですか。
どうでしょう、母はいろんな新しい情報とかは割とご取り入れて、
父も新しいもの、例えば当時小学校のときとかにも父がよくPC8801とか、そういったNECさんのPCですとか、
その前はMSXとか8801が出る前に、Windowsが出る前のPCとか、ようやくパソコンが出てきたというので、
新しいもの好きの父が買ってきてですね、家にそんなパソコンがあって、
最初は私はそのパソコンをゲームとかから入ったんですけれども、やり始めて面白いなというので、
プログラミングをしてみたりですとか、ポケットコンピューターを中学の時に作り始めたりですとか、
新しいものに挑戦するとか取り入れてみるとかは父も母も考え方としては思っている2人なんじゃないかなと思います。
なるほど、ありがとうございます。ちょっとリサの皆さん方に若い方聞いていると全くわからないので、説明をさせていただきます。
当時はNECとかFUJITSUが一番最初の方で、FUJITSUだとMM7で、NECだと60シリーズ、66シリーズ、88シリーズ、98シリーズみたいな感じのパソコンが出ていて、
それを先進的に買っているので、私よりも若い天沼社長様でらっしゃいますが、
当時だと持っている家庭のクラスで3家庭だったらまあまあ多いかもしれないなと。
そうですね、ないですよね。
そういう時代でございますので、たぶん私の友達も3家庭ぐらいしかなかったんではないかな、ぐらいな感じがです。
ずいぶん先進的な感じでいらっしゃって、たぶん千葉市でも先進的な感じでいらっしゃるかと思いますが、
そんな感じです。リサの皆さん、ご理解をいただきたいです。
お父様もお母様ということは、おじい様以外はアイルランドに行くことに全然反対をなさらなかったということですか。
そうですね、母はそんなに反対せずに行ってみたらいいんじゃないかというのを言ってくれました。
たぶん相当心配だったと思いますけれども、そこまで反対はなかったです。
アイルランドでは自炊をなさったんですか。
いや、もう完全に寮生活なので、一定3年間は、場所は海外にあるんですけれども、
基本的に学校内は日本語も通じますし、寮生活なので3職ついているので、割と安心に暮らせましたね。
なるほど、ありがとう。アイルランドの高校時代とはどんなことをして過ごしたのか、お思いでございますでしょうか。
そうですね、ちょっと新しいことをやってみたいというので、それまで現地でしかできない体験をしたいというので、
部活動選びなんかもいくつか見ている中で、マイレッシュの文化がある中というのと、割と競馬とかも強い国なので、常盤をやってみたいなと。
部活はいくつか入らなきゃいけない。同学年が少ないので、掛け持ちしないと部活が成り立たないというのもあって、
3つぐらいは入ろうねみたいなですね、部活の決まりがあったので3つ入ったんですけれども、その中の1つは常盤部で、
一番力を入れたのが常盤部ですね。常盤部とサッカー部と県音楽部に入りました。
常盤もちょっと理沙さんが解説すると、今回のオリンピックでメダルを取ったのを皆さんイギリスに住んでいらっしゃって、海外に住んでいて、
日本人でメダルを取っているので、イギリス、アイルランドの常盤が多分競馬常盤が大変有名な国でありました。
そうですね、ちょっと補足すると、とはいえ常盤ってすごい高貴なイメージがあると思うんですけれども、
アイルランドの常盤のある種子牧場って常盤学校って本当に柵だけあってですね、見渡す限り草原みたいなのがあっていて、
そこをこう常盤するんで、割と綺麗ではないというか、本当に牧場っていう感じです。
昔ながらの牧場ですね。
昔ながらの牧場ですね。今ね、牧場っていうときすごい綺麗になってますけど。
ありがとうございます。その後、ロンドン大学も進むようになったんですが、こちらはなぜロンドンで日本に戻ると思われて、やっぱりイギリスに残ろうみたいな感じになったのか、何なのかなというのをお聞きしたいんですか。
はい、そうですね。いろいろ選択肢を当時も考えていて、最初は日本に戻って大学生活を過ごそうかなと思ったんですけど、
やっぱり原点である自分が異文化の中に身を置いてみたいという考えをしていたにもかかわらず、割とこう振り返ると、
友達も日本人ですし、先生も多くは日本人で、海外に学校があるものの、これは自分は異文化の中に身を置いたんだろうかというのが、ちょっとやっぱり心残りがあってですね。
自分の中では現地の学校に行って、例えば一人暮らしないしは海外の家庭の中で生活してみる、生活そのものを自分の異文化の中に置くということをしてきていないなというのが、せっかく来たのになというのを最初思ってですね。
また母に相談して、海外で大学生活を過ごして彼の日本に帰国したいというのを相談したらいいんじゃないかというのを言ってくれて、近かったというのはまたイギリスにそのまま進学することを決めました。
今度は現地校に普通に行って、できれば一人暮らししたいというのも母に相談してさせてもらったという感じです。
なるほど、ありがとうございます。
学科はコンピューター情報システム学科ということで、これも当時だと最新だと思うんですけれども、そちらを選ばれたものはNSCのパソコンとかに触れていたというのもあられるのでしょうか。
そうですね、結構本当にそのままですけれども、小学校のときとかはフロッピーディスクが出る前にカセットテープとかにデータ保存していたんですけれども、
そういった時代から、周りの友達はそんなデータをカセットテープで扱っていないですけれども、それぐらいから自分もテクノロジーは面白いなと、これから変わっていきそうだなと思っていたときに、
高校のときぐらいにようやくラプトップのPC、ノートPCが出てきて、コンパクトなPCでインターネットに触れ始めた、56Kでまだ接続するのにも時間がかかったインターネットですけれども、
インターネットに接続してみると、当時やっぱり高校で海外にいたので、日本と国際電話するのにものすごいお金がかかるんですよね。
今でこそ、例えばLINEに接続していたらほとんどお金がかからないという感覚だと思いますけれども、当時一回電話するのに数千円かかるみたいな状態だったにもかかわらず、
インターネットでメールのやり取りとか、画像が遅れるとかを体験したときに、これは絶対インターネットが人類を変えるというか、人の生活を一変させていくんじゃないかなというのを当時感じていて、
テクノロジーの影響
ただ周りはインターネットに接続している人ってノートPC、もしくはラップトップじゃなくてデスクトップPCを持っていて、割とオタッキーな人たちがインターネットに接続していて、私もやっぱりその部類でずっとテクノロジーが面白いなと思っていたんですよね。
やっぱりそのテクノロジーが人を変えていくということはすごく実感して好きになって、かつインターネットが出てきて、やっぱりインターネットの可能性をすごく感じてきて、ちょうど高校のときがポケベルからPHSが出てきて、大学で携帯電話が出てきて、2つ折りのパカパカ携帯が大学のときに日本で出てきて、
日本はだいぶ携帯電話がカラーに変わっていったんですけれども、イギリスやアイルランドはまだ携帯電話がカラーじゃなくて液晶電子版に映っていて、国によっても結構テクノロジーも違うし進み方が違う。
早くテクノロジーが進んでいるほうが人がそのテクノロジーに慣れることも早いなというのを当時もすごく感じて、このテクノロジーというものが人の生活を変えていくということをすごく実感して、ただ最後まで迷ったんですよ、大学は。
常磐もすごく好きだったので、日本に常磐学校みたいなものを作るっていうのも面白そうだなって、将来そんなことができたら面白そうだなって思って、
常磐の牧場経営学みたいな道とITの道と2つ両天秤にかけていて、最終的には人のライフスタイルを広く変えるのがやっぱりテクノロジーかなと思って、情報システムの学科を選んで進んだっていう経緯があります。
その中でも、いわゆるテクノロジーのデータサイエンスとか、具体的にコンピューター工学みたいなほうと情報を取り扱うほうと大きく、またその中でも分かれたんですけれども、その中でやっぱり校舎。
これからデータを取り扱っていく、もしくは当時の人工知能、人工知能と言えたかどうか分からないですけれども、人工知能かデータ活用、そういったものがこれからきっとより注目されていくんじゃないかなと、必要とされていくんじゃないかなというふうに思って、経営の中でいかにテクノロジーを活用して、情報を活用していくかというのを学ぶ学科に進んだっていうのが最終的な意思決定です。
なるほど、ありがとうございます。ちょっとここも解説しておきます。
リサムさん、若い方で多いので分からないかもしれませんが、1993年から95年ぐらいがインターネット革命って言われて、ちょうどその後ぐらいに大学のご入学ぐらいになって。
中学が卒業して高校入ったのが95年から98年ぐらい。
たぶんそういう感じですので、私もパソコンを持ち始めたのが1995年ぐらいですので、そういう時代ですね。
インターネットってなんちゃうホイールぐらいの感じが1995年ぐらい。その後でございますので、そこからガーッと上がっていって、いろんな今で言うガーファたちが出てくる時代がやってくるという時代ですので、ちょうどすごく先進的でらっしゃるんですね、何でも。
テクノロジーに関しては早く増えていたと思います。すごく早く増えて、自作PCを作ってっていうのをやっていたので、わりと新しいものという意味ではテクノロジーには早く増えていて。
でも世代としてもちょうど携帯電話とかを含めて、デジタルとテクノロジーの移り変わりが激しい世代だったんじゃないかなと思っていて、それはすごく自分たちの中ではラッキー。
ある種リスナーの方、若い方が多いという話がありましたけれども、これからのある種時代も大きい転換期でデジタルネイティブの皆さまが人工知能とある種融合していくということですね。
そこはやっぱりチャンスなんじゃないかなと。私たちの世代は、この間小泉慎二郎さんと話をしていて、彼がほぼ私同年代でして、私のちょっと下かななんですけれども、すごくいい言葉を言って、デジアナ世代です私たちはという話をされていて、面白いなと思って。
デジアナってそのデジタルとアナログのちょうど間で、小学校のときとかは全くデジタルないアナログなんですよね。多分リスナーの方は分からないですけれども、駅行くと黒板があって、そこに皆でどことこ先行っているねとか待ち合わせをしていてもLINEで連絡できないので、1時間経っても友達が来なくてもどうしようかなと待っているしかない時代から中学校を経て高校のときにそれこそボケベルが出てきて、PHSが出てきて、携帯電話が大学のときに出てきて、
社会人になってスマートフォンがデビューしたんですよね。社会人数年経った、新卒数年経ったタイミングでスマホが出てきてiPhoneがデビューした。人の生活が激変して、スマートフォンの革命って本当にものすごいなと思うんですけれども、
これ私は感じている一番はインターネットが人の生活の当たり前になっていったのがスマートフォンが入ってから、もちろんドコモ様のiモードとかが世界でも精神的にインターネットを携帯電話の中に取り入れましたけれども、それを人の生活にさらに浸透させたのがスマートフォンかなと思って、それをまざまざと見てきた世代。
ただ一方でやっぱり趣向のスタートはアナログなので、そこのデジアナ世代がどういうふうにデジタルを活用することを優先できるのかだったりですとか、ある種デジタルに使われるんじゃなくてちゃんとツールとしてデジタルを使っていけるのかどうかっていうのはすごく大事な世代なんじゃないかなというふうに感じています。
ロンドン大学での経験
なるほど、大変勉強になるお話ありがとうございます。
で、元の話もあったじゃん。イギリスのロンドン大学時代はどんなことをして過ごしたなんていう思いでございますでしょうか。
そうですね、できるだけ現地の生活にも触れたいというふうに思って、ただ語学が興味があって行ってないので、そこまで語学語学ってしてなかったんですけれども、例えば現地のサッカーチームに入らせてもらって、イギリスなので実は結構駅ごとに地元サッカーチームみたいなのがあってですね、そこに入らせてもらって、週2回地元の、当時の私から見ると地元の駅のおじさんたちと一緒にサッカーをしていました。
サッカーをやらせてもらったりというのを過ごして、授業はできる限り行きたいなと思ったんですけど、割と今振り返るとサボっちゃいましたね。いろいろパーティー参加したりだとかをして過ごしていました。
なるほど、ありがとうございます。
本日も社長に聞くインウィズビズをお聞きくださり誠にありがとうございました。
この番組は2017年1月から毎週配信を続けております。
これまでにたくさんの生光社長、生光経営者のインタビューをお届けしてまいりました。
その内容はすべてテキスト化いたしまして、私どもウィズビズが運営するウェブサイト、経営ノートでも閲覧いただけるようにしております。
音声だけでなく文字で読み返すことで新たな発見や気づきがあり、皆様の会社経に役立つヒントがきっと見つかるのではないかと思いまして、サイトの方にもさせていただいています。
ぜひネット検索で経営ノートスペース社長インタビューと入力いただき、経営ノートのサイトをご覧になっていただければというふうに思っております。
本日の社長に行くインウィズではここまで。また来週。
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